2010年10月2日土曜日

本物の職業人


こんにちは

先日新宿の地下街を歩いているとき、柱にぶつかってしまいました。
人通りの多い時間だったので、周りの人にくすくす笑われちゃいました。
のんびり歩いているので、ぶつかっても怪我をするってほどじゃありませんがね。
ぼくはよく柱にぶつかったり、壁にぶつかったりしちゃうんです。
幸いにして人にぶつかることはありません。
向こうが避けてくれるからです(笑)。

なぜ柱にぶつかったかというと、上を向いて歩いていたからです。
ぼくの仕事は電気設備技術者です。
電気設備は上の方、天井に設置されていることが多いわけです。
電線とか照明器具とかね。
そういうものに興味があるもんだから、どうしても上を見る。
見るだけじゃなく、見たものを元にあれこれ考えたりするわけです。
それも歩きながら。。。
だから、柱にぶつかってしまったというわけです。

横田濱夫『そんな会社、辞めてしまえ!』講談社+α文庫\680-にこんな話が書いてありました。

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職業病は夢の代償?
たまたま物書きという職業は、代償が腰にくるけれど、他の職業だって、みんなそれぞれ犠牲を払っている。
あしたのジョーを夢見た若者を待っている職業病と言えば、網膜剥離だ。
目の上を切って出血するのも痛いけど、それにもまして網膜剥離は、目が見えなくなるという一生のダメージを背負ってしまう。
その危険を冒してまでも、ボクサーがリングの上で殴り合うのは、本人にとって「ボクシングが好きだから」だろう。
どんな世界でも、リスクを負わなかったら、富も名声も掴めない。ボクサーの場合、たまたまそのリスクが目にある、ということだ。
オペラ歌手にも、やっぱり職業病はある。
常にでかい声で、声帯をめいっぱい共鳴させて歌うことにより、過剰な刺激が脳に伝わる。特に高音域帯を歌う、女性ならソプラノ、男声ならテノールの場合はそうだ。
するとしだいに、刺激で脳味噌の組織がやられてしまう。
実際、音楽業界には、「ソプラノXX」とか「テノールXX」なる言葉さえあるそうな。
その危険をわかっていてなお、オペラ歌手たちが大声で歌うのをやめようとしないのは、それが自分の天職と信じているからだ。
これってほんと、すごいことだと思う。自分の脳味噌の破壊もいとわないで、好きな道に邁進するんだから・・・。(35-36p)
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オペラ歌手の話はホントカナーって眉に唾着けてしまいますが、天職として仕事を楽しんでいる人はどうしても犠牲になることもあるんでしょうね。
犠牲になることがわかっていてもやめられないんです。
そのくらいにならなくちゃ、天職とは言えないのかもしれません。
ぼくも柱にぶつかって周りの人から笑われるくらいは、電気屋として仕方ないということでしょう。

ノーベル物理学賞を受賞した益川先生も、常々奥さんにこう言っているそうです。
「オレが交通事故に遭っても、運転手を責めてはいけない。オレが考え事をしながら歩いているのがいけないんだから」
ちょっと笑えますね。
益川先生くらい研究を天職としている人はいないでしょう。
交通事故と引き替えになっても、いつでもどこでも物理を考え続けていたいってことなんですね。

仕事が天職化してくると、だんだん仕事時間とプライベート時間との区別がつかなくなってきます。
公私混同状態になっちゃう。
仕事中でも遊んでいるように興味の赴くまま調べたり、計算したり。
遊びに行っているときでも仕事に関係する面白いものを見つけると、そっちに目が釘付け。
飯食っているときでも方程式解いていたりして。
そうして女房に叱られたりするのも、犠牲のひとつでしょうか。
わははははは。

大内伸哉『雇用はなぜ壊れたのか』ちくま新書¥740-にプロフェッショナルの語源が書いてありました。

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「職業」という言葉を英語で言う場合、いくつかの言い方があるが、その一つが「profession」である。「profession」を持っている人がプロフェッショナル、略してプロである。日本語で言えば、「職業人」である。
じつは、「profession」の語源(ラテン語)には、「自分の信仰を公に宣言すること」という意味である(動詞の「profess」には、今でもそういう意味がある)。
自分の専門能力を公言するという場合にも、この言葉が使われ、そこから「職業」という意味になった。
ちなみに、教授(professor)も同根の言葉であり、自分の専門分野を公言している人という意味である。
このように「profession」は、仕事の専門性と関係が深い。(112p)
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なるほどー。
元もと、職業=プロってことなんですね。
逆に言えば、しっかりとした専門性を持たないと職業とは言えない。
夢中になって仕事に取り組む。
多少の犠牲が伴おうともやるべきことをやる。
それが本物のプロであり、本物の職業人なんだと思いました。


スーパーコンピュータ「京」の量産機の搬入、据え付けが始まりました。
今月から電源を入れ、試運転が開始されます。
マシンを収納する建屋はぼくの渾身の作ですが、これからがその実力を試される時。
楽しくがんばっていきたいと思います!

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