2010年4月27日火曜日

考えるな、組み合わせろ!


こんにちは

先週はまもなく完成の神戸次世代スパコン棟の所轄消防署による検査がありました。
ぼくも発注者総括監督員として検査立ち会いしました。
大規模施設、しかも計算機室など大空間があったり、デリケートな計算機を設置する場所でもあるので、いろいろと消防設備も特例認定をうけています。
二日間に渡って、所轄消防署検査官の方もとても熱心に検査してくれました。
現場監理スタッフ、施工スタッフのこれまでの努力が実り、無事検査合格です。
建物完成までの大きな一山を超えることができました。
嬉しいです。

スパコンメインマシンの消費電力は1万kW以上にもなります。
消費された電力は、そのまま計算機室の中へ熱として放出されます。
この熱をしっかりと除去してやらないと、計算機室はあっという間に高温になり、すぐさま計算機が燃え始めてしまいます。
熱は空調によって冷却します。
1万kW以上もの熱を空調で冷却するためには、空調機から大量の空気を循環させなくてはなりません。
空調機室にばかでかい空調機を何十台も並べて、それをいっぺんに動かします。
その最大風速は10m/sにもなります。

同様な空調システムは、かつて世界一だったスパコン、地球シミュレータ施設でも採用されています。
ぼくの技術者としての信条は「proved techniqueの集積」です。
つまり、信頼される技術をうまく組み合わせて、よりよいものを造り上げていく。
あまり新奇な技術は採用しないで、こなれた技術を使う。
それによって迅速に安定したものを造ることができるんです。
新しい技術を開発するには、とても長い時間と試行錯誤が必要ですから。
次世代スパコンのような期間と予算が限られたプロジェクトでは、新規技術の開発はリスクが大きすぎます。

ぼくは次世代スパコン棟は「地球シミュレータ棟のマイナーチェンジ」と位置づけて造ってきました。
地球シミュレータは成功したプロジェクトですので、これに学ばないのは損です。
よいところは真似し、悪いところは改善する。
ぼくは何度も何度も地球シミュレータセンターに足を運び、現地をよーく観察してきたんです。

地球シミュレータの空調システムはよくできたものだと思いましたが、空調機室の騒音はひどい。
まるで地下鉄のホームに電車が入ってきた時のようです。
とても会話なんかできません。
騒音がひどい=効率が悪い、ということです。
空調機に入力した電気エネルギーが、空調動力に変換されず騒音に変わってしまっている、ということだからです。
調べてみると、地球シミュレータの空調効率は30%程度しかないことが分かりました。
これは改善しなくちゃね。

まず、空調機自体の効率を上げるためファンを変えました。
地球シミュレータ空調機のファンはシロッコファンというものでしたが、ぼくらは軸流ファンというものを採用。
これによって空調機効率は2倍以上になり、モーター容量も半分以下、つまり消費電力も半分以下にすることができました。
また、地球シミュレータは吹き出し空気をいったん静圧化してからマシンに送風していました。
これももったいない。
ぼくらのシステムでは動圧も無駄なく使うよう、空調機吹き出し空気をダクトで直接計算機室床下に吹き上げるようにしました。
これによって動圧->静圧変換ロスが減り、さらに効率を数%よくすることができました。

消防検査の時、検査官の要望で空調機全部を動かすよう指示を受けました。
火災が起こると、風によって火災は燃え広がります。
計算機室にどのくらいの風が発生するのか確認しておきたいとのこと。
ぼくも全部の空調機が動くのを体験するのは始めて。
ワクワクしましたよ!

スタッフにより空調機全台数の起動がされました。
確かにすごい風速です。
でも、とても静かなんです。
もちろんそれなりに騒音はしますが、でも会話は十分に可能。
よし!うまくいった!
静か=効率がいい、という証拠です。
ぼくはとても嬉しくなりました。

ぼくは

 技術者というのは「勉強家」かつ「なまけもの」でなければならない

と思っています。
勉強家というのは、これまで蓄積されてきた多様な技術を「知っている」ということです。
知るためには本を読んだり学会に出席したりいろいろな施設を見学したりしなければならない。
こういうことにお金と時間を使う。
で、自分の仕事にそれらで得た技術を活用するんです。
すると上手くいくわけです。
上手くいけば結果として「怠ける」ことができるってこと。
怠けることができれば、時間と体力と心に余裕ができる。
その余裕でまた新たな知識を得るために勉強ができる。
好循環です。

科学者でありSF作家でもあるアイザック・アシモフはこう言っています。

1.知識の断片を、できるだけ多く、広く、バラエティに富んでそなえていること
2.その断片を手ぎわよく組み合わせ、検討してみること
3.その組み合わせの結果がどうなるかを、すぐに見通してみること
  (アシモフ『空想天文学入門』、星新一『SF入門』からの孫引き)

前にも述べたように、まったく新しいものを生み出すには膨大な時間と、試行錯誤によるたくさんの失敗を必要とします。
もちろん、新しいものを生み出すことも必要です。
そういう人も世の中には必要。
でも全部が全部新しいものである必要はないんです。
今ある知識、技術でほとんどの問題は対応でき、解決できるのです。
だから勉強は不可欠なんです。

ぼくの役割はまったく新しいものを作り出すことじゃない。
いちいち新たに考えちゃいけない。そんな暇はないんです。
今問題になっている事項に使える知識、技術を当てはめるんです。
ひとつじゃだめなら、いくつかを組み合わせてみるんです。
それが合理的なやり方なんです。


写真は次世代スパコン棟メインマシンを冷却する空調機。
デカイ空調機がこれだけ並ぶと壮観ですねー。

2010年4月26日月曜日

ボーイスカウト入隊!


こんにちは

内田樹さんはこう言っています。

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つねづね申し上げているように、子どもをほんとうに生き延びさせたいと望むなら、親たちは次の三つの能力を優先的に涵養させなければならない。

 何でも食える
 どこでも寝られる
 誰とでも友達になれる

(内田樹『邪悪なものの鎮め方』バジリコ¥1600-、277p)
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まったく同感です。
ぼく自身もこうありたいと常々思っていますし、我が子たちにもそうなってもらいたい。
でも「親たちは次の三つの能力を優先的に涵養させなければならない」というのですから、放っておいてはこの能力は身に付かないということでしょう。
やっぱり意図的に教育していく必要があるわけです。
これら三つの能力が開発されるような環境を提供しなければならない。
そこで我が家が選んだのが、ボーイスカウト活動です。

特にキャンプがいいなーと思っています。
キャンプに行ったら、自分たちの食事は自分たちで用意しなければなりません。
美味かろうがまずかろうが食わなくちゃならない。
いろいろ活動して腹が減ってるから、多少へんてこりんな料理でも文句を言わず食う。
そしてテントの中で、ごつごつした石の上に立てたような場所だって寝なくちゃならない。
寒い時期でのキャンプでも、自分たちで工夫して少しでも暖かい環境を作り、我慢できる範囲にする。
多少寒くたってとにかく寝る。

ボーイスカウトも中学生くらいになると、長期間のキャンプもあるそうです。
他の子どもと数日間、数週間一緒に過ごすわけです。
1日ならなんとか猫をかぶってごまかせますが、数日間、数週間にもなるとごまかせません。
それぞれが素顔をさらけ出す。
我慢できないほど嫌な奴もいるかもしれませんし、自分自身の嫌な部分が顕わになるかもしれません。
それでも一緒に協力してキャンプを維持しなければならないのです。
どこまで自分の我を出し、どこまで相手と妥協し、協力するか。
このバランス感覚こそ、誰とでも友だちになれるってことだと思います。
この能力こそ大人になっても役に立つ能力ですよ。

家族だけ、学校だけでは得られない経験を通して、三つの能力を磨く。
ボーイスカウトっていいなーって思っています。

2010年4月25日日曜日

子どもは正直がよい


こんにちは

以前職場に、すぐごまかしたり嘘をついたりする部下がいました。
でもすぐばれる。
だって、嘘をついたことを忘れちゃってるんですから。
まるで子どもみたい。
その意味で、かわいげのある人でもありましたね。

その部下にぼくは「嘘は一つだけにしておきなさい」なんて言ったこともあります。
嘘もちゃんと覚えておかないと、ちょっとしたところでほころびが出ちゃいますからね。
一つくらいならちゃんと覚えておける。
大人にもなれば「嘘も方便」ってこともありますけど。

最新の脳科学で、人間の脳はメモリーベイスドアーキテクチャ(記憶を基にした構造)であることが分かってきました。
記憶したことを複数組み合わせたり、操作したりして思考している。
組み合わせたり操作したりする場所は、脳の前頭前野にあるワーキングメモリ。
ワーキングメモリに記憶したことを呼び出して、考えているんです。

ところがこのワーキングメモリはとても容量が少ない。
大人でも7つくらいしかないことが、研究の結果分かっています。
この7つのメモリを使い切ってしまうと、何も考えられなくなってしまうのです。
ワーキングメモリに空きがあるほど、クリアな思考ができるのです。

で、嘘やごまかしがばれないようにするためには、常にそのことを意識しておかなくてはなりません。
意識に乗せておく場所が、このワーキングメモリなのです。
嘘やごまかしをすると、ワーキングメモリを消費してしまいます。
しかも最大7つまでしか記憶できない。
しかもしかも、ワーキングメモリが満杯になると、思考が停滞しますから、嘘ごまかしはばれやすくなる。
なので、大人でも嘘はせいぜい一つまでというのが、理にかなっているわけなんです。
悩みや悲しみもこのワーキングメモリに常駐しがちです。
だから悩みが多いときも、まともに考えられなくなるのです。
悩みがたくさんあるときは、それらを紙に書き出すなどしていったん脳から出してしまうことによって、ワーキングメモリに空きをつくるといい。
一つずつでも悩みを解決していくことによって、脳はクリアになっていき、悩みから解放されるわけです。

さて、これも最新の脳科学で子どもの脳についても研究が進んでいます。
子どもの脳にも当然ながらワーキングメモリがありますが、その数は大人より少ないことが分かりました。
幼児など、2つ、3つしかないのです。
ワーキングメモリの数が少ないから、子どもは複雑な思考ができないのです。

複雑な思考ができないだけではありません。
子どもの嘘はすぐばれますが、これもワーキングメモリが少ないためです。
嘘をメモリに常に保持していることができないのです。
常に保持させると、残りのメモリがなくなって何も考えられなくなってしまうからです。

だから、子どもは嘘をついてはいけないのです。
子どもに嘘をつかせるような状況を大人が作ると、子どもの思考は停止してしまうのです。
だから、子どもの嘘は脳へのダメージが大きいのです。

悩みも同じです。
子どもが悩むと、それがすぐワーキングメモリを満杯にしてしまいます。
メモリに空きがなければ考えることができません。
考えない、すなわち脳を使わなくなるので、脳の発達を阻害します。
脳は使わなければ萎縮してしまいます。
だから子どもの悩みは、回復不能なほど脳にダメージを与えてしまうのです。
子どもの頃の激しいいじめがよくないのは、このことでも分かります。

昔から、子どもは明るく正直に育てよ、と言われてきました。
これにはちゃんと意味があるんです。
明るく正直に育てば、脳はスクスクと発達するのです。
子どもが明るく正直に育つよう、大人は環境を整えていかなくちゃいけないんですね。

子ども手当


こんにちは

とんたんが幼稚園に入園して2週間が経ちました。
「ようちえん行きたくない」なんて言うこともあまりなく、すんなり通っていますよ。
それでも緊張したのか、疲れが出てしまい、風邪をひいたみたいで、先週は水曜日と金曜日お休みしてしまいました。
まあ、徐々に体力も付けていかなくちゃね。

先週、幼稚園の保育料の引き落としがありました。
はつき君と合わせて二人分、家計への負担がズッシリと増えましたよ。
それに対してぼくの給料は、平成大不況の影響で下降気味。
偉くもなれないしねー(笑)。
社会保険料は値上げするから、手取額は確実に去年より減ってしまいます。
昨年度と同じようには家計を維持することはできない模様です。

我が家は、子どもたちの成長貯金、晶ちゃんの離婚貯金、ぼくの夢貯金といろいろと毎月積立貯金をしています。
ここにメスを入れざるを得ません。
とんたんの幼稚園保育料と同額程度、ぼくの夢貯金の積立額を減らすことにしました。
それで毎月の生活費を変えずにいこうと思います。

銀行で手続きをしたと思ったら、区役所から「子ども手当」の申込書が届きました。
毎月子ども一人あたり¥13000-の手当が出る制度が、民主党政権によって実施されたのだそうです。
少子化対策のひとつなのかな。
その代わり、児童手当は中止、配偶者控除も廃止とか。
なんだかありがたいんだかありがたくないんだか、よく分かりませんよ。
児童手当(3歳未満)はたしか1万円だったので、これをもらっていた人は子ども手当になってもたいして増えませんよね。
配偶者控除中止分も考えると、はたして得したのか損したのか??

これまで我が家は児童手当は所得が基準以上だったのでもらえませんでしたから、子ども手当は所得と無関係なので増えたのかな。
所得が多い人の方が手当が増える制度で、ホントに少子化対策になるんでしょうか。
ぼくはただ子どもの数を増やすことよりも、数は少なくたって子どもが将来自立できることが大切だと思っています。
自立というのは、自分と自分の家族の食い扶持は自分で稼げるってこと。
その中の2割くらいの子どもは、国を支えるような仕事をしてくれる。
人口は減っても日本の国力を維持できればそれでいい。
たとえ人数は少なくなっても、そういう子どもを育てなくちゃいけない。

そのための施策として、ぼくがやってほしいのは奨学金。
育英会(現在は独立行政法人日本学生支援機構)など日本の奨学金は返還義務があります。
親類の子が進学にあたって奨学金をもらうことになったんですが、その時「連帯保証人になってほしい」と頼まれてびっくりしたんです。
それって、借金なんじゃん!
経済的に恵まれていないけど学習意欲にあふれ将来日本を背負って立つような生徒に、返還義務のない奨学金を与える。
そういうことの方が、次世代育成に役に立つと思うんだけどなー。

そうは言っても子育てはしていかなくちゃならない。
我が子たちの将来のために、借金みたいな奨学金はもらわなくてすむようにしなくちゃ。
子ども手当をもらっても、何となく生活費に消えてしまうように思います。
なので、子ども手当が振り込まれたら使わずに、「子ども手当貯金」をしようかと思っています。

2010年4月20日火曜日

フレンドリー!


こんにちは

いやー、我が子たち、はつき君もとんたんもホントにフレンドリーですねー。
先日も職場の一般公開に連れて行ったんですが、見学に来ている学生さんやら同僚やらに声をかけ、一緒に遊んでもらう。
そうやって楽しく過ごすんですよ。
スバラシイ!

内田樹『邪悪なものの鎮め方』バジリコ¥1600-にこうありました。

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つねづね申し上げているように、子どもをほんとうに生き延びさせたいと望むなら、親たちは次の三つの能力を優先的に涵養させなければならない。

 何でも食える
 どこでも寝られる
 誰とでも友達になれる

最後の「誰とでも友達になれる」は「誰とでも結婚できる」とほぼ同義と解釈していただいてよい。(277p)
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誰とでも結婚できる、というのはちょっと?ですが、誰とでも友だちになれるって大切だと思います。
ひとつは、人を信頼することを基本としている、ということです。
ハナから疑ってかからない。
心理学での鏡の原理でもあるように、相手との関係性なんです。
自分を信頼してくれる人に対しては、それに信頼をもって応えようとする。
自分を疑ってくる人に対しては、きちんと対応なんかしたくないものです。
もちろん世の中には危険な人物もいることは確か。
でもそれは少数です。
そういうアブナイ人に注意しつつも、基本は人を信頼する。
その方が楽しい人生を送れると思うのです。

もう一つは、友だちというのは所与のものではなく、造り上げていくものだということ。
人と人との関係は、繰り返されるフィードバックによって築かれるものです。
こいつとはいい友だちになりたい、と思ったら、相手に対して嫌なことはしないとか、約束を守るとか、裏切らないわけです。
そういう努力をお互いに続けるから、いい友だちになれるんです。
最初からいい友だちなんかいないんです。
誰とでも友だちになれるってことは、誰に対してもそういう努力をする気があるかどうかってことなんです。

あ、それって結婚でも同じですねー。
誰とでもいいとは言えませんが、この人とと決めたなら、お互いポジティブフィードバックをかけ合っていく。
それが結婚生活をハッピーに導く王道だと思います。
さすが内田先生!

人生60点主義


こんにちは

3月に受験したメンタルヘルス検定の発表がありました。
2種「ラインケアコース」、3種「セルフケアコース」とも合格。
やったねー。
出張の新幹線の中やホテルでのお風呂の中などスキマ時間で勉強してきましたが、努力の甲斐あり。
試験会場は昭和女子大だったから、試験中深呼吸何度もしちゃったしー。
うん、受験してよかった。
エヘっ。

合格通知には各科目の得点表も付いていました。
これが笑えた。
ほとんどの科目が9割以上の出来でしたが、セルフケアコースの「セルフケアの重要性」という科目だけ4割しか得点できていませんでした。
ってことは、ぼくはセルフケアの重要性なんか気にしてないのかも??
わははははは。
逆に「ストレスの対処、軽減の方法」という科目はほぼ満点!

ぼくは毎年2,3の資格試験に挑戦しています。
毎年2,3受験して、ひとつくらい合格するというパターンですね。
既に保有資格は60は超えています。

資格試験に取り組んでよかったなと思うことは、100点はねらわなくていい、60点で合格なんだ、ということを実感したことです。
たいていの資格試験は60点~70点くらいで合格します。
最難関の国家試験である司法試験でさえ、60点くらいなんじゃないでしょうか。
それは100点なんか必要ない、60点取れる人ならライセンスを与えても十分安心して仕事を任せられる、と国も国民も考えているということです。
60点取れる人なら基本的なことは理解しているし、足りない部分は仕事をしていく中で自ら学んでいけるはずだ、と考えられているということです。

大学入試でもそうですね。
東京大学でも合格ラインは55点くらいです。
このことは意外と知られていないようです。
東大生は子どもの頃から100点満点とってきた人ばかり、という誤解が世間にはあるようです。
だから「東大生は宇宙人」のように見えちゃったりね。
そんなことまるでありません。
むしろ東大生は、100点を狙ってなんかいなかったりするんです。

100点を取るって、ものすごい労力がいるんですよね。
80点くらいまでは基礎的で汎用的な知識や理解力で到達できますが、それ以上得点しようと思うと重箱の隅みたいなことまで勉強しなくちゃいけない。早稲田の歴史の入試みたいだね。
つまり、100点を取る勉強はムダが多いのです。
逆に言えば、重要なポイントが分かる人は80点くらいまでを確実に取って残りは捨てることができる。
だから短時間、少ない労力で合格点を達成できる。
ところが100点をねらう人は、まんべんなく勉強してしまうので、どこが重要なポイントか分からなくなってしまう。だから時間も労力もかかります。
そう考えると、80点の人より100点を取る人の方がバカだとも言えます。

ぼくたちは子どもの頃から<100点幻想>に毒されすぎているように思います。
小学校などではよく、子ども全員に100点を取らせるという教育が行われています。
全員が100点を取るまで努力させるわけです。
親も子どもが100点を取ったらお小遣いを与えたり、ご褒美を与えたり。
逆に100点じゃなかったらちっとも褒めなかったりして。
こういう教育は害の方が大きいように思えます。
こういう教育を受け続けると、100点じゃなくちゃダメなんだ、100点こそがいいものなんだ、それ以外は価値がない、価値が低いものなんだ、という固定観念を植え付けられる。
で、100点を取れないと自分が惨めになる。
100点を取れないで惨めになるなら0点でも同じだ、と極端な考え方をしてしまう子だっているでしょう。
それで60点を取る努力も放棄してしまって、0点人生を送ってしまうわけです。

何にせよ要は合格すればいいんです。
勉強だって仕事だって完璧は無理です。
まして人生長丁場。
すごく努力してたまには100点取ることもできますが、それを続けていくのは無理なんです。
それに本当にいい仕事、自分の好きな学問って100点で満足できるものではありません。
そういうときは100点満点なんて枠なんか超えちゃうものでしょう。

人生、平均60点くらいでちょうどいいのではないでしょうか。
60点取れるくらいまでは頑張ってみる。
時には80点までねらってみる。
すんごく面白いことだったら、100点なんて言わずに120点、150点、200点も取っちゃう。
時には失敗したり、ちょっとサボって40点かもしれない。
でも0点は絶対イヤだぞ。
たまにホームランもかっ飛ばしつつ、コンスタントに合格点は取り続けていく。
人生ってその程度で十分なんじゃないかな。


写真はXFEL実験棟大会議室。椅子も入りましたよ。
AV設備にも力を入れましたから、早く音出ししてみたい!
わくわく!!

2010年4月19日月曜日

人生の安全基地


こんにちは

我が家では、明治の大林学者本多静六を真似して「1/4貯金」を実行しています。
これは給料もらったら毎月とにかく、その1/4を貯金してしまい、残りの3/4で生活する、というものです。
だんだん給料も上がってきましたが、それをめいっぱい使い切るんじゃなくて、いざというときに備えて、小さめに暮らしているのです。
ぼくら夫婦は以前公立学校教員でしたから、安月給には慣れています。
子ども二人増えましたが、3/4の範囲でもなんとか快適に生活できています。
子どもの将来の教育資金も万全です。

ところでぼくは、教育史学者の板倉聖宣さんの思想の影響を強く受けています。
『板倉聖宣その人と仕事』キリン館\2060-という、板倉さんが’95に国立教育研究所を退官したときの記念本があります。
ぼくも、退官記念最終講演をぼくも国立教育研究所に聞きに行ったんですよ。
この本をぱらぱらとめくってみると、最終講演録のところに写真があり、ちょこっと若き日のぼくも写ってました。革ジャン、Tシャツ姿で。

この本の中に「板倉流処世術」について書いてありました。
堀江さんとの対談「採算のとれる学問の建設」から引用します。

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「クビになりたい」と思ったら、もう何も恐くない。
クビになって困るのは、給料が入ってこなくなることでしょ。それから、官舎に入っていたりすると、官舎から出ていかなければならなくなる。
だから僕は、何年間か給料が入らなくても、何年間かの生活はできるようにしておくと。
それから、家は建てる。官舎には入らないと。
それから、本は自分で買うと。
そういうことで路頭に迷わないようにしておこうと。(216p)
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自由に生きるには、いつクビになっても生活が破綻しないように<準備>もしておく。
給料が途絶えても、路頭に迷うことがないようにしておく。
本も自分で買っておけば、研究所をクビになっても科学史の研究は継続できる。
そうしておけば恐いものはない。
大胆に自分のやりたい研究をしていくことができるんだ。
なるほどです。

ぼくも1/4貯金のおかげで、いつクビになっても路頭に迷うことはありません。
借金もないしね。
ついでに、ある転職情報会社にも登録してあって、定期的に求人情報を送ってもらっています。
ぼくでもお呼びがかかりそうな仕事がありそうなのも安心です。
そのおかげで、部署の枠に囚われずにいろんなことにチャレンジもできるってわけです。

これは「セキュアベース(安全基地)」を確保した、とも言えそうです。
戦争でもしっかりしたセキュアベースが確保できると、大胆な戦術をとることができます。
人生も同じで、確固たるセキュアベースがあると、チャレンジングにもなれるんです。
豊かな人生を送るためには、確かなセキュアベースと未知のチャレンジのバランスが大事なんだと思います。

エジソンも大失敗してほぼ全財産を失ったことがあったそうです。
その時彼はこう言ったそうです。

 自分は今53歳だが、月給75ドルの電信技士の仕事なら
 いつでも見つけられる

エジソンにとって若いときに鍛えた電信技士の腕がセキュアベースになっていたんですね。
もちろんエジソンはこの後も大発明家として活躍するんですが、それはこの確かなセキュアベースを持っていたからなんだと思います。
いざというときでも食い扶持には困らないぜ、って。
「多少の蓄えと確かな腕」、これが人生のセキュアベースなんだとぼくは思います。

チャレンジングで豊かな人生にしていきたいと思っています。
さー、今日も元気に出勤だー!


写真はXFEL実験棟。
5月末完成ですが、いい感じに仕上がってきましたよー。

子どもは走り回る


こんにちは

ヒトが空腹感を覚えるのは、「お腹が空いたとき」だけじゃありません。

  必要な栄養が足らないとき

も空腹感を覚えるのです。
この二つの理由を間違えないことが、健康な食生活に必要です。

腹が減ったときに食欲を覚えるのは、運動や活動に必要なエネルギーを補給するためです。
ですから、エネルギーに変わりやすい炭水化物を主とした食べ物を食べる方が合理的です。
必要な栄養が足らないときに食欲を覚えるのは、体の古くなった細胞を作り替えたりするため、すなわち新陳代謝に必要な栄養素を体に取り入れるためです。
そのためには、細胞の原料となるタンパク質やアミノ酸の豊富な食べ物を食べる必要があります。

体がエネルギー補給のための食事を求めているときに、炭水化物以外のタンパク質、脂肪の多い食事をとると、体に余分な負担をかけてしまいます。
タンパク質や脂肪は消化しにくく、エネルギーとして分解しにくいからです。
だから、活動するエネルギーが必要な時間帯に食べる朝食や昼食は、ご飯やパン、うどんなどの炭水化物が中心のものを食べる方がいいのです。

体が新陳代謝のための栄養素を求めているときは、タンパク質の多い食事をとるべきです。
新陳代謝は主に寝ているときに行われます。
なので、夕食はおかずを多くした豪華な食事にするのは理にかなっているわけです。
昼食をたっぷり食べる民族もいますが、そういう民族は昼食後に昼寝をします。
ところで、子どもは新陳代謝が盛んに行われています。
細胞分裂を次々とし、体を成長してさせていきます。
だから、成長に必要な栄養分をたっぷりととらなければなりません。

ところが、食べ物には新陳代謝に必要な栄養素だけが含まれているわけではありません。
タンパク質の多く含まれるお肉だって、脂肪はもちろん炭水化物だって含まれています。
ヒトは体内で合成できないアミノ酸(必須アミノ酸)は食事からとるしかありません。
新陳代謝に必要なだけ必須アミノ酸を食べるためには、余分に脂肪や炭水化物も食べざるを得ないのです。

特に子どもは成長のために必須アミノ酸をたくさん食べる必要があります。
子どもは体重の割にたくさん食べるのは、そのためなのです。
たくさん食べれば、その分余分な脂肪や炭水化物も食べてしまうことになります。
この余分な栄養素は捨てないとならないのです。
余分な栄養素を上手く捨てられないと、病気になってしまうのです。

では子どもはどうやって、この余分な栄養素を捨てているのでしょうか。
なんと、エネルギーに変えて燃やしてしまっているのです。
つまり、運動などの活動に変えて消費してしまうのです。

子どもってチョロチョロチョロチョロ元気によく動きまわりますよね。
疲れないのかなって思いますけど、疲れるくらい動きまわらないとならない必然があったんですね。
必須アミノ酸など成長に必要な栄養を食べなければならない。
そうすると余分な栄養素までたくさん食べざるを得ない。
その余分な栄養素は動きまわって燃焼させてしまわないとならない。
だから、チョロチョロしてるんですよ。

ぼくが教師だった頃、毎日身体を使った遊びをしていました。体育の授業以外にもね。
鬼ごっこなど、汗をかくくらいの遊び。
だって、その方が教育効果が上がるから。
思いっきり身体を動かしたあとは、落ち着いて机に座っていられるんです。
すると勉強にも身が入ります。
ところが身体を動かさないと、子どもはチョロチョロしたくて落ち着かない。
勉強なんか気もそぞろになっちゃうんですよ。
当然の生理なんです。

子どもは元気が一番です。
決しておとなしい子がいい子ってわけじゃないんです。


とんたんにもキックボードを買ってあげました。
3輪式の安定のいいものが見つかったんです。
ミニマイクロという賞品。
3輪といっても、前輪が2輪で後輪が1輪なんです。
なので、キックする足が後輪にひっかからないのがいい。

2010年4月15日木曜日

ラクして損するな!


こんにちは

ぼくは駅などでもなるべくエスカレータは使わないようにしています。
階段を駆け上る。
職場でも2フロアなら階段です。
徐々にフロア数を伸ばしていこうと思っています。

これも100歳現役医師である日野原先生の真似。
日野原先生は、楽にすることが自分のためじゃない、みたいなことを言っていました。
エスカレータに乗ればラクチンですが、体力は落ちていきます。
乗ったときは楽で得した気持ちになりますが、長い目で見るとそれは自分のためになっていない。
健康を損ねてしまうからです。
エスカレータを利用することは、楽して損してるわけですね。

そもそもエスカレータは、階段を上ることができない人のために設置されているのです。
階段を上る能力がある人は乗ってはいけないのです。
能力があるのに楽をするから、その能力でさえ損なわれる。
そういうことって、人生至るところにありそうです。

牛尾治朗『男たちの詩』致知出版\1500-に、建築家安藤忠雄さんとの対談が乗っていました。
安藤忠雄「常に全力疾走あるのみ!」から引用します。

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今の日本がなぜ低迷しているかというと、問題が起こらないように起こらないようにやっているから、逆に問題が起こっているんだと思うんですよ。
新しいことをしないで安全策ばかりとってきたことで、緊張感がなくなったことが大きな原因だと思うんです。(19p)
###

つまり、目先のラクチンを求めすぎた結果が、今の日本なんですね。
階段を駆け上って汗をかくより、エスカレータで安全に楽に上る方を選んだ。
そのために基礎体力がなくなって、気も緩んでしまった。
それが逆に心身の健康を損ねている。
それと同じなんだと思います。

新しいことをするには、失敗しないように恒に緊張感を持ち続ける必要があります。
その緊張感があるから、困難なことでも失敗しないでできる。
逆に安楽で安全なことばかりだと、緊張感がないから、ちょっとしたことでもトラブルに至る。
基礎力も育ってないから、ちょっとの変化にも対応できなくなってしまっている。
安楽にしていたツケが回って来ちゃうんですよ。

目先のラクチンに頼ってはいけません。
それは自分を無能にしていくだけなんだと思います。
昔の人は「先憂後楽」なんて言いました。
ラクをするとしても、結果としてのラクじゃなくちゃいけない。
そのためには、目先の困難にもチャレンジしていく必要があるんです。
困難を乗り越えたところに、ホンモノの楽ちんが待っているんです。


写真は神戸次世代スパコン棟。
これまでいくつの困難を乗り越えてきたでしょう。
あと一息で建屋完成です。
それからスパコン本体の設置です。
まだまだ気がゆるみませんねー。

2010年4月14日水曜日

今日もゴキゲン!


こんにちは

先週、神戸次世代スパコン施設の特高変電所安全管理審査がありました。
この審査は経済産業局技官の方が現地に見えられて、施設が法令に準拠して造られ、基準通り自主検査がなされているのかを確認するものです。
電気は発電所から需要施設まで電線でつながっています。
特別高圧77,000Vの施設ですので、事故があると自分の施設だけではなく、同じ送電系統に接続されている他の施設にまで影響を及ぼします。いわゆる「波及事故」です。
ひどい場合は、付近一帯が全部停電してしまうことにもなりかねません。
そのため、国としても一定の責任を負う必要があり、審査を実施することが法定されているのです。

次世代スパコンも設備容量50,000kWにもなる大規模施設。
自主検査も2ヶ月以上かかりましたし、その検査記録も厚さ15cmのファイル2冊にもなりました。
これを審査してもらうのですから、朝から始めても夕刻までたっぷりかかる見込みでした。
通常お一人で見えられる技官の方も、今回はお二人。
経済局側の力の入れようも違っていました。

自主検査の時も、法令準拠で徹底的にやってもらいました。
抜き取りで検査要領を出してきたので、「絶対ダメ!全数やること。すべての試験に電気主任技術者の立ち会いを求めること」なーんて、例によってつべこべ言いました。
スタッフも辟易したかもしれません。
でも当たり前にやることをきちんとやるってことが大切なんです。
ABC理論;当たり前のことを、バカにしないで、ちゃんとやる、のです。

ぼくは3月はじめに筑波研究所でも安全管理審査をうけました。
その時の様子などをメモにして、事前に神戸スパコンスタッフへ渡しました。
何がポイントなのか、どんな資料を準備しておけばよいのか、技官はどこに重点を置いて審査するのかを伝えておいたんです。
ぼくにできるサポートはしてきたのです。

その結果、審査はとてもスムーズに進行し、予定より2時間も早く終了してしまいました。
技官からの指摘事項も本質的な誤りは全くなく、転記間違い、標記間違いなど数点に留まりました。
よかったですー。
時間に余裕ができたので、技官の方たちを完成間近の電気室や計算機室へご案内しました。
審査が上手くいったので、ぼくもゴキゲン、スタッフもゴキゲン、技官の方たちもゴキゲンです。
和気藹々と見学してもらえました。
形式ではなく素直に、技官の方たちに感謝し、スタッフにもありがとうと言えました。

伊藤守+坪田一男『ごきげんな自分になれる本』大和書房¥1200-にこうありました。

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皆さんは、周りの誰かをほめることがありますよね?
その人がいいことをしたから、ほめるのだと思っているかもしれませんが、そんなことはありません。
人がどんなにいいことをしたって、あなたの気分が悪ければ、なかなかほめられるものではないんです。
反対に、自分がとてもごきげんなときは、理由などなくても人をほめるでしょう。
今私たちがごきげんでいるということは、それだけで社会に対する貢献なのです。(3p)
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ぼくも常にゴキゲンでいたいと思っています。
でもそのゴキゲンは、「自ら作り出すもの」だと思っています。
ゴキゲンでいるためには、いい結果を出せなくてはなりません。
失敗してもゴキゲンでいられる人なんかいないわけです。
で、失敗して不機嫌な人は成功するための努力を怠っているんだと思うんです。
するべき努力を一手間抜いているんですね。
それで失敗すると不機嫌になって、失敗の原因を誰かのせいにする。
犯人捜しをするんです。
嫌~な人間になってしまいますよ。

ゴキゲンでいるためには、自分のやるべき努力は怠らない。
一手間かけるのがいいんです。
ナントしても上手くいくように算段し、段取るんです。
上手くいけばゴキゲンになれます。
ゴキゲンになれれば心に余裕ができ、一緒にがんばってくれた人たちに対して自然と感謝の気持ちも生まれます。
素直にありがとうが言えます。
さて、今日もゴキゲンでいられるよう、がんばってきますかー!


SPring8建設業務室のメンバーだった先輩たちを、XFELに案内しました。
1年に1度集い、自分たちの造った研究所がどうなっているのか見に来られます。
ついでに宴会だったりしますがねー。
ともかく、リタイア後も自分たちが造った施設が気になるってことは、それだけ自分たちのしてきた仕事に誇りを持っているってことでしょう。
素晴らしいことだと思います。
ぼくもこういうじいさんになりたいです!

2010年4月13日火曜日

自立とは貢献である


こんにちは
教え子(女子、と言っても34歳。。。)からメールが来ました。

 最近、忍クンがこちらに帰ってきていると聞きました。
 指導係が同僚のお母さんで 様子がチラホラ耳に入ってきます。
 もう二度と会えないのではと気になっていたので頑張っている様子を嬉しく感じています。
 今でも先生は先生なんですね(^^)

おお、家出少年(と言っても34歳。。。)だった忍君もがんばっているんですね。
よかったよかった。
ぼくは自立した教え子にはこちらからコンタクトしない方針。
向こうから何か言ってきたら誠実に応対するけどね。
ヘルパー資格を取って田舎に帰った忍君も、仕事を見つけて働きだしたあとは連絡不通になっていました。
こういう形で他の教え子から様子を知らせてもらうと嬉しいですね。
人と人との絆は大切なものですね。

さて、職場でもぼくの「資格マニア」ぶりが有名になってきたのか、いろんな人から資格取得の相談を受けることがあります。
先日もある研究員の方から、来年でプロジェクトが終わってしまい次のアカデミックポストが見つからないかもしれないから電気技師の資格を取りたい、という相談。
学者も大変です。最近は定年までというポストはちっとも増えず、プロジェクトごとの3年とか5年とか期間の限られたポストばかり。
それもかなりの競争率で、期限付きのポストにさえなれない場合も多いのです。
博士号を持っていてもそれだけで安定して食べていくのは大変な時代なのです。

確かに電気技術者は食いっぱぐれが少ない仕事です。
電気技術者はいつでも不足気味なので、職にあぶれることがない。
まして資格を持っていれば、世間的に良い評価をもらえるいい仕事です。
莫大に稼ぐことはできませんが、ほどほどには食っていけます。
ぼくも教師から技術者へ方向転換するときに電気技術者を選んだのは、ある意味戦略的でした。
その時ぼくは既に30代半ばにさしかかっていましたから、これからでも中堅技術者になれそうな分野を選んだんです。
電気主任技術者という国家資格があれば、それが可能だと判断した。
幸い物理科卒である程度の基礎はあったので、がむしゃらに勉強して電気主任技術者試験に合格。
今の職場に採用されたのもこの資格があったからだし、今それなりに活躍できているのもこの資格のおかげです。

で、試験日はいつで、教科書はどれが良くて、どのくらい勉強すればいいかなどの相談にのり、ついでに職場の電気設備を見学に案内しました。
今まで研究室、実験室しか知らなかった研究員の人は、「あーこんな風になっていたんですね。面白いですね」と言ってくれました。
興味を持つことができれば、資格取得へのファーストステップはOKです。
元々頭が良く、勉強が苦にならない人ですから、合格は間違いないでしょう。
でもでも電気資格を取得したとしても、できればアカデミックポストが見つかればいいなーって、ぼくは思いました。

内田樹『子どもは判ってくれない』洋泉社\1500-から引用します。

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「自立している人」というのは、周囲から「自立した人だ」と思われている人、それゆえに、人々に信頼され、何かにつけて相談を持ちかけられ、忠告を求められ、助力を仰がれ、責任を求められる人のことである。
「自立している人」というのは、その判断が熟慮されたものであるために、ほぼつねに適切であり、またいったん決断したことは容易には阻止介入することのできぬほどの実力的な基礎づけを持っている人のことである。
自立というのは、単体で存在するものではない。
それは人間たちの入り組んだ関係の中で、複数の人々を巻き込んだ利害のややこしい事件を経由したあとに、「ああ、あの人は「自立した人」だったんだな」という仕方で回顧的にしか検知されないものである。
自立というのは宣言や覚悟によって獲得できるものではなく、長期にわたる地道な努力を通じて獲得され蓄積された「社会的な信認」のことなのである。(104p)
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自立というと、誰にも頼らず頼られず自分一人で生きていける力だ、と思っている人が多いと思います。
周りの人々、社会とは無関係であっても生きていけることが自立だと誤解されているように思います。
そうではなくて、誰かに信頼され頼られる人が本当に自立した人ということです。

つまり、自立は周りの人々が頼りにし、あいつに相談すれば何とかなりそうだ、と思ってもらえる人が、本当に自立した人なんですね。
その意味で社会とは切っても切れない関係を取り結べる人、社会にとってその人がいないと困る、立ちゆかなくなるという人が「自立した人」なんだと思うのです。
つまり、「貢献」ですね。人々に貢献できてはじめて自立も手に入れられる。

また、自立した人は他に貢献するだけではありません。
自分が困ったとき誰かが助けてくれる人も、自立した人なんだと思います。
世の中give and takeです。
年がら年中助けてもらっている人は甘えているだけの人で、やがては誰も助けてくれなくなります。
いつも誰かを助けている人は、困ったときに必ず助けてくれる人が現れる。
そして助けられたら次はまた誰かを助ける。
こういうgive and takeの関係を続けられる人が、本当の自立した人なんじゃないかなって思います。
そしてgive and takeが成り立つには、信頼が大切。
長期にわたる地道な努力によって周りの人たちの信頼を得ること。
それこそが「自立」ってことなんだと思います。

研究員の方に資格取得のサポートをしてみて、そんなことを思いました。
そしてぼくもようやく「自立した人」の仲間入りができてきたのかなー、なんてちょっと嬉しくなったりもしたんです。
そして、教え子の忍君もじっくりゆっくりでもいいから、地道な努力を続けて自立した人になってほしいなと思っています。


先週、神戸次世代スパコン特高受変電施設の経済産業省安全管理審査がありました。
予定していた時間より早く進行し、とてもスムーズに検査を終えられました。
ぼくは検査にいらした技官の方たちに、もっぱらスパコンの意義を話したり、完成間近のスパコン棟を案内したり、楽しく仕事ができました。
これもスタッフのみなさんの確実で誠実な自主検査がなされていたおかげです。
ありがとう!

お小遣い第2ステップ


こんにちは

毎週土曜日に200円ずつあげることにしたお小遣い。
はつき君は、自分のお金だと思うと、さすがにもらってすぐ使うことはありませんでした。
数週間は我慢して、まとまったお金にすることができました。
100円単位ですがお金の勘定もできるようになって、1000円まであといくら足りない、なんてことも分かるようになりました。
3月末に1000円貯めて、それは秩父温泉旅行の時に思いっきり散財しました。
まあ、それもいいでしょう。無駄遣いも必要な経験です。
秩父旅行では残金100円になっていました。

先週末、秩父旅行後また2週間がまんして500円の所持金になっていました。
でね、数週間前にかっぱ寿司に行ったんです。
ファミレス系の食堂にはレジ近くにおもちゃが置いてあります。
はつき君はそこにあった鉄砲のおもちゃがほしかったんですね。
かっぱ寿司に食事に行ったときは、何も言いませんでした。
親はおもちゃを買ってくれない、ということが分かっているから。
鉄砲の値段が500円だったことを覚えていたんです。すごいね。

で、土曜日に「かっぱ寿司に行きたい」って言うので、この間行ったばっかりだから今日は行かないよ、と言っても行きたいと言う。
お小遣いが500円になったから鉄砲を買いに行きたい、って。
なかなかスバラシイ!
じゃあ、ということで、はつき君ととんたんを連れてかっぱ寿司に行きました。
お店の人に、食事はしないけどおもちゃだけ売ってくれますか、と聞いたらok。
おもちゃコーナーで先日目星を付けていた鉄砲を探しました。
既に残り2個になっていたんです。

ところがそのうち1個は音がしなくなっていた。
はつき君はお兄さんなので、音の鳴る完動品をとんたんに渡し、自分は音の出ない方を選びました。
でも悲しそうな顔をする。
音が出ないのは電池切れなんだと思い、家で電池交換してみようと言って、とりあえず買って帰りました。
家で電池交換してみたけど、やっぱり音は出ない。残念。
やっぱりかっぱ寿司に返品して、500円を返してもらいました。
かっぱ寿司のおもちゃコーナーで、返してもらった500円で違うおもちゃでいいのがないか物色しましたが、気に入ったものがなかったので使わずに帰宅しました。偉いね。

その日の夕方、はつき君は「OZ(大泉にある大型スーパー)に行きたい」と言う。
OZのおもちゃ売り場は充実していますからね。
きっと何としても500円でおもちゃを買いたいと思ったんでしょう。
連れて行ってあげることにしました。

で、何に使ったか。
ナント、OZに着くなりゲームセンターにまっしぐら。
仮面ライダーのカードバトルのゲーム、1回100円のビデオゲームをやり出しました。
時々、おじいちゃんとここに来て、おじいちゃんから数百円もらって遊ぶことがあったそうです。
お小遣いの使い道については、親は文句を言ってはいけない、と思っています。
けれどもビデオゲームで散財するのは、親としてあまりよい気分ではありませんでしたよ。
はつき君は500円全部、ビデオゲームで散財してしまったんです。

家に帰ってきて、おじいちゃんにお願いしました。
はつき君にお小遣いをあげ始めたので、ゲームセンターに行くとしても自分のお小遣いでやるようにさせてほしい、おじいちゃんからの臨時小遣いでゲームはやらせないでほしい、って。
自分のお金は大切に有効に使うようにさせたいですからね。

これまで、夜寝る前にひとりでトイレに行けることをお小遣いをあげる条件にしていました。
もう完璧にできるようになったので、次のステップに行くことにしました。
何かお手伝いをすることを条件にお小遣いをあげようと思ったんです。
勤労とお金の関係を教えていきたいんですね。
家族のために何か仕事をして役に立つからお金をもらえる。
がんばって働いてもらったお金なら、より大切にすると思うんです。
苦労して得たお金をゲームセンターで散財するのはもったいない、と思ってほしい。
もちろんたまにはゲームセンターもいいと思いますが、しょっちゅうああいう所で無駄金を使うような人間にはなってほしくありませんからね。

で、選んだお手伝いは「雨戸を朝晩開け閉めすること」にしました。
まだ力が足りなくて、戸袋から出すことができません。
そこは親が手伝ってあげる必要があります。
でもやっているうちに、コツも分かるでしょうし、筋力も付いてくるでしょう。
もちろんやり終わったら「ありがとう、助かるよ」と言ってあげることも忘れません。
1週間毎日やったら、週末にお小遣いです。
お金の大切さを覚えていってほしいなーって思っています。

2010年4月12日月曜日

まずは体力!


こんにちは

4/4日曜日に光が丘公園で、ボーイスカウト体験教室があり、参加しました。
公式ホームページによると、ボーイスカウトへの加入は幼稚園年長の9月からとなっていました。
なので、はつき君は9月から入団させようと思っていました。
ところが体験教室に行ったら、隊長から「4月から仮入団できますよ!」と言われました。
おーー、嬉しいですねー。
さっそく、入団申し込みをしました。

最初から下世話な話ですが、ボーイスカウトの毎月の活動費は5000円(その内訳は、2,500円が夏キャンプの積み立て,1,000円は育成会費訓練費は1,500円とのこと)。
ほぼ毎月2回、日曜日に活動があります。
平均すると1日2500円ということですね。
とんたんも入団すると、二人で月1万円です(兄弟で入団の場合、下の子の育成会費が不要になるので9000円になります)。
なかなかの家計負担になります。
それなりに経済的余裕がないとボーイスカウトにも入れられませんね。
それでも参加することによる多様な経験、とくに自分を身体を動かしての経験は得難いものだと思っています。
ますますがんばって稼がなくちゃ!

三浦雄一郎『敗けない男の子にする本』主婦と生活社¥650-にこうありました。

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学者として何か事を成そうとするにはたいへんな体力がいるもので、あれはスポーツ選手の体力の比ではないのである。
日本ではどういうわけかスポーツを軽んじて、運動がヘタでも勉強さえできれば、なんて考える風潮があるが、それは逆で、頭の良い子に育てたかったらまず体を鍛えさせるべきなのである。(18p)
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冒険家、プロスキーヤーとして有名な三浦さんは、若い頃北大助手だったそうで、学者のこともよくご存じ。
智力が必要な学者でさえ、智力より体力の方が大切だということ。

キュリー夫人だって二人の娘を、女学校卒業後大学にすぐ入れずに体育学校に入れたのだそうです。
子どものころには、走りまわるとか、動物が本能的に動きまわる基本のような能力を伸ばしてやるべきだと考えたんですね。
それが、子供の成長を知力、体力ともに助けることになるものだと分かっていたんです。
その結果、キュリー夫人の娘さんたちは、親子でノーベル賞を取るような学者になったり、文学者として成功したりした。

はつき君も、いずれはとんたんも、ボーイスカウト活動を続けて健康で健全な心と身体を造っていってほしいと思います。

その他、はつき君は幼稚園年長のクラブ活動として、サッカー部に入りました。
活動は週に1日。
ホントはピアノも習わせたいと思うんですが、あまり一度にたくさんやらせるのもよくないので、とりあえず習い事はボーイスカウトとサッカー部だけにしておきます。
はつき君の様子を見て、ピアノもやる余裕がありそうだったら追加したいなって思っています。
なんたって智力の源は、体力+読み書き計算+音楽、なんですからね!

2010年4月11日日曜日

血液型を気にするのは日本人だけ


こんにちは

先日、ずっとインドネシア勤務だった友人が我が家に遊びに来ました。
現地で知り合った人(日本人)と結婚して、夫婦一緒に来ました。
嫁さんはすんごく豪快な人で、香港やシンガポールなど10年くらいアジア各国で働いてきたのだそうです。

香港の人は皆元気だ、って話になりました。
仲間意識も強く、世界中どこにいっても香港の人はワイワイ元気です。
ぼくら夫婦がニュージーランドに新婚旅行に行ったときも、何かうるさい集団がいるなあって思うと、香港の人たちだったりしました。
そんなおしゃべりをしているうちに血液型の話になり、日本人はなぜ血液型をこんなに気にするのかという話になりました。
血液型占いなんてあるのは、日本だけのようです(韓国では日本から輸入?されて一時流行ったようですが)。
そのとき、香港の人はO型ばかりだ、と友人の嫁さんが言いました。

そういえば、韓国の人はB型が多い。
韓国の人たちも、仲間同士でワイワイ元気だったりします。
でも香港の人とはちょっと違って、ぼくら日本人が見るとまるでケンカしているようなんです。
でもホントにケンカしているわけじゃなくて(ケンカ早いのも事実のようですが^^;)、ケンカするほど仲がいいって感じ。

要は香港の人も韓国の人も、お互い気心が知れている、という感じがします。
それは、ほとんどの香港の人の血液型がO型ばかり、ほとんどの韓国の人はB型ばかりだから、というのが原因なのではないでしょうか。
翻って日本人はどうかというと、A型、B型、AB型、O型が混在している。
A型が一番多いのは確かですが、多いと言っても4割。O型が3割、B型が2割、AB型が1割となっています。

香港の人(中国人)がO型、韓国の人(朝鮮人)がB型のように、たいていの民族は血液型がほぼ同じなんです。
ところが日本人は、いろいろな血液型にばらけています。
日本人のように、いろいろな血液型がばらけた民族は他にはないようです。
アメリカ人もばらけていますが、それは移民の国だからで、アメリカ人という民族は存在しません。
なぜ日本人の血液型はいろいろなのか。

日本列島はユーラシア大陸の東端に位置しています。
でも孤立しているわけじゃなくて、大陸とつながるルートがいくつかある。
朝鮮半島から対馬を通って北九州につながるルート。
樺太島を通って北海道宗谷岬につながるルート。
カムチャッカ半島から千島列島を通って北海道知床岬に通じるルート。
台湾から琉球列島と通じて南九州につながるルート。
あるいは航海技術が発達した時代なら、日本海や東シナ海を航海して直接渡ってくることも可能です。

これらのルートを通って、いろんな時代にいろんな民族が日本列島に渡ってきたのではないでしょうか。
そして日本にたどり着くと、そこはとどのつまり、東側は太平洋です。
太平洋をさらに東に渡ってハワイなどポリネシアまで行くのは、まず不可能です。
日本から出航した無謀な人たちもいたでしょうが、遭難するのがほとんどだったと思います。
つまり、日本に渡ってきた人はそれ以上どこにも行けなかったわけです。
日本は「極東」のどん詰まりなのです。
だから日本人は、いろんな時代にいろんな民族が渡ってきてそれ以上は移動できなくなって定住した、吹きだまりのような民族なのです。
その意味で、日本人はいわゆる「民族」ではないのかもしれません。

「ミトコンドリアイブ」というのがありますが、これは女性の卵子を通じて受け継がれるミトコンドリアのDNAを解析して、人類の起源を研究するものです。
ミトコンドリアの解析によると、現生人類は約10万年前にアフリカにいたたったひとりの女性に行き着きます。
これを旧約聖書のアダムとイブにちなんで、ミトコンドリアイブと名付けたんです。
同様に、男性だけにあるY染色体は男性だけに受け継がれます。
Y染色体のDNAを解析することによっても、人類の起源が研究されています。
それによると、やっぱり現生人類は約10万年前にアフリカにいたたったひとりの男性に行き着きます。
これを「Y染色体アダム」なんて呼ぶそうです。
けれどもミトコンドリアイブとY染色体アダムが夫婦だったわけではないそうです。
不思議ですね。

ともかく、ミトコンドリアのDNA、Y染色体のDNAの解析によって、アフリカで生まれた人類が、いつどこで人種に分かれ、どいういうルートでそれぞれの土地にたどり着いたのか推計もされています(崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』昭和堂)。
同書によると日本人は、旧石器時代にサハリン、カムチャッカ半島を経てたどり着いた人々、縄文時代に朝鮮半島から渡ってきた人々、弥生時代にやはり朝鮮半島経由で渡ってきた人々、いろいろな時代にいろいろなルートで大陸から渡ってきた人々の混合なのだそうです。

民族というのは同じヒトという種ではあるけど、遺伝的違いや文化的違いはあるわけです。
性格も違うことでしょう。
同じ民族の仲間同士なら平気なことでも、ちがう民族に対して同じことをしたら怒り出したり、攻撃されたりすることもあったかもしれません。
下手すると殺されちゃうかもしれません。
だからたくさんの民族が混在した日本では、相手がどんな素性の人かを知る必要があった。
そうじゃないと身に危険が及ぶことが多々あったんじゃないか。
相手の素性をある程度知ってからじゃないと、気楽につきあうことができなかったんだと思うのです。

日本人は細やかに相手を思いやる気持ちが強いと言いますが、こういう事情があったのかもしれません。
逆に言えば、香港や韓国の人たちは最初から同族なんだからそんな心配はしなくていい。
なので、それほど相手を思いやる必要なんかないんじゃないかって思うのです。
香港の人たちが和気藹々としていたり、韓国の人たちがけんか腰だけど仲がいいのは、そういう理由なのではないでしょうか。
それに対して日本人は相手の気持ちを十分慮ることなしに、つきあいができなかったのだと思います。
そういえば、未だに日本の学校の国語の授業では「気持ち」ばっかり想像させますよねえ。。。
子どもの頃から、行間の、言外の、相手の気持ちを推し量る訓練をしているんでしょうか。
それも日本人としての処世術を訓練しているのかもね。
こういう歴史を背負った日本人は、相手の素性を知ることに強い関心を持つようになっていったのだと思います。

で、世界で初めて血液型と性格との関係を研究したのは古川竹二という人です。
昭和の初めの頃のことです。
古川先生は東京女子高等師範の心理学の先生でした。
子どもたちの性格を早く正確に掴むことができればよりよい教育ができるはずだ、と考えたんです。
血液型と性格には相関があるらしいと気づいた古川先生は、それについて研究したんですね。
これが今日の血液型占いに発展(?)する源流です。
そしてそれが、そもそも日本人が持っていた、相手の素性を知りたいという気持ちとぴったり重なったわけです。
これが日本人が血液型占いにはまる原因なのではないかって、ぼくは考えているのです。


写真は我が子二人。
まだ血液型検査はしていません。
ヒトは胎児の時は全員O型なんです。
それは胎盤を通して母親の血液と接触、一部混ざり合いますからね。
母親と赤ちゃんが違う血液型のとき、血が固まっては困ります。
O型というのは、血液型がない、すなわちゼロという意味です。
血液型がないので、他の血液型の人に輸血しても固まらないわけ。
だから胎児の血液型はOなんです。
生まれてから徐々に遺伝的に決まった血液型を発現していく。
よってある程度成長しないと、血液型もはっきりしないんです。
最近は学校で調べてくれないそうです。
我が子たちは、小学校に入学する頃に血液型を調べようかと思っています。

おばあさんがいるのは人間だけ


こんにちは

人間には<おばあさん>がいます。
そんなこと当たり前のことのようですが、動物全体を見渡すと全然あたりまえじゃないんです。
他の動物には<おばあさん>にあたるものは、ちっともいないのです。

鮭の産卵を思い出してみてください。
産卵を終えた親鮭は、そこで死んでしまいます。
動物は、生殖が出来なくなってしまうと死んでしまうのが普通です。
人間と進化的に近いチンパンジーでも、メスの繁殖期間は36,7歳までですが寿命は40歳です。
繁殖期間が終われば、その個体はもうこの世に用はないのです。

ところが人間の女性は80歳を超えるまで生きます。
でも女性が赤ちゃんを産めるのはせいぜい50歳くらいまでです。
普通の動物なら50歳で死ぬのが自然なのです。
なぜ人間の女性は、繁殖年齢を過ぎても30年以上も生き続けるのでしょうか?

進化論の研究に「おばあさん仮説」というものがあります。
それは、<おばあさんが娘の子ども、すなわち孫の面倒をみることが、自分の子孫をたくさん残すことに役立つ>という仮説です。
これはフィンランドとカナダの教会に残されたたくさんの戸籍記録を統計的に解析して得られた結果から分かったことです。
それによると、生殖年齢を過ぎた後に長生きした女性ほどたくさんの成人した孫を持っていたんだそうです。
このことは、おばあさんが育児に参加することが孫の生存率を上げた、と解釈されています。

人間の子育ては大変です。
面倒もかかりますし、期間も長い。
お母さんだけで育て上げるには、負担が大きすぎます。
お母さんだけで育てるためには、たくさんの子どもを産むことは無理。
それでは自分の子孫をたくさん残せません。
そこで<おばあさん>の登場です。
孫の面倒を見ることによって、お母さんの負担を減らします。
するとお母さんはもっと子どもを産むだけの余裕ができます。

人間の子どもは成長に時間がかかる割には、乳離れは早い。
人間の子どもは1年くらいで乳離れします。
チンパンジーの子どもは3年です。
チンパンジーのお母さんは、子どもが乳離れするまで次の子どもは産みません。
ところが人間は、<年子>なる言葉があるように、乳離れしないうちに次の子どもを妊娠することもあります。
おばあさんが孫の面倒をみてくれるので、母親は安心して次の子どもを産むことが出来るというわけです。

最近、少子化が問題になっています。
それは、核家族化で家族におばあさんがいないため、お母さんの子育ての負担
が大きすぎることも、一因になっているのではないでしょうか。

ちなみに<おじいさん>の方は、長生きと孫の数について有意な相関はないそうです。
男は原理的に死ぬまで繁殖可能なので、他の動物と同じなんです。
歯->眼->マラの順にダメになり、そして死んでいくのです。


「おばあさん仮説」については、長谷川真理子『ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか』ウェッジ選書\1200-に書いてありました。
写真は我が家のおばあちゃんと孫。おばあちゃん、長生きしてねー。

2010年4月10日土曜日

桜が一斉に咲くわけ


こんにちは

お花見の季節ですね。
我が家の庭も桃の花が満開です。

そろそろもう終わりですが、今月初め「花冷え」の陽気でしたので、桜のお花見も長く楽しめましたね。
とてもきれい。
でも不思議です。
桜ってなんでどの木も一時に一斉に咲くんでしょうか。

植物を増やすには、二つの方法があります。
タネを植え芽を出して育てる方法。
そして、成木の小枝を切ってそれを土に挿して根を出させる方法。
後者を「挿し木」と言います。

タネから育てると、大きくなって樹が熟し、花を咲かせるまで時間がかかります。
それに比べて挿し木なら、上手くやればもう翌年には花を咲かせるようにもできます。
なぜなら挿し木に使った小枝は、成木の一部なので既に熟しているからです。

タネはめしべが受粉してできるものですから、めしべの遺伝子と花粉の遺伝子が混じり合っています。
人間の子どもと同じように、父親と母親の遺伝子が混じり合っているわけです。
同じ父母から生まれてきた人間の兄弟は、それぞれ違った個性を持っています。
兄弟同士、ちょっぴり違った遺伝子を父母から受け継ぐからです。
だから兄弟でも、成長の具合はずいぶんと違うことだって珍しくありません。
兄はやせっぽち、弟は巨漢なんてこともあったりします。中川家みたいにね。
それと同じようにタネから育てた樹木は、同じ親木から出来たタネであっても兄弟ですから、個性が違います。
花の咲く時期も違ってきて当然です。

実は、桜は挿し木によって増やしたものなんです。
ソメイヨシノは、もともと吉野村(今の東京都豊島区駒込あたり)にあった1本の桜を、次々と挿し木で増やしていったものなのです。
元もと1本の木から取った枝なんですから、元の木とまったく同じ遺伝子を持っています。
つまり、挿し木で増やした木は子どもでも兄弟でもなく、「自分自身」なのです。
これを「クローン」と呼びます。

次々と挿し木で増やしていった苗は、別の場所に植えられていっても、遺伝子は変わりません。
吉野村の元の木はとっくの昔に枯れてしまったでしょうが、時代が変わって今花を咲かせている桜も、まったく同じ遺伝子を持った「本人」なのです。
ですから、同じ環境に植えられていれば同じ時期に一斉に花を咲かせるのは当たり前なのです。
だって、どの桜もみんな自分自身なんですから。


写真は、理研和光の桜です。
桜は無個性に一斉に咲きますが、そこで働く人は個性的なオンリーワンばかりでございます!
なので花の咲く時期もいろいろであっていい。

2010年4月5日月曜日

仮説を持ってコトにあたれ!


こんにちは

ぼくはしばしば、出張して工事の立ち会い、監督を務めます。
たとえば、高圧受電設備の受電立ち会いをするために。
そういうときは出張後にその報告を本所にいる上司にしなくてはなりません。
でも出張後に報告書を書くのって、めんどうですよね。
本所に戻れば戻ったで、山のような仕事が待っていますし。
めんどうがっているうちにどんどん時間が経ってしまって、提出するタイミングを逃しちゃったりする。
最後は上司から呼ばれて「関口君、報告書まだ出てないよ」なんて言われてしまいます。

そこでぼくは次のようにしているのです。

 出張前に報告書を書いてしまう。

これは役に立ちます。
それは出張して行う仕事を予習することができるからです。
何をどのような段取りでやってくればいいのか、あらかじめ頭にインプットできるのです。
で、実際に検査等しないと記載できない数値の部分は空欄のままにしておきます。
ついでに「基準通りに検査されており、問題なく無事受電しました」なんて、やってもいないのに上手くいったことまでちゃっかり書いちゃう。
まだ、出張に出る前なのにね。
そして検査が終わったら空欄を埋めて、本所に戻って報告書の完成です。
あっという間に、上司に提出できます。

米沢富美子『科学する楽しさ』新日本出版社\1600-にこんなことが書いてありました。

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創造的な研究につながるアイディアをつかむために私が実行している企業秘密は、問題に対して先に答えの予想を立ててしまうことである。
行方定めぬ手探りでは無駄が多く、答えに行き着けないことも多い。
答えはこうなるにちがいないと見極めて、そこから逆に歩いてくれば確実である。
いうならば、迷路の問題を出口から解くようなものだ。
入口からの道のりでは紛らわしい岐路がつぎつぎに出てくるかもしれないが、出口からだと、意外にすんなりと全容が見えたりする。
予想した答えが間違っていれば、やり直せばよい。
そのうちに答えの的中率も上がってくるだろうから。
このくらいのんびり構えていることも、クリエーティブな研究をなし遂げるために必要なことである。(88p)
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要するに、何事にも「仮説」を持ってコトにあたることが大事なんですよね。
仮説とは「こうなるであろう」という予想です。仮の答えと言ってもいいかもしれません。
しかも上手く行くであろう仮説を持っていると、実際ホントに上手く行ってしまうことが多いんです。
ぼくの出張報告のように「上手くできました」という結論まで先に書いちゃうと、せっかく書いた報告書を反故にしちゃうのがもったいないから、上手く行くように段取ることにもなります。
なんとしても上手くいくよう、努力もするようになります。

反対に、仮説もなしにコトにあたると、失敗する確率が高い。
なぜなら、行き当たりばったりになりがちだからです。
方向性が見えていないので、無手勝流に進めがち。
事前の段取りもしていないので、上手くいかないのも当然なんです。

仮説から考えることは、未来を先取りする技術なんだと思います。
仮説を持つから、ハッピーな未来がやってくるんです。


写真はXFEL実験棟内の大会議室です。
骨のようなルーバーがあるので照明ムラができるかと心配していましたが、念入りに照明配置を検討したのでバッチリでした。
ショートディレイ効いたの残響音も予想通り。
この大会議室の収容人数は150人ですが、播磨研内にこのような中規模ホールがなかったので、きっと喜ばれるものになると思いますよ!