日本でも大学などで特任教授などスペシャリスト、プロフェッショナルの有期雇用が増えてきた。
面白そうな業務内容で、ぼくもちょっとそそられる。
だが、募集要領をよく読むと気軽に応募できないのだ。
プロフェッショナルになればなるほど、その高度な専門性が必要な場合は少なく
なる。
普段、安定した状態ではそれほど専門性が必要な仕事はないのだし、そうでなけ
ればいけない。
プロフェッショナルが必要となるのは、新しいものを開発するときや危機的状況
から脱するときなど、変革期に限られる。
プロはその専門性を発揮し、問題を解決し、新しいものを創り上げ、危機から脱
する。
プロはそのヤバイ状況が好きであり、ヤバければヤバイほどわくわくし、そして
腕が磨かれる。
その仕事が終わったらそこから立ち去らねばならない。
もう自らの専門性を必要とされていないのだからね。
安定したルーチンの仕事は、プロには堪えられない。
退屈この上なく、つまらないから、ミスもする。
腕も上がらないので、やる気にならない。
プロにルーチン仕事をさせるのは、本人にとっても社会にとっても損失だ。
だから変革期を終えた場所に留まっていてはいけないのだ。
腐ってしまうからね。
そしてまた、その専門性を必要としている場所へと移っていく。
よって、プロフェッショナルは自営業、あるいは有期雇用、臨時雇いとならざる
を得ない。
その代り、高度な専門性を発揮するのだから、時間単価は高くなくてはならない
のだ。
安定したポジションを捨てる代わりに、高い報酬を得、専門性を発揮できる場所を渡り歩く。
それがプロフェッショナルの正しいあり方だろうし、事実アメリカではそうなっている。
アメリカでは、高い専門性は必要はないがルーチンの仕事をこなすバックオフィスの仕事と、高い専門性が必要なスペシャリストの仕事は明確に分かれている。
バックオフィスの仕事は常時必要なので、雇用は安定的だ。
その代わり、あまり高くない技量でもこなせる仕事であるので、報酬もあまり高くない。
その点スペシャリストの雇用は不安定である。
専門性が必要とされる場所は限られており、もしかすると無職になるリスクもある。
その代わり、報酬は高い。
だいたい、バックオフィスの人の2倍ないし3倍以上である。
このくらい収入差があれば、不安定雇用というリスクをとっても、スペシャリストになりたいと思える。
だからアメリカでは仕事がない時など、さらに専門性を磨くため大学に再入学する人も多いわけだ。
ところが日本はどうか。
有期雇用の専門職の報酬は驚くほど低い。
募集要領に書いてある必要とされるスキルはものすごく高いのに、報酬はとても求められるスキルに見合わないほど低いのだ。
民間人校長として杉並区和田中に赴任した藤原和博さん。
前職はリクルートの部長であった。
校長職は有期雇用、臨時職員扱いであった。
ダメダメであった中学校を建て直すために、校長として赴任したわけだ。
当然、高い報酬であるべきだ。
ところが低い報酬しか、区は支払えなかった。
そういう制度になっているから。
藤原さんの年収は、リクルートの時の1/3になってしまったのだ。
定年制校長の2/3程度。年功序列で校長になった人より安い。
藤原さんは収入以外に得るものがあったから、それでも低賃金の有期雇用でもチャレンジした。
でも普通のサラリーマンにはそれはできない。
安定でほどほどの収入を得ている今の仕事を捨て去るほどの勇気は持てないし、女房だって困るだろう。
不安定な雇用を受け入れ、収入が激減してまでチャレンジしたくはないのが当然だ。
制度がこうであると、自らの専門性を高めようという意欲もなくなる。
高めても何のメリットもないからだ。
それでも専門性を高めようと思えるは、ぼくのような「変人」だけである。
日本に本当の意味でのスペシャリスト、プロフェッショナルが少ないのは、こういうメカニズムなのだと思う。
すなわち、プロが動けない仕組みになっているからなのだ。
今日の名言
「この建築は俺がつくった」と言う人が多ければ多いほど、それはいい建築だと
思います。我々は設計をし、それをつくるのは大工さんであり、左官屋さんであ
り、現場監督です。お互いにひとつのものをつくっていこうという気持ちが大事
なんですね。
家をつくるのは共同作業でしょ。みんなが「俺がつくった」と思えるように現場
をこしらえていくのが我々の仕事です。by安藤忠雄
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