2010年3月31日水曜日

普通とは最低のことである


こんにちは

昨日は横浜研に去年造った託児所棟の1年目検査でした。
大切なお子さんを預かる施設ですから、安全第一に造りました。
1年間建物を原因とする、お子さんたちの怪我はなかったそうで、ホッとしました。

ぼくは託児所棟の電気設備の監督をしました。
小規模工事なので建築一式で発注、電気工事は下請け施工でした。
例によって施工中は、ちゃんと有資格者に施工させろ、基準通りに施工しろ、とつべこべ言い続けました。
きっと電気屋さんも辟易したことでしょう。
でも1年経ってみたらちゃんと結果が出てました。
建物完成後の電気工事の不具合はゼロです。
その上、その下請け電気屋さんは、横浜研の現地電気担当の方の覚えもよろしく、その後も月に数度小工事を依頼されるようになっていたんです。
つまり、信頼と実績を得たんですね。
よかったです。
ぼくの、厳しさは結果として優しさになる、という信念が実証されました。
この信念も、例のよく怒る(笑)ぼくの元上司から受け継いだものですけどね。

さて、年度末です。
ぼくも年齢的に人事評価なんてする立場になってしまいました。
人が人を評価する、ましてぼくがするなんておこがましいことだと思います。
でもやらなくちゃならないから仕方ない。
公平な評価なんかできないと達観して、思った通りに評価するだけです。

ぼくは元教師でしたから、子どもの評価は毎学期通信簿でしていました。
教師の時の方針は、いい成績をつける、でした。
だってその方が教育効果が上がるからです。
自分はできる、と思っている子が本当にできる子に育つ。
だから、錯覚でもいいから自分はできると思い込ませる方がいい。

ぼくの教師時代は幸いに絶対評価でした。
だから一定の基準を超えていれば、いい成績をつけてもよかった。
学校の成績は、主に授業態度とテストの点数の二つで決まります。
ぼくの授業ですから授業態度はいいに決まっています。わはははは。
テストの点数も、授業態度がよくて毎日の読み書き計算の訓練がしっかりできていて、テストの形式、答え方も練習すれば、誰もが80点、全員が60点以上取れるようになってしまいます。
結果、大変よい、よい、の評価ばかりになり、がんばろう、は付けなくてすみます。
よい成績をもらえば、子どもも嬉しいし、親も嬉しい。
そして、いい成績を付けるのは教師も気分いいのです。

さて、人事評価です。
会社にはやっぱり箸にも棒にもかからないような人もいるわけです。
大人の社会では、教室の教師のようにぼくが教えたり導いたりできることは少ない。
大人はやっぱり自分自身、自助努力をどれだけするか、です。
それに大人はねー、教えてたり諭したりしても子どものようにはなかなか変わりません。
固まってしまった人も多いんです。

有能な人の場合、いい点数を付けられるので気分いい。
がんばっているからオマケしておこう、なんて思って1点上乗せなんかするとき、自分がとても良い人に思える。
でも実績も上がらず、まっとうな努力もしていない人には悪い点数を付けざるを得ない。
すると、なんだか自分が悪人に思えてくるんですよ。
すごく気分悪い。
その嫌な気分に耐えられなくなるんです。
で、アイツは性格的にはいい奴だし、まあ許せる範囲か、なんて思ってしまって「普通」の所に点を付けてしまうんです。

ここで気づきました。
普通という評価はギリギリ許せる最低線なんだ、ということ。
人は人を評価するとき、許せる最低線であれば普通と評価してしまうものなのではないか。
とすると、悪い評価が付く人は、ものすごく悪いってことです。
許せないくらいにひどい場合だけ、悪いという評価が付くのだと思います。
悪いというのは、その人自身の実績が悪いだけじゃなく、害悪を周りの同僚にも及ぼし、組織全体のパフォーマンスを落としている。
そうだから、悪いという評価を付けざるを得ない。
こういう人に対しては、悪い評価も堂々と付けられるので、気分はそれほど悪くならないんです。
むしろ義憤として悪い点数を付けるわけ。

実際、ある有名進学塾では普通という評価の講師は最低限の処遇しかしないのだそうです。
悪いという評価が付いた講師は、一度は配置転換、二度目は解雇だそう。
客商売、まして子どもを教える仕事ですから、普通の先生では困るし、悪い先生はいてはいけないのは当然ですね。

人事評価なんてことを経験してみて、ぼくの視点も広がったなー。
なーんちゃって!


写真は完成したばかりの正門守衛所。
こちらもやり直しを命じるほど厳しく監督したので、気分よく引き渡しを受けられました。

2010年3月30日火曜日

プロを燃やせ!


こんにちは

昨日は筑波研に建設していた特高変電所の完成検査でした。
とてもよい出来で、嬉しくなっちゃいました。
短工期であり、既存高圧幹線ケーブルの切り替えなど難しい工事でしたが、スタッフみんなの力でやり抜きました。
ぼくも1年間たのしく仕事が出来ました。
感謝、感謝です。

前便でプロフェッショナルを以下のように定義しました。

 期日を守り、一定の品質を保った仕事をする

ここで注意して欲しいのが「一定の品質」というところ。
プロに頼むと、完璧なスバラシイ仕事をしてくれるものだ、と誤解している人は多い。
プロの人は完璧なスバラシイ仕事なんかしてくれませんよ、実は。
だって、最小限の努力で基準をクリアするのがプロだからです。
つまり、合格点ギリギリをねらってくるわけです。
クライアントに文句は言わせない程度の合格点であればよいわけで、それ以上の労力をかけないのがプロ。
だって、それ以上のことは要求されていないわけだし、楽もしたいわけです。
余力を残せば、他の仕事も請け負えます。
仕事の品質をそうコントロールできる、というのもプロの技術なんです。
だから、プロに頼めば間違いはないんですが、ただ頼んだだけでは面白みのない仕事しかしてくれないのです。

ところがプロがちょこっと余計に労力をかけてくれると、俄然いい仕事になります。
そこがプロなんですねー。
だからいい仕事をするコツは、プロに「燃えてもらう」ことなんです。
燃えてもらうには、お金を余分に支払うことも必要。
でもプロはお金だけじゃ動きません。
その仕事に面白みがないとね。
この仕事をすると、自分の経験値が上がる、新たな技術が身に付く、人脈が広がる、などなど。
そして、こいつと仕事をすると面白い、と思えるとき、プロは燃えます。

燃えると言っても、5%か10%でいいんです。
20%も余分に燃えてくれたら、とんでもなくスバラシイ仕事をしてくれます。
プロは絶対に50%なんて燃えてくれませんよ。
そんなにやったら身の破滅だって知ってるから。
健康を害したり、余裕がなくなりすぎてしまっては、反ってパフォーマンスは落ちる。
それが分かっているのがプロなんです。

だからぼくは、プロの人と仕事をするときは、ちょこっと燃えてもらうよう配慮するようにしています。
ぼくの仕事は研究所のインフラを造る仕事です。
そこでどんな研究をするのか、どういう目的があるのか、どんな研究者がいるのか、などを雑談的に伝えます。
自分の仕事の趣旨、全体の中での位置づけが分かると、仕事は楽しくなります。
意味も分からずやらされる仕事ほど、面白くないものはありませんからね。
もちろんぼくの権限ではお金を余分に支払うことはできません。
でも上手く段取って手戻りがないようにし、無駄なコストをかけなくてすむようにする。
そういう配慮もしっかりとしていく。

ぼくもプロの端くれなので、面白い仕事なら燃えます。
普通より5%か10%余分に働くようにしています。
ぼくの場合、まあ仕事相手がどんな人かで燃えるかどうか決めますね。
礼を失した人、ぼくを愚弄するような人、約束を守らないような人だったら、燃えません。
そういう人に対しては、最低限のレベル以上にはやってあげないんです。
最低限のレベル、合格点まではきちんとやるのはプロの品性ですからちゃんとやりますよ。
でもそれ以上のことは絶対にしてあげない。
相手は「もう少しやってくれればいいのに」というような物欲しそうな顔をしますが、無視です。

以前、リスクとデンジャーの違いを説明しました。
三浦雄一郎『敗けない男の子にする本』主婦と生活社¥650-に同じようなことが書いてありました。

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”危険”とは人間の能力ではどうにもならないこと。
”困難”とは人がそれを乗り越えられるもの、意志や力で耐えてがんばり抜けばやり通せるものだと思った。
そして、技術によっては”危険”を”困難”にかえることもできうる(244p)
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そうなんです。
プロとは「危険を困難に変えることができる」人なんですね。
それだけの技を持っているのがプロ。
だからプロは失敗が少ないんです。
ぼくもプロ目指して精進を続けたいと思います。


写真は筑波特高工事のスタッフ。
燃えてもらいましたよー。

2010年3月29日月曜日

成長の原理


こんにちは

前便で「仕事はプロに頼め」と書きました。
ぼく自身もプロフェッショナルでありたいので、誰かから「あ、この仕事、関口に頼もう」と思ってもらえるように精進しています。
プロの仕事とは、期日に遅れず、一定の品質で納品する、ということです。
簡単にいってしまえば「約束を守る」ってことですね。
期日を守らないのも、一定の品質を担保できないのも、約束違反ですからプロの仕事ではありません。

もう一つ付け加えるなら、プロの仕事は「美しい」のです。
芸術的な美しさではなく、機能美というものがプロの仕事からは感じられる。
ですから、プロの仕事かどうかは美しさによっても判定できるわけです。
ぼくはぼくと一緒に仕事をする人たちにもプロの仕事を要求します。
要求するだけじゃなく、ディレクションする。
こうやればプロらしい仕事に仕上げられるよ、ということを積極的に伝えるようにしています。

先週はSPring8キャンパスに建設していたXFEL電子ビーム輸送トンネルの完成検査がありました。
その1週間前に係員検査があり、ぼくが検査にあたりました。
機能的にはよい出来に仕上がっていましたが、ちょいと見栄えが汚らしい部分がありました。
ぼくは施工者にこう伝えました。
「最後は美しさだよ。汚いってだけで、雑な工事だと評価されちゃう。それは損だよね」
注意すべきポイントを具体的に指示して係員検査を終えました。

完成検査当日、朝早く現場に行き施工者さんたちと現場を巡回しました。
おー、ビューティフル!
これなら大丈夫。
そう太鼓判を押しました。
あとは、検査中にこやかに堂々としていなさい、って伝えました。
にこやかに堂々としているためには、自信がないとできません。
事前にぼくが太鼓判を押してあげることによって、少しは自信にもなるわけです。

検査本番。
担当理事、研究系トップの副本部長などに見てもらいます。
これらの人からよい評価をもらえれば、各施工会社の面目も立ち、実際に担当した施工者さんの自社での評価も上がります。
そうディレクションするのも、ぼくら監督員の大切な仕事だと思っています。

話を戻して、検査本番です。
工事概要の説明のあと、いよいよ現場確認です。
ところが、あっという間に終わってしまいました。
予定の時間の半分くらいで、ササッと見て回った。
それはすなわち、立ち止まって確認すべきところがなかった、ということです。
スバラシイ!

現場確認後に担当理事、副本部長の講評がありました。
理事の講評ではジョークも飛び出すほどのゴキゲンぶり。
気むずかしいことで有名な副本部長からも大変高評価をいただきました。
よかった~。
ぼくもホッとしましたよ。

三浦雄一郎『敗けない男の子にする本』主婦と生活社¥650-にこうありました。

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学者にしろサラリーマンにしろ、その他どのような職業にしろ、男の一生とは「努力」して、その時点での一つ一つの仕事を「完結」させて、それを一本の太い縄につないで行くことの道程だ。
一つ一つの仕事を「完結」しえない人間が人に抜きんでられるはずはない。
「男なら今やっている仕事を完成させろ」と、子供には繰り返しいうべきで、子供はそうすることによって、強い意志と同時に内面的な成長もとげていくはずだ。(130p)
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ぼくもこの仕事を完結させた充実感を味わいました。
また少し積み上がり、腕も上がったと思います。
もちろんまだ建物が完成しただけで、マシンがきちんと動いた時点で本当の完成です。
マシンの設置、試運転調整とともに、建屋設備のチューニングも必要になるでしょう。
それも施工スタッフの人たちと協力しながら、ひとつひとつ完結していきたいと思っています。
そして我が子たちにもぼくのそういう姿を見せていきたいと思います。


写真は神戸次世代スパコン棟エントランスです。
照明もなかなかに上手くいっています。
これから2ヶ月でしっかりと仕上げて行きたいと思います。

お金とのつきあい方


こんにちは

お小遣いをあげ始めて1ヶ月が経ちました。
はつき君も自分のお金、という意識が芽生えたんでしょうか、ずっと使わないで貯めてきました。
おまけに普段もスーパーに行ってもおやつ(食玩)などを買ってくれとねだることもなくなった。
大変よろしい!
先週末にも200円渡して、合計800円も貯まりました。
貯まったお金を、100円、200円、・・・800円!と数える姿もかわいらしいですねー。

ところが。。。
昨日はリビングの蛍光灯が切れたので、普段行かないホームセンターに行きました。
そこにもおもちゃ売り場もありました。
普段行かない場所なので、珍しい、というか普段見慣れないおもちゃが売っている。
はつき君もとんたんも、我慢できない状態になっちゃいました。
はつき君が欲しくなっちゃったおもちゃは600円。
貯まったお小遣いで買える範囲です。
でも昨日はお小遣い持っていかなかったんですね。
ぼくは「貸しておいてもいいよ」と言いました。
もちろん、我慢してもいいよ、とも言いました。
はつき君はちょっと迷いましたが誘惑には勝てず、おもちゃを購入。

帰りの車の中で「お小遣い使っちゃったね。800円あったけど、600円使ったから残り200円になっちゃったね」と、晶ちゃんが言う。
するとはつき君、うるうる涙目になっちゃったんです。
無駄遣いを反省したのかな?
そういう姿もかわいいですねー。
こうして少しずつお金とのつきあい方を覚えていってもらいたいなーって思います。

ちなみに、とんたんは400円の自動車のおもちゃを買いました。
まだとんたんは、自分のお金という意識はないみたいです。
もちろんとんたんのお小遣いから買わせましたよ。

2010年3月28日日曜日

仕事はプロに頼め!


こんにちは

小規模な工事の完成前検査がありました。
ぼくも電気設備の検査員として検査にあたりました。
小規模な工事ですので、電気工事は建築一式工事の下請け施工です。
どんな下請けさんを使うのかは、原則的に元請けさんの自由。
自由といっても誰でもいいわけじゃありませんよ。
一定の品質を担保しなくてはいけません。
そんなに難しい話じゃなく、法令や基準通りに施工してくれればいいのです。

電気工事は電気工事士の免許を持った職人さんじゃないと施工できないことになっています。
なぜなら電気は事故になったときの被害が大きい。
絶縁不良によって感電したり、接続不完全によってその部分か過熱、発火し、火災に至る。
そのため知識と技能のある者しか施工してはいけないことになっているのです。
電気工事士など法定資格者の役目は、法令遵守なんです。
安全に関わる法令は、過去の事故事例から得られた反省の集積なのです。

話を戻して、現場検査をしてみたらとても基準通りとは言えない施工がされていました。
長さの足りなくなった電線が、テキトーなところでつないである。
誤って余分に引いてしまった電線が、途中で切断されてそのままになっている。
電線色が統一されておらず、Hot、Cold、Earthの区別がつかない。
検査に立ち会っている工事屋さんを呼びました。
「この部分を施工した人手を挙げて」
一人の職人さんがおずおずと手を挙げました。
「じゃ、工事士免許見せなさい」
今日は忘れてきた、なーんて言う。
ぼくは思わず、いっひっひ!ですぜ。
ぼくの技術者としての出発点は電気主任技術者という保安技術者です。
法令には詳しいのです。
電気工事士法という法律で、工事を行うときは免許を携帯することが義務づけられています。
今日だって検査で指摘された手直し工事をしなくちゃならないんだから、免許携帯じゃないといけません。
法律違反になっちゃうよ、とその職人さんに言い、さらに
「ここは事業用電気工作物なので、1種工事士か認定工事士しか工事ができないんだけど、今日は免許忘れただけで、この資格は持っているんでしょ?」
と言いました。
その職人さんは、はい持っています、今日は免許を忘れてきました、と言いました。
またまた、いっひっひ!ですー。
「じゃ、有資格者だとして聞くけど、ここで電線をつないでるけど、電線を接続するときの基準を答えてみて」
と畳みかけます。
職人さんはだまーってしまいました。
そこで元請けの監督さんを呼んで言いました。
「法令通り、基準通りに施工されておらず、施工した職人さんもどうやら無資格のようですよ」
結局、やり直しとなってしまいました。

ミュージシャンの山下達郎さんは、こう言っています。
山下さんの創り出す音楽は、非常に緻密です。
ある雑誌のインタビューで、レコーディングの時にドラマーやベーシストなどに細かい指示を出しているのか、と問われて曰く、

 しません。
 できませんし、そんなことしたって同じですから。
 本当にうまい人は、そんな指示などなくてもできるんですよ。(中略)
 人の音を聞きながら、自分の音をそこにどうはめていくかっていう、
 構築する能力とそれをやれる技術力があった

と答えていました。
さらにこう言っています。

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ギャラの安いミュージシャンを使ってやろうかなと思ったことがあったんだけど。
練習スタジオで何回やっても「サーカス・タウン」ができないんですよ。
仕方ないので、高水(健司)さんとかポンタとかに頼んで、5曲だけやってもらったら、リハはたったの30分!
それでやっぱり一流を使わないとダメだと思った(笑)。
ヘタなやつらといくらディスカッションしながら一生懸命やってもしょうがないと。
うまい人とやらないと絶対だめだと。
でも、高いのよ、お金がね(笑)
(『ギター・マガジン』'02.11掲載、村上秀一『自暴自伝』文春文庫+\590-からの孫引き)
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電気工事でも1種工事士など有資格者の日当は高いです。
でもそれだけの賃金を支払う価値を持っているんですね。
確かな知識と技能を持っている。
図面を渡せば、いちいち指示しなくてもちゃんと施工してくれる。
手直しが必要ないなんてあたりまえ、おまけに合理的に施工するので材料の無駄もないし、仕事も早いので工程に遅れもなく、無駄な残業もなし。
反って安上がりになるんですよ。

で、やり直し工事ですが、その下請け電気工事屋さんで免許を持っているのは社長だけということで、社長自らが施工してくれました。
さすが有資格者、きっちりとやってくれました。
ぼくは社長さんに言いました。

 若い社員に資格を取るようにさせなくちゃね。
 へんてこな社長さんだと給料上げるのが嫌だから、社員が資格を取るのを嫌がったりする。
 確かに有資格者の給料はちょびっと高いよ。
 でも1割か2割給料上げてやれば、5割よけいに仕事するようになるよ。

そばで手伝っていた若い職人さんが「社長、がんばりますからお願いします!」なーんて言いました。


写真は竣工したばかりのXFEL電子ビーム輸送トンネル(XSBT;XFEL to Synchrotron Beam Tunnel)です。
こちらは安心感のあるいい出来映えで、大満足です。

2010年3月24日水曜日

最後までやり抜け!


こんにちは

ぼくは誰かから仕事を頼まれたとき、「いつまでにやればいいですか」と聞きます。
そういうとき「なるべく早く」と言う人がいますよね。
こういう人はぼくは信用しません。
とてもプロだとは思えないからです。

そりゃ誰だって早くやってもらいたいですよ。
早くやってくれれば、自分の方が楽になりますからね。
自分は余裕のある時期に、その仕事に着手できるからです。
早くやってもらえれば、自分が始めないとならない時期まで机の上に放っておくこともできるのです。
つまり、「なるべく早く」という人は、他人には無理な要求をし、自分に有利に導こうと考えているわけです。
まー、卑怯な物言いなわけですよ、意識していないと思いますが。
そのことは心しておきたい。

まー、この手の人は得てして、机の上に放りっぱなしにしておいて、ギリギリな時期になってあわてて始めたりするんですよねー。
そして結局、締め切りに間に合わなかったりしてね。
挙げ句の果てに、締め切りに間に合わなかったのは関口の仕事が遅かったからだ、なんて言っちゃたり。
モンスターですね、この人。

モンスターは「他罰的」なのが特徴。
悪いことがあってもすべて他人のせいにする。
「私は何度も言ったんですが、あの人はやってくれなかった」なーんてね。
百歩譲ってあの人がやってくれなかったのなら、自分でやればいいじゃないですか。
わざわざ自分は「言うだけの人」だって公言しているわけです。
モンスター君は自分の責任はまったく考えに入れないわけですから、反省しないのです。
反省しなければ、次に改善しようなんて気持ちも持たない。
だって悪いのはオレじゃないんだから、です。
必然的に能力は上がらないままになり、同じような失敗を繰り返すんです。
そういう人には近づきたくないですなー。

プロ(=専門家)と呼べる人は「なるべく早く」なんて絶対に言いません。
もっと具体的に期日を決められる。
何月何日まで、何月のこの週までに、何月下旬までに、など。
なぜ決められるのかと言うと、段取りが「見えている」からです。
仕事とは、誰かからパスされたものを、誰かにトスするようなものです。
前段取りと後段取りが見えていれば、自分の作業時間が見積もれる。
さらに、自分と相手の状況(抱えている仕事量、能力、性格など)も把握して、余裕をもった期日を見積もれるわけです。

では、プロ、専門家になるにはどうすればいいのでしょうか。
佐々木正悟『ライフハックスー鮮やかな仕事術』MYCOM新書\819-から引用します。

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(仕事を成し遂げるのに)大切なのは、

 一に始めること、
 二に見通し、
 三に不安にならない

ことだということがわかる。
さらにこの三つを突き詰めて考えるなら、もっとも大事なのは「見通し」であることがはっきりする。
見通しがはっきりわかっていれば、始めることはできるはずだし、不安になることも少ないはずだ。
専門家というのは、仕事を最後までやりきった経験をたくさん持っているから、見通しを立てられる人だということになる。(134p)
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そうなんです。
最後までやりきった経験をたくさん持つ、ってことなんです。
そういう経験が蓄積しているから、いつ始めればいつ終わるのかわかる。
ひとことで言うと「見通し力」です。
最後までやりきった経験がないと、いつ始めたらいいのか分からないし、自分がどのくらいの能力があって、どのくらいの量をどのくらいの時間で終わらせることが分からない。
見通しが着かないから不安になります。
だから「なるべく早く」なんて言ってしまうわけです。
モンスター君は、きちんと最後までやり遂げるという経験が極端に少ない。
いつも途中でタイムアウトしており、他人のせいにし、その尻ぬぐいは他の人がやるからね。
見通し力が育たないんです。

小さな仕事でも、ある仕事のある部分でもいいから、自分で最後までやりきる経験を積み重ねる。
自分で最後までやりきると言っても、全部自分一人でやらなくてもいいですよ。
誰かに教えてもらってもいい、手伝ってもらってもいいんです。
でも、誰かに丸投げはしないことです。
丸投げしちゃうと、その部分の経験が欠落しちゃいますからね。
全部自分が主体的に関わって、最後まで仕上げてみる。
それがプロ、専門家になる一番の近道なんだと思います。

冒険家三浦裕一郎さんはこう言っています。

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一つの仕事は最後までやりとげてはじめて形になり、その結果はじめて他人のやった仕事と比較されて優劣を論じられるが、他人より劣ってはいても形になったことでそれなりの価値は生まれる未完成のものに価値はない。
努力するということは、一つの物ごとを完結させるということまでを含むものなのであって、途中でほうり出しておきながら、努力したけど失敗したなどということは、口にするさえおこがましい。
(三浦雄一郎『敗けない男の子にする本』主婦と生活社¥650-、125p)
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写真はXFELアンジュレータホール。
アンジュレータという光源装置も並びはじめました。
自分のやった仕事が形になっていくって嬉しいですね!

2010年3月23日火曜日

やっつけろ!


こんにちは

先週もよく働きましたよー。
3週連続で休日にケーブル切り替え作業の立ち会いでしたから、さすがにへろへろになりました。
40才頃までは、仕事やらせろ金よこせ、って感じで働いていましたが、さすがに今は、金はもういいから休ませて~、になっちゃいました。
ま、がんばったおかげでやるべき仕事も終わらせられたので、気分はいいです。
幸い連休でしたから、日曜日は泥のように眠り、月曜日は庭の家庭菜園作業をのんびりやって、元気も回復です。

どこの家庭でもありがちかとは思いますが、我が家の冷蔵庫に結構死蔵品が貯えられていたりします。
ぼくが冷蔵庫を開けて「こんなのあるよ。今晩野菜炒めか何かにしちゃって、やっつけちゃおうよ」と言うと、妻はムッとします。
「高級な食材を野菜炒めなどという低級な料理にするとは何事か。それに食べ物に対して”やっつける”なんて言うとは不届き者じゃ!」
でも、腐って捨てられちゃうよりマシでは。。。

仕事でもそうですね。
雑件が溜まってくるとイライラしてきます。
じっくり取り組みたい仕事があるんだけどそれをやる時間が取れなくて手つかずになっていることもあります。
とってもイライラします。

じっくり取り組みたい仕事って、言ってみれば高級食材です。
本来なら高級料理に仕立て上げたいもの。
でも、手間暇かけている時間がない。
腐らすのももったいない。
それなら野菜炒めでもいいや、やっつけちゃおう!

ぼくはそうやっています。
じっくり取り組みたい仕事であっても、忙しくてじっくりできない時もあります。
今回はあきらめて、どうにかこうにか食えるものにすればいいやって。
ホントは100点満点の仕事にしたいんだけど、今回はあきらめて60点、合格点ならいいやって。
これ、やってみると意外とスッキリしますよ!。

仕事の遅い人、アウトプットの少ない人は、能力が低いわけじゃない。
この、踏ん切り、あきらめが出来ないだけなんです。
何でも高級料理に仕立てたいと思っている。
いつでも100点を取りたいと思っている。
それで多くの仕事を腐らせてしまっているんです。

松永真理『シゴトのココロ』小学館\1365-にこんなことが書いてありました。

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朝、やることリストを書きだすときが、工夫のしどころとなる。
打ち合わせの場所を決める。
地図をファックスする。
銀行に振り込みに行く。
こういう事務的にしっかりやることと、企画書を書く、レポートを提出するといった中身を問われるものとを区別し、階層を分けて書きだすようにする。
それぞれにかかる時間を見積もることで、やるべきことの分類ができ、気分は少しすっきりしてくる。
銀行での振り込みと、将来のキャリア設計を同じ項目に書きだすから、ごちゃごちゃ混乱してしまうのだ。
自分の得意、不得意で分類するという手もある。
得意なことはさっさと片付けられるが、苦手なことはつい先延ばしにして、それがストレスの素になることも多い。
そういう場合は、気合いを入れる時間を決めて、よーし、ここで片づけるぞ、と早く終えることの一点に集中するのである。
そして、苦手なことはすべて片づかなくても、ひとつでも片づいたらよしとする。
この手のことは誰も誉めてはくれないのだから、せめて、自分くらいは高らかに言ってあげよう。
「よくやった。やったじゃない!」
多少、大袈裟に自分を肯定してあげないと、自分がこれほどまでに心のなかで葛藤しながらやっていることなんて、他人にはわかりっこないのである。
やることリストの項目をひとつ終えたら、赤い太めのサインペンで線を引いていく。
項目のなかでやり残したことがあったとしても、半分の線を引くことで、少しでも多くの達成感を味わうようにする。
そうでもしないと、やるべきことは無限に出てきて、やり残したことばかりに気をもんで過ごすことになるからだ。(15-17p)
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ともかく朝出勤したら手帳を見て、今日やることをリストアップする。
紙に書きだしてみるのが大事ですね。
そしてイライラの元をはっきりさせ、一つずつつぶしていく。
一つ終わったら、終わったことがはっきり分かるように、赤の太マジックでバツをつける。
まさに「やっつける」んです!

年度末です。
ザクザクとやっつけていきましょー。
そして、気分すっきりの新年度を迎えましょう!


写真はXFEL実験棟のエントランス。
なかなかよい雰囲気です。
あとは空調がバッチリなら満点ですねー。

都立高校へ入れたい


こんにちは

ぼくは遅っ子持ちですので、我が子たちが高校、大学へ進学するころには定年を迎える年齢になってしまいます。
まあぼくは年金なんかにゃ頼らず(もちろんくれるならもらいますが^^;)、自分の腕で食っていく気でいますので、定年なんか関係なく75歳くらいまで仕事をする気ではいますが、収入はかなりダウンしていることでしょう。
教育にはお金がかかります。
特に高校、大学と進学するにつれ、お金がかかるような仕組みに日本はなっています。
私立高校だと年間授業料は60~100万円、私立大学だと文系でも100万円、理系だと200万円にもなるようです。
我が子たちはぼくの収入がダウンする頃、お金のかかる年齢に達するわけです。
二人の子どもを、私立理系には通わせられないでしょう。
なので対策を立てておかなくちゃならない。

調べてみたら、東大はサラリーマン家庭であれば年収400万円以下で学業優秀(と言っても、きちんと所定の単位を取得し、可よりも優良が10単位以上多いという程度)の学生は授業料免除なのだそうです。
かなり安心しました。
同様な制度は旧帝大系国立大学でも実施しているようです。
すなわち、旧帝大系国立大学に入学できる程度の学力を我が子たちが得られるなら、経済的な心配はしなくてよい、ということです。

大学の前、高等学校はどうでしょうか。
民主党公約にもあるように、公立高校なら家庭の学費負担はゼロです。
今でも都立高校の授業料は、年額12万円、月額1万円程度です。
都立なら経済的にはオッケーですね。

あとは、都立高校で旧帝大系国立大学に入学できる程度の学力を身につけられるか、です。
高校生くらいの年齢になれば、大切なのは友だち。
周りの友だちがよく勉強し、話題も知的であり、ほどよいライバルが存在するかどうかです。
クラスの仲間がだーれも勉強しないという中で、一人受験勉強するなんてことは、いくら意志が強くても難しいですよね。
進学校の良さは、こういう人的環境にあると思うのです。

ぼくも都立高校出身ですが、ぼくが通っていた頃は美濃部都政の影響で学区制度なんてのがあって、都立日比谷高校など昔の超進学校も没落していました。
ところが最近、石原都政によって都立高校を復権しようという政策が始まっていたんです。
先ずは学区制度を止めて、都内どこからでも通えるのなら入学okとしたんです。

学校には地の利というものがあって、広い区域から優秀な学生を集められる学校が、優秀な学校になるんです。
東京の私立高校御三家といえば、開成、麻布、武蔵ですが、近年武蔵高校の進学実績が落ちてきています。
なぜなら武蔵高校は西武池袋線沿線に立地しているからなんだそうです。
西武池袋線沿線にはひばりが丘団地など大規模団地がたくさんあり、昔は子どもがたくさんいたわけです。
たくさんいる子どもの中の優秀な子どもは、沿線で通いやすい武蔵に入学した。
ところがこれらの団地も高齢化が進み、西武線沿線の子どもの人数はガクンと減ってしまった。
もちろん少ない子どもの中にも優秀な子どももいて武蔵に入学するのですが、優秀な子どもだけで定員を満たすことができなくなってきたのです。
結果として進学実績が下降してしまった、というわけなのです。
その点、開成は西日暮里に立地しており、山手線、京浜東北線、常磐線、最近は湘南新宿ラインなど、広い区域から優秀な子どもが通学できるインフラが揃っている。
なので進学実績を維持、向上させ続けられているというわけです。

話を都立高校に戻して。
都立も学区制を廃止したため、都内全域から優秀な生徒を集める条件を整えたわけです。
優秀な生徒なら、通える範囲で一番いい高校を選択するのは当然でしょう。
優秀な生徒が集まった学校は、当然に雰囲気が知的になります。
勉強するのが当たり前、みたいになるんです。
もちろんやんちゃな年代ですから、遊びもするし、羽目も外すと思いますが、最後はあるべき姿に戻ってくる。
そういう生徒が揃うわけです。
進学実績が上がるのは当然なのです。

というわけで、我が家は都立トップ校を目指そう、と思っているわけなのです!
そのためには中学校、小学校をどうするか、ですが、それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

2010年3月17日水曜日

40歳からの人の値打ち


こんにちは

前便で東大のマンホールの写真をお見せしました。
そうしたら元同僚で今は東大の準教授となっている方から、こんな情報をもらいました。

 実は東大には、帝国大学、東京帝国大学、東京大学の
 3つのマンホールがあります。
 次回は是非、帝国大学を見つけてください。

帝国大学が日本にまだ東大ただひとつしかなかった時といえば、明治30年(1897)京都帝国大学ができる以前です。
東大にはそんな古い時代のマンホールがまだ残っているんですね。

なぜそんなに古いマンホールも残っているのでしょうか。
これも元同僚から聞いた話ですが、「東大は空襲で焼けなかったから」なんだそうです。
太平洋戦争時代、東京はほぼ無差別に近い空襲を受けました。
でも皇居は攻撃目標にはならなかった。
それと同じく、東大も攻撃目標にならなかったんですね。

それはなぜなんでしょうか。
ぼくは、皇居と同じく東大は戦後も必要な機関であり必要な人がいる場所だから、だと予想します。
だからアメリカ軍は空襲目標にしなかったんじゃないか。
このことからこういうことが言えるんじゃないか。
世の中に必要とされる人間になっていれば、攻撃されることもなくなり、あるいは必ず誰かが守ってくれる。
普段からぼくはそう思って実践していますが、東大のマンホールでそれを再確認しましたよ。
『安岡正篤 一日一言』致知出版にもこうありました。

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名を天下に馳(は)せるなどということは
あえて自ら欲すべきことではない。

場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。
いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。

大小は問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、
四十、五十になった値打ちはない。

いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、
家に帰っても女房・子供からいやがられる、
そんなことでは人間はダメである。
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心していこうと思います。


写真は筑波研特高変電所工事の様子。
先週末、既存高圧幹線3幹線を接続換えしました。
狭い共同溝の中での作業、職人さんたちに感謝。
今週末も残りの3幹線を接続換えします。
楽しくがんばろう!

2010年3月16日火曜日

偉人伝を読む年代


こんにちは

理研和光キャンパスに建設が始まった脳センター動物解析研究棟。
この建設予定地に電話線など重要なインフラケーブルが埋設されており、これを盛り換えないと建物が建たないという話を、前便でしました。
ようやくすべてのケーブルの盛り換えが完了しました。
昨日、最後に残った古い光ケーブルを切断したんです。
このケーブル、使っているのかどうか誰に聞いても分からなかったものです。
でも用途はLAN用だと分かっていましたし、基幹LANケーブルは新たに別のルートで配線済みだったので、まあ大丈夫だろうとは思っていました。
でもいざ切断するときにはドキドキしましたよ。
その後1時間、誰かから苦情の連絡がくるかどうかハラハラ待機していました。
誰からも何もなかったので、ホッとして東大で開催される研究会へと向かいました。

このケーブル盛り換えを仕切ってくれた若い代理人、なかなかいい仕事をしてくれました。
若いのに肝が据わってるんです。
すっかり気に入ってしまいましたよ。
彼は40歳ちょい手前の年齢。
いい仕事をしてくれたお礼に、そして引き続きいい仕事をしてもらいたいという気持ちを込めて、『栄光なき天才たち』というマンガをプレゼントしました。

このマンガの内容は偉人伝です。
今は全巻とも絶版のようですが、アマゾンマーケットプレイスなど古本で見つけたら、ぜひ皆さんも買っておくといいですよ。

作・伊藤智義 画・森田信吾
『栄光なき天才たち』1巻 集英社文庫\650-
 古橋廣之進、サチェル・ベイジ、人見絹枝、ドルトン・トランボ
 サルバドル・サンチェス、樋口一葉、吉岡隆徳、鈴木商店、東大野球部

森田信吾
『栄光なき天才たち』2巻 集英社文庫\650-
 澤村英治、川島雄三、島田清次郎

森田信吾
『栄光なき天才たち』3巻 集英社文庫\650-
 アベベ、円谷幸吉、マンチェスター・ユナイテッド

作・伊藤智義 画・森田信吾
『栄光なき天才たち』4巻 集英社文庫\650-
 鈴木梅太郎、北里柴三郎、山極勝三郎、野口英世、理化学研究所

4巻目には科学者の伝記が描かれていますが、ぼくの勤める理化学研究所(通称;理研)も取り上げられています。
理研は1917に設立された日本で初めての自然科学研究所です(http://www.riken.go.jp/index_j.html)。
今でも「リケンのわかめスープ」など<リケン>の名を付けた企業がありますが、それは戦前に理化学研究所で発明された特許を商品化した会社なのです。
日本で初めて、世界で2番目にサイクロトロン(http://www.rarf.riken.go.jp/newcontents/contents/about/history.html)という加速器を造ったのも、仁科芳雄博士が率いる理研の研究者たちです。
このサイクロトロンは終戦時、アメリカ軍によって原爆研究に用いられる恐れがあるとして、東京湾に沈められました。
そういったことも、4巻目には描かれています。

最近の子どもはあまり「偉人伝」「伝記物」の本を読まなくなってしまったようです。
それが子どもが大きな志を持たなくなった原因の一つにもなっているんじゃないでしょうか。
子どもの頃に偉人の話を読み、憧れを持つことは大切な成長の一過程だとぼくは思います。
このマンガは、小学校高学年から中学生くらいの子にぜひ読んでもらいたいマンガです。
学級文庫に置いて欲しいですし、家庭にもひとそろいあるといいです。

森信三『一生の羅針盤--偉人伝記のすすめ--』に、偉人伝を読む意義が説かれています。
とてもいいことが書いてありました。
それは、

 人生には偉人伝を積極的に読まねばならない時期が二度ある

ということ。
一度目は、少年期、12歳頃から18才頃にかけて。
この時期は「立志」の時期ですから、偉人の偉業に触れて、自分もこうありたいと志を立てることが大事。
まー当然で、ぼくもそう思って我が子のために偉人伝の本を買いそろえつつあるんです。
子どもが偉人伝を読むのは当然かつ必要なことなんです。

で、二度目は、中年期、35才頃から40才頃にかけてなのだと書いてありました。
この二度目の時期についてはぼくも理解していませんでしたので、びっくりです。
なぜ大人が偉人伝を読まねばならないのか?

森氏によると、この時期は「発願」の時期なんだそうです。
20才頃から35才頃までは、社会人として自分の立ち位置を確立するためにがむしゃらにやってきた。
ようやく一通りの苦楽を味わい、一人前になれたと感じる年代です。
つまり、35歳頃までは「自分のため」に生きる時期なんですね。
それが終わる時期にもう一度偉人伝を読むことが大事だと、森氏は言うのです。

それは、一人前に自立した後は、その能力を活かして今度は人のため社会のために生きなければならない年代になるからです。
自分は人生の後半戦にいかに生きていくべきか「発願」する。
その時の指標となるのが偉人の生き方なんですね。
だから偉人伝を読まねばならないのです。

そんな思いもあって、もうすぐ40歳になろうとする代理人さんに『栄光なき天才たち』をプレゼントしたってわけなんです。
一緒にいい仕事をしていきたいと思っています!


写真は切り替え中のケーブル。
心線1本1本を手作業でつなぎ換えていきます。
けっこう楽しかったなー。

2010年3月15日月曜日

なかなかいいぞ、東京大学


こんにちは

我が職場、理研発生再生科学総合研究センターの上田チームリーダーが、NHK「仕事の流儀」に登場しました。http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/100216/index.html
上田さんはまだ大学院の学生の27歳の時に、理研のチームリーダーとして抜擢されたんです。
理研のチームリーダーは、国立大学の教授と同等の予算と権限を持っています。
100年に一人の逸材と言われています。
なので、抜擢されたというより、海外流出しないように先に唾付けちゃった、というのが正しいかも。
ぼくもちょこっとお話しする機会がありましたが、おーーーこの世の中にこんな頭のいい人がいるのかー、とびっくりしましたよー。
上田さんは久留米大付設高校出身で、東大理科Ⅲ類に進学したんですが、高校時代の先生から「上田君は東大ではもったいない」と言われたそうです。
理科Ⅲ類は医学部進学コースで、合格者は100人弱しかいないんですよ。
その中でもトップだったんですねー。

今日ぼくは午後からREHSE研究会http://www.oshimalab.k.u-tokyo.ac.jp/link/REHSE/index.html に参加するため東大本郷へ行きました。
東大もここ数年で、どんどん新しい研究棟が建てられています。
あのボロボロだった東大病院も、すっかりきれいな建物になっちゃいました。
赤門隣でも工事が始まっていました。
工事名を見てみると「伊藤国際学術研究センター」とありました。
家に帰ってネットで調べてみたら、イトーヨーカドーの会長さんからの寄付で造っているだそうですhttp://gateway.todai-alumni.jp/2009/03/post-587f.html 。
つまり寄付。

東大も国立大学法人化して、国からの交付金はどんどん減らされています。
国からの予算はじり貧状態なんです。
東大は国立大学総予算の10%も与えられているといっても、何とか自前で稼がねばならないと必死なんです。
特に理系の研究はお金が必要です。
国から与えられる研究費は、教授でも年100万円足らず。
これじゃあ何もできません。

そのため東大は今、寄付集めに奔走しているそうです。
2020年までに2000億円の寄付を集め、それを基金として運用し、研究や教育に注ぎ込む計画。
で、OBに声をかけまくって寄付をしてもらっている。
東大OBは各界で重要な地位に就いている人が多いわけで、収入もそれなりにあるから、寄付してくれる確率も高い。
2010年現在、すでに400億円集まっているそうです。

お金だけでもだめです。
東大ブランドを維持するためには、優秀な学生を確保しなくてはなりません。
特に理系では大学院生は重要なマンパワーです。
大学院生の質と量で、理系の研究は量質とも決まっちゃうんです。

そこで東大はこんな施策を始めています。
家庭の経済状態のよくない学生、具体的に言うとサラリーマンなら年収400万円以下の家庭の学生は、学費免除にしているんです。
学費だって大学の重要な収入源です。
だから免除なんかしたくないのが本音でしょう。
でも東大はそれをしちゃうだけの体力があるんですね。
学費免除してでも、優秀でハングリーな学生が欲しいってことです。

それはたぶん近年、学生が開成、灘など私立進学校出身者ばかりになってしまったからじゃないでしょうか。
私立進学校出身者は”おぼっちゃま””おじょうさま”なので、頭はよくてもちょっとハングリー精神に欠ける。
がむしゃらに研究に邁進する学生が減ってしまった。
もうちょっと、多様な学生を求めることにしたんじゃなかなってぼくは思います。

今や国立大学といっても学費は年額50万以上です。
経済的理由で進学できない学生だって多いと思います。
そういう学生を受け入れる度量が東大にはあるんですねー。

ところで、近年東大を卒業して国家公務員になる学生が減っているんです。
大学教育は受益者負担という錦の御旗の元に、学費はどんどんと値上がりし、私立大学との差が縮まりました。
受益者負担であるなら、東大卒の学歴を自分のためだけに使うのは合理的です。
公務員なんかより稼げる外資系企業に就職するのは当然です。
まして近年の公務員バッシング。
給料も安く、尊敬もされない仕事に誰が就くと言うのでしょうか。

国立大学の学費が安く、経費のほとんどが税金でまかなわれていた頃の学生は、意識もそれなりに違っていたと思うんですよ。
自分の学歴は自分の力だけで得られたものじゃない。
税金を払ってくれた多くの人たちの付託の元に得られたものだって。
そういう意識があれば、多少大変でも国民のために働こうという学生もいたんじゃないかって思います。
学費免除を受けた学生が、その恩を返したいって意識を持ってくれたらなーって思います。

蔭山英男『娘が東大に合格した本当の理由』小学館新書¥740-から引用します。

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ある統計によると、東大は世界ランキング16位(2006年)だ。
しかし東大より上野ランキングの大学のうち、13の大学がアメリカ、二つの大学がイギリス。
つまり、非英語圏の大学で東大はトップである。(119p)
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なんだかんだといっても東大はなかなかのものです。
学生も勤勉でまじめ。
日本の大学に行くならやっぱり東大だよなーって思います。

我が子たちが大学生になる15年後、ぼくは65歳です。
75歳までは現役で働くつもりではいますが、年収は大きくダウンしていることでしょう。
でも大丈夫。
東大は年収400万円以下で学費免除なんですから!


写真は東大本郷キャンパスのマンホール。
マンホールに「東京帝国大学」の刻印があるのも、面白いね。

我が家のお小遣い作戦


こんにちは

はつき君、とんたんにお小遣いをあげ始めました。
メインははつき君の金銭教育なんですが、とんたんも公平にしてあげないとかわいそうだから、一緒にとんたんにもあげています。

きっかけは3週間前。
夜寝る前にはつき君にオシッコをさせます。
夜のトイレは暗くて恐い。
これまでは親が一緒に着いて行っていました。
でももう5歳ですから、一人でも行けるんじゃないかって思ったんです。
で、「一人で行ってごらん。一人でトイレに行けたら土曜日にお小遣いあげるよ」と言ったんですよ。
いやー、お金の力は偉大ですねー。
がんばって一人で暗くて恐いトイレに行って、オシッコをしてくることが出来ちゃったんです。
スバラシイ!

子どもをお小遣いなど金品で努力させようというのはよくないことだ、という親や教育者は多い。
でもぼくはそうは思わないんですよ。これも程度の問題。
お金も人生に必要な、そして重要なインセンティブ。
適正な金銭欲は持っているべきだと思います。
正当な努力によって正当な報酬を得る。
世の中を渡っていくために当然持っていなくてはいけない、当たり前の「生きる力」だと思います。

以降、毎日寝る前に一人でオシッコに行くことを約束しました。
1週間それができたら、土曜日の朝に200円をお小遣いをあげる。
しばらくはこのルールにしようと思います。
100円でもよかったんですが、消費税があるので100円では買えるものが制限されます。
200円なら105円のものも買えるし、半端なおつりではもう1個買うのは無理。
おつりを貯金する、なんてこともできますから。

で、最初の週は何に使ったかというと、光が丘にあるゲームセンターに行って散財。
無駄遣いも必要な経験のひとつですから、ぼくは説教せずにそれを見守りました。
ゲームセンターで200円はあっという間に使ってしまう。
はつき君自身も「無駄かも」って思ったようです。
これも自分のお金じゃないと実感できないことですよね。

その後、晶ちゃんが「お小遣い来週まで使うのをがまんすると、400円になるんだよ。もっとすごいものを買えるようになるんだ」って教えていました。
するとはつき君は「じゃあ、その次も我慢したらいくらになるの?」なんて質問を。
「2回我慢すると600円だよ」って答える。
「じゃあぼく、1000円になるまで我慢する。それで1000円ショップに行って大きいおもちゃ買う!!」だって。
いいですねー。
今週現在、400円貯まっています。

4月になって年長組になったら、ひとつ家事のお手伝いを開始しようかと思っています。
毎日お手伝いができたら、週末にお小遣い。
年長組の期間も毎週末に200円としましょうか。
そして1年生になったら1000円にして、1ヶ月分まとめて渡す。
1ヶ月間それを自分でコントロールしてみる。

以降、学年×1000円としようかと思っています。
金額が増えるごとに、お手伝いの範囲も増やし、お小遣いでまかなう範囲も広げる。
その代わり、逆にお小遣い以外に親が子どもに買い与える範囲も狭めていく。
中学生1年生になると7000円にもなりますから、洋服とかもお小遣いで買うようにしたい。
お小遣いは基本的に自分の裁量と責任。親は使い方についてつべこべ言わない。
無駄遣いしようが、有効に使おうが子どもの勝手です。
工夫したり反省したりしながら、お金をコントロールする能力を磨いていってもらいたいと思っているのです。

2010年3月10日水曜日

ピンチを切り抜ける技術

こんにちは

年度末、やっぱり忙しいです。
たとえ雑件でも、複数いちどきにたくさんやってくるとパニック状態になってしまいますよね。
ひとつの雑件の対応をしているときに、違う雑件が舞い込んでくると、今やっていることを即中断してしまって、新しく舞い込んできた雑件の方に関わり始めたりして。
それまでやっていたことは中途半端まま放置されちゃったりするのです。
パニックになると、正常な判断ができなくなってきます。

これも脳の前頭前野にあるワーキングメモリがいっぱいになってきて、空きメモリが不足するからです。
そういう事態が重なると、どれもこれもが中途半端なまま放置されてしまうので、いったい自分が何をやっているのか分からなくなってしまう。
しかも雑件ばかりに振り回されてしまい、本来メインで抱えている仕事にまったく手が着かなくなってしまったり。
すると、その不備からどんどん雑件が生みだされ、よけいにやることが増えてしまうのです。
余計に焦ってしまい、何から手を付けていいものだか分からなくなります。
ピンチです!

もちろん新たな雑件が緊急のものであれば、即対応する必要があるでしょう。
でも、たいがいのことはそんなにすぐにやる必要はないわけです。
今やっていることを終わらせてからでも間に合うかもしれませんし、少なくとも今やっていることが一段落してからでもよかったりするわけです。
雑件が舞い込んできたとき、その緊急度を判断し、今やっていることとスケジュール調整をしてからでも決して遅くないのです。

一度お茶でも飲みながら落ち着いて、舞い込んできた雑件をノートに書き出してみて優先順位を付ける。
要するに「脳出し」。
脳のワーキングメモリに常駐してしまった雑件たちを、ノートに書き出すことによって脳を空っぽにする。
そうすると脳も正常に働きだし、判断も付くようになるんです。
メインの仕事をにらみながら、雑件に対応する時間を確保する。
そして優先順位の高いものからひとつひとつ片付けていけばいいんです。

中島らも『水に似た感情』集英社文庫\495-にこんなことが書いてありました。

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(略)ピンチになってもでんと座ってろ。
アントニオ猪木も言っている。
ピンチっていう奴はダマになってやってくる。
ひとつひとつを解決していけばそのうちほぐれて無くなってしまう。
このノウハウさえ身体で覚えておけば、パニックにならなくてすむ。(107p)
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どんなに複雑で困難に思えることでも、小さな易しいことがからみあっているだけなんですね。
よく分析して、そのからみをほぐしてやってからひとつずつ片付けていく。
ピンチを切り抜け、パニックにならずにすむようにするって、そういうものなんだと思いました。
結局の所、ひとつ一つ、地道に工程通りにこなしていく。
変に焦らない。
秘訣はそれしかないんですね。

さ、今日もがんばろっと!

2010年3月8日月曜日

試験の効用

こんにちは

昨日は「メンタルヘルスマネジメント検定 http://www.mental-health.ne.jp/ というのを受験してきました。
結果はまずまず。合格点(70%)に届いたような手応えです。
年度末の忙しい中、出張中の電車の中やお昼休みなどにちょこちょこと、1日最低30分間を目標に勉強を続けてきました。
おかげで、やっぱり長時間残業が心と身体に悪いことなど、メンタルヘルスに関する知識も増えました。
厚労省などで作っている基準やガイドラインも知ることができ、今後のぼくの労組委員長や衛生管理者の仕事にも活かしていけそうです。
発表は4月半ば、楽しみですー。

受験しながら、資格試験の効用は何か、つらつらと考えてみました。
勉強する習慣が身に付いて、自分の脳を柔軟にしておける。
新しいことを学ぶことは、頭をカタクしなくてすみます。

また、完璧主義にならなくてすむ、なんて効用もあります。
たいていの試験は60点~70点くらいで合格する。
頭のいい人の代表として、弁護士さんとか、東大生とかがいます。
頭のいい人は100点とっていると誤解している人もたくさんいます。
司法試験だって6割程度でokだし、東大だって2次試験は6割とれば合格です。
つまりは、司法試験合格者や東大卒業生など社会の中枢、中核を担っている人だって、決して完璧じゃないんです。
ならばぼくら一般人だって完璧である必要はないってこと。
もちろん最低ラインは押さえないとなりませんが、完璧になる必要もない。
資格試験を受験していると、そういうことも身に染みて分かってきます。

自分も完璧になる必要がないと思うと、他人にも完璧を求めなくなります。
つまり、優しい人にもなれる。
しつこいようですが当然、最低ラインは押さえないとなりませんよ。
でも、どうでもいい重箱の隅みたいなことまで完璧に求めることはしない。
すなわち、モノゴトの軽重も分かるってコトです。

そして、謙虚にもなれる、という効用もあります。
試験は実力勝負です。
合格ラインを超えるかどうか。
そこまで勉強したか、努力を続けられたかなんです。
合格しないのは運でもないし、誰かのせいでもない、自分の努力不足。
明白なことです。

近年「モンスター」と呼ばれる人が増えてきました。
モンスターペアレンツとかね。
モンスターの特徴は「他罰的」なことです。
何でも人のせいにする。
モンスターペアレンツは、子どもが学校でケガをしたら、子どもがどういうコトをしていたかとか、普段家庭でどういう躾をしているかなんかはまるで問題にせず、すべて学校のせいにするのです。
ひどい場合は、自分の子どもが頭が悪いのまで学校のせいにする。
もちろん学校にも責はあるかもしれませんが、自分の子ども、自分の家庭、親自身にも落ち度があるわけです。
自分の方にも落ち度があるんじゃないか、と考える習慣が「謙虚」というものだと思います。

モンスター、他罰的な人が増えたのは、受験がゆるやかになってしまい、努力して合格した、あるいは努力したにもかかわらず今一歩足らずに不合格になった、という経験のない人が増えたのも一因じゃないかと、ぼくは考えています。
努力した経験、努力する習慣のない人が、モンスター化するという仮説をぼくは持っています。
で、自分がモンスターにならないためにも、資格試験にチャレンジするのは大切だと思うのです。

内田樹『邪悪なものの鎮め方』バジリコ¥1600-にこうありました。

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1960年代の初めまで、日本の会 社の重役たちは三種類くらいの「お稽古ごと」は嗜んでおられたのである。
なぜか。
私はその理由が少し分かりかけた気がする。
それは「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるためには、「本務でないところで、失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」を積むことがきわめて有用だということが知られていたからである。
本業以外のところでは、どれほどカラフルな失敗をしても、誰も何も咎めない。
そして、またことに玄妙なことであるが、私たちが「失敗する」という場合、それは事業に失敗する場合も、研究に失敗する場合も、結婚生活に失敗する場合も、「失敗するパターン」には同一性がある、ということである。(189p)
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なるほど、資格試験にはこういう効用もありそうです。
つまり、お稽古ごとと同様に「失敗する経験」を積むということ。
ぼくも年2,3の資格試験を受験し、そのうち合格するのは一つくらい。
不合格、負けの方が圧倒的に多いんですね。
負けると反省します。
自分のどこが悪かったかなって。
その反省は、本業にも通じるんです。
反省したことを活かせば、本業で失敗するリスクを小さくすることができる。
オイシイですねー。

さて次は去年敵前逃亡しちゃった1級建築士に挑戦です。
やっぱり、資格試験受験はやめられませんなー。

2010年3月7日日曜日

リスクとデンジャー

こんにちは

昨日は休日出勤で、ケーブル切り替えの立ち会いをしました。
建設が始まったばかりの研究棟敷地のど真ん中に、電話線など重要なインフラケーブルが埋設されています。
この研究棟を設計したときは、基礎には当たりそうもないから念のため切り替えの迂回ルートも設計しとくか、くらいの気楽に思っていました。
切り替えるにしても、建物完成までにゆっくりやればいいや、とね。

ところが工事着工して測量をしてみると、基礎杭ギリギリの場所に埋まっていることが分かりました。
やっぱり杭を打つ前に切り替えなくちゃいけないようです。
工程上与えられた時間は1ヶ月あまり。
ちょっと焦りました。
それでも埋まっているインフラケーブルは数本だと図面上分かっていましたから、それほど大変ではないだろうと高をくくっていました。

さっそく施工スタッフにより埋まっているケーブルの調査をしてもらいました。
するとなんと、想定していたケーブル数の3倍ものケーブルが見つかっちゃったんです。
焦りましたよー。
これらをすべて切り替えるとしたら、三日や四日かかっちゃいそうです。
インフラを三日も四日も停止するのは難しい。
さすがのぼくも気が重くなりました。
それが分かった日はよく眠れませんでしたよ。気が弱いね。

ところがさらに調査を進めると、そのケーブルの半分は途中で切断されており使われていないことが判明。
念入りな調査のおかげで、気分も上向き。
これなら1日で切り替えできそうです。
優秀なスタッフたちと工程を検討し、10時間程度のインフラ停止で切り替えられるよう段取りました。

ただ、1本だけよく分からない信号ケーブルがありました。
切り替えるためにはいったん切断して、迂回ルートへ新たに配線したケーブルと再接続する必要があります。
この不明なケーブルを切断しても大丈夫かどうか不安を抱えたまま、当日を迎えました。
念のため、このケーブルを切断する前に被覆を剥いて電圧がかかっているかどうかチェックするよう、スタッフに指示をしました。
電圧がかかっていないなら、そのまま切断しても大丈夫。
でも電圧がかかっている場合、切断することによって末端側の電圧が0になり、予期しない制御が働く恐れがあるのです。

ケーブル被覆を剥いてみると、直流24Vが印加されていることが判明。
あちゃー、そのまま切断できないぞー。
選択肢は三つ。
1.予期しない制御が起こってもあきらめることにして、そのまま切断
2.何もせずそーっと残置する
3.何とか電圧をかけたまま切り替える
1はリスクが大きすぎます。この信号線が何に使われていて、何が起こるか分からないのですから、リスク評価もできません。
2もリスクが大きい。今は残置するにしても、杭工事で切断される恐れもある。その時に、何が起こるか分からないのも嫌です。
結局3しかやりようがない。
ではどうするか。

スタッフを現場事務所に集合してもらって、ホワイトボードに図を描きながらやり方を検討しました。
さすが優秀なスタッフ、あっという間に方針が決まりましたよ。
こうして電圧をかけたまま、このケーブルの切り替えも完了させることができました。

佐藤富雄『自分を変える魔法の口ぐせ』かんき出版¥1400-から引用します。

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心配事の80%は起こらないといわれます。
起きてしまうのは、残りの20%だけです。
ただし、そのうちの80%は、順序立てて整理し、準備を整えて対応すると、心配事には至らず解決ができます。
つまり、その時にならなければ手の打ちようがない、いわゆる心配に値する本当の心配事は、全体の4%に過ぎないということです。(71p)
###

日本語の「危険」には、英語でいう「リスク」と「デンジャー」の二つの意味が混在しています。
そのため日本人は、リスクとデンジャーの区別があまり得意ではないように思います。
リスクは上手くコントロールすることによって回避できる危険のこと。
デンジャーはいくら考え心配しても避け得ない危険、人智を超えた災害のことです。
これらを混同してしまうと、心配しても仕方のないことにばかり注意を向けてしまって、避けられたはずのリスク管理が疎かになって、事故に至る場合も多くなってしまう。

佐藤さんの80%の法則でいえば、

 ・心配事の80%は起こらないことなんだから気にするな
 ・残りの20%のうちその80%である16%のことはリスクなんだから
   一生懸命考え、対処しろ
 ・最後に残った4%はデンジャーなんだから、起こったらあきらめろ

ということですね。
これらを峻別することが大切なんです。
起こりえない80%のことをうじうじと悩まないのが、何をするにしても初動を早くするコツ。

昔の人は、人事を尽くして天命を待つ、と言いました。
人事とはリスク管理です。
リスク管理はやったらやっただけの成果が得られるものです。
コントロール可能だからね。
リスクを一生懸命考え、対策を練り、対応することが人事を尽くすということ。
人事を尽くしたら、あとは運だから何があっても仕方がない。
そう腹を据えることですね。

2010年3月4日木曜日

自尊心

こんにちは

いきなりですが池田清彦『そこは自分で考えてくれ』角川学芸出版¥1400-から引用します。

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今の先生は夏休みも学校に行かされているらしい。
生徒もいないのに学校に行ってどうするのか。
クーラー代がかかるだけではないか。
学校がはじまれば、教育委員会とモンスターペアレントという二種類の敵に挟撃されて防戦を余儀なくされるのだから、夏休みぐらいゆっくりさせてやればよいのにと私は思う。
オレたちの税金でやとっている公務員である教員を遊ばせてなるものかと思っている非寛容な人が結構多いのかもしれないね(そういう人に限って税金を払ってなかったりしてね)。
しかし、人間は機械ではないから、いじめられればいじめられるほど、働かなくなるのである。
働いたふりだけはうまくなるかもしれないけどね。
かくして現場の教師をしめつければしめつけるほど、教師は真面目に働かなくなる。(32p)
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今や教師受難の時代ですね。
それで教育効果が上がるならまだしも、反って教師のやる気を削ぎ、教育効果を下げているとしか思えませんよ。
とても損なやり方だと思います。

子どもをダメにする育て方をお教えしましょう。
それは「お前はバカだ」「ダメだ」「もっとちゃんとしろ」と言い続けて育てること。
こう言い続けて育てると、確実にバカでダメでだらしのない子どもに育ちます。
なぜなら子どもの自尊心を破壊するからです。
親や教師は子どもをもっとしっかりと育てたくて、往々にしてこう言い続けてしまう。
善意で言っていると勘違いしてしまうのです。
でも逆効果なんですよ。

自尊心とは自らを尊ぶ心です。
他人から否定的評価を受け続ければ、自分を尊ぶ心なんか生まれるわけがありません。
結果、「どうせぼくはバカなんだ」「ダメな奴なんだ」「生きる価値なんかないんだ」と思うようになる。
そう思い込んだ子どもが、ちゃんとしよう、しっかりしようと思うわけがありません。

もちろん時々は叱らなくちゃならないこと、子どもを正さなければならない時もありますよ。
そういうときはちゃんと叱る必要がある。
でも子どもの側に自尊心が育っているからこそ、叱ることも効果的になるのです。
自尊心のない子どもをいくら叱っても、のれんに腕押しになるだけです。

これは子どもだけではなく、大人だって同じです。
バカだ、ダメだ、ちゃんとしろと言われ続けて、やる気になる人間なんていません。
大人だから、叱られない程度に適当にやりすごすようになるだけです。
よくダメな部下をガミガミ叱るばかりの上司がいますが、これは部下をダメにしているだけです。
いい上司はたとえ叱ったとしても、結果的に最後は褒められるところまで部下を持って行っています。
ぼくのよく怒る元上司もそうでしたよ。

自分は最も大切な資源(リソース)ですが、何よりも大切なのは自尊心だと思います。
大人だって、自尊心を育み、守るために自分でも努力して行かなくちゃいけない。
リスクを避け、致命的な失敗をしないよう注意して、小さくてもいいから成功体験を重ねる。
オレってなかなかやるじゃん、という気持ちを持てるようにする。
そしてやがては周りの人たちにも認められるようになる。
自尊心が高まり、やる気も十分。
心が健康になります。
すると身体だって健康にもなるわけです。

自尊心が満たされた人は、周りの人たちも大切にするようになります。
だって、周りの人たちは自分を助けてくれる人なんですから。
よりよく助けてもらうためには、周りの人たちの自尊心を損なうような言動は慎まなければなりません。
そんなことをすれば、反って自分が損であることが分かっている。
もちろん不正なことや邪悪なことには厳しく対処しないといけませんよ。
一部の人が不正である場合、それを放置すると、その他大勢の自尊心を破壊しますからね。

現代日本人の多は、人は厳しくすればちゃんとするものだ、と誤解しているようです。
それはたぶん、自分たちもそういう扱いを受けており、自尊心が破壊されているからなんかないか。
それで、他人も同様に扱ってしまう。
そう扱うことによって、自分の不満を少しでも解消しようとする。
損得や合理性よりも、そっちを優先してしまう。
それは自らの自尊心がないからなんだと思います。

さて、学校の先生の話に戻ります。
教育委員会もモンスターペアレンツも、自尊心を育むという重要な教育原理を知らないようです。
自尊心を破壊された教師はどうなるでしょうか。
当然、子どもたちの自尊心を破壊しようとするでしょう。
そのために子どもの些細な欠点ばかり見つけるようになるでしょう。
欠点をあげつらって、直接的には「バカだ」「ダメだ」とは言わないでしょうが、そういうメッセージを子どもへ送り続けるでしょう。
ああ恐ろしい。。。

2010年3月3日水曜日

知は力なり

こんにちは

前便で、仕事は24時間、なーんてかっこいいことを書いちゃいました。
こう書くとまるで「仕事人間」「仕事マニア」「仕事狂」だと思われちゃうかも。
実を言うと、勤務時間中も含め24時間ずっと家族のことも考えていたりします。
勤務時間中の8時間は作業に集中しています。
ダンドリが決まっていますから、作業中は意外と頭を使っていない。
手や体を動かしながら、「今日の晩ご飯、何かなー」とか「家に帰ったら子どもと何して遊ぼうかなー」とか「週末、あそこに買い物に行きたいなー」なんて考えているんです。
こんなふうに勤務時間中もちょびっとはプライベートのことも考えているんです。
それがプライベート時間のダンドリにもなり、家族との時間を充実させる原動力にもなると思うのです。
要は一人の人間ですから、公私を完全には分けられません。
勤務時間中もそれ以外も、公私はそれぞれグラデーションになっているし、メリハリを付ければいいんだし、公私をきっちりと分けるよりその方が合理的、効率的なんだと思うんですよ。
そうやってワークライフバランスを上手にとっていくのがいいと思っています。

さて、隣の係の若い同僚が何やら悩んでいるよう。
隣の係の人同士で不満をぶつけ合っているのが聞こえました。
ぼくの所属するセクションは、建設工事の監督をするのが主務です。
工事は平日の日中だけではできず、どうしても休日や夜間に行わなければならないこともあります。
さらに地方の事業所へ出張して監督する必要もあります。
通常、自分の所属する事業所で残業を行えば、残業手当がもらえます。
出張すると残業手当はもらえません。

今回、出張先で夜間の立ち会い業務が必要になっていたのです。
で、若い同僚はそれを不満に思っていたんですね。
徹夜で立ち会わなくちゃ行けない仕事なのに、出張しての仕事だから残業手当が出ないと思ったんですね。
それじゃあ、がんばり甲斐がない。やる気もなくなる。どんよりした顔にもなる。

ぼくは行政書士など法律系資格も持っていますし、法律に関する基礎的な勉強もしてきました。
技術屋さんは法律に疎いので、損していることも多々ありますよ。
さっそくそれをご披露してあげました。

確かに労働基準法にはこう書いてあります。

  第三十八条の二
  労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、
  労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。

これを根拠として通常出張や外勤したときは残業手当が支払われないのです。
ここでのミソは「労働時間を算定し難いとき」です。
労働時間を算定するのはどうするのか。
出張していたらタイムカードを押せない、ということもありますが、労働基準法では労働者の労働時間の管理は管理監督者、すなわち上司がすることになっているんですね。
上司が自分の部下たちがいつ出勤したか、いつ退勤したかを管理するのが原則となっているのです。
ですから出張などで上司の目の届かない場所にいる部下の、出退勤の管理は不可能となってしまうのです。
そのため法律で「労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす」という<みなし規程>を設けあるのです。

逆に言えば、上司が労働時間を算定できるのであれば、出張中だろうと残業手当を支払えるし、支払うべきなんです。
若い同僚の今回の仕事には予め工程表が定められており、何時までその仕事がかかるか明記してあります。
残業が必要な根拠も明白です。
上司に事前説明をし、超勤命令を出してもらうことも可能。
念のため、仕事が開始されるときや終了したとき、ポイントとなるときに上司に電子メールを打つようにアドバイスしました。

以上を聞いた若い同僚の顔はぱっと明るくなり、やる気に満ちた顔になりました。
さっそく上司に説明に行きました。
果たせるかな、ちゃんと残業手当は支払われたのです。
よかったですねー。
当然ながら、若い同僚は出張先でいい仕事をしてきました。
徹夜仕事でも元気元気!

労働衛生工学の研究でも、きちんと賃金の支払われた残業の場合の事故率は低いことが分かっています。
サービス残業中の事故は多いんです。
まあ、サービス残業だと思うとダラダラいい加減に仕事をしてしまうのは、人間として当然ですからね。
きちんと賃金が支払われれば、それに見合った仕事をしようという意欲も湧く。
意欲があれば集中もしますからミスも減り、事故も減るのは当たり前でしょう。
事故に至れば、残業代を減らすことなんかよりもっと大変なコストがかかります。
コストだけではなく、場合によっては会社の信用、信頼も落とす。
それは会社にとっても損なことです。

今回の件もたぶん、出張中の残業について上司にちゃんと言わないと手当をもらえなかった可能性は高い。
上司だって法令に詳しいわけではないし、部下がどんな仕事をしているのかきちんと把握している上司も少ないですから、言われなければ普通の出張と同じに扱っちゃったでしょうね。
やっぱり、知は力なり、なんだと思います。
何か違和感を持ったら悩んでないで、調べたり人に聞いたりする。
それが自分を守り、会社に貢献していく道だと思っています。

2010年3月2日火曜日

仕事は24時間

こんにちは

先々週からちょいとハッスルしすぎたんでしょうか、じんましんが出ちゃいました。
ぼくはもともと体が弱く、体力がそれほどない。
ぼくはめったなことでは残業はしません。
それは自分自身を大切に扱って、長持ちさせたいからです。
一番大切で重要な資源は自分自身ですからね。
がんばりすぎず、ラクしすぎず、で行きたいと思います。

体力を維持するために気をつけているのは、なるべく残業しないで家でゆっくりする時間を確保すること、具体的には8時間以上は横になって休む、5時間以上は眠る。
それから、週に1日は完全に休む。日曜日には極力仕事を入れないんです。
日曜日に仕事をした場合は、必ず月曜か火曜に代休をとって体を休める。
キリスト教などでも週1日は安息日になっていますし、労働基準法でも週1日は法定休日と言って法律で休むように決めてあるのです。
それは心身の健康を保つために、人間の生理にあったことだと実感します。

そういう状況をつくるために、平日の勤務時間中はハッチャキになって仕事をします。
ある人からこういうフレーズを教えてもらいました。

 作業は8時間、仕事は24時間

あー、なるほどと思いました。
ハッチャキになって体を使ってする仕事は、正しくは「作業」と呼ぶべきものなんですね。
ぼくの場合だったら、会議に出席してしゃべりまくる、現場を見て回る、書類を読み込む、書類を作成するってことですね。
そしてその作業を合理的に効率的にやるには、きちんとダンドリを整えておかなくちゃいけない。
ダンドリは「考え」てするものです。
あの仕事どうやろうか、どうやったらうまくいくかな、といったことは、勤務時間中だけではなくいつも頭の隅に置いておくんです。

つまり、頭をアイドリング状態にしておくわけです。
夜家でごろごろしていたり、休日家族と過ごしているときも、頭を完全にoffにはしない。
ちょびっとアイドリング状態にしておくんです。
で、意外とリラックスしているときに、いい方法を思いついたりします。
そうすれば、出勤後すぐに「作業」にかかれます。
迷うことなくバリバリと作業することができ、残業もしなくてもすむ。

まあぼくが観察するに、残業が多い人は朝のスタートが遅かったり、勤務時間中に迷ったり考えたりしている時間が長いんですよ。
勤務時間中にonになる時間が少ない。
それじゃあ当然ながら残業せざるを得ませんよね。

で、作業をバリバリやっていると、問題も見えてきます。
その場で解決できないことも多い。
そういうときはとりあえず「棚に吊っておく」ことにしています。
焦ってその場で解決しようとせず、頭の隅に覚えておくんです。
で、家に帰っても、休みの日でも、寝っ転がりながらそれを思い出しては考える。
結構いいアイデアがそこで生まれたりするんですよ。

そうすると翌日仕事に行くのが楽しみになります。
ワクワクしちゃいますよ。
出勤したら問題解決のため作業をザクザクやるだけです。

『致知』2010年3月号 特集「運をつかむ」に、古芝保治さん(枚岡合金工具社長)のお話が載っていました。

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大切なことは、日々の作業の中で
気になることがあればすぐに改善する。
気づいたらすぐに着手することが、
運やチャンスをつかむ大きな秘訣です。
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気づくためには日々8時間の作業を充実させること。
気づいたことを改善するためにはいつも頭をアイドリング状態にしておくこと。
改善策を思いついたら、すぐに着手すること。
作業は8時間、仕事は24時間、なんです!

2010年3月1日月曜日

筋肉はリトルブレイン


こんにちは

夜寝る前、10分間くらいはつき君、とんたんとお布団の上でお相撲ごっこをして遊びます。
ぼくが家にいる日、ほぼ毎日「やろう、やろう」とせがまれます。
はつき君5歳はさすがに体力が付いてきているので、パンチやキック(<-相撲なのにあり??)されるとかなり痛い。
ぼくも負けじと、布団の上に投げ飛ばします。
子どもたちは10分くらいで汗だくになります。
そうすると思う存分体を動かして満足するんでしょうね、電気を消すとスッと寝ちゃいます。
かわいいねー。

佐藤富雄『自分を変える魔法の口ぐせ』かんき出版¥1400-にこうありました。

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人間の体の筋肉は、全身に張りめぐらされた運動神経系を介して大脳に直結しています。
脳は大脳だけでなく、体の至るところにリトルブレイン(小さな脳)として存在しているのです。
したがって、運動し、筋肉を使うことは、脳を使うことと同じです。(32p)
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動物の定義は、「筋肉を動かして、餌を探す生き物」です。
筋肉を使うことが本分なんです。
で、筋肉を制御しているのは神経系。
それは脳によってコントロールされている。
最先端の脳科学でも、思考よりも運動の方が脳神経のプリミティブな働きだということが分かってきています。
定型的な運動を司っていると思われていた小脳も、定型的な思考にも活用されている。
そして運動神経を鍛えた人の方が、思考力も深まることも分かってきているのです。

なので我が子たちには、存分に体を動かした遊びをさせたいのです。
幼少の頃から小学校中学年頃までは、「遊びの時代」だと思っています。
体をたくさん動かす遊びを通じて、脳神経を鍛える。
それが高学年以降に思考力を鍛える素地になると思っています。