2011年8月27日土曜日

よいところも見よう!


こんにちは

7/10に受験したITパスポート試験の合格発表がありました。
もちろん合格です!えへん。
自己採点通り100点満点中84点の出来。えへん、えへん!
先ずは「毎年ひとつは資格を増やす」という目標達成です。えへん、えへん、えへん!

今年は欲張って、あと3つ受験する予定です。電験1種、特級ボイラ、メンタルヘルス1種。
全部合格ってわけにはいきそうもありませんが、もうひとつくらい合格を増やしたいなーって思って、毎日ちょっとずつ勉強を続けています。
資格試験も合格するためにそれほどの才能はいりません。
勉強したかしないかで合否が決まるだけです。
イチローも言っていますよ。
「小さなことを積み上げることがとんでもないところに行く唯一の道だ」って。
だから毎日コツコツと。

さて。
3.11の地震、そして津波による被害。
原発停止による電力不足。
東京電力もどうやらこの夏のブラックアウトや輪番停電は乗りきれたようです。
よかった、よかった。

それは、市民や企業が節電に協力したからってこともあります。
企業の場合、法律で15%節電を義務付けたのでがんばらざるを得なかったんだけどね。
でもね、東京電力やメーカー、協力会社のエンジニアたちの必死のがんばりもあったんだと思うんですよ。
それは、火力発電所の迅速な復旧。
津波によって、太平洋沿岸の火力発電所も相当ダメージを受けたんです。

たとえば、地震で止まってた鹿島火力は一ヶ月くらいで復帰。
津波でかなりやられてた広野火力も7月半ばには全面復帰したんです。
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20110715_460945.html
広野火力の復帰で、地震や津波でやられていた火力はもちろん、休止していた火力発電所もすべて動き出した。
みんなが節電してくれたことに加えて、火力の復帰で発電余力も増えて、安定供給ができるようになったんですね。
それが7月半ばの暑い夏が始まるギリギリで間に合ったんです。
この数ヶ月の現場のエンジニアたちの努力は凄いものだっただろうと想像します。

こういうことって、あんまりテレビや新聞で報道されないんですよね。
とても残念なことだと思います。
岩田健太郎『1秒もムダに生きない』光文社新書\760-にもこんなことが書いてありました。

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官僚のほうも、以前は「現場を知らない」机上の空論チックな政策が多かったの
ですが、最近はメールやネットを駆使して「現場でなにが起きているのか」をよ
く理解するようになりました。
2011年3月の地震のときは、厚労省が次々と、医療や薬事に関する規制を解除して、被災地への医療支援を行いやすくしましたが(その功績はもっともっと評価されてよいと僕は思います)、彼らはメーリング・リストやネットを通じて、現場でなにが足りないのか、行政になにが求められているのかを、かつてに比べてはるかに熟知していました。(144p)
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ほほー。
厚労省もがんばっていたんですね。
ちっとも知りませんでした。
これもあまり新聞やテレビのニュースで報道されていないことだと思います。
いろいろ批判ばかりされているお役人だって、スバラシイことをしているんです。

ある心理学者の人が、幼い子どもにテレビのニュースは見せるな、と言っていました。
残酷な映像が無防備に放送されるからです。
どうもテレビも新聞も、悪い話ばかり報道するんですよ。
テレビや新聞に頼っていると、世の中悪いことばかり起こっているように思えてきます。
悪人探し、犯人探しばかりしているんです。
それは、子どもだけじゃなく大人の認識も歪めてしまいそうです。
テレビや新聞にどっぷり使っていると、悲観的になりすぎるんじゃないかって思います。

世の中、いいことだってたくさんあるんです。
いいことをしている人もたくさんいる。
そういうのをもっとぼくらは見つけて、みんなに知らせなくちゃって思います。
もちろん悪いことから目を逸らすわけじゃありません。
でも世の中悪い事だらけ、悪いものだらけだと思うと、自分まで悪いことをしたり、あるいは何をやってもダメだと思いがちになってしまう。
良いこともあり、良い人もいるって知れば、自分にも何かできることはないかって思い、行動に移す人も増えるんだと思います。

2011年8月21日日曜日

モテる男子は育ちがいい


こんにちは

小川洋子/岡ノ谷一夫『言葉の誕生を科学する』河出書房新社¥1,200-にこうありました。

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岡ノ谷 実際に複雑な歌を歌えるヤツのほうが体格がいいし、育ちもいいということなんです。
育ちがいいというのは、幼いときに栄養状態がいいということです。
そのほうが大人になってから複雑な歌をうたえる。(36p)
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岡ノ谷さんは、鳥のさえずりから文法を発見した研究者です。
ラボで飼育しているジュウシマツを観察すると、メスにモテるオスはうた(さえずり)が上手い。
上手いというのは、複雑なバリエーションをうたえるってことです。
そういうオスは、育ちがいいんだそうです。
育ちのいいオスはメスにモテるんです。

人間も歌が上手い男子はモテます。
女子にモテたくて、ギターを覚えてラブソングをがなり立てる男子も多し。
たいていは失敗しますが(<-オレ^^;)

岡ノ谷さんは、鳥の文法の研究から人間の言語の発生を研究しています。
人間の言語も、歌から生まれたという学説を唱えている。
つまり、歌が上手い=言葉が巧み、とも言えるわけです。
ボキャブラリ豊富で、場に合わせて言葉を選べる能力。
笑わせたり、ほろりとさせたり、説得したり縦横無尽に語れる男子。
女子にモテまくるでしょうねー。

で、そういう男子は育ちの良さを感じます。
幼い頃から身体だけじゃなく「ココロの栄養状態がいい」ってことでしょうね。
多くの人から愛され、語りかけられ、コミュニケーションを持つ。
それにより生きた語彙の使い方を自然に学んでいく。
それが人間の『育ちの良さ」なんだと思います。

はっちゃん、とんたんも育ちのいい男子になって、女子にモテるといいなー。
ただし、アソビはダメだぜー。

2011年8月14日日曜日

子どもは3食、大人は1食


こんにちは

暇つぶしにペットショップへ。
ドッグフードの能書きを読んでみる。
すると、幼犬の時は一日3回エサをあげなさい、と書いてある。
成犬になったら一日1回でよい、とも書いてある。
さらに、それら1回分のエサの量は、犬の体重により一定なんです。
つまり、成犬になったら一日一回の食事、そのカロリーは幼犬の時の1/3でよい、ということです。

なるほどー。
これは人間でも十分当てはまります。
ぼくはここ数年、一日一食、夕飯だけ食べるようにしています。
健康のためには朝食をしっかり、なんて言われていますから、以前は朝食も食べていました。
が、朝ってあんまり食欲なんですよ。
それなのに健康のために無理して食べていたので、午前中調子が悪かった。
調子が悪いのに、昼に昼食を食べる。
午後も調子が悪い。眠くなる。仕事に集中できない。
そしてまた夕食を食べ、調子の悪いまま一日が終わる、って感じだったんです。

それを1日1食に変えてみたんです。
すると非常に体調がよくなりました。
持病のアトピーも軽減され、何より午前中の集中力が向上しました。
昔から「朝飯前の仕事」と言うとおり、朝飯前にやっつける方が効率がいいんですね。
おまけに昼食も食べないので、昼休みの時間もまるまる使えます。
仕事が忙しいときは昼休みも仕事を続けられますし、それほどでないときは3~4km散歩したりできます。
ノルマ的な仕事はほぼ午前中に片付けられ、午後は自分のやりたい仕事に時間を使えるようになります。
ああ、なんてハッピー。

原始時代の人間を考えてみましょう。
朝、きちんと食事を摂れたとは考えにくいです。
朝満腹になってしまったら、狩りに行く必要も感じなくなります。
腹が空くまでは、ただ寝転がっていたんだと思うんです。
たいていは朝は腹が減っている。
腹が減っているから狩りに行かなくちゃならない。
腹が減っているから狩りへのモチベーションも高まり、獲物を捕る確率も高まるってもんです。
そして獲物を捕らえ、夕方には家族の待つ家(巣?)に戻り、獲物をむさぼり食う。
腹が満たされ、心も満足して、ゆったりと眠りにつく。
それが本来の人間だと思うんです。
で、きっと原始人たちも夕餉の食料を少し残して、翌日の子どもの食料としていたんじゃないでしょうか。
子どもは1食では十分成長できないから。

生き物には3種類いるんです。
細胞分裂を盛んにして、成長しているもの。
劣化した細胞だけを作り替え、身体を維持しているもの。
まったく細胞分裂しないもの。

一つ目はたとえば昆虫の幼虫です。
毛虫の葉っぱを食べる量といったらすごいです。
木に毛虫が着くとあっという間に木は丸裸になってしまいます。
どんどん食べて、どんどん成長していきます。
細胞分裂して大きくなるには、たくさんのエネルギーを摂取しなくちゃいけない。
人間の子どもも同じですね。

二つ目はたとえば人間の大人。
細胞分裂は表皮や腸の上皮細胞のような劣化しやすい部分だけ。
だから新陳代謝に必要な分だけ食べればいいんです。

三つ目はたとえば昆虫の成虫。
蝶など花の蜜くらいしか吸いませんし、それもちょびっとしか吸いませんが、それで十分なんです。
だって、昆虫の成虫はまったく細胞分裂しないから。

最近、溌貴君も峻貴君もよく食うようになりましたよ。
特に溌貴君は完全に大人並みですね。
近所の中華料理屋のお気に入りのチャーハンなら一人前ぺろりです。
まだ偏食は多くて、食べられないおかずが多い。
先日のボーイスカウトキャンプの時も、おかずはほとんど食べられなかった。
その代わり、ご飯を3杯お代わりしていました。
毎日ウンコもドカンとしていましたよー。

大人は1食食えば十分。3食食べちゃうと食べ過ぎになっちゃうんですね。
子どもは3食しっかり食べ、3時のおやつも「第4の食事」だからおにぎりなど身体を造るものを食べる。
それがきちんと成長するために必要なことなんです。

2011年8月13日土曜日

記憶しているから思考も深くなる


こんにちは

はっちゃんの学校の宿題に「音読」があります。
国語の教科書を何回も何回も読む。
「音読カード」というのがあって、間違えずに読めたか、大きな声ではっきりと読めたか、など評価も記載していきます。
この音読カードには、暗唱できたか、という評価項目もあるんです。
これはスバラシイ。
教科書の文章をそのまままるごと暗唱してしまうことは、とてもいいことだと思います。
語彙、文型などのストックが頭の中に格納されるからです。

人間の脳は、メモリーベイスドアーキテクチャであることが、脳科学の研究で分かってきています。
記憶を基にした思考機構ってことです。
世界一のスパコンでも人間の脳に敵わない部分があります。
それは「直感」。
じっくりと考えなくても、答えがパッと思い浮かぶ。

とはいえ、直感はしばしば間違えます。
直感で得た答えが、じっくり検討してみたり、実験してみたりすると外れることがしばしば。
特に子どもや若者の直感はたいてい外れます。
それに対して、その道に通じた専門家は、その専門分野に関してだけかもしれませんが、直感はよく当たるんですよ。
なぜなら、直感を支える記憶=知識が十分あるからです。
子どもや若者の直感がアテにならないのは、基になる記憶=知識が不十分だからです。

佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』WAVE出版¥1400-にこうありました。

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私は、仕事に関する重要な数字はすべてメモしていました。
「担当事業のマーケットサイズ」「競争相手のシェア」「オイル価格」「ジニ係数」などなど。
そして、通勤電車の中や、ちょっとした”隙間時間”に何度も何度も読み返して暗記していったのです。
よく「ネットで調べれば分かる」という人がいますね?
しかし、それは「ネットで調べなければわからない」ということです。
それでは、数字を使うことはできません。
いや、考えることができないと言うべきでしょう。
数字を頭の中で”転がしている”うちに、「あれ?」「なぜだ?」と疑問が浮かんできます。
「原油価格が下がっているのに、なぜ、原油由来の原材料は高止まりなんだ?」とか「中国で○○商品の消費量が増えているのに、なぜ、当社の○○商品の売上が伸びないのか?」と考え始めるのです。
これは、数字を暗記しているからこそできることです。
「ネットで調べれば分かる」ではできません。
しかも、頭に入っていれば、いつでもどこでも考えることができます。
電車の中ででも、トイレの中でも、つまらない会議の最中でも・・・。
こんな便利なことはないですよ。(101p)
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再び言います。
人間の脳は「メモリーベイスドアーキテクチャ」なのです。
だから、記憶していないと思考できないのです。
もちろん、記憶するだけではいけません。
記憶したことを基にいろいろ考えてみる。
考えたことを現実と照らし合わせてみて、正誤を確認する。

間違えていたら、何が足りなくて間違えたのかを考える。
それはたいてい、基本的な知識が不足していたからだと分かるはずです。
そして不足していた知識を頭に入れ込む。
専門家はこういう訓練をずっと続けてきているのです。
だから直感が当たるようになるのです。
記憶している中から必要な事項を瞬時に選び取る能力が、直感力に他なりません。

小学生に限らず初学者は、まずは基礎的なことを記憶することが大切です。
だから、小中学校など低年齢の子ども生徒を教える学校ほど、きちんと基礎的な事項を記憶したかどうか試験されるのです。
そして、記憶したことは必ず役に立つのです。
暗記は役に立たない、と言う人は、記憶の役に立て方を知らないだけなんです。
記憶したことを基にあれこれ考えるという過程を経ていない人が、暗記ばかりさせるな、と言うのです。
ということは、その人は「思考力のない人」だということです。

暗記、記憶をバカにしてはいけないのです。
小学生なら教科書を何度も何度も繰り返し読み、その内容を自分の頭に記憶させることが大切なのです。

子どもをきちんと躾けるための必要条件


こんにちは

青木雄二『青木雄二のゼニの教育論』青春出版¥1100-にこうありました。

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子どもをきちんとしつけようと思うくらいの気持ちの余裕を持つためには、基本的な生活が安定していないとダメなんや。
つまり、物質的財貨が必要だということや。
いくら愛情のある夫婦でも、ゼニがなくて生活苦が続けばギスギスするやろ。
イライラして、喧嘩ばかりするようになるやろ。それと同じや。
子どものしつけをしようと思うたら、やはり精神的な余裕が必要なんや。
そのためには、経済的な基板がしっかりしていることが絶対条件なわけや。(55p)
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躾自体にお金はかかりません。
でもお金がないと、躾をする心の余裕がなくなるんですね。
ぼくもしっかり働かなくちゃ!

2011年8月12日金曜日

読書は人生の基礎


こんにちは

夏休み、本をたくさん読むようにしています。
はっちゃんの学校の課題図書50冊、全部読んじゃおうと思っています。
図書館で借りまくっていますよ。

伊藤氏貴『奇跡の教室』小学館にこうありました。

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英語の成績が急伸する生徒には、「国語ができる」もしくは「本好きである」という明らかな共通点が見つかった。
たとえば英語の長文問題。
わからない単語が出てくる。一文の意味がつかめない。
こうした「壁」に出会うと、国語力のない生徒は、往々にしてその壁の前で立ち止まり、うずくまってしまう。戦わずして戦意喪失してしまう子が多いのだ。
「学ぶ力の背骨」が弱い、最近の流行語に置き換えると、「体幹」が弱い生徒と言えるだろう。
そんな「壁」を前にしたとき”なんとかして乗り越えてやろう”、と腕まくりするのが読書量の多い生徒だ。
単語がわからなくても、文法が難解でも、前後の文脈から類推しようとする。
意味のわからない一文があっても、とにかく読み進めて行き、後の文章からヒントを探そう、結論から逆算してみよう、などとあれこれ方策を練る。
押してみたり引いてみたり、下から見たり、離れてみたりと、「壁」をなんとかして「階段」にすることで乗り越えようとするのだ。
この「壁を階段にする力」こそが、エチ先生が『銀の匙』の子どもたちに授けた果実なのだろう。(78p)
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エチ先生とは、灘中学の伝説の国語教師です。
中学3年間の国語の授業は『銀の匙』一冊だけをじっくり読む。
高校受験がある学校だとこういう授業はなかなかできないですが、中高一貫校である灘なら可能。
一冊だけを読むと言っても、授業の中だけの話。
灘中では、生徒をヒマにしてたくさん読書させるのだそうです。
授業での精読と自主的な乱読。
この二つが灘の生徒を育てている。

学力とは国語力、だと思っています。
どんな教科でも国語力がしっかりしていないと、学力は伸びません。
英語だって国語が基礎になるんです。
そして国語力の基礎は、読書。

本を読むこと、すなわち他人の考えを受け容れる、ということです。
すべての学習は、他人の考えを自分で咀嚼して受け容れることから始まります。
どんなにオリジナルな考えだって、きちんとした基本的な学習抜きではあり得ません。
だいたい、読書しない人ほど、他人の話を聞こうとしませんね。
他人の話を聞かないことを個性的であると誤解しているんです。
もちろん先生の話も聞かないわけですから、勉強もできるようになりません。
大人でも、読書する習慣のない人はろくな仕事ができないものです。
他人から学ぼうとしないからね。
読書することは、他人の話をよく聞き、自分のものにする「方法」を身に着けることができるのです。

まだはっちゃんは1年生ですから、乱読と言っても親が読み聞かせることが必要。
毎晩寝る前、2冊くらいずつ読み聞かせています。
ついでにとんたんも聞いている。
とんたんの語彙もすごく増え、おしゃべりになりましたよ。
素晴らしい!

2011年8月5日金曜日

ハッピーのつくり方


こんにちは

加速器学会に参加していた研究者から、さっそくぼくらの論文を送って欲しいというオファーがありました。
嬉しいですねー。
誰かから必要とされ、誰かの役に立つ。
それこそが仕事ってもんですからね。
ハッピーですよ。

教師時代の友人たちと作ってきた理科の本が出版されました。

『小学校理科の実験・観察ナビ』日本標準

なかなかいい本に仕上がりましたよ。
教科書に載っている実験や観察をうまくやる方法とともに、その実験や観察について掘り下げた解説も書いてある。
教員向けの本として出版されましたが、一般の人が読んでも面白いし、もちろん小学校高学年以上の理科マニアの子どもが読んでも面白い。
息子の通う学校にも寄贈しようと思います。
確実に誰かから必要とされ、誰かの役に立つ本ができたと思います。
ハッピーですねー。

先週、東京の私立中学校の生徒さんが、ぼくの職場の見学に来ました。
夏休みのレポートを書くための取材だって。
勉強熱心なお子さんでした。
ぼくも熱を入れて案内しましたよ。
その生徒さんからお礼のメールが届きました。
その中に「皆さん楽しそうにしていらしたのが印象的でした」とありました。
いいですねー。
楽しく仕事していることが伝わりました。
楽しいことこそ自分、ゴキゲンこそ能力発揮のもとですからね。
子どもたちに夢を与えるったって、大人が楽しくゴキゲンに仕事をしていないでどうやって夢を与えられるのでしょうか。
ハッピーがこの生徒さんにもちゃんと伝わりましたよー。

4月の科学技術週間に、ぼくは東京科学技術館でサイエンスカフェをやらせてもらいました。
その時の参加者のアンケート結果が、事務局の方から送られてきました。
参加者のほぼ全員の方が、とても満足、満足という評価でした。
不満という評価はゼロ。
ある方の感想に「あまり得意でない分野ではありましたが、興味深く聞くことができました。とても楽しかったです。子どもの付き添いではありましたが、自分のほうが夢中になってしまいました。」とありました。
嬉しいですねー。
ハッピーです。

お一人だけ、まあまあ、という評価。
この方の希望と異なる講演内容だったとのこと。
すみません、ご期待に添えずに。。。
な~んちゃって、ちっともそんな事思ってませんー。
ごめん!

世の中に不満を持っている人の特徴って、自分の思いを何かに投影して、それが自分の思い通りじゃないことに怒っているんですよね。
誰かに期待し、期待通りにその人がしてくれなかったから、裏切られたと思う。
なんか自分勝手なんですよ。
勝手に期待しておいて、勝手に怒っている。
オレはお前の奴隷じゃないんだぜ、って思っちゃいます。

先の方も、カフェの内容が自分の思っていたものと違っていた、そこが不満だったんです。
でもねー、世の中自分の思うとおりになっているなんてこと、あるわけじゃいじゃないですか。
人はそれぞれの思い、考えで行動しているんですから。
社会全体だって同じです。

そういう時、自分の価値観の方をちょっとずらしてみるといいと思うんです。
ぼくのサイエンスカフェもお子さん向けの話でした。
自分はもっとハードなサイエンスの話を聞きたかった。
自分の希望と違っていたとき、それをハナから否定してしまうのも損です。
そういうときは、自分も子どもになった気持ちで聞いてみる。
そうすると、なにか面白いこと、自分にとって役に立つことが見つかるかもしれません。
ハナから否定してしまったら、それさえも見つけることができないんです。

森博嗣さんはこう言います。

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ものの価値を計る物差しは、とても沢山あって、その物差しの数が少ない人が、
貧しい、物差しを沢山持っている人が、豊か、ということになるだろう。(森博嗣『工学部水柿助教授の逡巡』幻冬舎¥829-、248p)
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いろんな尺度を自分の中に持っている。
これがハッピーのつくり方なんだと思います。
不満の多い人って、物差しが少ないんですよ。
自分の物差しに合わないものは否定するわけですから。
世の中、そうそう自分の物差しに合うものなんかありませんよ。

物差しをたくさん持っていれば、一つの物差しで合わなければ、別の物差しを持ってくることができます。
別のもの指しなら、ドンピシャとはいかないかもしれませんが、合うこともあるでしょう。
物差しをたくさん持てば持つほど、フィットする物差しを見つけることができるわけです。
自分の持つ物差しにフィットすれば、不満も持つことがなくなるのです。
これがハッピーのつくり方なんですよ。

もちろん相手や世の中の方が明らかに間違っているって場合もありますよ。
そういうことに不満を持つことは正しい。
何でもかんでも肯定して受け入れてもいけません。
つまり、間違いに対する正しい物差しも持っている必要があります。

自分の物差しの方が正しくて、相手の、あるいは社会の物差しのほうが狂っていることを知るにはどうすればよいか。
それは他の人の物差しも見てみるといいんです。
間違っていると思う人が、自分の他にもいるかどうか。
あるいは、自分の行動に賛同してくれる人がいるかどうか。
自分の行動に対して、一緒に行動してくれる人がいるかどうか。
賛同者がたとえ少しずつでも増えていくなら、自分の物差しは正しいと判断できるのです。

2011年8月2日火曜日

楽しい時が本当の自分

こんにちは

今週はつくばで開催されている加速器学会に参加しています。
ぼくもXFEL=SACLAの電源電圧変動と冷却の温度安定性について、2本の報告をしました。

今回のぼくの報告は、実際にSACLAのユーティリティ施設を運転している方との共著にしたんです。
ひとつは、ぼく自身がその後のSACLAの様子を知りたいから。
ぼくはSACLAのインフラを造ってきましたが、インフラってその上に乗っているアプリケーションがしっかり動いてこそのものです。
いくらいい施設が造れたと言っても、加速器がちゃんと動き、レーザーが出ないことには、それを支えるインフラの価値もないわけです。
うまいこと6月にレーザーが発振できた。
それはインフラ施設が上出来だった証拠です。
大いにアピールしなくちゃね。
当然ながら、造った施設を適切に運転してくれている人がいるから、うまく動いてくれたわけです。
その人と一緒に論文にまとめ、発表する。
それによってぼく自身も、どこが良かったか、改善すべきところはどこだったかを学べる。
施設は造るだけじゃダメなんです。
使ってみての様子を知らなくちゃ。
それを次の設計や施工に活かすことができるからね。
おいしい、おいしい。

もう一つは、ユーティリティ施設を運転している方にも研究的な仕事をしてもらいたいからです。
でき上がった施設でトラブルがあることがあります。
何でこんな施設を造ったんだー!ってぼくも叱られることもあります。
でもよく調べてみると、いい加減な運転をしていることが原因だってことがほとんど。
施設についてよく理解せず、学ぼうともせず、思い込みで運転していてトラブルに至っているのです。
施設を安定運転するためには、やはりその施設についての深い理解がないといけないんです。
そのとき、学会発表しよう!という目標を立てる。
学会発表するからには、良い報告をしなくちゃいけません。
うまくいきませんでした、って発表もないわけじゃないけど、イレギュラーです。
学会発表をチャンスにして、これまでの運転方法を評価し、これからの課題も見つけられる。
論文を書く過程で、ぼくともディスカッションができ、設計意図と現実の運転との調整もできるわけです。
これはよりよい運転法を見つけていくことに繋がっていくのです。
おいしい、おいしい。

ぼくらの発表も、参加者の皆さんにもまずまず興味を持ってもらって、大満足です。
他のSACLA関係の講演でも、空調、冷却の安定がすごくうまくいっている、と聞けてニンマリでした。

書き上げた論文を、神戸iPS棟電気工事を手がけてくれた若い現場代理人にメールしました。
こんな返事をもらいましたよ。

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加速器学会というと、『電気設備学会誌vol.31 2011 No.7』に「X線自由電子レーザー施設 加速器棟の電気設備」(きんでん)の論文が掲載されていました。
施工等なにも関係ないのですが、Spring-8の名前と設備を頻繁に耳にしていたで、気になったので、今回の添付論文と両方の論文読ませていただきました。(非常に難しいです)
私も、いろいろな現場の体験をしたいとつくづく思いました。

また、社内で技術発表会が毎年あります。
今回理化学の件を発表させていただきました。
論文の書き方、発表の仕方と経験が大切と思い、今後も率先して、担当現場の全てにおいて発表していこうと思っています。

なんでも、経験と検討、実践後の検証が大切だと思います。
思うだけでなく、実践していこうと思います。
まずは、理化学現場での上記の実践はできましたので、今後も「業務多忙」にかまけず続けていきます。
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いいですねー。
社内の技術発表会で積極的に報告する。
確かにめんどくさい。
でもチャレンジしてみるんです。
その努力は必ず自分に帰ってきます。
そしてその努力が楽しさを生むんです。

よく若者が「自分探し」なんてのをしてますよね。
なかなか自分が何者なのかわからず、定職も持たずにフリーターをやり続ける。
中年という年令になってもフリーターだったりして。
それって、自分が楽しくない、ってことなんですよ。
人生を楽しんでいない自分は本物の自分じゃないって気がするんですね。
森博嗣『自分探しと楽しさについて』集英社新書¥700-にこうありました。

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「楽しさ」を探す行為というのは、第1章で述べた「自分」を探す行為と、ほとんど同義であるように感じる。
おそらく、両者の違いは実質的にほとんどないと言っても良い。
というのも、誰でもが思い描くあるべき「自分」というのは、普通は「楽しい自分」なのである。
悲しいヒロインになりたい、といったやや屈折した願望は例外として、ほとんどの人は、楽しい状態を望んでいる。というよりも、そういう望ましい状態を「楽しい」というのだ。
「悲しいヒロイン」になりたいと願っている人にとっては、つまりそれが「楽しみ」なのである。(55p)
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で、楽しい自分、本物の自分を見つけるにはどうしたらいいか。
待っていてもダメなんだよね。
どこかに自分がすっぽりハマる場所があると思って、それを探しても見つかるわけがない。
すっぽりハマる場所は、自分で掘らなくちゃならないんですよ。

まずは何かに挑戦する。
努力してみる。
その努力が気持ちいいかどうかだね、ポイントは。
努力が実って気持ちいいなら、それが「自分」なんですよ。
森さんはこうも言います。

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一般的にいえる傾向として、自分に向かって近づいてくるものは、えてして楽しくないものが多い。
これに対して、自分が向かっていきたいものは、たいていは楽しいものである。(55p)
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つまりつまり、やらされることは楽しくないんです。
当たり前ですね。
自分から向かっていきたいことこそ、楽しいことなんです。
だから積極的にやってみなくちゃ。

では、そういうものを見つけるにはどうしたらいいか。
森さんは言うんです。

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楽しいものは、「やらなければならないもの」ではない。やってもやらなくても、どちらでも良いものだ。(56p)
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やってもやらなくてもどちらでも良いもの。
それは誰もやろうとしないものなんだね。
やらなければならないもの、は、自分がやらなくても誰かがやらざるを得ない。
そういうのは楽しくないし、自分だけのものには成り得ない。
学会発表なんて、研究者として飯を食っているんじゃないぼくにとったら、やってもやらなくてもいいものに違いありません。

やってもやらなくてもどちらでも良いものこそ、自分しかできないものなんだ。
つまりは「人と違うことをやる」わけです。それを恐れない。
そういうことを少しでもやる。
そういうことをやるために、ちょっとずつでもいいから他の人より10%だけ努力してみる。
それをやり続ける。
それが楽しいこと、自分自身を見つける技術なんだと思うわけです。

2011年8月1日月曜日

親の背中


こんにちは

今週は、ぼくはつくばで加速器学会に参加、晶ちゃんと子どもたちは岩手に帰省です。
家族はいつもべったり同じ行動をとる必要はない。
自由にしたり、一緒にいたり、みんながその時々で楽しくなるようにする。
妻や子どもたちが加速器学会に一緒にいっても楽しくないでしょう。
同様にぼくが女房の帰省に付き合うのも、あまり楽しくない。
あははははは。

昨日、家族を岩手に送り出したあと、ぼくは加速器学会で発表する論文を書きました。
今年は電源安定性についてと、冷却水温度制御についての2本発表することで、登録してありました。
1日で2本論文を書くのはきつかったー。
へろへろになりましたよ。

今年はもう一つのチャレンジとして、共著者のみんなにも部分執筆してもらったんです。
これも結構大変でしたね。
複数の原稿を集めて、一つのストーリーを組み立て、文章のトーンも統一し、流れるように読めるようにする。
一人で全部書くのより大変だったかも。

それでも、論文の出来不出来は抜きにして、2本書き上げ学会へ投稿できました。
エンジニアのモットーは「期日は守る」ですから、最低限それは守れましたよ。
もっと余裕を持って取り組めばいいんでしょうが、ま、こういう経験も大事ですからね。
あはははは。

青木雄二『青木雄二のゼニの教育論』青春出版¥1100-から引用します。

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子どもに豊かな人生送ってほしかったら、まずは親が豊かな人生送って、その手本を見せるということや。
どんな有名な塾に入れるよりも、どんな立派な参考書を与えるよりも、子どもに、
「うちの親のような、いい人生、おもしろそうな人生を送れたらええなあ」
そう思わせるのが、最高の教育や。
金が無いのは厳しいが、そこは努力でカバーせなあかんで。
まちがっても、つらい生きざまを見せてはあかん。
ぬかるみにできた車輪の跡に足をとられるように、子どもも同じ轍を踏むで。(20p)
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ぼくもまったく同感です。
親が楽しく人生を送っていかなくちゃね。
楽しくやるにも努力は必要です。
努力している姿を見せる。
そしてその努力が実った姿も見せる。
そうしていきたいんです。

いくら子どもに「勉強しろ、勉強しろ」と言っても、言うだけじゃ勉強するようになりません。
勉強の価値をこんこんと説明してもダメ。
やっぱり親も勉強する。
勉強したらいいことがあるってことを実際に子どもに見せなくちゃ。
勉強した方が人生は豊かになるし、ハッピーでいられるってことを、実感できませんよ。

時には辛いこともあるのが人生です。
でもその辛い状況にどっぷり浸かってしまってはいけないんです。
ただただ「辛い、辛い」と愚痴や不満を言うのでは、子どもは人生に絶望してしまいます。
辛さから抜け出る努力をする。
辛くてもちょこっとでもハッピーを拾うんです。
笑顔になれる小さな努力を積み重ねる。

そうなれればいいなーと思っています。
さて、加速器学会に出発しますか。
楽しくがんばってこようと思います!