こんにちは
年明け早々、今日からSPring8に出張です。
3月末に完成するXFEL建屋工事も、今日明日が打ち合わせは最終。
しっかりディレクションしてこなくちゃ。
ぼくは自分自身を「実務者」だと規定しています。
実務者は「即断即決」でなくちゃいけないと思います。
迷ったりせず、今の状況、今のデータで、稚拙でもいいから決めてしまう。
そして行動するんです。
迷っていると動き出せません。
動かないと、よくて現状維持、たいては悪くなるだけです。
だからたとえ完璧でなくても即断してしまう。
動き出してそれがまずければ、修正すればいいんです。
まずいことが分かるだけでも進歩。
修正も即断即決なら傷は浅いわけです。
いきなりですが、福沢諭吉『学問のすすめ』から引用です。
###
理想だけが高尚で、行動力のない人間は、他人に嫌われて孤立することがある。
こういう人間が、他人と行動力を比較すれば、もちろん他人にはかなわない。
だが自分の理想に照らして、他人の行動を見れば、そこに自然秘かな軽蔑の念がわくのを禁じ得ない。
ところが、みだりに他人を軽蔑すれば、必ず他人からも軽蔑されるものだ。(略)
おごり高ぶって嫌われる者、人に勝つことだけを望んで嫌われる者、人に多くを望みすぎて嫌われる者、人の悪口を言って嫌われる者--どれをとっても、他人との比較を誤った者ばかりだ。
ひとりよがりの高尚な理想を基準にして、他人の行動を評価するばかりか、そこに勝手な空想を持ち込むために、人に嫌われるもとをつくるのである。
そして最後には、自分から人を遠ざけ、孤立無援の苦境に陥ってしまうのである。(檜谷昭彦現代語訳『学問のすすめ』三笠書房\1300-、195p)
###
思わず笑っちゃいましたよ、福沢先生。
100年以上経った今でもこういう輩は結構いますよ。
自分では何も行動していないのに、他人が一生懸命やっていることを「大したことをやっていない」「その程度しかできないのか」と腐すヤツ。
自分のやることは棚に上げているくせに、自分の理想と照らし合わせて他人の仕事を評価しているんですね。
自分は何も行動していないので、評価不能な状態です。
そういう「安全地帯」にいるから、酷評も可能なんですよね。
それだけ言うなら「じゃあ、おまえもやってみろよ」と言いたくもなります。
そういうヤツはなぜ行動しないのか。
なぜそういう高尚な理想を実現するために、一歩を踏み出そうとしないのか。
その理由を聞くと、今はまだ条件が整っていない、社会の側に障壁がある、あいつがいるから何もできない、e.t.c.なんて言うわけです。
まー、言い訳の類でしょう。
その理想主義、完璧主義は怠惰の裏返しなんだとぼくは思っちゃいます。
確かに、条件が整っていなかったり、障壁があったり、イヤなヤツがいるのかもしれませんよ。
だからといって、全然何もできないということもないと思うんです。
たとえ30%でも、10%でも、5%でも、1%でも、やれることはないのかどうか。
行動力のある人だって、同じように条件が整っていなかったり、障壁があったりしているのです。
それでも今できることを探してやっている。
それはとても理想通りではないわけです。
それを評して「理想にはほど遠い」と言っても、当たり前のことなんですよ。
だって、理想と比べてたとえ30%でも、10%でも、5%でも、1%でも、やれることをやっているんですから。
理想と比べたら大したことはできないかもしれないけど、今の自分にできる範囲で最大限やれることを実行する。
理想通りにはできないからと言って、何もしないのではなく、ちょっとでも前に進もうとする。
そして少しずつでも理想へと近づいていく。
そういう生き方を「ベストエフォートな生き方」と呼びたい。
それが「実務者」の行動指針なんだと、ぼくは思うのです。
2009年1月9日金曜日
自分を演出しよう
こんにちは
去年はいい年でした。
理事長表彰ももらっちゃったし、男女共同参画委員長賞もいただきました。男
女共同参画委員長でもある副理事長にも大変お世話になったので、年末にぼくの青春の味日高昆布をちょびっとお福分けしました。
そしたらお返しにと、虎屋の高級羊羹をいただいちゃいました。
「今年も東奔西走の活躍を楽しみにしていますよ」なーんてお言葉も頂戴。
嬉しいですねー。
昨日、1月分の出張届けを上司に提出しました。
面白い仕事をやってる最中だったので、ちゃちゃっと書いて提出。
そしたら、日付を間違っていたり、出張先の漢字の変換ミスがあったりで、突き返されちゃいました。
まったくぼくって細かなところに気が回らないんだよね。。。
ところでサラリーマンなら、上司が無能に思えるって経験を持つ人は多いと思います。
なんでこんな無能な奴がオレの上司なんだ?って。
もちろんぼくの今の上司のように尊敬に値する上司もいるけど、嫌なことをするのは決まって無能な上司。
なぜこんなことになってしまうのか?!
組織には「ピーターの法則」が働いてしまいます。
どんな組織でもピーターの法則が成立してしまう。
ピーターの法則とは、一言でいうと、 あらゆる組織は無能化するという法則。
組織というものは、時が経つのに従ってすべてのポストはその責任を全うできない無能な人たちばかりになってしまう、というのです。
会社の社員を例に取りましょう。
平社員で優秀な人は係長に、係長で優秀な人は課長に、課長で優秀な人は部長へと昇進します。
そうすると必然的に、昇進したとたんにダメになってしまう人も出てきてしまいます。
平社員で優秀だった人は、例えば客あたりがいいために営業成績がよかったり、手先が器用なため加工機械の操作がうまかったりしたわけです。
その人が昇進して係長になったとすると、直接お客さんと接することは少なくなったり、実際に機械の操作をしなくなったりするわけです。
マネージメントとか事務作業とかもやらなくちゃいけなくなる。
現場にいるからこそ生きたスキルが、昇進すると使えなくなっちゃうんですね。
平社員と係長では当然求められるスキルが異なるわけですから。
係長となっても優秀さを発揮できた人は、課長に昇進します。
課長に求められるスキルも、係長とは違ったものが必要で、係長の時に身につけたスキルがそのまま使えるわけじゃない。
課長となっても有能であれば部長に昇進しますが、また同じことが待っています。
こうして、いずれはどこかの職位に昇進したときその職責を全うできなくなって、すなわち「無能」の烙印を押されて、昇進はそこでストップせざるを得ない。
各層のポストを占めるのは、その職位で無能となった人たちだらけになり、組織は沈滞していく。
ピーターさんはアメリカ人ですから、アメリカの会社や役所を観察してピーターの法則を見つけたのでしょう。
アメリカの組織は実力主義、成果主義です。実力主義の組織ほど、ピーターの法則にからめとられる恐れが大きいということです。
そこで、ピーターさんは「創造的無能のススメ」を提案しています。
自分にとって十分に実力が発揮できるポジションに留まり、昇進させられないようにしよう、ということです。
昇進させるにはちょっと?と思わせる欠点を、自ら演出する。
例えば、会社の付き合いはすべて断る、時々身勝手に休暇をとる、などなど。
適度に「変人」となることで、創造的無能を演出するといいのだと。
ぼくは今のポジションが、自分では楽しく仕事ができるし、実力も発揮できると思っています。
それに今のポジションでまだまだやりたいことがたくさんあります。
今のポジションにぼくを置いておいた方が、職場にとってもメリットが大きいはずです。
そのためにも、創造的無能を演出して、変人でいようと思っています。
というわけで、細かなミスをするのもぼくの演出なんです。
それによって、「関口はまったく細かいことまで気が回らないヤツだよなー。昇格させるのはまだ無理だな」と上司にも思ってもらう。そ
れによって今の自由闊達に活躍できるポジションを確保し続けるのです。
え?演出じゃなくてホントに気が回らないだけでしょ、だって??
あははは、そうかもしれませんねー。
でも自分の短所も上手く活用する。それが人生ってモンです!!わはははは。
ピーターの法則については、藤原和博『プライド--処世術2--』新潮社\1300-に書いてありました。
去年はいい年でした。
理事長表彰ももらっちゃったし、男女共同参画委員長賞もいただきました。男
女共同参画委員長でもある副理事長にも大変お世話になったので、年末にぼくの青春の味日高昆布をちょびっとお福分けしました。
そしたらお返しにと、虎屋の高級羊羹をいただいちゃいました。
「今年も東奔西走の活躍を楽しみにしていますよ」なーんてお言葉も頂戴。
嬉しいですねー。
昨日、1月分の出張届けを上司に提出しました。
面白い仕事をやってる最中だったので、ちゃちゃっと書いて提出。
そしたら、日付を間違っていたり、出張先の漢字の変換ミスがあったりで、突き返されちゃいました。
まったくぼくって細かなところに気が回らないんだよね。。。
ところでサラリーマンなら、上司が無能に思えるって経験を持つ人は多いと思います。
なんでこんな無能な奴がオレの上司なんだ?って。
もちろんぼくの今の上司のように尊敬に値する上司もいるけど、嫌なことをするのは決まって無能な上司。
なぜこんなことになってしまうのか?!
組織には「ピーターの法則」が働いてしまいます。
どんな組織でもピーターの法則が成立してしまう。
ピーターの法則とは、一言でいうと、 あらゆる組織は無能化するという法則。
組織というものは、時が経つのに従ってすべてのポストはその責任を全うできない無能な人たちばかりになってしまう、というのです。
会社の社員を例に取りましょう。
平社員で優秀な人は係長に、係長で優秀な人は課長に、課長で優秀な人は部長へと昇進します。
そうすると必然的に、昇進したとたんにダメになってしまう人も出てきてしまいます。
平社員で優秀だった人は、例えば客あたりがいいために営業成績がよかったり、手先が器用なため加工機械の操作がうまかったりしたわけです。
その人が昇進して係長になったとすると、直接お客さんと接することは少なくなったり、実際に機械の操作をしなくなったりするわけです。
マネージメントとか事務作業とかもやらなくちゃいけなくなる。
現場にいるからこそ生きたスキルが、昇進すると使えなくなっちゃうんですね。
平社員と係長では当然求められるスキルが異なるわけですから。
係長となっても優秀さを発揮できた人は、課長に昇進します。
課長に求められるスキルも、係長とは違ったものが必要で、係長の時に身につけたスキルがそのまま使えるわけじゃない。
課長となっても有能であれば部長に昇進しますが、また同じことが待っています。
こうして、いずれはどこかの職位に昇進したときその職責を全うできなくなって、すなわち「無能」の烙印を押されて、昇進はそこでストップせざるを得ない。
各層のポストを占めるのは、その職位で無能となった人たちだらけになり、組織は沈滞していく。
ピーターさんはアメリカ人ですから、アメリカの会社や役所を観察してピーターの法則を見つけたのでしょう。
アメリカの組織は実力主義、成果主義です。実力主義の組織ほど、ピーターの法則にからめとられる恐れが大きいということです。
そこで、ピーターさんは「創造的無能のススメ」を提案しています。
自分にとって十分に実力が発揮できるポジションに留まり、昇進させられないようにしよう、ということです。
昇進させるにはちょっと?と思わせる欠点を、自ら演出する。
例えば、会社の付き合いはすべて断る、時々身勝手に休暇をとる、などなど。
適度に「変人」となることで、創造的無能を演出するといいのだと。
ぼくは今のポジションが、自分では楽しく仕事ができるし、実力も発揮できると思っています。
それに今のポジションでまだまだやりたいことがたくさんあります。
今のポジションにぼくを置いておいた方が、職場にとってもメリットが大きいはずです。
そのためにも、創造的無能を演出して、変人でいようと思っています。
というわけで、細かなミスをするのもぼくの演出なんです。
それによって、「関口はまったく細かいことまで気が回らないヤツだよなー。昇格させるのはまだ無理だな」と上司にも思ってもらう。そ
れによって今の自由闊達に活躍できるポジションを確保し続けるのです。
え?演出じゃなくてホントに気が回らないだけでしょ、だって??
あははは、そうかもしれませんねー。
でも自分の短所も上手く活用する。それが人生ってモンです!!わはははは。
ピーターの法則については、藤原和博『プライド--処世術2--』新潮社\1300-に書いてありました。
2009年1月6日火曜日
残業するほど暇じゃない
こんにちは
ぼくは職場の衛生管理者も拝命しています。
そのため安全衛生情報にも触れる機会が多い。
自ら求めるだけでは得られないような情報・知識が向こうからやってきます。
やっぱり法的資格者として選任されていれば、それに関した情報はパッと目に入ります。
強制的に自分に興味関心を呼び起こす、すなわちアンテナが張られるんですね。
また、職場内で普段はあまり付き合うことのない多くの人と知り合うこともできます。
そこで得られた情報・知識・人脈を次の仕事へフィードバックすることもできる。
これは役得です。
確かにこのような本来業務以外の仕事をやることは、ちょっと大変だしめんどう。
でも多少の大変さや面倒くささを補ってあまりある価値があると思います。
労働安全衛生に関する雑誌(こういう専門誌があるんです!)をパラパラと見ていたら、こんな情報がぼくのアンテナに引っかかりました。
「同一時間の残業でも、賃金を支払われる残業より、サービス残業の労働災害の発生率は高くなる」
ほほー。
同じ時間残業してもそれに対して報酬が支払われるかどうかで、肉体や精神に対するダメージが違うんですね。
最近はコンプライアンス流行ですから、多くの会社で労働基準法の適用が厳しくなっています。
法に定められた残業時間数を超えた超過労働は、原則的に厳禁。でもその時間では個々人に与えられた仕事量を処理することができない。
ではどうするかというと、「運用」で法令を守るわけです。
帳簿上は法令を守るんだけど、実態は違反する。
すなわちサービス残業です。
なぜサービス残業だと心身に対するダメージが大きくなってしまうのでしょうか。
それは「緊張感」の違いでしょう。
賃金が支払われると思ったらダラダラはできません。
残業代に見合った仕事の仕方をしないと、上司から文句言われたりするし、自分としてもみっともない。
だから合理的にテキパキと短時間でこなそうとするはずです。
ところが賃金が支払われないとしたら、どうしてもダラダラしちゃいますよね、普通の人間は。
どうせタダ仕事なんだから、多少だらだらやってても上司は文句は言えまい。
オレはタダで仕事をやってやってるんだ、文句あっか!
そういう「甘え」が出ちゃうんですよ。
ひどい人になると、缶ビールなんかコンビニで買って来ちゃって、飲みながら仕事をしたりね。
これじゃー体に悪いですよ。
報酬と仕事のリンクが断ち切られると、こういうことになりがちなんですね。
最近は「裁量労働制」の雇用契約の人も増えてきました。
これは、時間管理はしないけど、所定の労働時間働いたと「みなす」という雇用形態です。
裁量労働制の人も、ダラダラしがちです。
報酬と仕事のリンクが切れちゃう人もいます。
そうすると労働時間が無制限に長くなってしまい、労働災害への道をまっしぐらということにもなりかねません。
裁量労働制の人だって、報酬と仕事はリンクさせておく必要があります。
報酬が労働時間によらず一定だからといって、長時間働くことは損なことです。
だって、報酬が一定なら短時間に仕事をこなせばその分時給換算での報酬は増えるからです。
時給換算での報酬が増えるということは、労働者としての価値が増すということです。
価値が増せば、次の契約の時に報酬を上げていくこともできる。
もちろん、健康も確保しながら。
長野慶太『部下は育てるな!取り替えろ!!』光文社¥952-から引用します。
###
ホワイトカラーの場合、仕事は終わらないのが普通だ。
いちいちキリなんかつかないのである。
キリをつけるのは自分だ。(52p)
###
昔から「タダほど高いものはない」って言います。
サービス残業で労働災害になっちゃ、自分も損ですし、会社にも多大な損害を与えます。
だから、サービス残業はしないさせない、ようにしなくてはいけないと思います。
そのために、ちゃんと報酬と仕事がリンクするようなメリハリのある仕事の仕方をしないといけませんね。
何より、自分の価値を高めるような働き方をしなければいけないと思います。
仕事は時間じゃないんです。アウトプット量です。
短時間にできるだけ多くのアウトプットができる方がいいのです。
労働災害は長時間の労働時間で発生します。
決して、たくさんのアウトプットによって発生することはないんです。
がむしゃらに集中して脳が発熱するくらい8時間働く人より、だらだらと毎日12時間労働の人の方が、労働災害になりやすいんです。
だから、集中して短時間にこなしていく。
そのためには、自分でどこまでやれば合格点を採れるのか、キリを付ける必要がある。
キリを付けるには、知識と経験が必要。
短時間に合理的に働くために、意図的に経験を積み、判断の基準となる知識を学んでいく必要があるんだと思っています。
ぼくは職場の衛生管理者も拝命しています。
そのため安全衛生情報にも触れる機会が多い。
自ら求めるだけでは得られないような情報・知識が向こうからやってきます。
やっぱり法的資格者として選任されていれば、それに関した情報はパッと目に入ります。
強制的に自分に興味関心を呼び起こす、すなわちアンテナが張られるんですね。
また、職場内で普段はあまり付き合うことのない多くの人と知り合うこともできます。
そこで得られた情報・知識・人脈を次の仕事へフィードバックすることもできる。
これは役得です。
確かにこのような本来業務以外の仕事をやることは、ちょっと大変だしめんどう。
でも多少の大変さや面倒くささを補ってあまりある価値があると思います。
労働安全衛生に関する雑誌(こういう専門誌があるんです!)をパラパラと見ていたら、こんな情報がぼくのアンテナに引っかかりました。
「同一時間の残業でも、賃金を支払われる残業より、サービス残業の労働災害の発生率は高くなる」
ほほー。
同じ時間残業してもそれに対して報酬が支払われるかどうかで、肉体や精神に対するダメージが違うんですね。
最近はコンプライアンス流行ですから、多くの会社で労働基準法の適用が厳しくなっています。
法に定められた残業時間数を超えた超過労働は、原則的に厳禁。でもその時間では個々人に与えられた仕事量を処理することができない。
ではどうするかというと、「運用」で法令を守るわけです。
帳簿上は法令を守るんだけど、実態は違反する。
すなわちサービス残業です。
なぜサービス残業だと心身に対するダメージが大きくなってしまうのでしょうか。
それは「緊張感」の違いでしょう。
賃金が支払われると思ったらダラダラはできません。
残業代に見合った仕事の仕方をしないと、上司から文句言われたりするし、自分としてもみっともない。
だから合理的にテキパキと短時間でこなそうとするはずです。
ところが賃金が支払われないとしたら、どうしてもダラダラしちゃいますよね、普通の人間は。
どうせタダ仕事なんだから、多少だらだらやってても上司は文句は言えまい。
オレはタダで仕事をやってやってるんだ、文句あっか!
そういう「甘え」が出ちゃうんですよ。
ひどい人になると、缶ビールなんかコンビニで買って来ちゃって、飲みながら仕事をしたりね。
これじゃー体に悪いですよ。
報酬と仕事のリンクが断ち切られると、こういうことになりがちなんですね。
最近は「裁量労働制」の雇用契約の人も増えてきました。
これは、時間管理はしないけど、所定の労働時間働いたと「みなす」という雇用形態です。
裁量労働制の人も、ダラダラしがちです。
報酬と仕事のリンクが切れちゃう人もいます。
そうすると労働時間が無制限に長くなってしまい、労働災害への道をまっしぐらということにもなりかねません。
裁量労働制の人だって、報酬と仕事はリンクさせておく必要があります。
報酬が労働時間によらず一定だからといって、長時間働くことは損なことです。
だって、報酬が一定なら短時間に仕事をこなせばその分時給換算での報酬は増えるからです。
時給換算での報酬が増えるということは、労働者としての価値が増すということです。
価値が増せば、次の契約の時に報酬を上げていくこともできる。
もちろん、健康も確保しながら。
長野慶太『部下は育てるな!取り替えろ!!』光文社¥952-から引用します。
###
ホワイトカラーの場合、仕事は終わらないのが普通だ。
いちいちキリなんかつかないのである。
キリをつけるのは自分だ。(52p)
###
昔から「タダほど高いものはない」って言います。
サービス残業で労働災害になっちゃ、自分も損ですし、会社にも多大な損害を与えます。
だから、サービス残業はしないさせない、ようにしなくてはいけないと思います。
そのために、ちゃんと報酬と仕事がリンクするようなメリハリのある仕事の仕方をしないといけませんね。
何より、自分の価値を高めるような働き方をしなければいけないと思います。
仕事は時間じゃないんです。アウトプット量です。
短時間にできるだけ多くのアウトプットができる方がいいのです。
労働災害は長時間の労働時間で発生します。
決して、たくさんのアウトプットによって発生することはないんです。
がむしゃらに集中して脳が発熱するくらい8時間働く人より、だらだらと毎日12時間労働の人の方が、労働災害になりやすいんです。
だから、集中して短時間にこなしていく。
そのためには、自分でどこまでやれば合格点を採れるのか、キリを付ける必要がある。
キリを付けるには、知識と経験が必要。
短時間に合理的に働くために、意図的に経験を積み、判断の基準となる知識を学んでいく必要があるんだと思っています。
2009年1月5日月曜日
お年玉は半分使う
こんにちは
お正月、はっちゃんとっちゃんもいっちょまえにお年玉をもらいましたよ。
それぞれ総額1万円くらいになりました。
お年玉などお小遣いをもらったとき、それをどう使うかは以下の方針にしていこうと思っています。
50%を好きなものを買う
45%を貯金
5%を寄付
これはワタミの社長渡辺さんの本に書いてあったことの真似です。
渡辺家でもこうしているそうです。
いいことは真似しなくちゃね。
ぼくが子どもの頃は、お年玉ほぼ全額を親に没収され、貯金されてしまいました。
それはそれで子どもの未来のためにいいことなのかもしれませんが、ちょっとつまらない。
その上、せっかくもらったお年玉への感謝の気持ちも持ちづらい。
だからといって全額使ってしまうのも、計画なさ過ぎ。
普段欲しいと思っていてもお金が足りなくて買えなかったものを、このチャンスに買うのも嬉しいことです。
そのことによって「おじいちゃんからお年玉をもらえたからこれを買うことが出来たんだ」という感謝の気持ちも生まれると思います。
買ったものをおじいちゃんに見せに行って、一緒に遊んだりするのも楽しいですしね。
だから、半分は使ってもいいことにしようと思っています。
残り半分は貯金。
はっちゃんとっちゃんにもお年玉半分、5000円までだったら何を買ってもいいことにしました。
まあ、はっちゃん4歳でもまだ5000円がどのくらいの価値のあるお金か分からないかもしれません。
一緒におもちゃ売り場に行って、欲しいものを選んだとき、それが予算内で買えるのかどうか教えてあげる必要はまだありますね。
で、さすがはっちゃんはすでに目星を付けていたらしく、近所のスーパーコモディイイダのおもちゃ売り場ですぐ選びました。
プラレールJR東日本新幹線セット\4300-です。
まだちょっぴり残額があったので、ジュースの自動販売機のおもちゃ\800-も買いました。
ちょっぴり5000円を超過してしまいましたが、それもご愛敬でしょう。
とっちゃんはというと、まだまだ物欲がないらしく、シマチュウのおもちゃ売り場でコンクリートミキサー車\600-を買いました。
それだけで満足みたいです。
ゆくゆくは、加えてちょっぴり寄付もしていきたいです。
お年玉をもらえるのだって、自分や家族だけのおかげではありません。
世の中の多くの人のおかげでもある。
そのことも意識してもらいたいので寄付も大事だと思います。
今のところ寄付は実行していませんが、子どもたちの精神の発達具合を見ながら実践していこうと思っています。
お正月、はっちゃんとっちゃんもいっちょまえにお年玉をもらいましたよ。
それぞれ総額1万円くらいになりました。
お年玉などお小遣いをもらったとき、それをどう使うかは以下の方針にしていこうと思っています。
50%を好きなものを買う
45%を貯金
5%を寄付
これはワタミの社長渡辺さんの本に書いてあったことの真似です。
渡辺家でもこうしているそうです。
いいことは真似しなくちゃね。
ぼくが子どもの頃は、お年玉ほぼ全額を親に没収され、貯金されてしまいました。
それはそれで子どもの未来のためにいいことなのかもしれませんが、ちょっとつまらない。
その上、せっかくもらったお年玉への感謝の気持ちも持ちづらい。
だからといって全額使ってしまうのも、計画なさ過ぎ。
普段欲しいと思っていてもお金が足りなくて買えなかったものを、このチャンスに買うのも嬉しいことです。
そのことによって「おじいちゃんからお年玉をもらえたからこれを買うことが出来たんだ」という感謝の気持ちも生まれると思います。
買ったものをおじいちゃんに見せに行って、一緒に遊んだりするのも楽しいですしね。
だから、半分は使ってもいいことにしようと思っています。
残り半分は貯金。
はっちゃんとっちゃんにもお年玉半分、5000円までだったら何を買ってもいいことにしました。
まあ、はっちゃん4歳でもまだ5000円がどのくらいの価値のあるお金か分からないかもしれません。
一緒におもちゃ売り場に行って、欲しいものを選んだとき、それが予算内で買えるのかどうか教えてあげる必要はまだありますね。
で、さすがはっちゃんはすでに目星を付けていたらしく、近所のスーパーコモディイイダのおもちゃ売り場ですぐ選びました。
プラレールJR東日本新幹線セット\4300-です。
まだちょっぴり残額があったので、ジュースの自動販売機のおもちゃ\800-も買いました。
ちょっぴり5000円を超過してしまいましたが、それもご愛敬でしょう。
とっちゃんはというと、まだまだ物欲がないらしく、シマチュウのおもちゃ売り場でコンクリートミキサー車\600-を買いました。
それだけで満足みたいです。
ゆくゆくは、加えてちょっぴり寄付もしていきたいです。
お年玉をもらえるのだって、自分や家族だけのおかげではありません。
世の中の多くの人のおかげでもある。
そのことも意識してもらいたいので寄付も大事だと思います。
今のところ寄付は実行していませんが、子どもたちの精神の発達具合を見ながら実践していこうと思っています。
2009年1月4日日曜日
忍耐とは何か
こんにちは
ぼくは毎年、「字たくさん」の年賀状を作っています。
初めて受け取る人はびっくりするみたい。
でも年賀状だってコミュニケーションのひとつ。
ただ定型の印刷物の年賀状なんか受け取っても、あまり嬉しくもない。
それより、ちょっと面白いなって思ってもらいたい。
そこから対話が始まるなんてこともあるかもしれないしね。
こういう「字たくさん」の年賀状は、ぼくの尊敬する小学校教師である向山洋一さんのマネなんです。
ぼくも向山さんから初めて年賀状をもらったときはびっくりしましたよ。
こういうのもありかー!って発見もありました。
以来、真似しているんです。
いいことは真似しなくちゃね。
で、今年の年賀状はこんなのです。
###
あけましておめでとうございます。
おかげさまで今年も家族そろって元気に新年を迎えることができました。
はっちゃんは4歳、昨年4月から幼稚園年少組でがんばりました。
とっちゃんはまもなく2歳、言葉も増え元気に走り回っています。
晶ちゃんもでっかいとっちゃんにおっぱいをいっぱい飲ませながら、母親業奮闘中です。
昨年末、春立小学校時代の教え子の結婚式に家族で呼んでもらいました。
乾杯のスピーチもやらせてもらい、「いい家族を築くには愛だけではいけません。努力と忍耐も大切です」と はなむけの言葉を贈りました。
確かにどんな場合でも人生には忍耐が必要です。
忍耐とはただ我慢するということではなく、今自分にできることをひとつひとつこなしていくということだと思います。
人生、なかなか自分の思うとおりにはいかないのが現実です。
でもそうだからといってそれに甘んじ、我慢するのではなく、コツコツと理想に向かって一歩ずつ、少しずつでも実践していく。
これが忍耐なんだと思うのです。
忍耐力こそ人生を切りひらく要なんだと、この歳になってようやく分かってきました。
哲学者森信三氏もあるべき父親像のひとつとして、
父親はまず一事を通して
我が子に忍耐力を育てる躾をすべきである
と言っています。
父親として妻や子どもに示すべき一事は、やはりいい仕事をすることだと思います。
それも楽しんで快活にしている姿を見せる。
今年はX線自由電子レーザー施設の建物が完成します。
次世代スーパーコンピュータ施設の工事も佳境を迎えます。
どちらも大プロジェクトであり、一筋縄ではいかないかもしれません。
それでも忍耐をもって一歩ずつ着実かつ確実に進めていきたいと思っています。
にこやかに楽しんで。
今年もよろしくお願いします。
###
ところで、「忍耐」と似た意味の言葉に「我慢」があります。
この二つはどこがどう違うのでしょうか。
ぼくは次のように定義しています。
忍耐;成功への過程
我慢;破滅への道
最近、子どもだけじゃなく大人でも「キレる」人が増えてきました。
こういう人は我慢が足りないのだと思っている人が多い。
でも違うんですよ。
キレる人は、けっこう我慢しているんです。
忠臣蔵というお話があります。四十七士の討ち入りの話ですね。
お殿様である浅野内匠頭は我慢強いですよー。
吉良上野介に「バカだ」「常識がない」「田舎者」と蔑まれても、我慢に我慢を重ねる。
そしてとうとう我慢の限界に達してしまい、ぶち切れて、殿中での刃傷沙汰を起こしてしまいます。
ぼくは浅野内匠頭は我慢強いけど、忍耐力はないなーって思います。
なぜぶち切れる前に、何とかしようとしなかったのでしょうか。
少しでも作法を覚えていく、仕事で成果を出していくなどして、たとえ吉良氏にバカにされても、他の人から認めてもらう努力はできなかったのでしょうか。
我慢し続けた結果が、切腹、お家取りつぶしなんです。
破滅です。家臣にとっては迷惑な話です。
最近のキレる人も同じような気がしています。
どんな理不尽なことでも我慢してしまう。
自分を押さえ込んでしまうことを第一にしている。
その我慢が許容限度を超えて溢れ出してしまい、キレてしまうようなんです。
ここまでオレは我慢したんだからキレるのも当然だ、オレをここまで我慢させたお前を成敗してくれる!という、まるで浅野内匠頭だね。
もちろん、許容限度、キャパシティも恐ろしく小さく、浅いのも原因なんですがね。
なのでぼくは、我慢はよくない、と思っているのです。
我慢するだけでは現実は何も変わらないのです。たとえ完璧でなくても、少しでもいいから改善していく。
そういう方法はないかどうか考え、行動していく。
それが「忍耐」なんだと思うのです。
忍耐強く続けていくことで、現実はちょっとずつでも変わっていくのです。
そのことによって、自分の許容限度、キャパシティも大きく深くもなっていく。
そしていつかは、成功へとつながっていくんだと思うのです。
前便で、忍耐力を育てるには楽器の習得がいい、と書きました。
五嶋節『天才の育て方』講談社現代新書\700-にも同じことが書いてありました。
###
ときどき、うちの子どもは忍耐力がなくて、我慢することができないから、ピアノでも、ヴァイオリンでも、途中でほっぽり出してしまう・・・と嘆かれる親御さんの言葉を聞くことがあります。
子どもによって多少の差はあっても、小さい頃から忍耐力や我慢を身につけている子どもなんて、いるのでしょうか。
子どもは誰でも、すぐに飽きやすく、同じことの繰り返しを一番嫌うもの。
それが、子どもというものです。
なのに、忍耐力がなかったから、ヴァイオリンやピアノを続けられなかったというのは、本末転倒です。(113p)
###
忍耐力というのははじめから備わっているものじゃないんですね。
何か一事を通して少しずつ身につけていくもの。
ひとつのことに打ち込んで、できない、うまくいかない、どうやればいいんだろう、と思いつつ続けていく。
工夫も積み重ねる。
できない、うまくいかないからといって、途中であきらめたり投げ出さないことです。
楽器の練習は、同じことを何度も何度もバカみたいに繰り返すことによってしか上達することはありません。しつこくしつこく。
そして、少しできるようになった、うまくいった、ぼくってなかなかやるじゃん、というところまで到達する。そういう経験を通して、忍耐力は身に付いていくものなんだと思います。
子どもならピアノや楽器の練習を通して、学生なら受験勉強も忍耐力のいい訓練になります。
大人なら仕事を通して、家事、育児だって、忍耐力を鍛えられます。
忍耐力が身に付けばつくほど、あらゆることがうまくいくようになるんだと信じています。
だって、何事も成功するまで続ければ必ず成功するんだからね、あたりまえだけど。
途中であきらめちゃうから、失敗に終わるんです。
今日でお正月休みも終わり。
ぼくの今年のキーワードは「忍耐」と決めましたよ。
しつこくねちねちとやり続けていく所存ですので、ご期待下さい!
うひひひひひ。
ぼくは毎年、「字たくさん」の年賀状を作っています。
初めて受け取る人はびっくりするみたい。
でも年賀状だってコミュニケーションのひとつ。
ただ定型の印刷物の年賀状なんか受け取っても、あまり嬉しくもない。
それより、ちょっと面白いなって思ってもらいたい。
そこから対話が始まるなんてこともあるかもしれないしね。
こういう「字たくさん」の年賀状は、ぼくの尊敬する小学校教師である向山洋一さんのマネなんです。
ぼくも向山さんから初めて年賀状をもらったときはびっくりしましたよ。
こういうのもありかー!って発見もありました。
以来、真似しているんです。
いいことは真似しなくちゃね。
で、今年の年賀状はこんなのです。
###
あけましておめでとうございます。
おかげさまで今年も家族そろって元気に新年を迎えることができました。
はっちゃんは4歳、昨年4月から幼稚園年少組でがんばりました。
とっちゃんはまもなく2歳、言葉も増え元気に走り回っています。
晶ちゃんもでっかいとっちゃんにおっぱいをいっぱい飲ませながら、母親業奮闘中です。
昨年末、春立小学校時代の教え子の結婚式に家族で呼んでもらいました。
乾杯のスピーチもやらせてもらい、「いい家族を築くには愛だけではいけません。努力と忍耐も大切です」と はなむけの言葉を贈りました。
確かにどんな場合でも人生には忍耐が必要です。
忍耐とはただ我慢するということではなく、今自分にできることをひとつひとつこなしていくということだと思います。
人生、なかなか自分の思うとおりにはいかないのが現実です。
でもそうだからといってそれに甘んじ、我慢するのではなく、コツコツと理想に向かって一歩ずつ、少しずつでも実践していく。
これが忍耐なんだと思うのです。
忍耐力こそ人生を切りひらく要なんだと、この歳になってようやく分かってきました。
哲学者森信三氏もあるべき父親像のひとつとして、
父親はまず一事を通して
我が子に忍耐力を育てる躾をすべきである
と言っています。
父親として妻や子どもに示すべき一事は、やはりいい仕事をすることだと思います。
それも楽しんで快活にしている姿を見せる。
今年はX線自由電子レーザー施設の建物が完成します。
次世代スーパーコンピュータ施設の工事も佳境を迎えます。
どちらも大プロジェクトであり、一筋縄ではいかないかもしれません。
それでも忍耐をもって一歩ずつ着実かつ確実に進めていきたいと思っています。
にこやかに楽しんで。
今年もよろしくお願いします。
###
ところで、「忍耐」と似た意味の言葉に「我慢」があります。
この二つはどこがどう違うのでしょうか。
ぼくは次のように定義しています。
忍耐;成功への過程
我慢;破滅への道
最近、子どもだけじゃなく大人でも「キレる」人が増えてきました。
こういう人は我慢が足りないのだと思っている人が多い。
でも違うんですよ。
キレる人は、けっこう我慢しているんです。
忠臣蔵というお話があります。四十七士の討ち入りの話ですね。
お殿様である浅野内匠頭は我慢強いですよー。
吉良上野介に「バカだ」「常識がない」「田舎者」と蔑まれても、我慢に我慢を重ねる。
そしてとうとう我慢の限界に達してしまい、ぶち切れて、殿中での刃傷沙汰を起こしてしまいます。
ぼくは浅野内匠頭は我慢強いけど、忍耐力はないなーって思います。
なぜぶち切れる前に、何とかしようとしなかったのでしょうか。
少しでも作法を覚えていく、仕事で成果を出していくなどして、たとえ吉良氏にバカにされても、他の人から認めてもらう努力はできなかったのでしょうか。
我慢し続けた結果が、切腹、お家取りつぶしなんです。
破滅です。家臣にとっては迷惑な話です。
最近のキレる人も同じような気がしています。
どんな理不尽なことでも我慢してしまう。
自分を押さえ込んでしまうことを第一にしている。
その我慢が許容限度を超えて溢れ出してしまい、キレてしまうようなんです。
ここまでオレは我慢したんだからキレるのも当然だ、オレをここまで我慢させたお前を成敗してくれる!という、まるで浅野内匠頭だね。
もちろん、許容限度、キャパシティも恐ろしく小さく、浅いのも原因なんですがね。
なのでぼくは、我慢はよくない、と思っているのです。
我慢するだけでは現実は何も変わらないのです。たとえ完璧でなくても、少しでもいいから改善していく。
そういう方法はないかどうか考え、行動していく。
それが「忍耐」なんだと思うのです。
忍耐強く続けていくことで、現実はちょっとずつでも変わっていくのです。
そのことによって、自分の許容限度、キャパシティも大きく深くもなっていく。
そしていつかは、成功へとつながっていくんだと思うのです。
前便で、忍耐力を育てるには楽器の習得がいい、と書きました。
五嶋節『天才の育て方』講談社現代新書\700-にも同じことが書いてありました。
###
ときどき、うちの子どもは忍耐力がなくて、我慢することができないから、ピアノでも、ヴァイオリンでも、途中でほっぽり出してしまう・・・と嘆かれる親御さんの言葉を聞くことがあります。
子どもによって多少の差はあっても、小さい頃から忍耐力や我慢を身につけている子どもなんて、いるのでしょうか。
子どもは誰でも、すぐに飽きやすく、同じことの繰り返しを一番嫌うもの。
それが、子どもというものです。
なのに、忍耐力がなかったから、ヴァイオリンやピアノを続けられなかったというのは、本末転倒です。(113p)
###
忍耐力というのははじめから備わっているものじゃないんですね。
何か一事を通して少しずつ身につけていくもの。
ひとつのことに打ち込んで、できない、うまくいかない、どうやればいいんだろう、と思いつつ続けていく。
工夫も積み重ねる。
できない、うまくいかないからといって、途中であきらめたり投げ出さないことです。
楽器の練習は、同じことを何度も何度もバカみたいに繰り返すことによってしか上達することはありません。しつこくしつこく。
そして、少しできるようになった、うまくいった、ぼくってなかなかやるじゃん、というところまで到達する。そういう経験を通して、忍耐力は身に付いていくものなんだと思います。
子どもならピアノや楽器の練習を通して、学生なら受験勉強も忍耐力のいい訓練になります。
大人なら仕事を通して、家事、育児だって、忍耐力を鍛えられます。
忍耐力が身に付けばつくほど、あらゆることがうまくいくようになるんだと信じています。
だって、何事も成功するまで続ければ必ず成功するんだからね、あたりまえだけど。
途中であきらめちゃうから、失敗に終わるんです。
今日でお正月休みも終わり。
ぼくの今年のキーワードは「忍耐」と決めましたよ。
しつこくねちねちとやり続けていく所存ですので、ご期待下さい!
うひひひひひ。
2009年1月3日土曜日
性格は変えられる
こんにちは
この間、デパートに買い物に行きました。
晶ちゃんが買い物をしている間、はっちゃんとっちゃんと屋上で暇つぶし。
屋上にはペットショップがあり、犬などを見ようと入ってみました。
スピッツという種類の犬が売っていましたが、何か変なんです。
スピッツに対するぼくのイメージは、キャンキャンうるさい犬、というものでした。
ところがペットショップにいたスピッツはあまり鳴かず、おとなしいのです。
家に帰ってインターネットでちょっと調べてみました。
現代の日本の住宅事情に対応するために、マンションやアパートでも飼いやすいように、品種改良によっておとなしいスピッツを作りだしたんだそうです。
品種改良といっても遺伝子操作みたいな高級な技術ではなくて、比較的おとなしい犬同志を交配してもっとおとなしい子犬を産ませ、それをまた交配していくという、古典的な品種改良法でだそうです。
こうして人為的におとなしいスピッツに改良されたのです。
<性格>というものを、「その個体のある程度の期間継続する行動様式」と定義すると、上記スピッツの例は<性格は遺伝する>ことを示しています。
その意味で人間の性格だって遺伝します。
ただし、人間の場合は「学習」ができるため遺伝的に性格がすべて決まってしまうわけではありませんが、素質・要因は確かに遺伝します。
例えば、外向的な性格か内向的な性格かに関しては、50%~60%は遺伝によって決まっているという研究があるそうです。
つまり、外向的な親からは外向的な子どもが生まれやすく、内向的な親の子は内向的になりやすいということです。
自分の子どもを見て「なんかイヤなところが似ちゃったな」と思ったことはありませんか。
人間は遺伝だけではなく学習によっても性格を作っていける動物です。
自分でイヤだと思う性格は、自分で矯正してきたのかもしれません。
あるいは、親や学校で矯正されてきたのかもしれません。
ところが、子どもはまだ「素」のままなのです。
親のイヤな性格はちゃんと遺伝しちゃっているんです。
一生懸命直した性格は、生まれてから学習によって直したんですから、当然遺伝はしない。
だから「似なくてもいいところが似ちゃって。。。」ということになるわけです。
2学期末、幼稚園の個人面談がありました。
幼稚園の先生によるとはっちゃんは、
ちょっと叱られるとすぐ泣く
自分から遊びの輪に入らない
のだそうです。
要するに、気が弱くてシャイ。
「もう少しタフになってほしいですね」とか。
ぼくもそう思いますけど、幼児にタフになって欲しいってどうやって?とも思います。
そもそも、ぼくも晶ちゃんも気が弱い。
はっちゃんが気が弱いのは遺伝ですから、仕方ないことです。
それに、気が弱いことは短所だけではありません。
長所でもある。
叱られて泣くのは、叱られたことが理解できたからです。
幼児の頃から叱られても平然としていられるとしたら、それは善悪の区別もつかない鈍感な子どもであるということです。
シャイであるのも、慎重であることでもある。
何も考えずに他の子の遊びに参加するようでは、悪い仲間に加えられちゃう危険もある。
一歩引く態度だって重要です。
性格は根本のところは遺伝で変えることはできません。
でも性格は「その個体のある程度の期間継続する行動様式」なのですから、自らの努力で変えてもいけるものなんです。
行動を変えていけばいいからです。
ぼくは今でこそ図々しいヤツとみんなから思われています。
でもそれは何とかその弱点を克服したいと努力を続けた結果で、自分の思うこと、正しいことを堂々と主張できるよう行動してきたからです。
それには40年以上もかかってしまいました。
はっちゃんも自分の長所と短所を見極めて、これから少しずついいところは伸ばし、よくないところは矯正していってほしいと思います。
この間、デパートに買い物に行きました。
晶ちゃんが買い物をしている間、はっちゃんとっちゃんと屋上で暇つぶし。
屋上にはペットショップがあり、犬などを見ようと入ってみました。
スピッツという種類の犬が売っていましたが、何か変なんです。
スピッツに対するぼくのイメージは、キャンキャンうるさい犬、というものでした。
ところがペットショップにいたスピッツはあまり鳴かず、おとなしいのです。
家に帰ってインターネットでちょっと調べてみました。
現代の日本の住宅事情に対応するために、マンションやアパートでも飼いやすいように、品種改良によっておとなしいスピッツを作りだしたんだそうです。
品種改良といっても遺伝子操作みたいな高級な技術ではなくて、比較的おとなしい犬同志を交配してもっとおとなしい子犬を産ませ、それをまた交配していくという、古典的な品種改良法でだそうです。
こうして人為的におとなしいスピッツに改良されたのです。
<性格>というものを、「その個体のある程度の期間継続する行動様式」と定義すると、上記スピッツの例は<性格は遺伝する>ことを示しています。
その意味で人間の性格だって遺伝します。
ただし、人間の場合は「学習」ができるため遺伝的に性格がすべて決まってしまうわけではありませんが、素質・要因は確かに遺伝します。
例えば、外向的な性格か内向的な性格かに関しては、50%~60%は遺伝によって決まっているという研究があるそうです。
つまり、外向的な親からは外向的な子どもが生まれやすく、内向的な親の子は内向的になりやすいということです。
自分の子どもを見て「なんかイヤなところが似ちゃったな」と思ったことはありませんか。
人間は遺伝だけではなく学習によっても性格を作っていける動物です。
自分でイヤだと思う性格は、自分で矯正してきたのかもしれません。
あるいは、親や学校で矯正されてきたのかもしれません。
ところが、子どもはまだ「素」のままなのです。
親のイヤな性格はちゃんと遺伝しちゃっているんです。
一生懸命直した性格は、生まれてから学習によって直したんですから、当然遺伝はしない。
だから「似なくてもいいところが似ちゃって。。。」ということになるわけです。
2学期末、幼稚園の個人面談がありました。
幼稚園の先生によるとはっちゃんは、
ちょっと叱られるとすぐ泣く
自分から遊びの輪に入らない
のだそうです。
要するに、気が弱くてシャイ。
「もう少しタフになってほしいですね」とか。
ぼくもそう思いますけど、幼児にタフになって欲しいってどうやって?とも思います。
そもそも、ぼくも晶ちゃんも気が弱い。
はっちゃんが気が弱いのは遺伝ですから、仕方ないことです。
それに、気が弱いことは短所だけではありません。
長所でもある。
叱られて泣くのは、叱られたことが理解できたからです。
幼児の頃から叱られても平然としていられるとしたら、それは善悪の区別もつかない鈍感な子どもであるということです。
シャイであるのも、慎重であることでもある。
何も考えずに他の子の遊びに参加するようでは、悪い仲間に加えられちゃう危険もある。
一歩引く態度だって重要です。
性格は根本のところは遺伝で変えることはできません。
でも性格は「その個体のある程度の期間継続する行動様式」なのですから、自らの努力で変えてもいけるものなんです。
行動を変えていけばいいからです。
ぼくは今でこそ図々しいヤツとみんなから思われています。
でもそれは何とかその弱点を克服したいと努力を続けた結果で、自分の思うこと、正しいことを堂々と主張できるよう行動してきたからです。
それには40年以上もかかってしまいました。
はっちゃんも自分の長所と短所を見極めて、これから少しずついいところは伸ばし、よくないところは矯正していってほしいと思います。
2009年1月2日金曜日
礼儀とはルーチンワークである
こんにちは
我が子はっちゃんも4歳になったので、これからは徐々に厳しく躾けていこうと思っています。
3歳まではたっぷりアマアマに育ててきましたしね。
一度にあれこれやるとパンクしますから、ごくごく基本的なことをひとつずつ徹底していく。
まずは教育哲学者の森信三氏の提唱する「躾の三原則」から始めていこうと思っています。
1.挨拶をきちんとせよ
2.返事はハイとはっきりきびきび
3.靴をそろえ、椅子をきちんと仕舞う
ごくごく平凡な躾です。
でも大人でも(大人だから?)できるようでできないですよねー。
最近の若い人を見ていて気になるのは、まあぼくも若い頃はそうだったかもしれないんだけど、お礼も挨拶も返事もやればできるはずなのに、必要なときなのにしないときがあるんだよね。
どういうときにしないのか、その傾向をじっくりと観察してみました。
わかりました。
機嫌の悪いときはしない。
そういうはっきりした傾向があります。
若者たちは、自分が機嫌悪いとき、気分が優れないとき、疲れているとき、悲しいときなどなど、お礼も挨拶も返事もしなくてもいいと思っているらしい。
オレ様優先なんだよね。
おもしろい、おもしろい。
あ、おもしろがってちゃいけませんね。
それって損なことだと思います。
若いうちならそれもまあ可愛いとも言えるんですが、ある程度の年齢になってもそれじゃあ下品なんです。
内田樹/名越康文『14歳の子を持つ親たちへ』新潮新書\680-から引用します。
###
「しつけ」って言い換えればルーティンということでしょう、要するに。
ある布にこうやって折り目つけることが必要なら毎日同じことをやってると、必ずここにいつの間にか折り目が出来るんです。
折り目正しいと言うけども、折らなきゃダメなんです。
何度も何度もこうやって。(内田、196p)
ルーティンというのは植木鉢の土の部分なんです。
土の部分っていうのは、同じことを繰り返していくと練れてきて。
そうすると初めてそこから木が生えてくるんです。
これがないと何も生えやしないんです。
ところがみんな土壌を作らないで花だけ咲かせようとする。
そんなの無理ですよ。(内田、199p)
###
躾や礼儀って、自分がどんな状況でもコンスタントにやれるものなんです。
やれなきゃいけないものなんです。
なぜならそれは、「相手への配慮」が基本だからです。
自分が機嫌が悪いときは相手に配慮しない、というわけにはいかないものだからです。
風邪をひいて具合が悪いときでも、知っている人にあったら挨拶する。
プライベートで悲しいことがあっても、上司に呼ばれたらきちんと返事をする。
逆境の中にあっても、靴はそろえ、椅子は仕舞う。
それが「折り目正しい」ことであり、礼儀なんです。
そうできるようにすることが「躾」なんだと思うんです。
そしてそうできるから、周りの人も認めてくれ、やがては自分へとよいことが帰ってくる。
あいつ、大変な状況なのによくやっていて、けなげなヤツだなー、って思ってもらえる。
躾は、身が美しいと書くとおり、周りの人に<品>を感じさせるものなんです。
躾はどれも、平凡なことかもしれません。
でもそれを、いついかなる時でもできるように身につけるのは大変なこと。
平凡こそ素晴らしく、なかなか得難いものなんだと思います。
平凡なんだけどなかなか身に付かなく、いったん身に付くと人生のアドバンテージになるんだと思っています。
我が子はっちゃんも4歳になったので、これからは徐々に厳しく躾けていこうと思っています。
3歳まではたっぷりアマアマに育ててきましたしね。
一度にあれこれやるとパンクしますから、ごくごく基本的なことをひとつずつ徹底していく。
まずは教育哲学者の森信三氏の提唱する「躾の三原則」から始めていこうと思っています。
1.挨拶をきちんとせよ
2.返事はハイとはっきりきびきび
3.靴をそろえ、椅子をきちんと仕舞う
ごくごく平凡な躾です。
でも大人でも(大人だから?)できるようでできないですよねー。
最近の若い人を見ていて気になるのは、まあぼくも若い頃はそうだったかもしれないんだけど、お礼も挨拶も返事もやればできるはずなのに、必要なときなのにしないときがあるんだよね。
どういうときにしないのか、その傾向をじっくりと観察してみました。
わかりました。
機嫌の悪いときはしない。
そういうはっきりした傾向があります。
若者たちは、自分が機嫌悪いとき、気分が優れないとき、疲れているとき、悲しいときなどなど、お礼も挨拶も返事もしなくてもいいと思っているらしい。
オレ様優先なんだよね。
おもしろい、おもしろい。
あ、おもしろがってちゃいけませんね。
それって損なことだと思います。
若いうちならそれもまあ可愛いとも言えるんですが、ある程度の年齢になってもそれじゃあ下品なんです。
内田樹/名越康文『14歳の子を持つ親たちへ』新潮新書\680-から引用します。
###
「しつけ」って言い換えればルーティンということでしょう、要するに。
ある布にこうやって折り目つけることが必要なら毎日同じことをやってると、必ずここにいつの間にか折り目が出来るんです。
折り目正しいと言うけども、折らなきゃダメなんです。
何度も何度もこうやって。(内田、196p)
ルーティンというのは植木鉢の土の部分なんです。
土の部分っていうのは、同じことを繰り返していくと練れてきて。
そうすると初めてそこから木が生えてくるんです。
これがないと何も生えやしないんです。
ところがみんな土壌を作らないで花だけ咲かせようとする。
そんなの無理ですよ。(内田、199p)
###
躾や礼儀って、自分がどんな状況でもコンスタントにやれるものなんです。
やれなきゃいけないものなんです。
なぜならそれは、「相手への配慮」が基本だからです。
自分が機嫌が悪いときは相手に配慮しない、というわけにはいかないものだからです。
風邪をひいて具合が悪いときでも、知っている人にあったら挨拶する。
プライベートで悲しいことがあっても、上司に呼ばれたらきちんと返事をする。
逆境の中にあっても、靴はそろえ、椅子は仕舞う。
それが「折り目正しい」ことであり、礼儀なんです。
そうできるようにすることが「躾」なんだと思うんです。
そしてそうできるから、周りの人も認めてくれ、やがては自分へとよいことが帰ってくる。
あいつ、大変な状況なのによくやっていて、けなげなヤツだなー、って思ってもらえる。
躾は、身が美しいと書くとおり、周りの人に<品>を感じさせるものなんです。
躾はどれも、平凡なことかもしれません。
でもそれを、いついかなる時でもできるように身につけるのは大変なこと。
平凡こそ素晴らしく、なかなか得難いものなんだと思います。
平凡なんだけどなかなか身に付かなく、いったん身に付くと人生のアドバンテージになるんだと思っています。
登録:
投稿 (Atom)