我が長男はっちゃん(小3)の宿題は日記。3年生になってから毎日書くよう指導されています。
お出かけしたりして書けなかった日は,翌日に書いてちゃんと毎日書くようにしています。
先生もそれにきちんと応えてくださっています。
日記帳を提出すると、その日のうちにきちんと読んでくださり、一言二言コメントを書いて返却してくれます。
ありがたいことです。
教育工学の研究でも「KR(knowledge result);知識の結果へのフィードバック」は早いほどよい、と分かっています。
その日のことはその日のうちに応えてもらった方が子どものやる気は増大します。
間が開くと教育効果は指数関数的に減じて行ってしまうのです。
すごく丁寧な先生がいらっしゃいます。
子どもの日記を念入りに読んで、何行も赤ペンでコメントを入れる。
それはそれでありがたいことですが、労力の割に教育効果は薄い。
毎日、クラスの子ども40人分の日記を読み、それぞれに何行もコメントを入れるには、長い時間がかかります。
朝提出された日記帳を、下校までにすべて見終えることは物理的に無理です。
そこでその先生は,子どもたちに日記帳を2冊用意させる。
1冊ずつ隔日に提出させるんですね。
この先生は提出された1冊を,子どもたちが下校したあとに読む。
あるいは家に持ち帰って読むわけです。
そうやってじっくり読み、長いコメントを入れる時間を確保するのです。
けれどもこうやると、KRの間が開いてしまいます。
日記帳を返却されるのは1日後。
子どもは未来に生きる存在ですから、一昨日のことなんかもう興味の対象ではないのです。
先生が一生懸命赤ペンを入れてくれても、ほとんどの子はそんなの読みませんよ。
つまり、先生の努力は徒労に終わるのです。
熱意は空回りしてしまうのです。
日記を書かせる目的、教育的意義は何か。
この吟味をしないまま,子どもたちに課題を与えるから,先生自身の努力の方向も間違ってしまうのです。
小3なんですから、内容より形式でしょう。
毎日一定量の文章を書く。
その習慣を身につける。
それだけで十分。
だから、長々とコメントを書く必要なんかないのです。
花丸だけでもいい。
よく書けているなと思ったら、AとかAAAとか付け加えるだけでもよいのです。
よい表現があったら,傍線を引いてGoodとか書けばよい。
こうすれば、休み時間や給食時間、授業中子どもが作業をしている時間などの隙間時間にクラス全員40人分のノートを見ることができるでしょう。
日記を見ていて,文字の書き方など気になることがあったら、その場でその子を呼んで指導する。
もしかしたら生活指導上の問題点を日記から読み取ることがあるかもしれません。
その時も,その場で呼んで子どもの話を聞く。
すぐに解決に向かうのです。
放課後や家に持ち帰ってでの作業では、こういう教育効果の高いやり方を洗濯することができません。
先生たちは忙しい。
大変な仕事を情熱を持ってなさっている。
でもその熱意を有効に使っていらっしゃるのかどうか。
個々の教育活動の目的をしっかり定めて、そのために何を子どもにやらせて、自分は何をすべきか明確にする。
つまりゴールを見据えるのです。
ゴールを見据えないで教育活動を行うと、あれもこれも気になってしまい,結局はゴールから遠ざかってしまうのです。
教育というのは確かにやればよいことはたくさんあります。
あれもやった方がよい、これもやるべきだ、再現もなく増えていきます。
でも時間は有限、先生の体力、気力も有限なんです。
理想は大事ですが、理想ばかり追い求めていたら時間も身体も保ちません。
理想は持ちつつ、とりあえずのゴールを設定するのです。
日記だったら、毎日書く習慣を1学期中に身につけさせよう、とか。
その観点で日記のチェックをするのです。
多くの子ができるようになったら、次の目標を立てる。
2学期中に毎日200文字書く、とかね。
丸付けもその目標に沿ってやる。
つまり、目標を明確化してゴールを見据えると自分がやらなくちゃならないこと、やった方がいいけどとりあえずはやらなくていいこと、まるでやる必要がないことの仕分けができるようになるんです。
一言でいえば効率的にやれるようになる。
教育は効率じゃない!とおっしゃるかもしれません。
いやいや、効率も大事なんですよ。
効率的にやると、時間と心に余裕が生まれます。
この余裕が大事なんです。
だって、余裕のない人って意地悪じゃないですか。
いつもガミガミ怒っている先生は,ほとんど余裕のない人ですよ。
意地悪な先生に素直に従う生徒なんかいませんよ。
時々、子どもたちが言うことを聞かない、と怒っている先生がいますが、まず間違いなく余裕がなくなって意地悪になってしまっているからです。
確実に子どもたちの教育権を奪います。
先生に余裕がなくなると,間違いなく教育効果は低下します。
「ゆとり教育」が失敗したのは、教科内容を削減し,スカスカにしたために、反って先生たちのゆとりを奪ってしまったからだとぼくは思います。
意地悪な人はですねえ、必ずこう言いますよ。
「おれがこんなに努力しているのに、お前は何だ!」って。
アプリオリに自分の努力は正しいと考えているから、相手が悪になるんです。
努力しているのは認めますが、その方向が間違っている。
クールになって、自分の努力ははたして正しいのか、と常にフィードバックする。
そういうメタ認知のない人が意地悪になるんです。
ぼくは子どもたちにこう伝えています。
努力は大切だけど,闇雲にやっちゃダメだよ。
努力して不幸になるんだったらやらない方がいい。
太平洋戦争の時だって、みんな頑張っていたんだ。
がんばった結果、戦争は激しさを増していったんだ。
がんばり方を間違っちゃったんだね、って。
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