2013年10月28日月曜日

エンジニアの育て方

冷凍保安責任者国家試験の試験日まで半月を切ったので,ほぼ毎日,放課後などにスタッフたちに勉強を教えている.
それを「暇だからできる」と評する奴がいる.

馬鹿者!おれは暇を意図的に作ってやっているのだ.

実力がないやつほど,本来の業務外のことや業務を超えることをやっている者を,暇だからできると誤認するようである.
なるほど確かに,そういう輩は忙しそうである.

やらねばならぬ義務的仕事さえも残業しなければ終わらず,アップアップしている.それでは余分なことなどできぬわけだ.
仕事の価値は,余分なことができるかどうか,で決まる.


なぜ余裕がないのか。
自己流で仕事を進めてしまうからだ。なのにちっとも改善しようとしないからだ。
それは不勉強だからだ。

さて、冷凍1種の試験、さすがに最上位資格だけあって難しい。
選択問題など、選択肢の文章一節ごとに正誤判定できなければ正答に辿りつけない。
「なんでこんなに複雑な文章を出題するんでしょうか」。
スタッフが音を上げる。
あたりまえだよ。この資格は大卒資格だよ。

このくらいの文章を精緻に読む読解力と論理力と知識がないと、それに値しないってことだ。
これに合格すれば大卒並みの学力があると国が保証してくれるんだ。がんばれ。

教育はエデュケーション.エデュケーションとは「引き出す」こと
何も入っていない初学者もから、引き出せるものはない.
だから最初は注入だ.
核となるものを押し込む.
無理矢理にでも押し込む. 
ぎゅ~ぎゅ~と押し込む.
すると,引き出せるものが徐々に増えてくる.
こうしてようやく教育が成立する.

「なんで勉強なんかしなくちゃいけないの?」.
それはね,理屈っぽくなるためだよ.
理屈は君を裏切らないよ.

 とことん理屈っぽくなって,あらゆることを理屈で考えられるようになる.
でもどうしても論理では割り切れないものが残るんだ,ほんのわずかね.
それが情緒.
しっかりと勉強して論理を使いこなせるようにならないと,情緒もわからないんだ.
だから,不勉強な人ほど感情的なままなんだよね.

感情的なくせに,自分を情緒的だと勘違いしている人がいる.
実力を磨くことを怠った人間は,くだらない人間になってしまう.
実力のない上司ほど、意地悪することを権力だと勘違いしている。
すぐ感情的になり、理にかなわないことをやり、周りにも強制する。
そして失敗する。
感情的な人は「困った人」なんだ。
そういうオヤジにはなりたくないだろう?
だから勉強して、論理を使いこなせ、情緒も分かる人にならねばならぬ。

学問とは,自分などとても及ばないくらい頭の良い先人が,自分ではとてもできないような努力を積み重ねて,ようやく得た知恵なのだ.
それはあとからこの世界に生きるぼくたちへのプレゼントでもある.
しっかり学ばないのはもったいないことなのだ.

技術系の仕事でも,トラブルの大部分(99%以上)は不勉強によって発生する.
知らなかったがゆえに即座に対応できなかったという理由で事故に至る.
だから学ばなければならないし,学べるだけの基礎を身につけなければいけない.
スタッフたちに,最低限マニュアルを読めるだけの基礎を身につけさせるのは,リーダーの努めだと思っている.

装置類,機械類のマニュアルはすごく分厚くて,ちょっと読む気になれない.
それどころか,必要な情報がどこに書いてあるかなかなか見つけられない.
読んでもちんぷんかんぷん. 
これじゃあ,マニュアルなんて読むようにならないよね.

ところが,基礎が身についてくると書いてあることが理解できるようになる.

必要な情報がどこにありそうか,勘が働くようになる. 
こうなってくると面白くなってきて,無味乾燥のように見えていたマニュアルも,楽しい読み物になる.
そのレベルまで引き上げてやって,ミドルクラスのエンジニアに育つ.


休み明け,勉強を教えているミドルクラスを目指すスタッフに「土日もちゃんと勉強したか」と聞くと,できなかったと言う.友だちと遊びに行ったという.
おい,ふざけんな!

遊びに行ったら勉強できないのか.
なにも1日10時間勉強しろと言っているわけじゃない.
30分か1時間でいいから復習しろと言っているのだ.
遊びに行ったとしても,そのくらいの時間をとることは可能だろう.
だから,勉強できなかった理由にはならない.
勉強できなかったではなく,しなかったと言うのが正しい.
日本語は正しく使え.

この問題をやってみろ.
先週勉強した問題だ.
ほら,できないだろう.
忘れてしまったのだ.

それは君が馬鹿だからじゃない.
どんな人間でも,復習しなければどんどん忘れていくのだ.
利口な人間だって同じなのだ.
違うのはきちんと復讐するかどうかだ.
利口な人間はきちんと復習する。
ダメな人間は復習をしない。
ただそれだけの違いなのだ。
忘れてしまったら,せっかく時間と労力をかけて勉強したことが無になってしまうのだ.

そんな無駄はもったいないだろう?

それにオレの気持ちになってみろ.
君が勉強を教えてほしいと言うから,教えているのだ.
君のやる気に期待するから,オレの時間を割いて教えているのだ.
復習しないということは,オレの時間と労力と気持ちまで踏みにじることになっているのだ.

この世で一番失礼なことは,他人の信頼を裏切ることだ.
他人の善意を無にすることだ.
他人の仕事を無視することだ.
そういう奴は信用をなくす.
信用のないやつは誰からも助けてもらえないのだ.

信用を得るためには,だから,他人の信頼を裏切らないこと,他人の善意を受け止めること,他人の仕事に敬意を持つことだ.
君のこれまでの人生をよく省みてみたまえ.
信用を得ようと努力してきたかどうか.
きっとそういう意識もなかったんだと思う.
無意識に,他人の信頼を裏切り,善意を無にし,他人の仕事を無視してきたのだ.  
       
昼休み,スタッフたちに「得ビングハウスの忘却曲線」について話す.
復習すれば,知識の歩留まりがよくなる.
タイミングよく復習を重ねることによって,歩留まりはどんどんよくなり,8割くらいは覚えた知識を一生涯忘れることがなくなる.

一度理解しただけではだめだ。
身につくまでシツコク復習する。
といってもそれほど大変でもない。
3時間後、1日後、3日後、7日後と4回もやれば、OK。
復習時間もやるたびに短くなってくるから、手間も減っていく。
これで歩留まりを8割以上にできる。

何のために資格を取るのか.

実務で活かし,自分の価値を高めるためである.
覚えた知識を試験の時だけに使うのはもったいない.
務で使ってこそ役に立つのだ.
だから復習しなくちゃ損なんだよ.

  

英語学習の始めどき

小学校から教科化して英語を勉強させようという動きがあるけど、ばかげていると思う。
中途半端な時期にやってもなあ、と思うのだ。
この時期に始めても、発音はすでに手遅れ。
また、まだしっかりとした日本語が身についていないので、文法など理屈で使うようなことも不得手な時期。

小学校は、英語を教えるヒマがあったら、もっとちゃんと日本語を教えるべきだ。
英語の勉強は焦りすぎなくてよい。
中学からでも十分間に合う。

もちろん、ネイティブみたいにきれいな発音にはなれないよ。
でもそれが何だってんですか。
今や,英語を「使う」人はネイティブの人口より多い。
その人たちの発音は,まるでネイティブのようじゃない。
ローマ字カタカナ読みみたいな英語の方が主流なんですよ。
それでも通じる。

中学生の年代からでは(小学生の年代でも)、発音はネイティブみたいにぜったいなれませんが、記憶している単語が増えてくると,ヒアリングは大丈夫になる。
聞き取れない原因の大部分は,語彙不足なのだ。

コミュニケーションの基本は「通じる」ということ。
意思の疎通ができるということ。
言いたいことがある、ということ。
知りたいことがある、ということなのだ。
決してきれいな発音じゃないんだ。

通じるためには何が必要か。
語彙である。単語数である。
それとある程度正しい文法。
ならば、単語をバリバリ覚えられる単純記憶に優れた中学校からの年代、文法を理解できるだけの論理力の身についた中学校からの年代で、しっかりと勉強するのが合理的なのだ。

日本人が英語ができない理由は単純。
中学から始めたのでは遅すぎる、というわけじゃない。
不勉強なだけ。
しっかりやらないだけ。
きちんと教えないだけ。

ただし、中学から英語を始めるとしても、小学校卒業までにやっておくべきことはある。
アルファベットの読み書きである。
ヘボン式ローマ字の読み書きである。
これは国語の授業や家庭学習でしっかりやる。
4年生から始めて、5~6年までに徐々に完璧にしておく。

アルファベットの読みは「フォニックス」も活用したい。
小6の後半からは,筆記体も練習しておく。
このくらいの準備をしてから、中学へ進学する。
ならば中学から英語を始めてもまったく困らないはずだ。

  国際化というとすぐに英語教育という話になりがちですが、
  日本語ではっきり伝えられないことは英語でも伝えられるわけがありません。
                                      by大栗博司 

ぼくが帰省したときは、はっちゃんと1日1レベルずつ『論理エンジン・3年生用』をやっています。
1レベルやるのに20分間くらい。今日でレベル7まで進みました。
年内に3年生用は終わり、年明けから4年生用に入れそうです。
もちろん1月末に受検予定の漢字検定7級向けの勉強もしています。
これは平日も毎日。
アタマの良さとは国語力です。
小学生のうちに教育漢字の徹底習得と、論理的な国語力を身につけるのが最優先です。
『論理エンジン』は音読もできるので一石二鳥。題材の選択もとてもよい。

2013年10月20日日曜日

バカの一つ覚えの重要性

最近,JR北海道での事故で代表されるような,安全,保安を脅かすような技術的トラブルが多発している.
その原因は多岐にわたるだろうが,一番は保全技術の軽視であろうと思う.
保全作業というのは,一見いつも同じことをしている.変化がない.
言ってみれば,バカの一つ覚え,のような仕事なのである.

それを,創造的な仕事ではない,と考えてしまう人がいる.
創造性にばかり価値を置く人種である.
そんな仕事はだれでもできる,と短絡的に考える経営者がいる.
そんな仕事をわざわざ高い給料の社員にやらせることはないじゃないか,と.

定型的な保全作業なんだから,マニュアルを整備し,だれでもそれを見て作業できるようにすればいいじゃないか.
だから,作業員はアルバイトや短期雇用でいい.
社員は監督する人だけいればいい.
そうすれば人件費が減り,収益も上がる.
運賃の値上げもしなくてすみ,消費者だって喜ぶ.

そう言う人がいるけど,それは違う.

保全産業のマニュアルは量質とも高い.
それを読みこなすには一定の技量が必要だ.
ファーストフードの店員さんが参照するマニュアルとはまったく別物なのだ.

マニュアルは読みこなせるだけでは不十分だ.
トラブルがあった時に,瞬時に対応できるためには,マニュアルの内容を記憶しておかなくてはならない.
少なくとも,その対応法がマニュアルのどこに書いてあるかわかり,すぐにその部分を読んで行動に移せるようにしておかなくてはならない.


ファーストフード店のようなごく簡単なマニュアルでさえ,きちんと読んで,理解して行動できない人もいる.
店にダメ店員がいて,マニュアル外のことをしてお客さんが怒ったとしても,店長が謝ればそれですむ.
だが保全業務の場合,取り返しの付かない事故につながってしまう.

マニュアルを読みこなし,それをある程度記憶し,瞬時に対応できるようにする.
読むだけではダメで,実際に操作する機械や施設と関連させながら,具体的に内容を把握していく必要がある.
全くゼロからスタートするアルバイトや短期雇用の者に,それを期待できるだろうか.
アルバイトや短期雇用で勤務する者が,いつこの仕事を辞めるかわからない状況で,そんなめんどうなことをしたいと思うだろうか.

そして監督者の育成.
保全技術のマニュアルは,全て実際の機械や施設と強く関連している.あたりまえだけど.
だから,その機械,施設を実際に取り扱う経験がないと,マニュアルを具体的には理解できないのだ.

たとえば昨日まで経理の仕事をしていた社員が,保全作業の監督はできない.
マニュアルを読んでも字面しかわからないからだ.
監督者も具体的な保全作業を通してしか育たないのだ.

定型的な保全作業なんだから,マニュアルを整備し,だれでもそれを見て作業できるようにすればいいじゃないか.
だから,作業員はアルバイトや短期雇用でいい.
社員は監督する人だけいればいい.
その方針に変えても,最初のうちはうまくいく.
監督者がいるからだ.

その監督者は長い年月をかけて,マニュアルを読み込み,実際の機械,施設を操作し,保全してきたからだ.
だから未熟な作業員に対して適切な指導もできるし,その結果を評価し,ダメなら是正することもできる.

けれどもその監督もやがては年を取り,リタイアしていく.
その時,その代わりとなり,引き継ぐことのできる人材がいるか?
いないのである.
仕方なく,昨日まで経理をやっていたような人を配置してしまう.
こうして事故は起こるのである.

2013年10月14日月曜日

学校と塾とのバランスの取り方

子どもを勉強好きにし,得意にさせる方法は決まっています。
それは「先取り学習」をさせることです。
今学校で習っていることより、ちょっとでも先まで勉強すること。
でも先までやるのは,読み書き計算だけでいいんですよ。
あまりあれもこれもやると、親も子も大変ですし、逆効果になる場合もあります。
読み書き計算なら親でも教えられますよね。
読み書き計算は、学校の進度より先へ,先へと勉強しちゃう。
漢字検定や算数検定を利用するのもいいですね。
先取り学習をする場合でも、つるかめ算など,親には教えがたいものは学校に任せてよいのです。
読み書き計算を先まで勉強すると、学校でちょいと難しい内容を習っても平気。
授業時間内でほぼ完全に理解できてしまうようになります。
理解できれば嬉しくなり、楽しいから授業に積極的に参加するようになる。
つまり、学校での勉強が楽しいものになるんです。
人間は7~8割方理解できることに興味を持つようにできています。
よく分からないことを聞かされるのも嫌だし、分かりきったことを聞かされるのも嫌なのです。
読み書き計算のチカラがあれば、理解の基礎となる技能がすでにあります。
しっかりした基礎、土台の上になら、複雑なものだってしっかり建てることができるわけです。
その意味で、早い時期からの進学塾通いは反って損になる場合もあるんですよ。
細々したことまであまりにも先に勉強してしまう。
だから学校の授業は全部知っているものばかり。
それで学校の授業がつまらなくなってしまう。
学校の勉強を馬鹿にするような子どもも、早くから塾通いをしている子どもにけっこういるんですよ。
そうなると、学校へ通う時間が無駄になってしまいます。
学校の授業が面白くなくなってしまいます。
1日6時間(主要教科は4時間)を無駄にする恐れも高くなっちゃうんです。
これは反って子どもの知能を阻害します。
進学塾に通わせて,お金と時間と労力を使って、子どもをバカに育ててしまうことになりかねません。
進学塾も、しっかりとした基礎学力が身についた子なら通う意義があります。
塾の先生の話も学校では聞けない知的満足感を与えてくれます。
いろんなところから通ってくる聡明な子どもたちとの交流も刺激的です。
でもそれが、学校の授業をないがしろにしてしまうようなことにしてはいけないと思います。
進学塾は志望校が決まって、基礎基本もしっかり身につく5年生あるいは6年生になってからでも遅くないと、我が家では考えているのです。

2013年10月6日日曜日

子どもの仕事は勉強と遊び

我が家は今のところ、月2回ほどのボーイスカウト活動以外、スイミングなど習いごとはさせていません。
当然,塾も通わせていません。
毎日家で、宿題も含めて学年×20分間、つまり小3のはっちゃんは60分間、小1のとんたんは20分間、勉強させているだけ。
我が家では、「勉強は子どもの仕事の一つだよ」と教えています。
家事と同じように、毎日やらなくちゃいけないこと。
たくさんはやらなくていいけど、さぼっちゃいけないこと。
 
子どもを勉強嫌いにしないコツは、かならず始める前に「目標」を決めることです。
何時までやるのか、何をどこまでやるのか、最初に明示する。
つまり、ゴールを示すのです。
 
今日は○○時から△△時まで勉強するよ。
この本の何ページから何ページの計算問題と、漢字2文字の練習だよ。
そんな風に。
 
低学年のうちは,時間で区切るのがいいです。
短時間でよいので集中する。
集中すれば早く終わるようになる。
時間に余裕ができる。
そうなったら徐々に量を増やす。
集中できる時間も延ばす。
 
集中できるようになると、たった20分間でもずいぶん量をこなせるようになるんです。
しかも間違いなく。
勉強は長時間だらだらやっても意味がない、ってことも伝えられます。
子どもが幼少のうちは、だらだら勉強しないようにちゃんと見てあげるのも親の役目ですね。
見てあげられるように、ダイニングのテーブルで勉強させる。
家事の合間にでも見てあげられる場所で勉強させるのがいいです。
 
そしてゴールに到達したら,それ以上は求めない。
すぱっと止める。
その方が集中力が身につくのです。
 
勉強が終わったとき、いちいち褒めなくてもいいです。
だって、子どもの仕事なんですから。
義務なんですから。
やってあたりまえのことなんですから。
 
その代わり、学校のテストでいい点数を取ってきたときとか、検定試験に合格したときは褒める。
お祝いする。
そういうメリハリは必要でしょう。
 
集中力が身につくと、何事も早く終われるようになります。
つまり、時間に余裕ができます。
そしてあえて子どもに退屈な時間を与えるんです。
すると子どもは自ら工夫して楽しいことを始めます。
 
我が家はお稽古事も塾通いもさせる気はない。
それは、子どもにはボーッとする時間が必要だと思っているから。
本当に楽しい遊びは、他から与えられたものではない。
自ら生み出したものこそ楽しいんですよ。
子どもには「遊び」も必要です。
「遊び」も子どもの仕事の大切な一つなんですから。
 
毎日子どもに勉強させることは、親の時間と心にも余裕をつくります。
学年×20分の勉強をさせていれば、子どもが気ままに遊んでいても、親の心は平穏でいられます。
ぼくから言わせてもらえば、本来親がやるべきことをやっていないために、不安感が高くなってしまっているので、子どもがだらだらしているのが嫌で、お稽古事や塾通いで子どものスケジュールをびっしりにしてしまうのです。
で、その送り迎えで親の時間的余裕も奪う。
 
ただし、我が家も塾は小5後半か小6になったら通わせようかと思います。
体力があって基礎学力が十分身についていれば、塾は知的に楽しい場所です。
学校では得られない、学校では教えてくれない,楽しい勉強ができると思うから。
塾のトップクラスの先生は素晴らしく、そこに集う子どもたちもめちゃ優秀。
ぼくも若い頃進学塾講師を仕事にしていましたが、その頃のことを思い出してもトップクラスの子どもたちとの授業は楽しかった。
そういう体験をするために、塾に行くのも悪くないと思っています。
 

2013年10月5日土曜日

子育ての段階

我が家では,子育てをだいたい以下のように段階的に考えています。
 
3歳までは「心育て」.
この世に生まれてきたよかった,と思わせるように溺愛する.
 
10歳までは「アタマ育て」.
学力の基礎を身につけさせ,学び方と学ぶ習慣を身につけさせる.
 
15歳までは「精神育て」.
感情に走らず,かといって感情を失わず,合理的に論理的に,周りの人の幸せまで考えられるようにする.
 
24歳までは「自分育て」.
15歳まで身につけた基礎を使って,自分の心とアタマと精神を,自ら鍛えていく年代.
 
それぞれの年代に応じた体力作りも大切だね.
体力がないと気力もわきませんから.