2009年2月25日水曜日

ちょっとだけ余分にやってみよう!

こんにちは

兵庫県相生市の名産品に「うまいか」というスルメイカのフライがあります。
SPring8出張の帰りにしばしばお土産に買って帰ります。
これがめちゃ美味い!
おみやげのつもりが、これまたしばしば新幹線の中で完食しちまったりね。

この「うまいか」の製造元である湊水産のお嬢様が、なんとXFEL合同推進本部にいらっしゃることが判明。
さっそく工場直売価格で譲ってもらうことを交渉しちゃって、職場の友だちと共同購入することにしました。
まとめ買いで送料も無料にしてもらい、しかも製造したて、揚げたてのものを送ってもらいました。
揚げ物はやはり揚げたてが一番美味いですからねー。

日曜日に我が家にどかんと届き、月曜日に職場へと持っていく算段。
ところが月曜日は小雨降る天気。
いつも自転車で通勤しているのですが、雨の時は歩きです。
全部で10kg近い大量のうまいかを抱えて、雨の中約7kmの道を歩いて行きました。
あー重かった。
妻は「天気のいい日に自転車で持っていけばいいじゃないの」と言いました。
でも揚げたての美味しいうちに、みんなに食べてもらいたいからね。
喜んでもらいたい。
ぼくはこういう「余計なお世話」が好きなんですよー。

松永暢史『選ぶ女選ばれる男』ディスカバー¥1440-にこんなことが書いてありました。

###
創造性とは、何かを思いついて実行に移す力です。
この力は、何かをすることを思いつくことと同時に、そこに自分なりの工夫を付け加える力でもあると思います。
つまり、やや余分なことを実行に移す力ともいえると思います。
相手が、自分が願った仕事以上のことを実行してくれるとき、そしてそれがよいことである場合、私たちは、とても充実した気分を味わうことができます。
これはしなければならないからする「義務」の仕事を完全に凌駕するものです。(131p)
###

そうそう、誰かに喜んでもらうためには「ちょっと余分なこと」を付け加えるといいんですよね。
ちょっぴり工夫したりがんばっちゃったりして、相手の期待をちょびっと超える。
人はそういうことをしてもらうと、にんまりと嬉しくなるもんなんです。

仕事でも同じですよね。
頼んだとおり、契約通りの仕事は、やって当たり前で何の感動も生みません。
そこにちょっと「オマケ」が付いていると嬉しい。
期待していたものよりちょっといいものだったら、感動します。
ありがとうの言葉も生まれます。

ここで大事なのは、オマケはちょっとがいい、ってこと。
1%か2%、せいぜい10%くらいに止めるのがコツ。
20%も30%もやってはいけません。
出来ない人に限って、20%も30%も余分にやろうとします。
普段100%に達しないことばっかりしているので、汚名挽回のつもりなんでしょうか。
20%、30%のオマケを差し出しても、相手はあまり喜んでくれませんよ。

なぜなら、オマケもたくさんもらいすぎると心苦しいのです。
何か裏があるんじゃないか、魂胆は何だ、どこかに落ち度があるんじゃないか、と疑惑の気持ちも生まれます。
たとえ正当なものだったとしても、頼んだとおりにしてもらったらもっと安く買えたはずだ、と思われたりね。
ちっとも感謝されないことになるんですよ。
そうすると20%、30%の努力は無駄になってしまい、損してしまいます。

過剰な提供は相手に負担をかけます。
礼儀の基本は、相手に負担をかけないことなんです。
何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし、なんです。

世の中で仕事が上手い人、有能な人を観察してみると、このちょっとの「オマケ」の付け方が上手いんです。
1%か2%、せいぜい10%にオマケを止める。
この程度なら相手に負担をかけることがありません。
ありがとうと感謝される。
少ない努力で最大の効果を得ることができ、オトクです。

それにね、つまらない義務的な仕事でも、ちょっと工夫して誰かに喜んでもらうと、面白みが出てくるものです。
つまらない義務的な仕事を、面白みのあるものに変えることができるんです。
つまらない仕事を義務的にやることほど、ストレスになることはないですからね。
そういう仕事がいい仕事になるわけがありませんよ。
ちょっと工夫して、出来る範囲で努力して面白くやれれば、ストレスからも解放されます。
伸び伸びと晴れ晴れとした気分でやる仕事は、いい仕事へ育っていくものだと思います。

仕事だけじゃありません。
家事だって、子育てだって、ちょっと余分にやってみる。
そこにこそ自分だけにしかできないオリジナリティ=創造性が生まれるんだと思います。
そうして自分の価値を自覚でき、楽しく愉快な人生を創っていくことができる。

2009年2月24日火曜日

次世代育成と男女共同参画はどうつながる?

こんにちは

昨年播磨光源東小学校で出張授業をしました。
理研播磨研究所の広報事業の一環という趣旨でしたが、そのことが理研の次世代育成事業にもなっているということで、「男女共同参画便り」にも取り上げていただきました。
取り上げていただいて大変光栄に思いましたが、ちょっと引っかかりました。

 次世代育成と男女共同参画はどうつながる?

以来3ヶ月あまり、つらつらと考え続けました。
ようやく理解できてきました。
つまり、

 次世代を健全に育成することは、男女共同参画を促す
 男女共同参画を推進すれば、次世代は健全に育つ

ってことなんだと思います。

最近、ニートや引きこもりの若者が増えています。
不健全に育っちゃったってことです。
ニートや引きこもりの子どもを持ったお父さんやお母さんは、きっと子どものことが心配で、仕事に集中することができないでしょう。
子どもの世話をするために、キャリアウーマンだったお母さんは仕事を辞めなければならないかもしれません。
それは社会全体にとっても不合理なことです。

なので会社や社会としても、子どもが健全に育つよう支援する事業、たとえば出張授業を行うわけです。
それによって子どもに夢を与え、目標を与える機会を増やす。
夢や目標がある子どもは、努力するようになります。
きっとそう簡単にニートや引きこもりにはならないでしょう。

我が子が健全に努力している姿を見た親は、とても安心します。
自分もがんばろうと思うことでしょう。
安心して集中して働くことができるでしょう。

親ががんばっている姿を見た子どもも同じです。
親はもっとも身近な大人です。
親が夢や目標をもって、生き生きと社会参加している。
仕事に限りません。
おかあさんorおとうさんが専業主婦(主夫)だとしても、嫌々それをやっているのではない。
楽しそうに工夫しながら家事をこなし、余裕を見つけて趣味やボランティアにも没頭する。
それを見た子どもは、未来に希望を持てます。
そうすると、引きこもってなんかいられなくなるってわけです。

そのとき、我が子だけを健全育成しようと思っても上手くいかない。
子どもだって社会の中で生きているんですから。
周りの子がちゃんと生きているから自分もちゃんとしようと思うもの。
だから親も自分の子どもだけ見るのではなく、他の子にも目をかけることが必要。
それが必ず自分の子どもへと帰ってくるんだと思います。

我が家でやっている寺子屋も、そんな観点でも続けていきたいと思います。
職場や技術士会での出張授業も、積極的に引き受けていきたい。
何よりぼく自身が仕事を楽しみ、それを子どもたちに見せていきたいですね。

2009年2月23日月曜日

家事の技術

こんにちは

我が子はっちゃんやとっちゃんには、料理洗濯掃除など家事の技術にも長けるように育ってほしいと思います。
一人暮らしをしたときに、技術があればササッとやることができます。
めんどうなのは技術がないから、上手くできないからというのが大きな理由だからね。
もちろん家族を持ったときも、適切な家事分担ができるように。
イマドキ、家事もできずにふんぞり返っているだけのオトコは、女の子にもてないからねー。

勝間和代さんの本に、家事に必要な時間は「毎日4~5時間」だと書いてありました。
共働き家族の場合、この4~5時間を全部嫁さんにやらせたら、大変なことになりますよ。
朝、1時間早く起きて洗濯と朝食準備、帰宅してから夕食を作ったり洗濯物をたたんだりチャチャッと掃除したりで3時間。
これが平日の生活になるでしょう。
帰宅時刻が8時だとすると、家事をやるだけで11時を過ぎてしまいます。
朝も7時半に家を出るとしても、身支度も含めたら5時に起きないと間に合わない。
寝るのは12時、1時になっちゃうかもしれません。
これではまるで自分の時間が持てません。
夫婦の会話もできません。

幼い子どもでもいたら、もっと大変です。
幼い子どもを風呂に入れるなんてのは、一人でやるととても大変。
冬なら湯冷めしちゃいますよ。
ゆっくり風呂に入りたい~!というストレスが溜まります。
夫婦連係プレーでやると、ものすごい楽です。
一方が風呂の中、一方が風呂の外で作業すると、スムースに子どもを風呂に入れられます。

子どもの世話を全部嫁さん任せにすると、教育上もよろしくない。
つい些細なことでも子どもを怒ってしまうのは、気持ちと時間に余裕がなくなるからです。
いつもカリカリガミガミのお母さんになっちゃいますよね。

家事は休日だってやらなくちゃいけません。
休日分も嫁さん一人にやらせるとしたら、不当な搾取でしょう。
休日にも4~5時間家事があるなら、ショッピングに出かけたり、たまに友だちとランチを楽しんだりする時間もとれませんよ。
いくら頭が良くて稼ぎもあっても、そんなオトコとは結婚したくなくなるのも当然です。

亭主が家事を半分くらい分担できるなら、ものすごく負担は軽減できます。
朝も亭主が洗濯、嫁が朝食準備という具合にシェアすれば、30分~1時間遅くまで寝ていられます。
夜も適切に分担すれば、10時頃には寝ることができるでしょう。
休日だって家事負担が半減すれば、都心までショッピングやランチに出かける余裕も生まれます。
すると、気持ちにも余裕が生まれ、子どもにも優しく接することができるようにもなります。

専業主婦家庭だって、休日はイーブンだと思いますよ。
休日に亭主も家事をやって、女房の余裕を生み出すのは当然のことだと思います。
亭主だってたまの休日休みたいでしょうが、女房だって同じはず。
適度に家事をシェアし、お互い休める状況を作るのが正しいと思います。

何にしても、家事の技術があればこそです。
技術がないと、やりたくてもできない、やると反って足手まとい。
それじゃあ困ります。
徐々に、少しずつ、楽しみながら家事の技術を、はっちゃんとっちゃんにも伝授していこうと思います。
そのためには、ぼく自身も応分の家事負担をさらりとやり続けていく所存です!

2009年2月21日土曜日

報告をしよう!

こんにちは

SPring8キャンパス内に建設中のXFEL棟工事も、最後の追い込みです。
特に電気設備、機械設備工事は連日夜遅くまでの作業。
がんばってくれています。
さすがのフレンドリーなおしゃべり君も、口数が少なくなっていました。あははは。
まあ幸い優秀な若いスタッフなので、やり抜いてくれると思います。
人間って先の見える、終わる時期が決まっている地獄なら耐えられるからね。

ぼくは勤務時間以外はメールチェックしない方針です。
でもこのところは、時間外でも休日でもチェックするようにしています。
なぜなら、スタッフから以下のような報告が送られてくるから。

###
寒い中 コンデンサ試験立会いありがとうございました。

本日の送電報告致します。
テストスタンド室、組立調整室の盤まで
幹線送電しました。(LL-1、LP-1、LRM-1,2,3,4)
2次側送電はコンセント、電灯、ポンプ、シャッターを行いました。

以上です。
###

報告、それもいい報告をしようと思うと、実際の仕事も良いものになるんだと、ぼくは思っています。
いや、いい報告をしたいがために、いい仕事をしていこうという気になる。
報告にはそういう効能があるんですよ。
それを「活用」しないのは損です。

そしていつもいい報告をしていれば、たとえちょっと悪いことが起こってもすぐ報告できる。
報告癖がついていると、報告に対する敷居が低くなります。
九ついい報告をしていれば、一つくらい悪い報告があったって、へっちゃらだからね。
どんな人だって、どんな仕事だって、小さなミスはあり得ます。
そういうときにすぐ報告して、指示を仰ぎ、対処しちゃう。
初動が早ければ早いほど、傷は浅くて済み、早く治ります。

せっかくスタッフが、上手くいっている、嬉しい報告をしてくれているんです。
がんばっていることに対して、即座に返事しなくちゃね。
それが監督員としてのぼくの仕事だと思うし、礼儀だと思うのです。
ぼく自身、せっかくいい報告をしているのに相手から何も返事がなかったら、やる気なくしちゃうもん。
もうお前のためになんか仕事するもんかーー!!ってね。
なので、マメにメールをチェックするくらい、コストパフォーマンスを考えたらやらなきゃ損だぜー!

2009年2月18日水曜日

会議は短く

こんにちは

会議とはものごとを決定していくために欠かせないプロセスです。
判断のための材料を提示して、選択肢をいくつか作り、それらを組み合わせながら、みんなで知恵を絞る。
判断材料と判断に至ったプロセスをメンバーが共有する。
すると、結果だけ知らされて仕事をするよりも、趣旨を理解して仕事をすることができるようになります。
趣旨を理解してやる仕事は、よいアウトプットを保証します。
だから、会議は必要不可欠な仕事のプロセスの一部なんだと思っています。

ぼくは会議は好きですが、でも、いたずらに長い会議は好きではありません。
世の中には「会議は無駄」と言う人も多いのですが、それは会議が無駄なのではなく、無駄な会議をしているからダメなんです。
無駄な会議の典型的症状が、長い、ということです。
会議時間はできれば1時間以内、2時間までならまずまず、3時間を超えるようなら明らかに無駄会議と判断していいです。

なぜ長時間の会議になってしまうのか。
それは、判断が欠けているからです。
決まらないからみんなで悩む。
悩んでいる時間が、会議を長引かせます。

なぜ悩むのか。
それは会議の場に判断材料を提示しないからです。
選択肢を用意しないからです。
そういった前準備なしに会議を開くので、判断不能になってしまっているのです。
人間の脳は意外と賢くて、判断に要する時間はたったの0.2秒であることが、最新の脳科学で分かっています。
でもそれには条件があって、必要十分な判断材料があること、判断するためのロジックを持っていることが必要です。
ある程度の社会経験のある人なら、ロジックは持っているものです。
だから、必要十分な判断材料がそろっていれば、まず正しい答えを導けるんです。

なので、会議はただ人を集めるだけではいけないんですよ。
会議を招集する人は、判断材料を揃えるという前準備を念入りにやっておく必要がある。
そのための作業を忘れないことなんです。つまりCrawlですね。
ただ長いだけの会議を招集する人は、この作業がすっぽり抜け落ちているのです。
Crawlするには時間と労力を必要とします。

自分の手帳を見てください。
会議日程ばっかり書いてありませんか。
きちんと会議に向けて準備作業をする時間を、手帳に書いて、スケジュールを確保してありますか。

佐藤克文『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ』光文社新書\840-によると、アメリカの会議はとても短いそうなんです。

###
後の細かい具体的なことは、それぞれの支援スタッフに個別に聞けというわけである。
ミーティングに要した時間は、わずか30分ほどであった。
全員が顔をそろえている場において、特定の人が一部の人にしか関係ないことについて長々と説明し、とくに議論もなく延々と時間が経過していく、といった日本のスタイルに慣れ親しんでいただけに、その短さは衝撃的であった。(149p)
###

確かにその通りです。
日本の会議は、自分とは無関係な話が多すぎます。
それに「おつきあい」させられているんです。
なぜおつきあいしなくちゃいけないのか。
それは「念のため全員に聞いておいてもらった方がいいから」だったりします。
でもそれは、エクスキューズにすぎないんですよね。
ある事項について誰が責任者であり、関係者であるか、あいまいだからです。
たくさんの人を会議につきあわせておけば、何か不都合が起きたとき「あのとき会議で言ったはずだ」と言えるからです。
誰が責任者で関係者であるか明確にしておけば、無意味に無関係な議事につきあう必要がなくなります。

もう一つ長い会議の原因が、必要以上の細かなことまで打ち合わせること。
相手に任せる、任せてもよい部分まで、打ち合わせている。
細々した部分まで打ち合わせようとすると、打ち合わせることはいくらでも増えていきます。深入りしていきます。
どんなに深入りしても、際限がないものです。
結局、どこかで深入りをあきらめなくちゃいけないんです。
それをどこで仕分けられるか。
それが分からないから、細々したことまで打ち合わせている。
踏ん切りが付いてないんですよ。

会議も、リスクテイク、なんだと思います。
どこまで自分でコントロールし、どこから相手に任せられるか。
それぞれの責任と権限の範囲を明確にしないから、会議が長くなるんです。
相手に任せる、ということはリスクでもある。
細々したことまで打ち合わせないと気が済まない人は、そのリスクが恐いだけなんですね。

以上のような結果、会議が長くなり、Crawlする時間を相手からも自分からも奪い、判断材料もないまま悩み続け、でも締め切り日はやってきて、まともな判断を欠いたままいい加減な仕事をせざるを得ず、失敗に至る。

で、ぼくは長い会議を避けるためにどうしているか。
単純に時間を切ってしまうようにしています。
「今日の会議は11:30までに終わらせましょう」と、会議の冒頭で言ってしまう。
終了時刻を宣言しちゃうんです。
すると、その時間でできることも決まってしまいます。
判断できないときは、判断材料が足らないだけだから、次までに材料を用意するよう担当者に指示し、さっさと次の議事に移る。
時間がないと思えば、不要に悩まないようになるものです。

2009年2月17日火曜日

リスクテイクと交渉力

こんにちは

またまた、よく怒るぼくの元上司の話です。
この人はとても交渉力があります。
他部署とも、他社とも、たいてい上手く交渉をまとめてきてしまいます。
ほぼこちらの要求を相手に飲んでもらえる。
成功率9割以上ですね。

反対に、何度交渉に臨んでも失敗して帰ってくる人もいます。
相手に押し切られるだけ。
ちっともこっちの言い分を聞いてもらえない。
成功率1割未満。

この二人、いったいどこが違うんでしょうか。
元上司は確かに強面(笑)。天然の利を活かしていることも確かです。
飲み友だちも多く、人脈も広い。
でもそれだけじゃないみたいなんです。
よーく観察してみました。

交渉上手な元上司のやり方を観察すると、引くところは引いていることが分かりました。
相手の言い分もちゃんと認めて、相手の立場も保つような配慮がある。
そのために譲歩できるところはするんですね。
その代わり、自分の立場も相手に認めてもらう。
相手からも譲歩を引き出しているんです。
だから、お互いwin-winの関係になれる。
相手だって後ろには自分の会社や自分の部署という組織があるわけです。
自分の会社、組織に戻ったとき、体面を保たなくちゃならないし、おみやげも持って帰らないとなりません。

交渉下手な人のやり方を見ていると、意外と「強引」なんです。
自分の主張だけを押し通そうとするんです。
絶対に引きません。譲歩しないんです。
当然それでは相手は納得できませんよ。
交渉決裂は必然なんです。

内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川書店\1500-にこうありました。

###
すぐれたビジネスマンは「リスクを取る」と言いますが、凡庸なサラリーマンは「リスクを負う」と言うからです。
「リスクというのは負わされるものだ」というふうに思う人は、リスクをできるだけ回避しようとします。
確かにリスクは回避されますが、リスクを取らない人間は同時に決定権をも回避することになります。そういう人はビジネスには参加できません。
「俺がリスクを取る」と言った人がそのビジネスに関する決定権を持ち、リーダーになるのです。
「リスクを負いたくない」と言ってリスクを取ることを忌避して、決定権を他人に譲った人間はレイバーを担当するしかありません。
ビジネスとレイバーの差は、ですから常雇いか臨時雇いの違いでも、時給やポストの格差でも、資本金の規模でもありません。
その人が「リスクを取る」という決断をできるかどうか、その一点にかかっています。(72p)
###

譲歩することは、リスクを取ることでもあるんですね。
相手に譲ることができるということは、自分も不利益を覚悟するということです。
譲歩したからには、そこに責任も発生します。
自社、自部署に戻ったとき、その譲歩が正しかったことを同僚、上司にも納得してもらわなくちゃいけません。
下手すると責任問題にもなりかねないことなんですよ、譲歩って。
それだけの覚悟があるのかどうか。

相手がそこまでの覚悟をしたとき、自分も自分の責任の範囲で覚悟しようと、人は思うものです。
だからお互いに譲歩しあえ、交渉も成立するのです。
それが、交渉の「原理」なんだと思います。

交渉下手な人は、あんがい無責任なのです。
無責任だから、リスクを取れない。
無責任だから、譲歩できないんです。
それは自分の権限と責任の範囲を自覚していないということでもある。
相手が覚悟する気がないのなら、こっちだって覚悟なんかできませんよ。
言い分を聞こうという気もなくなるのは当たり前なんです。

リーダーになれる人は、交渉も上手くいく。
それは、リスクが取れるからなんですね。

2009年2月16日月曜日

Googleと脳

こんにちは

Googleって便利ですよねー。
調べたいことがあったら、今や百科事典より先にGoogleです。
キーワードを打ち込めば、瞬時に関連するホームページを探してくれる。
便利、便利。
Googleで調べることを「ググる」なんて言うんだそうです。

昨日、医療放射線被曝について調べようとググってみたら、なんとぼくのブログが引っかかりました。
それもかなり上位で。
自分の書いた物をより詳しく調べようとしてググったんですが、自分のブログが検索されちゃうとは。。。
ぼくのブログは開設してまだ数ヶ月ですが、もうGoogleでも検索されるようになっているのでビックリでした。

西田圭介『Googleを支える技術』技術評論社¥2280-を読みました。
この本に、なぜGoogleはこんなに素早く検索ができるのか、その仕組みが書いてありました。
Googleの検索エンジンは、もちろんコンピュータで構成されています。
そのコンピュータは、三つの部分から構成されているのだそうです。

 ・検索サーバー
 ・データベース(インデックス)
 ・バックエンド(クローラー)

普段ぼくらがググるときは、検索サーバーに接続します。
検索サーバーの後ろには、既に必要十分なデータベースが存在しています。
検索サーバーは、既にあるデータベースから検索結果を引き出してくるだけなんです。
だからあんなに速く検索結果を表示できるわけです。

では、そのデータベースを作るのはどうやっているのか。
バックエンドというコンピュータが、世界中のホームページを自動的に見て回っては、ダウンロードしているのです。
意外と泥臭いやり方なんですね。
バックエンドは別名クローラーとも言います。
水泳のクロールと同じスペル、crawlです。
crawlは、バタバタはい回る、という意味もあります。
まさに、クローラーはインターネットの広大な海の中をバタバタはい回って、データーを集めてきているのです。

そして集めてきたホームページからキーワードを抜き出して、インデックスを作り、データベース化するわけです。
いったんデータベースができあがれば、それをコピーして世界中の検索サーバに配信します。
検索サーバーには、検索キーワードとデータベース化したインデックスを関連づけるソフトウェアが入っています。
つまり、ロジックが組み込まれているわけです。
検索サーバーはそのロジックとデータベースを使って、ユーザーに検索結果を即座に投げ返しているというわけなんです。

今はめったにありませんが、昔はググった結果のURLにつないでみると、既にそのホームページが存在しない、なんてことがありました。
それは、データベースが古くなっている、ということを示しています。
つまり、データベースを作成するには時間がかかっているということです。
クローラーがデーターを集め、データベース化するには、たとえコンピューターが自動的にやっているとは言え、ある程度の時間がかかるものなのです。

Googleの仕組みがここまで分かって、なんか脳と似ているなと思いました。
脳は「メモリーベイスドアーキテクチャ」です。
記憶に基づいて思考する構造、なんです。
脳の判断時間はたったの0.2秒、とても速いんです。
でも素早い判断をするためには、記憶というデータベースの蓄積があり、思考のやり方、すなわちロジックが備わっている必要がある。
脳はデータベースとロジックで思考しているのです。
まったく、Googleと同じです。
もしかしたら、Googleは脳に倣ってシステムを設計したのかも知れません。

人間もその記憶、データベースを作り上げるには時間と労力がかかります。
子どもの頃からコツコツと勉強し、経験を積み重ねる。
そして大人になってからも、常に学び続けデータベースを更新していく必要がある。
古くなったデータベースでは、正しい答えを導けません。
それをやり続けた人が、瞬時に正しい判断ができるようになるわけです。
つまり、crawlですね。
勉強なんて時間と苦労を伴うことを地道にやり続ける忍耐力。
そのための時間を確保し、体力、精神力にも余裕を持ち続けること。
crawlするためには苦労もするって、オヤジギャグ??

2009年2月13日金曜日

権力欲一定の法則

こんにちは

ぼくは時々、縁薄い(笑)若い同僚に伴侶となりそうな男性、女性を紹介したりしています。
もちろんこれぞと思ったヤツだけですが。
先日もなかなかの好青年に出会ったので、「君、彼女いるの?」なんて聞いてみた。
「いないんですよー、関口さん誰か紹介してください」
「よろしい。ところで君、今いくつだ?」
「25才なんです。そろそろ結婚したいって思っているんですが、なかなか出会いがなくて」
「まだ25才なのか。なぜ結婚したいのだ」
「やっぱり20代のうちに子どもをもった方が、あとあと楽だと思いまして」
「うむ。君はまだ結婚には早すぎる。もうしばらく精進するように!」

ぼくは「35才成人説」を信用しています。
現代人は二十歳なんてまだまだ子ども、社会人として責任を持てるようになるのは35才くらいにならないと。
なので、結婚して子どもをもつのも35才を過ぎてからの方がいいんだと思っています。
いや、別にぼく自身がモテなくて35過ぎに結婚したから、自己正当化しているってわけじゃないですよ。。。

養老孟司さんの本に「権力欲一定の法則」というのが書いてありました。
人間というものは、特に男性は権力を誇示したい本性を持っているんです。
その量は、誰もが一定量持っている。
その権力をどこかで発露せずにはいられない存在なのです。
適切なところで権力欲を満たせばいいんですが、変なところで権力欲を満たそうとするオトコも多い。
たとえばDV(ドメスティックバイオレンス)とか、幼児虐待とかね。
あるいは、仕事上での弱い立場に対して下請けいじめとか。
どうしてこうなっちゃうのか。

DVやるような男性は、社会的に成功していない場合が多いのだそうです。
社会的に成功しているということは、そのポジションである程度権力を持っているということでもある。
課長や部長になって、部下を思うように動かしたり、動かない場合は怒鳴りつけたり。

もちろん理不尽に権力を使ったら、部下に嫌われて自分の業績でさえも悪くする恐れはありますが、適切にやれば十分自分の権力欲を満たせます。
部下からいい上司だと慕われれば、ますます権力欲を満たすことができます。
会社で権力欲を満たせれば、家に帰ってまで権力的になる必要はありません。
女房や子どもに優しくもなれるでしょう。

ところが万年平社員、ダメ社員だと、会社内で権力欲を満たすことができません。
自分の中の権力欲は発露するところを求めて、鬱積してしまいます。
ぱんぱんにふくれあがった権力欲は、ふくらませすぎた風船と同じで、弱い部分ではじけます。
すなわち家庭での弱者、女房や子どもに対して、その権力欲を満たそうとしてしまうのです。
このとき、強い女房だったりして家庭でも権力欲を満たせなかったとき、仕事で強者になれる下請けいじめに走るのかもね。

ここで、まだ20代の若者の話に戻します。
20代はまだまだ修業中。
35才までは仕事に熱中してみよう。
そうすれば、スキルも上がって、職位も上がる。
係長か課長くらいにもなれるだろう。
そこで権力欲を満たすことができるようになる。
そうすれば、女房や子ども、家族をもっても精神的に安定する。
いい亭主、父親にもなれるってもんだ。
まちがってもDVオヤジになんかならなくてもすむ。
もうしばらく、がむしゃらにやってみなさい。

2009年2月11日水曜日

会話量一定の法則

こんにちは

今ぼくが一緒に仕事をしているヤツに、とてもおしゃべりなヤツがいます。
よく言えばフレンドリー。
だわいない雑談をすることによって、親しくなろうという戦略ですな。

だけどちょっとうっとうしいのよ、ぼくとしては。
前置きが長い長い。
早く本題に入れ!って思ちゃう。
まー、彼の話の8割はどうでもいい話ですなー。
あはははは。

ぼくも雑談は好きな方です。
始業前にそのおしゃべり男と雑談しました。
彼はこんなことを言いました。

  工事も佳境に入って、残業も増えてきた。
  疲れて夜遅く家に帰る。
  翌日も朝早いので早く寝たい。
  でも、嫁さんがしゃべってくるんでかないませんわ。
  うん、うん、くらいしか返事できませんよ。

やっぱりー。
君、昼間しゃべりすぎなんだよ。
それに対して彼の奥さんは専業主婦で、引っ越したばかりでまだおしゃべり友だちがいない。
人間には「会話量一定の法則」というのがあるんだよね。
人間が一日に会話する量、語数はほぼ決まっている。
それを使い切ると、もうしゃべれなくなるんだ。

亭主は昼間沢山しゃべるから、残りの会話数が少ない。
女房は昼間しゃべっていないから、残りが多く、これを消費しないと安眠できない。
よって、君の家みたいな事態が発生するわけだ。

吉越浩一郎『残業ゼロの人生力』日本能率協会¥1400-にこう書いてありました。

###
もともと人間が話す言葉の量というのは決まっていて、仮にそれを一日一万語とすれば、夫は会社で九千九百語を話してしまいます。
ところが、昼間話し相手のいない妻は一万語がそっくりそのまま夜まで残っていて、それを帰宅した夫に向けてぶつけてくるので、夫は、家庭ではひたすら聞き役に回らざるを得ません。
ただ、問題は話すのと聞くのはシンクロしていて、聞くのも一万語が限界だという点。
すなわち妻が夫に向かって一万語しゃべっても、100語を越えると夫の耳は自動的に閉じてしまうのです。
だから、家庭では夫は無口で妻はよくしゃべり、しかも情報共有がまるでできないということになるという話を、何かで目にしたことがあります。(178p)
###

そう考えると、会話もある意味「資源」なんですね。
だから、大切に有効に使わなくちゃいけない。
どうでもいい雑談で無駄に消費してしまうのはダメなんです。

もちろん雑談もコミュニケーションのために必要ですよ。
人と人との潤滑油として、雑談もなくてはならないものです。
でも無制限にしてはいけない。
女房と、家族とのコミュニケーションのためにも、残しておかなくちゃね。
だって、女房や家族とのコミュニケーションも、亭主にとって大切なことだからね。
まー、一万語のうち半分の5000語くらいは残しておこうかな。

おしゃべり男の彼も、あんがい雑談を減らすだけで残業1時間くらい減るかも。
そうしたら早く家に帰って、残った会話量を有効に使って、女房や子どもとおしゃべりも楽しめるってわけです。
さあ、男は黙って仕事、仕事!!

2009年2月10日火曜日

稼げる人になる!

こんにちは

我が家は本多静六に倣って、「1/4貯金法」を実践しています。
給料手取りの1/4は、必ず貯金に回すんです。
その残りで一月暮らす。
毎月の暮らしはあまり余裕のないものになりますが、質素倹約に努める習慣ができます。
いざ職を失っても、1~2年なら暮らしていけるだけの蓄えもできます。
質素倹約が身に付いていますから、少ないお金でも暮らしていける。
それが精神的余裕を生むわけです。

とは言え、普通預金の残高が減ってくると、結構夫婦げんかになったりします。
特に、残高がクレジットカードの引き落とし額よりも下回ったとき。
「こんなに引き落とされるのは、よっちゃんが本を買いすぎるからだ!」
「そんなことないだろう、それより晶ちゃんがしょっちゅう友だちとランチとか行くからじゃないの!」
なーんて。

残高が足らなくなる原因ははっきりしていて、ぼくの出張旅費の振り込みが遅いってこと。
それも、1回の出張ごとパラパラと不定期的に振り込まれる。
ぼくは毎週出張していますから、毎月20万円ちかくかかります。
出張に大金を持って行くのは嫌なので、電車賃などはクレジットカード払いにします。
すると、毎月のカード引き落としがかなりな金額になるわけです。
旅費が振り込まれる前にカード引き落とし日が来ると、我が家の普通預金は赤字印刷になってしまうというわけなんです。

勝間和代『日本を変えよう』毎日新聞\1500-に漫画家西原理恵子さんとの対談が載っていました。

###
西原 うち、子どもが「おかあさん、お金とぼくらと、どっちが大事なの?」と聞くんだけど、「両方」って答えるんですよ。
だって金なきゃさあ、親が人じゃなくなっちゃうもの。
自分の親がね、金がなくてホントいやなケンカをしていたんです。
数万円で殺すのなんの言って。
人であるためにはお金が必要。
だからお母さんは常に働くの。
だから私はあんたたちのためじゃないく、自分のために働いている、といつも言っているんですよ。(103p)
###

お金はそんなにたくさんは必要ないと思いますが、でも、あまりにないのもダメ。
精神的に余裕が無くなってしまいます。
ある調査によると、日本のサラリーマンの幸福度は年収と強い相関があるそうです。
年収1500万円までは、年収が上がるほど幸福度もupするんだって。

相関なので因果じゃありません。
年収が高いから幸福なんだってことかもしれませんし、逆に、幸福な人は年収も高いのかも知れませんけどね。
ともかく、お金に困らない程度は稼げないと人は幸せにはなれないんだと思います。
西原さんの言うように「人であるためにはお金が必要」というのも真理だと思います。

お金というのは社会の潤滑油、人と人とを結びつけるものでもあると思います。
悪用もされますが、上手に扱えれば幸せにもなれる。
稼げるということは、「人から求められる人物」ということでもある。
誰かが必要としているから、その対価としてお金も得られるんだと思います。
実力があって人から求められれば、感謝されつつお金ももらえるんです。
我が子はっちゃん、とっちゃんにも、稼げる人物になってもらいたいですね。

で、ぼくの出張旅費の件。
実務者のぼくは、ただ手をこまねいているだけじゃありませんよ。
人事の担当者と交渉して、月末に一月分まとめて振り込んでもらうようにしました。
会社にもメリットがあって、何度も振り込むより振込手数料と担当者の手間も減る。
双方、ラッキーなんです。
これで我が家の普通預金も赤字印字されることはなくなり、夫婦げんかも減りましたよー。
あはははは。

2009年2月9日月曜日

部活の効能

こんにちは

アイスレッジホッケーのオリンピック選手、大ちゃんと晩飯を食いながらおしゃべりしたとき、こういうフレーズが口をついて出ました。

 コミュニケーションすると、個性的になる
 コミュニケーションしないと、個別的になる

我ながらなかなか真理をついた言葉だと思います。

先日、SPring8で定宿にしている県立支援センターのお姉様と世間話したとき。
新しいアルバイトの若い子が来て、その子に仕事を教えているんだけど、それがものすごいストレスになっているんだとか。
話が通じないんだそうです。
いや、日本人同士同じ日本語を話しているんですよ。
でも通じない。
「何でそんなことも知らないの?」「どうしてそういう考え方するの?」と思うことがしばしばなんだって。
知らないなら教えればいい。
でも、考え方や感じ方は教えられるものじゃない。
なかなか話が通じなくて、ちっとも仕事は覚えてもらえないし、ストレスになっている。

このバイトの子も「個別的」に育っちゃったんでしょうね。
あまり人と関わらずに育ってしまったので、多くの人とつながるチャンネルがない、少ない。
コミュニケーション不全です。

話は変わって、昔から今も変わらず運動部の学生は就職に有利です。
先輩後輩縦関係に慣れていて、従順な企業戦士に向いているから、というちょっとネガティブな理由もあるでしょう。
でも、しっかりしたコミュニケーションをしてきたから、という意味も大きいのだと思います。

勝間和代/福沢恵子『会社でチャンスをつかむ人が実行している本当のルール』ディスカバー¥1440-にこう書いてありました。

###
子どもの頃、女性はままごと遊びやあやとりなど、勝ち負けの決まらない遊び方をすることが多いのに対し、男性は地元の野球チームやサッカークラブに参加することによって、チームワークについて、子どもの頃からさまざまなことを学びます。
たとえば、チームにおいては個人でできることには限界があって、チームのためには自分を犠牲にしなければいけないこともある。
コーチの言うことはたとえ間違っていたとしても尊重しなければいけない。
試合で負けることがあっても、負けてすべてを失うのではなく、負けから学べることはたくさんあるので必要以上に落胆してはいけない。
試合で勝つことがあっても、それは必ずしもこちらが優れているからではなく、相手が弱いから勝つこともあるのだから、勝敗に一喜一憂してはいけない、等々。
このように多くの大切なことを、男性はチームスポーツを通じて学んでいくのです。(104p)
###

組織として仕事をする上で、部活の経験は実際上役に立つってことですね。
チームワークが大事。
勝つためにはあるところでは自分を抑える必要があったりする。
時には、自分一人でも敵陣につっこんでいってゴールする必要もある。
組織の中でその時々、自分の役割は何かを考えながら行動する習慣。
それを理解するために、言葉でのコミュニケーションはもちろん、場の雰囲気を感じる力も必要です。
部活はそういう能力を身につけさせてくれるんですね。
サッカーのオシム監督も、日本の学校の部活システムは世界に類のないよいシステムだ、と言っているそうです。
運動部でなくても、吹奏楽部や器楽部など、文化部でも団体で何かをする部活もいいです。

ぼくの職場でも、一流の研究者、上級官僚の事務屋さんは、部活をやっていたり器楽をやっていた人がとても多いんです。
勉強だけして一流大に入っただけの人は、社会の中では二流にしかなれないみたい。
勉強ももちろん大切ですよ。しっかりやるべきです。
でも、部活も十分楽しめるだけの余裕があるといいですね。
何事も合理的にてきぱきとやり、スイッチの切り替えも上手い。
我が子はっちゃん、とっちゃんにもそういう人になってほしいなー。

我が家の寺子屋の目的のひとつも、コミュニケーション。
一緒に遊ぶことによって、コミュニケーションが増えるわけです。
時には我慢、時には自己主張。
このバランスが大切だと思っています。

2009年2月8日日曜日

Giveするから仲間もできる

こんにちは

仕事ができる人って、何やらせても速いですよね。
バーーーッとこなしているので、見ていてすがすがしいくらいです。
何事も速いので仕事量(=アウトプット)もそれだけ多くなります。
仕事の質も、どの程度の品質を求められているか的確に掴んでいるので、品質を下げすぎてお釈迦仕事にもしないし、品質を上げすぎて無駄な時間も使わない。
合格点よりもちょい上くらいに仕上げる。

自分たちの係だけでは解決できない問題があるとき、ぼくの部下に違う係の人に教えてもらうよう指示します。
すると相手の係の誰に質問に行くか観察するだけで、その部下の能力も判ってしまったりします。
ダメな部下に限って、相手の係の最も暇そうな人に質問しているのです。
聞かれた相手もよく分からないらしく、あれこれ二人で調べ始めています。
聞かれた方も親切すぎるくらい調査につき合ってくれますね。暇だから。
終いにゃ、二人して首かしげて悩んじゃったりして。
あーおもしろい!
ぼくはにたにた笑ってそれを観察しています(ぼくも暇なのかしらん??)。

1時間経っても解決に至りそうにないとき、部下を呼んで「Aさんに聞いてごらん」と指示します。
Aさんは相手方の係で最も忙しい人で、いつも発熱しそうに仕事をしていて近寄りがたい人です。
だから質問するのもちょっと勇気がいる。
馬鹿な質問するのは恐かったりします。

勇気をふりしぼって質問してみると「ああ、それならこの資料にあるよ」と、たった数分で解決してしまったのです。あっけないほどです。
部下には「誰に聞くかも仕事の能力のうちだよ」と教えます。
一見恐そうに見えても、礼儀さえわきまえていれば、忙しい人ほど親切なんですよね。

勝間和代/福沢恵子『会社でチャンスをつかむ人が実行している本当のルール』ディスカバー¥1440-にこうありました。

###
本当に優秀な人というのは仲間が多く、その仲間から、しっかりと情報を吸い上げています。だからといって、ふだんから過剰に群れているわけではありませんが、その人が何か事を起こそうとすると、すぐに仲間が現れて手伝ってくれるような仕組みを日頃からつくっているわけです。(102p)
###

そもそも「仲間」って何でしょうか。
字源辞典で「仲」の字を調べると<人と人をつなげる>という意味なんだそうです。
なるほど。
だから、困ったときに何か聞いてもすぐ返してくれるし、自分では分からないことなら「○○さんに聞くといいよ」と教えてくれる。
もちろん、自分も誰かの役に立っている。
だから「つながり」が維持され、そのつながりを日々広げていけるんですね。

2009年2月5日木曜日

リスクを取れ!

こんにちは

今、横浜研でも小規模な工事を実施しています。
ぼくはXFEL、次世代スパコンと大規模な工事の主担当をしているので、なかなか横浜研の工事にコミットする時間を取れずにいました。
横浜研の工事を担当する若い同僚には、「自分の権限と責任でどんどん決められることは決めてやること。それが施工する人にとって一番ありがたいことなんだ」と教えてきました。
もちろん、自分の知識と技術の及ばないところ、権限の及ばないところはいつでも相談しなさい、と。

まー、ところが決められないんだよねー。
ただただ悩んでいる。
仕事の効率を落とす一番のファクターは悩むこと。
悩んでいる時間は、何もアウトプットしないからね。

というわけで、時間をやりくりして横浜研に行きました。
せめてぼくの専門である電気設備関係は、すべて決めてきてしまおうと。
1時間の電気設備分科会でザクザクと指示を出し、全体工程会議でもしゃべりっぱなし。
半日の出張を有意義にできました。

工程会議の翌日、横浜研の施設係の方からこんなメールをもらいました。

###
関口さん(や佐藤さん)が会議にいるのといないのとでは、何故あんなに工程会議の雰囲気が違うのでしょう・・?
話のもっていき方がとてもスムーズで。
今更ながらですが、学ばせてもらいました。
###

嬉しいですねー。
佐藤さんというのは、例のよく怒る(笑)ぼくの元上司です。
ぼくは佐藤さんの自称一番弟子ですからー。

ぼくも佐藤さんも、会議とは「決定の場」であると認識しています。
そうじゃなきゃ、わざわざ時間をとってみんなで顔を合わせて話し合う意義がありません。
だから、決定しない会議は無意味なんです。
会議の時に「社に戻って検討します」なんていう人がいますが、こういう人はダメです。
会議に出る資格なし。
決定権があるから、会議に出席して意義ある議論ができるんです。

もちろん、自分だけで決められないこともありますよ。
でも決められることだってある。
自分で決められることも決めないとしたら、その人の能力を疑われます。
無責任なんです。
すなわち、決定できると言うことは権限と責任を持っている、ということです。

責任にはリスクも伴います。
決めたからには責任を持つという、リスクも背負い込むことになる。
それに耐えられるのかどうかです。
耐えられないから、決められないのです。
内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川書店\1500-にこうありました。

###
すぐれたビジネスマンは「リスクを取る」と言いますが、凡庸なサラリーマンは「リスクを負う」と言うからです。
「リスクというのは負わされるものだ」というふうに思う人は、リスクをできるだけ回避しようとします。
確かにリスクは回避されますが、リスクを取らない人間は同時に決定権をも回避することになります。そういう人はビジネスには参加できません。
「俺がリスクを取る」と言った人がそのビジネスに関する決定権を持ち、リーダーになるのです。
「リスクを負いたくない」と言ってリスクを取ることを忌避して、決定権を他人に譲った人間はレイバーを担当するしかありません。
ビジネスとレイバーの差は、ですから常雇いか臨時雇いの違いでも、時給やポストの格差でも、資本金の規模でもありません。
その人が「リスクを取る」という決断をできるかどうか、その一点にかかっています。(72p)
###

確かに英語では「リスクテイク」と言いますね。
リスクはデンジャー(危険)とは違います。
デンジャーは偶発的で不可避なコントロールできない危険です。
リスクは予め予測できるコントロールすることによって回避可能な危険です。

決定権を持つことは、リスクテイクする技量を持っているということなんです。
リスクテイクできることが、リーダーの役割であり資格である。
それが出来ない人は、レイバー(雇われ人、奴隷)にしかなれないんですね。
そしてそれは職位とか立場とか給料とかとは無関係なんです。
どんな職位であってもリーダーになれるし、レイバーに堕することだってある。
その違いは、リスクを取って決定するか、リスクを避けて決めないか、なんです。

さて今日もこれからXFEL現場です。
ザクザク決めてきます!

2009年2月3日火曜日

教わり上手になろう!

こんにちは

大学で、何十年も同じ講義ノートでただそれを読みあげるだけの授業をしている先生がいる。
それが学生たちから批判されたことがありました。
学生たちばかりじゃなく、ジャーナリストやマスコミまで批判していました。
まあ、確かに面白くない講義であるとは思います。
でも、ちょっと視点を変えてみるのもいいですよ。

そもそも何十年も同じ講義ノートで授業することは、悪いことなのでしょうか。
その講義内容がスタンダードな古典的、教養的な確立されたものだったら、そして先生が丹誠込めて作り上げた講義ノートだったら、何十年経とうが変わらなくて当然です。
むしろ、ころころ変える方が間違っています。

講義ノートをゆっくり読み上げる授業法も、間違いとは言い切れません。
大学レベルの授業では、昔は十分な教科書がなかったのです。
あるいは、苦学生が多く教科書を買えなかった。
それで学生は、先生がゆっくり読み上げる内容を、必死にノートに書き写したのです。

ただボーッとした態度で聴くだけではだらだらした退屈な講義でも、それをノートに書き写すとなるととても忙しい。
退屈なんかしていられません。
そうして書き写したノートが、その学生の教科書、財産になったわけです。

ぼくも実際にやってみたことがありますが、書き写すことは意外に勉強になるんです。
書き写すためには、聴いたことをいったん自分の脳を通過させることになる。
すると内容も理解しやすいし、記憶にも残る。

ぼくは仕事上、世界のトップレベルの研究者や、キャリア官僚の人と話をすることがあります。当然ながら、一流大卒です。
彼らのほとんどは、必ずノートをとります。
議論したことを、議論しながら、ものすごい勢いでノートに書いていく。
そのノートを見ると、ぼくがしゃべったことを要約もしないで、そのままの形で書き写していたりするんです。だから、下手なことは言えませんよ(^^;)。
ノートをとる訓練がしっかりとされているんだと思います。

そう考えると、何十年も同じ講義ノートでただそれを読み上げるだけの授業は、いい授業でもあるんですね。
悪い授業だと決めつけた学生やマスコミの方が、勉強のやり方を知らない、思い違いをしているとも言えそうです。

吉田武『中学生が演じた素粒子論の世界』東海大学出版会\1600-にこうありました。

###
最近では「あの先生は教え方が下手だ」なんてことを平気で言う人が多くなりましたが、先生の技量の問題以前に、その人自身の「教わり方が下手」な場合も多いものです。
ちゃんと教わる気もない人に、上手く教えるなどという魔法のような方法は、この世の中にはありません。(169p)
###

仕事をしていても思います。
教わり方が下手な若者が増えているように思うのです。
もはや中年世代にまで、教わり方を知らない人がいる。
彼らは「他罰的」なんです。

仕事上のことで注意したり叱ったりしたとき、「上司は機嫌が悪いんだろう」なーんて理解の仕方をする。
あるいは、「そんな言い方はないだろう」なんて言ったりね。
「ぼくを嫌いなんでしょ」だったり。
すべて自分の気持ちを主軸においているんです。

確かに機嫌が悪いときもあるし、下手な言い方をすることもあるし、そういうオレ様君が嫌いなことも確かです。
が、それでは自分にとって有効なサジェスチョンでさえ活かすことができません。
損なことです。
どんなに機嫌の悪い上司であっても、やっぱり部下に直してもらいたいことがあるから、わざわざ口に出して注意するわけです。
そこを理解しないとね。

もちろん、変なことも言われることもあるでしょう。
でもその中にも自分にとって役に立つことがあれば、そこだけでも受け入れる。
一部でもいいから受け入れて、行動に移してみる。
その様子を見れば、好ましく思ってもらえるはずです。
それが教わり上手ってことだと思います。

先生も教え方を工夫することが大切です。
上司も平常心を失わず、言い方にも注意することが大切です。
でもそれにも増して、教わり方も上手くなっていることが大切。
教わり上手はオトクなんですから。

インフルエンザ対処法

こんにちは

インフルエンザシーズンですね。
学級閉鎖、学校閉鎖になっている学校が多いらしいです。
我が家は子どもたちも含めて予防接種はしていません。
罹ったら罹ったで、しっかりした免疫を身につけるいいチャンスだ、と思っています。
そう思っているとインフルエンザも逃げていくんでしょうか、罹りませんねー。
我が家はみんな変わり者だから、流行には無頓着なんですよ。
あはははは。

さて、インフルエンザの予防のためには、帰宅したら「うがい」と「手洗い」が有効であると言われています。
流行には無頓着でも、我が家でもみんな実践しています。

風邪を引くとのどが痛くなったりしますから、うがいをする意味は分かります。
でも、手を洗うことがなぜ予防になるのかが分かりませんでした。
それも、ただ水で洗うより石鹸で洗った方が効果があるんです。

インフルエンザウイルスは、もともと渡り鳥の腸に住んでいるウイルスで、渡り鳥と共に日本にやってきます。
鳥の糞を介して、人間の口から感染します。
鳥の糞から遷ると言っても、まさか糞を直接口に入れるような、上を向いてぽか~んと口を開いている人はめったにいません。
どうやって遷るのでしょうか。

手はいろんな所を触ります。
人間は主に手を使って、いろんな作業をしているからです。
鳥の糞が飛沫になってくっついているものを、触ってしまう。
その手で食べ物をつまんで口に入れる。
普通はそんなふうにして感染してしまいます。
だから、外から帰ったとき、食事の前には手を洗うべきなんです。

また、ウイルスはその本体のDNAをタンパク質と脂肪でできたカプセルの中に入れて保護しています。
インフルエンザウイルスはカプセルのほとんどが脂肪分でできています。
さてここで石鹸の登場です。
石鹸は、油分をよく溶かすことができます。
水で流すだけでは落ちにくい、手にこびり着いたインフルエンザウイルスも、石鹸で洗えばDNAを保護しているカプセルが溶けてしまって死んでしまうというわけです。

外から帰ったらうがいと手洗い。
そして重ね着をしたり、足湯をしたりと、体を冷やさない工夫。
早寝早起きでしっかり休養をとり、快食快便で体力を付け、体に備わった免疫力を維持すること。
昔からやられているごくごく当たり前の「習慣」が、一番インフルエンザに効くみたいです。

インフルエンザウイルスの全表面の70%が脂質でできていることは、櫻井よしこ『世の中意外に科学的』集英社\1470-「ポリオウイルス撲滅の危険性」という記事に載っていました。
櫻井さんは、根路銘(ねろめ)国昭『ウイルスが嗤っている』ベストセラーズから引用したと書いてありました。

2009年2月2日月曜日

インフルエンザと天然痘

こんにちは

種痘法を発明し、天然痘の治療を実現したイギリスの医師エドワード・ジェンナー。
ぼくが子どもの頃、確か道徳の授業でだったと思いますが、ジェンナーが自分の子どもに注射をして効果を確認した、と習った記憶があります。
ところが、谷口克『免疫の不思議』岩波科学ライブラリー\971-を読んだところ、なんか違うんですよ。
最初の人体実験は、自分子どもではなかったそうなんです。

乳搾りの娘が天然痘にかからないことに注目したジェンナーは、先ずサラ・ネルムズという娘さんに牛痘を接種してみたのだそうです。
牛痘が人に感染しても、水疱はできるけれど重い病気にはならないことを証明してみた。

その次に実験したのは、自分の子じゃなくて、近所の少年ジェームス・ヒップスだったんです!
ジェームス君に牛痘を接種したあと、数ヶ月後にホンモノの天然痘を感染させてみた。
ジェームズ君はみごと天然痘を発症せず、種痘法の有効性を証明したんです。
これが真実の歴史!

それにしても、ジェンナーはどうやって他人の家の子どもを実験台にすることができたのでしょうか?
さらに、道徳の授業でウソを教えられちゃって今まで信じていたぼくって??
さらにさらに、そういうウソを教えちゃう道徳って道徳的なの?

それはそれとして、こうしてジェンナーのおかげで、天然痘ワクチンが発明されました。
以降、天然痘ワクチンは世界中の人々が接種するようになりました。
天然痘ワクチンを接種した人は、絶対に天然痘に罹患することはなくなりました。

さて、天然痘はウイルスによって感染する病気です。
天然痘は、1977年のソマリアにおける患者発生を最後に、それ以降世界中から天然痘患者はいなくなりました。
WHO(世界保健機構)によって、1980年5月に撲滅宣言が出されました。
日本では、1956年以降患者の発生はまったくなくなりました。

自分の肩を見てください。
肩にポチッとした注射のあとがあるかもしれません。
これは、天然痘ワクチンを注射したあとです。
注射のあとがあるかないかで、その人の年代が分かってしまいます。
どんなに若作りしていても、肩に注射のあとがあれば「あ、この人30歳以上だな」ってばれてしまいます。
日本では1977(昭和52)年以降、天然痘ワクチンの注射は行われていないからです。

ところで、インフルエンザもウイルスによって感染する病気です。
同じウイルスによる病気なのに、なぜインフルエンザは毎年毎年流行し、天然痘は撲滅できたのでしょうか。

一つには、遺伝子の変化があります。
インフルエンザウイルスは遺伝子の変化が早く、人間の体の免疫がそれに追いつきません。
ワクチンを作ろうにも、変化が早く、いろんなタイプのウイルスがいるので、どのタイプのインフルエンザウイルスのワクチンが効くのか、予想がつきにくいのです。
ところが、天然痘ウイルスは遺伝子の変化が全くないウイルスだったのです。
そのためワクチンが作りやすく、体の中に天然痘に対する免疫が作られやすかったのです。

二つ目は、ウイルスが感染する「宿主」の問題があります。
ウイルスはそれ自体では生きていけず、必ず他の生物に感染して増殖するものです。
インフルエンザウイルスは、人間の他に鳥や豚にも感染します。
むしろインフルエンザウイルスは、鳥や豚が本来の宿主であり、鳥や豚から人へと遷ってくるウイルスなのです。
インフルエンザワクチンを作るために、医学者は今年流行しそうなウイルスのタイプを予想します。
どうやって予想するかというと、渡り鳥を捕まえてその鳥が感染しているインフルエンザウイルスのタイプを調べるのです。
その調査結果から、今年流行しそうなインフルエンザウイルスを予想し、ワクチンは製造されるのです。
予想が当たれば、予防接種をしている人には免疫ができるので、インフルエンザに罹る確率は80%も下がるそうです。もちろん、はずれればダメなんですがね。

ところが、インフルエンザウイルスは人以外の生物にも感染するため、たとえ今年流行するタイプが当たったとしても、鳥にも豚にも予防接種するのは非現実的です。
家畜の豚ならやってやれないことはありませんが、すべての渡り鳥を捕らえて予防接種することは不可能です。
このため、インフルエンザウイルスは必ずどこかで生き残ってしまうのです。
それに対して天然痘ウイルスは、人にしか感染しません。

この二つの理由から、天然痘ワクチンは人にだけ予防接種すればいいことになります。
だから、世界中から天然痘患者が完全にいなくなったことで、天然痘ウイルスを撲滅したと言えるのです。

子どものワークライフバランス

こんにちは

我が家の寺子屋では、勉強時間を以下のように設定しています。

 学年×10分

100ます計算の生みの親である岸本裕史さんは、学年×10分間自宅学習する子は決して落ちこぼれない、と言っています。
ぼくが小学校教師をしていた経験からも、これは実践的に正しい法則だと思っています。
小学1年生なら10分、2年生なら20分・・・6年生なら60分、さらに中1で70分・・・中3で90分という具合です。

ここで大事なのは、だからといって子どもだけで最初から自宅学習はできない、ということです。
最初は親も一緒に勉強につきあってあげる必要がある。
少なくとも4年生まで、できれば6年生までは、親も家事の片手間でもいいから、子どもと同じ時間、同じ部屋にいることが大切です。
親が見ていてくれるから、子どもも安心して勉強できるのです。

それに加えて、子どもは勉強だけでは育ちません。
勉強は子どもの仕事ですが、仕事を充実させるためには「遊び」も大切なのです。
これもぼくの小学校教師の経験から言えることですが、勉強をよくやるクラスは、先生がよく遊んであげているんです。
自宅学習でも同じだと思います。
子どもによく勉強させたいなら、子どもと遊ぶ時間もきちんと確保する。

最近、「ワークライフバランス」という概念が職場に生まれてきました。
仕事と生活のバランスをとることで、両方のパフォーマンスがよくなるんだ、ということ。
ここでいう生活って何でしょうか。家事をすること、ご飯を食べること、寝ること、休養することでしょうか。
いえいえ、違います。
仕事の対語を考えてみるといいです。
実は、仕事の対語は「遊び」なんです。
家事をすること、ご飯を食べること、寝ること、休養することは、生活の基盤であり、欠かすことができないものです。
だから、これらと仕事をバランスさせるのはそもそもおかしい。
仕事とバランスさせるべきものは、遊びなんです。
遊びとは自分のやりたいこと、好きなことです。
ぼくが仕事以外で今やりたいこと、好きなことは、家族との団らんであり、子どもと遊ぶことです。

話を戻して、子どもの仕事は勉強です。
勉強をしっかりやらせたいなら、遊びもしっかりやる。
このバランスが必要なんだと思っています。
そして幼少であればあるほど、親と一緒に遊ぶ時間が必要なんだと思います。

我が家の寺子屋の開催時間は、1時間と決めています。
そのココロは、勉強と遊びのバランスをとるためです。
小学1年生なら親も毎日1時間は子どもの勉強のために時間を確保し、10分間読み書き計算の勉強をさせ、50分間一緒に遊ぶ。
2年生になったら学習20分、遊び40分。
3年生は学習30分、遊び30分・・・。
6年生になったら、親となんか遊ばなくてもいい。
というようにしていこうと我が家では考えています。

遊びネタとして、トランプやオセロ、将棋などを買いそろえつつあります。
我が家の4歳児はっちゃんには、このお正月からUNOを教えています。
ビデオゲームのようなひとりぼっちで遊ぶことはさせず、親も友だちも兄弟も一緒に遊べるネタをたくさん教えたい。
そしてそのための時間を確保する。
それが、我が家の寺子屋のもくろみなんです。