2011年5月10日火曜日

時々の初心


こんにちは

SPring8一般公開の後、横浜研からお手伝いに来てくれた女性職員からこんなメールをもらいました。

 今日はお疲れ様でした。
 一日六回お話会をこなすパワフルさ、人をひきつける話し方、
 すごいと思いました。
 お手伝いも楽しかったです。

嬉しいですねー。
元気が出ます。
人は褒められればゴキゲンになります。
ゴキゲンになれば、もっとがんばろうという気になります。
人は何歳になってもそうやって成長できるんです。

SPring8の前日は、加古川で理科の先生たちの集まり「ファラデーラボ」に参加。
http://foryouso.cocolog-nifty.com/blog/
せっかく加古川に行くんで、名物「カツ飯」も食べなくちゃね。
ファラデーラボの家主、森本さんに美味しいお店を教えてもらって食べてみましたよ。
美味し、美味し。

ファラデーラボでもXFELの話を1時間ほどさせてもらいました。
理科の先生たちにも楽しんでもらえました。
ファラデーラボではさすが理科の先生たちの集まりで、理科教育に関するいろんな議論もできました。
XFELの1分子イメージングでは、回折像から逆フーリエ変換で分子の形を計算するわけです。
そこがいまいちうまく説明できませんでした。
つまりは、ぼくはまだ多次元フーリエ変換についてちゃんと理解していないことが判明。
ぼくは仕事でも自動制御を考えるときなどにはフーリエ変換を使います。
が、1次元しか使わないんです。まったく知識が足りていません。
ポイントは、なぜレーザー光による回折像はフーリエ変換したものと同等なのか、です(違いますか?)。
ここが理解できればokなんだな。
勉強する課題も見つかりましたよ。
またまたゴキゲンになりました。
感謝、感謝。

異動した部署、計算科学研究機構運用技術部は、スパコン施設を計算機とそのインフラを一体的に運転する部署ですが、組織規程上も「研究ができる部署」として位置付けられています。
前の所属部署である施設部はあくまで研究支援、裏方の部署なので、研究をする部署としては定義されていませんでした。
ぼくは、もちろん上司に断ってですが、加速器学会や電気設備学会などで研究発表をしてきましたが、ぼくの他の同僚は誰もそんなことはしていませんでしたし、あまり歓迎もされていなかったような気がします。
今度の部署ではぼくも「e-rad;府省共通研究開発管理システム」に登録してもらいました。
これで外部資金に申請することができるようになります。
本来はぼくの部署の目的である、スパコン施設の一体的、融合的運用について研究するのが本来なんですが、ぼくはちょっと悪用?も考えています。
それは、理科教育の研究もやりたいんです。
科研費には「奨励研究」という項目があり、理科教育の研究も対象になりそうなんです(奨励研究は学校の先生たちにも応募資格がありますよ)。
http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/
「先端科学を児童生徒に伝える教材の開発」なんてテーマで応募したらどうでしょうかねー。
わくわくしますねー。

そんなこんなで、最近楽しいことが増えてきましたよ。
「50歳を過ぎたら好きなことしかしない」が実現してきたように感じています。
http://rikenyoshi.blogspot.com/2009/03/50wo.html

ぼくは今の職場に転職した17年前、50歳になったらここを卒業して教育の仕事に戻る、と決めていましたし、職場内でも公言していました。
ぼくの算段はこうでした。
我社は年功序列である。
先輩たちを見ると、ほぼ46歳から48歳くらいで課長級に昇進する。
が、たいていはそこ止まり、部長級にはなれず、定年間際に次長級になってオシマイ。
すると50歳を過ぎたらあまり面白そうじゃないから、そこを目処にしよう。
中途入社のぼくでも48歳には課長級になれるだろう。
世間一般では、役所で課長を務められる人物はマネジメント能力がある、と思われている。誤解、錯覚かもしれないけどね。
ぼくも課長級で2年過ごしたら、そういう「看板」もできるだろう。
その看板を使って、教育界に有利に戻れるはずだ。
まあ、取らぬ狸の皮算用なんですがねー、そう考えていたんです。

ところが40代後半になって、XFELプロジェクトやスパコンプロジェクトに関われるようになった。
面白い仕事なので、現場でフロントマンでいるほうが楽しいから、管理職なんかやりたくなくなっちゃった。
40代後半には労働組合の委員長に推されたりして、管理職にもなれなくなった。
おまけに、我社のカンペキな年功序列も崩れてきて、年齢だけで昇格、昇進もしないようになってきた。
こんなわけで50歳での卒業は見送ることになってしまったんです。
その代わり、楽しい仕事を満喫できているわけ。
ハッピー&ラッキーですねー。

「初心忘るべからず」という言葉があります。
ぼくの初心、50歳になったら教育の仕事に戻る、はどうなっちゃったんでしょう。
ぼくは初心を忘れたいい加減なヤツになっちゃったってことでしょうか。
いえいえ、そうでもない、と思っているんですよ。
「初心忘るべからず」は、室町時代に能楽を完成した世阿弥の著書『花鏡』に書かれているのが最初なんだそうです。
『花鏡』にはこうあるそうです。

 初心忘るべからず。
 この句、三箇条の口伝あり。
  是非の初心忘るべからず、
  時々の初心忘るべからず、
  老後の初心忘るべからず
 
つまり世阿弥は「初心には三つあるよ」と言っているんです。
是非の初心は、若い頃決意した初心、志ですね。
若い頃は理想が高いです。その理想は忘れてはいけない。
でも、人生長く生きていれば理想通りなんてわけにはいきませんよ。
それに時代も変われば、人との交わり方も変わっていく。
若い頃の理想が、理想のままであるわけでもありません。
それが、時々の初心、なんですね。
今現在、自分が置かれている環境や自身の能力を考える。
その中でベストな生き方をする。
それが、時々の初心、なんでしょう。

時々の初心をしっかりと持てば、是非の初心に拘泥しすぎることもないのです。
世阿弥も、もっとフレキシブルに行きましょうや、と言っているんです。
でも軸はぶれないようにね、と言っている。
ぼくも50歳で教育界に戻るという初心は実現できませんでした。
でも、サイエンスカフェに呼ばれたり、友人たちと理科の本を出版したり、そしてこれから科研費をGetして理科教育の研究を始めたり、時々の初心はしっかりと持てているんじゃないかって思うのです。
毎日をしっかりと、着実に、かつ楽しく生きている。

最後の老後の初心を持つべき年齢になったとき、ぼくはどうしているでしょうか。
それも楽しみですねー。

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