2011年11月27日日曜日

やっぱり読み書き計算が大事


こんにちは

はっちゃんの学校の参観日。
2時間目は生活科の授業でした。
この時間は「掃除機を使ってみよう」でした。
先生がわざと教室にごみを撒き散らし、子どもに掃除機で掃除させる。
親も子どもと一緒に掃除する。
とても楽しいものでした。

ぼくは生活科なんか学校でやる必要はない、と思っています。
掃除機の使い方なんか、本来家庭でやるべきことです。
親がしっかりした教育観を持っていれば、子どもにある程度のお手伝いをさせているはずです。
子どもにお手伝いをさせた方が、子どもはよく育つことを知っているからね。
もちろん我が家でもさせていますよ。
はっちゃんには玄関掃除、とんたんは雨戸の開け閉め。
それから近頃は、ちょっとした買い物も子どもたちにやらせています。
お手伝いのレベルも子どもたちの年齢に従って徐々に上げていくつもりです。
茶碗洗いとか、お風呂掃除とか、トイレ掃除とか、夕食の準備とかね。
これは子どもが家にパラサイトしている限り、中学生になろうと、高校生になろうとさせるつもりです。
受験なんて時期でもやらせます。
だって、せいぜい10分かそこらでできることです。
お手伝いをやらせないで勉強時間を増やすメリットより、デメリットの方が大きいのは自明でしょう。

ちゃんとした家庭に育つ子なら、生活科なんか必要ないんです。
でもまあ学習指導要領で決まっているからやらざるを得ないわけです。
ならば無理せず楽しくやるだけでいい。
せいぜい、きっかけを与える程度で十分です。
その点、はっちゃんの先生はそれが分かってらっしゃいますね。
子どもに押しつけるようなことが全然ありませんでした。
そしてやんわりと親たちに「お手伝いさせましょうね。その方がオトクですよ~」と伝えてるのかな、と思いました。

では学校でしっかりやるべきことは何か。
小学4年生までは読み書き計算だと思います。
小4までの読み書き計算ができれば、あとは自分の好きな勉強をやればいい。
読み書き計算の技能があると、あとは情熱さえあれば何でも習得可能です。
逆に言うと、小4までの読み書き計算がしっかり身に付いていないと、好きな勉強を続けることができないんです。
時々ぼくは若い技術者君に資格試験の勉強を教えることがあります。
そういうときでも、簡単にあきらめちゃう若者はたいてい読み書き計算に難がある。
テキストの漢字に読めない字が多いとか、電卓を使っても計算ができないとかなんです。
でも二十歳を過ぎた青年に、小学校からの読み書き計算から再勉強をさせようというのは難しいです。
若者にもプライドってものがありますから、今更小学校の勉強をやり直しするだけの気力を持てないんです。
脳には臨界期ってものもあって、ある勉強をするのに適した年齢というのもあります。
読み書き計算はやっぱり5歳から12歳くらいが適齢であるというのが、教育学上の経験則なんです。

公文毅『どんな人間がこの時代を生き抜くか』河出書房新社¥1400-に載っている加藤周一さんは、もっと極端なことを言っています。
義務教育は、国語と算数だけでいい、って。

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義務教育に対する私の意見は、国語と数学だけをすべての子供に教える、そして英語も含めてほかのすべての科目は選択性にすべし、というものです。
今の詰め込み教育では、子供の負担が多すぎると思います。
あまりに負担が多いからのいって、教科書を薄くしたり、授業時間を削ったりしているでしょう?
しかしそれは因循姑息な手段だと思います。
教科書を薄くするために、高度な技術を駆使して、短い文章に、ただの一言もむだなく大事なことを詰め込む。
しかし、それを全部理解し覚えるのは大変なことです。
また授業時間数を減らすと、教師は、あれも大事だ、これも大事だと、短い時間に詰め込んで、授業はもっと難しくなります。
子供の負担はそういう方法では減りません。
減らす唯一の方法は、習う科目を減らすことです。

学校を出てからどういう知識が必要になるかということは子供によって違います。
そこで何が必要になっても大丈夫なように、すべてのことを教えようとすると、負担が大きくなってしまいます。
だから、義務教育では知識を教えることをいっそやめてしまって、知識を獲得する手段だけを教える。
そして、義務教育を終えたあと、必要に応じて、その手段を使って知識を獲得するというふうに踏みきればいいのです。
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科目を減らして、その分重要なことに注力する。
重要なことは強制するわけです。
善意の強制ですね。
その他の教科は選択制にして、子どもの興味関心に任せるわけです。
でもぼくはそこまでしなくてもいいし、学校にはきっかけを与えるという役目もあるので、今のままでいいですけどね。
強制されて初めて面白さのわかることもあるからです。
ゴリゴリに押しつけられなければ、生活科だってちょっとはやってもいい、とも思います。

なぜ読み書き計算、国語と算数が重要なのでしょうか。
加藤さんはこう言います。

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知識獲得の手段というのは言語です。
日本人が必要とする言語は二つあって、国語つまり日本語と、数学なんですね。
その二つの言語を使えば、よほど専門的なことは別にして、大抵のことはわかる。
ところが、どちらかが欠けていると、獲得できる知識の範囲が急に減少します。(134p)
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ここはぼくも大賛成です。
読み書き計算がしっかりしていないと、新たな知識を獲得するときに支障が出る。
国語と数学は、その意味で「技能」なんです。
人生をよりよく生きていくために身に着けておくべき技なんです。

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