2011年5月30日月曜日

本を読もう、語彙を増やそう


こんにちは

我が家では夜寝るときに、必ず本を読んであげています。
だいたい、としきくんにはお母さんが、溌貴君にはぼくが読んであげる。
この頃は溌貴君も長いお話でも集中がとぎれないため、厚い本を読んでくれと言います。
ちとつらいねえ。
それでも「読んで」と言われれば、読んでやるのが親の役目です。
なぜなら、語彙を増やすには本を読むのが一番いいからです。
日常会話で使われる言葉は限られています。
特に、親子や兄弟など近しい人と話すだけでは、絶対語彙は増えないのです。
ではなぜ語彙を増やす必要があるのでしょうか。

三谷宏治『トップコンサルタントがPTA会長をやってみた』英治出版¥1200-にこうありました。

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十年先、二十年先を睨んだ時、子どもたちが今から身につけるべき「力」とは一 体何だろうか。
明らかに「コミュニケーション力」はその一つだ。
中学校レベルでは今これが、深刻な問題となっている。
語彙が少なすぎて相手に意図が伝わらない、言葉から類推して相手の心や状況を 想像できない。
そもそも伝わっていなくても気にしない、気にならない。
ハード なコミュニケーション(交渉とか)が出来ないので、無視か押し付けといった極端に走る・・・。
これらは明らかに学校の問題でなく、家庭の、親の問題だ。(54p)
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キレやすい子って、語彙が不足しているんですよね。
だから、自分の気持ちを言葉で伝えることが出来ない。
自分の気持ちを言葉にできないんですね。
それでキレるしかなくなるんです。

それは子どもだけじゃなくって大人でも同じです。
ぼくのような技術者でも、きちんと勉強をしてきた人とは、専門用語を使って深い議論が出来ます。
専門家同士の話だけじゃなく、きちんと勉強してきた人は専門外の人に対しても、専門的な事項を優しくかみ砕いて説明することもできます。
専門外の人の言うこともきちんと聞いて、専門の言葉に翻訳もできる。
コミュニケーションが成立するんです。
語彙が豊富であることは、大人になっても大切な道具なのです。

中途半端な専門家づらしている人が一番困ります。
専門用語を使うんですが、その定義があいまいのまま使っていたり、語感だけで印象的に使っていたりする。
ちっとも話が噛み合いません。
素人相手よりも話が通じないんです。
当然ながら、エセ専門家は素人相手にやみくもに専門用語を振り回す。
まあ、ケムに巻いているつもりなんでしょう。

語彙を増やすには、本を読むことが一番です。
子どもには本を読む習慣をつけなくちゃ。
10歳くらいまでは毎日毎日読み聞かせをして、本の面白さを伝える。
子どもはまだ読みの力が十分じゃありませんから、自分で読んで、自分で理解するという、二つのことを同時にやるのは困難。
読み聞かせをするなら、読む方は親まかせにできるので、理解に集中できる。
読み聞かせは理解力の訓練にもなるんですよ。

平行して、文字の読み書きの練習をしっかりやる。
自力で読める力も、段階的に養成する。
そして子どもが読みたいと言う本は、躊躇なく買ってやる。
読書だってモチベーションが一番大事。
読みたい本を読みたい時に読むのが、最も栄養になるんです。
もちろん家にはたくさん本があり、親もいつも読書する姿を見せている。

語彙を豊富に持って、言葉を使って世の中を動かしていく。
溌貴君にもとしきくんにも、そういう人になってもらいたいですねー。

芝の戦略

こんにちは

暖かくなって公園の芝生の上でのんびりひなたぼっこもいいですね。
我が職場の屋外の芝も元気に伸び始めました。
でも、困ったことに雑草も元気に伸びてるんですよ。

芝生は維持管理がけっこう大変です。
まめに芝刈りをしないと、すぐ雑草だらけになってしまいます。
どうしてなんでしょうか。

植物には盛んに細胞分裂をして成長している場所があります。
これを「成長点」と言います。
中学校や高校の理科の時間に、大根の根の先端を顕微鏡で観察したことがあるかもしれません。
一般的に、成長点は根の先端、葉の先端にあります。
成長点を人為的に切り取ってしまうと、その植物はそれ以上成長ができなくなって、やがて枯れてしまいます。
ところが、芝は刈っても刈っても伸びてきます。
それは、芝の成長点は葉の先端にはなく、葉の根元にあるからです。

芝はイネ科の植物で、牛や馬など草食動物が好んで食べる植物です。
自然の野原では、芝や他の雑草などいろいろな植物が生えています。
そこを草食動物が食べる。
食べるときは、当然ながら食べやすい葉の先端部を食べるわけです。
すると、成長点が葉の先端にある植物は成長点を食べられてしまうので、それ以上成長することができなくなって、やがて枯れてしまいます。
ところが、芝は成長点が根元にあるので、先端を食べられても枯れません。
すると、芝だけが生き残り、どんどん増えることができるのです。
芝の一人勝ちです。

芝は成長点を根元に持ってくるよう進化したのは、草食動物が草を食べる環境に適応したためです。
さきっぽを食べられても平気、他の植物との競合に勝つためにむしろ先っぽを食べられた方が有利ってことです。
その意味で、草食動物が芝を進化させたのかもしれませんね。

草食動物がいない場所に芝を植えた場合、どうなるでしょうか。
しばらくすると、元もとその土地にあった他の雑草などの種が発芽したり、風や鳥が運んできた種が発芽したりして、芝と雑草が競合するようになります。
そうなるともう芝生ではなく、ただの雑草だらけの野原になってしまします。
背丈の低い芝は、他の雑草に太陽の光が遮られ、成長できなくなってしまいます。
光を浴びてグングン背を伸ばす他の雑草に、土の中にある栄養分も取られてしまうのです。

そこで、芝刈りです。
芝刈りをすれば、当然ながら雑草の先端も刈り取ることになります。
成長点を刈り取られた雑草は、成長ができなくなって枯れていきます。
そして、根元に成長点がある芝だけが生き残るというわけです。
芝って奴はけっこうしたたかです。

人間も芝の生き方に学ぶのもいいかもしれません。
個性の芽をつみ取られてイヤな目に遭わないように、成長点をつみ取られにくい場所にもっていくんです。
そうすれば簡単には個性をつぶされません。
ぼくも芝のようにしたたかに生きていきたいって思いました。

2011年5月27日金曜日

鶴亀算の解き方

こんにちは

spring8一般公開で、ぼくは科学のお話会をやらせてもらいました。
お話会のあと、参加者が質問に来たりします。
これがけっこうドキドキ。
知らないことを質問されると困るからね。
普通の人は、理研の職員なら科学のことは何でも知っているだろう、と思っているみたい。
ぼくだって(誰だって)知らないことはしらないんです。
その意味でぼくだって普通の人なんです。

で、あるお母さんがお話にきて、ぼくは昔小学校教師だったことなどもしゃべったりしていたら、突然

 小学生の子どもに鶴亀算を教えているんですけど、
  いい教え方はありませんか

なーんて質問されました。
おお、これならぼくの専門だ。
なんたって中学受験塾にも勤めていたことがあるからね。
喜んでお教えしましょう。

鶴亀算とはたとえばこんな問題です。

  鶴と亀があわせて8匹、足の数があわせて26本であるとき、
  鶴と亀はそれぞれ何匹(何羽)いますか

中学生以上なら、1次の連立方程式の計算方法を知っているでしょうから、簡単に解いてしまうでしょう。
鶴の数をx、亀の数をyとおけば、あわせて8匹なんだから、

 x+y=8、

そして足の数はあわせて26本だから、

 2x+4y=26。

これを解けばいい。
すぐ計算できちゃいます。

だから、小学生にちょっと先取りして中学で習う連立1次方程式を教えちゃってもいい。
たいていの数学の問題は、その時点で解けなくても、もっと先まで勉強を進めちゃって、振り返ってみると簡単に解けるようになるものなんです。
算数、数学が好きな子なら、遠慮しないで中学、高校、大学の数学まで順を追ってどんどん勉強しちゃうのも手です。
好きなこととことんですからね。

でもそれほど算数が好きじゃない子なら、こんなやり方を教えてあげるのも楽しいことです。

鶴と亀を思い浮かべるとき、鶴は2本足で立っていて、亀は4本足ではいつくばっている。
こういう状態を思い浮かべていたら、鶴亀算はとても難しいのです。
こういうときは亀を立たせてみるといいんです。
すると、鶴も立ち上がった亀も足は2本だけになります。

ノートに絵を描いてみてください。
鶴も亀もとりあえず、○で表します。
鶴と亀はあわせて8匹いるわけですから、○を8個書く。
鶴も立ち上がった亀も足は2本ずつですから、○に足を2本ずつ描き加えてみましょう。
足の数は合計16本になりましたね。

次に、立った亀がバンザイしているところを想像してください。
亀の手は2本ずつですね。
鶴と亀の足(と手)をあわせると26本でした。
鶴と立ち上がった亀の足の合計は16本でしたから、残りの足26-16=10本は亀の手ということになります。

さっきの足のついた8つの○に、手を10本描き加えてみましょう。
一つの○に2本ずつ手を書き加えていきます。
すると○5つに手があることがわかるでしょう。
ほら、亀は5匹だったんですよ。
手の描かれていない3つの○が鶴だったってことです。

ね、鶴亀算も結構面白いでしょ。

2011年5月26日木曜日

読書する習慣

こんにちは

会計検査が終わると、必ず設計、施工スタッフにお礼のメールを打ちます。
それなりに準備などで負担をかけたからね。
それに、自分のやった仕事の結果は知りたいもんでしょ、誠実な職業人なら。
うまくいったなら嬉しいし、そうでなかったのなら反省するし。
ちゃんとフィードバックがあるから、腕も上がるんだと思います。

  本日の会計検査、終わりましたよー。
  1番目の検査でつまづいたため、ぼくまで順番回ってきませんでした。
  あ~ら残念。
  電気工事についてはよく資料準備をしていただいていましたので、
  検査官へたっぷり説明したり、いい出来具合の建物を見ていただいたり
  したかったんですがねー。
  ともかく、終了です。
  今年度内に再度神戸研検査の指定がない限り、本件の検査もありません。
  たぶんないでしょう。
  ご協力ありがとうございました。
  またいつかどこかで一緒に仕事をしましょう。
  おっと、来年3月には1年目検査で会えますね。
  それ以外の不具合では会いたくありませんが、まあ大丈夫だと
  思っています。
  ありがとうございました!

すぐさま、スタッフの一人から返信がありました。

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メールありがとうございます。
会計検査お疲れ様です。
私も設計変更の資料作成に携わった一員としてうれしく思います。

私ごとですが来週から兵庫県豊岡市へ単身赴任で現場代理人・監理技術者として赴任いたします。
建物は○○市新庁舎です。(電気請負70,000万)
工期は2年間で平成25年3月末竣工の現場です。

この現場の特徴は現庁舎(昭和27年建築)を解体せず今の位置から約30mほど移動させる曳家工事があります。
建築工事ですが見たことがないので楽しみにしています。

電気設備の目玉は中央監視設備にエコ見える化システムが導入されていまして電気・空調などのいろんな情報を取入れエネルギー使用量として庁舎全体、フロアー別、部署別で表示したり目標値を設定し、「達成」「未達」などを表示したりします。
はじめて経験しますので良く理解し、次に繋げたいと思います。
あと受変電設備では高圧2回線受電で設備容量が2100kVAで非発は高圧発電機500kVA、燃料タンク18,000L、小出層650Lとなっています。(かなり気合入っています。)

理研IPS棟で関口さんからいろいろご指導していただいたことを○○にもっていき、実践し、結果を出してきたいと思っています。
次の神戸研究所の増築がありましたら必ずお役に立てると思います。
(すいません言いすぎました。)

又関口さんに本を頂いてから「本を読む」習慣がつきました。(まだ初心者です
が・・)
今では本屋で、どの本を買おうかなと選ぶのが結構面白いです。

理研IPS棟では本当にお世話になりました。(特に計野君ですが)
電気設備技術者として、まだまだですのでレベルアップ出来るよう日々無駄にせず頑張って行きたいと思います。
本当にありがとうございました。

関口さんメールは今後も送信をお願いします。
それでは失礼致します。
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とても嬉しいメールでした。
ぼくの仕事、建設工事は、そのプロジェクトごと数年間だけのつきあいです。
一期一会。
その中でいい仕事を残すために、スタッフの人たちと心の温度調整を心がけています。
スタッフたちが今持っている技術、腕を最大限にふるってもらう。
そして、少しでも腕を上げ、楽しくゴキゲンに仕事をする。
やっぱり仕事は「人」です。
まずはぼくの方から自分の人柄、考え、思い、願いを伝えていく。
「ごみメール」を送るのもそういう理由からなんです。

そしてもう一つの技が読書。
出張の時に読み終わった本を、スタッフの人にあげちゃう。
読んでも読まなくてもいいけど、この本ならあいつにあげよう、と選んでね。
読んでくれたならぼくと脳の一部を共有することにつながりますしね。

社会人になると読書する習慣が失われがちです。
仕事は忙しいしね。
酒飲む時間はあるんですがー。
でも本を読むと、いいことたくさんあるんですよ。

齋藤孝さんが言っていたことですが、

 本を読むと優しくなれる

のだそうです。
なぜなら、本を読むと言うことは本に書いてあることを自分の中に受け入れることだからです。
書いてあることの中には、必ずしも自分の考えと一致しないことが多々ある。
それを受け入れることは、狭い自分を広げることになります。
新たな知識、考え方を本から学び、自分の枠を広げていけるのです。

そういう習慣が身に付くと、本からだけじゃなく、他の人の言うこともよく理解しようという習慣が身に付くのです。
相手の話をよく聞き、理解に努めることはコミュニケーションの基本です。
話をよく聞き、理解するから、相手の立場もわかってくる。
相手の立場をわかって対応すること、すなわち優しさなんです。

読書をせず、不勉強な人ほど偏狭だったりします。
自分の考えだけに固執する。
少ない知識と狭い経験だけで判断する。
それでは多くの人に納得してもらえないのです。
そしてコミュニケーションが破綻して孤独になっていく。
そういう生き方は損です。

スタッフたちが読書をするようになるにつれて、打ち合わせも捗るようになります。
お互いの言っていることが理解できるようになるからね。
短時間でも、きちんと意図が伝わっていくんです。
自分が今やっている仕事の意図、意味がわかると、そこに工夫も生まれます。
工夫すれば仕事への参加意識も高くなる。
人から言われたことだけをこなすのは、奴隷仕事ですからね。
自分なりの工夫を仕事の中に入れ込んでいくと、当事者意識も高まるのです。
仕事が、ヒトゴトからジブンコトに変わっていきます。
そして自分のやった工夫がうまくいけば、腕も上がり、楽しくなっていきます。
そうやっていい仕事の条件が整っていくのです。

読書には実用性があるのです。
本を読みましょう!

2011年5月25日水曜日

人生は力積なり

こんにちは

昨日は津波の話を書きました。
津波は波長が長~いから、波高は低くても危ないんだって。
書きながら気づきました。

 あ、これは「力積」の問題だ

ぼくはこれでも物理科卒ですからねー。

力積とは、力×時間です。
高校物理で習ったと思います。
高校では、力積=運動量変化、文字式でFt=mv'-mvという形で習ったと思います。
ぼくも高校生の時は習っても理解できなかった。
計算はできるようにはなったけどね。

大学生になっても、まだよく理解できなかったんです。
物理学科なのに。
講義で「力積とは作用である」なんて習ってもちんぷんかんぷん。
量子力学の講義では「プランク定数は作用の次元を持っている」なんて言われて、ますますわからなくなった。

ようやく実感を伴って理解できたのは40歳頃になって。
板倉聖宣さんに、こんな実験を教えてもらって、すとんと腑に落ちたんです。

ストローに爪楊枝を入れます。
そのストローを吹くと、吹き矢のように爪楊枝が飛び出します。
最初はストロー1本で、どこまで飛ぶか実験する。
次にストローをもう1本継ぎ足して、長くして同じ実験をします。
すると、ストローを長くした方が遠くまで飛ぶようになるんですね。
さらに継ぎ足して3本分の長さにしてやってみる。
もっと遠くに飛ぶようになるんです。
遠くまで飛ぶ、すなわち爪楊枝のスピードが上がる、ということです。
アフリカの原住民が狩りに使う吹き矢はやたら長いのは、矢の速度を上げて獲物まで届かせる、あるいは獲物に速いスピードで矢を突き刺すためなんですね。
吹き矢に吹き込む息の勢いが同じであっても、長い吹き矢を使うと矢の速度は上がるんです。

吹き矢が長くなると、なぜ矢のスピードは上がるのでしょうか。
それは、長い時間矢に息が吹き付けられるからなんです。
息の力をF、吹き付けられる時間をtとすれば、Ftです。
すなわち力積が大きくなるってことですね。

力積が大きくなれば、運動量変化が大きくなる。
運動量変化は、mv'-mvです。
吹き矢の質量mは変わりませんから、速度が速くなるということを示しているのです。
つまり、作用とは相手の状態(速度)を変えること、なのです。
長い吹き矢ほど矢がすごいスピードで飛び出すのは、Ft=mv'-mvで説明ができるのです。

津波も同じです。
津波の高さがわずか0.5mであっても、長い時間押し寄せてくるので、力積が大きくなる。
するとその波をかぶった人への作用も大きくなり、波に流されてしまうというわけなんです。

「だるま落とし」という遊びがあります。
ブロックを何段か重ね、一番上にだるまを乗せる。
ハンマーで下段のブロックを叩き出す。
だるまはそのまま下にストンと落ちるって遊び。
よく理科の教科書に、これはだるまに慣性があるからだ、と説明されていますが、それは間違い。
だるま落としも力積の問題なのです。
下段のブロックをハンマーで横方向に動かすと、上段のだるまとの間に摩擦力が働きます。

だるま落としを成功させるには、下段のブロックを勢いよく叩き出さなくてはなりません。
つまり、素早く叩き出す=時間が短い、というわけです。
時間が短ければ上段のだるまに及ぼす作用は小さくなります。
Ft=mv'-mvの左辺が小さいので、右辺のだるまの速度変化も小さくなるということです。
摩擦力Fがあっても、時間tが短いので、力積Ftは小さい値になるのです。
叩き出す時間が短ければ短いほど、上段のだるまは横方向に速度を持つことがなくなる。

逆に、下段のブロックをゆっくりと叩き出すとどうなるでしょうか。
時間tが大きくなるので、力積Ftも大きくなり、上段のだるまが横方向に速度をを得てしまって、だるま落としは失敗してしまうのです。

復習すると、相手に作用(すなわち速度変化)を及ぼすには、力積を大きくする必要がある、ということです。
おーー、ここに人生訓も読み取れますね。
力が弱くても力を加える時間を長くすれば、力積は大きくなり、相手の変化も大きくなる。
力が強くても力を加える時間が短ければ、力積は小さくなり、相手の変化も小さくなってしまう。

力には作用反作用の法則が働きます。
大きな力を及ぼすと、相手からも大きな力で跳ね返されます。
小さな力なら、相手からの反作用も小さくなる。
相手を変化させようと思って、大きな力を加えると反作用も大きくなって、かえって相手の変化を引き出すことができなくなる。
それよりも小さな力でもいいから長い時間かける。
そうやってじわじわと相手を変化させていく。
ね、まるで人生そのものでしょ!

今ぼくが取り組んでいることを紹介しましょう。
それは、スパコン施設の電気設備点検を3年ごとにする、ってこと。
電気設備の点検を行うには、当然ながら停電させなければなりません。
停電すれば、スパコンも止まってしまうのは当然です。
でもスパコンを止めるのは、大きな損失なんです。
コンピュータの社会的寿命はとても短い。
数年のうちにもっと性能のいいマシンが開発されてしまうからです。
スパコンといえどもその社会的寿命はせいぜい5年か6年でしょう。
その中でも最初の3年間は稼ぎ時なんです。
3年くらいの間は世界のトップクラスを維持しているはずですから、どんどん利用しないと損です。
そんなときに電気設備の点検のために停電させて、スパコンを止めてしまうのはもったいないのです。
次世代スパコンは開発も含めて1100億円の費用をかけました。
これを3年間=1095日で割り算すると、1日あたり1億円にもなります。
スパコンを1日止めたら1億円損するってことなんです。

ぼくの造ってきたスパコン施設の電気設備は、この1年間見てもとても安定しいます。
それにまだ造ったばかりで新しい。
初期不良さえ一掃してしまえば、3年くらい点検をしないでも安全に保てると思っているのです。
電気設備の定期点検は毎年やらなくちゃいけない、という点検至上主義の電気技術者もいるんです。
こういう人を説得していかなくちゃいけないんです。
そのときに力積の法則を使うんですね。
一気にやろうとすると反作用も強く、跳ね返される。
だから弱い力で、でも長い時間をかけてじわじわと変化させていく。
そういう戦略なんですよ。

2011年5月24日火曜日

津波は怖い

こんにちは

3/11に起こった東日本大震災。
地震そのものの被害はあまりなかったようですが、津波の被害がすごかった。
想定外ですもんね。
ぼくの神戸の職場も海に近いので、震災後いろいろな人から「津波は大丈夫か」と聞かれました。

建物自体免震構造で造りましたが、過去の東南海地震のデータを駆使して設計してあります。
過去の地震と同規模であれば、完全に安全です。
ただし免震構造は横揺れしか防げなく、阪神淡路大震災のような直下型地震で縦揺れを抑えることはできません。
縦揺れを抑える免震技術というのは、今のところ存在しないのです。
直下型地震で大きく揺れれば建物内の棚や設備類は転倒してしまうと思いますが、それでも建物自体が倒壊することはありません。

津波に対しては、神戸市の津波警戒区域外の敷地であること、過去の歴史的地震データを見ても3mを超える津波は来ないだろうし、その範囲であればポートアイランドの岸壁高さを津波は乗り越えられないということで、特段の対処はしていません。

津波も波ですから、波の高さよりも高い岸壁や防波堤は乗り越えられません。
逆に言えば、防波堤の高さより高い波がきたら、防波堤なんかまるでそこに存在しないがごとく、やすやすと津波は乗り越えてきてしまうのです。
乗り越えられない場合でも、岸壁や堤防の壁で反射した波が元の波と合わさって、波の高さは2倍の大きさになって砕け散ります。
だから津波自体はぼくらの建物までやってこないでしょうが、岸壁で砕けた波しぶきが建物にザバザバ降ってくることは想定していて、塩害に対しての対処はしてあります。

過去の地震の記録( http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/23-Yamamoto.pdf )を見ると、瀬戸内海では過去にも大きな津波が発生していないようです。
津波というのは海水の盛り上がりです。
盛り上がるためには広範囲から海水を集めてこなくちゃならない。
瀬戸内海は内海ですので、高く盛り上がるだけの水量がないのだと思います。
盛り上がりたくても海水が十分なければ盛り上がれません。
それに瀬戸内海には小さな島がたくさん点在しているため、それが津波のエネルギーを拡散、吸収してくれることも、高い津波が発生しない要因になっている。

ところで津波注意報が発せられるときの津波高さは、たった0.5mです。
なーんだ、膝上くらいの波か、ちょろいちょろい。
そんな風に思ってしまいますよね。
でも、0.5mの津波でもかなり危険なのです。

津波と普通の波(波浪)とどこが違うのか。
それは「波長」。
普通の波は、波長数mからせいぜい数百m程度です。
それに対して津波の波長は、数kmから数百kmにもなります。

波とは海水の盛り上がりです。
波長が短ければ、その盛り上がりにある海水の量はたいしたことはありません。
高さ0.5mくらいの普通の波なら、波が足にザブンと当たってもそれは短時間で終わります。
短時間なら踏ん張り続けることができ、転倒することもないでしょう。
ところが波長が長い津波の場合、すごく長い時間ぐいぐいと足を押し続けるんです。
短時間なら踏ん張れるでしょうが、長時間ぐいぐいぐいぐいと押し続けられると立っていられなくなって転んでしまいます。
転んでしまうと水の動きに抗えなくなり、ごろごろと流されてしまうのです。

さらに波は寄せては返すものですから、寄せた波はまた海へと戻っていきます。
津波で押し寄せた大量の海水は、再び海へと戻っていきます。
津波で転んでしまった人は、沖へ沖へと流されていってしまいます。

このように津波は波長が長く、一つの波がもっているエネルギー量がとてつもなく大きいのです。
ですから、わずか数十cm高さの津波でもあなどってはいけません。
海岸にいることは危険です。
すぐに高台に逃げる必要があるのです。


参考; http://www.jma-net.go.jp/ishigaki/tmanual/1syou.htm

2011年5月22日日曜日

現場に行こう、自分の目で見よう


こんにちは

神戸での一人暮らしもだんだんと慣れてきて、ほぼ毎朝「ごみメール」を書くくらいの余裕が出てきました。
ただし、神戸に持って行っているモバイルPCへアドレスデータをうまく移植できないでいますので、神戸で書いたものはメールでの配信はできないでいます。
神戸発のごみメールはブログにupしますので、お時間のあるときにでも、時々見に行っていただければ嬉しいです。
http://rikenyoshi.blogspot.com/

せっかく一人暮らしの寂しさを味わうのですから、朝晩のヒマを活かして単身赴任中に大形資格でもGetしたいなーって思っています。
まだコンスタントに勉強時間を確保するまでには至っていません。
仕事帰りに三ノ宮そばの図書館で1時間くらい勉強して帰る。
朝もごみメールを書いたあと30分くらい勉強してから出勤する。
その位できるようになるといいですねー。

さてさて、先週は神戸研と計算機構の会計検査でした。
久しぶりにぼくの担当した工事がたくさん検査対象になり、合計5つの検査について説明することになりました。
計算機構での検査日は、午後4時間出ずっぱり状態で、とても楽しかった。
ぼくは会計検査が好きなんですよ。
だって自分が造ったご自慢の施設を検査員に見ていただき、予算執行上の問題もないことのお墨付きをもらえるんですからね。
もちろん準備万端整えて、張り切って説明しちゃいます。

会計検査は書面による検査が主ですが、現場の確認も随時行われます。
その時大切なのは、現場の設備一つ一つについて十分把握しておくこと。
現場に行って検査員から「あれは何ですか」と聞かれたとき、スパッとその名前と役割を言える。
それができれば、検査員に安心感を持ってもらえます。
すぐに答えられなかったり、説明があいまいだったりすると、疑義を持たれますよ。
会計検査の目的は、予算が適切に執行されているかどうか、なんです。
自分が担当した工事で設置したものの名前と機能を把握していない、すなわち予算執行が適切に行われていない疑義があるってことになりますから。
だって、それが何だかわからないでお金を支払っているってことですからね。
モノとお金はリンクしているのです。
高度な機能があるモノであれば高額なのは当然ですし、低機能であるモノは低額であるのが普通です。
それを理解して契約し、施工、取り付けを監督し、契約通りのモノであることを確認して支払いしているかどうか。
だから現場に精通していることが必要なんです。

ぼくの観察したところによれば、検査員の質問に的確に答えられない人は、施工中からあまり現場に行っていない。
現場に行かず、施工者任せ、設計者任せにしている。
書類や図面だけで打合せをしている。
金額についても現物を見ないで、高いだの安いだの印象で言っている。
そのモノをよく見ていないんですよ。

イヴォン・シュイナード『社員をサーフィンに行かせよう』東洋経済新報社¥1800-にこうありました。

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日本でもそうかも知れないが、机に座っていても、実は仕事をしていないビジネスマンは多い。
彼らは、どこにも出かけない代わりに、仕事もあまりしない。
仕事をしているふりをしているだけだ。
そこに生産性はない。(2p)
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現場に行かない人は、現場が嫌いなんです。
なぜって実力がないから。
現場に行っても何をやっているのか分からない。
分からないから面白くない。
その上実力がないことがバレちゃうので恥をかく。
ますます現場に行かなくなる、という負のスパイラルに落ち込みます。

もちろんただ現場に行けばいいってもんじゃありませんよ。
書類や図面を読むのも大切です。
書類や図面に書いてあるものを、現場でも確認する。
現場で見てよく理解できないことがあれば、書類や図面をよく読み込んでみる。
現場とデスクワークを相互にリンクさせることが大切。
そうやって実力を上げていくわけです。
実力が上がると楽しくなります。ゴキゲンになれます。
ポジティブフィードバックが働き、現場に足を運ぶことも苦ではなくなるんです。

先週の検査では、神戸研に造ったiPS研究棟電気工事設計変更契約も検査対象になりました。
勤勉実直なスタッフたちのおかげで、資料は完全に調っています。
ぼくももちろん施工中から現場をよく見て把握している。
だから検査対象になってもあわてることはありませんでした。
検査当日、半年前に入社した新人君も後学のために神戸に出張してくることになりました。
じゃあ君がメインで説明してみますか、と言いました。
せっかく公費を使って出張してくるんだから、実践で鍛えた方が有意義だからね。
ぼくは隣に座ってきちんとフォローするからさ。
新人君も「やってみる!」と言いましたよ。エライ、エライ。

検査1週間前、検査資料を全部彼に預けました。
まずは書類を読み込んで、何がどこに書いてあるか把握すること。
それとともに、書類に出てくる部材、用語について、自分が知らないことは調べておき、頭にたたき込むこと。
そして検査前日早めに神戸入りして、現地を歩き回ってよく見ること。
書類にあるモノがどこにあって、どんな働きをしているか、自分の目で見ること。
そう新人君に指示しました。

そして、検査当日。
ぼくらの出番は2番目です。
新人君も緊張した顔つきでした。
ところが、1番目の検査が躓き、予定していた検査時間を大幅に超過。
とうとう時間切れで、ぼくらの検査まで回ってきませんでしたよ。
残念無念。
で、1番目の検査が躓いた原因はというと、上に書いたとおりだったんだなー。

事件は現場で起こっている。
そしてその解決も現場でしかできない。
そんなことが、新人君にも伝わったら嬉しいなーと思いました。



写真は、和光に建設した脳センター神経回路遺伝学棟のラボ。
研究者の机と実験台をガラスの扉を隔ててすぐ隣に配置しました。
実験中、調べたいことを思いついたらすぐ机に行って文献検索ができる。
論文執筆中、追加実験の必要が出てきたらすぐ実験台に行ってデータを取る。
研究者の動線を最短で結んだのです。
つまり、現場とすぐ行き来できるってこと。
このあたりも日本のラボとしては新しいデザインかなーと思っています。

2011年5月19日木曜日

ネガティブ要因に負けるな!


こんにちは

単身赴任を始めた、と言ったら、古くからの友人からこんなメールをもらいました。

 神戸転勤、さびしがりの関口さんには大変ですね(笑)。
 どのくらいの期間のご奉公になるのでしょう。
 あまり無理せずやりましょう。
 何しろ、40代後半から50代で、心を病む人も多いようですので・・・。

一般的には「ありがたい」お手紙かもしれません。
でもぼくはこういうの、イラッと来ちゃうんですよねー。
大きなお世話でございます。
もちろん心配してくれて言ってくれているんでしょうが、かすかにそこに「呪い」を感じちゃうからです。

今週ぼくは会計検査を受検しています。
我社のように税金で運営されている会社は、年1度必ず会計検査院の検査が義務付けられている。
ムダに、あるいは不正に予算が使われていないか検査してもらうのです。
もちろん普段から嘘偽りなく適正、的確に仕事をしているので、何も恐れることはありません。
きっちり資料を準備して、自分のやった仕事を頭に叩き込み、論理的に説明し、検査員に納得してもらう。
ただそれだけです。

検査前にいろいろ心配してくれる人がいらっしゃいます。
「あれはどうなっている」「こんなことを聞かれたらどうする」「あそこはやばいんじゃないか」e.t.c.
誰もそんなことは気にしないよ、というようなことまでご心配くださる。
そういうことを、その件に関する権限も責任もないような人が言って来るんですよ。
ある程度権力を持っている立場の方だったりして、無視するわけにもいかず、余計にたちが悪い。
こういうのもぼくはイラッとしちゃうんですよねー。
「いや、検査はどんな観点で見られるかわからないから、ちょっと意地悪かもしれないけどね」なーんて言ったりして。
そうやってぼくの時間と気力を奪っていくつもりなんですな。

心配そうなふりをしていろいろ言ってくる人って、実は失敗してほしいって思っているんだと思います。
ホントに失敗してしまったら、「ほら、俺の言ったとおりじゃないか。だからあれほど言っただろう」って言いたいんですよね。
予言というのは、起こりうることを数限りなく言い募ることによって、的中確率があがるものです。
失敗することを願っているわけですから、ありとあらゆるネガティブ要因を考えるわけです。
つまりは「呪い」なんですよ。

呪いの言葉に絡め取られてはいけません。
呪いの言葉を真に受けて、それら全部にいちいち対応するとどうなるでしょうか。
ほとんど起こりえないようなことにまで振り回されてしまうと、ホントにやっておくべき重要なことに時間と労力をかけられなくなってしまいます。
重要なことがおろそかになれば、失敗確率は上がってしまうのが当然です。
呪いは実現してしまうのです。

藤原和博『つなげる力』文春文庫¥552-にこうありました。

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未来を拓こうとする企画を潰すのは簡単だ。
こんなふうに(ネガティブ要因)、不確かなことをいちいちあげつらって、そこを突き、不安やリスクを並べ立てればそれでよい。
だから、起案者側は、こうした「あら探しの罠」にはまってはならない。(198p)
###

なにか新しいことを始めようとすると、必ずネガティブ要因を並べ立てて反対する人がいます。
さも自分は心配だからわざわざ言ってやっているんだって顔をして。
でもたいていは「呪い」なんですよ。
新しいことなんかやってほしくない、今のままでいいじゃないか、お前より俺のほうが分かってる、それにお前がそんなスバラシイことをやるのは嫌だ、俺のほうがエライんだ、お前をハッピーにはしない、というのが本心だったりするんです。
こういうのにからめとられてはいけないんです。
呪いは信じるとその通り悪いことが実現しますが、信じなければかからないものだからです。

ではどうするか。
藤原さんはこう言います。

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ありもしない「正解」を探して100回会議を重ねるより、始めたあとに100回修正を加え、リズムとテンポよく「進化」させていったほうがはるかに有効なのだ。(199p)
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とにかく走りだすことです。
心配の9割は最初から起こることはないんです。
ありもしないことを心配しすぎてはいけません。
気にしすぎて立ち止まっていてはいけないんです。
そうして走りだせば、先が良く見えてきます。
見えてきたリスクは、その都度修正を加えて潰していく。
そしてまた先へ進むのです。

さあ、今日もがんばろーっと!



アパートのそばに北野天満宮があります。
朝早く起きて、ちょっと散歩も楽しいですよ。
ポジティブに生きていれば、心を病むこともないんです!

2011年5月18日水曜日

自動制御なんてクソくらえ!


こんにちは

昨日は東京明治記念館に行ってきました。
空調衛生工学会学会賞の授賞式に参加するためです。
ぼくが造ってきたXFEL棟が技術賞を受賞したからね。
明治記念館は由緒ある宴会場で、結婚式なんかも行われている晴れがましい場所です。
そんなところにいつもの作業着首タオル姿で行っちゃいましたー。
あはははは。

さてさて今回の受賞は、装置冷却水設備というこれまでの加速器施設では加速器装置の一部として設置してきた設備を建家建設工事の一部として施工したことが一つの受賞理由です。
実験設備に近い設備、実験装置と直結する設備を建設工事で施工し、かつこれまでよりもよいものができた。
もちろん金と時間さえかければ、加速器装置として作ろうと建家機会工事として作ろうと、いくらでもいいものができるわけですが、限られた予算、限られた時間の中でやりきったというところがミソかな。

ところでぼくは自動制御が嫌いなんです。
ぼくはXFEL建設工事を通じて、ずいぶんと自動制御にも詳しくなりました。
FL-netを採用し、PLCで制御することで、加速器と一体的な運用ができるようにしたからね。
でも嫌いなんです。

自動制御は、ある条件を設定して、その範囲では自動的に最適運転するようにプログラムしてはある。
が、特に実験室、実験設備の場合は、その条件とはずれることも多いし、追従が遅くなるんです。
だから一番いいのは、常に現場で実験室や装置の状況を観察して、手動で制御する。
人間の判断のほうが最適運転できるんだと思っているんです。

でも24時間現場で見て操作するなんてこともできませんし、人間にはヒューマンエラーも起こりえます。
だから自動制御も必要だとは思うんです。
でもそれに頼りすぎる人が多い。
自動でやってくれるんだから楽でいいや、って不届きな技術者がけっこういるんですよ。
なにかトラブルがあっても、自動制御がちゃんと動いてくれなかったからだ、と言ったりね。
じゃあ君は何をしていたのかね?って思っちゃいますよ。

自動制御はあるにしても、状況に応じて自分でそれをチューニングしていく。
パラメータを変えたりして、バランスを見てみる。
時にはマニュアル運転をしてみて、設備の特性をつかむ。
そうやって試行錯誤しながら徐々に最適運転に近づいていく。

先日あった空調冷凍学会の発表の中に、面白い事例がありました。
東京のトリトンスクエアの地冷暖は、運用開始して8年経ちますが、年々エネルギー効率が上がっているそうです。
どうしてかというと、運転員の人たちが試行錯誤しながら最適運転のためにチューニングをし続けているからだそうです。
運転員の人たちがいじれる部分が多い設備なんですね。
工夫する余地が広いんです。
そうやって成果が出ると運転員の人たちも嬉しくなり、評価もされます。
もちろん技術者としての腕も上がる。
ますます現場を見て、考え、工夫し、改善する好循環が生まれていくんです。

ぼくのそんな考えから、XFEL棟は何でもかんでも自動制御しちゃうのはやめにしたんです。
人間の判断で手動で冷凍機台数を変える、など技術員の裁量に任せる部分を多くしたんですね。
加速器は運転モードによって負荷が大きく変わるので、自動制御しがたい施設であるってこともありますが。

あ、気づきました。
ぼくは自動制御が嫌いなんじゃなくて、自動制御に頼る人が大嫌いなんでした。
ぼくが造った設備でも、「ちゃんと自動制御が働かないのはおかしい」というクレームが来ることがあります。
たいていは、設定値やパラメータを変更すればうまくいく。
現場の状況を見て、どんな設定値にしたらうまく制御できるか、パラメータをどう変えるといいか、まったく考えていないんです。
自動制御なんだから、どんな時でも自動でうまく制御するのがあたりまえだろう、という態度。
自動制御に頼る人は、技術者としての腕が上がりません。
それで人生楽しいのでしょうか。

鹿島茂『セックスレス亡国論』朝日新書¥700-に面白いことが書いてありました。
人は自由を求める存在です。
人々の求める自由には二種類ある。
ひとつは「やりたいことをやる自由」、もうひとつは「やりたくないことはやらない自由」。
で、どちらの自由を好むかで人生が正反対になってしまうのだそうです。

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負け組は「面倒はイヤだ、ラクしたい」という自分の欲望がカネさえ払えば満たされると思っているんですが、その実、時間も労力も、なにもかも代行業者に吸い上げられて、ますます負のスパイラルにはまり込んでいく。(略)
「面倒くさいこと」は金で解決というところから始めてしまうと、最終的には、能率的に事を運ぶ「楽して儲けるスタイル」の逆になってしまうのです。(26-27p)
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自動制御に頼る人は「やりたくないことはやらない自由」を選択した人だと思います。
つまり、面倒なんですね。
面倒なことは自分でやらず、誰かにやってもらいたいだけ。
今の世の中は金さえ出せば、面倒なことをやってくれる人は必ずいます。
設備の設定変更、パラメータ変更だって、メーカーに依頼すればやってくれるんです。
メーカーの技術者も、呼ばれたときその時点の状況を確認して、設定なりパラメーターなりを変更します。
その時点ではうまく制御できるようになる。
でも状況はどんどん変化していきますから、また現実と合わなくなってくるんですよ。
面倒なことは連綿と続いてしまうのです。
こういう人は、楽して損してる、と思うんですよ。

だから「やりたいことをやる自由」を選択したほうがいいってぼくは思います。
現場をよく見て、肌で感じて、考え工夫し、やってみる。
うまくいったりうまくいかなかったりするでしょう。
でもその中から現象の本質をつかむことができるんです。
そうやって徐々にでも能率的に事を運ぶことができるようになります。
結局のところ、ラクして儲けることができるようになっちゃうんです。

2011年5月17日火曜日

快適な節電

こんにちは

東電福島第1原発事故、電力供給不足、ドミノ停電防止のため、我が職場も節電対策をし始めました。
先週金曜日、和光でぼくが兼務している部署で仕事。
いや、3月まで本務だった部署ですがね。
最初、事務室に入ったとき「ずいぶん暗いなー」と思いました。
天井照明を見てみると、蛍光灯1台に3本取り付けられていた蛍光管が2本間引きされています。
つまり今までの1/3の照度になっている、ということです。
最初は暗いと思っていたんですが、仕事を始めてみたらすぐその明るさに慣れてしまいました。
人間の順応性はスバラシイものです。

この部屋の照明器具を更新した工事は、10年以上前ぼくが設計したものです。
ぼくのいた部署は設計、製図を行うことが多々あったので、1000ルクスを設計照度としました。
細かな作業は明るい場所じゃないとできないからね。
この1000ルクスは、外が暗い夜間での照度、すなわち照明器具からしか光が来ない場合での設計です。
この部屋には北向きですが大きな窓もあり、昼間は自然光がけっこう入ります。
とはいえ、その自然光だけでは300ルクス~500ルクス程度しかとれないので、天井照明も点灯する必要がありました。
昼間は窓に近い照明器具は消灯できるよう、回路構成を考えてつくりました。

でもねー、窓際ってエライ人、すなわち高齢の人が座っているじゃありませんか。
高齢の人は、目の機能が落ちてきている。
薄暗いとよく見えなくなってくるんですよ。
なので、昼間でも照明を点灯しちゃうんですね、結局。
たしかにぼくも薄暗いところで本を読むのがつらくなってきました。
後期中年だからね。

建物の照明設計をするとき、照度基準はJIS Z9110-1979に従って設計します。
http://www.jisc.go.jp/
この基準に従って、照明器具を選び、台数を決めます。
けれどもこの基準は、番号に1979とあるように、30年以上前に作られた基準です。
だからこの基準は、当時の労働者の多数を占めていた20代の人の視力を対象にして制定されたものです。
30年前は日本もまだ若く、労働者の平均年齢も若かったのでしょう。
団塊の世代がすでに60歳を迎えていますが、30年前彼らは20代から30代前半だったわけです。
労働人口の大半を担っていた彼らをターゲットとして作られた基準だったわけですから、目がまだ衰えていない人の基準なのです。

年を取れば誰だって目は衰えます。
なんたって人間は、歯、目、マラの順で衰えるんですから。
暗いところでは、若い人よりもよく見えないのは当然です。
彼らが20代、30代の頃ははっきり見えていたものでも、今じゃ暗くてよく見えなくなっているはずです。
JIS基準通りだと、高齢の人はちょっと暗くてよく見えない、というのも事実なんです。

労働者の平均年齢が高くなる、すなわち目の機能が衰えてきているからか、最近建設されるオフィスの照度はべらぼうに高いです。
こんなに明るくする必要あるのかな、と思うくらいです。
オフィスだけじゃなく、デパートなど商業施設も明るすぎますよね。
それもお客さんの年齢層があがってきて、高齢のお客さんにも商品がよく見えるようにしてるんじゃないでしょうか。
まあそれより、薄暗いと貧乏くさいってことが主な理由でしょうがね。

ところでエライ人たちを窓際に座らせるのはなぜか。
その理由のひとつは、窓際は明るいから、なんですね。
照明器具が今ほど燦然と輝いていなかった昔、と言っても数十年前でしょうが、目の衰えた高齢労働者にとって優しい座席配置、それが窓際だったのです。

この4月からぼくも窓際に座らせられています。
素晴らしく机の上が明るく見えます。
天気がよほど悪くなければ、日の長い今の時期なら通常の勤務時間中なら照明なしでも仕事に支障はありません。
ましてぼくはすでに図面描きなど細かな作業をすることはめったになくなっています。
文書の読み書きだってパソコンです。
パソコンのディスプレイは自ら光っていますから、周りから照らしてやる必要もそれほどないんです。

そして窓際に座るようになった人は、細かな作業より判断業務が主な仕事になっているはず。
作業には時間がかかりますが、判断はしっかりとした準備が整っていれば短時間でできるものです。
その準備など細かな作業は、まだ目のいい、労働単価の安い若者にやらせればいいんです。
だから、窓際に座っている人はだらだら遅くまで会社に残っていてはいけないんです。
太陽の光があるうちに、目がよく見えるうちに、ザクザクと仕事を片付け、暗くなる前に終わらせる。
すると照明の点灯時間も短くてすみ、節電にも貢献するというわけです。
自分は早く帰宅し、目のいい若者たちに薄暗いところで長時間残業をしてもらう。
ああ、快適、快適。

2011年5月14日土曜日

大きく産んで、大きく育て!


こんにちは

溌貴君も、としきくんも産まれたときは大きめでした。

 溌貴君 3570g
 としきくん 3800g

大きめだったんで、晶ちゃんもさぞや産みの苦しみも大きかったでしょうね。
ありがとうございました!

近頃お医者さんや助産師さんは、「小さく産んで、大きく育てる」ということで、お産を軽くするために、妊婦が太りすぎないよう指導するようです。
たしかに、赤ちゃんがバカでかくなりすぎると、難産になりやすいでしょうね。
それに、お母さんが肥満だと産道が十分開かなくなるのも医学的事実のようです。
でも極端に食事制限をして、赤ちゃんの体重を抑えてしまうのもよくないことが、最近の研究で分かってきたんだそうです。
正常分娩期間に出生児体重2500g未満だと、産まれるときは楽かもしれませんが、生涯を通じて考えるとデメリットが多いんです。

お母さんが低栄養の場合、胎児の体重は増えません。
体重が増えないだけじゃなく、赤ちゃんの「体質」も低栄養に備えるように造られてしまうのです。
お母さんが低栄養->お母さんは十分に食事をとれていない->これから産まれる世の中にはあまり食料がない、と胎児の体は判断してしまう。
低栄養でも生きながらえるように、自分の体をそれにfitするように造ってしまうのです。
すなわち、脂肪を蓄積しやすい体質で産まれてくる。
ところが産まれてみたら、飽食日本ってわけです。

意外や意外、小さく産まれてきた子の方が、脂肪が蓄積されやすく、肥満になりやすく、高血圧などのメタボリック症候群になりやすいんです。
いわゆる成人病という病気になりやすいのです。
健康な一生を送れる確率が下がってしまいます。

経済学の研究で、健康度は収入と大きく相関があることが知られています。
別に経済学で研究してもらわなくても、健康ならガンガン働いて稼げるってことぐらい分かりますよ。
不健康だと無理できないから、ガシガシ働けませんしね。

食料が少ない世界に住む人間は、早く成熟し、早く世代交代した方が有利です。
限られた食料を奪い合いながら、次の世代へと自分の遺伝子を伝えなければならないからです。
食料がたっぷりある世界に住む人間はゆっくり成長すればいいんです。
ですから、低栄養に備えた体で産まれてくる低体重児は、骨端線が閉じる時期が早く、身長も低めになってしまいます。

同じく経済学の研究で、身長の高さも収入とかなりの相関があることが分かっています。
以前、三高(高学歴、高収入、高身長)のオトコが女性にモテましたが、ちゃんと理由があるんですね。
これも背が高いってことは、骨端線が閉じる時期が遅い、すなわち成熟するまでの期間が長いってことです。

人は子ども時代にたっぷり学習ができます。
大人になると、なかなか子どもの頃みたいにたくさん勉強できませんよ。
だから子どもである期間が長い方が、知識、技能を得るためには有利なんですね。
そうなれば、当然のように学歴が着いてきてしまいます。
我が社の理事長野依先生も、戦中戦後の食料不足の時代に産まれ育ったのに、けっこう高身長ですしね。

大竹文雄『競争と公平感』中公新書\780-にはこんなことも書いてありましたよ。

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胎児期の栄養状態が、生まれてからの健康状態に大きな影響を与えるのが本当だとすれば、大人になってからの経済状態にも影響を与える可能性があるかもしれない。
健康は、経済状態を大きく左右するからだ。
実際、出生児の体重とその後の社会経済状況との関係が、最近多くの経済学者によって研究され始めている。
なかでもコロンビア大学のカリー教授の展望論文は、衝撃的な内容である。
この論文によれば、出生児体重が低いことと、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の発生率の高さ、教育水準の低さ等との間に相関関係があることが多くの研究で明らかにされてきているという。(85p)
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だから、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしですが、大きく産んで大きく育つのがいいんです!
溌貴君もとしきくんも、健康かつ身長180cmくらいにはなりそうですよー。

鉄は熱いうちに打て!


こんにちは

溌貴君も入学して1ヶ月が過ぎました。
学校も本格化しましたよ。
週二日は6時間授業です。
帰宅は5時頃になります。
疲れてふらふらです。

疲れていようと、徐々に宿題も多くなってきています。
集中してやっても20分間くらいかかる量になっています。
さすが鍛えるべき宿題量をしっかり理解している学校ですねー。
帰宅して宿題を終わらせると、もう夕食時間。
ごはんを食べて、お風呂に入って、8時には寝なくちゃね。
というより、眠くて眠くて8時にはコテンです。
ビデオゲームなんかやる時間、まったくありませんよ。
スバラシイ!

小学1年生から鍛えてもらっていますね。
鉄は熱いうちに打て、なんです。
日本の子どものうち、向学心に一番燃えているのは何年生か。
百ます計算の生みの親、岸本裕史先生は「それは1年生だ」って言ってましたよ。
1年生は向学心に燃えているんだから、その時にちゃんと勉強を教え、勉強する習慣を作ってやらなくちゃいけないってね。
それなのに今の学校と来たら、入学してもお勉強より先に、学校探検とかお遊びみたいなことばっかりやっている。
そのうち子どもの向学心は萎んでしまうんです。
それじゃいけませんよね。

鉄は熱いうちに打てってことがわかっている学校、先生は、子どもがやる気になっているときにきちんと勉強をやらせるんです。
6年先を見据えて、中学校のことも情報収集し始めました。
その中でもやはり灘中学はすごいですね。
中学1年生の1年間で、ほぼ中学の数学の内容を教えきってしまうのだそうです。
もちろん生徒たちも数学が得意で優秀だからできることでしょうが、でも先生たちも生徒の鍛え方が分かっているんだとぼくは思います。
中学入試を終えてダレる時期に、ちょっと負荷をかけて引っぱってやるんですね。
鉄を熱く保つんです。
せっかく知力の伸びる時期に、ダレてしまうのはもったいないですから。

それに、意外と中学校で修得する数学って簡単なんですよ。
小学校で得た数学概念を、文字数や文字式で表し直す程度。
3年分を1年間でやってやれないことはないんです。
特に数学マニアの多い灘中なら可能なんでしょう。

で、中2から高校数学に入るわけです。
高校数学は中学レベルとは数段違います。
数学らしい概念が新たに出てくるんです。
新しい概念を身に着けるには時間が必要です。
じっくり学ばせる必要があるのです。

灘では高2までで、高校数学すべてを学びきってしまいますが、それを中2から始めるので4年間かけられるわけです。
普通の高校よりも長い時間かけて勉強できるのです。
4年間じっくりと高校数学に取り組ませれば、磨きがかかりますよねー。
計算テクニックではなく、数学の本質的なところまで理解することができます。
基礎がしっかりしていると、応用も利きます。
テクニックだけでは、ちょっとひねった応用問題には太刀打ちできないのです。
それが大学受験の時にも役に立ちますし、大学に入ってからの勉強にも生きるわけです。

灘出身の人は、我が社の理事長野依先生に代表されるように、社会人になっても活躍している人が多いですし、人柄もいいんです。
それは、鉄は熱いうちに打て、で教育されてきたからだと思うんですよね。
学び方を学んでいる。
そして自分自身を熱く保つ術も身に着けている。
何事にも余裕があるので、人柄も自然によくなってしまうんだと思います。

我が子たちにも、緩急は必要だと思いますが、鉄は熱いうちに打て、で教育を受けていってもらいたいなーって思っています。

2011年5月12日木曜日

トラブルはすぐ直せ!




こんにちは

昨日、我がスタッフのひとりからメールが送られてきました。
設備のトラブルの報告でした。
空調機の加湿用蒸気管から漏れが発生している、という報告。
メールには、当該部分の写真を撮って、コメントを書き加えて、さらにpdfファイルにしたものが添付されていました。
ご丁寧にどうも。

彼に、このトラブルはいつ発生したのか、と問いました。
するとすでに数日が経過しているって言うじゃありませんか。
彼はぼくの席のすぐそばに座っています。
同じ仕事をするスタッフ同士なんだからあたりまえだね。
ならわざわざメールで報告しなくても、加えて書類を作成したりしなくても、すぐぼくに言ってくれればいいのに。
二人で現地を見に行って、対策を決めて、即手配した方がいい。

ぼくに必要なのは、トラブルをすぐ直すってことなんです。
書類で報告して欲しいわけじゃありません。
うまくいってれば書類なんかいらないんですよ。
すぐ直しちゃえばわざわざ報告文書を作成する必要はないんです。
うまくいかない場合に、「言い訳」のために書類を作るんです。
書類の多い組織は、死んだ組織です。
言い訳だらけってことだからね。

彼からも施工業者に手配済みとのことでしたが、まだ直しに来ていないということは下っ端に連絡したんだろうと思い、ぼくからも施工をした責任者に連絡。
来週火曜日までに是正するよう依頼しました。
建築工事は基本的に「手作り品」です。
多少の初期不良はあってあたりまえ。
すぐ直せばそれでいいのです。
書類を作っている時間ももったいないですしね。

よのなかにはトラブル対策に駆けまわっている人も結構います。
毎日忙しそうに、トラブルを直してまわっている。
確かに一生懸命やっている。
でもぼくはそういう人をあまり評価しません。

山田咲道『ダメ上司論』日経プレミア¥850-から引用します。

###
「いやあ、今日もトラブルをいっぱい処理して大変だったなあ」
と働いているつもりの人は、仕事を誤解しています。
トラブル処理は基本的に付加価値を生みません。
トラブル処理の時間を前向きな業務に使えれば、売上と利益は上がります。
時間コストという側面から考えれば、会社にとっての損失は2倍以上です。(49p)
###

前向きの仕事って何でしょうか。
実は、前向きの仕事はやってもやらなくてもいい、仕事なんですよ。
トラブル対策のような後ろ向きの仕事は、逆に絶対にやらなくちゃならない仕事。
でもそこで生まれる価値がまるで違う。

後ろ向きの仕事は、現状維持のために行われるものです。
トラブルも解決しちゃわないと現状維持ができなくなっちゃうでしょ。
だから絶対にやらなくちゃいけない。
でもやったからといって、新たな価値がそこから生み出されることはないんです。

それに比べて前向きの仕事は、たしかにやってもやらなくてもいいし、やらなくてもすぐに今現在より悪くなるわけじゃありません。
現状は維持されるわけです。
けれどもやったら絶対に進歩する。
自分を、会社を、社会を進歩させることに繋がるんです。

だから、前向きの仕事をするために、自分の能力と体力と時間を確保しなくちゃいけないんです。
新しい価値を生み出す仕事こそ「仕事」と呼ぶに値するものだと思うのです。
トラブル対策のような後ろ向きの仕事は、仕事と呼ぶにはおこがましいものだと、ぼくは考えているのです。
トラブル対策みたいなことに長時間拘るのはもったいないんです。
トラブルはすぐ直せ、そして価値ある仕事に自分の時間を振り向けよ、なんです。


大阪科学技術館でやったサイエンスカフェの様子。
これも、やってもやらなくてもいい仕事の一つ。
ばっちり価値を生み出してますよー。
そもそも「研究」なんてやってもやらなくてもいい仕事の代表格ですよね。
だからやらなくちゃいけないんです!

2011年5月11日水曜日

約束を守らないことも嘘の一種である


こんにちは

「嘘つきは泥棒の始まり」
子供の頃よく親や先生から言われた言葉です。
ぼくもわが子たちにしばしば言っています。
だって嘘つきは損ですからね。

嘘をつき通すには相当な知力が必要です。
常に自分が言った嘘を頭に常駐しておかないと、言動に齟齬がでてしまい、バレ
てしまいます。
ついた嘘に齟齬が出ないようにするためには、嘘の上塗りをしなくてはならなく
なります。
つまり嘘をまたつかねばならない。
嘘を一つつくたびに、頭に常駐させねばならない事項が増えていく。
やがて頭の中はついた嘘で満杯になってしまいます。
普通の頭脳を持つたいていの人はそんなに嘘を記憶し続けられません。
だから遅かれ早かれ嘘はバレる運命なのです。

さらに、ついた嘘を頭に常駐させるためには、常に意識にそのことを上げておく
必要があります。
人間の脳の意識は、前頭前野のワーキングメモリという部位にあることが、脳科
学で分かってきています。
ワーキングメモリを使って、ものごとを意識化し、人は思考をしている。
このワーキングメモリは非常に少ないことも、脳科学の研究でわかっています。
普通の人で7つ程度なのです。
幼児などもっと少なくて、3つくらいしかありません。
子どもの考えは浅く、嘘がすぐバレるのもワーキングメモリが少ないからなんです。

人はワーキングメモリを使って思考しています。
7つしかないワーキングメモリにものごとを記憶させ、操作して、考えている。
このとき、ワーキングメモリについた嘘が常駐していたらどうでしょうか。
思考のために使えるメモリ領域が少なくなっているわけですから、十分な深い思
考ができないのです。
つまり、嘘が多くそれがワーキングメモリを占領している人ほど、複雑な思考は
できなくなってしまうわけです。

嘘つきな人は軽率な言動をしがちです。
嘘をついてわざわざその嘘がバレるような言動をしたりする。
それはワーキングメモリの空き容量が足らないからです。
嘘つきは信頼されないのは当然ですね。

逆に、嘘をつかない人は重厚に見えたりしますよね。
思慮深く見える。
言動にも重みがあります。
それはつまらない嘘で脳のワーキングメモリをムダに消費していないからなんです。
複雑で深い思考ができれば、自ずと言動も重厚になっていく。
そういう原理なんですね。

だから嘘つきは損。
嘘を付き続けていると、軽率になる。
人から信頼を得られなくなる。
信頼のない人にたいした仕事は与えられないのは当然です。
次第に社会から押しやられ、弾き飛ばされて、泥棒くらいしか生きる術がなく
なってしまう、というわけなんです。
「嘘つきは泥棒の始まり」とは、昔の人はよく言ったものですね。

さて、誰もが「嘘つきは泥棒の始まり」ということは知っています。
ところが、約束を守らないということも嘘の一種だと認識している人は、すごく
少ないように思います。
約束には、内容と期日が決められます。
期日とは締切りですね。
締切りを守らない、守れない人って結構います。
なんでかなー。
損なだけなのにね。

約束を守らないのも嘘の一種です。
約束通り、期日通り仕事をやれば、完了した時点で脳のワーキングメモリが開放
されます。
スッキリ爽やかな脳に戻して、次の仕事にとりかかれます。
ところが約束を守らないと、そのことがワーキングメモリに常駐してしまうのです。

仕事は次々とやってきます。
締切りを守らないと、次の仕事の締切も同時に抱えてしまう。
終わらせられなかった仕事と次の仕事のことが、脳にアップロードされてしまう
のです。
ワーキングメモリを圧迫します。
その分だけ思考力は落ちますから、作業効率も下がり時間がかかるようになりま
すし、仕事の品質も落ちてしまいます。
時間をかけて、使えない仕事をしてしまう恐れが高くなる。
使えない仕事であれば当然やり直しになります。
さらに同時に抱えてしまう仕事が増えてしまうのです。

約束を守らない、約束をしばしば破る人って、軽率に見えますよね。
こういう人に限って、安請け合いをしてしまうのです。
自分の能力とその仕事に費やせる時間を勘案して、仕事を引き受けるかどうか判
断しない。
いつもダメダメ仕事だから、断れないのかもしれません。
断って余計に評価を落としたくない、という心理なんでしょう。
でもそれも損な行動ですよね。
ああ、そうか。
軽率って、自分にとって不利な言動をしてしまう、ってことなんですね。

締切りを守らない、それが繰り返されると、やがてはワーキングメモリは満杯に
なり、何をどうしたらいいのかまったく考えられなくなってしまうのです。
パニックです。
残業が多くて、その割にアウトプットが少ない人の脳は、こういう状態になって
いると思って間違いありません。

佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』WAVE出版¥1400-から引用します。

###
仕事をする上では、締切りを意識することが重要です。
締切りとは、いわば「制約」のことです。不自由を強いられますから、人は誰し
もこれを嫌います。
しかし、私たちは制約があるからこそ、知恵を絞ろうとするのです。
いや、知恵を絞らざるを得ないというべきかもしれません。
「時間が足りなければ、残業すればいい」「締切りギリギリでも間に合えばい
い」。このような考え方では、決していい仕事はできませんし、君を鍛えてくれ
ません。
その結果、長時間労働の罠に落ちてしまうのです。(81p)
###

約束を守らない人は、だんだんと会社の中でも、周辺へと押しやられていきます。
信頼を失い、重要な仕事は任せられなくなるからです。
締切りなんかどうでもいい、くだらない仕事しか与えられなくなる。
締切りのないくだらない仕事には終わりというものもない。
終わりのない仕事は辛いですよ。
賽の河原の石積みのようなものです。

約束をまもらない、すなわち嘘をつく人は、管理コストが高くなるから、価値を
割り引かれてしまいます。
価値を割り引かれる=安い人です。
期待されない人になってしまうのです。
誰からも期待されない人生って、寂しいですよねー。
だから、約束を守らないのも嘘の一種だってことを、強く認識しておく。
ぼくもそうありたいし、実践を通してわが子たち、部下、同僚たちにも伝えてい
きたいと思っています。



写真は播磨研一般公開の様子。
こういう楽しい仕事ができるのも、きちんと約束を守って脳をクリアにしておく
から。

2011年5月10日火曜日

時々の初心


こんにちは

SPring8一般公開の後、横浜研からお手伝いに来てくれた女性職員からこんなメールをもらいました。

 今日はお疲れ様でした。
 一日六回お話会をこなすパワフルさ、人をひきつける話し方、
 すごいと思いました。
 お手伝いも楽しかったです。

嬉しいですねー。
元気が出ます。
人は褒められればゴキゲンになります。
ゴキゲンになれば、もっとがんばろうという気になります。
人は何歳になってもそうやって成長できるんです。

SPring8の前日は、加古川で理科の先生たちの集まり「ファラデーラボ」に参加。
http://foryouso.cocolog-nifty.com/blog/
せっかく加古川に行くんで、名物「カツ飯」も食べなくちゃね。
ファラデーラボの家主、森本さんに美味しいお店を教えてもらって食べてみましたよ。
美味し、美味し。

ファラデーラボでもXFELの話を1時間ほどさせてもらいました。
理科の先生たちにも楽しんでもらえました。
ファラデーラボではさすが理科の先生たちの集まりで、理科教育に関するいろんな議論もできました。
XFELの1分子イメージングでは、回折像から逆フーリエ変換で分子の形を計算するわけです。
そこがいまいちうまく説明できませんでした。
つまりは、ぼくはまだ多次元フーリエ変換についてちゃんと理解していないことが判明。
ぼくは仕事でも自動制御を考えるときなどにはフーリエ変換を使います。
が、1次元しか使わないんです。まったく知識が足りていません。
ポイントは、なぜレーザー光による回折像はフーリエ変換したものと同等なのか、です(違いますか?)。
ここが理解できればokなんだな。
勉強する課題も見つかりましたよ。
またまたゴキゲンになりました。
感謝、感謝。

異動した部署、計算科学研究機構運用技術部は、スパコン施設を計算機とそのインフラを一体的に運転する部署ですが、組織規程上も「研究ができる部署」として位置付けられています。
前の所属部署である施設部はあくまで研究支援、裏方の部署なので、研究をする部署としては定義されていませんでした。
ぼくは、もちろん上司に断ってですが、加速器学会や電気設備学会などで研究発表をしてきましたが、ぼくの他の同僚は誰もそんなことはしていませんでしたし、あまり歓迎もされていなかったような気がします。
今度の部署ではぼくも「e-rad;府省共通研究開発管理システム」に登録してもらいました。
これで外部資金に申請することができるようになります。
本来はぼくの部署の目的である、スパコン施設の一体的、融合的運用について研究するのが本来なんですが、ぼくはちょっと悪用?も考えています。
それは、理科教育の研究もやりたいんです。
科研費には「奨励研究」という項目があり、理科教育の研究も対象になりそうなんです(奨励研究は学校の先生たちにも応募資格がありますよ)。
http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/
「先端科学を児童生徒に伝える教材の開発」なんてテーマで応募したらどうでしょうかねー。
わくわくしますねー。

そんなこんなで、最近楽しいことが増えてきましたよ。
「50歳を過ぎたら好きなことしかしない」が実現してきたように感じています。
http://rikenyoshi.blogspot.com/2009/03/50wo.html

ぼくは今の職場に転職した17年前、50歳になったらここを卒業して教育の仕事に戻る、と決めていましたし、職場内でも公言していました。
ぼくの算段はこうでした。
我社は年功序列である。
先輩たちを見ると、ほぼ46歳から48歳くらいで課長級に昇進する。
が、たいていはそこ止まり、部長級にはなれず、定年間際に次長級になってオシマイ。
すると50歳を過ぎたらあまり面白そうじゃないから、そこを目処にしよう。
中途入社のぼくでも48歳には課長級になれるだろう。
世間一般では、役所で課長を務められる人物はマネジメント能力がある、と思われている。誤解、錯覚かもしれないけどね。
ぼくも課長級で2年過ごしたら、そういう「看板」もできるだろう。
その看板を使って、教育界に有利に戻れるはずだ。
まあ、取らぬ狸の皮算用なんですがねー、そう考えていたんです。

ところが40代後半になって、XFELプロジェクトやスパコンプロジェクトに関われるようになった。
面白い仕事なので、現場でフロントマンでいるほうが楽しいから、管理職なんかやりたくなくなっちゃった。
40代後半には労働組合の委員長に推されたりして、管理職にもなれなくなった。
おまけに、我社のカンペキな年功序列も崩れてきて、年齢だけで昇格、昇進もしないようになってきた。
こんなわけで50歳での卒業は見送ることになってしまったんです。
その代わり、楽しい仕事を満喫できているわけ。
ハッピー&ラッキーですねー。

「初心忘るべからず」という言葉があります。
ぼくの初心、50歳になったら教育の仕事に戻る、はどうなっちゃったんでしょう。
ぼくは初心を忘れたいい加減なヤツになっちゃったってことでしょうか。
いえいえ、そうでもない、と思っているんですよ。
「初心忘るべからず」は、室町時代に能楽を完成した世阿弥の著書『花鏡』に書かれているのが最初なんだそうです。
『花鏡』にはこうあるそうです。

 初心忘るべからず。
 この句、三箇条の口伝あり。
  是非の初心忘るべからず、
  時々の初心忘るべからず、
  老後の初心忘るべからず
 
つまり世阿弥は「初心には三つあるよ」と言っているんです。
是非の初心は、若い頃決意した初心、志ですね。
若い頃は理想が高いです。その理想は忘れてはいけない。
でも、人生長く生きていれば理想通りなんてわけにはいきませんよ。
それに時代も変われば、人との交わり方も変わっていく。
若い頃の理想が、理想のままであるわけでもありません。
それが、時々の初心、なんですね。
今現在、自分が置かれている環境や自身の能力を考える。
その中でベストな生き方をする。
それが、時々の初心、なんでしょう。

時々の初心をしっかりと持てば、是非の初心に拘泥しすぎることもないのです。
世阿弥も、もっとフレキシブルに行きましょうや、と言っているんです。
でも軸はぶれないようにね、と言っている。
ぼくも50歳で教育界に戻るという初心は実現できませんでした。
でも、サイエンスカフェに呼ばれたり、友人たちと理科の本を出版したり、そしてこれから科研費をGetして理科教育の研究を始めたり、時々の初心はしっかりと持てているんじゃないかって思うのです。
毎日をしっかりと、着実に、かつ楽しく生きている。

最後の老後の初心を持つべき年齢になったとき、ぼくはどうしているでしょうか。
それも楽しみですねー。

2011年5月8日日曜日

ペアシステムのススメ


こんにちは

おかげさまでこのGWは東京の家に帰り、家族とのんびり過ごしました。
千葉へ潮干狩りに行った他は、家の窓ふき、網戸洗いをしたり、庭の果樹のアブラムシ駆除をしました。
1日だけ和光本所へ出勤して5月半ばに行われる会計検査の準備をしました。
よかった、よかった。
ゆっくり休めたには訳があります。

神戸に異動して1ヶ月が経ちました。
この間、ぼくのやった主な仕事は、システム作りです。
仕事の定義付け、と言ってもいいかな。
幸い神戸のスタッフの皆さんは優秀だし、経験も豊富。
専門家集団といっていいと思います。
でもそれぞれの人がどの仕事を担当するのか、明確に決まっていませんでした。
その時々、場合場合で決めていたようで、一人のとても性格のよい人に、あははは、負担がかかっていたり。
一つの仕事を何人もが関わってやっていたり、逆に誰がやるかまったく決まっていない空白領域があったりしました。
それを整理したんです。
誰が何をやり、その責任者であるか明確にする。
1ヶ月様子を見たり、スタッフの人たちと話をする中で決めていきました。
もちろん、そのリストを作成し、全員に配布しましたよ。

神戸のスタッフたちは、任期制職員だったり、派遣や出向だったりして、身分が不安定な人が多いんです。
だから役割分担をするときも、できるだけ雇用を維持し、長く勤務できるような仕組みを埋め込もうと思いました。
逆に、今よりもいい条件の仕事が見つかったときに、あるいは年を取ってそろそろリタイアしたくなったときには、気兼ねなくすんなり辞めることもできるようにしたかったんですね。
もちろん、みんな(ぼくも含めて^^;)が遠慮なく年次有給休暇など休暇もしっかり取れるようにしたいわけです。

そこで採用したのが「ペアシステム」です。
ペアシステムは元もと、ロケット博士の糸川英夫さんが提唱したものです。
糸川さんが組織工学という学問分野を創造し、その中で提唱したもの。
和光にいた頃も、ペアシステムで仕事をしていました。
http://rikenyoshi.blogspot.com/2009/08/blog-post_3906.html
http://rikenyoshi.blogspot.com/2009/09/blog-post_13.html
この時は、上長と部下との関係でペアシステムを組んでいました。
作業は部下、判断と責任はぼく、という関係ですね。
けれども神戸では、スタッフ同士でペアシステムを作ることにしたんです。
ぼくが責任者であることには変わりないのですが、ぼくがいなくても仕事が回るように。
ぼくだって神戸に単身赴任するのは、スパコンが供用開始して安定稼働する2年間だけだと思っています。
いずれはいなくなる。
その時になっても、継続して安定的に業務が流れるようにしたいわけですね。
だからぼくはなるべく実務的な仕事はしなくていいシステムにしようと思いました。

主担当はその業務に最も精通している人に決めました。
あたりまえですね。
そして、副担当を決めたんです。
日常業務は主担当を責任者として、副担当と相談しながら行う。
そうしてその業務を二人でやってもらうことによって、スペアを作っておくのです。
あわせて、誰もが主担当であり副担当であるようにしました。
こうしておけば、主担当がお休みするときでも気楽に休みを取れます。
もし主担当の人が突然辞めることになっても大丈夫。
引き継ぎもすんなりいきます。

その際副担当は、その業務の隣接業務の専門家を充てました。
隣接業務の専門家であれば、その仕事に精通するのも比較的簡単です。
まったくゼロからの出発ではないので、短期間で隣接業務の専門家にだってなれるはずです。
施設管理の仕事には、電気主任技術者やボイラータービン主任技術者など法定資格も必要です。
もちろん専門家である主担当の方に、法定資格の選任をお願いしました。
そして副担当の人にその代務者をやっていただくことにしました。
電気主任技術者の免許は試験で取るほかに、実務経験を積むことでも認定されます。
その際、代務者であった経験が認定の時に有利に働きます。
電気主任技術者などの法定有資格者は希少であり、すぐ代わりの人材は見つかりません。
そういう場合でも、隣接領域の専門家が代務者として経験を積み、免許を認定してもらえば、法定資格者不在で施設を運用するなんて違法なことをしなくてすみます。

さらに、副担当として隣接業務にも精通してもらうことによって、スタッフたちの仕事の幅も広がります。
ぼくら技術者も一つの分野の専門家というだけでは、なかなか生き残っていけません。
同じ分野の専門家、若くて人件費の安い人がいれば、即交代させられてしまう時代です。
でも二つ以上の専門を持つ技術者は有利ですよ。
そんな人はめったにいないからです。
希少価値のある人材は、何かと優遇されるものです。
クビにはなりにくいですし、昇給、昇格もしやすい。
万が一、会社の都合で辞めることになっても、二つ以上の専門を持っていれば、転職のチャンスは2倍に広がります。

どうです?
ペアシステム、素晴らしいでしょう。
こうしてぼくもGWをのんびり過ごせたって訳ですー。


去年神戸スパコンキャンパスに植えたハーブの苗が、しっかり根付いていました。
ペアシステムもしっかりと根付いてほしいですねー。

2011年5月7日土曜日

マニアに育て!


こんにちは

サイエンスカフェをやるとき、何冊か本を持っていきます。
以前、理科教育仲間と共著で出版した子ども向けの本

 『たのしい理科こばなし』星輪会
 『役立つ理科こばなし』〃

です。
参加者全員にプレゼントはできませんが、それに全員もらえるものって価値が下がるでしょ、希望者でじゃんけんしてプレゼントするんです。
その時、『たのしい理科こばなし』は小学3,4年生を対象にした本ですから、小学1,2年生、あるいは幼児にプレゼント。
『役立つ』の方は、小学高学年から中学生を対象にしていますから、小学3,4,5年生にプレゼントするのです。
なぜなら、理科マニアになってほしいから。

サイエンスカフェのお話の中で、科学者(研究者・技術者)になるにはどうすればいいか、ということもお話しします。
もちろん、しっかり勉強し、努力しないとだめだと言います。
でも、努力の仕方を間違えないように、って言うんです。
嫌いな科目はどうする?って聞いて、テキトーでいいよ、なんて言っちゃうんです。
それだけで子どもはニコニコ、お父さん、お母さんは笑います。苦笑いかも??
で、好きな科目はどうする?って聞いて、こう言うんです。

 好きな科目は100点じゃつまらないよ。
 200点、300点、400点とれるくらいやる。
 学校で習うのを待っていてはだめ。
 上の学年の本、大人の本でもどんどん読んじゃう。
 科学館や博物館にも自分で行く。
 そうして先生を超えちゃえ!

だからプレゼントする本も、その子の学年より上のレベルの本をあげるんです。
ちょっと背伸びをする。
そうして、理科マニアになってほしいからね。
プレゼントした本には、ぼくのサインを書いてあげて、「科学者になろう!」って書き添えます。
サイエンスカフェでのぼくの話で、科学者は楽しいってことが伝わっていますから、もらった本は必ず読むはずなんです。

大阪のサイエンスカフェに来てくれて、みごと本をGetした小学1年生。
SPring8一般公開にも家族で来てくれました。
その子のお母さんから、「いただいた本、毎晩寝る前に読んでるんですよ」と言っていただきました。
嬉しいですねー。
マニアに育ってくれるといいですねー。

マニアになると何がいいのか。
それは、高い場所に行けるからです。
高い場所に行けば、遠くを見ることができるからです。
作家で工学博士の森博嗣さんは著書の中でこう言っています。

 遠くが見えるようになって初めて、
  遠くがあることを知る。
 そして、もっと遠くがあることが予想できるのだ。
    (『喜嶋先生の静かな世界』講談社\1600-、74p)

そして、好きなことをとことんやる中で、嫌いなこともなくなってくるんですよ。
それは広義の意味での「専門性」が身に付くからです。
森さんはこう書いています。

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とても不思議なことに、高く登るほど、他の峰が見えるようになるのだ。
これは、高い位置に立った人にしか分からないことだろう。
ああ、あの人は、あの山を登っているのか、その向こうにも山があるのだな、というように、広く見通しが利くようになる。
この見通しこそが、人間にとって重要なことではないだろうか。
他人を認め、お互いに尊重し合う、そういった気持ちがきっと芽生える。
だから、何か一つの専門分野を極めつつある人は、自分とは違う分野についても、かなり的確な質問ができるし、有益なアドバイスもできる。(同書290p)
###

我が子たちにもマニアに育ってもらいたいですし、ぼく自身もマニア道を歩み続けたいと思っています。

お行儀の良さが教育効果を上げる


こんにちは

学級崩壊など教育困難な学級が増えているそうです。
そういうと、教師の指導力が劣っているからだ!、と目くじら立てる人も多い。
確かに、指導力の足らない教師もいますし、少なくとも男女雇用機会均等法施行以来、それ以前より学力の劣った教師が増えているのは行動経済学の研究でも分かっている。
でも、学力=指導力でもないわけです。
学力が劣っていると言っても、小学生、中学生に教えられる程度のレベルは担保しているのは、以前と変わりありません。
(もし、自分が学力が劣っていることに強いコンプレックスを持っている先生がいたとしたら問題もありますが)。

学級崩壊の原因は教師の側の問題だけではありません。
教育は、教師と生徒との相乗効果なんですから。
いくら教師が素晴らしい人でも、生徒の側に先生を尊敬する気持ちがなければ、いい教育はできないのです。
ウマを水飲み場に連れて行っても、ウマが水を飲まなければダメですよね。それと同じ。
逆に、教師が並、あるいは並以下であっても、生徒の側に先生の話をよく聞いてしっかり勉強しようという気持ちがあれば、よい教育になっていくのです。
ほとんどの教師は善良ですから、子どもが自分の言うことをよく聞き、しっかり勉強しようとしていれば嬉しくなります。
嬉しくなれば、子どもの期待に応えようと思うはずです。
授業の方法を工夫したり、学習内容をより深く学んで授業に望めば、子どもたちも嬉しくなりもっと勉強するようになる。
そういうゴキゲンなプラスのフィードバックが働くようになります。
並の教師、並以下の教師であっても、並以上の教師に育っていくのです。

教師だけではありませんが、人間というものは「完成品」ではないのです。
何歳になっても未完成。
これからよくしていくのか、ダメになっていくのかだけなんです。
そして、よくしていくのもダメにしていくのも、関係する人たちからの影響が強い。
自分が少しでもよくなるように関係性を造っていくのが人生だと思います。
もちろん教師は大人ですから、子どもより先に何かを実践しなくてはいけません。
いい授業をしたいんだ、というところを子どもたちに示して行かなくてはね。
そして子どもたちもそれに応えようとしなくてはいけないのです。

ですから、学級崩壊の原因を作っているのは子どもの側でもあるのです。
子どもがハナから先生の言うことを聞かない。
先生ががんばってもそれを認めない。
バカにしちゃっている。
だから授業の邪魔をするんです。
すると授業は成立しなくなり、学級崩壊に至ってしまうのです。

ひとりの子どもが授業を邪魔しない確率をpとします(0<p<1)。
たとえば0.98とかね。
学級の子ども全員が、2%くらい授業妨害という態度を取ると仮定します。
学級の子どもの人数をnとすれば、全員が授業を妨害しない確率は

 p^n

になります。
そして、誰か一人でも授業妨害をする確率も計算できて、

 1-p^n

になる。
p=0.98、n=30人とすると、学級の児童の誰かが授業を妨害して、授業が成立しない確率は、

 1-0.98^30=0.45

にも下がってしまうわけです。
ぼくも若い頃、公立中学校で臨時講師をしていましたが、たった一人のツッパリ君が教室を抜け出したために、それを追いかけねばならず、ちっとも授業にならなかった経験があります。
そのくらい子どもの授業への参加度が、授業を成立させ、教育効果を上げるためには重要なんです。

小学校低学年の子どもなら、お行儀の良さ、と言ってもいいでしょう。
お行儀のよい学級の子どもの学力は向上します。
一般に私立小学校の子どもの学力が高いのは、選抜によって頭がよい子どもを集めているからというより、お行儀よく授業に参加するからなのです。
小学高学年、中学生くらいになると、ダメな先生をバカにするような子どももいます。
教師だって組織人ですから、やっぱりちょっとはダメな人もいるのは当然です。
その時その生徒がどんな態度を取るか。
反抗的になり授業妨害をし、クラス全員の教育効果を阻害してしまうのか。
あるいは、そんなダメ先生は無視して、授業中に内職して自学するのか。
ダメ先生の授業でも、少なくとも授業妨害しないということが全体合理なんです。
ダメ先生だって、全員の生徒にとってダメとは限りません。
ちゃんと授業を受ければ、何かしら得ることもあるはずです。
授業を妨害して、他の生徒が受け取れるものも受け取れないことになるのは、損失でしかありません。

授業の邪魔をしない、とは、騒いだり、教室から抜け出したり、私語でうるさくしたりするだけではありません。
くだらない質問もしない、ということも含まれます。
時々いますよね、熱心で真面目な生徒なんですが、分かり切ったことを授業中に質問する。
一般常識的なことだったり、復習をしっかりやっていれば分かることだったり。
あいつが手を挙げるとうんざりするよ、って生徒、いるでしょー。
こういう質問も授業を邪魔します。
こういう質問はやるとしても授業外、休み時間にするべきなのです。
なぜなら授業は「公共」のものだからです。
質問は自分のためだけにするのではなく、他の生徒にとっても有益でなければならない。
誰もが分かり切ったようなことは、公共の場である授業中に質問してはいけないのです。

だからここでもお行儀の良さが教育効率を上げると言えます。
ここでのお行儀の良さとは、予習、復習をしっかりとやるということです。
学校の勉強の他に、いろいろな経験をし、いろいろな人と関わり、多くの本を読み、一般常識を身に着けることなのです。
今受けている授業のポイントがどこなのか、それが分かるようになっておくこと。
すると自分が理解できないことの中から、この授業で質問すればそれが解決し、他の生徒にも有用となることは何かが分かるんです。


以上の議論は、荒井一博『学歴社会の法則』光文社新書\740-を参照しました。


写真はSPring8でやった、ぼくの科学のお話会の様子。
みんな楽しそうでしょー。
みんながしっかり聞いてくれると、ぼくもゴキゲンになって、少しでもいい話をしようと思うわけです。
相乗効果なんですよ、教育は!

2011年5月6日金曜日

子育ては最大の社会貢献


こんにちは

神戸に異動したよ、って言ったら、会社の後輩からこんなメールが届きました。

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神戸では、出張のたびに○○さん(推進部経理課)にいろんなところに食事に連れて行ってもらっていました。
美味しい所だらけで、早くに仕事を終わらせて、みんなで食事したり、家族で遊びに行きたい!って思わせてくれる都市ですね。
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いやいや、仕事をしに単身赴任しているわけですからね。
確かに神戸は美味しいものがたくさんあって、魅力的です。
でもおじさん一人で食べに行っても、美味しさ半減です。
やっぱり美味しいものは家族で食べたい。
もちろんたまーには外食もするでしょうが、がまんがまん。
アパートに帰って、ごはんを炊いて食事をします。一人寂しくね。
ごはんはもちろん、水田トラスト http://www.nurs.or.jp/~suiden/index.html で無農薬で作ってもらっている「さわのはな」。
おかずはスーパーやお総菜屋さんで買ってしまうことが多いのですが、ごはんだけはこれに決めています。
主食にしっかりとしたものを食べていれば、健康維持にも役立ちます。
いくら外食で美味しいものを食べても、健康を損ねては何にもなりませんからね。

それに外食は費用もかかりますよー。
夕食ならすぐ1500円、2000円とかかってしまいます。
いえ神戸で美味しいものを食べようと思ったら5000円は覚悟しなくちゃ。
こんなのを続けていたら、我が家は財政破綻ですよ。
そして亭主だけの問題ではなくなってしまいます。
亭主が単身赴任先で美味いものを食っていると知った女房はどういう行動に出るでしょうか。
お父さんが赴任先でいいものを食べるために、残った私たち家族はがまんして節約しましょう、とは絶対になりません。
お父さんばっかり美味しいものを食べてるなんてズルイわ、私たちも贅沢させてもらわなくちゃ!
家計の破綻は必然となってしまうわけです。

ぼくは単身赴任先で使うお金を、週1万円と決めています。
それも光熱費も含めてこの金額に抑えようと思っています。
学生時代と同じレベルですねー。
はっきり言ってケチです。
逆に言うと、このレベルに抑えないと毎週帰省する交通費が出ない。
家族の絆をつなぎ止めるためにも、ケチケチ生活が必要なんです。
女房だって、お父さんがケチケチ生活しているんだから、私たちもあんまり贅沢はできないわ、と思ってくれるかも??

4月に実践してみて、週1万円でもまずまず生活可能である手応えを感じています。
なぜにこんなにケチケチ生活をするのか。
本多静六によると、毎月の手取り収入はこんな風に使うといいそうなんです。

 1/4はともかく貯金せよ
 1/4は食費とせよ
 1/4は社交に使い
 1/4は社会貢献に使え

1/4貯金法は、財産を造るときの基本です。
ともかくお給料をもらったら1/4天引き貯金してしまうのです。
何をするにもお金は必要です。
まとまったお金があると、いざというときに使えます。
人生にはいざというときが結構あるんです。
家を買う、修繕する、子どもが入学するなどなど。
天災だってないとは限りません。
ストックがあればあわてず対処できます。
それにある程度の貯金があると精神的にも余裕が出ますしね。
この余裕が悪の道への誘惑にも勝つことができるんです。
お金がないと判断力も狂いますからね。

食費は1/4の範囲でやりくりする。
1/4の範囲でも、たまにの外食も可能でしょう。
でも基本は家食になるわけです。
健康維持も自然とできるようになります。
我が家は水田トラストで山形新庄の農家に作ってもらっているお米「さわのはな」を毎日必ず食べています。
ちょっとお値段高めのお米ですが、無農薬、無化学肥料ですので安心して食べられる。
1/4の食費でも、必要なところにちゃんとお金をかけることができます。

社交の1/4は、家族の教養費だと思います。
人と会ったり、博物館へ行ったり、旅行したり。
本を買って読むのも社交だと思います。
社交は未来への投資だと思います。
普通の家庭では意外と社交費が少ないのではないでしょうか。
きちんと1/4のお金を社交費に使うと、人生豊かになりますよ。

そして社会貢献の1/4。
社会貢献は寄付やボランティアで使うお金ですが、それだけが社会貢献ではないと思っています。
子育て世代にとっては、子育てこそ最大の社会貢献だと思います。
教育には大きな外部経済効果があるんです。
よい子、よい成人に育てることは、その子本人のためだけじゃなく、社会にとっても有用。
引きこもり、ニートにならず、労働者、生産者になり、自立、自活でき、納税もする。
そういう人間に育ってもらわなくちゃね。
自分で稼ぎ、きちんと納税する。
これ以上の社会貢献はないと思います。
寄付やボランティアも大切ですが、それは今現在だけに役立つもの。
我が子たちがしっかりとした社会人に育つのは、未来のために役に立つ。
そして、我が子たちが労働年齢である期間、何十年間も社会に貢献し続けるわけです。

教育にはある程度のお金も必要です。
ホントは公教育として税金で賄われるべきことも多いとは思いますが、現在の社会システムはそうなっていません。
教育の外部経済効果を過小に評価していて、受益者負担の原則の方にウエイトを置いたシステムになっているんです。
それはおかしいだろう、と思いますが、すぐには変わりません。
その間、我が子たちはどんどん成長してしまいますから、社会のシステムが変わるのを待ってはいられないのです。
必要なときに必要な教育費を出せるように、子育てこそ立派な社会貢献だと思って、今日もケチケチ生活に励んでいるわけです。



先週末4/30(土)はSPring8一般公開でした。
ぼくは理科工作「電気くらげ」と、お子さん向けの「楽しい科学のお話会」を6回公演しましたよ。
後期中年としてはタフでしょー。
これも社会貢献になりますしね。
が、この時のぼくの所持金残額は900円!
かっちょ悪~~~~。

2011年5月5日木曜日

お小遣いはあげすぎてはいけない


こんにちは

「ねえ、オズ連れてって!」
としきくんが騒いでいます。
としきくんは今、ゴセイジャーなど戦闘戦隊のカードゲームに夢中。
大泉の大形スーパーオズにはその最新ゲーム機があるわけです。
出てくるカードも新しいものなので、集めたいんですね。

我が家は、自分のお小遣いの範囲であれば、使い方にとやかく言わないようにしています。
カードゲームは1回100円もして、明らかに無駄遣いだと思いますが、お小遣いの範囲でやる分には文句は言わない。
としきくんのお小遣いは週200円ですから、2回やって散財するのも経験のうちだと思っているのです。
一度に2回しかできないのはつまらないから、1週間がまんして4回どかんとやるってのも楽しいしね。
ともかく本人が自分自身で、無駄遣いだと気づくことも大事ですからね。
それを待つようにしたいわけなのです。

ところでとしきくんは、つい数日前にもオズに行ったばかり。
お財布の残額は数十円のはず。
ぼくは「とんたん、お金あるの?」と聞くと、「あるよ、ほら」とお財布からお金を出して見せてくれました。
確かに100円玉が3枚増えています。
どうしたんだろう、このお金。。。

話をよく聞くと、おじいちゃんがうどん作りをするときに少しお手伝いをした。
お手伝いのお礼に300円もらったようなんです。
としきくんもお利口さんなので、お手伝いをすればお小遣いをもらえることが分かっているんです。
しかもゲームをやるために100円玉をおねだりする。

ともかく、としきくんのお財布に入っているお金はとしきくんのもの。
その使い方にとやかく言わないことにして、オズに連れて行きました。
サスガに自分でもわかっていて、3回ゲームをやったらすんなりと帰ってきました。
もっとやりたくて駄々をこねることはない。
そういうところは成長したなーって思います。

オズから帰ってきて、おじいちゃん、おばあちゃんにお願いしました。

 とんたんにお小遣いをたくさんあげるのは止めてください。
 家で毎週200円あげているんです。
 1週間毎日ちゃんとお手伝いしたら200円あげることにしています。
 だから1回ちょこっとお手伝いをしたくらいで、それを上回るお小遣いを
 あげるのは困ります。
 何かお手伝いしたとしても、せいぜい週1度、100円くらいにとどめてください。
 近所のコンビニでおやつを買うくらいにしてください。

「オレオレ詐欺」に引っかかる老人の方のほとんどは、孫にねだられて高額なお小遣いをあげたことがあるんだそうです。
それも親(つまり自分の子ども)にはナイショでね。
孫もおじいちゃん、おばあちゃんからお小遣いをもらったことを、親に言わない。
孫が成長して社会人になってもナイショの小遣いをあげていたおじいちゃん、おばあちゃんがオレオレ詐欺に引っかかりやすい。

子どものお小遣いも教育の一つの手段です。
うまくコントロールしていかなくちゃいけません。
お金も制限があるから、使い方に工夫も生まれるし、がまんも学べます。
お小遣いがまったくないのもよくありませんし、ありすぎるのもよくありません。
最悪なのは、お金をかけて子どもをダメにすること。
お小遣いをあげすぎるのは、最悪なことだと思います。

4月は溌貴君の登校の送り迎えのために、としきくんの幼稚園の登下校の送り迎えはおじいちゃん、おばあちゃんにお願いしていました。
近所の幼稚園バスのバス停までです。
だからおじいちゃん、おばあちゃんの家で過ごす時間が長かった。
でもやっぱりお母さんが溌貴君につきっきりなのは、としきくんにとってはちょっと寂しい。
だからおじいちゃん、おばあちゃんの家でワガママ放題、王様気分になってしまったんですね。
おじいちゃん、おばあちゃんは孫には甘いですし。

5月も半ばになれば、溌貴君も一人で登下校できるようになると思います。
そうなれば、お母さんがとしきくんの登下校の送り迎えができるようになります。
としきくんの気持ちも正常化していくことと思いますよ!