ぼくは時々、教師時代の友人に誘ってもらって理科の本を出版しています。
その本を小中学生のお子さんのいる仕事仲間にプレゼントします。
名刺代わりに使ってるんです。
先日、中学1年生の息子さんがいるという仕事仲間にも1冊プレゼントしたところ、お礼のメールをもらいました。
> 先日は、息子に本を頂き、ありがとうございました。
> 帰宅して直ぐに「光一、関口さんから直筆サイン入りの本をもらったよ。」
> と言って、頂きました本を渡しました。
>
> 寝る前に、「光一、本はどうやぁ…」と聞きますと、「お父さん、僕が何で?
> って思うことが解りやすく書いてある。 凄いなぁこの本…」との反応が
> ありました。
>
> 人に物事を伝えるのは難しく、本当に理解できているから解りやすく伝える
> ことができるんやでぇ。と言うと、「うん!」と言っておりました。
嬉しいですねー。
彼の息子さんも理科好きになってくれると嬉しいです。
そして数学好きにもなってもらいたい。
だんだんぼくも偉く?なったのか、若い人が書いた企画書や議事録を読んでチェックすることが多くなってきました。
分かりにくい文章を書いてくる若い人に聞いてみました。
もしかして君、私立文系?
差別するわけではありませんが、文系で数学が受験科目になかった若者に、分かりやすい文章が書けない人が多いのは確かな気がします。
資格マニアのぼくとしては、受験はある教科をしっかりと勉強するきっかけ、チャンスでもあると思っています。
受験科目になければ、学校で数学を習ったとしてもせいぜい定期テストで赤点取らない程度しか勉強しないものです。
人は易きに流れるもの、ですからね。
で、なぜ数学をきちんと勉強しないと分かりやすい文章が書けないのか。
分かりやすい、とは「論理的」ということです。
仕事で使う文書は、分かりやすい、すなわち論理的じゃないといけません。
よく中学生くらいにもなると、子どもは言いますよね。
「方程式なんか習って、大人になって役に立つの?」なんて。
確かに大人になって方程式なんか、生活上も仕事上も使いません。
仕事で使う人は科学技術に関わる仕事をしている人、それもまあまあレベルの高い仕事をしている人だけでしょう。
そうすると、そういう仕事を目指しているのでなければ方程式なんか勉強する必要はなさそうです。
つい親もそこで怯んで「役に立たないよ」なんて言っちゃいそうです。
ぼくは若い頃進学塾や予備校で教えていたことがありますが、「方程式なんか習って、大人になって役に立つの?」なんて言う子どもは、ただ単に数学が嫌いなだけでした。
特に小学校レベルの計算力があやふやなだけだと思いました。
計算力がないから方程式などちょっと高度な数学を理解できない。
なぜ理解できないかというと「論理」が分からないからです。
「論理」とは「手順」と言ってもいいかもしれません。
算数、数学というのは一定のルールに従って手順を繰り返して正答に導いていく学問です。
数学のできない子どもは、このルールを無視しているか、何段階も積み上げる手順が面倒なだけなんですよ。
このルール、手順は、小学校で習う計算にもちゃんと仕込まれているんですね。
例えば繰り上がりのある二ケタの足し算だったら、
1の位を足す->一ケタ目の結果を書く->10の位に繰り上げる
->10の位を足す->二ケタ目の結果を書く
という手順を積み上げる必要があります。
ケタ数が増えれば、手順も増えていきます。
かけ算、割り算になれば、さらに手順は複雑になっていきます。
割り算など、加減乗除、四則計算すべてを駆使しながら計算していかないと、正答へたどり着けません。
「手順」とは「論理」です。
ひとつひとつ積み上げていって答えを出す、という手順は、算数、数学に留まりません。
国語だって理科だって社会科だって同じなんです。
数字を使わないだけで、やり方は数学とまったく変わらない。
ルールに従って手順を繰り返して、段階を追って正答へと進めていくんです。
養老孟司『養老訓』新潮社\1200-にこうありました。
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基本があれば力は自然と伸びるものです。
単純な例をあげれば、国語と算数を両方やっておくことで論理的にものを書くことの訓練になるわけです。
何も改めて「小論文」を学ぶ必要はありません。(43p)
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語彙があって手順を踏めれば、論理的な文章が書けるようになるわけです。
算数、数学はその訓練になる。
中学に入って方程式を習うのも、より手順の込み入ったことに対処する訓練になるからなんです。
論理的な文章が書ければ、大人になっても企画書などスイスイ書けるようになっちゃうんです。
論理的な文章が書ける人は、話すことも得意です。分かりやすく手順を踏んで話すからです。
そんなことより、手順を踏んで仕事を進められない人は、仕事がとてもやりにくくなってしまうのです。
仕事は手順、段取りですからね。
コツコツと手順を積み上げていく、忍耐力も必要です。
その意味で、算数、数学は人生の基礎になるわけです。訓練と言ってもいい。
だから、算数、数学は人生に「役に立つ」ものなんだとぼくは思っています。
方程式を解くって、文字式の加減乗除を繰り返すわけじゃないですか。
一定のルール通りに複雑な手順を繰り返し、一段一段積み上げて正解へとつなげる。
まさに段取りなんです。
数学者の秋山仁さんは「カレーライスを作れる人は、数学もできるようになる」と言っています。
逆に言えば、数学ができる人は、美味しいカレーライスを作ることができるってことです。
料理は手順だからです。
美味しい料理を作れない人は、たいてい手順がいいかげんだからなんです。
数学ができる人は、美味しいカレーライスを作れるだけじゃなく、どんな仕事でも「美味しく」できるわけです。
実験科学を仕事にしている人は、実験方法を「プロトコル」なんて呼んでいます。
プロトコル=手順ってことですからね。
手順を間違えずに実験することが、いい研究をするために必要なことなんです。
これはあらゆる仕事に言えることだと思います。
家事だって子育てだって手順、段取りがしっかりしていれば、無駄なく安心してできるようになるんです。
だからぼくは、数学は人生の基礎、なんだと思っているのです。
数学ができない者は去れ、と言ったのはプラトンでしたっけ。
まったく同感です。
だから我が子たちにも、みっちりと数学を勉強してもらいたいと思っています。
もちろんぼくも、資格試験にチャレンジする時などを活用して、数学を学び続けていこうと思っています。
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