こんにちは
近年、高学歴ワーキングプアが問題になっています。
大学院を修了して博士号を取得しても仕事がない、ということです。
10年ほど前に文科省は日本の科学技術レベルを上げるために、大学院重点化政策を実施しました。
理系の大学院の定員が増え、博士課程に進学する学生も何倍にも増えました。
その増えすぎた博士の仕事がないんです。
ところが我が社の求人広告を見ても、常に人材不足でたくさんの研究室が研究員を募集している。
現実には、研究員は不足しているんですよ。
一方で博士は余り、他方では不足している。
なぜか。
それは博士号を持っている人が増えていても、博士に値する人材が育っていないということではないでしょうか。
自分で研究計画を立てられない、研究した内容を自分で論文にまとめられない。
そういう博士もたくさん生み出しているように思います。
それは日本の博士課程がきちんとした博士を育てていないんじゃないかと思うんです。
教授の技量とかよりもシステムとして適切じゃない。
大学院重点化によって博士課程の定員を満たさなくちゃ研究予算がもらえない。
そうすると頭数だけ揃えようしてしまうんじゃないか。
どんな学生でも定員を満たすまで入学させてしまう。
学生の側も、学費を払って入学したんだからきちんと教えろ、学位をとるまでめんどうをみろ、という意識がある。
そこにモラルハザードの素がありそうです。
アメリカの大学院は、学生に給料を払います。
教授が得てきた研究費から支払われるわけです。
貴重な研究費ですから、無駄には使えません。
厳しい人選が必要です。
アメリカの大学は入るときは易しくて、卒業は難しいと言われています。
いえいえ違います。
そもそもアメリカの一流校と言われる学校は、入るときも厳しいんです。
アメリカの一流校は私立学校ですから、学校の評価を上げ続けないと一流校でい続けることができません。
だからきちんと学校の経営をきちんと考えて学生を選別しているのです。
すなわち「学校にメリットがある生徒」、「他の学生にメリットがある生徒」しか入学させない。
日本の学校のように、ある点数をクリアしたら誰でも合格というわけではないのです。
入学させても厳しく教育し、そこで脱落した学生は容赦なく留年や退学になってしまうのです。
そのくらい厳しく教育しないと、卒業してから使い物になる人物にならないからです。
使い物にならない人物を卒業させたら、学校の価値を損ねます。
優秀な卒業生が学校の名声を高めてくれます。
優秀な卒業生が学校に寄付をしてくれます。
そうすれば優秀な教授を招聘することもでき、教授の下で研究したい優秀な学生も集まります。
利根川進『私の脳科学講義』岩波新書\700-にこうありました。
###
誰もやっていないことをやろうというわけだから、大志を抱いていない人間は雇いません。
もうひとつは、むずかしい問題を、みんなが考えているほどむずかしいと思っていない人です。
なぜその人がむずかしいと思っていないかというと、自分のストラテジーがあるから、いけると思っているわけです。
他の人は、そんなことに気がつかないので、100年後の話だと思っています。
100年後にしか解けないとみんなが思っていることを、10年後に解くのがオリジナリティのミソなのです。(136p)
###
誰もやっていないことをやろうというわけだから、大志を抱いていない人間は雇いません。
もうひとつは、むずかしい問題を、みんなが考えているほどむずかしいと思っていない人です。
なぜその人がむずかしいと思っていないかというと、自分のストラテジーがあるから、いけると思っているわけです。
他の人は、そんなことに気がつかないので、100年後の話だと思っています。
100年後にしか解けないとみんなが思っていることを、10年後に解くのがオリジナリティのミソなのです。(136p)
###
利根川さんはMIT教授でもありますから、大学院生、ポスドクの採用には厳しい。
それは自分の研究業績に直結するからです。
大学院生、ポスドクを選別する観点として、利根川さんは
・大志を持っている
・ストラテジーがある
の二つを重視しているんですね。
大志を持っているということは、別の言葉で言えば「戦略を共有している」ということです。
利根川さんの元で研究するわけですから、利根川さんがやりたいと思っていることに賛同している、ということです。
全然違うことを研究しようなんて思っている学生は困ります。
戦略を共有し、ここで得たノウハウ、成果を土台に、教授を超える研究を成し遂げようとする志。
そういう学生がいいわけです。
でも志だけではダメです。
志を実現するためのストラテジー、つまり方策、技術を持っている。
利根川さんのラボにいる他の研究員が持っていないようなストラテジーを持っているといい。
つまりそれは戦術の多様化になるからです。
戦略は同じでも、戦い方は多様の方がいいんです。
ひとつの戦い方で上手く行かなかったら、すぐに戦い方をシフトできる。
そういうフレキシビリティが研究を押し進めるのです。
戦略を共有し、独自の戦術を持っている。
こういう学生なら遠慮なく厳しく教育もできますし、当然学生も自律的な研究者に育つはずです。
日本の博士課程にはこれが欠けているように思います。
教授のやる研究に興味もない。
研究をするための技術も身に着けようとしない。
そういう学生が増えてしまったのではないか。
教授も頭数だけで入学させてしまった学生を厳しく教える気もない。
博士課程を終えても、それでは自律的な研究者には育っていないのも当然です。
学生の教育だけじゃありません。
役に立つ人物とは、「戦略を共有し」、「戦術を持っている」ことだとぼくは思います。
特に短期間に限られた予算とマンパワーで実行するプロジェクトはそう。
戦略を共有しない、すなわち志のない人物は邪魔なだけです。
戦術をもたない、つまり技術のない人物はお荷物になるだけです。
ところが戦術を持たない人に限って、邪魔だてをするんですよね。
こういう人は最初からメンバーに入れない、メンバーにいても排除できるシステムが必要だと思います。
「京」をTシャツにしてみました。
ぼくもこのプロジェクト成功への志を持ち、ぼくにしかできない戦術で貢献していきたいと思います!
0 件のコメント:
コメントを投稿