こんにちは
最近は職場婚というものが減っているそうです。
職場婚とは、男女が職場で出会って結婚する、ということです。
ある本に書いてあったのですが、それはセクハラについて厳しくなったからとか。
職場で男性が女性に声をかける。
それをセクハラと呼ぶ人がいる。
それで声をかけることを躊躇してしまうんです。
やっぱりセクハラの定義を間違えています。
セクハラと言うためには、そこに権力関係がなければ成立しません。
人事権を持っていて、労働者の評価権も持っている上司が、部下に性的な関係を強要する。
これをセクハラと呼ぶわけで、権力関係のないヒラの社員同士が社内で恋愛することはまるでセクハラじゃないのにね。
だいたい恋愛は男性が女性に声をかけるところから始まるのが常じゃないですか。
社内に好意を寄せる女性がいる。
その女性に「帰りに食事でも一緒にいかが」と声をかける。
独身の男女が、業務に支障がない範囲なら、社内恋愛はまるでオッケーだと思いますよ。
野口芳宏さんはこう言っています。
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家族は結婚によって成立します。
昔と比べて、結婚に対する考え方がかなり変わってきています。
一般的な考え方では「愛し合うから一緒になる」「好きだから一緒になる」です。
ですから、「好きで一緒になったのだから、嫌いになれば別れる」ということになります。
結婚は個人の好き嫌いという要素もありますが、私はもう一つの重要な軸があると思います。
それは公的な意味で結婚すべきだという考え方です。
自分がこの世に生を享けたように、次に生をつないでいかなくてはなりません。
そのための結婚という公的な考え方です。
結婚をそう考えると、自分の好みだけではなく、公的な自覚と言うことも必要なのだ、と子供に教えていかなければならないと思います。
(田下昌明/野口芳宏『家族を考える』モラロジー研究所¥900-、77p)
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最近は自由恋愛が減ってお見合いが増えているそうです。
誰かにちょっと強制されたり、お墨付きをもらわないと恋愛もできなくなっちゃってるんですかねー。
あ、ぼくら夫婦も友人から紹介でした。
ある意味、お見合いみたいな出会いでしたっけ。
確かに、お見合い結婚の方が上手くいくって例が多いようです。
お見合いだと誰かから、しかもしかるべき人からの紹介で出会うわけです。
そこには社会性が含まれています。
単に男女の関係だけではなく、多くの人の関わりの中で出会い、結婚するわけです。
公的な意識が、当事者にも分かるのではないでしょうか。
すると、せっかく紹介してくれた方に迷惑をかけたり、不義理をしてしまってはいけない、という気持ちも生まれる。
共に祝ってくれた人たちへの感謝もある。
いい家庭を築こう、いい子どもを育てようという気持ちが自然に湧いてくるのかもしれませんね。
同書にこんなことも書いてありました。
今度は小児科医の田下さんの言葉です。
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老後の話を必ず5歳の時にしてください。
子供が5歳の時で、6歳では駄目です。
6歳になると学校に行き、悪い友だちができるからです。
心がまだ汚染されていない5歳の時、「お父さん、お母さんは今元気でこうやっているけれども、歳を取って動けなくなって寝たきりになったらどうする?」と聞いてもらいたいのです。
そうすると100パーセントとは言い切れませんが、ほとんどの子供がドンと胸を叩いて、「任せなさい。僕が食べさせてあげる」と言うでしょう。(略)
両親の世話は、子供の生きがいの出発点です。
ですから、子供に「おまえたちの世話にはならない」と言ってしまったら、もうおしまいです。
取り返しがつきません。
早くから子供に「世話を頼む」と言うことです。(田下、43-45p)
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我が長男が5才の誕生日に、これを実践してみました。
これを言うと、ホントに長男は嬉しそうな顔をしたんですよ。
人は誰かの世話になるだけでは生きている気がしないものです。
誰かの世話をすることが生き甲斐になる。
親は子どもの世話をするから生き甲斐を持ててるんですね。
その意味で、子どもに感謝です。
でも子どもは親から世話ばかりされている。
そういう子どもに「老後も世話にならない。好きに生きなさい」と言ってしまうのは、反って子どもの生き甲斐を奪う残酷なことなんですね。
もちろん結果として老後は夫婦だけの力で暮らすことになるとしても、子どもの時に子どもに生き甲斐を与えるのも親の役目でしょう。
そういうことが分かったのも、結婚して子どもが生まれたからです。
家族ってホント楽しいですよ。
若者を結婚せよ、子どもを産みなさい!
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