2012年7月2日月曜日

優しいだけの人間ではいけない

こんにちは 
 
いよいよ今年はとんたんのお受験です。
これも教育事情を知るための1つのチャンスですから、我が家から通学可能な範囲の学校を見て回りました。
ああ、もちろん、我が家の家計で通学可能な学校に限ってますがー。
あはははは。
 
その結果、私学でははっちゃんの通う学校しか候補として残りませんでした。 
はっちゃんの学校は、障碍のある子との混合教育を実践している唯一の私学。
優しさを身に着けるには、人間の幅も幼少のうちからきちんと見ておく必要がある。
そして幼少のうちから、弱い人たちの支援のやり方、あり方を身に着けてほしいのです。
でも、優しさだけでは困ります。
 
ぼくらは、我が子たちをホンモノのエリートに育てたいわけです。
ホンモノのエリートとは、弱者のためにオーバーアチーブができる人間のことです。
自分のことしか考えない人間、なんであいつらのために何かしなくちゃならないのよ、というような人間は、エリートとは言えません。
弱者のために貢献することを、自分にとって損失であるように感じるメンタリティは、エリートのものではないのです。
そういう人って多いでしょ、最近。
国民を代表する仕事をしている人の中にもたくさんいて、うんざりします。

弱者のために貢献することこそ、自分にとって得であると思える人間。
それこそがホンモノのエリートだと思うわけです。

弱者のために貢献するといっても、優しいだけじゃダメなんだな。
優しさだけだと、続かないからね。
強さがないと、優しさを維持できないんです。
強さは、学力を鍛えることによって得られるものです。
もちろん、体力、健康という土台も大切です。

だってねえ、優しさだけしか売りがない人って、けっこう鬱陶しいじゃないですか。
失敗したりうまく行かなくても、優しさを免罪符に許してもらえると思っている。
こういう人に何かしてもらうのって、イヤですよねー。
気まぐれだし。
嫌になったり、大変すぎたりしたら、すぐやめちゃったりね。

陰山英男『欠点を長所にすると学力はグーンと伸びる!』小学館\1200-にこうありました。

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この子の実力はこの程度だとあきらめたり、間違っても見放したりすることのないようにしてほしいとも言い添えました。
ありがちなのが「成績が悪くても妹には優しいから」と、問題をすり替え、納得してしまうことです。
もっともらしく聞こえますが、成績と人間の優しさは別次元の話です。
優しいなら、それはそれで大いに認め、褒めてあげましょう。
でも、いま、その子どもが胸を痛めているのは、成績の悪さです。(45p)
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誰かのために一貫して支援できる人間。
それは知力、体力がしっかりしている人じゃないとね。
人格優れている人で、知力のない人っていないわけです。
人格優れている人ほど、知力も優れているんです。
だから子ども時代にしっかりと学力を身につける。
それも大切。
だかたぼくらは、そういう学校に我が子たちを通わせたいんです。

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