菊池先生は「褒め言葉のシャワー」を実践している先生です。
シャワーのようにジャバジャバと褒め言葉を子どもに浴びせる。
そうすると子どもは自尊心を取り戻し、まっすぐ育っていく。
講演の中で菊池先生はおっしゃっていました。
子どもはなぜ学校に来るのでしょう?
それは褒められるために来るのです。
まったくその通りだと思います。
プラグマティストのぼくも同感です。
だって、褒めた方が効率がいいからです。
だからぼくも言います。
子どもはなぜ生まれてきたのでしょう?
それは褒められるために生まれてきたのです。
叱るより褒める方が、学習効果は上がり、生産性も上がる。
ミスも減るのです。
褒めた方がよく育つのです。
ちょっと実験してみれば分かります。
叱ったあとと、褒めたあと、同じ作業をさせてみます。
たとえば100マス計算のような簡単な計算問題でいいでしょう。
大きな差に驚くはずです。
安全面でも叱ることの害は大きい。
有田和正先生は、生徒たちが下校するときに必ず褒める、笑わせてから帰すようにしていたそうです。
なぜなら、叱られた状態のまま下校させると、交通事故に遭う頻度が高くなる経験をしていたから。
このことは脳科学的にも理解できます。
脳の前頭前野にあるワーキングメモリは、通常の人で7つ、子どもだと3つとか5つとかしかありません。
人はワーキングメモリを使って思考したり判断したりしています。
ワーキングメモリに気になることが常駐すると、自由に使えるメモリ数が減ってしまいます。
すると思考や判断が鈍くなるのです。
強く叱られると叱られたことだけでワーキングメモリを使い果たしてしまうのです。
叱られたまま道を歩いている子は、ワーキングメモリが減っている状態です。
思考判断が的確にできず、交通事故に遭ってしまう。
もちろん子どもですから叱らねばならないことはあります。
躾とか社会のルールとか、一線を越えるようなことをした場合は叱るべきです。
叱ると褒めるは「対」のものです。
叱ったらなるべく早く褒める状況に持っていく必要があります。
普段褒めているから、たまに叱ってもそれが子どもに入っていくのです。
そして、叱ったからにはできるようになるまで面倒を見る。
きちんとできるようになったら褒める。
叱るだけでは、子どもはよくならない。
これは明らかな事実です。
自分の鬱憤晴らしのために、子どもを叱っている人が意外と多いのです。
ご本人は子どもをよくしようと思って叱っているつもりらしいのですが、違うのです。
子どもをよくしよう、を言い訳にして実は自分が鬱憤晴らししているだけなのです。
子どもの些細なミスを叱ってしまう場合、それは単にその子が嫌いなだけ。
好きな子なら気にならないようなことが、嫌いだから目に付いてしまうのです。
最終的に褒めにつなげるなら叱ってもよいが、叱るだけならやめておくべき。
だって、効率を下げるから。
効率を考えない人は指導者失格なのです。
だからね、伸びて欲しい、確実に伸びる見込みのある子しか叱っちゃいけないのです。
ダメな子を叱り続けると、ますますダメになってしまいます。
普段褒められ続けている子だけが、たまに叱られてもそれに耐え、自分を鍛えていくことができるのです。
やれば必ず褒められるようなことをやらせ、手助けし、見守る。
やれたら必ず褒める。
そのくり返しが教育なんだろうと思います。
学校でも家庭でも職場でも同じです。
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