2011年1月5日水曜日

50歳からの我が侭の発揮法

こんにちは

昨日は御用始め。
我が社の理事長、野依さんの年頭挨拶をライブで聞きました。
会場に行ったら入り口が満員で、廊下まで人があふれている。
でも会場内を覗いたら、前の方ががら空きなんです。
さっそくぼくは人をかき分け一番前に行き、「もっと皆さん前に行きましょうよ」と言いました。
みなさん前に詰めて、廊下にあふれていた人もほぼ会場内に入れたようです。
よかった、よかった。
当然ぼくは最前列で野依さんのお話を聞くことができました。
平社員のくせに図々しいねー。
あはははは。

野依さんのお話で面白かったこと。
昨年も日本人受賞者が出ましたが、21世紀に入ってからのノーベル賞受賞者数について調べてみると、この10年で9人も受賞している。
これはアメリカに次ぐ世界2位なんです。
日本の科学・技術はそのくらいの実力があるんです。
21世紀になってそれが世界的に評価されるようになってきたわけです。
それが世界2位のノーベル賞受賞者数となって現れてきた。
素晴らしいですよね。
こういうことはもっと多くの人に知ってもらいたい、特に子どもたちに伝えたいと思いました。
誇らしいことだと思います。

さて毎年ぼくは字沢山の年賀状を出しています。
年賀はがきの裏に1000文字もの字を詰め込む。
普通の年賀状と比べたらかなり変わってますよね。
いわば「ごみメール」の年賀状バージョンです。
今年はこんなのでした。

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昨年は、次男とんたんの幼稚園入園、長男はっちゃんのお受験、家長よっちゃんは職場の労働組合の委員長を任されたり新しい研究棟建設のために全国を飛び回ったり、そんな中晶ちゃんは家をしっかり守るといった一年でした。おかげさまではっちゃんは第一志望の私立小学校に合格することができました。忙しくも充実した一年だったと思います。「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」をモットーに過ごしてきたつもりです。子どもたちには、返事はきちんとする、ありがとうを必ず言う、約束は必ず守ることを実践させてきました。親であるぼくらも礼儀をわきまえ、感謝の気持ちを忘れないで何事にも取り組んできました。

個性といえば、「他人の真似をしないのが個性の発揮だ」と思っている人が多いが、そんなことはない。分業社会はまた、科学と技術の時代でもある。それは何よりも、優れた成果を上げた人々の成果を学びあう社会である。しかし、いくら先人の真似をしようとしても、納得のいかないことまで真似る必要はない。そういうときは独自の工夫をすればいいのである。そうして、「他人が真似するに値するような新工夫」に成功したとき、そこに新しい世界が開けてくるのである。(板倉聖宣「個性を考える」)

基礎基本を充実させ、当たり前のこと、やるべきことは確実にやり、人のよいところは徹底的に真似をする。でもよくないこと、納得できないことは絶対真似をしない。自分の頭で考え、判断し、行動する。そして誰かの役に立ち、社会にも貢献し、喜んでもらう。今年もそういう一年にしていきたいなと思っています。
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ぼくも50代に突入しました。
50歳になったら「我が侭に好きなことだけする」って決めてました。
そうなれるように40代を精進してきたつもりです。
では50代にとっての我が侭とは何か。
「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」という基本は守らなければいけません。
我が侭と言っても、基本は疎かにはできないのです。
だから「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」ことは厳守です。

でもその基本さえ守れば、その他のことはバッサリ捨て去る。
それこそ我が侭ってもんですよ。
守るべき基本、基準の逆のことはバッサリやるんです。
「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」の逆とは

 当たり前じゃないことはやらない

です。
まあ、当たり前じゃないことをバカにする、わけじゃないですがね。
人生っていろいろしがらみがあるじゃないですか。
40代までは結構しがらみに縛られてしまう。
そのため、当たり前のことができなかったり、当たり前じゃないことをやらざるを得なかったり。
組織人であれば、バカバカしいこともやらざるを得ないこともある。
でも50代はそこから離脱できる年代だと思うんですよね。

当たり前じゃない、ってことを別の言葉で言うと、非常識や不合理ですね。
非常識なこと、不合理なことは絶対にやらない。
そういう勇気が50代にはあるんだと思うのです。
他人の意見に流されず、自分の頭でよく考え、判断し、非常識や不合理なことはバッサリやる。
そして当たり前のことには心を注ぐ、集中するんです。
それが50代からの我が侭の通し方なんだと思っています。

『安岡正篤 一日一言』致知出版社に「大器晩成」について書かれていました。

 大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。
 <高等動物の中で>一番後で作ることに成功した。
 まあ、大器といってよい。

 まさに大器晩成で、大自然という偉大な創造者が
 何十億年もかかってやっと作ったもの。
 だから、自然の法則は人間においても同じく、
 人間は、早成する、早く物になるというほど危ないことはない。

 人間もなるべく晩成がよい。
 まあ、死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟で
 ぼつぼつやるがよい。

ぼくは75歳までは現役で働くつもりです。
75歳までは人からお呼びのかかる人間でありたいと思っています。
とすると、50歳は職業人としての折り返し点なんです。
死ぬ頃なんとか物になると覚悟して、ぼつぼつと、かつ確実に「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」を我が侭に実践していきたいと思っています。

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