2011年9月26日月曜日

工夫はするな、伝統を守れ


こんにちは

土曜日は溌貴君の小学校の体育祭。
去年、一昨年は部分的に見学体験でしたが、今年からは当事者。
最初から最後まで楽しみました。

去年も思いましたが、とにかく進行がスムースなんです。
先生のダンドリもよく、子どもたちの動きもそれにしっかり付いていっている。
それはなぜか。

ひとつには、毎年ほとんどプログラムを変えない、ということでしょう。
同じプログラムなら、準備もわかっている。
何度もやっている競技なら、ポイントも分かるし、抜けも少なくすることができる。
先生もどう指導すればよいか分かっているし、子どもも何をやるかイメージもできている。
だから練習も少ない回数で済むわけで、授業をつぶしてまで練習する必要もなく、業間休み時間でちゃちゃっと練習できる。
経験済みの上の学年の子どもが、下の学年に競技内容を教えたりもできます。

もう一つは、お遊戯をやらない、というのもいいと思いました。
運動会の定番は、お遊戯。
なぜかこれを低学年から高学年までやったりするのです。
ぼくの教師経験でも、お遊戯の練習にすごく時間がかかりました。
低学年のお遊戯ならまだ可愛らしいのですが、高学年だと子ども自体がしらけたり、恥ずかしかったりして練習に力が入りません。
なので時間をかけた割に、それほどいいものにならないんです。
それなのに、毎年、毎年違う演技を選び、練習する。
不合理です。

はっちゃんの学校の体育祭では、お遊戯に相当するものは、全学年男子による「東えっさっさ」と全学年女子による「校歌に合わせて」だけです。
毎年同じ、全学年でやるので、1年生は多少へたっぴでも学年が上がれば上手くなっていきます。
これも、休み時間などに高学年の子が1年生に教えてくれる。
それほど複雑なお遊戯でもないので、1年生でもそれなりにサマになっちゃっていますがね。

伝統というと、古くさいものと思っている人がいます。
そういう面もないわけじゃありませんが、それよりも「合理性」がある、とも言えるのです。
合理性があるので、変える必要がないのです。
古いからって、それが悪いものというわけじゃないんです。
いいものだから古いものでも生き残っている。
これが伝統の良さだと、ぼくは思います。

運動会でも毎年趣向を変えようと、あれこれ工夫する。
特に小学校の先生は工夫好きで、いつも子どもたちに「工夫しろ」と言っている手前、つい先生自身も工夫してしまう。
工夫しないと怠慢だと思われてしまうから、とでも思い込んでるのでしょうか?
わざわざ工夫して、それで手間がかかったり、失敗したりしていることって多いのではないでしょうか。

ぼくは仕事では、アイデアマンだとしばしば言われています。
だから工夫好きな人間だと誤解されることもあります。
ところがぼくは、工夫なんか絶対にしません。
部下たちに「工夫なんかするな。勉強しろ」と言い続けています。
自己流の下手な工夫なんか、クソですからね。
それより先人たちが残してくれた安定した技術を学び、取り入れる方が絶対楽していいものができる。

良いものは変える必要はない。
それが、伝統を守る、ということなんだと思うのです。
伝統には合理性があるのです。

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