子ども社会だけじゃなくて、大人社会にも「いじめ」はあるよ。
いじめたり、いじめられたりしている人を観察して気づくのは、どっちも「性格が悪い」。
そして、どっちも「仕事ができない」。
なぜなら両者とも人間関係に拘泥しすぎているからだ。
他人の言うこと、やることを気にしすぎる。
あるいは、他人のやることに口を出しすぎる。
いちいちうるさいよ。
他人の言うこと、やること、それに影響を受けやすい性格だといじめ側になった
り、いじめられる側になったりするのだ。
それに振り回されるから、効率も下がり、仕事もできなくなる。
もちろん人間関係も大事だ。
人間関係が円滑だと効率もよくなる。
だが人間関係「だけ」になってしまってはいけない。
他人の言うこと、やることがすべて正しいわけでもなく、すべて間違いというわけではない。
自分の言うこと、やることがすべて正しいわけでもなく、すべて間違いというわけでもないのだ。
その「仕分け」をする必要がある。
すなわちその「仕分け」ができる人が、性格もよく仕事もできる。
必要なことにはセンシティブであり、逆にどうでもよいことには鈍感でよい。
そうすればくだらん奴らの言うことに振り回されず、間違いのない行動を取れるのだ。
あるいは、いちいちどうでもいいことに口を出して、無駄な時間を使う必要がなくなる。
必要なことには敏感だけど、どうでもよいことには鈍感。
これを品質工学では「ロバスト性」という。
安定した工業製品にはロバスト性が求められる。
機能、性能に無関係な外乱に影響を受けないこと。
でも機能、性能に関係する情報には敏感であること。
安定的な工業製品はロバスト性を満たしているのだ。
人間も同じである。
世の中くだらん外乱に満ちあふれている。
それらにいちいち付き合っていたら、やりたいことができなくなってしまう。
かといって必要な情報、助言を逃しても、やりたいことへの障害になる。
仕分けないとね。
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人の心の中には、悪意や嫉妬、コンプレックスやルサンチマン、怒りや憎悪といったネガティブな感情が渦巻いている。
人は社会的動物だから、こうした感情は人間関係から生まれ、それを他者にぶつけることで快感が得られる。
これは道徳的な善悪の問題ではなく、脳の配線(アーキテクチャ)がそうなっているからだ。
私たちは誰もが感情に支配されているから、自分の感情を無意識のうちに合理化してしまう。
他人の言動に対して怒りを感じると、その瞬間に自分が「善」、相手が「悪」となり、表に出せない悪意や憎悪は「正義」に変わる。(橘玲『(日本人)』348p)
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いじめというのは、人間の本性、本能なのである。
それを「なくす」ことはできない。
でもそれを制御・コントロールすることはできるのである。
それが「知性・理性・論理」なのだ。
仕分けるためには、「基準」がいる。
基準とは知識と経験だ。
つまり勉強、学力。
不勉強な奴らが、いじめたりいじめられたりしているのだ。
それも「正義面」して。
だからぼくは子どものいじめも、なくそうとしてもダメだと思っている。
制御、コントロールできるようにすること。
知性、理性、論理を鍛えてやる。
そうやってロバスト性を身につけさせることこそ、いじめ対策として有効なのだと思うわけだ。
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