2011年6月29日水曜日
「想定外」の工学的意味
こんにちは
ある雑誌を読んでいたら、こんなことが書いてありました。
最近、「想定外」という言葉をよく耳にしますが、
厳しい言い方をすれば、
想定しないこと自体が問題ですし、
単なる言い訳でしかありません。
たぶん福島第一原発事故のことを批判しているんだと思います。
同様な批判をよく聞きます。
確かにこの事故について、東京電力のエンジニアたちも「想定外」と言いました。
でもちょっと違うんですよねー。
「想定外」の意味を取り違えている。
というより、ぼくらエンジニアの言う「想定外」の意味が多くの人に伝わっていないように思うのです。
福島第一を造ったエンジニアたちだって、大地震や高い津波を全く想定していなかったわけじゃないと思うんですよ。
ちゃんと考えたに違いないんです。
エンジニアリングとは、技術、コスト、時間に縛られているのです。
その時代時代によって、技術レベルは異なります。
一般的に言えば、昔であればあるほど低い技術力しか持っていないのは当然です。
そしてその時に使えるコストも有限です。
また、完成までの期限も決まっている。
そういう境界条件に縛られた中で、最適解をチョイスすること。
それがエンジニアリングなのです。
ですから、今までに経験したことのない大地震に対しても検討はしているのです。
理想的には大地震にも対応した施設としたいのは、エンジニアだって同じ。
でも、その地震に耐えられるだけの技術がないなら、やれないのです。
あるいは、それに対応するためにはとんでもないコストと時間がかかるとしたら、やっぱりできないのです。
そういう切り分けをしないとならないわけです。
工学とはその意味で「妥協」なんです。
いろいろな束縛条件、境界条件の中で、どこまで対応できるのか、どこからは無理なのかを明確に切り分ける。
明確に切り分けられる能力があることが、一流のエンジニアなんです。
それで、対応できない、無理だと判断したエリアを、エンジニアは「想定外」と言うのです。
川口淳一郎『「はやぶさ」式思考法』飛鳥新社¥1300-にこうありました。
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技術者は、自分がどこまで把握しているか、自信があるか、それはよくわかって いるものです。
できることとできないこと、わかっていることとわからないこと。
その境界線をはっきり意識しています。
それ故に、境界線を超えてしまった ことについては、明確に「わからない」「自分にはどうしようもない」と認識しています。(178p)
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確かに福島については、想定が甘かったと言えます。
運開して40年、その間に技術レベルもあがってきて、「想定」できる範囲も広がったはずです。
改造工事もできた思います。
そのためのコストも用意できたのかもしれません。
あるいは、既に設計寿命が尽きていたのですから、停止、廃炉する判断もできたかもしれません。
それでもいつの時代になっても、技術、コスト、時間に縛られているのがエンジニアの宿命なのです。
明確な締切りがあるのなら、それに合わせて改造だってできるのです。
実際に改造計画はあったし、予算待ちだったようです。
でも地震など天変地異はいつ、どんな規模で起こるのか分かりません。
間に合うかどうかは、神のみぞ知る、なのです。
後知恵で、想定していなかったのはけしからん、と言うのは簡単です。
でもそれは無責任な言動でもあるとぼくには思えます。
無責任に批判しても問題は解決しないのです。
批判すれば解決するものでは絶対にない。
解決できるのは現場のエンジニアでしかないのです。
だから、励まして欲しいし、ぼくは現場のエンジニアたちを応援しています。
外野にいる者ができることはそれしかないと思います。
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2 件のコメント:
こんにちは
想定外。。。ホントにその通りだと思いますよ
「想定外」≠「まったく想像もしていなかった」なのですよ。 どこかの国が原発にミサイルを撃ち込んできたり隕石がたまたま落ちてきて当たったりしたら、それは「想定外」ですよね。でも確率としてはあり得るかもしれませんが、それには対応してません。
評論ばかりせずに協力して欲しいですよね。
行動の伴わない評論は、人からやる気だけを奪い、価値を減じます。でも、たとえ行動を伴わなくたって励ますことは、人のやる気を養い、価値を創り出すと思っています。
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