2012年3月30日金曜日

会議は短くテキパキと

こんにちは

毎朝30分くらい、施設運転グループのみんなとミーティングをやっています。
トリンプ吉池さんの真似ですが。
これがなかなか調子がいいんです。

昨日の状況の報告を受ける。
そこから問題点を拾い出し、誰が何をいつまでにやるべきか指示をする。
加えて運転監視上よい作業をしてくれたならその場でそれを褒め、礼を言い、評価するんです。
こういうことを繰り返していくと、何が大事で、何はそれほど力を入れなくていいものなのか、じわじわとですがスタッフたちに伝わっていきます。
ぼくの価値観も理解してもらえるようになる。

最後に今日やる作業を確認します。
その作業を実施する上での注意点、ポイントをその場で伝えられる。
こんなミーティングを毎朝やっているわけです。
そうすると、徐々にいちいち口を挟まなくても、それぞれのスタッフが自分の権限と責任の範囲を明確にして、自律的に仕事を進めてくれるようになります。

全員でのミーティングですから、あるスタッフにとっては無関係な話もあるのは確か。
自分の仕事と無関係な会議に付き合わされることほど嫌でムダなことはありません。
それはぼくも分かっている。
でも、自分に無関係だと思うからって、まったく話を聞かなくなるのもよろしくない。
だってもしかすると自分と関係してくるかもしれないからね。
無関係だと思っていたことが関係してきたときに慌ててしまいます。
だから、無関係だと思っていてもちょっとは聞いておいたほうがいいんです。

無関係な話ばかりの会議が嫌なのは、その会議が長すぎるからなんですよ、本質は。
自分と関係なさそうな話に1時間も2時間も3時間も付き合わされる。
これは嫌になるに決まっています。
でも会議が短時間で終わるなら、無関係な話も聞いてもいいと思えるものです。
だからぼくらのミーティングは30分程度で終わらせるようにしているんです。
30分なら我慢できるでしょ。

仕事上のトラブルは、たいてい人と人とのスキマ、担当と担当との空白に生まれます。
つまり、誰もが自分と無関係と思っているところにトラブルは発生するのです。
この空白はどこなのかを見つけるためにも、自分と無関係と思える話題にも関心を持っておくほうが、組織全体として有利なんですよ。
あ、ここはあいつとオレの間にある空白地帯だ。
どっちかというと俺に近い場所だな。
なら俺がやってやるか。
という気づきが生まれる。

こうやってトラブルが発生するリスクを下げることが出来るんです。
全員参加で、かつ短時間のミーティングにはこういう効用があるわけです。
会議はムダ、という人がいますが、それは無駄な会議をしているだけなんです。
会議のための会議、結論の出ない会議、責任の所在があいまいなままの会議。
だから時間も長くなり、無関係な話が多くなり、嫌になってしまうのです。

会議はそもそも何のためにあるのか。
もちろん、仕事をスムースに進めるためです。
つまり会議は手段なんです。
その目的を忘れてしまい、会議自体を目的化しちゃう。
世の中のたいていの不合理は、目的と手段を取り違えてしまうことから生まれるんです。

会議は仕事、すなわち作業をスムースに進めるためにある。
ならば、作業時間を圧迫するような会議は本来的ではないわけです。
会議時間というオーバーヘッドを取られても、作業時間が短縮するから、会議をやる意義があるのです。

2012年3月29日木曜日

大判手帳は使うな!

こんにちは

手帳を見ると、その人が仕事ができるかできないかが分かります。
よく、大判のダイヤリーを使っている人がいますよね。
こういう人はたいてい仕事はできません。
大判ですから持ち運びに不便。
不便なので、つい持って歩くのが億劫になる。
打ち合わせの時、みんなでスケジュール確認しようとして、大判ダイヤリーを持ってき忘れていたりして困る。
そんなことがままあるんです。

第一、大判ダイヤリーは現場に持っていくことが困難。
大きな手帳を持ちつつ、現場を歩くのはとても不便なんです。
ぼくの仕事のように建設現場や設備運転では、手に何かを持って歩くこと自体が危険なことも多い。
よって大判ダイヤリーを使っている人は、手ぶらで現場に行くことになるわけです。
現場で気づいたことがあっても、メモを摂ることができません。
そもそも大判ダイヤリーを使っている人は、メモを取る習慣も見に付いていないので、現場で気づくなんてこともしないわけですが。
これだけでも仕事のスキルを磨くチャンスを大幅に逃しているんですよ。

そして大判ダイヤリーの最大の困難は、家に持って帰らないこと。
退勤時に職場に置いて帰ってしまう。
それって仕事時間とプライベート時間を完全に区切ろうという態度ですよね。
それでうまく自分をスケジュールできるんでしょうか。
きっと、仕事を離れたら仕事のことは考えたくない、という意識がどこかにあるんだと思うのです。

小宮一慶『バカになれる人はバカじゃない』サンマーク出版¥1300-から引用します。

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中には仕事を離れたら、もう仕事のことは一切忘れたいという人がいます。
はっきり言いましょう。
そういう人は転職をしたほうがいいのです。
いまの仕事が嫌いなのですから、その仕事で成功することはできません。
ムダに過ごす時間がもったいない。
人生の一番大事な時間を仕事で過ごすのに、その分野で別に成功したくないとか、ただ稼げばいいだけだとすると、本当にお金を稼ぐだけになってしまいます。
そしてそういう人はたいして稼げません。(63p)
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なるほど、なるほど。
仕事が嫌いな人ほど、仕事とプライベートを分けたがるわけですね。
で、逆説的なんですが、そういう人程、仕事はおろか、プライベートも充実させることができないのです。

仕事ができるようになるには、四六時中仕事のことを考えなくちゃいけません。
いや、仕事が好きだと四六時中考えちゃうんですよ。
職場にいようと、家にいようと、どこかへ出かけていようと考えている。
そしてアイデアが思い浮かぶ。
その時、ささっとメモを取ることができる。それは大判ダイヤリーを使っている限り、不可能です。

さらに、仕事が好きだろうと嫌いだろうと、どんな人もプライベートとのスケジュールの調整が必ず必要になるんです。
プライベートといっても義務的なこともたくさんあるわけです。
冠婚葬祭とか、親戚付き合いとか、家族サービスとかね。
こういうものとやりくりをするためには、仕事もプライベートも同じ場所に記入できる手帳じゃないとだめ。
いつでもどこでもサッと取り出し、予定を確かめる。
それができないと、子どもと約束したレジャーを仕事のために反故にして、家族の信頼を失ったりするわけですよ。
そういう人って、仕事上もけっこう信頼失っていたりする。
無理な約束をしがちだからです。
プライベートと仕事との調整を怠るからです。
人間、身体はひとつなので、仕事とプライベートをスパっと切るわけにはいかないのです。

ぼくは小さな、尻ポケットに入るサイズの手帳を使っています。
それを仕事の時も、現場に行くときも、会議の時も、家にいる時も、遊びに行くときも、いつでも持ち歩いています。もちろん筆記具も。
アイデアが思い浮かべば、尻ポケから手帳を取り出しササッとメモ。
スケジュールを確認するときも、尻ポケから手帳を取り出しパラパラめくる。
これが今のところ、仕事も家族も大好きなぼくにとって一番のやり方なんです。

2012年3月27日火曜日

パラダイス!


こんにちは

昨日ははっちゃんの学校の「教育方針説明会」。
4月から1年間の学校としての方針を保護者に説明する会です。
この会にはほとんどすべての保護者が出席するんです。
もちろん私学ですから、熱心な保護者が多いというのも事実。
でも、大方の保護者は学校の教育方針なんかには興味はないでしょう(笑)。

ほぼ全員出席の秘密は、この会で新しい担任が披露されるからです。
ほとんどの保護者はこれが目的なんですな。
新年度、誰に担任してもらえるのか。
これほどの関心事はありませんよ。
欠席なんかできません、当然。
まったくうまいシステムです。

全体会のあとは、新学級にクラスごと集まってクラス懇談です。
担任の先生の教育方針を聞く。
これがまたよかったです。
つべこべ難しいことを言わない。
学習目標がシンプルで明確なんです。
2年生での重要ポイントを外さず、それだけを目標に掲げている。そ
れは「九九の習得」と「漢字の習得」。
そしてそれを達成するために、そろばん9級全員合格、漢字検定9級全員合格。
子どもにも親にも、目に見える明確な方法で全員習得を宣言する。
素晴らしいなーって思いましたよ。

2年生での先生は若くて溌剌とした男の先生でした。
教職5年目とか。
4年間は自閉のクラスを担任していたそうです。
初めての健常児クラス。
情熱たっぷりという感じで好ましい。き
っと子どもたちと身体をうんと使って遊んでくれることでしょう。
2年生は少年期への入り口です。
体力も付いています。
身体を存分に使って遊ぶことが、知能も伸ばす時期。
学校でも先生と休み時間や放課後などたっぷり遊んでもらいたいですね。

その後、保護者自己紹介のコーナー。
自己紹介というと、何を言っていいのか分からなくてうまく話せない保護者の方もいらっしゃいます。
ぼくみたいにべらべらしゃべる奴ばかりじゃない。
そういう人に配慮して、先生は「自己紹介シート」というのを配ってくれました。
そこには「私は○○の母(父)です。私の子どもの夢は△△です」なんて書いてあります。
△△には数パターンあるようでした。
○○、△△に当てはめれば、話しやすいと考えてくれたのでしょう。
ぼくはこういう制限、制約は嫌いなんですがー。あはははは。

ぼくに配られた「自己紹介シート」はこんなのでした。
「私は○○の母(父)です。私の子どもが行きたいところは△△です」。
ふむふむ。
じゃあこれを利用して、先生に伝えたいことをお話ししてみようと思いました。
そしてぼくはこうご挨拶したんです。

  私は関口溌貴の父です。
  私の子どもが行きたいところはパラダイスです。
  はっちゃんにとって去年、学校がパラダイスでした。
  毎日学校に行くのが楽しくて楽しくて仕方ないようでした。
  今年も若くて元気な先生に担任していただくことになって、
  きっと今年も学校がパラダイスになると思います。
  たっぷり遊んであげて下さいね。
  親としてもとてもハッピーです。

4月からの新年度、楽しい1年にしていきたいですねー。

2012年3月26日月曜日

先ずは「読み書き計算」


こんにちは

昨日は、某進学塾の体験授業に参加しました。
アルゴ倶楽部、という数学パズルを教えてくれる教室です。
春休み前にこの塾からダイレクトメールが来て、春休みの「お楽しみ」のひとつにしたんです。
午前はとんたんが新年長・新1年生クラスに、午後ははっちゃんが新2年生・新3年生クラスに。
午前は60分、午後は90分の授業でしたが、とんたんもはっちゃんもとても集中して参加していました。エライ、エライ。
でも入会しないんだなー、これがー(笑)。

だってね、こういうものって毎週塾に通って訓練するものじゃないでしょ。
確かに数学者になった人は、子どもの頃からパズルの類が好きだったってことがあるらしい。
訓練して数学者になった人なんかひとりもいないはずだよ。
好きなら自分でやるわけだ。
親としてはそのきっかけだけ与えられれば十分。
それも無料体験授業でね。あはははは。

進学塾としては低学年のうちからこういうので塾通いを促そう、という戦術なんでしょうね。
ある意味、生徒確保のための青田刈りネタ。
でも低学年のうちは学校で習う「読み書き計算」だけバッチリやっていれば十分だと思っているのです。
「読み書き計算」は訓練してよいし、訓練すべきもの。

もちろん我が子が中学受験することになったなら、塾通いも必要になるでしょう。
受験のためのテクニックは必要ですし、受験情報も塾じゃないと得られない。
それでも小学4年生までの「読み書き計算」がしっかりできていれば、5年生後半ないし6年生になってから塾通いすれば十分だと思っています。
逆に言えば、4年生までの「読み書き計算」も満足に習得していないのに、塾なんか行っても意味ありませんよ。

塾通いはお金も時間も使います。
今日もどっさり資料をもらいましたが、6年生になれば週4日(平日2日+土日)が標準コース。月謝は5万円です。
塾通いするとしても、これだけの時間と費用をかける意義があるかどうか十分考えないとね。
子どもも親も疲弊するようならやめておいた方がいい。

週4日の塾通い。うち3日は授業、1日はテストです。
もちろん塾に行かない日も予習復習しなくちゃならない。
子どもだけじゃなくて、中学受験は親もつきっきりで支援しなくちゃならない。
まったく自由になる時間が残りません。
5年生以下のコースも、塾通いは週3日程度ですが、毎土曜日にテストがあり、そのために予習復習が必要なんです。

子どもにはぼ~っとする時間も必要なんです。
スケジュールびっしりの生活は、心身を疲れさせるだけだと思います。
中学受験に必要だとしても、そういう生活に親子とも耐えられるのは、せいぜい1年くらいが限度じゃないかと思うわけ。

自由になる時間がなくなるだけじゃなくて、低学年からの塾通いでは基礎的な「読み書き計算」を反復練習する時間さえなくなってしまうのです。
塾で基本的な「読み書き計算」を繰り返し教える時間的余裕はありませんし、「読み書き計算」ではお金が取れないと思うんでしょう、いきおい受験を意識した小難しい勉強をさせる。

基礎もできていないうちに受験対策の応用的な勉強をしても、うまく積み上がってはいかないでしょう。
これでは、お金と時間を使って子どもをダメにしているだけになってしまいます。
ぼくは合理主義者なので、こういう不合理はまったくもってがまんならないのである!

2012年3月24日土曜日

時には徹底的に

こんにちは

水道局から連絡があった。
配水系にあるバルブ保守のために、我社が受水している工業用水の取水河川を一時的に変更する、とのこと。
つまり、水質が変わる。
我がスタッフに「この変更が我が社の設備に影響がないかどうか調査し、判断するように」と指示した。

ぼくはスタッフに指示する時、調べるだけじゃなくて判断もしろ、と言う。
なぜなら判断を伴わない調査は上滑りになりがちだからだ。
判断するためには判断基準が必要だ。
判断基準があれば、何を調査すべきかが明確になる。
何に重点を置いて調査すべきかが明らかになるわけだ。

調査は判断のための「手段」なのである。
目的はあくまで判断。
調査しろ、とだけ指示すると、調査が目的化する。
すると、ポイントがずれた調査になってしまったり、どうでもよい項目まで細々と調べてしまい、時間ばかりを浪費する。
このような調査は、ちっとも判断に役立たないのだ。

最終的にはぼくが判断するとしても、まずは担当者が判断しなくてはならない。
判断できるように材料を揃え、ロジックを構築しなければならないのだ。
一見大変そうであるが、実はその方が後々ラクなのである。
なぜなら判断するためには、しっかりとした知識が必要になるからだ。
つまり「勉強」。
自分で勉強したものは、確実に実力を上げる。

なぜそうなのか、なぜそうしなくてはならないのか、原理原則まで遡って考える。
そのためには、そのことに関する深い理解がないとできない。
深い理解ができ、原理を把握し、確固たる知識が身に付けば、以降判断を間違えることがなくなる。
そうなれば、完全に「任せる」ことができるようになる。
自立、自律できるようになるのだ。

ぼくはOJT(オンジョブトレーニング)を信用していない。
仕事はOJTで覚えていくものではあるが、それだけではいけない。
OJTでは根本の理解を得ることができないからだ。
たしかにOJTだけでもルーチンの仕事はこなせるようになる。
ルーチンの仕事をしているだけなら問題はない。

でもイレギュラーなことがあったり、新たな仕事に取り組む時にはOJTで得たスキルだけではまったく不足なのである。
なぜそうなのか、なぜそうしなくてはならないのか、これからどうすればいいのか、原理原則まで遡って考えることができないからだ。
つまりは、実力が身に付いていない。

OJTだけで年齢だけ重ねた人は、一生「作業員」のままである。
それは自ら判断できないからだ。
判断できないから、誰かから指示をもらわないと動けない。
職業人としては非常につまらない人生だと思う。
まあこれは価値観の問題でもあるので、他人に強制すべきことではないのかもしれないが。

とは言えOJTをバカにしてはいけない。
OJTは「気づき」の宝庫だからだ。勉強ネタ満載なのである。
先輩からある仕事を教えてもらう。
教えてもらったとおりにやるのは当然だ。
でもそこで一歩踏み込んでみる。
なぜそうしなくてはならないのか考えるのだ。
そして自学するのだ。

自学し、原理原則をつかむ。
そうすると仕事の意味がわかってくる。
わかってくれば自分で判断し行動できるようになる。
意味もわからず誰かの指示通りに働くだけの状態から脱却できるのだ。
これがプロフェッションへの第一歩だ。

OJTで仕事を教えてくれる先輩諸氏に、あれこれ質問してもいいが、たいていは嫌われる。
ぼくも若いころそれで損をした。
OJTだけで仕事をしてきた先輩たちも、ほとんど原理原則が身に付いていないのだ。
だから質問されると困るのだ。
不愉快になるのは、自分の実力のなさが露呈するからだ。

もちろん仕事はそれなりに忙しいから、いちいち原理まで遡って教える程の余裕はないことも確かだ。
でもその余裕のなさに甘えてしまったのが、OJTだけの人。
どこかで時間を見つけ、時間をやりくりし、時には勤務時間外も使って自学する。
そういうコトの積み重ねが必要なのだ。

小宮一慶『バカになれる人はバカじゃない』サンマーク出版¥1300-から引用する。

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徹底的にやるというのは、成長するためのキーワードです。(略)
徹底してやるというのは、自分が持っている力を100%出すことです。
100%を続けていると、実力が少しずつ上がってきます。
そしてある一定のところまでいくと、世間が評価してくれるようになります。
そこまでいけるかどうか。(74p)
###

そう、時には徹底的にやってみるのがいい。
水質が多少変わって、それも数日だけなら、何もしなくても設備に影響することはないだろう。
でもこのチャンスを活かすのだ。
この機会に水処理について徹底的に学んでみる。
原理原則まで理解してみる。
そうすれば、水処理に関するプロフェッションになれるのだ。
これからどんな状況に変化しても、水処理に関しては判断を間違えなくなる。
自信を持って仕事をすることができるのだ。

小宮氏はこうも言う。

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ひとつのことを徹底してできる人は、また別のことも徹底して、極めていくことができます。
結局、ひとつのことを徹底してできない人は、何ひとつ、人生においてなしえないのです。(74p)
###

ぼくはそう願って、スタッフに指示を出しているのである。

2012年3月23日金曜日

大阪で4/22サイエンスカフェやりますー

こんにちは

今年も科学技術週間にサイエンスカフェをやります。
 
 形が変わるとはたらきも変わる
  ~世界一のスパコン「京」を支える建築技術~

 4/22(日)11:30~12:30 大阪科学技術館
 
大人も子どもも楽しめる内容ですので、ぜひおいでくださいねー!

申込み方法など詳細は以下。
http://stw.mext.go.jp/pdf/ScienceCafe/H24ScienceCafe_osaka.pdf

リアルハワイ??

ホント、うちの家族、ハワイアンズに気に入られているみたいでー。
http://www.hawaiians.co.jp/special/real/

コンピュータに負けるな!

こんにちは

「何でお前の造った設備はちゃんと制御しないんだ!」

その設備はぼくが造ったんだけど、それを運転している人に怒られたんです。
確かにその時、とんでもない外乱があって、自動制御が追従できなくなった。
でもその時、その人はそこにいたんですよ。

自動制御だって制御可能な範囲があるんです。
どんなときでも上手く制御できるものじゃないんですよ。
制御範囲を超えたら、手動で制御したり、あるいは自動制御のパラメータを変更すればいい。
そういうふうに作ってあるんですから。

でもその人はただ見ているだけ。
そして文句を言うだけなんです。
なんで自らの判断であれこれやってみないのでしょうか。
要するに、実力ゼロだって自ら表明しているんですね。

ぼくは自動制御が嫌いです。
というより自動制御に頼る人が嫌いなんだな。
自動制御に頼ってばかりいると、無能になっちゃうからね。

今はコンピュータの性能がバツグンに向上し、かつ安価に導入できるようになりました。
そのため、これまで人間がやっていた仕事のかなりの部分をコンピュータが肩代わりできるようになりました。
たとえば自動制御機器もコンピュータの応用です。
人間があれこれやる必要がなくなっているんです。
みんなコンピュータがやってくれるからね。

「識者」はこう言うんですよ。

 コンピュータにできることはコンピュータに任せよ。
 人間はコンピュータにできないことをやればよい。

一瞬、正しいことを言っているように思えちゃうんですが、ぼくは全面的に賛成できかねますな。

コンピュータにできないことって、何でしょうか。
ホント今のコンピュータはとんでもなく優秀です。
たいていのことはやってくれちゃいます。
だから、コンピュータのできないことは、すんごく高度なことしか残っていない。
すんごく高度なことができる人間って、そうそういないものですよね。
ほとんどの人は、コンピュータにできることさえできなかったりするんです。

もう一つ。
すんごく高度なことが出来る人だって、最初からできるわけじゃありません。
少しずつ教育され、訓練されて高度になっていくわけなんです。
コンピュータにできるようなことを、自分の手と頭を使って繰り返しやることでしか、腕は上がらない。
それをコンピュータがやっちゃってるので、訓練する機会を奪われてしまっている。
ますますコンピュータにできることさえできない人間ばかりになっていってしまうのです。

竹中平蔵『竹中式マトリクス勉強法』幻冬舎¥950-にこうありました。

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(パソコン、インターネットなど)新しいメディアは能率性では圧倒的に優秀ですから、おおいに有効活用するといい。
しかし、時々は立ち止まり、古い手法でやってみるのも、ミスや誤解を防ぐのに役立ちます。
いずれにしても、重要なデータ分析などは、必ず自ら手を動かし、自分でまとめること。
それが、トレンドや要旨を掴むコツです。
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コンピュータがやってくれているとしても、時に自分の手と頭を使ってやってみることです。
そしてコンピュータの答えと、自分が出した答えを比べてみる。
それが自らの腕を鍛えてくれるし、コンピュータが正しいかどうか判断できるようになれます。
これを積み重ねていくことによって、コンピュータにはできないことができる人材に育っていけるんです。

竹中さんはこう言います。

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自分でまとめると、2つの大きな効果が得られます。
まずは、五感を刺激する効果です。
人間の記憶システムは五感を意識的に使うと、前頭葉が活性化されるといわれています。
手を使って書くことはこの五感の刺激につながり、ただ目で追うよりは、格段に記憶として定着しやすくなります。
もう一つの効果は、物事の本質を理解するのに役立つこと。
まとめるという作業は、すなわち枝の部分を捨て、幹の部分を探るという作業そのものです。(114p)
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コンピュータに頼ってばかりではいけません。
それでは成長するチャンスを失います。
時にコンピュータを疑ってみることです。
本質的に考えてみる事です。
原理をつかむことです。
それがコンピュータに負けない人材になる道筋だと思います。

2012年3月22日木曜日

挨拶をもう一度教えよう

こんにちは

最近の若者は挨拶さえちゃんとできないという。
それは多分にきちんと教えられていないかららしい。
たしかに幼児の頃は、親も教師も口うるさく挨拶させる。
そしてほとんどの子はそれが身につく。
けれどもそれは幼児型の挨拶だったりするのだ。

幼児型の挨拶は、幼児の間は通用する。
ところが子どもが小学校高学年くらいになってしまうと、幼児型の挨拶が通用しなくなってしまうのだ。
なんとも幼稚っぽくて、自分も相手も違和感がある。
小学校高学年になる子どもにとって、幼児型の挨拶は「使えない」ものになってしまうのだ。

ところがそれに対して、大人の挨拶の仕方をきちんと教える親、教師はほとんどいない。
教えなくてもできるだろう、という気の緩みがあるのだ。
だが、教えられないものはできるようにならないものだ。

もちろん、大人の振る舞いを観察して、適切な挨拶の仕方を自ら学んでいける子はそれでいい。
しかし、人間というのは往々にして、教えられていないことを意識に載せることができないのだ。
そばで大人が適切な挨拶をしていたとしても、そのすぐ隣に子どもがいても、その子どもは大人の振る舞いに無関心であったりする。
きちんと教えられているからこそ意識的にもなれるものなのだ。

だから、小学校高学年くらいに子どもが成長したら、再度挨拶を教えなければいけない。
西角けい子『子どもの成績は、お母さんの言葉で9割変わる!』ダイヤモンド社¥1300-によると、教えるべき挨拶は次の5つ。

・ありがとうございます 
・よろしくお願いします 
・申し訳ありません 
・失礼します 
・さようなら

この5つだけをきちんと教え、身につけさせる。
そうすれば、子どもは身近な大人の振る舞いを観察し、時と場合によって適切な挨拶を使い分ける技を身につけていくはずなのだ。

2012年3月20日火曜日

できると思うからできる


こんにちは

 私はナースになるから、溌貴君はお医者さんになって!

はっちゃんがクラスの女の子からそう言われたそうです。
はっちゃんもまんざらじゃないらしく、「お医者さんになろうかなー」なんて言っています。
幼稚園の頃はコックさん、1年生になってぼくの職場に連れて行ったりしてから研究する人にもなりたい、と言っているはっちゃん。
さーて、どんな人になるのかな。
これからの時代、一つに絞る必要もありません。
コックであり、研究者であり、お医者さんでもある。
十分あり得ますよー。

おかげさまではっちゃんの1年生の学校生活も終わりました。
遠くの学校へ毎日楽しく通いました。
よくがんばりましたよ。
通知票をもらってきましたが、お勉強も行動観察も大変よい評価をしていただけました。
褒め上手、おだて上手の先生に習ってよかったです。
小学生、まして1年生の評価は、甘甘なくらいの方が子どもは育ちます。
なんたって、錯覚でもいいから「自分はできる」と思っている子が実際できるようになっちゃうんですから。

東大生も「おれはできる」と思っちゃってる錯覚野郎(笑)が多いんです。
できないとは認めたくないわけです。
かっこ悪いからね。
だから努力もしちゃう。
それで結果としてできるようになっちゃうわけです。

2年生でもいい先生にめぐりあって、ますます錯覚野郎になってくださいねー。

2012年3月17日土曜日

SPring8キャンパス一般公開4/30

こんばんは

今年もSPring8キャンパスの一般公開が4/30(月・振休)に開催されます。
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/events/open_sp812/

ぼくも構造生物学研究棟にて

 理科工作教室、
 
 科学のお話「SACLAってなあに」

を演じますので、ぜひおいでください!
よろしくどうぞ!

理研和光一般公開4/21のお知らせ

こんにちは

今年も理研和光キャンパスの一般公開が4/21(土)に開催されます。
http://www.riken.go.jp/r-world/event/2012/open/wako/index.html

ぼくも共済クラブ和室(大)にて

 サイエンスカフェ <夢の光 SACLAのひみつ> 14:30~15:10

を演じますので、ぜひおいでください!
よろしくどうぞ!

血糖値が安定すると心もやわらぐ


こんにちは

今朝家に帰ったら、おばあちゃんが寝込んでいました。
低血糖でふらふらするとのこと。
おばあちゃんは糖尿病なんです。

お医者さんからブドウ糖粒を処方されていて、これを飲むとイッキに血糖値が300mg/dlにもなる。
でもすぐ70mg/dlへと急降下。
この血糖値の乱高下でふらふらしてしまう。

なので糖質制限食について教えてあげました。
ブドウ糖粒を飲むのは止めるように言いました。
甘いお菓子もがまんするように。
そして、ごはん、パンを食べないで、おかず中心の食事にするように。
さっそく始めたようです。

先日、はとバスツアーで「日光イチゴ狩り&イチゴスイーツ食べ放題」というのに行きました。
子どもたちもスイーツをたっぷりと食べました。
日光東照宮奥の院まで長ーい階段を昇ったり、雪合戦で遊んだりして疲れたはずなんですが、帰りのバスの中で兄弟で取っ組み合って遊んでいるんです。

ああこれは血糖値が上がりすぎてるんだな、と思いました。
上がりすぎた血糖を消費するために暴れまくっているわけです。
他のお客さんに迷惑をかけないかヒヤヒヤしましたが、そのまま遊ばせました。
結局東京に帰るまで3時間あまり、バスの中で子どもたちはずっと暴れまくっていたんです。

昔から教育界で言われていたことがあります。
粗暴な子どもは食生活が乱れているんです。
まともな食事をしておらず、スナック菓子と清涼飲料水をご飯代わりにしている。
粗暴な子の食生活をきちんとさせるだけで、落ち着いてくるんです。

でも、砂糖をスプーン1杯与えるだけで、また粗暴に戻ってしまう。
なぜだ?

これも血糖値で説明できます。
スナック菓子にも清涼飲料水にもたくさんの糖類が含まれています。
特に清涼飲料水に含まれる当分は、水に溶けていますから飲んだ途端に身体に吸収されて、血糖値を上げる。
普通の子は血糖値が上がると、インスリンが分泌され、血糖値を一定に保つ。

粗暴な子はたぶん血糖値のコントロールがうまくいかない体質なんだと思います。
急激に上がった血糖をコントロールできない。
この上がりすぎた血糖を消費するために、暴れてしまうのです。
身体がそう要求するんです。
だから、食生活を改善して血糖値を正常範囲にすれば落ち着く。
でも砂糖をスプーン1杯舐めただけで、血糖値がぐーんと急上昇してしまうので、また暴れざるを得ないのです。

さて、おばあちゃん。
糖質制限食も家族で一人だけで実践するのは難しい。
でも、おじいちゃんも一緒にやってみる、と言ってくれました。
おじいちゃんは糖尿病じゃないんですがね。家族が協力してくれると、続くんじゃないかと思います。
症状が和らぐといいですね。

2012年3月15日木曜日

地震の謎

こんにちは

昨日の夜9:05に千葉で震度5強の地震がありました。
千葉の方、大丈夫でしたか。
その震源の深さは10kmとのこと。
ずいぶん浅い場所が震源ですね。

ぼくはツイッターで地震情報 @earthquake_jp という気象庁防災科学技術研究所の発信するツイートをフォローしています。
毎日たくさんの地震が各地で起こっているのがわかります。
これによると震源の深さは10km未満から300km以上まで、いろんな深さで地震が発生しているんです。
10kmなら地殻内部ですし、300kmならマントル内部でしょう。
とにかくいろんな場所、深さで地震は起こっているのです。

地震エネルギーの発生原因は、プレートの運動だとしばしば説明されます。
たとえば日本の東北地方は、太平洋岸で太平洋プレートと北アメリカプレートが衝突している。
重い太平洋プレートが軽い北アメリカプレートの下に潜り込んでいっているんです。
その時の摩擦で地震が起こる。

ということは、地震は二つのプレートの境界面で発生することになります。
たしかに、甚大な被害をもたらした3.11東北地方太平洋沖地震はまさにプレート境界で発生した地震であり、発生場所は三陸沖北緯38度東経142度、震源の深さは 24kmだったそうです。

ところでこの震源の深さってどう定義されているんでしょうか。
震源真上の地表面or海水面からの深さなのでしょうか、それとも平均海水面(ジオイド)からの深さなのでしょうか。
どなたか定義を教えて下さい。

話を戻して、東北地方太平洋沖地震では、三陸沖での震源すなわちプレート境界面の深さは24kmですから、日本の陸地の下部でのプレート境界面はもっと深い位置にあるはずです。
だとすると、昨夜の千葉での震度5強、震源深さ10kmの地震のエネルギー源はプレート同士の摩擦が原因ではないことになります。

最近、首都直下型地震の危険性がしばしば報道されています。
首都直下型地震の震源も東京直下にあるプレート境界面であるとされています。
南関東では、太平洋プレートだけじゃなくフィリピン海プレートも沈み込んでいるのでやっかいです。
では、首都直下型地震が発生する深さはどの程度なのでしょうか。

地震のエネルギーはマグニチュードで表されます。
でも地震の被害はマグニチュードに比例するわけではありません。
被害はその場所での「震度」によります。
たとえマグニチュードが大きくても、震源からの距離が離れていれば、震度は小さくなり、被害も小さくなるのです。
逆に、マグニチュードが小さくても震源に近い場所での被害は大きくなるでしょう。
だから、たとえ地震がいつ起こるかは分からなくても、震源までの距離をきちんと知ることができるなら、防災対策にとても役立つはずです。

では、首都直下型地震の震源深さ、すなわちプレート境界深さはどの程度なのでしょうか。Wikiで調べてみたら、首都直下型地震は、

1.陸のプレート(北アメリカプレート)とフィリピン海プレートとの境界で起こる「プレート間地震」、深さ30 - 60km付近。

2.フィリピン海プレート内部で起こる「沈み込んだ海洋プレート内地震」、深さ30 - 60km付近。

3.フィリピン海プレートと太平洋プレートとの境界で起こる「プレート間地震」、深さ60 - 80km付近。

4.太平洋プレート内部で起こる「沈み込んだ海洋プレート内地震」、深さ60 - 80km付近。

5.陸のプレート(北アメリカプレート)内部で起こる「内陸地殻内地震」、地表付近 - 深さ50km程度。大きなものは主に活断層で発生する。

の5つの可能性があると書かれていました。

ある場所での震度は、震源のマグニチュードと、震源位置とその場所との距離が分かればほぼ正確に推定できます。
ところがWikiで見る通り震源位置=震源深さの幅は広く、すなわち可能性のある震度の幅も広くなってしまうのです。
これでは、地震がいつ起こるかもわからず、どのくらいの震度になるかも分かりません。
何もわからない状況で、適切な対策なんかできようがありませんよ。
現状ではなにもかも推定不能、と言ってもいいでしょう。

さて、上で見たとおり地震の発生原因はプレート境界での摩擦だけではないようです。
地震はプレート境界面だけでなく、マントル内だろうと、プレート内だろうとどこでも起こるのです。
昨夜の千葉の地震はプレート内で起こったタイプであり、「内陸地殻内地震」のようです。
では、これらプレート内地震のエネルギー源は何なのでしょうか。

’95に発生した阪神淡路大震災、兵庫県南部地震も内陸地殻内地震でした。
震源は兵庫県 北淡町北緯34度東経135度、震源の深さ16kmです。非常に浅い場所です。
マグニチュードは7.3と中規模な地震でしたが、震源との距離が近いため被害が大きくなったのです。

阪神淡路大震災が起こった時、それまでプレート、プレートと騒いでいた地震学者もマスコミも、手のひらを返すように「活断層が動いた」と言い出しました。
活断層も日本中いたるところにあります。
動く可能性があるから、活断層と呼んでいるのでしょう。
では、活断層は何をエネルギーにして動くのでしょうか。
何かが動くためには必ずその駆動源があるはずです。
それはいったい何なのでしょうか。

RIBF!

こんにちは

ぼくが和光研の電気主任技術者だった頃手がけたRIBF棟の内部を撮影した動画が、以下で見られます。
http://www.rarf.riken.jp/enjoy/RIBFtour.html

電気技術者への見所は、配管はすべて露出にしたところ。
打ち込み配管はまったくない。
実験施設は「生きた建物」。
壁や床にアンカーを打ったり、貫通孔を空けたり。
それどころじゃなく、天井さえもアンカーや貫通孔の増設がありえるんです。
しかも、実験に合わせて穴をあける訳で、埋設管があろうとなかろうとおかまいなし。
そのため、これまでの加速器棟では、アンカーを打ったり貫通孔を開けたりして、埋設管を切ってしまうことしばしば。
露出配管なら眼で見えますから、穴を明けたきゃあらかじめ迂回工事をすることができます。
そんなわけで、無理言ってオール露出配管にしてもらったってわけです。
施工者泣かせだったかも??

関口

2012年3月14日水曜日

情報を発信せよ!

こんにちは

昨日は、空気調和衛生工学会近畿支部学術研究発表会に参加。
大阪大学中之島センターで行われました。
大阪大学のサテライトですね。
寄付で建てられたものだそうです。
さすが、天下の阪大!

さて、この研究発表会は初めての参加でしたが、学生さんの発表練習会みたいな場でした。
出席者のほぼ9割が、近畿地区の大学院生と教官という感じで、実務者はほとんど出席していない。
今ぼくが困っていることについて発表しましたが、有益なコメントをもらうことができませんでした。
発表自体もイマイチうけなかったしー。
またも「場違い」??

気をとりなおして、なるべく学生さんの発表に質問するようにしました。
質問することによってぼく自身が勉強になるし、少しでも学生さんにも役するといいなーと思って。
質問率70%くらいだったでしょうか。

で、学生さんの発表ですが、前提条件が現実的ではないのが多いですね。
いちおう、「工学」の研究なんだから、何かに役立つものが欲しい。
特にシミュレーション研究は、計算しやすさを優先してしまって、前提条件が非現実的になっちゃってるような気がします。

ぼくはシュミレーション研究があまり好きではありません。
なぜなら安易に計算しすぎている。
コンピュータに計算させれば研究になると思っているようなものが多いから。
きっと教官も、大勢いる学生に研究テーマを与えるのがラクだからでしょう。
コンピュータの使用コストも安くなったしね。

それと統計処理が不適切なのも多かった。
サンプルが少なすぎるとか、異なる母集団からサンプリングしたり、有効回答率から確からしさを求めてないとか。
工学系教育でも、しっかりとした統計学の教育がなされていないように思いました。

そんな訳で、学生さんにとってちょっと意地悪みたいな質問もしたんですよね。
で、残りの3割は質問するのもかったるいほどの研究。
こういう研究にコメントしても自分にも学生さんにも役立たないと思うからね。

休憩時間に学生さんたちが雑談しているのが聞こえました。
「つっこまれなくてよかったねー」
「おのおじさんも質問しなかったもんねー」
だって。
おいおい、どうして突っ込まれなかったかわからないのかよー。
あはははは。

どうも学生さんは、批判されないことを「良し」としているようなんですね。
永井孝尚『残業3時間を朝30分で片付ける仕事術』中経出版¥1300-にこうありました。

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「自分の考え方を情報発信する」とは、「批判を受け入れる覚悟を持つ」ということです。
そして、実際に「批判を受け入れる」ことで、成長につなげられます。(略)
私たちビジネスパーソン一人ひとりが、実名で、責任を持って情報を発振し、自分たちが仕事を通じて得た経験や知見をもっと社会全体で共有することで、日本は必ずいい方向へ変わっていくと思います。(202p)
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研究とは、あたりまえですが今までになかった考えを含んでいます。
その意味で、現状を「批判」したものなんです。
だから必ずそれに対する反発が伴う。
それを得る場が学会だったりするんですよね。
学会では必ず実名で発表したり、論文を書いたりする。あたりまえですが。
それは、いつでも批判を受け入れるますよ、という意志なんだと思うのです。

そこが、ネットの匿名での掲示板と違う。
だからネットでの匿名発言は、自分は非難するけどオレを非難するな、という卑怯なものなんです。
批判を受け入れることを拒んでいるわけですから。
そこには責任も成長もありません。

論文、学会発表だけじゃありません。
ツイッターでもフェイスブックでもブログでも掲示板でも実名で発信する。
批判されるかもしれませんが、有益な情報を得るチャンスも増える。
結局は実名で発言、発信する方がオトクなんだと思っているのです。

2012年3月13日火曜日

事務処理能力を上げる

こんにちは

ぼくは資格マニアです。
毎年2,3の資格試験に挑戦し、毎年必ず一つは合格している。
といっても毎年一つ合格するために、易しい資格も受験してるんですがね。
保険です、保険(笑)。
でもその保険も「入門」にもなっています。
上級資格への足がかりになったりもするんです。

ぼくがいわゆる「資格マニア」と違っていると思っているのは、資格のための資格勉強にしていないこと。
必ず今やっている仕事、実務に関連する資格を選んでいることです。
あるいは、これからやりたい仕事へ向かうための準備になるような資格。

何事も基礎が大事です。
OJTでも仕事は覚えられますが、そこで得られるのは場当たり的で断片的な知識にすぎません。
もっと基礎を系統的、体系的に学んだほうが応用が利きます。
OJTで得た知識やスキルは、状況が変わったり、前提が変化したときにフレキシブルに対応できないことが往々にしてあります。
基礎があると、そういった変化に対応できる可能性が高まるのです。
だからぼくはOJTだけの人を信用しません。

基礎基本を満遍なく学ぶ手段として、資格試験を利用するのは大変有効。
その上、その資格に合格すればその分野に関するエキスパートであることを社会に対して証明する「看板」にもなります。
周りからの信用度、信頼度が違ってくるんです。

そして専門家である自覚も違ってきます。
有資格者の方が周りからの信用度、信頼度が高いのは、資格者本人の「下手なことはできない」「資格者にふさわしい仕事をしよう」という自覚があるからです。
ホントに下手なことをすると、免許返納なんてペナルティもありますしね。

そんな訳で、ぼくは資格試験に挑戦し続けていますし、ぼくの周りのスタッフたちにも勉強するよう勧めている訳です。

さらに資格試験を勉強する効能があります。
大原瞠『公務員試験のカラクリ』光文社新書¥740-にこうありました。

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面接を重視して客観的なペーパーテストを軽視、あるいは無視していくと、今度は別の問題が浮上する。(略)
事務処理能力が低い人というのは、ひと言でいうと「いわれたことができない」「動作が遅い」といった特徴を持っているので、職場に投入されると周囲も扱いに困る。
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公務員採用試験では、一般知識や教養を試される試験が課せられます。
それは、公務員の重要な資質である「事務処理能力のあるなし」を試すためなんですね。

おなじように事務処理能力が上がるんですよ、資格試験の勉強をすると。
どんな仕事にも事務処理は必要です。
エンジニアはたいてい事務処理が不得手ですよね。
くだらない事務も多いですから。
でもやらなくちゃならない。やりたくないからって放って置くと、どんどんたまってしまう。

たまった事務仕事をイッキに片付けようとすると、大変な時間が取られます。
それだと、やるべき仕事、やりたい仕事ができなくなっちゃうんですよ。
くだらない事務仕事は逐次ちゃちゃっとやっつけていった方がいいんです。
このちゃちゃっとやっつける能力が、資格試験の勉強で養成されるんです。

ホント仕事が遅い、できない人のほとんどは事務処理能力が低いからだと思います。
つまらない事務処理に長時間かけている。
事務処理だけをやって仕事をした気になっている。
だってその人にとって事務仕事は「大変なこと」ですから、やり終えればそれなりの満足も得られますから。

それで満足しちゃうから、本来自分がやるべき仕事、やりたい仕事が二の次になってしまいます。
やるべき仕事、やりたい仕事をやらなければ、いつまでたってもスキルは上がりません。
一生つまらない事務仕事を時間を掛けてだらだらやるような人生で終わってしまうのです。ああ非情。

資格試験に限りませんが、試験一般には「どうしてこんなことを覚えなくちゃならないのか」という問題が出ます。
なぜ勉強するか分からないようなことでも、とりあえず勉強しないと合格できないのです。
これって、くだらない事務仕事と似てますよね。

くだらない勉強、くだらない事務仕事、どちらも今現在の自分にはその価値、その理由がわからないだけだったりするんです。
それでもやらなければいけないならやる。
その態度が事務処理能力を上げるんです。

そしてそれらに取り組んでいるうちに、その意味が理解できたりする。
そういう時が来る。
意味がわかると、楽しくなります。自分の視点が上がります。
視界が広がる。高い目線で仕事に取り組めるようになるんです
。勉強にはこういう効用があることを忘れてはいけません。

さあ、今日も勉強、勉強!

2012年3月11日日曜日

そっ啄之機


こんにちは

はっちゃんが学期末の算数のテストで100点を取ってきました。
算数の文章題が不得手のようでしたが、が100点ということは、いつの間にかできるようになったということですね。
素晴らしい!

子どもの場合、問題が解けない時、理解できないから解けないのではなく、まだ発達段階がそこまで達していないことが多い。
だからまだその時じゃないのに、無理に教えると無理がくるんです。

親が子どもに直接教えると、往々にして機を見ずに無理矢理、今理解させようとして失敗します。
挙げ句の果てに、親は「やっぱりおれの子だ。バカでも仕方ない」なんてあきらめ、子どもも「ぼくはバカなんだ」という観念を植え付けてしまう。
ぼくは元教師ですから、そういう例を多々見てきています。

だから、はっちゃんが算数の文章題ができなかったとき、無理に教えなくてもいいやって思ったんです。
時期が来たら自然と分かるようになるってね。

だいたい男の子は言語の発達が遅い。
文章題は言語から具体的なイメージができるようにならないと解けないのです。
だから男の子が文章題が不得手なのは当たり前なんです。
のんびりかまえておけばいい。
学年が上がって、一つ前の学年で習う文章題ができるようになっていれば、まあ大丈夫なんです。

ところがはっちゃんはできるようになっちゃった。
きっと先生が、はっちゃんの様子を見て教えても大丈夫そうな瞬間を捉えて、サッと教えてくれたんだと思うんですよ。

まさに「そっ啄之機」ですね。
鳥の雛が卵の内側から殻をつつく。
その時を逃さず親鳥も外側から殻をつつく。
すると卵はきれいに割れ、雛が誕生する。

勉強も同じですねー。
先生に感謝です!

2012年3月9日金曜日

人は尊敬を食べて生きている


こんにちは

「人は尊敬を食べる生き物である」
誰かから尊敬されることを渇望している。
特に男性は顕著だ。
他の人から尊敬されないと、心が安定しない。
それが向上心にもつながることもあるが、間違った権力欲にとりつかれてしまうこともあるから注意が必要だ。

これは一見おとなしく優しげな人であっても同じである。
いや、そういう人のほうが返って危険だったりする。
養老孟司さんによると男は「権力欲一定の法則」で動いているのだそうだ。
一定程度の権力が満たされるまで精神が安定しない。

常に自分の権力をふるえる場所はないか探すようになる。
会社で権力欲の満たされないおとなしい男は、家でその欲望を発露しようとする。
家庭内暴力、ドメスティックバイオレンスだ。
家族の中で弱い立場、自分の言うことを聞きそうな相手に権力をふるう。
そう、女房や子どもにだ。

通勤電車内での痴漢行為も、多くはこの権力欲の発露かもしれない。
性的な欲望もあるだろうが、相手が嫌がることをすることによって自分の権力欲を満たしているのだ。
嫌がることをしても相手が反撃してこない、従順でいることが快感なのだ。

役所や会社に必ずいる意地悪なおじさん。
業者さんが納品してくるものをやたら値切る。
もちろん適正な価格でない場合は値切らなければならないし、予算が厳しくて少々まけてもらう必要も時にはあるだろう。
そういうまっとうな理由もなく値切るのだ。

これも権力欲の発露だろう。
値切ることが目的ではなく、自分の言うことを聞かせることが目的なのだ。
役所の、会社の予算を節約しよう、無駄なく使おうということではないのだ。
だから一方で根切り、もう一方で自分の言うことを聞くようになった業者の見積はフリーパスでムダの垂れ流しだったりね。

やたら書類を出せというおっさんも同じである。
「ここがわからないから補足文書を出せ」とか言う。
説明が不十分な場合もあるだろうが、そういう書類を作って出すと、見もしないでファイルする。
明らかに自分の言うことを聞かせるだけなのである。

ハッピーキャリアを築けていないと、往々にしてこういう嫌な人間になってしまうのだ。
性格が悪く、頭の悪い人間に。
これは常にリマークしておく必要がある。
権力一定の法則というピットホールに落ちてしまわないように。

ハッピーキャリアを築けていれば、必ず周りの人から認められ、尊敬も得られる。
別に無理に自ら求めなくても尊敬されるのだ。
そしてやりたいこともできるようになってくる。
他の人もそれに協力、協調してくれるようになるのだ。
それは権力に従っているわけではなく、よきことだから同調してくれるわけだ。

そしてそれが本来的な意味でのリーダーシップという「権力」だろう。
こういう良い意味での権力を発揮できるようにならねばならないのだ。
そのためにハッピーキャリアを築くのだ。
他人の足を引っ張ったり邪魔したりしてはいけないのだ。
自らの実力をあげていくのである。

そうなれば、家庭でも心穏やかな優しい夫、父親でいられるであろう。
痴漢などという馬鹿な行為もしなくてすむ。

2012年3月7日水曜日

SACLA,咲く


文科省のHPにもSACLA共用開始のお知らせが掲載されました。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/ryoushi/detail/1318185.htm

「SACLA、咲く」というキャッチコピーがステキですね。
今まさに3月半ば、日本の桜もつぼみをふくらませている時。
SACLAの満開の花を楽しみにしています!

型破りになる道筋

こんにちは

  形を持つ人が形を破るのが型破り。
   形がないのに破れば形無し

無着成恭さんはそういったそうです。

祝・SACLA供用開始!


本日から我が国が誇る世界一の性能を持つX線自由電子レーザー施設「SACLA」が、共用運転を開始します。
http://www.riken.go.jp/r-world/info/info/2012/120306/index.html
ここからノーベル賞級の発見や、日本を元気にしてくれる新技術の開発が、どんどん生み出されていくことでしょう。
自分の造った施設が元気に活躍してくれるのを見るのはヴェリーハッピーなことですなー。
楽しくがんばろうぜ、わが子SACLA!!

2012年3月6日火曜日

性格と頭の善し悪し


こんにちは

  性格が悪い人は頭が悪い人だ(by鈴木晶)

内田樹/鈴木晶『大人は愉しい』ちくま文庫¥700-を読んでいたら、こんなフレーズに出会い、思わず吹き出しちゃいました。
あはははは、そうなんだよねー、性格が悪い人は頭も悪いんだよねー、うんうん、その通り!
頭が悪いと言っても、決して学歴がないとか、知識に欠けるとかではありません。
学歴もけっこう高いし、いろいろなこともよく知っている。
でも頭が悪く見えちゃう人って案外いる。
その原因は、性格が悪いからなんですね。

じゃあ、性格が悪いってどういうことでしょうか。
たとえば、他人の言うことにいちいち難癖をつけること。
家族や同僚など身近な人の言うことを、ハナから否定する。
それはダメだ、そんなのはおかしい、うまくいくわけがない、とかね。

もちろん人間なんだから、常に正しいことを言う訳でも、やる訳でもありません。
間違いもある。
その間違いを正すためのアドバイス、サジェスチョンならいいんですが、全否定しちゃうんですよ。
アドバイス、サジェスチョンは、上手く行かせること、成功することを前提にしたもの。
だからアドバイス、サジェスチョンしてくれる人なら、ありがたくいい人だと思える。

でも全否定されちゃうと、嫌な奴だなーって思うわけです。
その人が嫌いになるのは当然ですよね。
もちろん世の中には嫌われてでも言うべきことは言う、という時もあります。
でも全否定おじさんはそれとも違う。

なぜなら、アドバイス、サジェスチョンは次の行動を生み出します。
ところが、全否定は次の行動には繋がらない。
すべて潰してしまうからです。
そして、全否定おじさんは潰れることを望んでいるのです。
潰れてしまったのを見て、ほら俺の言ったとおりだろう、だからダメなんだ、と言う。

つまり、全否定おじさんの望むことは「失敗」。
それも自分以外の人たちの失敗。
他人の失敗を望む人を、性格がいいとはとても思えませんよね。

あ、いつのまにか「全否定おじさん」なんて、男性に限定してしまいました。
でもね、ぼくの狭い人間関係に限っていいますが、女性より男性の、しかも中年以上の年齢の方に、全否定する方が多いみたいです。
だから、「おじさん」で通しちゃいましょう。あはははは。

ところがこの全否定おじさんが、すっかり忘れていることがあるんです。
それは、自分も家族の一員であること。
それは、自分も会社の一員であること。
つまり「仲間」に囲まれて生きていることです。

全否定して、その失敗を望む。その相手は自分の家族であり同僚なんです。
それをすっかり忘れちゃっているんです。
家族の失敗は自分を不幸にします。
同僚の失敗は会社を傾かせ、結局は自分に返ってくるんです。

それがわからない。自分にとって損であることがわからない。
すなわち、頭が悪く見えちゃうんですね。

2012年3月4日日曜日

変人になろう!


こんにちは

ぼく自身「変人」たらんと思っているからですが、我が子たちにも「変人」であってほしいと思っています。
「変人」といっても<ただ変わった人>ということではなく、「人と違うことをする勇気がある人」という意味です。
要するに、人に流されない。
自分の思いを優先する人ですね。

もちろん、多くの人と協調していくのは大切です。
でも誰かがやっているから自分もやる、というのではいけない。
誰かがやっていることが良いことだと自分自身で判断する。
だから一緒にやる。

逆に、みんながやっているからといって安易に同調もしない。
自分自身がそれは悪いことだと判断するなら、たとえ孤立してでも一緒にはやらない。

もちろん自らが考え出した良いことは、たとえ賛同者がいなくても最初の一歩を踏み出せる。
そういう勇気を持てる人が、本物の「変人」なのだと思うわけです。

川口淳一郎『はやぶさ、そうまでして君は』宝島社¥1200-にこうありました。

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大学院生のときから宇宙研のプロジェクトに参加してきていますが、最初の印象は「ここは”変人”の集まり」というものでした。
いわゆる「日本的な発想」でものごとを考えない人の集団という意味で、私には居心地がよかった。
「こうだからできない」ではなく、「こうすればできる」というのが”変人”たちの考え方でした。(34p)
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「はやぶさ2」計画は、政府予算が大幅に削減され、事実上計画中止のようになってしまいました。
でも宇宙研の人たちは、予算があろうとなかろうとプロジェクトは進めちゃう判断をしたんです。
だって意義のあることだから、政府が何といおうと始めてしまう。
ここで止めてしまったら、いざやれる環境が整ったときに、できなくなってしまうからです。
その勇気には感服しますよ。
さすが、変人集団!

ぼくも最近まで知らなかったんですが、小惑星にはいろいろな型があるんです。
「はやぶさ」は小惑星イトカワからサンプルリターンしてきましたが、イトカワは「S型」小惑星。
SとはStone、つまり石ということです。
石を主成分とした小惑星ということですね。
石なんか持って帰ってきても、サイエンス上の大発見はないかもしれません。

「はやぶさ」は、実を言うとサンプルリターンの「実証実験機」です。
とにかく、行って、着陸して、サンプルを採って、帰ってくる。
これができるかどうかの、工学的な実証実験をしたわけです。
これからが本番なんですよ。

「はやぶさ2」は、「C型」小惑星へサンプルリターンしてくる計画です。
Cとはcarbon、つまり炭素です。
小惑星の中には炭素でできたものもあるんですよ!
ここへ行ってくるんです。

炭素は生命を形作る基本的な元素です。
もしかすると生命の起源がわかるかもしれないのです。
こんなワクワクするプロジェクト、誰が何といおうとやっちゃうべきでしょ!

2012年3月1日木曜日

ハッピーキャリアを作りましょう

こんにちは

先日、職場で「ハッピーキャリアセミナー」があり、受講しました。
ホントはテクニカルスタッフやポスドクなど若い職員が受講対象者でしたが、実年齢としては若者ではまるでないぼくも空席があったらぜひ!ってことで申し込んじゃいました。
なぜなら、講師の佐藤さんに会ってみたかったからね。
http://ameblo.jp/project121/

日本の職場の生産性が低いのは、国際比較でも明かです。
残業も多いのも明か。
なぜ長時間働いてるのに生産性が上がらないのか。
佐藤さんによると、日本の会社では「仕事」より「人間関係」に時間を取られているからだ、とのこと。
ふむふむ、確かに、確かに。

佐藤さんはソニーのご出身とのこと。
ソニーでも本当に生産的な仕事をしている時間は、20%くらいだったそうです。
残りの80%は、部署間の調整などに費やされていた。
部署間で調整するのはあたりまえなんですが、すんなりといかないことが多々あるわけです。
なぜかというと部署同士いがみあっているから。
いがみあい=人間関係です。

いがみ合いとは、相手を信用しないこと、信頼しないことから発します。
部署間でいがみ合っている会社では、やたら書類が必要になります。
やたらハンコが必要になります。
なぜなら、失敗したときに自分は悪くない、と言わなくちゃならないから。
それが書類の多さをつくり出します。
無駄な仕事を増やします。

その案件を了承する代わりに、「エビデンス」と称して、書類を要求するのです。
うちの課はホントはやりたくなかったんですよ。
絶対うまく行かないと思っていました。
でも向こうの部長さんがやりたいというので、仕方なく了承したんです。
ほら、こういう書類が残っていますよ。
てな具合。

もちろん、法令や社則で決まっている書類ならきちんと作成しますよ。
でも、公的に決められた書類じゃない、すなわち「言い訳」のための書類ばかりが増える。
そういう会社は末期的ですよ。
仕事を進めることより、自己保身の方を優先しているわけですからね。

元和田中校長の藤原和博さんは、こういう<言い訳書類>を「免責文書」と呼んでいました。
責任を逃れるためだけに機能する書類です。
藤原さんが校長だったときも、文部科学省や教育委員会、校長会などからやたら書類の提出を求められたそうです。

藤原さんはそれらの書類は全部ゴミ箱に捨てた。
そんなくだらない書類に付き合っていたら、自分のやりたい仕事、やるべき仕事ができなくなってしまうからです。
で、捨ててしまった書類ですが、その後その書類の再提出を求められたり、あるいは提出しなかったことによって何か不都合なことが起こったりしたことは、全くなかったそうです。
まあ、何人かの人に嫌われたかもしれませんがねー。

佐藤さんの講習に話を戻して。
人間関係とは、自分自身の相手に対する心の持ちようなんです。
相手を物としてみるか、あるいは人としてみるか、です。
物としてみれば、邪魔者扱いしたり、あるいは自分のために利用したりするでしょう。

そういう場合、いくら口で「ありがとう」とか「お願いします」と言っても、相手にはそれが心からの言葉ではないと分かってしまうのです。
であれば、協力しようという気は起きないのが当然です。
協力してくれないと、俺はこんなに丁寧に頼んでいるのにアイツは何だ!けしからん!ということになる。

つまり、悪いのは相手だ、ということにしてしまうわけです。
相手を悪者扱いにするわけですから、人間関係は悪くなって当たり前。
まともに一緒に仕事は進められませんよ。
こうなると、仕事が上手く行かなかった時に言い訳ができるよう、相手のあら探しばかりするようになるんです。
ちっとも生産的じゃないですよね。

でも、相手を人として認めたらどうでしょうか。
何か仕事を依頼するときでも、相手の状況を見て、無理のない頼み方をするはずです。
無理がなければ協力しようという気になってくれるものです。
相手がどんな状況か見もせず、強引に頼むからこじれるんですよ。

「ありがとう」の一言にも心がこもります。
そして相手が困っているときには、自分のできる範囲でその恩を返そうするはずです。
感謝の言葉にウソ偽りが混じっていないことが、ちゃーんと伝わるんですね。

で、ハッピーキャリアです。
相手を人と思わず、いがみあった状態で仕事をしても、それは自分のキャリアに繋がらないんです。
それはアンハッピーな仕事の仕方なんです。
自分を信頼してくれない相手を信頼なんかできないじゃないですか。
いがみ合いの中での仕事は、自己保身が最優先されてしまうのです。
そこには、「成長」はありません。

で、もっと恐ろしいことにハッピーキャリアを築けていない人は、家族、子どもにも害毒を垂れ流してしまうのです。
安岡正篤『人生の大則』プレジデント社¥1553-にこうありました。

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幼児は麻疹よりももっと恐れや怒り、憎しみや冷淡に感染しやすい。
自分が好かれているか、嫌われているかということに、子供は食物と同様に反応する。
一家の感情の中で自分の占めている立場をよく覚える。
親の精神状態はただちに子供に反応するのである。
特に親の怒りは子供に大きな衝撃を与える。
それが子供自身に向けられたものでなくても同様である。
怒りばかりではない。
感情の異常な表現は、これに接した子供に強い刻印を残す。
これがその子に後来思いがけない、あるいは原因不明のいろいろな疾病を発生させ、医者が、診断はついても治療しにくい悪疾重傷になるのである。(16p)
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確かに、ドメスティックバイオレンスを働く人は、社会的に成功していない、満足していない人が多いそうです。
あるいは、仕事に対して、会社に対して、社会に対して不満を持つ人の子どもは、不登校になったり、いじめにあったりすることも多い。
だから大切なんです、ハッピーキャリア。