2013年7月10日水曜日

プロエンジニアの心得三ヶ条 その1 

先週末は大手ゼネコンさんに呼ばれて、「プロエンジニアの心得三カ条」というタイトルで講演してきた。
主に設計部門の160名が対象。
構造設計、意匠設計、機械設備設計、電気設備設計、施工監理のエンジニアたち。
新入社員から役員クラスまで。
すべての人に楽しんでもらえて、少しでも役に立つ話をしたいと思った。

建築エンジニアの人たちに、何をポイントに置いて話したら役に立つかなあと考えた。
建設業は古くからある業態なので、働き方もちょい古いところがある。
遅くまで残業したり、根性で仕事をしたりね。
そこいらへんを、みんな何とかしたいと思ったいるはず。
でも言葉に出来ない。
言葉に出来ないから行動に移せない。

こういう業界では成果よりも、苦労だとかがんばりの方が評価されている。
もちろん成果も大事にはされているんだろう。
でも、同じ成果ならより苦労した方が評価されてしまう。
それって間違っていないか。
同じ成果なら、同じ評価だろう。
あるいは、同じ成果を得るのにより短時間に省コストで実行できた方が評価されるのが本当ではないだろうか。

また、少しでもよいものを造りたいということで、過剰な仕事をしていないだろうか。
よいものを造るのは当然なんだけど、必要以上に良くする必要があるのかどうか。
顧客が、世の中がそれを求めているのかどうか。
もしかすると自己満足のためだけに、余分な仕事をしているのではないだろうか。

ダメ上司ほど完璧を求めるんだよね。
部下の作った仕様書や図面をチェックし、不足するところ、ミスしているところ、改善するところを指摘する。
それ自体は正しいことだが、必要以上にチェックを入れ、やり直しを命じていないだろうか。
上司は経験が長いのだから、部下の気づかないことも気づいて当然だ。
でもそれはやり直しが必要なほどのミスだろうか。
もしかしたら自分の権力をふるうためだけに、部下の細かなミスを見つけ、やり直しを命じていないだろうか。

くだらない上司の下では、くだらない部下が育つ。
細かな枝葉末節ばかり指摘されていると、本筋より枝葉の方が重要に思ってしまう。
真面目な人ほど上司の意向に沿いたいと思うだろうから、重箱の隅のために長い時間と自分の労力を使い果たす。
こうして本筋と枝葉の区別、軽重のわからないエンジニアが育つ。
そしてこの人が上司になり、また部下の仕事にくだらないいちゃもんを付ける。
一番くだらないのは、テニヲハばっかり、テニヲハしか指摘しない上司だね。

有能な上司であれば、部下がその仕事に着手する前に、重要ポイントとゴールとすべき品質について、あらかじめ説明するなり、以前の同様の仕事をサンプルとして提示するなりするはずだ。
そして部下の仕事が重要な点がしっかり抑えられており、十分合格ラインに達していたならそれでよし、とする度量が上司には必要だ。
合格とした上で、上司の気づいた細かな点も指摘してやれば良い。
これは次の仕事から気をつければよい。
わざわざやり直させる必要はないのだ。

もちろん部下も有能なら、合格をもらったからといってそれでよしとしないに違いない。
上司に指摘されたところも自分でちょこっとやってみるはずだ。

やたらに完璧を求めることが、長時間労働を必要とし、残業代をたくさん支払わねばならず、生産性を落とし、会社の利益率を下げてはいないだろうか。
それが顧客にも高コストの負担を強いている。
誰もハッピーになっていなじゃないか。

常態化している長時間労働は、長期的に見ても会社の利益を損じる。
なぜなら社員が育たないから。
時間的余裕を奪われた社員は、仕事を楽しむことができない。
つまらない仕事に対して人が求めるのは、お金しかなくなる。
残業代を稼ぐ以外楽しみのない社員は、だらだらと低い生産性で働く。
そんな働き方をしていたら、何年仕事をしていてもスキルは上がらない。
会社は無能社員を育てているに等しいのだ。

集中して、熱中して働くから腕も上がる。
腕が上がれば、仕事は面白くなり、短時間にこなせるようになる。
時間に余裕が出来れば、心にも余裕が出来る。
心に余裕があれば、新たなことにもチャレンジしていく意欲が湧く。
それがまた腕を上げ、仕事を楽しくしてくれる。

よし決まった。
公演のコンセプトはこれだ。
少々過激だが、エンジニアの心に突き刺さるはずだ。
過激なものを過激なまま提示しても伝わらない。
話を聞いてもらうだけではなく、やりとりも交えながら、面白おかしく話すことにしよう。

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