2013年6月30日日曜日

100点でなくていい

ぼくは子どもたちに

「100点じゃなくてよい。
  100点取るのはバカである。
  80点か90点を取る者の方が頭がよいのだ」

なーんて言っています。
変な親でしょー。
だって事実だから。
100点狙いの完璧主義者の方が、社会ではろくな仕事をしていません。
100点、すなわち完璧を期すためには、重箱の隅、枝葉末節まで学ばなくちゃいけない。
まあたまにはそういう勉強をするのもいいですよ。
でもいつもやってちゃいけない。
だって、重箱の隅、枝葉末節は細々とたくさんあるんです。
全部習得するにはそれはそれは長い,長~い時間がかかります。
90点を取るまでに5時間の勉強が必要だとすると、100点を取るには20時間、30時間かかる。
そういうイメージです。
100点を取るのは、かける時間に見合った成果なのか,って話です。
コスパ悪すぎ、と思うわけです。
それにいっつも100点を目指していると、重箱の隅、枝葉末節の方にばっかり気が行ってしまう恐れがある。
本筋と末節の区別が付かなくなってしまうんです。
80点、90点を取るには、本筋はしっかり習得しないといけません。
重要なところに重点を置いた勉強をする癖ができるんですよ。
重要なところはどこか見極め、そこに重点を置いて勉強すること、すなわち効率的勉強です。
その方が後々も役に立つのです。
小学校なら重箱の隅、枝葉末節と言ってもたいした量でもないから、ちょっとがんばれば100点を取ることができます。
でも、中学、高校と進むに連れ、重箱の隅、枝葉末節がどんどんと増えていきます。
100点を取ろうと思ったら、とんでもなく長時間勉強しなくちゃならなくなります。
それって無駄ですよね。
そうなってからでもコンスタントに合格点を取る必要がある。
その時、本筋、重点を抑えるコトができるようになっていた方が有利なんですよ。
短時間に合格点まで到達する能力の方が大切なんです。
それに、世の中100点なんて必要ないんです。
東大入試だって、55点取れれば合格です。
司法試験など難関資格だって、60点でいい。
100点が必要なことなんか、めったにないんです(たまにはあるから面白いんですがね)。
東工大工学部教授だった今野浩先生はこう言います。
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工学部における有能さの条件は、“拙速”である。
100%完璧を期すと100時間かかるが、95%で良ければ50時間で済むような場合、100%ではなく95%を目指し、残りの5%は問題が指摘されたときに追加・修正する。
これが拙速の意味するところである。(『工学部ヒラノ教授と七人の天才』179p)
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で、短時間に効率的に合格点を取れれば、時間が余ります。
時間に余裕ができると、心にも余裕が生まれる。
その余裕は何に使う?
そうです、自分の好きなことに使うんですよ!
そして好きなことは100点じゃダメなんです。
150点、200点、300点と、ドドーンと突き抜けなくちゃね!

2013年6月27日木曜日

一流のなり方

人間関係というのは、要するに嫉妬です。
難癖付けたり、人の邪魔ばっかりしているヤツは嫉妬してるんですよ、実は。
意見を言ったり、手を貸してくれるのならいい。
誰かのやることを補完し、応援するならいい。
やる気を引き出してくれるならいい。
ところがそうじゃなく、足を引っ張るだけ。やる気を奪うだけ。これはもう嫉妬以外の何ものでもないのです。

こういうヤツに対抗するにはどうしたらいいでしょうか。
自分がそいつよりも相対的に権力を持っているなら、クビにしたり、左遷させたり、どうでもいい仕事ばかり与えたり、無害化もできるでしょうが、権力を持たない場合は無理です。
まあ、そういう方法は一歩間違うとパワハラになりかねませんから、やりたくはないですがね。

権力のない、持たないぼくは、そういうPOWERに頼ることができません。
ではどうするか。
ぼくは「ありがとう戦略」を取ることにしています。

ぼくは近年、空調学会賞など多くの賞をいただくことができました。
スパコン「京」やX線自由電子レーザー「SACLA」など大きなプロジェクトに参加させてもらえたからです。
大きなプロジェクトですから、優秀な一流のエンジニアたちと仕事ができた。
建物や電力、冷却設備でいえば、「京」も「SACLA」も日建設計という日本でトップ(世界でもトップクラス)の設計会社の設計者と一緒に組んで設計と施工管理をしてきたわけです。

すると「日建設計だから受賞できたんだ(つまり、関口は何もしていないし、実力もない)」と陰で言う奴もいるんですよー。

こういうとき怒ってはいけません。
反論してもいけません。
だってそいつは嫉妬しているだけなんですから。
怒ったり、言い返したりするより「ありがとう」なんです。

あ、そうか。
日建設計と一緒じゃない仕事でも、チャレンジしてみよーっと。
そう言うヒント、モチベーションをもらえた。
ありがたい。
よし、やるぜー!なのです。

これでまた受賞できたなら、ぼくの実力がより示せるじゃないか。
悪口言われていただけに、よけいにそれを示すことができちゃう。
対比効果だね。
ホント、ありがたいことですよねー。

確かに「京」や「SACLA」で受賞できたのは、日建設計の優秀な仕事仲間のおかげなんです。
審査資料も、ぼくも分担執筆しましたが、構成も含めてそのほとんどは日建設計のエンジニアが作成したわけです。
やはり一流のエンジニアです。
的確でちゃんと審査員の方たちにアピールする資料を作り上げる。
すごいなーと思いました。

ぼくはそこからも学びました。ちゃっかりとね。
もちろん、元となる建設工事の仕事がしっかりとよいものであることは当然ですが、それをいかにまとめ、説明し、アピールしていくのか。
一流設計会社ならではのノウハウがあるわけです。

賞を受賞すれば、担当したエンジニアの格が上がるだけでなく、会社の実績にもなるわけです。
受賞は看板にもなるのです。
我が社は一流だといくら口で言っても、看板なしじゃ誰も信用してくれませんからね。

すなわち、素晴らしい「お手本」がぼくの手元にあるわけです。
これはものすごいアドバンテージです。
仕事の基本は真似することです。
それも一流の仕事を真似することです。
それによって自分は一流になっていけるのです。

仕事は何をするかより、誰とするかが重要です。
一流の人と一緒にやる経験。
もちろん、それにぶら下がるだけじゃダメですよ。
一流から学び、必死に付いていき、何とか追いつき、対等になる。
一流の人たちに敬意を払う、というのはそういうことの継続なんです。
そうすれば、一流の人たちも自分に敬意を払ってくれます。
何も学ばず、エラソウにしているだけの人のために、一流の人はいい仕事なんかしてくれないんです。

というわけで、おかげさまで今年もiPS研究棟の業績で電気設備学会奨励賞をいただきました!
ぼくって腹黒でしょー。わはははは。

2013年6月23日日曜日

真っ当な消費者教育

うちの子には、お店で買い物したらお金を払うときに「ありがとう」と言うように躾けています。
食堂で食事をしたときも支払いのときに必ず「美味しかった」とひと言感想を言うこと、そして「ありがとう」と言わせています。
 
親の意識としては、これはまっとうな消費者教育をしているつもりなんです。
お金を支払うとき、何も言わない人も多いですし、投げ捨てるようにお金を出す人もいたりします。
ぞんざいな態度で支払いをする人もけっこういる。
こういう人は消費者失格です。
はっきり言ってバカです。
 
どうやら、お金を払う方が偉い人、お金をもらう人は偉くない人とでも思っているようです。
だとしたら、ぞんざいな態度でお金を支払うような人は、自分がお金をもらうときはきっと卑屈になってるんじゃないでしょうか。
そうだとしたら労働者として寂しいですよね。
消費者意識を高く持つことは必要ですが、肥大化した思いは間違いです。
それは消費者として逆に低い意識を持つことにつながり、消費者として損な行動につながっていくと思うからです。
 
ぼくはプラグマティストですから、不合理なことは嫌いです。
お店でお金を支払うとき「ありがとう」と言うことは、道徳ではなく、合理だと思うから、子どもにも厳しく躾けますし、ぼく自身も必ず実践するわけです。
 
なぜなら、経済活動は「対等」であるべきだからです。
品物やサービスを提供する側は、よいものを提供する代わりに、その価値に見合ったお金を受け取る。
品物やサービスを受け取る側は、よいものを得る代わりに、その価値に見合ったお金を支払う。
 
買う側は「いいものを売ってくれてありがとう」と思うと同時に、「いいものを選んだおれの目は確かだぜ」とも思っているはずなのです。
だから自分の大切なお金を払っても,損したとは思わない。
お金を投げ捨てるような人は、悪いもの、下らんサービスだと感じているのかもしれません。
それは逆に、自分の目の無さを公言しているようなものなのです。
 
何かを買うとき、「ありがとう」と言えるようにする。
損したと思わない,いい買い物をしたと思えるようにする。
そのためには、自分の価値基準を持ち、きちんと品物を評価する必要があるのです。
だから、「ありがとうと言いなさい」なのですよ。

子育てにも技術が要る

 職場の後輩から子育て上の相談を受ける。
小1の長女がちっとも言うことを聞かない、のだそうだ。
小1で親の言うことを聞かないのは、たいていは親の言うことの方がおかしいのだ。
技術が足りない。やり方が悪い。
だから子どもは言うことを聞きたくないし、聞けないのだ。
 
一番ダメなのは、子どもが何かに熱中し、集中している時に声をかける親。
「お風呂に入りなさい」と言われたって、集中しているから聞こえないし、頭の切り替えもすぐにはできない。
あたりまえだろう。
それを、言うことを聞かない、反抗期だ、なんて言われちゃってもねえ。
 
おまけに、集中力も削がれる。
親に言われたらすぐ行動を変えなくちゃならないとしたら、常に親の方に意識を向けておく必要がある。
とても好きな事に集中なんかできなくなってしまう。
こんなことを続けていたら、子どもは確実に集中力のない子どもに育つ。
 
指示をするにも段取りがある。
おふろに入るべき時刻が決まっているなら、事前に知らせておくべきだ。
1時間前か30分前に「7時になったらお風呂に入るよ。それまでは好きなことをしていていいよ」と伝える。
5分前になったら「あと5分でお風呂に入るよ。そろそろ片付けなさいね」と言う。
これで大抵うまくいくはずだ。
 
子どもに時間の目安を与える。
親も時刻を明確にすることによって、いらいらすることが減る。
その上、子どもに「時間を守ることは大事なんだ」ということを教えられる。
良い事ずくめでしょ。

2013年6月18日火曜日

ついで主義者の愉悦

ぼくは「ついで主義者」です。
目的のことだけやるんじゃなくて、ちょこっともうひとつ「ついで」にやる。
たとえば工事の現場監督のために出張に行ったとき、その仕事だけじゃなくて、ついでにすでにできあがっている研究棟をぶらぶらする。
建物を観察したり、その使われ方を見たり、電圧電流を計ったり、そこで働く人とちょっとお話ししてみたり。
せいぜい30分か1時間程度ですが、余分に現地にいる。
これが意外と有効なんです。
何より楽しい。

蒲郡の小学校での出前授業でも、「ついで主義者」であるぼくはそれだけじゃもったいないから、小田先生に近所の科学館とかでもやらせてよ、と無理なお願いをしました。
さすが小田先生は理科教育のプロで、顔も広い。
すぐコーディネートしてくれました。ありがたい!
で、午後に蒲郡生命の海科学館のワークショップとして講演させてもらうことになったんですよ。
これがまたとても楽しかった。

ワークショップには、小2のお子さんから80歳過ぎの方まで20名程度が参加してくれました。
午前中は全校生徒相手で大勢に向けて話をするのは大変でしたが、このくらいの人数だとゆったりできます。
参加の皆さんも熱心に聞いてくださり、とてもハッピーでした。

で、科学館の学芸員である浅井先生からこんなメールをいただいちゃいました。
浅井先生は元小学校の校長先生だそうです。
退職後この科学館の学芸員を務めていて、年150回くらい市内の保育園から高校までで出前授業をしているそうです。
そういう出前授業のプロから褒められて、すんごくいい気分。
「ついで」はいいなあ!

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関口様

本当にありがとうございました。
講義内容も、好奇心をかき立てるものであり、もっと、お話を聞いてみたいと思えるものでしたが、さらにすばらしかったのは、関口様の子どもたちや保護者の方たち一人一人への語り口、目線、対応等とても温かく、関口様のこれまでの生き様を伺わせると同時にお人柄がにじみ出た、関口様「ならでは」の空間を作り出されていたことです。
だから、参加者の誰もが安心して、その時間に身を任せることができました。
こうした雰囲気を醸し出すワークショップはなかなかありません。
使い古された言い方かもしれませんが、まさに、私自身のワークショップのあり方を見つめ直す機会ともなりました。
 
後で、ワークショップに参加していた他の職員とも話し合ったのですが、是非、「未来の科学者」たちのために継続的にお願いできればと思います。
また、今回は、子どもたちを中心としたものでしたが、次回は「今からでも頑張れば科学者になれる」大人を対象とした「市民講座」のような形で関口様の専門分野やSACRA等理研の活動内容をたっぷり交えたお話をしていただくような形も可能なのではと思います。

今回は、西部小学校でのワークショップに便乗させていただく形で、講師料も無料という大変ありがたい形で行えたのですが、次回以降は、正式に科学館として関口様を講師としてお招きすることもできますので是非よろしくお願いいたします。
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エライ先生は身近にもいる!

先週末は蒲郡の小学校で出前授業をしてきました。
20年来の理科教育仲間である小田先生に呼んでいただきました。
小田先生の学校では年1回、前半授業参観、後半親子で文化的行事というのをやっているんだそう。
って、ぼくの話が文化的かどうかはわかりませんが、参観日後半の出し物としてぼくが科学のお話をさせてもらうことになりました。
話題は「光が生まれるひみつ」。
X線自由電子レーザー施設「SACLA」の話です。

今回の講演では、あえて小田先生とのコラボを入れてみました。
子どもたちって、身近な自分の学校の先生にエライ先生がいるってことに気づいていない。
それで損している部分ってあるんですよ。
先生はエライのです。
エライ先生からじゃないと、子どもは学べないのです。
小田先生は理科教育界では知らない人のいない最高レベルの先生です。
ところがそれを知らない子どもがいるんじゃないか。
まあ、小田先生自身が「オレはエライのだ」なんて言わないでしょうし。
なのでぼくは、この小学校にもすごい先生がいるんだぜってことを、子どもたちに伝えたかったんですね。

スライドの中にも小田先生が打ち合わせと称して(笑)、神戸に「京」を見にいらしたときの写真を入れました。
ぼくと「京」と小田先生が写ってる写真がスクリーンに映し出されたとき、子どもたちから「わー!」という歓声が沸き起こりました。

講演の中で実験に使った百人脅し感電装置と超強力ネオジム磁石は、その場で小田先生にプレゼント。
それを見ていた子どもの中には、自分も触ってみたくてあとで小田先生のところに行くでしょう。
そして小田先生とふれあう中で、その偉さが分かりもっと教えてもらいたくなる。

そして、10円玉と1円玉を積み上げてLEDを光らせる実験。
子どもひとりひとりに実験してもらいます。
自分の手を実際に動かして実験する。
それが成功すれば、子どもはあっという間に理科マニアになっちゃいます。

この実験指導は小田先生にお任せしました。
これがよかったですよー。
「15分間くらいでお願いねー」なんて言って、プレッシャーかけたりしてー。

実は、1年生から6年生まで、しかも親御さんもいる場で、ぼくが全員に支持を通す自信がありませんでした。
短時間で子どもたちに実験させ、それを成功させられる。
それは子どもたちをよく把握している、現場の先生じゃなくちゃできないことです。
そしてお手並み拝見だったわけです。

それが素晴らしかったですよー。
しっかりとした前準備。
縦割り班での役割分担。
班の中での6年生の子どもたちに活躍させる。
うむむむむ!うなっちゃいましたよー。

結局、子どもたちすべてが実験に成功。
しかも予定していた時間でぴたり。
すごいねー!
子どもたちの尊敬もきっと集められたことでしょう。

最後はいつものように、好きなことをとことんやろう!、というメッセージを。
公立小学校で校長先生を前にして、しかも保護者のみなさんもたくさんいらっしゃる中で「嫌いなことはやるな!嫌いなことばっかりやってるとバカになる。オマケに性格まで悪くなるぞ!」って檄を飛ばす。
わはははは。
子どもたち、親御さん、そして先生たちの心に届いたでしょうか。

2013年6月10日月曜日

漢字は大事

家にいられるときは,子どもたちに勉強を教えます。
と言っても,小3のはっちゃんは朝30分、夕方30分、合計60分。
小1のとんたんは朝10分、夕方10分、合計20分です。
岸本裕史先生の教え通り、学年×20分だけ。
長時間だらだらやるより、短時間集中して勉強した方が,実質的に効果が上がりますからね。
 
勉強する内容は,宿題と読み書き計算の先取り学習です。
宿題は義務。
義務的なことは「やっつける」に限ります。
完璧を目指さず、短時間に合格ラインまで達する。
これが義務的仕事をこなす極意。
 
義務的なことをさっさと終わらせ、発展的な自分しかできないことをやる時間を生み出す。
これが個性を育てるわけですから。
義務的なことしかやらない人に、個性なんか生まれませんよ。
同様に、好きなことだけやりたがり、義務的なことを避ける人も,個性的にはなり得ません。
なぜなら、そういう人は妨害されるから。
義務的なことをこなし、それが合格ラインであれば、好きなことをやっても誰からも文句は言われませんし、言わせません。
 
なので、宿題は時間を区切ってやらせます。
だって宿題は基本的に「復習」です。
初めて習うわけじゃないので、考えたりする必要はない。
素早く、手際よくやる方が実になるのです。
たとえば、漢字練習ノート1ページだったら、「5分間でやりなさい」。
日記も「10分でやっつけちゃいなさい」です。
 
そうやってゆっくり取り組める時間を確保してから、先取り学習です。
予習は初めて学ぶことですから、短時間でこなすには無理があります。
脳に新しい回路を作るのに時間がかかるからです。
だから1回で理解しきれなくてもいいんです。
理解できなかったら,また今度もう一度やる。
予習ですから理解できなくてもまるで恥ずかしくありませんよ。
「これは5年生で習う算数だから、3年生のはっちゃんがすぐ分からなくても仕方がないよ。だんだん分かるようになるから,また今度やってみよう」と言えばいい。
もちろんすぐ理解できちゃったら「おお、さすが!5年生で習うことを小3なのにできちゃったよ!」と言ってあげればいい。
これは自信になります。
子どもを勉強好きにして、勉強に自信を持たせるには、予習、先取り学習は欠かせないのです。
 
週末にはっちゃんとやっている先取り勉強のひとつは、漢字検定8級(小3レベル)に向けての勉強。
今年度初めての検定試験が7月に実施されますから、そこでの合格を目指しています。
8級に合格したら、3年生の間に7級(小4レベル)まで合格できるように,先に進めます。
この調子で小4が終わるまでに5級(小6レベル)までの漢検に合格しちゃおうと思っています。
何,それほど大変でもありません。
教育漢字の学年配当は200文字です。
1日2文字ずつ勉強すれば3ヶ月で一通りこなせます。
一通りこなしたあとは、漢字検定のテキスト、過去問集で復習を3ヶ月。
そして受検。
単純記憶に適した年代の子どもにとって、このくらいの負荷は何でもありませんし、むしろこのくらい負荷をかけてやった方がいいんです。
 
幸い、漢字検定ははっちゃんの通う学校では学校ぐるみで取り組んでいます。
年3回、学校で受検できる。
健常児学級の生徒はほぼ全員5級(小6レベル)まで合格して,卒業していきます。
中には2級にまで到達する子どももいます。女子だろうと思いますが。
学校の授業や宿題でも漢検対応をしてくださいます。
周りの子もがんばっていれば、自分もがんばる気になりますよね。
学校の,学級のそういう雰囲気も大事です。
その中で、トップとまでは行かなくても、1学年か2学年先のレベルまで合格してしまう。
それが自信を生むのだと思います。
子どものうちは(大人も同じでしょうが)、自分はできるんだ、と錯覚する子が本当にできるようになるんです。
 
小4レベルの漢字の読み書きは非常に重要です。
小4レベルの漢字が読めれば、ほぼ新聞を読むことができますし、児童書だけでなく新書など大人の読む本も読むことができるようになります。
読書は新たな知識を幅広く身につけるために重要な技能です。
けれども小4程度の漢字の読み、それに付随する語彙力がないために、本が読めず、読んでも面白くないため読書を避けるようになる人ってすごく多いんですよ。
それに読書はとてもよい暇つぶしなんですが、読書が嫌いな人の暇つぶしはパチンコかゲームになってしまいます。
無駄なお金も使っちゃいますね。
パチンコ、ゲームも時にはやっていいものだと思いますが、人生のかなりの時間をそれにつぎ込むのはもったいない。
 
小4レベルの漢字が書け、それに付随する語彙(小4レベルだとかなりの抽象語が含まれます)が身についていれば、恥ずかしくない程度のビジネス文書が書けます。
ビジネス文書とは,他人に情報を伝えるための文書です。
これが書けない大人も多いんですよ、残念なことに。
書けない原因の多くは、小4レベルの漢字力と語彙力だったりします。
ビジネス文書が書ければ、役所への届出文書も書けますし、許認可申請だって自分でできちゃいます。
さすがに小4レベルまでの漢字力、語彙力ではちょいと恥ずかしいかもしれませんが、このレベルまで到達している人は辞書を活用できるようになっています。
辞書を引きながら、意味を把握したり、適当な言葉を見つけたりして、仕事を貫徹することができるのです。
 
はっちゃんの漢字の勉強に使っている教材は,以下の通り。
 
『下村式となえて書く漢字ドリル 漢字練習ノート』偕成社。
書きの練習だけでなく、読みの練習、すなわち語彙を増やす練習もあっていいです。
漢検9級に合格した昨年11月から、この練習帳で毎朝2文字ずつ練習させました。
朝起きて登校する前にやる。10分ほどでできます。
朝ちょっとでも勉強すると、脳の目覚めもよくなります。
小3で習う漢字は200文字ですから、毎日2文字こなしていけば3ヶ月ほどで終えられます。
 
でもこれだけでは、まるで定着しません。
繰り返し復習が必要です。
繰り返し復習のために『漢検漢字学習ステップ』ワイド版を利用します。
1ステップ4ページ、読みが2ページ、書きが2ページと、ほどよい分量。
これがステップ34まであります。
ワイド版なので、直接書き込めます(通常版は小学生が直接書き込むには版が小さすぎます)。
毎朝1ステップずつ練習する。
10分ではきついですが、15分もあれば終わります。
漢検のテキストは、前の学年の漢字もほどよく組み込まれていますので、繰り返し頻度が高く、漢字を多面的に記憶するのによく作られています。
これも毎日コツコツやっていけば、1ヶ月ちょいで完了。
 
そして今、『漢検過去問題集』に取り組んでいます。
過去問12回分が収録されているものです。
1回分が6ページ。毎日2ページずつやれば、これも1ヶ月ちょっとで終わらせられます。
 
最後に2週間ほど,過去問集をもう一度おさらいして検定試験に臨む予定です。
このくらいやれば100点は無理だとしても90点くらいで合格することができるでしょう。
まあ、100点に越したことはありませんが、100点病(100点じゃなきゃ価値がないと思い込む)にかかる子もいますから、100点じゃない方がいいくらいです。
100点取るのに1年かけるなら、90点で半年の方が有利ですからね。
それがエンジニア的思考法。

2013年6月9日日曜日

いざ尋常に勝負せよ!

「いざ尋常に勝負せよ!」昔の剣豪は言ったそうな。
ところで「尋常」って何でしょうか。
辞書を引いてみると、
 
 [名・形動]《1尋と1常(1尋の2倍)で、普通の長さの意から》
 1 特別でなく、普通であること。また、そのさま。あたりまえ。
 2 見苦しくないこと。目立たず上品なこと。また、そのさま。しとやか。
 3 態度がいさぎよいこと。すなおなこと。また、そのさま。
 4 「尋常小学校」の略。
 5 りっぱなこと。すぐれていること。また、そのさま。
 
だそうです。
いざ尋常に勝負せよ、とは「ずるいこと,せこいことなどせず、立派に戦え」という意味なんですね。
あるいは「感情的にならず,平常心で戦え」という意味でもあるかもしれません。
 
ぼくの職場の研究所には、日本のトップブライティストがたくさん勤務しています。
世界的に活躍している研究者たちと、もう20年も一緒に仕事をしてきました。
彼らをよく観察し、自分でもできることは真似をし、ぼくも少しでも彼らに近づけるようにがんばってきたつもりです。
 
聡明な人たちを長年観察してきて分かったことは、基礎基本がしっかり身についている、ということ。
小学校、中学校で学ぶことについて、穴がほとんどない。
つまり、小中でしっかり勉強してきているということです。
 
もちろんぼくの職場にもダメダメ君はいますよ。
ダメダメ君の特徴は、何かというとすぐ感情的になってしまうということ。
平常心が保てず、理屈が通らなくなる。
それで失敗しているんです。
優秀な人は感情に流されません。
どんなときでも落ち着いて、論理的に考え、手順を間違えない。
だからうまくいく。
 
昔、小学校は「尋常小学校」と言いました。
尋常とは、ふつうのこと、あたりまえのことです。
人としてふつうのこと、あたりまえのことを学ぶ場が、尋常小学校な訳です。
そしてそこでしっかりと基礎基本を習得すると、どんなときでも平常心を保てるようになるんです。
いざというときにもあたふたしなくていい。
落ち着いて、現実をよく観察し、準備をし、段取りを組み、段取り通りに進め、常にフィードバックをし、軌道修正をしながら、確実にゴールに向かう。
これが「尋常」なんです。
 
要するに、ダメダメ君は「尋常」じゃないんです。
尋常でいられないので、感情に走ってしまうのです。
尋常でいるためには、小学校で学ぶような基礎基本をしっかり身につける。
これが身についていないから,尋常でいられないんだと思うのです。
 
ぼくは大学5年の時に、中学校で非常勤講師をしていました。
その時に思ったのは、いくらわかりやすく楽しい授業をしても、小学校で習う基礎基本がない生徒は教えたことが定着しないんです。
授業を受けて「あー、面白かった」と言うのですが、テストはぼろぼろ。
テストでいい点数を取れないから,やる気をなくす。
悪循環から逃れられません。
中学は教科担任制ですから、そういう生徒をすくい上げようと思っても、週3時間程度ではまったく無理です。
先生個人の力では、基礎基本のない生徒をすくい上げることは不可能なんです。
(学校ぐるみで取り組めばできそうなんですが、中学校は教科王国なのでなかなか難しいのです)。
 
ぼくはそういう中学生をたくさん見てしまったので、我が子たちはそうならないようにしたい。
小学校こそ、一番大事な時期なんです。
尋常な大人になるために、しっかりと学ばせないといけないなーって思っているのです。

2013年6月6日木曜日

努力の方向を間違えるな

我が長男はっちゃん(小3)の宿題は日記。3年生になってから毎日書くよう指導されています。
お出かけしたりして書けなかった日は,翌日に書いてちゃんと毎日書くようにしています。

先生もそれにきちんと応えてくださっています。
日記帳を提出すると、その日のうちにきちんと読んでくださり、一言二言コメントを書いて返却してくれます。
ありがたいことです。

教育工学の研究でも「KR(knowledge result);知識の結果へのフィードバック」は早いほどよい、と分かっています。
その日のことはその日のうちに応えてもらった方が子どものやる気は増大します。
間が開くと教育効果は指数関数的に減じて行ってしまうのです。

すごく丁寧な先生がいらっしゃいます。
子どもの日記を念入りに読んで、何行も赤ペンでコメントを入れる。
それはそれでありがたいことですが、労力の割に教育効果は薄い。

毎日、クラスの子ども40人分の日記を読み、それぞれに何行もコメントを入れるには、長い時間がかかります。
朝提出された日記帳を、下校までにすべて見終えることは物理的に無理です。
そこでその先生は,子どもたちに日記帳を2冊用意させる。
1冊ずつ隔日に提出させるんですね。

この先生は提出された1冊を,子どもたちが下校したあとに読む。
あるいは家に持ち帰って読むわけです。
そうやってじっくり読み、長いコメントを入れる時間を確保するのです。

けれどもこうやると、KRの間が開いてしまいます。
日記帳を返却されるのは1日後。
子どもは未来に生きる存在ですから、一昨日のことなんかもう興味の対象ではないのです。
先生が一生懸命赤ペンを入れてくれても、ほとんどの子はそんなの読みませんよ。
つまり、先生の努力は徒労に終わるのです。
熱意は空回りしてしまうのです。

日記を書かせる目的、教育的意義は何か。
この吟味をしないまま,子どもたちに課題を与えるから,先生自身の努力の方向も間違ってしまうのです。

小3なんですから、内容より形式でしょう。
毎日一定量の文章を書く。
その習慣を身につける。
それだけで十分。

だから、長々とコメントを書く必要なんかないのです。
花丸だけでもいい。
よく書けているなと思ったら、AとかAAAとか付け加えるだけでもよいのです。
よい表現があったら,傍線を引いてGoodとか書けばよい。

こうすれば、休み時間や給食時間、授業中子どもが作業をしている時間などの隙間時間にクラス全員40人分のノートを見ることができるでしょう。
日記を見ていて,文字の書き方など気になることがあったら、その場でその子を呼んで指導する。
もしかしたら生活指導上の問題点を日記から読み取ることがあるかもしれません。
その時も,その場で呼んで子どもの話を聞く。
すぐに解決に向かうのです。
放課後や家に持ち帰ってでの作業では、こういう教育効果の高いやり方を洗濯することができません。

先生たちは忙しい。
大変な仕事を情熱を持ってなさっている。
でもその熱意を有効に使っていらっしゃるのかどうか。

個々の教育活動の目的をしっかり定めて、そのために何を子どもにやらせて、自分は何をすべきか明確にする。
つまりゴールを見据えるのです。
ゴールを見据えないで教育活動を行うと、あれもこれも気になってしまい,結局はゴールから遠ざかってしまうのです。

教育というのは確かにやればよいことはたくさんあります。
あれもやった方がよい、これもやるべきだ、再現もなく増えていきます。
でも時間は有限、先生の体力、気力も有限なんです。

理想は大事ですが、理想ばかり追い求めていたら時間も身体も保ちません。
理想は持ちつつ、とりあえずのゴールを設定するのです。
日記だったら、毎日書く習慣を1学期中に身につけさせよう、とか。
その観点で日記のチェックをするのです。

多くの子ができるようになったら、次の目標を立てる。
2学期中に毎日200文字書く、とかね。
丸付けもその目標に沿ってやる。
つまり、目標を明確化してゴールを見据えると自分がやらなくちゃならないこと、やった方がいいけどとりあえずはやらなくていいこと、まるでやる必要がないことの仕分けができるようになるんです。
一言でいえば効率的にやれるようになる。

教育は効率じゃない!とおっしゃるかもしれません。
いやいや、効率も大事なんですよ。
効率的にやると、時間と心に余裕が生まれます。
この余裕が大事なんです。

だって、余裕のない人って意地悪じゃないですか。
いつもガミガミ怒っている先生は,ほとんど余裕のない人ですよ。
意地悪な先生に素直に従う生徒なんかいませんよ。
時々、子どもたちが言うことを聞かない、と怒っている先生がいますが、まず間違いなく余裕がなくなって意地悪になってしまっているからです。
確実に子どもたちの教育権を奪います。

先生に余裕がなくなると,間違いなく教育効果は低下します。
「ゆとり教育」が失敗したのは、教科内容を削減し,スカスカにしたために、反って先生たちのゆとりを奪ってしまったからだとぼくは思います。

意地悪な人はですねえ、必ずこう言いますよ。
「おれがこんなに努力しているのに、お前は何だ!」って。
アプリオリに自分の努力は正しいと考えているから、相手が悪になるんです。
努力しているのは認めますが、その方向が間違っている。
クールになって、自分の努力ははたして正しいのか、と常にフィードバックする。
そういうメタ認知のない人が意地悪になるんです。

ぼくは子どもたちにこう伝えています。
努力は大切だけど,闇雲にやっちゃダメだよ。
努力して不幸になるんだったらやらない方がいい。
太平洋戦争の時だって、みんな頑張っていたんだ。
がんばった結果、戦争は激しさを増していったんだ。
がんばり方を間違っちゃったんだね、って。

2013年6月5日水曜日

学ばぬ者は去れ!

スパコンで大規模JOBを走らせているとき、発電機から異音が発生した。
これは高調波だな。
コンピュータのような電力変動が大きい負荷からは必ず高調波が発生してしまうのだ。

で、昨日の夕方、業務が一段落したので、スタッフたちに高調波の悪影響についてレクチャーした。
高調波は回転機に脈動を与えたり、LC回路を焼損させたりする。
だからなるべく高調波の影響を少なくするよう、設備は造られている。
第3調波を除去するために、変圧器をデルタ結線とすること。
第5調波は力率改善用コンデンサの部分で除去していること。
極力同じタイミングで高調波が乗らないように、トランスの結線をデルタとスターとを組み合わせること。
もちろん、発電機自体もある程度の高調波に耐える仕様で造られていること。

ぼくは、学びのない職場はダメだと思っている。
だから機会を捉えて勉強会を開くし、資格試験の勉強も教えるし、新人には日報を書くことを命じる。
小飼弾氏はこういう。

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元からいたオン・ザ・エッヂの制作部門のうち、半数は僕がやめさせたといえるかもしれません。
当時のオン・ザ・エッヂは急成長しており、そのスピードについて来られない人にはやめてもらうしかなかったのです。(略)
ぼくが見るところ、そういう人たちに欠けていたのは、勉強力というか、学習意欲です。
例えば、オン・ザ・エッヂでは週1回、Techミーティングという社内勉強会を開いていました。
この勉強会への参加は任意ですが、伸びる人間はどんなに忙しくても出席していました。
ぼく自身も、出張が入らない限り出るようにしていましたよ。
小飼弾『弾言』アスペクトより
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技術の世界は学ぶことが重要である。
なぜなら、大概の問題は過去に誰かが解決しているからだ。
自分で最初から全部解決しなければならないような問題はほとんどない。
技術とは「正しい知識の行為化」だからである。
知識は決して裏切らないのだ。
学んだら学んだだけ、必ず腕が上がる。

スタッフたちに学びの機会を与えるのもリーダーの役目だと思っている。
だからちょっと厳しい。
学ぶことになれていないスタッフには大変かもしれない。
だからって手は緩めない。
だって、施設の安定運転のためにはスタッフそれぞれの技量を上げてもらわなくちゃならないからだ。
そして学ぶことはスタッフ自身のためになると信じているから。

2013年6月1日土曜日

塾に行かせる条件

こんにちは
 
我が子たちには今のところ塾はもちろん、「お稽古事」もやらせていません。
唯一ボーイスカウト活動だけかな。
子どもは暇すぎてもダメですが,忙しすぎてもよろしくない。
適度にぼーっとする時間も必要なんです。
だから、塾だ、ピアノだ、水泳だ、サッカーだとスケジュールを詰め込みすぎると、かえってアホにしてしまいます。
 
学校の宿題をきちんとやり、学校で取り組ませている漢字検定と算数検定の勉強をやり、月2回のボーイスカウト活動に参加する。
我が家はこれだけで精一杯ですよ。
子どもに体力が付いてきて、基礎学力も身についてくれば、宿題などをこなす時間も早くなるでしょう。
そうやって体力的にも精神的にも余裕ができたら、もう一つ付け加える。
それを積み重ねていって,結果的にやりたいことをやれるようになればいいなあと思っているのです。
 
要するに、能力を上げる->余裕をつくる->新しいことを始める、の繰り返し。
それで自分の器を大きくしていく。
器が小さいのに無理して詰め込むから壊れるんですよ。
 
ぼくは若い頃、大手進学塾で教える仕事をしていました。
この進学塾は成績順にクラス分けがされていました。
12クラスくらいあったと記憶しています。
 
トップのクラスは生徒も賢く,先生も有能。
だからすごくいい教育が行われています。
知的で好奇心もくすぐられる。
学校の授業では決して得られない勉強ができるのです。
 
このクラスは熟練の職員の先生を配置します。
だって、トップクラスは塾の看板です。
進学実績が上がれば,翌年の生徒数も増えます。
これなら塾へ行く価値は高い。
月5万円くらい支払っても意義あります。
トップクラスでは、生徒が支払う月謝より、先生の給料の方が多いんですよ。
塾はトップクラスでは赤字なんです。
 
ところが下位クラス。
お前ら何しにここに来てるのよ?というレベルの生徒たち。
基礎基本が全く身についていない。
そういう生徒に,進学向けのテキストを進度通りに教えちゃうんです。
宿題もトップクラスと同じ量を出したりするんです。
それは、生徒を引き上げよう,なーんて気はさらさらない。
受験に失敗したとき、「お宅のお子さんは宿題もほとんどやっていらっしゃらなかった。不合格なのは当然ではありませんか」と親に言えますからね。
 
週2,3回通塾してくるだけの生徒に,基礎基本を教えている時間なんかないんです。
そしてこのクラスを教えている先生は、学生さんやパートタイム。
教師の品質なんかどうでもいいからです。
明らかに、生徒の月謝>先生の給料となり利益が出ます。
 
生徒の月謝=先生の給料となる点、すなわち塾に行く意義があるのは、上位1/3です。
それ以下の生徒は,塾にとって「金づる」でしかないのです。
基礎学力のない生徒が、教える技術もない先生のクラスで、高度なテキストに従って勉強させられるのです。
おとなしく座っていられると思いますか?
 
我が家も5年生か6年生になったら、塾に通うのも悪くないな、と思っています。
もちろんトップのクラスに入れるなら、です。
5年生、6年生になったら親が教えることは難しくなってきます。
学校の授業だけでは知的に満足できなくなるかもしれません。
そうしたら塾も楽しくよいところになるでしょう。
 
そうなれるように、小4までは読み書き計算の基礎基本をじっくりと身につけさせる。
毎日一定時間(学年×20分間)家で勉強させる。
これは親でも教えられるし、親の務めだとも思っています。