2012年4月25日水曜日

どんな時でも、仮説と実験


こんにちは

先週末、土曜日は理研和光一般公開で、日曜日は大阪科学技術館でサイエンス・カフェをやりました。
どちらも大盛り上がりでしたよー。
和光のカフェを手伝ってくれた同僚から、こんなメールをもらっちゃいました。

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土曜日はおつかれさまでした。
終了後、女の子がお父さんに向かって「面白かった!指されたときドキドキした!」と興奮気味に言いながら帰っていってたのが印象に残りました。
お父さんからも「楽しかったです。ありがとうございました。」とお礼を言われました。
サイエンスカフェに割り当たって良かったです。
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うれいしですねー。
ぼくのカフェは「参加型」です。
意見を言ってもらったり、実験の手伝いをしてもらったり、磁石を触ってもらったり、人体実験に協力してもらったり。
だって、話を聞くだけじゃ面白さ半減でしょ。
参加者にも主体的に関わってもらわなくちゃ。

好奇心を発揮して積極的に自分から手をあげて実験に協力してくれた子には、ぼくも執筆している理科の本をプレゼントしちゃいます。
自分だけ特別に何かをプレゼントしてもらったら、絶対嬉しいじゃないですか。
好奇心が大事なんだな、積極的にやってみるのはいいことなんだな、ってことが分かる。
それはその時手を挙げられなかった子にも伝わるんです。
こうして理科マニアを創りだしていく計略。

そして、ただ体験、経験するだけじゃだめ。
どうしてそうなるのかを考え、次はどうなるのか予想する。
どうしてそうなるのかを考えることは、原理的に考える習慣を身に付けます。
原理的に考えるから、次がどうなるのか予想ができるのです。

そして実験です。
実験結果が予想とあっていたら、その原理の確からしさが高まります。
実験結果と合わなかったら、原理を修正する。
そしてまた次の予想を立て、実験をする。
それを繰り返すわけです。

科学とはそこから得られた知識が重要なのではありません。
科学の本質は、この予想と実験を繰り返す、という「方法」なんです。
「技」ですね。
この方法、技を身につけるのが、科学教育の目的なんですよ。
だって、生きていく上で役に立ちますから。

科学に限らず、あらゆるところでこの仮説と実験は役に立ちます。
ひとつは、仮説を持って事象に向かえば、好奇心も湧くし、主体的にもなれます。
好奇心、主体性は人間を成長させる原動力です。
好奇心もなく他人から強制されてやるなんて、奴隷ですよ、それは。

もう一つは謙虚になれること。
時々、現実と合わないのに自説を曲げない人がいますよね。
そういう人って傲慢に見えるでしょ。
自説を持つことは大切だけど、それが常に正しいと思うのは傲慢です。
自説とは仮説にすぎないんだ、ということが分かるかどうか。
そして自説=仮説は、実験によって証明されるということが分かるかどうか。

実験とは現実に起こっている事象です。
それが自説=仮説から導かれた予想と合っているかどうか。
これをチェックする習慣です。
合っていれば自説に自信を持てばいいし、間違っていたら自説を修正、あるいは破棄する。
あくまで実験、現実の前では謙虚でなくちゃいけないんです。

いわゆる「隠れたカリキュラム」ってやつですよ。
科学を学ぶ意義は、仮説と実験、という方法を身につけることなんです。

と、自説を述べたわけなんですが、これだって留保しなければいけない。
仮説と実験という方法が、今のところあらゆることに有効である、と思っていますが、無効な場合もあるのかもしれません。
そういう「留保」を持ち続け、「無謬性」に囚われない、というのも科学的方法ですね。

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