2010年1月31日日曜日

金は天下の回りもの

こんにちは

先週末、国会で補正予算が成立しました。
ぼくの仕事もまた増えそうで楽しみです!
さて、補正予算の国会審議の中で菅財務相が「乗数効果」についてよくご存じなかったと報道されました。
それをちょいと説明してみますね。

「金は天下の回りもの」ということわざがあります。
お金は一人の人に留まるだけじゃなく、いろいろと世の中を渡り歩くもの。
今はすっかんぴんでもそのうち回ってくるだろう、という楽観的な気持ちを持つようにするためのことわざだと思ってました。
ところが、本当にお金は世の中を回っているんです。
お金って、回ることによってより活きていくものなんです。

たとえば、ぼくが100万円給料をもらうとします(願望^0^)。
もらったお金を自分のたんすに入れておくだけなら、いつまでたっても100万円のままです。
貯金したり株に投資したりすれば、多分ちょっとは増えるでしょう。
でもそれは「ぼくの」お金に限った話です。
世の中全体で、100万円はいくらの価値を生むのか。

ぼくの給料100万円のうち10%の10万円だけ残して、90万円で何かを買ったり、サービスを受けたりしたとします。
使った90万円は、誰かのところへ回っていきます。それは結局は誰かの給料の一部となるでしょう。
その90万円も、ほかの誰かのところで10%=9万円残されて、81万円が使われるとします。
その81万円は、また他の誰かのところへと回っていきます。
その81万円も、10%残されて、90%使われるとします。

こういうことを繰り返すと、最初の100万円は世の中を回っていくうちに、100万円以上の働きをします。
全部合計すると、いったい何万円の働きをすることになるのでしょうか。

上の例を計算すると、

 合計額=100万円+100万円×0.9+100万円×0.9^2+100万円×0.9^3+・・・

    =∑100万円×0.9^n (n:0~∞)

高校の数学で等比数列の和というのを習った記憶があるでしょう?
これは等比数列の和の計算になります。

公式にあてはめて計算すると、

 合計額=100万円÷(1-0.9)=1000万円

となり、なんと100万円は世の中を回っていくうちにもともとのお金の10倍、1000万円もの働きをすることになるのです。

上の例は、お金を使う方の話でした。
今度は何かを売って儲ける場合を考えてみます。
たとえば100万円の不動産を、誰かに10%増しの110万円で転売するとします。
この土地を次々に10%増しで転売していくと、

 合計額=∑100万円×1.1^n (n:0~∞)

    =∞!

100万円が無限大のお金を生み出してしまうのです。
これが「土地転がし」などの原理です。
お金というのは、世の中を回っていくと、その回り方によってすごいことにもなっちゃうのです。

税金を使って何か事業を行う場合、その「経済効果」を算定するのが常道です。
ある事業にお金をつぎ込むと、お金を使ったものだけじゃなくて経済的な波及効果を世の中に及ぼすわけです。
それがどの程度になるのか。
それが「乗数効果」なのです。
経済対策として公共事業を行う場合、乗数効果の大きな事業を選択すれば、世の中に多くのお金が回ることになり、経済効果も大きくなるというわけなのです。

総務省では「産業関連表」というリストを作っています。
http://www.stat.go.jp/data/io/index.htm
このリストで波及効果(生産誘発額)を予測できるのだそうです。
あるものにいくら投入すると、それに関連した産業にいくら回っていき、全体としていくらの経済効果を顕すのかが推計することができるのだそうです。

ちなみに道路建設について調べてみたら、生産誘発率は2.0だそうです。
たとえば道路建設に100万円投入すると、世の中全体ではその2倍の200万円の経済効果がある、ということです。
でもいくら経済効果があっても意味のない道路にお金を使うのは、ちょっと考えものですが。

まあお金とは不思議なものですね。

電気は安い

こんにちは

電力会社さんに仕事で行ったら、電気自動車に試乗させてもらえました。
三菱自動車のミーブという車です。
音も静かで加速にも問題なく、とても乗り心地いい。
大容量のリチウムイオン電池が開発されて、大電力モーターも駆動できるようになってきた。
モーター自体もネオジム磁石を使ったPMモーターという小型で低消費電力、大出力のものが開発されてきたということもあります。
ただし今のところ車体価格は400万円超だそうで、庶民には手が届きませんね。
車体価格が200万円以下になれば、買う人も多くなりそうです。

初期費用はそうとして、燃費はどうなんでしょうか。
燃費と言っても電気自動車ですから電気代ですね。
電力会社の担当の方に聞いたら「ガソリンよりずいぶん安くすみますよ」とのこと。
ミーブはフル充電して160kmくらい走るそうです。
充電時間は家庭用100Vコンセントからだと14時間かかる。
家庭用100Vコンセントは15Aですから、供給可能電力は1.5kW。
14時間使うと、使用電力量は1.5kW×14h=21kWhになります。
家庭用の電気代は25円/kWhですから、25円×21kWh=525円となります。
1km走行するのに、525円÷160km=3.3円しかかからないのです。

同クラスの普通のガソリン自動車の燃費は、25km/Lくらいでしょうか。
ガソリン1Lは120円くらい。
すると、1km走行するのに、120円÷25km=4.8円となり、電気自動車の1.5倍近くにもなります。
この価格差は、ガソリンにかけられている揮発油税によるものかもしれませんが。

というところで気づきましたが、ガソリンには揮発油税という税金がかけられています。
揮発油税は道路建設費などに充てられています。
道路を使う=ガソリンを使う、と見てガソリンに課税しているわけです。
でも、ガソリン自動車だろうと電気自動車だろうと、道路は使います。
電気自動車には揮発油税は課税できないでしょうが、どうするんですかね。
既に普及が進んでいるハイブリッドカーはどうしているんでしょうか?

さて、工業的に出力の単位として、馬力[HP(ホース・パワー)]が使われています。
その名の通り、馬の力を単位にしています。
今でも、自動車のエンジンの出力や、モーターの出力の単位として、馬力を使うことも多いです。

国際単位(SI単位)では、出力の単位は[W(ワット)]です。
W=J(ジュール)÷s(秒)ですから、出力とは「単位時間あたりのエネルギー量」ということになります。
馬力とWとの換算は1[HP]=760[W]です。

1馬力を電気代に換算してみます。
1馬力で1時間運転した場合の電気代は、

 760[W]×1[h]=760[Wh]=0.76[kWh]、
  0.76[kWh]×\25/kWh=19円

となります。たったの19円なんです。
馬一頭を1日8時間走らせるのと同じことを電気モーターでやると、\19×8h=\152-でできちゃうのです。

ところで人間は何Wくらいの出力を出せるのでしょうか。
人は一日に2000カロリーくらいの食事を採ります。
一日に2000カロリーということは、100W程度と換算されます。
ただし、人間は恒温動物であるためその大部分が体温維持に使われてしまいます。
新陳代謝にも使われますから、摂取したエネルギーをすべて筋肉運動に使うことはできないのです。
運動として連続して取り出せるのは、せいぜいその1/4くらいの25Wでしょう。
1馬力が760Wですから、25Wは0.03馬力。馬の1/300くらいですね。

さてさて、人間一人が25W出力の肉体労働を8時間こなしたとして、それを電気代に換算すると、

 25[W]×8[h]=200[Wh]=0.2[kWh]、
  0.2[kWh]×\25/kWh=\5-。

1日8時間汗水たらして肉体労働しても、電気代たったの5円分にしかならないのです。
工場などで肉体労働は機械に置き換えられていった歴史がありますが、結局の所その方が安いからということなんですね。

我が家の1日の使用電力量は10[kWh]です。
ケチケチ生活を心がけているので、一般家庭としては少ない方の使用量だと思います。
それでも人間の肉体労働に換算すると、10kWh÷0.2Wh=50人分です。
それは電気のない時代に戻って今と同じ生活をしようと思ったら、50人の奴隷労働を必要とするってことです。
昔の貴族並みの生活を、現代の人々はしていると言ってもいいかもしれません。

電気は確かに便利なものです。しかも安い。
でも便利で安いからってザクザクと使っているのではないでしょうか。
太平洋戦争時3年間で使用したエネルギーを、現代の日本ではたった三日で消費しているそうです。
電気を人力に換算してみることによって、ムダにエネルギーを使わないようチェックする心がけを忘れないようにしたいですね。

2010年1月30日土曜日

痛風になった


こんにちは

週末は神戸スパコン現場へ出張でした。
二日間めいっぱい仕事をして帰路についたら、なんと新幹線が止まってる。
新横浜~小田原間で架線が切断したとのこと。
新大阪の駅は人でごった返していました。
とにかく早く家に帰りたいので、運転再開したばかりののぞみに飛び乗りました。
当然車内は人があふれ、ぼくはもちろん座れずに通路に立つことに。

普通なら2時間半で東京駅に着くところですが、先行する列車もたくさんあり、途中何度も減速したり停車したりして、結局5時間くらいかかりました。
この間ずっと立ちっぱなしでした。本2冊読めました。
しかし失敗したのはお茶or水を買い忘れたこと。
混雑した車内、車内販売は来ませんでした。
のどが渇いても我慢しなくてはなりませんでした。

普段ぼくは水分を意図的に多めに摂取しています。
ぼくも中年ですからね、脳血栓とかにならないように注意してるんです。
血液がどろどろにならないようにね。
でも今回は5時間水分を取らないまま、立っていたわけです。

ようやく東京駅に到着し、ホームに降り立ったとき、左足親指付け根に違和感が。
突き指かねんざしたような痛みがあったんです。
その時点ではあまり痛くなかったので、気にせずに山手線に乗り換え、池袋へ。
ところがだんだん痛くなるんです。
西武線に乗り換え、我が家の最寄り駅中村橋に着く頃にはまともに歩けないくらいの痛みに。

それでも家には帰らなくてはいけないので、びっこを引きながら脂汗を流しながらのろのろと歩いて帰りました。
家についても左足親指付け根が痛くて痛くてたまりません。
寝床に入っても、痛くてとても眠れない状態。
悶々として朝を迎えました。

朝、近所のお医者さんに診てもらいました。
「ああ、痛風みたいですね」
あららららら。。。
やっぱぼくも中年なのねえ。。。


写真は神戸次世代スパコン棟の今の様子。
足場が取れてきて、外壁デザインが見えてきました。
我ながらほれぼれ!

2010年1月27日水曜日

先延ばしするな、現場に行け!


こんにちは

ぼくの仕事のひとつは工事の監督員です。
監督員の仕事は、施工者に施工しやすい環境を整えてやり、実力を発揮できる条件を揃えることだと思っています。
そのひとつが「決めること」「決めるための資料を提示すること」です。

以前、職場の所長室の改修工事を行ったときのこと。
施工者さんが図面を見ながら考え込んでいました。
ここ、どうなっているんだろう?って。
図面というのは現実を全部表現できるものではありません。
実際のそのごく一部分を図面という二次元空間に射影しているだけのものです。
どうしても欠落した情報が残ってしまうのです。

ぼくはさっそく「じゃあ現地を見に行こうよ」と言いました。
ホントはみんな現地を見て、直接確かめたかったんですよ。
でも所長室なんて偉い人のいる場所だから遠慮していた。
現地を確認すれば即決まるものが、図面だけだから決まらなかったんです。
現地を見に行ったら、その場でこうしようという方針が決まっちゃいました。
結果、いい仕事ができたと思います。

本田健『ユダヤ人大富豪の教え』大和書房\1400-にこうありました。

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決断に関して、普通の人が理解していないことがある。
よく決断は先延ばしにしようと言う人がいる。
後でゆっくり決断しようというタイプだ。
でも、その人はよく見ると大きな決断を知らずにやっている。
それは、「いま決断しないでおこう」という決断だ。
これが、人生でも最も大きい落とし穴の一つだ。(196p)
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世の中には「先送り」なんてことがよくあります。
まあ時間が解決してくれるってこともありますが、たいていのことは先送りすると問題が肥大化します。
だから、とりあえずでも決めてアクションを起こした方がいいのです。
アクションを起こして走りながら軌道修正していく方が、早く解決に至れます。
藤原和博さんも、先ずは行動を起こせ、そこでトラブルが発生したら何度でも改善を加えよ、100回改善すれば必ず成功する、なんて言ってました。

実は「決めない」ことは簡単なんですよね。
あれこれいつまでもだらだらと考えて、引き延ばしていればいいわけです。
たいていそういう人は、問題を複雑に考えすぎて、複雑だから熟考が必要と言うんです。
でもそれは決めることからの「逃げ口上」なんです。
物事は複雑に考えようと思えばいくらでも複雑になるものです。
決断するには、どれが重要でどれは切り捨ててもいいか、はっきりさせなくてはいけない。
そして決断した「責任」も負わなくてはいけない。
それが恐いだけなんです。

でも先延ばしすると問題は雪だるまのようにふくれあがってくる。
いつかは決断しなくてはならないのです。
それならば、雪だるまが小さいうちに決めちゃった方がいい。
たとえそれが誤った決断だとしても、雪だるまはまだ小さいのだから被害も小さい。

決断しないでおく方が危険であることを、常に意識しておきたいですね。
そして決断するには現場に行くことです。
現場に行って、現場を見て、現場を感じてくることです。
さーて今日も現場に向かってGo!!


写真はXFEL実験棟受変電設備の搬入の様子。
まもなく受電です!

2010年1月24日日曜日

忍耐の先にある快楽


こんにちは

昨年末に無事ヘルパー2級資格をGetして田舎へ帰った教え子から電話がありました。
働き口が見つかったとのこと。
来週から働き出すことになったそうです。
民間の病院系の介護施設だそうですが、試用期間が終われば正職員になれる。
よかったですねー。
ぼくも一安心です。

それにしてもこの不景気なご時世、いくら求人難の介護業界とはいえ資格取得から1ヶ月あまりでの就職決定。
芸は身を助く、資格はスバラシイ!
努力が報われると人生楽しくなりますよねー。

とは言え、これからが本番。
一日一日を大切にして、三日、三月、三年と継続して仕事をしていってほしいと思います。
どんな仕事でも三年は打ち込んでやらないと、必要な技能は身に付きませんからね。
きちんとした技能が身に付いたとき、初めてその仕事は自分のものになって楽しくなってくるし、人からも信頼されるようになると思います。
斉藤孝『フロイトで自己管理』角川oneテーマ¥705-にこうありました。

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たいがいの仕事はそんなに気持ちがいいものではない。
あるいは気持ちがいいと感じるようになるまでには、それ相応の忍耐が必要である。
しかし、気持ちがよくない状況に耐える訓練、学習をしていないから続かない。(27p)
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3年くらいの間は忍耐が必要なんですよね。
技が身に付くまではいちいち考えて行動しなくてはならないから、疲れます。
疲れれば気分も悪くなります。
でもそこで止めちゃいけない。
ひとつひとつコツコツと、自覚しながら技を身につけていく。
そういう我慢と忍耐が必要だと思います。

とは言え、あまりがんばりすぎない方がいいですね。
人生に出遅れた人って、一気にそれを取り返そうとして無理をしすぎる。
いい格好をしたいんですね。その気持ちもわからないでもない。
無理も一月二月ならできるんですが、三月もすると息切れしてしまいます。
息切れすると、仕事の質と量はガクンとダウンしてしまう。
下手すると三月目くらいに病気になって寝込んじゃったりする。
急に休みを取って、みんなのローテーションを狂わせたりする。
そうするとそれを見ている人からは怠けているように見えてしまうし、アテにできない奴だと思われちゃう。
そうやって一気に信頼をなくしてしまうのです。
損ですよね。

教え子にこういうアドバイスをしました。

  電話ありがとう。オメデトウ!楽しくがんばってねー。
  で、長く勤めるコツはね、がんばりすぎないこと。
  いつも100%出すんじゃなくて、80%くらいの力で仕事をする。
  で、時々ここぞというときに120%の力を出す。
  そうすると、みんなに信頼されるようになるよ。

まあそれも難しいでしょうね。
ちゃんとした仕事はしたことがないんですから。
試行錯誤しながら身につけていくしかない。
それでも、最初は張り切りますからね。
張り切りすぎないよう、アドバイスしたわけです。

派手さはなくても毎日確実に仕事をする。
少しでも余力を残すことによって、次の日も確実に仕事ができる状態をつくる。
心身の健康を保ち、間違っても急に休みを取るようなことにならないようにする。
余力があれば、誰かが急に夜勤の仕事ができなくなったとき、元気に「オレ、引き受けますよ!」と言える。
そういうことを三年続けてもらいたいです。

そうすると考えなくても勝手に身体が自然に動くようになり、同じ仕事をしていても疲れなくなってきます。
そうやって三年も経つと、いつのまにか自信もつき、同僚、上司から信頼され、世話焼きのおばさんから嫁さんの紹介なんかもされたりして、毎日が楽しくなっているはずなんです。
そういう楽しい未来を創るのも自分自身。
楽しくがんばってもらいたいと思っています。


写真はSPring8のある播磨科学公園都市の風景。
播磨は空がとてもきれいです。
播磨の空のような人生を創っていきたいです!

2010年1月23日土曜日

結果平等


こんにちは

技術系資格試験を教えている若い技術者君たちにこんな話をすることもあります。

 <天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず>って言葉、聞いたことがあ
 るかな。
 誰が言った言葉か知ってる?

福沢諭吉と知っている青年は多い。さすが。
ついでに1万円札を財布から出して見せびらかしたりします。
1万円札にも印刷されている人だって説明します。

 じゃ、これどういう意味?

ある技術者君が「人間は平等だという意味」と答えました。

 半分正解で、半分間違い。
 本当に人間って平等なの?
 たとえば、君らの年収は200万円とか300万円だよね。
 ぼくは1000万円だよ(ちょっとサバよんでる??)。
 まるで平等じゃないよね。

 福沢諭吉は、ホントはこう言ったんだよ。
 <天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、と言えり>って。
 言えり、ってのがミソだね。
 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、と言われている、ってことだ。
 でも現実はそうじゃない、って福沢先生は言っているんだよ。

 この言葉は何という本に書いてあるか知ってるかな。
 『学問のすすめ』だね。
 どう?わかってきた?
 人間は生まれたときは平等なんだけど、だんだん平等じゃなくなる。

 上に行ける人間と下のままの人間と、どこで差が付くのか。
 それは、学問をしたかどうかで決まる、って福沢諭吉は言っているわけ。
 だから、学問のすすめなんだね。
 じゃ、勉強を始めようか。

さてさて、<天は人の上に・・・>も誤解されている言葉ですが、「結果平等」も誤解されています。
どんなことをしてきた人も結果として平等に扱われる、と勘違いしている人が多い。
努力してきた人も、怠けていた人も、同じように報酬を受け取り、同等の生活レベルを送れる。
そんなことはあり得ませんよね。
池田清彦『がんばらない生き方』中経出版¥1100-にこうありました。 

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仕事って、結局は「結果がすべて」なのだということを忘れてはいけません。
「人はみな平等である」という言葉の真の意味はすべての人間の能力や生まれが平等ということではなく、「行動によって生まれた結果」が平等に扱われるということです。(40p)
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つまり、努力して会社や社会のために貢献してきた人には、それをきちんととはいかないかもしれないけど、それなりに評価して処遇する。
怠けてきて何も貢献せず、周りの人に迷惑かけっぱなしという人には、それほど厳しいことはしないかもしれないけど、やっぱりそれなりにしか評価しない。
その人がアウトプットした「結果」は平等に評価されるんですね。
世の中とはそういう厳しいものであるし、そうだから発展していけるんだと思います。
特に仕事は結果こそすべてなんです。

結果を出せなかったということだって結果です。
いくら一生懸命やっても、たとえ長時間残業して身を粉にして働いても、結果を出せなければ結果として怠けていたのと同じなんです。
アウトプットがなければ、仕事は貫徹しないのです。
アウトプットがあれば、次はその質の評価になります。
優・良・可の評価もなされます。

間違ってもらっては困りますが、仕事をする上での「努力」とは結果を伴わなければいけないものなのです。
意味がないものなのです。
だから努力とは、一生懸命さや長時間労働と必ずしもリンクしません。
ダンドリをよくしたり、工夫したり、お互い協力したり、へらへら楽しみながらだって、結果を出すことが重要。
つまり、努力とはダンドリよくしたり、工夫したり、お互い協力したり、楽しみながら効率的にやったりすることも含んでいるのです。
短時間しか働かなくたって、よいアウトプットが出るならそれは十分努力していると認めていい。

まずは結果を出すこと。
結果を出せばそれを平等に厳しく評価してもらえるのです。
よのなかは「結果平等」なんですから!


写真はXFEL電子ビーム輸送トンネル工事のトンネル内部の様子です。
XFEL加速器棟で創られた高品質電子ビームが、ここを通ってシンクロトロン棟へと駆け下りていきます。

頭を鍛える技術


こんにちは

時々若い技術者君に資格試験の勉強を教えることがあります。
彼らは学生自体あまり熱心に勉強してこなかった。
でも仕事上の必要性があって、資格を取らなくちゃならない。
資格があれば待遇もよくなり、安易にリストラされなくなります。
合格したい気持ちはあるんですが、勉強に対するコンプレックスが強くて、最初から「無理」と思っていたりします。
そのため勉強に本腰を入れてなかなか入っていけないんですね。

そんなときにこんな話をします。

  スポーツをやっている人、いるよね。
  上達するために体を鍛えると思うんだけど、どこを鍛えているのかな。

そう質問するとたいてい「筋肉」と答えが返ってきます。

  半分正解だけど、半分間違え。
  正解は、筋肉と神経。

そう言って、神経とつながった筋肉の絵を黒板に描きます。

  筋肉はかならず神経とつながっています。
  筋肉だけを鍛えることはできないんだね。
  筋肉は神経でコントロールしているわけ。
  だから、体を鍛えるってことは、筋肉だけじゃなくて神経も鍛えているんだ。
  むしろ神経をより鍛えることによって、合理的で的確な運動ができるようになるんだ。

  それと同じで、頭も鍛えることができるんだよ。
  脳は、神経が筋肉の代わりにまた神経につながっているところ。

黒板に描いた筋肉を消して、そこに神経細胞の絵を描きます。
神経と神経がつながっている絵になる。

  頭を鍛えることは筋肉を鍛えるのと同じなんだ。
  だから意図的に鍛えなくちゃよくならないんだよ。
  最初から頭がいい人っていないんだ。
  頭がいい人は、意識して脳を鍛えている人なんだ。
  スポーツと同じようにね。

  スポーツも鍛えれば鍛えるほど上手くなるように、
  頭だって鍛えれば必ずよくなるもんなんだ。
  スポーツで上達できる人なら、頭だって絶対上達するんだよ。
  もし、自分は頭が悪いと思っている人がいたら、それは錯覚。
  単純に今まで脳を鍛えてこなかっただけなんだ。

  スポーツだって最初はなかなか上手くならない。
  でもちょっと我慢して練習を続ければ、あるとき突然上達したりするでしょう。
  おーーー、できたーーーって、嬉しくなる瞬間が必ずくるよね。

  勉強だって同じ。
  最初はちょっとつらいかもしれないけど、それを乗り越えてごらんって。
  突然、自分の頭がよくなった気分になるときが必ずくる。

  じゃ、勉強を始めようかー。


写真はXFEL電子ビーム輸送トンネル工事の様子。
内外装はほぼ完了し、外構工事を急ピッチで進めています。
3月末完成予定です!

2010年1月21日木曜日

三現主義のススメ


こんにちは

踊る大捜査線で「事件は現場で起きている。会議室じゃない!」とい台詞がありました。
どんな仕事でも一番大事なのは最前線の現場なんだと思います。
机の上で数字だけ眺めていたんじゃ分からないことが、現場にはたくさんあります。

以前一緒に仕事をした大手ゼネコンの若い技術者君から教えてもらいました。
彼の会社では「三現主義(さんげんしゅぎ)を大切にする」よう、徹底的に教育されているとのこと。
三現主義とは、

 <現場>で<現物>の<現状>を見よ、

ということです。
なるほどー。
状況判断のためには確かに上の三要素は重要です。
その結果、その若い技術者君の残した仕事もスバラシイものでした。

三現主義、覚えておくといい言葉だと思います。
さて、今日もXFEL現場に出張です。
現場をよ~く見てくるとしますか!


写真はXFEL加速器棟の今の様子。
加速器にパワーを送るモジュレータ電源、クライストロンが並んできました。
自分が造った施設がどう使われていくのか、現場を見て回るのもぼくの楽しみのひとつです。

2010年1月19日火曜日

ポイントを外すな、手抜きしろ!

こんにちは

ハイチで大きな地震が起こりました。
死者は数万人にものぼるようです。
こういった大規模災害が起こった場合、けが人の治療のための病院の確保も大事です。
それは誰でもが気づくこと。
でもそれだけじゃダメなんだそうです。
知り合いの公衆衛生を専門にするお医者さんに聞いた話ですが、死者がたくさん出た災害の場合火葬場の確保も、病院と同様に重要なのだそうです。
なぜなら、死体というのは大きな感染源となりうるものだからだそうです。
死体が放置されるとそこで病原菌が大繁殖し、生存者、特にけがをして免疫力の落ちた人に感染する。
だから死んだ方はどんどん荼毘に付す必要があるのだそうです。
災害対策に対する新たなポイントを教えてもらい、目から鱗が落ちました。

さて、職場の若い技術者と電子メールでこんなやりとりをしました。
30歳をすぎて、ぼくもその頃そうだったように思いますが、ちょっと迷いが出てきているようです。

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> そこでふと思ったのが、最近は以前のように「がむしゃらに」
> 動かなくなってきてしまったな、ということです。
がむしゃらがいいわけでもないよ。
そりゃ20代の頃はがむしゃらにやって試行錯誤しながら経験を積むのは大事だけど、そのやり方を30歳にもなって続けるのは感心しない。
ぼくも40歳を超えた頃、がくっと体力が落ちた。
もうがむしゃらにはできなくなってきたんだな、とその時思ったんだよ。
やがてはそういう40代になることを見据えて、30代には30代の仕事の仕方があると思うんだよ。
それは、いい意味の「手抜き」ができるようになることだと、ぼくは思う。
仕事にプライオリティを自分で付けられるということだね。

> 慣れというのもあるのかも知れませんが、結構手を抜きながら
> やっているところがあります。
それでいいのだ。
ただし、手を抜いてできた余裕で、新たなことにチャレンジするのだ。
仕事でもいいし、プライベートでもいい。
がんばれ!
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手を抜くというのは必ずしも悪いわけじゃない。
手を抜けるというのは、大事な仕事のスキルだと思います。
手を抜くという言葉が悪いなら、優先順位の低い、時間とコストをかける意義が低い仕事は、省力化するってことです。
ただし、どこを手を抜くかが重要です。
いかに全体の品質を落とさずに、省力化ができるか。
手の抜き所が分かってないといけません。

要は「ポイント・ツボを外すな」ってことですね。
仕事というのは、日垣隆さんの定義によれば「依頼と納品」。
依頼されたものを期日までに納品することが、仕事の本質なのです。
つまりそこには依頼者という他人が存在します。
依頼者が満足するものを納品する必要があるのです。

逆に考えれば、依頼者が満足すればそれでいいのです。
若い頃失敗が多いのは、依頼者のことを気にせずに自己中心的に仕事をしてしまうからなのです。
つまり、ポイントを外してるので失敗したり、やたら手間暇がかかったりするんですよ。
ここで重要なのは、依頼者はすべての点に満点は求めていない、ということです。
ここは譲れないという所と、ここはまあまあでもいいやという所、ここは気にしないというところがあるのです。
依頼者が譲れないと思っているところを手を抜けば、当然ながら怒られます。
依頼者が気にしないということろを念入りにやると、手間暇ばかりかかってしまいます。

仕事のできない人は、たいていがポイントを外しているのです。
依頼者の視点に配慮しないからです。
ポイントが分からない人は、すべてをまんべんなく満点を取ろうとします。
すると時間ばかりかかり、残業が増えます。
おまけに期日に間に合わず、一生懸命やったのに叱られることになるのです。

梅森浩一『残業しない技術』扶桑社\1000-にこんなことが書いてありました。

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私の大好きな言葉に、「怠け者は二度働く」というネイティブアメリカンの格言があります。
肝心なところで手抜きをしてしまったがために、結局「元も子もなくしてしまった」「最初からやり直しをしなければならなくなった」というたとえです。
自分の怠け心を戒める言葉として座右の銘にしています。
上司の目線や評価軸にもとづいた、いわば確信犯的な手抜きではなく、自分に甘いだけといった場当たり的な手抜きでは、結局そのツケが最後には自分自身へとまわって きてしまいます。(18p)
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手の抜き所が分かるためには、やはり試行錯誤が必要です。
つまり、若いときがむしゃらにやる時期が必要だと思うのです。
がむしゃらにやって失敗するのも若さの特権であることは確かです。
がむしゃらにやって、失敗したり成功したりして、それを反省して勘所を磨く。
だから20代のうちはたくさん残業した方がいいと思います。
でも、ある程度年齢が行ってしまうと、それはちょっとかっこ悪い。
でもいつまでもそれじゃいけません。
30代から徐々にギアチェンジし、40代になったら残業しなくても仕事をこなせるようにならなくちゃ。

怠け者ほど仕事時間が長くなってしまう。
40代すぎても残業が多い人は、本当は「怠け者」なのかもしれませんよ。
それは手の抜き所が分からないから、とんでもないところを手を抜いてしまうので、仕事の質を担保することができず、やり直しせざるを得なくなる。
あるいは、どこも手を抜けずに仕事をしなければならないから、やたら時間がかかる。
しっかりとした戦略なしに、場当たり的に仕事をしているからです。
手を抜くのも「確信犯」でなくちゃいけないんですよねー。

2010年1月18日月曜日

マイペースの技術


こんにちは

ハツカネズミを飼育するかごの中には、たいていリングが付いています。
ネズミがこのリングに乗って、楽しそうに走っています。
ネズミの遊び道具、運動用具ですね。
このリングが付いていると、狭い飼育カゴの中でのネズミのストレスが解消されるので、ネズミの発育はよくなります。

このリングを二つ接続して二匹同時に使えるようにします。
二つのリングが同時に回転するようにするのです。
たいていは二匹同時に遊ぶことはなく、そうなってもすぐ一方のネズミはリングから降りてしまいます。
ところが、リングから降りられないように仕組みにして長時間2匹のネズミがリングを回し続けなくてはならないような状況をつくると、たちまちネズミは胃潰瘍になってしまうのです。

もちろん原因はストレスです。
ストレス解消のためのリングが、二匹同時に使うようにするとストレスになる。
二つのリングが接続されていると、他のネズミに合わせて走らなくてはならない。
これが大きなストレスになるのです。
あくまでストレス解消のためには、自分のペースで走るのがよいのです。

人間も同じなような気がしています。
仕事というのは容易に降りることができないリングのようなものです。
時には走りたくないときにでも、リングの中で走り続けなくちゃならない。
その時、できるならストレスを感じずに走れればそれに越したことはないですよね。
そのためにはなるべく自分のペースで走ることが必要です。
誰かのペースで無理やり走らされるから、ストレスになるのではないでしょうか。
特にペースを乱すのは、上司からの催促です。
催促されると自分のペースで仕事を続けることができなくなり、大きなストレスになります。

なるべく自分のペースで走るための原則は、

 ・やるべき仕事は先にやること
 ・期日は明確に決めておくこと

です。

上司から「君、あれどうなってるの」と突然言われることほど嫌なものはありません。
特に、絶対にやらなくちゃならない仕事なのに、やる気が出なくて放っておいちゃったものを催促されるのは、ストレスになりますよね。
人はたいてい、好きな仕事、楽な仕事の方から着手してしまいがちなんです。
そうすると、嫌だけどやるべき仕事になかなか着手しないでうだうだしてしまう。
そんな時、上司から声がかかる。「あれどうなってるの」と。
これって、上司がリングに乗ってきて走り出すのと同じじゃないですか。
それに合わせて自分も走らなくてはならないから、非常にストレスを感じてしまいます。

ならば、やるべき仕事を先にやっておく。
完成しないまでも6割方でもやっておく。
少なくとも上司から問われたときに、ひと言二言報告できるくらいはやっておく。
少しでも進捗を報告できれば、上司も安心しますし、自分も慌てる必要がなくなります。

そして提出日を○月△日にする、と明確に決めておく。上司と約束しておくんです。
そうすれば、「あれどうなっている」と上司から聞かれても余裕をもって答えられます。
「それなら期日に提出できる段取りで進んでいますよ」と言えばいい。
たとえ全然やっていなくても、期日を決めてあればそう答えることができます。
もちろん、約束は守らなければなりませんが。

そして自分のペースでリングを回し続けるんです。
すると仕事もストレス解消の道具になっちゃうんですよ。
さて、今週も楽しくリングを回していきましょう!


写真は神戸に建設中の次世代スーパーコンピュータ棟。
あと5ヶ月で完成です。ワクワクしますねー。

2010年1月17日日曜日

信頼に基づく人生


こんにちは

はつき君もとんたんもとてもフレンドリー。
見ず知らずの人の宴会に入り込んで、ごちそうになったり、お菓子をもらってきたり。
先日のお座敷列車の旅でも、自分のおやつを持って各車両を回って、それをいろんなお客さんにあげて、その代わり違うお菓子をもらってきたりね。
おいおい、そこまでやっちゃうのかい、ですよ。

要するに、他人を信用してるんですね。
この世の中の人全部が自分の味方だと思っている。
いいことだと思います。

橘玲『得する生活』幻冬舎¥1500-にこうありました。

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学問は時として残酷な事実を私たちに告げる。
「貧しい人は心が美しく、金持ちはずる賢い」
これは世間一般の常識だが、残念ながら誤りである。
各種の社会調査によれば、成功者ほど他人を信頼し、貧乏人ほど疑り深く、猜疑心が強いという傾向が顕著に現れている。
同様に、高学歴社ほど他人への信頼度が高く、学歴が低くなるにつれて疑り深くなる。
「人を見たら泥棒と思え」というのは、排他的なムラ社会においては正しい行動原理だ。
閉じられた共同体の中で一生を終えるムラ社会では、異物を効率的に排除することで安定した生活空間を確保できる。
しかし開放的な市場経済では、こうしたムラの掟は経済的な災厄を招く。
猜疑心の強い人は仲間内の商売しかしないから、共同体の外部で経済的な関係を築くことができない。
これではいつまでたってもビジネスチャンスを獲得できず、変化の激しい社会に適応するのは不可能だ。
他人に騙されないようにするためのコストが大きすぎるのだ。
高い知性の持ち主は、もっと効率的な戦略を考える。
彼らは一定の条件を設定し、それをクリアした人をとりあえず信頼する。
もちろん、なかには詐欺師や嘘つきもいるだろう。
相手が信頼に値しないとわかったら、その時点で付き合いを止めればいい。
騙されることによる損失は避けられないが、それを補って余りある人間関係とビジネスチャンスを手に入れることができる。
騙されることは、成功に必要なコストの一部なのだ。(25-26p)
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確かにこの世には悪い人、信用ならない人もいます。
でもそういう人はごく僅か。
統計的に見て5%くらいだそうです。
そういう人に騙されたりひどい目に遭わされたりすることもあります。
でもそれを恐れて、すべての人を不審の目で見てしまうのは損なんです。

だって残り95%の人は良い人であり、信用するに足る人。
基準をこちらに置くのです。
人は基本的に信頼できるもの、と思っておく。
その方が世間は広がると思います。
我が子たちにもそう思い続けてもらいたい。

人間関係の基本は家族です。
親であるぼくらが子どもにとって信頼できる存在であることが必要。
嘘をつかず約束を守る。
そうやって子どもたちに信頼に基づく人生をプレゼントしたいなーって思っています。

2010年1月16日土曜日

遠くまで行く技術


こんにちは

12月に受験した「ダンドリ力検定」の発表がありました。
もちろん

  合格!

です。やったー。
ぼくは毎年二つ三つ仕事に関連した資格試験を受験し、ひとつくらい合格することを目標にしています。
今年は1級建築士は敵前逃亡しちゃったりしましたが、ダンドリ力検定合格でちょいと小粒な試験ながらとりあえず目標達成。
おまけに、ダンドリー関口の面目躍如!

資格試験の勉強をするメリットは、その分野の基礎的知識を身につけることができる、ってことです。
その上試験日という締め切りも決まっている。
締め切りまでに合格できるレベルまで自分を引き上げていけるんです。
短期間に必要な基礎を身につけるため、最適なシステムです。
これを利用しないのは損です。

オマケに合格すれば、世間から一定の評価が得られる。
プロの端くれ程度には見てくれるんですね。
ぼくの仕事のひとつである電気主任技術者(通称・電験デンケン)でも、試験で合格した資格者は「実力1種」なんて呼ばれたりしますし、実務経験で取得した資格者は「電認デンニン1種」として一段も二段も低く評価されてしまいます。
プロとして認められると意見も通りやすくなります。
「素人が何言ってんだ」と言われることが少なくなります。
もちろんプロとしての責任も生まれ、厳しい状況にも追い込まれますが、それも自分を高めてくれる。
分からないことがあっても試験勉強で得た基礎があるから、自分で調べ解決していくこともできるようになるんです。

若い同僚からこんな手紙をもらいました。
彼女は我が社の知的財産管理部署に勤務しています。

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昨年のお正月は予定外にお正月をこちらで一人で過ごすことになり、何もすることがなかったのと、関口さんのメールで1日30分程度の時間を決めて、無理なく資格試験をパスした話が気になっていたこともあり、急に思い立って知的財産管理技能検定(http://www.kentei-info-ip-edu.org/howto03)の勉強を始めました。
お正月明けも始業前の30分の勉強を続けて、2級に合格しました。
必要に迫られたわけでもなにのに頑張れた自分にびっくりです。
関口さんのメールを読んでいなかったら、自発的に資格勉強をすることはなかったと思います。
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スバラシイですねー。
森博嗣さんも言うように「いくらのんびりであっても、毎日前進していれば、ずっと遠くまで行けるもの」なのです。
毎日30分だけでも勉強を続けていけば、数ヶ月も経つと思いの外進歩していることが分かります。
いつの間にかここまで来ちゃったよ!なのです。
ホントに、頑張れた自分にびっくり、しちゃうんですよねー。
資格試験に合格すればやっぱり嬉しいし、自分に誇りが持てます。
そうすれば自分に自信もつき、毎日が明るく楽しくなります。
こういうメンタルなメリットも、資格試験にはあると思います。

今年度はもうひとつ「メンタルヘルスマネジメント検定(http://www.mental-health.ne.jp/)」を受験するつもりです。試験は3月。
今ぼくは労組執行委員長として職員のメンタル問題にも取り組んでいます。
トヨタ自動車など優良企業では労働組合もメンタルヘルスへのサポートをしているそうです。
職員が活き活き仕事ができれば、生産性も上がり、待遇もよくなっていくのは当然。
会社側に何か要求して行くにしても、基礎知識がないとできません。
毎日少しずつ、ぼちぼちと勉強をしているところです。
もちろん去年敵前逃亡しちゃった1級建築士の勉強も平行してぼちぼちと!


写真はXFEL研究棟に造る大ホールの天井の模型を検討しているところ。
仕事もコンスタントに段取りよく一歩一歩進めることが大事ですね。

一歩一歩進む


こんにちは

ぼくはいつも、自由に生きるにはどうしたらよいか、考え、実践しています。
一応ぼくも社会人ですから、まったく好き勝手に生きるわけにはいきません。
義務も果たして行かなくちゃならない。
と言うより、義務をきっちりと果たすから自由も手に入るんだと思っています。

具体的にはどうするか。
それは、

  工程通りに進める

ことにつきると思います。
自分でスケジュールを立て、それに従って作業していく。
これは仕事でも家庭でも同じです。
一緒に仕事をする人たちや家族との約束を守り、迷惑をかけないようにしているのです。
仕事の約束を守るから、家族との時間も生み出せます。
家族との約束を守るから、仕事にも集中できるのだと思います。

約束を破り迷惑がかかってくると、まだかまだか、早く早くと催促されてしまいます。
催促されるほど自分の自由を奪うものはありません。
だって他人のコントロール下で生きなくちゃならないからです。
だから催促されないようにするのが自由への道。
そのためには、工程を守る。
その意味で、自分で決めたスケジュールにはきっちりと縛られるのがいいのです。

森博嗣『自由をつくる自在に生きる』集英社新書¥714-にこうありました。

###
自由を得るためには、毎日少しずつでも良いから前進をする作戦が最も有効だと思う。
どんな山でも、一歩一歩登っていけば、いつかは頂上に辿り着ける。
目標は見えているのだから、休まずそこを目指す。
今日できることをする。
なにかできることはないか、といつも探す。
そして、無理をせず、時間をかけて少しずつ進む。
そうすることが、一番楽なのである。(173p)
###

今ぼくは年度末に発注する新しい研究棟の工事費の算定をしています。
数億円にもなる工事ですから、その資料は数百ページにも及びます。
それをすべてチェックし、期日に遅れないようにするにはどうするか。
ぼくのやり方は単純です。

期日までの日数を数え、その数字に0.8を乗じます。
0.8を乗じるのは、不測の事態へのバッファです。
急な仕事が入っても、それほど焦らなくてもすみます。
あるいは早めに作業完了すれば、それだけ気持ちにも余裕が生まれます。
気持ちの余裕こそ、安定したいい仕事をするための資源だと思っています。
そして総ページ数をその日数で割り、1日の作業量を出します。
あとはもくもくとその日のノルマをこなすよう作業をするだけです。

一日のノルマさえクリアできたら、その日はそこで仕事を止める。
まだ余力が残っていても退勤し、その余力を家族のために使う。
あるいは未来の自分のために、ちょこっと勉強する時間として使う。
気持ちに余裕が生まれ、ワークライフバランスも整います。

森さんはこうも言っています。

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いくらのんびりであっても、毎日前進していれば、ずっと遠くまで行けるものなのだ。(114p)
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のんびりと、でも着実に進んでいきましょう!


写真は理研筑波研究所に設置中の特高変電所。
工程通りに進んでいます!

2010年1月13日水曜日

うぬぼれるが勝ち


こんにちは

ぼくの職場でも成果主義勤務評価が始まりました。
年度末に、上司の評価の他に、自己採点表も提出することになっています。
自己採点表は10項目の観点について、5段階で評価していくものです。
ぼくも今年度の自分の仕事ぶりを自己採点してみたんですが、ほとんど満点になってしまいました。
オレ、うぬぼれてる?
あはははは。

でもね、今までぼくが出会ってきた有能な人はほぼ100%うぬぼれていましたよ。
自分に自信があるんですね。
オレならこんなことぐらいできてあたりまえだ、みたいな気概がある。

うぬぼれであっても、錯覚、誤解であっても、自分は有能なんだと思いこむことは必要なことだと思っています。
自分が無能だと思っているのに、何かをやる気になれる人なんかいないんじゃないでしょうか。
やれると思うからやれるんだし、やれないと思えばやれない、それが人間ってもんだと思います。
うぬぼれるくらいの人の方がチャレンジングでいられるんです。

まして子どもはそうです。
ぼくの教師としての経験でも、自分は頭がいい、自分は勉強ができると思っている子は勉強ができるんですよ。
たとえ錯覚であっても、そう思っている子どもは伸びるわけです。
伸びないより伸びた方が断然いいに決まっています。
ならばそう錯覚させてやるのが子どもを伸ばすコツなんです。

外山滋比古『子どもを育てる絶対勉強力』幻冬舎文庫から引用します。

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ほめる、ほめられるのプラシーボ効果も大きい。
立派なことをしてほめられるのなら当たり前であるが、なにもしないのに、ほめられるのは、偽薬である。
それでもほめられると、そうなろうとするのが人間である。
頭がよいかどうかは別として、頭がよい、とほめられれば、その結果、本当にいくらかは頭がよくなる。
間違ってもバカと言ってはいけない。
本当にダメになるおそれがある。(146p)
###

どんなにほめても、子ども自身が「自分はできるんだ」と思いこまなければダメです。
でも幼少であればあるほど、親や先生や周りの大人が褒めれば、自分もそう思いこめる可能性が高くなります。
ぼくの経験でも10才くらいまでは褒めまくった方がいい。
甘い評価を与え続ける方が、子どもは伸びると思います。
10才くらいまでそう育てて子どもの中に自信の核ができれば、あとは勝手に伸びていくんだと思います。

時々、謙遜してなんでしょうが自分の子どもを「バカ息子」とか言う人がいます。
それも子どもがいる前で。
それはやめた方がいいですよ。
ホントにバカになっちゃいます。

そもそも謙遜ってのは、ホントはそうじゃないけど否定するから意味があるんです。
バカな子どもをそのままバカって言っても、謙遜にはならないのです。
言われた相手も苦笑するしかない。
優秀な子をバカ息子と呼ぶから謙遜になって、かっこいいわけです。
幼い子どもは謙遜なんてことは理解していませんから、親が自分をバカと言ったと受け取ります。
そうすると、自分はバカなんだな、と思いこんでしまう恐れが大きい。
謙遜にもならず、子どももバカになってしまうなら、下手な謙遜なんかしない方がいいってもんです。

子どもが自分に自信をもち、有能感を十分持てたときなら、バカ息子と呼ばれても平気になります。
それが謙遜という社交辞令の一種であることも理解できます。
自分がバカじゃないと分かっていますから、バカと言われても返って自信を深めます。
本音では親も自分のことを優秀だって言ってるんだなって。

褒めて育てる


こんにちは

1/11成人の日に、家族で福島のスパリゾートハワイアンズ(http://www.hawaiians.co.jp/)に行ってきました。
筑波研に出張に行ったとき、駅に「お座敷列車で行くハワイアンズ日帰り旅行」ってパンフレットが置いてありました。
上野から往復ともお座敷列車で、ハワイアンズに約5時間滞在。
しかもハワイアンズでの昼食も付いて、一人8000円!
お座敷列車なら子どもたちも多少走り回ったり、寝ちゃったりしても大丈夫だろう、と踏んだんです。
それを見たとたん、行きたくなっちゃったんですよ、ぼくがー。

朝7:12上野発、帰りは20:30上野着ですから、かなり強行軍でした。
でも楽しかったですよー。
子どもたち、ほぼ5時間泳ぎっぱなしでした。
特にとんたんが、もう泳ぐのが楽しくて楽しくて、という感じで。
浮き輪を使ってですが、ぼくの所から5mくらい泳いでいってはまた帰ってくる。
その度に「とんたん、水泳上手だねー。あんなに遠くまで泳いでいって勇気あるねー」と褒めました。
とんたんもニコニコしながら「そうでしょー!」って喜んでいました。

子どもを育てるときの鉄則は、褒めて育てることです。
もちろん躾は大切で、悪いことをしたら、社会的に見て好ましくないことをしたら、その場で叱ることは必要。
でもそうじゃない、未熟なための失敗、経験が足りないための間違いを子どもがしたときは、絶対に叱っちゃいけないんです。
特に知的な間違いは、子どもはただ単に知らないだけなんですから、バカと言ってはいけない。
知らないなら教えてやればいいだけなんです。

バカ、バカと言っていると、本当にバカに育ってしまいます。
自分はバカなんだと自己規定するようになるからです。「自己否定感」を持つようになってしまう。
そうすると、ぼくはバカなんだから仕方ない、バカなんだからやってもダメ、と思いこみ、成長のチャンスを逃すようになります。
ちょっと努力すれば成功することができるようなことでも、最初からあきらめてしまうようになる。
そうこうしているうちに本物のバカになってしまう、というメカニズムです。

特に「つ」の付く年齢、九つ、小学校3年生くらいまでは、褒めて育てなくちゃね。
自分は有能であり、かつみんなから認められている、という自己肯定感を育てる。
藤原美子『家族の流儀 藤原家の褒める子育て』集英社文庫\476-にこうありました。

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「パパがよく言うように、もともと人の能力にはそう大差ないと思うんだ。
そこからの努力いかんで人からぬきんでる存在になれるかどうかが決まると思う。
僕は、努力する人間には二種類あると思っている。
ひとつは、自分は優秀な人間なのだから、もっともっと力を発揮できるはずだと思って努力するAタイプ。
もう一つは、自分は凡人だから上へ行くためには人以上に努力しないといけないと思って努力するBタイプ。
パパや僕はAタイプ、ママはBだな」
と、謙三郎は御説をのたまった。
「ではサブ、どちらのタイプになるかは何によって決まると思う」
「そりゃあ、性格だと思うよ」
横で聞いていた夫が「持って生まれた性格もあるけど、育ち方も大きいよね」と口をはさんだ。
すると謙三郎が
「うん、僕は小さいときからパパたちがよく褒めてくれたから、褒められてきたことが大きいのかなあ。
それは有り難かったと思っているんだよ」
と珍しいことに親に感想を述べた。(56p)
###

褒められて育つ。
そうすると、ある意味楽観的になれます。
困難な状況に出くわせても、ぼくならなんとかできるだろう、きっとやり遂げられるに違いない、みんなも協力してくれるはずだ、って。
成功する見通し、見込みがあれば、必要な努力は惜しまないようになります。
そういうよい循環に入れれば、どんどんと努力し、賢くなっていけるわけです。

「つ」の付く年齢を過ぎる頃、小学校4年生くらいから、学校で習う勉強も抽象的で難しくなってくるし、友だちづきあいも複雑になってくる。
そういう時期に自己肯定感があれば、自らが自らを鍛え、健全に育っていけるんだと思います。

大人になるとめったに褒められることはなくなります。
仕事はやって当たり前ですからね。
そういうときでも、自分の理想に向かってめげずに進んでいけるかどうか。
ある意味楽観的になれるかどうかが、大人になっての成功につながるんだと思います。
それには幼少の頃、めちゃくちゃ褒められて育てられたかどうかが重要。
ぼくはそう思って、はつき君やとんたんを育てているんです。

2010年1月12日火曜日

抜き書きの楽しみ


こんにちは

ぼくはこうしてほぼ毎朝のようにこんなコラムを書いています。
その時々思ったこと、考えたことにからめて、本から引用します。
引用することが好きなんですよ。

引用するために、本を読んで面白かったこと、心にのこったことの書いてあるページの角を折ったり線を引いたりします。
読み終わると、その部分を抜き書きします。
昔はノートに手書きで書いていましたが、今はパソコンに打ち込んでしまいます。
抜き書きはだいたい職場で昼休みにしたり、出張中ホテルでの暇つぶしとしてしています。
なかなか有意義に時間を使っていると自分では思っています。
で、抜き書きが終わった本は同僚や現場スタッフにプレゼントしてしまいます。

抜き書きの習慣は、ぼくの尊敬する小学校教師だった岸本裕史さんの本に書いてあったことから身に着きました。
岸本さんの授業には、視写(本などを見ながら書き写すこと)や聴写(誰かが読む声を聴いて書き写すこと)が重要なものとなっています。
ぼくも教員時代によく授業しました。
国語の授業ではもちろん、理科や社会科でもよくやりましたね。
単純な作業ながら子どもの集中力を育てるにはよい方法だと思っています。

岸本さん自身、若い頃新聞の抜き書きをたくさんやったそうです。
そのおかげで、達意の文章を書けるようになったし、社会を見る目ができたとおっしゃっていました。
お寺では写経ということをやったりしますよね。お経を書き写すという修業。
写経も同じ原理なのかなと思います。
書き写すことによって、仏教思想の真髄に近づくことができるのではないでしょうか。

福田和也『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』PHP文庫\514-を読みました。
ここにも抜き書きの効用が書いてありました。

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抜き書きは、書き手の考えを理解する上で、とても役に立ちます。
もちろん、ただ写すのではなく、書き手になったつもりで、大袈裟に云えば憑依をして、書いていかなければなりません。
楽器を習ったことがある方はお分かりになると思いますが、ギターなどを練習する上で、好きなミュージッシャンののフレージングなり、手癖なりを真似た、つまりはコピーした体験があると思います。
そういう形でギターを真似ると、ただその曲を弾けるようになるだけではなく、元の演奏者の和音に対する解釈とか、分解の仕方が納得できるような気持ちになったことがあると思います。
文章もまったく同じです。(64-65p)
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書き手の考えを理解するために書き写すと。
ギターのコピーの喩えはぼくの心にストンと落ちましたね。
なんたってぼくは元ロックンローラーですから。
確かに、コピーするとそのミュージシャンの心に近づけたような気になります。
コピーは技術だけのコピーじゃないんだって思いました。
思想まで自分の中に取り込むんだって。
抜き書きは楽しいですよ!


写真はXFEL実験棟内部。
ぼくの仕事は、結局の所和光研究本館のコピーなんです!

2010年1月9日土曜日

削ぎ落としていく年代


こんにちは

ようやくコーヒーの禁断症状から抜け出し、頭の霧が晴れてきました。
コーヒーに含まれているカフェインはとても多く、コーヒーの致死量(LD50;100人中50人が死ぬ量)はコーヒーたったの50杯分なんです。
一度に50杯コーヒーを飲むと、カフェインよりも胃が破裂してしまいそうですがねー。
薬局では目覚ましのためのカフェイン飲料や錠剤が売られていますが、飲み過ぎると危険ですよ。
これらなら一度にコーヒー50杯分のカフェインを摂取することも可能ですから。
カフェインもお酒と同じで少量なら健康にいいらしいのですが、過ぎたるは及ばざるがごとし、です。
止められそうでよかったです。

お正月、かなりのんびり過ごしました。
特にどこかに出かけるわけではなく、家でのんびり。
家でのんびりすると、つい食べ過ぎますね。
朝、昼、晩と家族と一緒に食べちゃいますし、テーブルの上にはミカンなどが常時乗っている。
普段の二倍は食べちゃいました。
そのため今週は体調が悪かった。
持病のアトピーが悪化してしまいました。
とほほ。

発明王エジソンはこう言っています。

 自分(エジソン)が一日に18時間も働ける理由は、とにかく食べる量と眠る時間を
 少なくしているからである。また、血液の流れを阻害しないため身体をしめつけ
 るような服装はしないことにしている。
        (浜田和幸『快人エジソン』日経ビジネス人文庫¥695-、135p)

そしてこうも言っています。

 少しでも体調を崩した場合には、必ず食事を抜くことにしていた。ちゃんと働い
 ていない機械に無理やりガソリンを注いでも無駄になるだけだ、という考え方で
 ある。(136p)

なるほど。
今週末、ぼくも体調を戻すためにまた朝昼は絶食したいと思います。
正月、ちょっと野放図に食べ過ぎましたから。

消化にも体力を使うんです。
元もと体力のないぼくですから、食べ過ぎるとてきめんですね。
子どもや青年なら食べたものはきちんと消化して、自分の血肉にしていけます。
が、ぼくくらいの年齢になると、必要以上に食べたものは毒になる。
作家の森博嗣さんも1日1食だと著書に書いていました。

若い頃はいろいろ適正に付け加えていけるのですが、ぼくくらいの年齢になったらむしろ削ぎ落としていく方がいいのかもしれませんね。
三食とっていた食事は2回、1回に減らす方がいい。
不要になった部分、あってもなくてもいい部分、やってもやらなくてもいい部分を削ぎ落とすから、必要な部分を無くさなくてすみ、やりたいことをやり続けていけるってわけです。

コーヒー断ちに成功したぼくの今年の次の目標はこれ。
ぼくは夜、子どもたちが寝てから1時間くらい本を読んだり勉強したりしています。
その時におやつ食べちゃうんだよねぇ。。。
これは止めなくちゃ!!


写真はXFEL実験棟の屋根施工の様子。
屋根材の長さは30mにもなります。

2010年1月5日火曜日

年賀状


こんにちは

今年も今日から仕事開始です。
今年もバリバリ楽しくやりたいと思います。
一緒に仕事をする方々、よろしくねー。

さて、ぼくら夫婦は毎年「字たくさん」の年賀状にしています。
年賀状もコミュニケーションの一手段。
「賀正」という文字と虎の絵だけのじゃ、つまらないじゃないですか。
まして印刷されたものだけじゃあね。

年一度、年賀状だけのおつきあいの方もいます。
そういう方とも年賀状を通してコミュニケーションしたいと思っているのです。
だから、近況などたくさん書き込んだものにしてるってわけ。
もちろん、一言二言、その方に向けたメッセージも書き添えていますよ。

で、今年のはこんなのでした。
まず妻の方から。

###
 40歳、二度目の成人式を終えたものの、まだまだ子育てが生活の中心となっ
ていた2009年。読書もウォーキングもさぼりっぱなしで、脳みそも脇腹もゆ
るゆるです。一つだけ、近所の先生を自宅に招いて着物の着付けを習うというこ
とは実現できました。9月からは仲間も増え、現在も楽しく継続中です。目指
せ、和服美人!
 長男溌貴は元気に幼稚園年中組に通っています。5才の誕生日を迎えて「今日
からボクのことは”はっちゃん”でなく”はつきくん”って呼んでね」と言うように
なりました。将来はコックさんになりたいそうです。
 次男峻貴は近くの公民館が主催する2,3才児サークルに参加し、月二回ミニ
幼稚園体験をしています。最近ようやくお友達とからめるようになってきまし
た。オムツはとれたのですが、オッパイはまだ継続中。「3才になったらオッパ
イやめる」と本人は宣言しています。
 夫よっちゃんは本来の仕事に加え、労働組合の執行委員長まで務め、相変わら
ずハードワーカーです。近頃はリンボウ先生の本で見かけた「コーヒーは加齢臭
の原因になるらしい」という記述が気になり、自らコーヒー断ちを始めました。
 しかーし、加齢臭が出てこようと、頭髪がさみしくなろうと、私の大切な夫で
あることに何ら変わりはありません。元気にニコニコ働いてくれればそれでいい
なあ、と思います。私は家族の健康を守るために、お料理と掃除と洗濯を、もう
少し丁寧にしていきたいです。自分がニコニコできる範囲で、ですが(笑)。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
###

加齢臭ねえ。ぼくも今年で50歳ですからねえ。
頭髪が寂しいってのも、まだそれほどでもないんですが。。。
あはははは。

次はぼく。

###
 おかげさまで昨年は公私ともに充実した一年でした。仕事では大規模研究プロジェクトの建屋・施設担当として、X線自由電子レーザー、次世代スーパーコンピュータ建設工事のフロントマンを務めました。毎週出張で全国を飛び回ってきました。その成果を電気設備学会や加速器学会で発表することもできました。最先端研究について科学館やサイエンスアゴラで講演するなんてこともやりました。
 おまけに理研労働組合の執行委員長にも推挙され、職場の労働環境を良くしていくための仕事にも恵まれました。ぼくはどちらかというとノンポリで、労働運動にはあまり関心もなく熱心でもありませんでした。でも推されたからには自分のためにも職場の人たちのためにも一生懸命やりたい。労働法関係の本を10万円、約20冊購入して基礎知識も身につけていきました。どんな分野でも専門書を10万円、20冊程度読み、それを実践に活かしていけばプロ級になれると、仮説実験授業の発明者板倉聖宣さんやロケット博士の糸川英夫さんも言っています。先哲の言うところに従って、よく学びよく実践してきたつもりです。
 子育ても順調です。長男溌貴も満5歳。とても元気でやんちゃです。今年は小学校受験にも挑戦。次男峻貴はもうすぐ3歳。今年は幼稚園入園です。峻貴もいつもニコニコとゴキゲンで、笑顔の可愛い子どもに育っています。まだおっぱい吸ってるんですがね。そして妻晶子40歳も年齢の割に若々しく美人です^^)。やんちゃ度の増す男の子二人に振り回されながらも、子育てと家事をガッチリやってくれました。お隣に住むおじいちゃん、おばあちゃんも孫に囲まれて元気にしています。ぼくも極力仕事は定時に終わらせて、家族との時間を大切にしてきました。
 ぼくは「プラグマティスト=実利主義者」であると自分では思っています。プラグマティズムとは、「いろいろやってみてうまくいったものが正しい」、という主義です。いろいろやれるってことが大切なんです。つまり、いろいろやれる技をたくさん持っているから、最終的にはうまくいくわけです。いろいろやれる技をたくさん持つためには、実践的勉強は欠かせません。今年もよく学び、よく働き、家族と共に楽しい人生を造っていきたいと思います。今年もよろしくどうぞ!
###

というわけで、今年も「ごみメール」におつきあい、よろしくお願いします。
今年もよい年にしていきましょう!

最重要人物は自分


こんにちは

子どもの言う言い訳に「別に誰にも迷惑をかけてないじゃないか」と言うのがあります。
宿題をやらなくても、試験勉強をやらない、授業中居眠りをしていても、授業をサボっても、あるいは援助交際に手を染めても、違法な薬に手を出しても。
確かに他人に迷惑はかかっていないのかもしれませんが、それでいいのでしょうか。

親や教師も「他人に迷惑をかけるな」とよく言ったりしますよね。
それ自体間違ったことではないのですが、それを過剰に解釈して「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」と勝手な判断を身に着けてしまった子どもが多いように思います。

けれども果たして、宿題をやらなくても、試験勉強をしなくても、授業中居眠りをしていても、授業をサボっても、あるいは援助交際に手を染めても、違法な薬に手を出しても、誰にも迷惑をかけていないのでしょうか。
迷惑をかけたとしても、親や教師が悲しむ程度とでも思っていたら、大間違いです。
最重要な一人を忘れていますよ。

内田樹『下流志向』講談社\1400-にこうあります。

###
この個人的な判定の正しさには実は「連帯保証人」がいるのです。
「未来の私」です。(77p)
###

そう、最重要人物とは「未来の自分」なんです。
未来の自分に対して迷惑をかけていないかどうか、一度考えてみる必要があります。

宿題をやらない、試験勉強をやらない、授業中居眠りをする、授業をサボることによって、未来の自分がどんな迷惑を被るのか。
基礎学力が不足しているために、社会的評価の高い地位の仕事、意義のある仕事に就けない可能性が高くなります。
あるいは、自分のやりたいと思う楽しい仕事ができない可能性が高くなる。
学歴は十分条件ではありませんが、必要条件である仕事は多々あるのは確かです。
逆に、低賃金でやりがいのない面白くもない仕事に就かざるを得ない確率は高くなります。
もちろん低賃金の仕事が意義がないわけではありませんが、自ら意義を見つけて選んでそれをするなら幸せですが、仕方なくやらされる仕事は幸せとは言えません。
学力が低いために本当に意義のあることが何か理解できなくなる恐れもあります。

意義が理解できないから、お金の多寡だけで判断してしまうようにもなってしまう。
意義も見いだせない低賃金の仕事ばかり自分ができないとしたら、嫌になってしまうのは当然でしょう。
「こんな安い給料でやってられるかよ!」と思って、すぐ転職してしまう。
すぐ辞めてしまうと、もう少しがんばれば得られるスキルも身に付くことはありません。
スキルのない人は、転職したってやっぱり安い給料でやりがいのない仕事をあてがわれてしまうものです。

援助交際や違法薬物だって、未来の自分にとっては大きな迷惑です。
これらは回復不能なダメージを体に与えます。
援助交際によって性病に感染する、妊娠中絶を繰り返すことによって、二度と妊娠しない体になってしまう恐れがあるのです。
本当に愛する人ができ、一緒に家族を作っていきたくなっても、子どもが産めないかもしれないのです。
子どもを産むだけが幸せとは言えないかもしれませんが、望んでもそれができないことは不幸だと思います。
違法薬物も同じく、肝臓が悪くなったり脳の一部が壊れたりする。
すると未来の幅は極端に狭くなってしまいます。
障害を抱えたままその後の人生を送らなければならなくなるのです。
たとえばスキーやスノボで楽しみたくても、肝臓が悪いと激しい運動ができないのです。
もちろんそういう身体を抱えて、やりがいのある楽しい仕事に就くことは難しくなり、楽しい家庭を築くことも困難です。

未来の自分は今の自分の連帯保証人。
「今の自分」がやったことの尻ぬぐいは、「未来の自分」がすることになるんです。
ならば、未来の自分にいいプレゼントをしておきたいじゃないですか。
今さえよければ、今さえ楽しければいいという考えは、とりあえず捨て去りましょう。
明日の自分、来年の自分、10年後の自分のために、今何をやるべきか、あるいは今何をしてはいけないか、ちょっと考えてみる。
それが本当の「自分を大切にする」ってことなんじゃないかと思うのです。

我が子はつき君、とんたんにも、自分の人生の最重要人物は自分であること、自分を大切にするってことの意味を教えていきたいなーって思っているのです。
もちろん親であるぼくらも、5年後10年後のことを考えて今を充実させていこうと思います。

2010年1月2日土曜日

約束と信頼


こんにちは

大晦日の日、子どもたちと近所のスーパーコモディイイダに買い物に行きました。
ここにはちゃんとおもちゃ売り場もある。
子どもたち二人はさっそくおもちゃ売り場に。
あれこれ物色していました。

今トミカに夢中になっている二人は、それぞれトミカの大箱を欲しがりました。
値段を見ると数千円、ちょっと買い与えるには高すぎるものです。
ぼくは言いました。
「明日はお正月だから、きっとおじいちゃんからお年玉もらえるよ。お年玉もらったら買いに来よう」

いただいたお年玉は、半分は好きなものを買う、半分は貯金と決めています。
全部使っちゃうのもバカ、全部貯金させる親もバカ、だと思っていますからね。
お年玉で自分の好きなものを買うってことも、楽しいことだし、お年玉をもらったことへの感謝の気持ちにもつながります。
その代わり、その金額の範囲で子どもが欲しいものを無条件に買う。
そんなの買っちゃいけません、なんて絶対言わない。
無駄遣いだなーと思っても、まあ半額は貯金するんだからいいでしょ。

ともかく、今は我慢させたわけです。
だって今持っているお金は、親のお金だしね。
100円くらいのものなら買ってやってもいいけど、数千円じゃあねえ。
教育上もよろしくない。

さすがにはつき君5歳はすぐ理解して、我慢することができました。
が、とんたんもうすぐ3歳は理解できなかったみたいです。
泣き出しちゃいましたよー。
「今日は買えないんだよ。お正月、きっと買いに来よう」ときっぱりと言いました。
とんたんはぼくに似てシツコイ性格ですから、10分以上もスーパーの入り口で泣き続けました。
スーパーに買い物に来る人たちにも「あらかわいそうに」なんて言われましたけど。
こういうときは親も我慢ですね。

橘玲『得する生活』幻冬舎\1500-にこうありました。

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ビジネスであれ、恋愛であれ、よい人間関係は信頼によって育まれる。
他者の信頼を得るには、約束を守らなければならない。
市場経済においては、一般的に、信用は失うものの多寡によって計測される。
社会的に成功し、大きな資産を築き、ビジネスパートナーに恵まれた人は、他人を騙すことで得る幾ばくかの金よりも失うものがはるかに大きいから、自己の評判を維持するために積極的に約束を守ろうとする。
その一方で、失うもののない人物は簡単に約束を反故にする。
他人を裏切って手にする富の方が魅力的だからだ。(28p)
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3歳といえども、我慢と約束は大切だと言うことを分かってもらいたい。
我慢するから約束は守られるんだ、ということをね。
お正月、おじいちゃんなどからお年玉をもらえました。
欲しいおもちゃが買える金額(その倍)以上もらえたんです。
はつき君は、おもちゃを買いに行く気満々になりました。
でも元旦はスーパーはお休み。
更に一日我慢しなくちゃいけない。
でもワクワクしながら我慢するのもいいことですよね。

そして今日、スーパーの開店する10時に買いに行きました。
子どもとの約束は必ず守る。
信頼とは約束を守ることに他ならないからです。
それが子どもたちが将来、社会から信頼される人間になるための訓練になるからです。
今日は一日中、そのおもちゃに熱中して遊んでいます。