2010年7月28日水曜日

記録を取れ、論文を書け


こんにちは

ようやく加速器学会で発表する論文を書き終えました。
今年はXFELマシン交流電源について、電圧変動率を中心に報告しました。

電気品は使用電圧の範囲が決まっています。
電圧が高すぎても低すぎてもダメ。
どちらの故障や事故の原因になります。
家庭に配線されている電気は、電気事業法という法令で電圧の範囲が決められています。
100Vは「101V±6V」に、200Vは「202V±20V」と決まっているんです。
普通の人でも、高い電圧は危険なことは知っているでしょう。
高い電圧で、機器類の絶縁が破壊されショートしてしまう。
でも低い電圧も危険であることを知っている人は少ないようです。

電圧が低くなると、同じ電力を得るためには電流を増やさなくてはなりませんよね。
電力=電圧×電流ですからね。
電流が増えるとそれだけ機器が発熱します。
その熱によって機器が壊れてしまったり、時には発火して火災になることさえあります。

特にモータは電圧が低すぎると、回転が始まりません。
モータはスイッチを入れて回転し始めるときに、たくさんの電流が流れます。
これを始動電流といいます。
回転数が定格に近づくにつれて電流値も定格電流まで下がってきます。
ところが電圧が低すぎると回転がはじまらないために、いつまでも始動電流が流れ続けてしまいます。
たくさんの電流が流れれば発熱しますし、長時間それが続けば温度も上がります。
やがては電線が燃える温度まで上昇し、焼損、火災へとつながります。

加速器など精密機器も供給電圧の安定性が重要です。
もちろん焼損、破損しないためでもありますが、安定して稼働させるためです。
白熱電球だって、電圧が高いと明るく光り、電圧が低いと暗くなる。
一定の明るさで光らせるためには、一定電圧の電気を供給しなければいけないのです。
まして精密機械である加速器は、供給電圧が一定(ある範囲に入っている)じゃないと、所定の性能が出ないのです。
ぼくはXFELマシン交流電源を担当して造りましたから、電圧変動を抑えるためにいくつかの技術を組み合わせてそれを実現したんです。
それをレポートにしたわけです。
加速器の研究者は普通、与えられた給電電圧で運転したり、実験したりしているわけで、あまりソース側の電源設備のことは知らない。
だからぼくのつたないレポートでも役に立つんじゃないか。
そう思うのです。

でも普段の仕事をこなしつつ、家庭での団らんも確保しつつ、論文を書いていくのはやっぱり大変な「苦労」ですね。
それでもやり遂げると、気分はいいです。
書いてみるといい加減な知識も整理され、不足した知識も勉強しなおす機会になります。
自分の技術、腕も上がります。

苅谷夏子『優劣のかなたに』筑摩書房\1600-にこんなことが書いてありました。
生涯現役国語教師だった大村はまさんの言葉です。

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自分のやった仕事のいいところ--これはうまくいったというのを書き残しておく。
これは仕事に対する愛情ではないでしょうか。愛着のようなものです。
自分の仕事がとてもかわいくなって、そして、やっぱり腕前の上がることではないかと思います。
そうやって、自分で自分の仕事を愛するということが、結局いい仕事のもとになるのではないかと思います。
自分の仕事を愛して、自分の足跡を愛して、それをちょっとでも残しておけば、育てようとしなくても、そんなにまで仕事を愛している人は、どこか育ってくるのではないでしょうか。(大村、130-132p)
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記録をとれば、今どこまで進んでいて、これから何が必要となるかがはっきり見えてきます。
だから仕事の完成度も上がっていくわけです。
そればかりではありません。
記録をとることは、自分の仕事をかわいがることになるんです。
ぼくも教師時代はかなり授業記録を書いていました。
へたくそな字でそれを学級通信などで家庭にも伝えていました。
教師時代のことを今でもよく覚えているのは、やはり記録し続けたからだと思っています。
だから今も、まったく別な仕事をしていますが、基本は同じだと思って書き続けているんです。

自分の仕事をきちんと評価し、記録を取り、それを論文としてまとめる。
そうやって自分の仕事を愛することができれば、愛着も湧き、いい加減なことができなくなります。
よりいい仕事ができるようになるってわけです。
ちょっと大変だけど、やりがいのあることだと思っています。


写真は和光研に建設中の脳科学センターの新しい研究棟の模型。
真四角じゃない建物は初めてなので、このチャンスに構造の勉強もしています。

2010年7月26日月曜日

継続は人生の基礎


こんにちは

昨日はボーイスカウトビーバー隊の集会がありました。
集会の最後に隊長からはつき君は呼ばれました。
なんと「小枝賞」の授与。
4月に入団した子たちの中で1番乗りで受賞です。
ぼくもはつき君ももらえるとはまるで予想していませんでしたので、サプライズです。
はつき君は得意満面です。

が、なんで受賞したかはよくわからなかったみたい。
「今日も大きな声でお返事したからね。隊長の言うこともよく聞いたし」なんて言っていました。
錯覚するのも悪くないことです。
自分はデキルと錯覚する位の人が、本当にデキル人になれるわけですから。

実はビーバー隊の小枝賞はボーイスカウト活動にたくさん参加するともらえる賞なんです。
スカウト活動に参加する度に「葉っぱシール」を2枚くれます。
シールはビーバーノートに貼っていく。
そしてシールが10枚たまるごとに、小枝賞がもらえるんです。
小枝はアップリケになっていて、ビーバーの制服に縫いつけていく。
制服の小枝も、目に見える形でだんだん増えていくというわけです。

なーんだ、たくさん参加しただけじゃないか、と思うなかれ。
参加するのもけっこう「見識」がいるんですよ。
月2回程度とはいえ、スカウト活動に参加させるのも大変です。
それなりに家庭のスケジュールをスカウト活動に合わせなくてはなりません。
それぞれの家庭にはそれぞれの事情があり、スカウト活動日と家庭の行事が重なることだってある。
その時にどちらを優先するか、なんです。

三浦雄一郎『敗けない男の子にする本』主婦と生活社¥650-から引用します。

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学者にしろサラリーマンにしろ、その他どのような職業にしろ、男の一生とは「努力」して、その時点での一つ一つの仕事を「完結」させて、それを一本の太い縄につないで行くことの道程だ。
一つ一つの仕事を「完結」しえない人間が人に抜きんでられるはずはない。
「男なら今やっている仕事を完成させろ」と、子供には繰り返しいうべきで、子供はそうすることによって、強い意志と同時に内面的な成長もとげていくはずだ。(130p)
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我が家はなるべくスカウト活動を優先するという方針です。
だってその方が得だから。ぼくはプラグマティストですから。
だって人生の基礎は「継続」なんです。
やり遂げるためにはやり続けなくちゃならない。
その訓練をさせていくのが、親の務めだと思うのです。

スカウト活動も楽しみだけねらうなら、楽しそうな行事を選んで参加すればいい。
でもそれじゃあ損だと思うんです。
スカウト活動を通じて、継続の大切さを教えたい。
だから、家族のスケジュールもスカウト優先に組むんです。

スカウトもカブ隊、ボーイ隊になると、参加するだけでの賞はなくなります。
ある技能ができるようになったかどうかで評価されるようになる。
できるようになるためには、やり続けなくてはならないのは当然です。
やり続けるためには、スカウト活動に参加し続け、隊長やリーダーたちから技能を学んでいく必要があるんです。
だから、最年少のビーバー隊が小枝賞という参加賞を基礎にして子どもを褒めるのは、とても理にかなっていることだと思います。
継続こそ人生の基礎だからです。

三浦さんはこうも言っています。

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失敗とは、計画を途中で放棄すること(126p)
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たいていのことは途中であきらめないで、しつこくやり続ければ必ず成功するものなんです。
そういう訓練の場として、ボーイスカウト活動もやり続けていきたいと思います。
小枝賞をもらった帰り道、コンビニに寄ってはつき君の好きなおやつを買ってあげました。
家に帰ってそのおやつで家族みんなでお祝いしましたよ。
あ~、ハッピー、ハッピー!

2010年7月25日日曜日

親離れ、子離れ


こんにちは

はつき君が幼稚園の夏休み行事で、箱根へ宿泊学習に行ってきました。
金曜日早朝に出発、昨日土曜日夕刻に帰着です。
無事行ってこれて安心しました。
でも先生から「夜フリチンで寝てましたよー。ちょっとびっくりしました」って言われました。
家でもフリチンですから、仕方ないですねー。

金曜日の晩、はつき君がいない我が家はとても静か。
とんたんも遊び相手がいないから、静かなんです。
いつもは二人できゃーきゃー言いながら、戦いごっこしてたりしますからね。
「一人っ子の家庭はきっとこんなに静かなんだろうな」って思いました。
そして「まして子どものいない家庭は何も音がしないんだろうな」とも思いました。
我が家は子どもが二人いてよかったなー、と再認識しました。

チェスターフィールド『一人の父親は百人の教師に勝る!』三笠書房¥1500-から引用します。

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若者は、人よりぬきん出よう、輝こうとしなくてはならない。
機敏で、行動的で、何をするにも根気強くなくては。
シーザーも言ったように、「何かを生み出す行動でなければ、行動とは言えない」のだ。(23p)
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行動的であるということは、家にはいない、家から出て行くってことでもあります。
子どもは成長するにつれ、徐々に家から離れて行動するようになる。
そうしないと、機敏で行動的で根気強く育たない。
いつまでも家に縛り付けていては、子どもは育たないんですね。
可愛い子には旅をさせろ、と昔の人が言った意味がわかるようになりましたよ。

我が子たちは中学は全寮制の学校に入れたいと思っています。
12才から15才くらいの年代は、一度家から離れた方がよく育つと思うからです。
特に男子は、集団で規律ある生活をした方がいい。
甘えを自ら断ち切るために。

そうは思っても、我が子たちが家から離れたとき、静かになった我が家を想像するとやっぱり寂しいですね。
親も子離れの準備をしていかなくちゃいけませんね。

2010年7月24日土曜日

ロングレールのひみつ

こんにちは

暑いですねー。熱いといってもいいくらいの陽気。
この暑さで東北新幹線が一時止まったそうです。
レールの温度が65℃を超えたためとか。

レールは鉄ですから、温度が上がれば伸びます。
在来線のレールは継ぎ目にスキマを空けて温度による伸びを吸収していますが、新幹線のレールは「ロングレール」、継ぎ目無しなんです。

電車に乗ると、ガタンゴトンという音がしますよね。
これは、レールのつなぎ目にすき間があって、そこを通過するときの音です。
レールは25mの長さなので、一定の速さで電車が動けば、ガタンゴトンとい
う音もリズミカルに響きます。

しかしこれは騒音や振動の発生源にもなっているのです。
高速運転する新幹線では、レールに継ぎ目があると騒音、振動、安定性に支障が出ます。
そこでロングレールを採用しているのです。
だから新幹線は、ポイント切り替え場所を通過するとき以外は、ガタンゴトンという音はしません。

ところで最近、都心部の電車はガタンゴトンという音がしなくなって、とても静かでなめらかな乗り心地になったのに気づいていますか?
それは「ロングレール」という、新幹線と同じ<継ぎ目のない(少ない)>レールが採用されるようになったからです。
ロングレールは、25mのレールを溶接でつなぎ合わせて長~いレールにしたものです。
継ぎ目がないのでガタンゴトンという音を発せず、市街地の騒音対策にもなっています。

でも、ちょっと待ってください。
レールのつなぎ目にすき間があるのは、夏気温が暑いときにレールが熱膨張するための空間が必要だからのはず。
25mのレールは、夏冬の温度差で約10mmも伸び縮みします。
すき間がないと、熱膨張によってレールが伸びてぐにゃりと曲がってしまうはずです。
溶接しちゃって長くするのはいいのですが、熱膨張をどうやって吸収するのでしょうか。

実は、溶接の終わったロングレールは、火縄を配列し点火して<焼く>のです。
程良い温度になったときに、枕木にボルトでしっかりと固定します。
つまり、熱膨張して伸びた状態で固定するわけです。

枕木に固定された後、レールは冷めていきます。
温度の下がったレールは縮もうとしますが、枕木にしっかり固定されているため縮めません。
常温では、レールには常に縮もうとするストレスがかかっていることになります。
だから夏になって気温が上がってもそのストレスが解放されるだけで、レールは長くならないというわけです。

また、最近の枕木は、木ではなくプレキャストコンクリートという固くて重い材質でできています。
だから、ちょっとやそっとの力では動きません。
こうした技術も見逃せませんね。

先日の東北新幹線のレールの場合、焼いた温度よりもレール温度が高くなってしまい、危険度がたかまったということなんでしょうね。
東海道新幹線や山陽新幹線では問題にならなかったのは、こちらはもともと高い温度で焼いて設置してあるからなのでしょう。


前々から新幹線に乗るたびに<ロングレールはどうやって作るのか?工場で作ったとしたら運んでこれないなあ?>と疑問に思っていました。
また、熱膨張の問題をどう解決しているのかも疑問でした。
西鉄電車のホームページを見たら疑問が解けたので、コラムにしてみました。
http://www.nishitetsu.co.jp/train/koumu/rong_reil.htm

2010年7月22日木曜日

経験は意図的に積め


こんにちは

「よくそんなに覚えていますね!」
新しい研究棟の建設を担当する方たちを、既存の研究棟へ案内したときそう言われました。
温故知新は何事でも大切ですから、新しい建物を建てるときはしばしばスタッフを引き連れて、既存の同種の目的の建物に案内して、いいところ、悪いところを説明するんです。
この分野の研究棟の目的はこうで、こんな実験を行うから、施工ではこういうところを注意してほしい。
機械室や電気室、実験室へ案内しながら説明します。
もちろん失敗したところ(設計時、建設時はわからなかったけど、運用してみたらちょっとまずかったところ)も説明します。
今の仕事はこれまでよりも少しでもよいものにするためです。

経験は意図的に積む。
ぼくの尊敬する国語教師である野口芳宏さんの言葉です。
ぼくの座右の銘のひとつになっています。
頻繁にこの言葉を口に出したり、書いたりして、実践に活かすようにしています。
もちろん今一緒に仕事をしているスタッフたちにも、何度も繰り返して伝えます。

つまり、ぼくが施設のことをよく覚えているとしたら、この繰り返ししゃべったりすることがその理由です。
復習する機会を自ら作り出すようにしているんですね。
何度も何度も書いたりしゃべったりする。
現地に何度も足を運び、それを説明することを何度もやる。
同じことを何度も繰り返せば、誰だって覚えちゃいますよ。
それに説明しながら自分もよく理解していないことがあったら、あとでこっそり勉強し直したりね。
そしてそれをまた、さも前からよく知っているような顔をして得々と説明する。
そうやって記憶に定着させてきたんです。

芦永奈雄『本当の学力は作文で伸びる』大和書房¥1500-から引用します。

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伸びない人というのは、一度やって理解したら終わり、とやってしまう人。
理解すれば力になると思い込んでしまう人ですね。
違います。
伸びる人はここがしっかりできているのです。ちゃんと復習をします。
「理解すること」は「力になること」ではありません。やっと前提にたどり着いたという状態です。(略)
「分かる」ということは前提で、実践しないと力にはなりません。(120p)
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そう、意図的に経験する、とは経験を体に染み込むまで「復習」することなんだと思います。
何度も何度も繰り返して、自分の血肉にしていく。
このことをきちんと身に着ければ、将来も役に立つぞと思うことを経験したとき。
その経験を繰り返し反芻する機会を自ら作るんです。
何度も人に説明してみる。
そのために時間を見つけては現地に連れて行く。

先日プレス関係者にスパコン棟を説明する機会がありましたが、それも同じですね。
チャンスがあれば「ぼくがやりますよ!」と手を挙げる。
やらせてもらうことによって、経験値を上げるんです。
めんどうだなんて言っていたら、経験は意図的になりませんよ。
確かにめんどうなんですがね、ラクして損するな、なんです。

ぼくは経験を意図的にするために「力業」も使っちゃいます。
それはどの分野の研究棟であろうと、<同じ思想>で造ってしまうんです。
各実験室の床面積あたりの電源容量、幹線の需要率、変圧器の不当率。
これまでいろんな研究棟を造ってきた経験から、こうすればまず失敗はないというものがあるわけです。
新しい建物を造るときも、同じパターンで造ってしまう。
そうすればそれ自身が繰り返し、復習になります。
もちろん研究分野によって微調整は必要ですよ。
でも基本思想がしっかりしていれば、微調整にだけ時間と労力を使って考えればいい。
微調整部分だけ長く深く考えて造れば、当然それも覚えちゃいますよ。
建物が出来上がって誰かを案内するとき、すらすら説明できちゃうのも当然でしょ。
つまりは、経験を意図的にするために自分をディレクションしちゃう、方向を着けてしまうってことです。


昨日は電気技術者協会の見学会で、ウィンド・パワー・かみす風力発電所を見てきました。
日本で初めての本格的洋上風力発電所です。
面白かったなー、好奇心満たされました。
チャンスを見つけていろんな施設を見に行くのも、経験を意図的にするためのひとつの実践です!

2010年7月21日水曜日

時には深く長く考えてみよう


こんにちは

ぼくは時々、教育雑誌や技術誌の原稿を書いたりします。
今は加速器学会での発表論文を書いている最中。
毎朝エッセイを書きまくっているぼくですが、それなりにウンウンうなりながら書いています。
数ページの論文を書くのに、1週間くらいかかってしまいます。
でもそれがいいんですよねー。

芦永奈雄『本当の学力は作文で伸びる』大和書房¥1500-にこうありました。

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作文で伸びるためには、「どれだけ書いたか」よりも「書くためにどれだけ深く長く考えたか」ということの方が重要です。(232p)
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芦永さんの教育法は、作文を週1本書かせる、というシンプルなもの。
たったこれだけのことで、国語力はもちろん算数や理科社会まで成績upするんです。
不思議でしょ。
その秘密は、それが深く長く考える訓練になるからなんですよ。

ポイントは、週1回だけ、ってことです。決して毎日じゃない。
ぼくのエッセイもそうですが、毎日書くものには深みは生まれません。
毎日書くのは「筋トレ」みたいなものです。
ダンベルを素早く繰り返し持ち上げて筋力を付けるようなもの。
基礎訓練ですね。

こういう練習も大切ですが、それだけじゃいけないんです。
書く作文は週1回に限定する。
すると深く長く考えるようになるんです。
面白く読んでもらうには、どういう内容を、どんな展開で書いていこうか。
面白くするためには、あの内容をもう少し調べて書いた方がいいな。
書き出しはこうしよう、オチはこうつけよう。
などなど。
1週間を通じてずーっと、あるいは断続的に考え続けるわけです。
それが知能を伸ばすんです。
知能が伸びれば、学力も向上するのは当然なのです。

この作文訓練法、我が子たちが4年生くらいになったらやってみたいと思います。
4年生くらい、10才になると思考力が発達してきますからね。
3年生までは語彙を増やすため、たっぷり本の読み聞かせをしていこうと思っています。
語彙が豊富であれば、この作文訓練で深く長く考える機会を与えることができるようになるはずです。
とても楽しみです。

大人も時々、そういう訓練はした方がいい。
なのでぼくは原稿を書いたり、論文を書くことにも挑戦するわけです。
書き終わったときには、知識も整理され、確実に実力が向上した実感を持てる。
これがなかなか気分いいんですよ!

2010年7月20日火曜日

ダブルスキンを体感する


こんにちは

先週末、神戸スパコン棟プレス公開がありました。
ぼくは建物の説明役を仰せつかりました。
1ヶ月ほど前にこのご指名があったとき、既に別の打ち合わせの予定が入っていました。
でもめったにないチャンス。やりたかったんですよ、説明を。
別の打ち合わせの方をやりくりすることにしました。

そのため公開の前日は忙しかったですよー。
予定を詰めまくりましたからね。
朝からコジェネ工事の打ち合わせとスパコン開発グループとの打ち合わせ、終わるとすぐ神戸研に移動してiPS棟工事の打ち合わせ、それも手早く終わらせまたスパコン棟へ移動して関西電力さんと打ち合わせ。
かなりヘヴィでしたよー。
でもすべて夕刻までに終わらせることができ、晴れ晴れした気分になりました。

翌日、プレス公開の日はきちんとネクタイを締めて行きました。
いや、以前同僚だった事務方のチームリーダーから「いくら何でも作業着に首タオルは止めてくれ」と言われたからなんですけどね。
集合時刻の1時間前に行って、案内ルートを一巡しました。
それぞれの説明ポイントで何をしゃべるか考え、ルート図にメモ書きです。
スパコン棟を効果的にアピールするために、何を話すか考えるのも楽しいこと。
準備万端です。

午前の公開もつつがなく進んだはずでしたが、ちょっと混乱も。
参加者が多かったので2班に分かれて別ルートで見学していただきましたが、ちょうど中間点、同じ場所で両班がバッティング。
急遽ぼくの引率する班は先に研究員室を見てもらったりして混雑緩和。
臨機応変です。
午前の見学終了後の反省会で、混乱の原因が明らかに。
ぼくの各所での説明がちょいと長すぎて、本来だったら重ならないはずの場所で両班が重なってしまった。。。
チームリーダーから「関口はしゃべるのが能だとは思うけど、もうちょっとスケジュールも気にしてよ」なんて言われちゃいましたー。
あはははは。

午後の公開はその反省も込めて、テキパキと。
ここで愉快な経験をしました。
スパコン棟の研究ゾーンは真西に向いています。
そのため強い西日の影響を受ける。
スパコン棟はそれを考慮して、外壁をダブルスキン構造で造りました。
ダブルスキンとは、外壁を二重にして、その二重空間を自然換気することによって壁面が直射で温められるのを防ぎ、室内の熱環境をよくする技術です。
午後の公開時には梅雨も明けたんでしょうか、空は晴れ渡り、外壁に強い西日が当たっていました。
チャンスです。
普通の建物の西面は、直射が当たると室内の壁が熱くなります。
記者の方たちに「壁を触ってみてください。熱くないでしょー」と言いました。
ダブルスキンの効果を体感してもらえました。
記者の方たちも「おーーー、なるほどー!」と驚いてくれましたよ。
よかった、よかった。


写真はスパコン棟ダブルスキンの外壁。
通常のダブルスキンとはちょっと違います。
ユニークな工夫を加えてある。
その秘密はまたいずれ。

2010年7月13日火曜日

変人の生きる道

こんにちは

「やった!勝ったわ!」
先日、ある私立小学校の見学会に行ったとき、妻の晶ちゃんが言いました。
何が勝ったかというと、背の高さ。
晶ちゃんの身長は168cm。女性としては背が高い方です。
実は学習院初等科の学校見学に行ったときに、参加しているお父さん、お母さんの背の高さに圧倒されてきたんです。
一流校へ子どもを入れる親は皆背が高い、という印象を強く持った。
三高と言われるように、背の高さと学歴の高さと収入の高さには強い相関があることは、統計的に証明されています。
学習院初等科では、168cmの晶ちゃんでさえ「平均」だったのです。
これじゃあ勝てないな、と思った。
ところがこの小学校では、参加しているお母さんたちの中では晶ちゃんが一番背が高かったわけです。
合格間違いなし、と思えたんです。
それで勝利の雄叫びとあいなったわけです。
まー、親の身長で合否が決まるわけじゃないんですがねえ。。。
我が妻も、相当変わり者ですなー。
あはははは。

ぼくは日本でもトップレベル、世界でも健闘している研究所に勤めています。
観察してみるに、トップレベルの仕事をする人はやっぱり個性的、変人です。
新しい科学を切り拓くのですから、常識を疑えなくてはいけません。
かなりの変人じゃなくちゃ、それはできませんよ。
ぼくも自他共に認める変人の一人ですが、楽しくやってこれたのは我が社に変人を認める風土があるからでしょうね。
教師業界ではぼくは長く勤めることができませんでした。
そこではぼくは変人過ぎて生きていけなかったんでしょう。進路を間違えたのかもしれません。
で、我が社の変人たち、当然ながら高学歴です。

海老原嗣生『学歴の耐えられない軽さ』朝日新聞出版¥1200-にこうありました。

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企業が強い生命体であるためには、異分子、異能者も小数必要となってくる。
この異分子、異能者もえてして難関校出身者から現れやすい。(略)
多少変わっている人間も「蛮勇がある」という表現になり、合格と相成る。
そう、学歴があることで、人物選考が甘くなる。
そのことにより、企業に一穴あけられるような人材が、一定数うまく採用できていく。(64p)
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我が社の変人たち、学歴がなくて普通の会社に勤めたとしたら、そこで上手くはやっていけなかっただろうと思います。
個性が強すぎて、次第に社内からつまはじきにされてしまったでしょう。
どこの会社に勤めても同じで、やがては社会から排除されてしまう可能性も大きい。
でも学歴が高いなら、異能者として生きていけるし、活躍もできる。
学歴が高いので、表だってバカにしたくてもバカにできない。
だって頭いいんだから。
学歴が高いとなーんとなく周りも認めてしまうし、認めざるを得なかったりします。
奇抜な行動も、蛮勇がある、になっちゃうわけです。
会社や世の中を変革するようなことも、普通の人だったら「バカなことはやるな!」と言われてできないでしょうが、学歴変人ならやってしまえる可能性が高い。
なので、学歴は変人が生き残るための「パスポート」なんだって思うわけです。

ぼくと妻の子どもですから、我が子たちも超個性的に育っています。
学歴を得るためには当然学力がなくちゃいけません。
ぼくは教育実習やアルバイトも含めると、幼稚園から予備校生まで教えた経験があります。
その経験から言えるのは、学力は小学校が要、なんです。
小学校で習う読み書き計算がしっかりしていて、読書する習慣があればその後は順調なんです。
我が子たちがその個性を生かせるように、変人として楽しく生きられるように、いい小学校を選びたいと思っています。

2010年7月12日月曜日

汗をかく人になろう!

こんにちは

大阪市立科学館から科学館友の会の会報への原稿を頼まれました。
XFELや次世代スパコンの建物や設備に関する話を書いてほしい、とのこと。
おっけー、お手のもんだぜー。
実験機器や研究内容のことなら研究者など他にも書ける人はたくさんいるし、そっちに頼んだ方がいい。
でも建物について一般の人が読んでも面白い話を書けるのはぼくしかいません!
なーんちゃって。

それに加えてぼくは「心は今でも教師」なので、子どもたちの未来のことも気になるわけです。
子どもたちがどんな人物になりたいと思っているのか。
意外と子どもたちは情報が少ないんですよ。
普段見る大人は、親と学校の先生だけ。
その他はテレビからの情報に頼っている。
すると、親や先生のようにはなりたくないんですな、しょぼくれてるから。あははは。
で、テレビに出てくる人があこがれになってしまう。
タレントになりたい、プロスポーツ選手になりたい、とかね。
それって狭いよね。

科学館に足繁く通う子どもたちも、あこがれは研究者だったりします。
目に見えやすいし、紹介する方も研究者ばかり紹介するかですね。
あー、狭い、狭い。
ぼくも研究所にどっぷりと浸かって早15年、いいところも悪いところも見てきました。
研究者だからって夢が見られるわけじゃありません。
けっこう人間関係もむずかしかったりします。
それに研究者だけでは研究は進まないんです。
技術者が研究者のやりたいことを現実化する。
事務員が研究者のやりたいことのために予算をとってくる。
そういう仕事もあるわけです。
そして技術者や事務員の仕事だってやりがいはあるし、楽しいんです。
そういうことも伝えたかった。

『大人の社会科見学マニアックス~加速器編~』分苑堂\2286-にKEK(高エネルギー加速器研究機構)の多田将さんのインタビューにこうありました。

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日本には物理学者ってたくさんいるんです。
毎年毎年、卒業したり博士号取ってる人は結構いるんですけど、そのほとんどは学者さんなんです。
さっきもいった、作れもしないものを設計する人たち。
こう実験したらいいねぐらいまでは考えても、それを実験できるような機械を作れる人っていうのは、ほとんどいないんです。(102p)
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多田さんも博士号を持つ研究者です。
現場が好きで、手と身体を動かすのが好き。
それでJ-PAEC http://j-parc.jp/ の実験装置を作っている人。
引用した文章からも分かるとおり、自分の仕事に自負を持っていますね。

実は、いい研究ができる一流の研究者はその人しかできない「技術」を持っています。
自分でコイルを巻く、半田付けをする、細胞核分離ができる、微細な顕微解剖ができる、などね。
ある実験を思いつくだけじゃだめなんです。
それを実現化する技術がなくちゃ。

二流の人はそこが欠けています。
自分じゃできないので、メーカー任せになります。
メーカーが作った実験装置は他の研究室でも買っています。
つまり他でもできる実験しかできないのです。
それじゃあ画期的な成果は上げられないのは当然です。

メーカーから買った実験装置でも、そこに自分だけの工夫を加えていけるかどうか。
もうちょっとコイルを巻いて、ビームを絞ってみるとかね。
冷却パイプを巻き付けて検出器を冷やす仕組みを付け加えて、ノイズを減らせるとかね。
頭だけじゃなくて、手と身体を動かして思うことを実現していく。
誰かにやらせたり頼るのではなく、自ら汗をかきながらやり遂げていく。
つまり現実を変えていく力、たとえ少しでも世の中を変えていく力。
それが一流の仕事なんだと思っています。

タマブクロは平滑筋

こんにちは

「男は男に育てられなければ男になれない」。
養老孟司さんはそう言っています。
草食系男子が増えてしまったのも、あまりに男女同権、男の子も女の子も平等に育てられすぎているのも原因だと思います。
発生学的に見ても、男性は女性からの派生物なんです。
素のままに育ててしまうと、女性的になってしまう。
だから意図的に男の子として育てなくちゃいけないんです。

我が家の男の子二人、男の子らしく育ってほしいんです。
だから夜寝る前、お布団の上でお相撲を取ります。
10分間くらいの短い時間ですが、投げ飛ばしたり突き飛ばしたりして、汗だくになるほど遊びます。
長男は5歳ですから、幼児といえどもかなり力が強くなってきました。
夕べなどしこたまキンゲリされてしまいましたよ。
タマブクロがきゅーっと縮んで痛いのなんの。。。

筋肉には二種類あると、学校で習ったと思います。
腕や足の筋肉のように、自分の意志で動かすことができる「随意筋」。
これが横紋筋です。
胃や腸や心臓のように、自分の意志で動かしたり止めたりできず、勝手に動く「不随意筋」。
こっちが平滑筋。
で学校では、内臓は平滑筋で不随意筋だ、って習ったと思います。
内臓にあるからちょっと観察できないねって。

でも体の外側近くにある筋肉で、不随意筋である平滑筋でできている部分があるのです!
それが陰嚢、すなわちタマブクロです。
陰嚢の皮膚の内側には肉様膜と呼ばれる薄い平滑筋でできた筋肉層があります。

タマブクロは時と場合によって、だら~んと垂れ下がったり、きゅっと縮まったりしますね。
これを自分の意志で、垂れ下げたり縮ませたりできる男の子はいないと思います。
自分の意志とは無関係に、ある条件の時に緩み、ある条件の時には縮む。
たとえば暑いときは緩み、寒いときは縮む。
ジェットコースターに乗ったとき、緊張したときも縮みますよね。
そして、キンゲリされたときも自動的に急激に収縮する。
もちろんキンタマを守るためです。

平滑筋は、急激に収縮するときに痛みを発します。
キンゲリされたタマブクロが痛むのも、そういうわけ。
ストレスで胃が痛くなるのも同じ原理ですね。
胃が急に収縮するので痛みを感じるのです。

男の子がいるご家庭なら、お風呂で一緒に実験してみてください。
お湯に入ってだら~んとなったタマブクロに、冷たい水をかけてみてください。
ほら、一瞬できゅっと縮んだでしょ。
次に温かいお湯をかけてみてください。
じわじわじわっと伸びてくるのがわかるでしょう。

ところで、陰嚢の筋肉も筋肉の一種ですから、自ら伸びることはできません。
筋肉は縮むことしかできないのです。
腕を曲げたり延ばしたりできるのは、腕の骨には2本の筋肉が付いていて、一方が縮むとき、もう一方を延ばすからです。
では、一度きゅっと縮んだタマブクロを再び緩めるものは何でしょうか。
それは、重力です。
そのためタマブクロは、縮むときは筋肉の働きで瞬間的にきゅっと縮みますが、伸びるときはゆ~くりです。

2010年7月7日水曜日

数学は人生の基礎

こんにちは

ぼくは時々、教師時代の友人に誘ってもらって理科の本を出版しています。
その本を小中学生のお子さんのいる仕事仲間にプレゼントします。
名刺代わりに使ってるんです。
先日、中学1年生の息子さんがいるという仕事仲間にも1冊プレゼントしたところ、お礼のメールをもらいました。

> 先日は、息子に本を頂き、ありがとうございました。
> 帰宅して直ぐに「光一、関口さんから直筆サイン入りの本をもらったよ。」
> と言って、頂きました本を渡しました。
>
> 寝る前に、「光一、本はどうやぁ…」と聞きますと、「お父さん、僕が何で?
> って思うことが解りやすく書いてある。 凄いなぁこの本…」との反応が
> ありました。
>
> 人に物事を伝えるのは難しく、本当に理解できているから解りやすく伝える
> ことができるんやでぇ。と言うと、「うん!」と言っておりました。

嬉しいですねー。
彼の息子さんも理科好きになってくれると嬉しいです。
そして数学好きにもなってもらいたい。

だんだんぼくも偉く?なったのか、若い人が書いた企画書や議事録を読んでチェックすることが多くなってきました。
分かりにくい文章を書いてくる若い人に聞いてみました。

 もしかして君、私立文系?

差別するわけではありませんが、文系で数学が受験科目になかった若者に、分かりやすい文章が書けない人が多いのは確かな気がします。
資格マニアのぼくとしては、受験はある教科をしっかりと勉強するきっかけ、チャンスでもあると思っています。
受験科目になければ、学校で数学を習ったとしてもせいぜい定期テストで赤点取らない程度しか勉強しないものです。
人は易きに流れるもの、ですからね。

で、なぜ数学をきちんと勉強しないと分かりやすい文章が書けないのか。
分かりやすい、とは「論理的」ということです。
仕事で使う文書は、分かりやすい、すなわち論理的じゃないといけません。

よく中学生くらいにもなると、子どもは言いますよね。
「方程式なんか習って、大人になって役に立つの?」なんて。
確かに大人になって方程式なんか、生活上も仕事上も使いません。
仕事で使う人は科学技術に関わる仕事をしている人、それもまあまあレベルの高い仕事をしている人だけでしょう。
そうすると、そういう仕事を目指しているのでなければ方程式なんか勉強する必要はなさそうです。
つい親もそこで怯んで「役に立たないよ」なんて言っちゃいそうです。

ぼくは若い頃進学塾や予備校で教えていたことがありますが、「方程式なんか習って、大人になって役に立つの?」なんて言う子どもは、ただ単に数学が嫌いなだけでした。
特に小学校レベルの計算力があやふやなだけだと思いました。
計算力がないから方程式などちょっと高度な数学を理解できない。
なぜ理解できないかというと「論理」が分からないからです。
「論理」とは「手順」と言ってもいいかもしれません。

算数、数学というのは一定のルールに従って手順を繰り返して正答に導いていく学問です。
数学のできない子どもは、このルールを無視しているか、何段階も積み上げる手順が面倒なだけなんですよ。
このルール、手順は、小学校で習う計算にもちゃんと仕込まれているんですね。

例えば繰り上がりのある二ケタの足し算だったら、

 1の位を足す->一ケタ目の結果を書く->10の位に繰り上げる
 ->10の位を足す->二ケタ目の結果を書く

という手順を積み上げる必要があります。
ケタ数が増えれば、手順も増えていきます。
かけ算、割り算になれば、さらに手順は複雑になっていきます。
割り算など、加減乗除、四則計算すべてを駆使しながら計算していかないと、正答へたどり着けません。

「手順」とは「論理」です。
ひとつひとつ積み上げていって答えを出す、という手順は、算数、数学に留まりません。

国語だって理科だって社会科だって同じなんです。
数字を使わないだけで、やり方は数学とまったく変わらない。
ルールに従って手順を繰り返して、段階を追って正答へと進めていくんです。

養老孟司『養老訓』新潮社\1200-にこうありました。

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基本があれば力は自然と伸びるものです。
単純な例をあげれば、国語と算数を両方やっておくことで論理的にものを書くことの訓練になるわけです。
何も改めて「小論文」を学ぶ必要はありません。(43p)
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語彙があって手順を踏めれば、論理的な文章が書けるようになるわけです。
算数、数学はその訓練になる。
中学に入って方程式を習うのも、より手順の込み入ったことに対処する訓練になるからなんです。
論理的な文章が書ければ、大人になっても企画書などスイスイ書けるようになっちゃうんです。
論理的な文章が書ける人は、話すことも得意です。分かりやすく手順を踏んで話すからです。
そんなことより、手順を踏んで仕事を進められない人は、仕事がとてもやりにくくなってしまうのです。
仕事は手順、段取りですからね。
コツコツと手順を積み上げていく、忍耐力も必要です。

その意味で、算数、数学は人生の基礎になるわけです。訓練と言ってもいい。
だから、算数、数学は人生に「役に立つ」ものなんだとぼくは思っています。
方程式を解くって、文字式の加減乗除を繰り返すわけじゃないですか。
一定のルール通りに複雑な手順を繰り返し、一段一段積み上げて正解へとつなげる。
まさに段取りなんです。

数学者の秋山仁さんは「カレーライスを作れる人は、数学もできるようになる」と言っています。
逆に言えば、数学ができる人は、美味しいカレーライスを作ることができるってことです。
料理は手順だからです。
美味しい料理を作れない人は、たいてい手順がいいかげんだからなんです。
数学ができる人は、美味しいカレーライスを作れるだけじゃなく、どんな仕事でも「美味しく」できるわけです。

実験科学を仕事にしている人は、実験方法を「プロトコル」なんて呼んでいます。
プロトコル=手順ってことですからね。
手順を間違えずに実験することが、いい研究をするために必要なことなんです。
これはあらゆる仕事に言えることだと思います。
家事だって子育てだって手順、段取りがしっかりしていれば、無駄なく安心してできるようになるんです。

だからぼくは、数学は人生の基礎、なんだと思っているのです。
数学ができない者は去れ、と言ったのはプラトンでしたっけ。
まったく同感です。
だから我が子たちにも、みっちりと数学を勉強してもらいたいと思っています。
もちろんぼくも、資格試験にチャレンジする時などを活用して、数学を学び続けていこうと思っています。

考えるには時間が要る

こんにちは

ストレスは人生のスパイスである(byセリエ博士)。
前便でそう書きました。
スパイスだってことがミソですよ。
料理だってスパイスは適度にふりかけるのがよいわけです。
少ないと味に締まりがなくなり、美味しくない。
逆にかけすぎると辛くなったり、素材の旨味を殺してしまい、食えないものにしてしまう。
そのさじ加減が大切なんです。
人生も同じですよね。

ストレスの中でも一番心と身体によくないのは、長時間労働だと思っています。
長時間労働はボディーブローのようにじわじわと心と身体を壊していきます。
長い時間働いて、それで生産性が上がるならいいんですが、違うんですよ。
生産量は、効率×時間の積分値です。
効率が変わらなければ時間を大きくすれば当然生産量は増えます。
工場の生産ラインのようにコンスタントに仕事が流れてきて、それをコンスタントにこなすのなら、ラインを動かす時間が増えれば生産量は増えるのは当然です。
ところがそのラインに従事する人間には限界があります。
あまりに長時間仕事を続けると、集中力が下がります。
それが製品の歩留まりを下げたり、事故を誘発したりしてしまうのです。
結局、生産性は上がらなくなってしまいます。

時にはがんばって残業して長時間働く必要もあるでしょう。
トムマデルコ氏の研究によると、確かにがんばれば1ヶ月ほどの間は効率も上がる、もしくは維持されるので、生産量も上がります。
ところが1ヶ月を過ぎるあたりから、効率が下がってきてしまう。
そして生産量=効率×時間の積分値は、2ヶ月を過ぎる頃から残業しても伸びなくなるのです。
それでも長時間労働を続けるとじわじわと効率は下がり、残業しないときよりも生産量を押し下げてしまうのです。
なので、意味ある長時間労働は1ヶ月まで、2ヶ月を過ぎると逆効果、なのです。

長時間労働をすると効率が下がるのは、考える時間がなくなるからです。
仕事は段取り八歩です。
段取りをよく考えてから、作業にかかるから効率が上がる。
長時間労働によって考える時間がなくなると、段取りが不十分になる。
不十分のままやみくもに作業にとりかかってしまうので、途中で判断に迷ったり、やり直しが必要になったりして、効率が悪くなってしまうのです。

芦永奈雄『本当の学力は作文で伸びる』大和書房¥1500-にこうありました。

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「考える」という行為は、机の前でやってもはかどりません。
わたし自身は、歩き回ったり、風呂に入ったりしながら考えることが多いです。
腕組みしたり、頬杖をついたり、頭を掻いたり、歩き回ったり。
こういう行為が思考を助けます。
たぶん、机の前に座らせて考えさせるという行為は、本人にとって苦痛でしょう。
クリエイティブな仕事は、単純作業ではありません。
机の前で生まれるものではありません。(233p)
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仕事の段取りを考えるのは、勤務時間中ではないんですよ、実は。
家で風呂に入っているとき、トイレで用をたしているとき、リラックスして散歩しているときなどに、いいやり方を思いつくんです。
そういう思考をやっておくから、勤務時間には迷いなく作業に取りかかれるのです。
長時間労働をしていると、それができなくなってしまうのです。
家に帰っても飯食って寝るだけ。
しかも十分な睡眠時間を確保できない。
通勤中の電車の中もうたた寝して少しでも睡眠時間を補う。
これじゃー、考える時間なんてないですよねー。

一流ビジネスマンも同じようなことを言っています。
ユニクロ社長の柳井正さんはこう言います。

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夜の付き合いはよほどのことがない限りしません。
そうでなければ続きませんし、急ぎの仕事があるときは帰ってから自宅で続きをやります。
夕食をとってから、考えたり、書類を整理したり。
会社で考えていても、いい案なんて浮かばないです。
ですから社員にも、夜遅くまで残業するなと言いたいです(笑)。
とくに独身者は毎日だらだらと仕事をする場合が多いんですが、会社に長い時間いても、何も生まれないと思います。(『時間とムダの科学』プレジデント社¥952-、10p)
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夜の付き合いもよくありませんよね。
考える時間を奪います。
付き合いも大切ですが、ほどほどにしないとね。
まして、おつきあいで残業なんて以ての外ですよ。
ぼくの尊敬する国語教師、野口芳宏さんはこのことを「絶縁能力」なんて言っています。

いい仕事をするためには、くだらないことは絶縁することが大切。
それは考える時間を生み出すためなんです。
だって、考えるには時間が必要だからです。

2010年7月6日火曜日

ストレスは人生のスパイス

こんにちは

現代の病気のほとんどは、ストレスが原因なのだそうです。
病気の人を診断すると、かならずストレスがあることが分かる。
だから、原因となるストレスを取り除くことが、治療に役立ちます。
確かに病気の人に対してはその通りですが、それを健康な人にまで適用するのは正しいのでしょうか。
ストレスを取り除いてストレスのない生活をすれば、健康を維持できるのでしょうか。

人が生きていく上では、ストレスは避けて通れないものです。
暑さ、寒さ、直射日光、雨風、天変地異、飢餓、仕事、勉強、子育て、嫁姑問題、近所付き合い、職場の和、いじめ、酒・たばこ、妻の愚痴。
この世はストレスだらけです。
とてもすべてを避けることはできません。

病気の人は体と心が弱っているので、緊急避難が必要ですから、ストレスのないところで回復を待つ方がいいでしょう。
でも健康な人までストレスを避けてしまうのは、ストレスに対する耐性を身に着けるチャンスを逃していることになります。
ストレスから逃げてばっかりいると、心と身体がひ弱になってしまいます。
すると、ちょっと見逃してしまった微弱なストレスによって、体や精神が耐えきれずに病気にまで至ってしまう。
きちんと耐性を身に着けていれば、病気になんかならなかった程度のストレスに負けてしまうことになる。
だから、同じストレスでもその対処の仕方は病気の人と健康な人では違うのです。

病気の人は緊急避難的にストレスから離す。
健康な人は避けずに立ち向かう。
病気の人だって健康を取り戻したら、やっぱりストレスに立ち向かわなくちゃならないのです。

藤田紘一郎『原始人健康学』新潮選書\1000-にこう書いてありました。

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適度のストレスはよい刺激となり、生活の張りにもなるのだ。
ストレス学説を唱えたセリエというカナダの学者は、「ストレスは人生のスパイス」と言っている。
人生に欠かせないもので、ピリッとした味を出すという意味だろう。(121p)
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子育ての要諦に「ちょっと飢えさせ、ちょっと寒くさせる」ことがあります。
昔から言われている、子育てのコツです。
飢えも寒さもストレスの元になるものです。
子どもは大事にしすぎるのではなく、ちょっとストレスをかけた方がよく育つ。
セリエ博士の言うように、スパイスを利かせた方が人生は美味しくなるわけです。

我が子たちには、ストレスに対する耐性を身に着け、より大きなストレスにも耐えられるようになってもらいたいと思っています。
何か新しいことに挑戦するときは、ストレスがかかるのは当たり前です。
入試だってそうだし、入学してまったく見ず知らずだったクラスメイトと新しい人間関係を築く時だって、ストレスフルなことです。
誰もが避けては通れないストレスに、そう易々と負けては困ります。
健康で調子のいいときはストレスをある程度かけて、耐性を鍛える。
あるいはちょっとやそっとのストレスに負けないよう、心と身体を鍛えていくんです。

あるストレスを避けると、別のストレスがそこから発生してきて、今度はそれに押しつぶされることもあります。
入試を避けてしまったがために、今度は浪人生活が待っていて、よけいに重苦しい気持ちで勉強しなくちゃならなくなる、なんてね。
そう考えると、一番効果的なストレスの対処はその「ストレスそのものに立ち向かうこと」なんだと思うのです。
今自分か感じているストレスそのものに立ち向かい、それを解消する。
ストレスを乗り越え、耐性を身に着けていくのが一番の正攻法なんだと思います。
これは子どもだけじゃなく大人も同じですね。

2010年7月1日木曜日

ボーナス!


こんにちは

昨日は夏のボーナスの支給日。
妻が「ウニ食べた~い!」と言うので、天ぷら屋じゃなくてお寿司屋さんに行きました。
子どもたちは「かっぱ寿司に行こう!」と言ったので、シメシメ、安い店だぜー、と思いましたが、かっぱ寿司のウニはなんちゃってにも程があるんで、妻から却下。
ちょいといいお店に行くことにしました。
まー、ボーナスだからいいかー。
あはははは。
家族の喜ぶ顔も、ぼくにとってボーナスですね。

『理科教室』という雑誌に、XFELと次世代スパコンの紹介記事を書きました。
小学校教師になったぼくの教え子にも1冊プレゼントしました。
教え子からメールが届きました。

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昨日本が届きました。ありがとうございました。
読んでみました・・・私にはムズカシかったのですが、「関口先生すごいな~~」っていうことは感じました。
イキイキ働く関口先生。私もイキイキ働きます!!
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嬉しいですねー。
教え子からのメールも、ボーナスになりましたよ。
これからも活き活きとハッピーに働いていきたいなーって思いました。

7/1付で次世代スパコンを運用する部署への兼務発令も出ました。
部長から「関口君はなかなかつかまらないから、今日辞令を渡しちゃうよ」と、褒められたんだか皮肉なんだかわかりませんが、あはははは、1日早く辞令文書をもらいました。
辞令を見ると、

 計算科学研究機構研究支援部及び運用技術部兼務を命ずる

と書いてありました。
あれ?
以前から運用技術部を手伝ってほしい、とは聞いていたんですが、研究支援部の兼務も。
いっぺんに二つの部への兼務。
いったいぼくは何を期待されてるんでしょうねー。
それもワクワクすることです。
この辞令もボーナスになりましたよ。

今は梅雨。
この時期は挿し木に最適なんです。
我が家の庭に植えているハーブや虫のつきにくい果樹の挿し木をしています。
これらの苗を、神戸次世代スパコンの敷地に植えていこうと思っています。
苗と一緒にキャンパスを成長させ、そしてぼく自身も成長していきたいと思っています。
家族に誇れる仕事をこれからも続けていきたいですね。
で、もうちょっとボーナスたくさんちょーだい!!