2010年11月30日火曜日

冬は乾く!


こんにちは

寒くなってきましたね。
子どもの頃アトピー性皮膚炎だったぼくは、今でも乾燥肌で、冬になると肌がバリバリに乾燥します。
これがかゆいのね。
かゆくてひっかくと、肌が白く粉を吹いたようになっちゃいます。
ホントに皮膚の表面から白い粉がパラパラと落ちていきます。
するとそこから血がにじんできたりして。。。
かかとの皮膚もぱっくり割れて、イマドキあかぎれ状態になったりします。イテテテ。。。
なるべくそうならないように、お風呂上がりに皮膚の保湿クリームを全身にたっぷり塗ります。
朝、出勤前にも全身に塗りたくって出かけるんです。
ホント、冬はぼくにとって嫌な季節です。

冬は空気が乾燥しますよね。
女性の方でも肌の弱い方は、唇が割れたりするでしょう。
それは空気が乾燥して、皮膚や唇から水分を奪っていくからです。
特に冬のオフィスの空気はカラカラだったりします。
ぼくの執務する事務所の湿度は20%くらいしかありません。
乾燥した空気は、風邪の素にもなります。
湿度40%以下になると、インフルエンザウイルスも活発になるんだそうです。

我が家のエアコンは、戸外の温湿度も測定してくれます。
それで測ってみると、冬でも外気の湿度は40%~50%もあります。
湿度としては十分あるんです。
なのになぜ冬のオフィスの空気は乾燥してしまうんでしょうか。

原因はエアコンです。
普通、湿度と言っているのは「相対湿度」のことです。
相対湿度とは、ある温度において最大限とけ込める水蒸気量に対して、今とけ込んでいる水蒸気量の割合を%で示したものです。
空気にとけ込める水蒸気量は、温度が高いほど多くなります。
つまり、温度が低い屋外の冷たい空気は湿度40%と言っても、そこにとけ込んでいる水蒸気の量はちょびっとでしかないわけです。

屋外の空気を取り込んで、エアコンで温度を上げます。
通常のエアコンは、温度を調節する機能だけを持っています。
温度が上がれば最大限とけ込める水蒸気量は増えますが、もともとあった水蒸気の量は変わりません。
よって、相対湿度は低下してしまうというわけです。
だいたい1℃温度を上げると、湿度は5%程度下がってしまうのです。
こうして部屋の空気はカラカラに乾いてしまうわけです。

乾いた空気は、たくさんの水蒸気を溶け込ませることができます。
ぼくたちの体からどんどん水分を奪っていってしまうのです。
それで肌が乾燥したり、唇が割れたり、あかぎれが切れたりするのです。

昔の石油ストーブやガスストーブの場合、エアコンでの暖房ほど乾燥しません。
なぜなら、石油や都市ガスが燃焼すると、燃料から水蒸気も作られるからです。
燃料が燃えることによって作られる水蒸気で、部屋の湿度は快適に保たれるわけです。
おまけに、ストーブの上にヤカンでもかけておけば、加湿はバッチリでした。
最近の石油ストーブやガスストーブの中には、燃焼ガスを直接屋外に排気するものもあります。
これだと室内の酸欠や一酸化炭素中毒の危険は避けられますが、燃焼して作られた水蒸気も屋外に排気されてしまいます。
なので、室内は乾燥してしまうので注意が必要です。

エアコンでの暖房は、さらにやっかいです。
エアコンでの暖房時は、つい温度設定を高くしがちなんです。
エアコン室内機は、たいてい天井や天井近くの壁に取り付けられています。
暖かい空気は軽いので天井近くにたまります。
すると、床近く、足下がなかなか温まりません。
ぼくの勤務する事務所で計測したところ、エアコンの設定温度が25℃のとき、エアコンから吹き出す空気の温度は35℃もありました。
なのに足下は16℃しかないんです。

事務所のエアコンのセンサーは、高さ1.5mの壁に取り付けられていました。
センサーの位置での温度が25℃になるように、エアコンは制御されているんです。
だからセンサー位置が設定温度になったら、エアコンは動作を止めてしまいます。
足下は寒いままになってしまうのです。
足下が寒いと寒さが和らぎませんから、エアコンの設定温度を上げることになります。
30℃くらいの設定にしちゃったりね。
こうすれば足下を20℃くらいになりますが、今度は顔のあたりが30℃近くになってしまいます。
顔、頭が熱くてボーッとしちゃいます。
おまけに高い気温で空気はカラカラ。
肌は乾燥し、唇がひび割れてきます。
こうなると、ちょっとやそっとの加湿器では湿度を上げることができません。
たくさんのエネルギーを使って室温を上げ、さらにエネルギーを投入して加湿し、それでも肌は乾燥し、のども痛めて風邪をひく。
いいこと何もありませんよ。

ともかく、冬のエアコンの乾燥対策で重要なのは、必要以上に室温を上げないことです。
ウォームビズでちょっと厚着をして、室温はほどほど、18℃くらいにする。
この程度の室温だったら、不足した湿度は小さめの加湿器でも十分補えます。
エアコンで足下が寒いままなのは、暖かい空気が天井近くに滞留してしまうからです。
この暖かい空気を足下まで持ってくるといい。
サーキュレータや扇風機で、室内の空気に流れを作ってやるのもいいことです。

ぼくの作ったスパコン棟の研究室は、床吹き出し空調を採用しました。
普通のエアコンは天井から空気が吹き出しますが、床から吹き出すんです。
計算科学の研究者ですから、床下に配線スペースが必要です。
この配線スペースを、空調ダクトとしても兼用するわけです。
空調機からの空気を高さ20cmの配線スペースに吹き込みます。
研究者が座っている近くの床には、吹き出し口があります。
人のいるそばしか空調しないので、とても省エネにもなります。
床下が空調ダクトになっているため、床全体も適温にすることができ、足下ぽかぽか床暖房のような効果もあります。
そのため、吹き出し空気の温度も25℃程度でよく、空気の乾燥も防ぎ、省エネにもなります。
いいでしょー!

2010年11月29日月曜日

ワークライフスリープバランス!


こんにちは

11月は忙しかったですよー。
今ぼくの担当している建設工事はみな去年の補正予算。
どれも来年2月か3月に完成させなくちゃなりません。
そこから逆算すると11月中に、高低圧盤など製作品の工場立ち会い検査を終えておかなくちゃならない。
それと平行して、施工図などもすべて完了させ、工事費の精算処理もめどを立てておかなくちゃいけない。
和光、筑波、神戸、播磨とあちこち同じ状況なんです。
出張も多く、仕事も錯綜していました。
それに加えて、プライベートでは長男のお受験。
出張から深夜に帰宅して、翌朝お受験面接に向かったりもしましたよ。
あー大変だったー。
この忙しさは12月も続きます。
今度は受電が12月に集中です。
受電は電気工事の要ですから、気が抜けません。
楽しく充実した日が続きます!

忙しい時期、ぼくが気をつけているのは当然ながら健康。
健康を害して倒れてしまっては困ります。
なんたってぼくの代えはいないんですからね。
そういう自負を持って、張りのある生活をしています。
で、健康のために一番大切なのは睡眠です。

吉越浩一郎『あなたはなぜ働くのか』大和書房¥1400-から引用します。

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少し前から「ワーク・ライフバランス」なんて言葉をよく聞くようになりましたが、その考え方でいえば「ワーク・ライフ・スリープマネジメント」が必要だと私は考えます。
特に日本人にとって必要な考え方です。
私が知る限り、忙しいビジネスマンが一番犠牲にするのが睡眠です。
遅くまで仕事をしていても、翌朝は同じ時刻に出社するのですから、睡眠が削られるのも当然です。
「若いうちは多少寝なくても大丈夫」と思っている人も多いでしょうが、知らず知らずのうちにそんな習慣が身についてしまい、体を犠牲にする生き方に慣れてしまいます。
たしかに、若いうちは大丈夫かもしれませんが、そう思っているうちにその習慣から抜け出せなくなってしまうのです。(32p)
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人間の脳は最低でも5時間眠らないと、元気が回復しません。
これは科学的事実です。
5時間以上眠らないと、脳波は酩酊状態と同じようになってしまうのです。
酩酊状態とは、思考力、判断力が鈍ってしまう状態。

交通事故でも、酒酔い運転と共に最も危険なものは居眠り運転なんです。
居眠りが危険なのは当然ですが、睡眠不足による判断力が鈍ってしまうことが事故につながる。
酒酔い運転は取り締まることができますが、睡眠不足は計測ができないので取り締まれない。
それが交通事故が減らない大きな理由であると、ある本に書いてありました。

普段の仕事でも同じなんです。
ちゃんと眠って脳を回復させないと、思考力、判断力が鈍って、いい仕事はできませんし、事故の素にもなる。
仕事が佳境の時は残業もしなければならないけれど、最低5時間の睡眠時間は確保できるように段取る。
そうしないとせっかく残業しても効率が落ち、意味のない残業になってしまいますから、反って損なんですよ。
睡眠不足は、正規の労働時間中の効率も落としてしまいますから、まったくもって損失以外の何ものでもない。

陰山英男『百ます計算の真実』学研新書¥740-にはこうも書いてありました。

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三池輝久さんという小児発達学の先生が、不登校は睡眠の不良からくる体調不良なのだと発表しました。
慢性疲労症候群、つまり睡眠不足によって子どもたちの生物的な自立能力が非常に弱ってしまい、体内時計が完全に狂って、朝きちんと起きられなくなる。
それが不登校の重要な原因だと唱えたのです。(83p)
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睡眠不足、睡眠不良は心にも悪い影響を与えます。
子どもは脳がまだヤワラカイので、ダメージも大きいんでしょうね。
不登校の重要な原因が睡眠不足だという事実にはびっくりです。
小学生なら最低8時間は眠らないとね。
きちんと朝6時に起きるとすると、遅くとも10時には眠る。
塾通いするとしても、そこは外してはいけないんです。
名門灘中高の先生は「たっぷり眠れ」と指導するそうです。
睡眠を削ってまでの勉強に意味がない、反って害悪が大きいことを知っているからでしょう。

大人も子どもも、いい人生のためにはワークライフ&スリープバランスが大切なんです。
よく眠りましょう!


先週土曜日は和光に建設中の脳センター新棟の高圧ケーブルを特高変電所に接続する工事でした。
厳しい工程の中ですが、スタッフもまあまあ十分な睡眠が取れるように段取っていますから、頭脳はクリアなんです!

紅葉が鮮やかな理由


こんにちは

土曜日、和光研で脳センター新棟の高圧ケーブルを特高変電所に接続する工事の立ち会いをしました。
和光キャンパスもすっかり晩秋のたたずまい。
仕事のついでに銀杏や桜の紅葉も楽しめましたよ。
休日作業もなかなか悪くないものです。
しかしなぜに紅葉はあんなに鮮やかな色をしているのでしょうか。
家に帰って調べてみました。

紅葉の色は、アントシアニンという赤紫の色素の色です。
実はこのアントシアニンは蛍光性の化合物なのです。

私たちがものを見るということは、ものからやってくる光を見ているのです。
ものからやってくる光には、次の三つがあります。

1.反射した光
2.透過した光
3.そのもの自身が発した光

この中で最も鮮やかに見えるのは、3,そのもの自身が発した光です。
反射した光、透過した光はちょっとくすんで見えます。
映画はスクリーンに光を当てて反射させますが、くすんでしまうために真っ暗な部屋で映写し、相対的に鮮やかさを増すようにしています。
液晶テレビは液晶パネルを透過した光を見ていますから、少しでも鮮やかに見えるようバックライトの輝度を上げています。
最近、道路の信号灯はLED=発光ダイオードのものに置き換えられています。
これはLED自身が発した光のためとても鮮やかにはっきりと見えるためです。
昔の信号は内部の電球の光を赤や緑のガラスを透過させたものだったので、特に日中明るい場所ではよく見えないこともありましたね。

さて、紅葉の色の素であるアントシアニンは、蛍光性化合物です。
蛍光ペンの色と同じ色素です。
蛍光性の物質は、その分子に当たった光をいったんエネルギーとして蓄え、それからその分子固有の光を発します。
だから蛍光ペンで塗った場所は、鮮やかにくっきりと見えるのです。
それと同じく紅葉した葉にある蛍光性物質であるアントシアニンは、そのもの自身が光を発しているのです。
よって、アントシアニンを含んだ紅葉の色は、目にも鮮やかな色に見えるというわけです。


和光キャンパスの紅葉の様子です。
キレイ、キレイ。

2010年11月28日日曜日

相生名物「うまいか」は美味い!


こんにちは

SPring8出張の帰りに必ずこれを買って帰ります。
SPring8の最寄り駅、相生にある湊水産製のいかフライ。
いかフライっていったって、そんじょそこらにあるものと違いますよ。
これがめちゃくちゃ美味いんです。
我が家は、妻も子どもも大好きです。
二袋買って、ぼくも帰りの新幹線の中で本を読みながらつまむ。
サイコーですぜー。

相生名物「うまいか」
http://www.minato-umaika.com/product_umaika.html

おやつによし、お酒のつまみによし、ごはんのおかずにもなっちゃうんです!
今回、これを共同購入したいと思います。

うまいか 1kg入 \1890-
     360g入   \840-

送料が740円なので、同僚、お友達と一緒に注文するといいと思います。
オススメします!

安心が信頼を生む


こんにちは

神戸に建設中のiPS細胞研究棟の電気工事の若い現場代理人さんからメールが届きました。

 本日予定通り、無事キュービクル等の搬入が完了しました

おお、よかった!
iPS細胞研究棟は敷地の奥まった場所での工事なので、資材の搬入も手前にある渡り廊下越しの作業になります。
キュービクルという高圧変電設備のような重量物は、渡り廊下の手前でクレーンで吊って、渡り廊下の上を越えてiPS細胞研究棟屋上へと持ち上げます。
途中で落っこちてしまったら、そのものが壊れるだけじゃなく、渡り廊下まで壊してしまいます。
やはりヒヤヒヤした作業でしたので、ぼくも心配していました。
なのでこのメールでとても安心しました。

ぼくは同僚や施工スタッフたちに繰り返しこう言っています。

 一番のサービスは客を安心させることだよ

って。
客とは狭義な意味ではなく、自分と関わるすべての人という意味です。
これらの人たちに安心感を与えられるから、協力もしてくれる。
そうなれば仕事はスムーズに進むし、自分のやりたいことがよりやりやすくなっていく。
不安にさせられたら誰だって協力しようなんて思えないですからね。

不安が募ると「不信」にもなってしまいます。
不信感が強まると、そのリカバーには相当なエネルギーが必要になってしまう。
そこまでいく前に不安感を取り去る、与えないことが大切だと思っています。

人生とは自分の信頼度(クレジットレベル)を上げていく過程だと思います。
いきなり信頼度は上がりません。
一つ一つの仕事を誠実に完成していくことを通じて上げていく。
そうやって信頼度を上げ、周りの人たちを安心させ、ハッピーにしていく。
その意味で、iPS棟電気工事の若い代理人さんは合格ですね!
信頼度がアップしましたよ。

『致知』07.11月号に、住宅メーカーの営業マンの田中敏則さんのインタビューが載っていました。

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営業のプロとして、絶対に貫いていただきたいのは、お客様の不安感を速やかに解消してさし上げるということです。
お客様はその節目節目において常に不安感とか、不信感を抱かれるものです。
住宅で申しますと、着工、竣工、契約、後はメンテナンスなどいろんな節目がございます。
そこでお客様が抱いておられる不安感を、速やかに解消してさし上げるのが、プロとしての道であると私は思っております。
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田中さんは口べたな営業マンだそうですが、安心感を客に売ることによって、住宅も月3棟コンスタントに売れるのだそうです。
安心だったお客さんが、知り合いを紹介してくれる。そういうお客さんの連鎖ができるので、売れ続けていくわけです。

田中さんの営業のコツも「安心感」。
安心感を与えるために、田中さんもマメにお客さんと連絡を取り合うそうです。
安心は信頼を得るための近道でもあるんですね。
お客さんからクレームが来る前に、「どうですか?」と電話を入れる。
何か不具合があっても、先に聞いてもらえると言いやすいし安心ですよね。

ぼくも真似していきたいと思って実践しています。
出張に行っても、仕事が終わってすぐ帰ることはしません。
30分でも1時間でも現場をふらふら見て歩きます。
あるいは、ぼくは昼飯を食べる習慣がないので昼休みを活用して歩き回る。
建設中の現場なら、ちょいとやばい施工がないか見る。
職人さんたちに挨拶し、ちょこっとお話しする。
完成した建物なら、どんな風に使われているか見る。
研究者の方たちとおしゃべりする。
そうやって問題がないかどうか早めに発見するようにしているんです。

それもこれも安心のためですね。
完成前にやばいところがないようにする。
それによって施工している人にも安心してもらう。
完成してからやり直しがあると、手間もお金もかかりますから。
完成後も使う人に安心してもらう。
完成後使いにくいって話は、たいていは使い方がよく分からないから。
設計意図を説明して、使い方を教えてあげれば、80%くらいのことはその場で解決。
直さなきゃならないところがあれば、即手配する。
そうやって安心してもらうわけです。
たとえ不具合があっても、即直すことができれば、反って感謝されたりもするんですよ。


iPS研究棟の建設現場はこんな厳しい場所なんです。

2010年11月27日土曜日

新巻鮭なら西別産!


こんにちは!

お正月といえば新巻鮭。
新巻鮭といえば北海道。
北海道産新巻鮭の中でも最高級品が、この別海西別産。

別海漁協
http://www.aurens.or.jp/hp/betsugyo/

特に昔ながらの製法で作った「献上造り」は絶品。
毎年すぐに売り切れてしまいます(今年ももう売り切れでした。。。)

まだ入手可能な「甘塩造り」もなかなか美味いですよ。
しょっぱい味、お茶漬けの好きな方は「山漬造り」もよろしい。
オススメします!

パートナーでありたい

こんにちは

よくいますよね、業者さんに対して合理的理由もなく値切ったり、たいした欠点でもないのにねちねちと大げさに文句を言う人。
それってかなり格好悪いんですけど。

もちろん、ふっかけた見積だったり、市場価格からみて不適当だったりすれば、値切るのは当然です。
値切ると言うより、適正な落としどころを探る、ということでしょうか。
でもそうじゃなくて、自分の権力を誇示したいがために、無理な値切り方をする人もいるんですよね。

欠点だってそうです。
いくら適切に品質管理された工場製品でも、時には不良品もあるのは必然です。
不良品を0にするような検査をしてしまうと、製品価格がとても高額になってしまうわけです。
不良品率と価格をバランスさせているのが、今の工業製品なんです。
不良品がある程度混入することを織り込んであるものなのです。
要するに「歩留まり」ですね。
だから不良品だった場合、適切に直したり、迅速に交換してくれればそれで済むはずなんです。
それをネチネチとやっても、それは権力誇示以外のなにものでもありません。

だいたいこういうねちねちおじさんって、自分の会社の中ではあまり評価されていないんです。
男には「権力欲一定の法則」が働いていて、どこかで自分の権力をふるいたいと思っているんですね。
社内的に認められていて、権力欲がある程度でも満たされていれば、業者さんにも優しくなれるはずです。
そうじゃないから、弱い立場の人に対して権力欲を満たそうとするわけです。
ドメスティックバイオレンスに陥るおじさんも、たいてい社会的に認められておらず、そのはけ口として家庭内での弱者である妻や子どもに暴力を向けることは、精神医学的にも証明されていることなんです(え?妻は弱者じゃないって??あはははは)。
ぼくはそういう中年オヤジになるのは嫌です。
だから、自分の腕を磨き、適度に出世し、活躍の場を確保し、社内的にも人望を築けるよう努力もしているわけです。

松永真理『iモード以前』岩波書店\1400-から引用します。

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社内で編集が何であるかを教えてもらったことはなく、外部の方たちこそが編集の師匠であった。
後に私がドコモに転職した時、外部スタッフに対して「発注」という言葉を使うのがずっと馴染めずにいた。
仕事を知らない新人までが頼んであげてるんだと、スタッフを業者扱いする。
相手より自分が一段高いと思うつまらないプライドが、仕事をつまらなくする元凶だと感じていた。
「発注」ではなく「依頼」、「業者」ではなく「パートナー」である。(59p)
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あー、ぼくも同じですよ、松永さん!
ぼくも今の職場に入った15年前、具体的な仕事を教えてもらったのは、ぼくが初めて手がけた研究棟の現場代理人だった方からなんです。
ほぼ無経験で始めた仕事でしたが、この方に基礎から教えてもらえたので非常に助かった。
その時からぼくも、発注者と業者という上下関係ではなく、一緒にいい仕事をしていくパートナーだと思っているのです。

松永さんはこう言います。

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人は、他人から認められると嬉しい。
人は、やったことがカタチになると嬉しい。
人は、自分なりの工夫を凝らせると嬉しい。
人は、自分の意見が受け容れられると嬉しい。
人は、生きている実感を感じられると嬉しい。
人は、新しいことを知ることができたら嬉しい。
人は、時間がたつのを忘れて没頭できると嬉しい。(151p)
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人は仕事をして嬉しいとき、いい仕事ができるんだと。
それにはパートナーが必要です。
出会った途端にパートナーになるなんてことはありません。
お互いに徐々にでも信頼(クレジットレベル)を高めていって初めてパートナーになれるわけです。
だからいたずらに不信感を強めるようなことはしてはいけない。

もちろん、発注者側と受注者側という立場に対する節度は必要ですよ。
馴れ合うのではなく、不当なことには正々堂々と不当だと言い切れることも大事。
ハッキリ言える関係もパートナー足りうる条件じゃないでしょうか。

お互いパートナーとして認め、パートナーとして認められる。
つまりお互い尊敬し合う関係。
そういった関係を築いていければ、仕事は楽しくなりいい仕事ができるようになるんだと思っています。

美味くて安い干し芋ならこれ!


こんにちは!

秋も深まってきましたねー。
冬の味覚といえば「干し芋」です。
本場茨城の干し芋は美味いですよー。
我が家の秋から冬のおやつはコイツが定番です。

永井農園の干し芋
 平干し芋 ¥1450-/kg(税込み)
 丸干し芋 ¥1650-/kg(〃)
http://www33.ocn.ne.jp/~nagai_nougei/index.html

冷蔵庫なら1ヶ月くらい、小分けにして冷凍すれば3ヶ月くらい保ちます。
でもたぶん美味いから、あっという間に無くなっちゃいますけどねー。

ただし送料がだいたい¥1500くらいかかります。
なので、同僚やお友達と一緒に注文するといいと思います。

これからの季節、コタツに入って本を読みながら、干し芋三昧!
サイコーですぜー。

2010年11月23日火曜日

ミッションスクール


こんにちは

溌貴君満6才のおたんじょう日に受験した第2志望校から、合否通知が届きました。

 みごと合格!

でしたー。
あーよかったー。これで親も一安心です。
第1志望校からの補欠繰り上げのあるなしに関わらず、ともかく入学する学校が決まった。
家族中とてもホッとしています。
2次募集での受験でしたから難関だったと思います。
溌貴君、よくがんばったね~。

その学校とは、東京三育小学校というキリスト教系の学校です。
各学年1クラス、1クラス25人というとてもこぢんまりとした学校です。
小さい学校なので、とても眼の行き届いた丁寧な教育をしてくれます。
学力だけでなく、宗教教育を通じての心の教育もしてくれますしね。
何度か学校見学をして、そこは気に入っていました。

でも第2志望としたのは、この学校に行くと中学受験が必須なんです。
系列中学校はありますが、全寮制でそこに入るのはほぼ信者のお子さんだけ。
7~8割の生徒は中学受験して他の学校に行く必要があります。
中学受験は精神的にマセた子どもが有利。
精神的に幼い男の子には向かないんです。
溌貴君もきっとオクテだと思いますしね。
三育小学校はいい学校なんですが、そういう意味で第1志望にはしなかったわけです。
とは言え、高学年になって同級生たちが中学受験準備を始めたら、溌貴君もそれに感化されて勉強するようになるかもしれません。
それはそれでいいことかもしれませんしね。

ところでキリスト教系の学校を「ミッションスクール」と呼びます。
ミッションは英語のmission=作戦という意味です。
ミッションインポッシブルのミッションと同じ。
ミッションには「使命」という意味もあります。
キリスト教系の学校には、使命が与えられているのです。
それはキリストの教えを世の中に広めるための使命ですね。

ミッションスクールは進学校が多いです。
キリスト教の教えを通じた人間教育はもちろんですが、勉強もガッチリやらせる。
それはなぜか。
ミッションがあるからなんですよ。
誰だってくだらない人間からは影響されないものです。
影響されるのは、立派な人からというのが常識です。
だからキリストの教えを広めるという使命を持った生徒たちを、立派な人に育てなくちゃいけないわけです。
そうやって社会の中心に人材を送り込む。
優秀で立派な人の行いは、人々を感化していくわけです。
それがミッションスクールの使命であり、作戦なんですね。

溌貴君も優秀で立派な人になってもらいたいですねー。

2010年11月22日月曜日

溌貴君、満6才になりました!


こんにちは

昨日11/21(日)は溌貴君の満6才のお誕生日。
ようやく6才かー、という気持ちと、もう6才になっちゃったのかー、という気持ちが両方同時にしますよ。
すっかり少年のようになりました。
家のお手伝いもするし、としきくんのめんどうもよく見るし、おじいちゃん、おばあちゃんにも優しいし、いい子に育っていると思います。

お誕生日にぼくら親からは、お誕生カードを贈りました。

 はつきくん、6才のおたんじょう日おめでとう。
 いつもおてつだいをしてくれて、とてもたすかります。
 ありがとう。
 心も体もぐんと大きくなりましたね。
 たくましくてやさしいはつきくんが、大・大・大だ~いすきだよ。
                  お母さんより

 はつき君、おたんじょう日おめでとう!
 楽しく愉快な子どもに育ってくれて、とてもうれしいよ。
 もっともーと大きな人間に成長していってくださいね。
                  お父さん

今年からは、幼児期から少年期に脱皮の時期だと思います。
来年4月から小学生になり、行動範囲も人間関係も広がります。
徐々に困難なことも増えていくでしょう。
基礎基本を疎かにせず、自尊心を身に着けて、一つ一つ乗り越えていってほしいと願っています。
たくさんの「ありがとう」を集め、いつも笑顔でいられる人生を築いていってほしいですね。


ところで溌貴君のお受験の状況報告です。
筑波大附属小の抽選が先週木曜日にありましたが、残念ながらハズレ。
未だ補欠合格だった第1志望校からの連絡はありません。
なので第2志望校も昨日受験してきました。
さてさてどうなりますかー。
とても楽しみです!

2010年11月21日日曜日

日本の技術はすごい!

こんにちは

今年秋のスパコンの世界ランキング、top500が発表されました。
http://www.top500.org/list/2010/11/100
世界一は中国マシンでした。
3位も中国マシンですから、中国は大躍進ですね。
4位に日本の東工大ツバメ2が入ったのは嬉しいですね。
以後、ずーっと日本のマシンはなくて、33位にようやく原子力機構のマシンがランクイン。

もう少しランキングを見ていくと、我が理研の「京」も170位にランクイン。
初登場で170位はすごいでしょ。
しかも計算機たったの数台での成果なんです。
それで48テラフロップス!
かつて世界一だった地球シミュレータの性能を上回っています。
最終的には800台以上の計算機が設置、接続されます。
きっと世界一間違いなし!

数年前、教員仲間と子ども向けの理科の本を出版しました。
玉井裕和・宮内主斗編『役立つ理科こばなし 1.ものの世界の探検』星の環会\1260-という本です。
読者対象は小学校高学年。
小学5,6年生にもなると、思考力は大人と同じくらいある(足りないのは知識だけ)とぼくは思っているので、遠慮せずに高度なことを書きました。
一つのテーマで10ページありますから、かなりつっこんだ解説が書けました。

ぼくの原稿では、我が職場理化学研究所で発見(合成)された113番元素の話なども盛り込みました。
また世界のトップを走る光学望遠鏡「すばる」についても書きました。
もちろん表現や漢字の使い方は配慮してあります。
理科好きの男の子って、国語はからきしだったりするから(ぼくもそうでした^^;)。

すばる望遠鏡の稿では、大口径の反射鏡を支える「能動光学系」についても触れました。
直径8mもあるすばるの主鏡の厚さは、たったの20cmしかありません。
薄っぺらいんです。
だからそのままでは重力によってゆがんでしまって、使い物にならない。
それを解決するのが「能動光学」。
ゆがんだら、鏡の後ろについている何本ものアクチュエーターという機械の腕で、押したり引いたりしてゆがみを直してしまう。

その制御装置を開発したのが三菱電機という日本のメーカー。
その技術はすごいものです。
望遠鏡を動かす度に鏡のゆがみ方が変わりますが、あっという間に直してしまう。

そしてどっちの方向に向けたらどれだけゆがむかを記憶して、同じ方向に望遠鏡が向いたらそのデータを元にささっとゆがみを直す。
だからすぐ観測に入れるってわけです。

原稿では触れられませんでしたが、すばるの追尾装置も高精度です。
地球の自転によって、星の位置はどんどん変わっていってしまいます。
遠くの暗い星や星雲を観測するには、長時間カメラで露光しなければなりません。

すばるの追尾装置は、星が動いてもぴたっと着いていきます。
別に日に同じ星を観測するときも、自動的にその星の位置まで望遠鏡の先を向けることができるのです。
この追尾装置も三菱電機が開発したものです。

ぼくは原稿の中に「三菱電機」という社名を書きました。
それに対して編集者から<<「三菱電機という」固有名詞を省いた方がよいのではないかと思います>>というコメントが入りました。
それに対してぼくは具体的な会社名を書いた理由を以下のように述べました。

 具体的なメーカー名があった方が、子どもの興味を惹くと考えました。
 TVコマーシャルなどで社名を聞く度に、「あ、すばる望遠鏡のアクチュエーターを開発した会社だ」と思う。
 その度に「日本の技術ってすごいんだよな」って子ども達に思って欲しいと願っているのです。
 具体的なメーカー名がないと、この話はこの本の中で完結しちゃうと思うのです。
 広がりが少ない。

編集者の方も理解してくださり、そのまま本に印刷されました。

別にすごいのは三菱電機だからじゃなくて、他にも世界のトップレベルの技術力を持つメーカーは日本にたくさんあります。
ただ、名前が知れていて、テレビなどでよく目にするメーカーとして三菱電機を取り上げたに過ぎません。
ぼくの意図が、うまく子ども達に伝わると嬉しいですね。

ちょっと心配なのは日本の中に工場がどんどんなくなっていること。
つまり、ものを作る現場がなくなっている。
たとえば、すばる望遠鏡の架台を日本で製作して仮組みして試験したのは、大阪の日立造船の工場でした。
元々はでっかい船を造るための工場でしたが、船を造ることはほとんどなくなっていて工場は空いていたので、すばる望遠鏡を組み立てることができたのです。
でもその工場は今、ユニバーサルスタジオジャパンに変わっちゃっています。
ものを作る場所と技術は、対のものです。
ものを作る場がなくなることは、すなわち技術もなくなることを意味します。
スパコンもそうですね。

「京」の心臓部、CPUは富士通独自につくったものです。
このCPUが完成してから1年半経ちましたが、未だ消費電力あたりの計算性能では世界一です。
こういうすごいものを作る技術が日本にはあるんです。
それを無くしちゃいけませんよ。

この本を読んだ子ども達が大人になる頃にも、まだ日本の技術は世界のトップを走っていることを願っています。
そしてこの本を読んだ子どものうち何人かが大人になって、夢や希望を持って技術者や科学者になってくれ、日本の科学技術を発展させてくれることを願っています。
子どもたちが成長するまで、日本の科学技術を維持、発展させていくために、ぼくも貢献していきたいと思っています。
目指せ、世界一!!

2010年11月16日火曜日

100点より価値ある合格点を目指せ!

こんにちは

こういう思考実験をしてみましょう。

ある先生が子どもに漢字を覚えさせるために漢字テストをやってみました。
あらかじめ20文字の漢字を指定し、授業や家庭学習で十分練習させた。
テストをやってみたら、最低点の子は60点、12文字の正解でした。

どの子にも100点を取らせたいと思った先生は、今やったテストの結果から「問題数を10問にすれば全員が100点になるだろう」と予想しました。
だって20問のテストで最低点の子どもでも12問正解できたからです。

ところが実際に10問のテストを実施してみたら、全員が100点ということにはなりませんでした。
やっぱり最低点は60点、6問の正解でしかなかったのです。

なので、さらに問題数を減らし、1問だけのテストにしてみました。
1問だけならどんな子でもしっかり覚えて来て100点取れるに違いないと。
1問だけのテストを何回か実施してみました。
すると全員が100点の日もあるけど、やはり間違える子どももいる。
つまり0点ですね。
テストを何回か繰り返してみて、最低点を取る子の平均を計算してみると、やっぱり60点くらいになる。

これはただの思考実験ではありません。
「現実」なんです。

筑摩書房のPR誌『ちくま』03.09号の重松清さんと新井紀子(国立情報学研究所)さんとの対談「「わからない」からこそ、「わかる」が深くなる」から引用します。

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重松 新指導要領の発想では、考える過程を丁寧に見ていくことで点数を加算していくのではなく、教える内容を簡単にすることで0点をなくそうとしていますね。

新井 変な話なんですが、数学のレベルを下げても、やっぱりできない子の人数はあまり変わらないんです。
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問題を易しくすれば、問題数を減らせば、どんな子どもでも100点を取れると思うかもしれません。
でも現実は違うんですね。
易しくしても、課題を減らしても、できない子どもの人数はそう変わらないんです。

これを工業的には「歩留まり」といいます。
何かを生産するときに、必ず一定割合の不良品が出てしまう。
その良品率を歩留まりといいます。
不良品は少ないほどよいのですが、努力して工夫して不良品を減らしていっても、ある割合からはなかなか減らない。
それ以上歩留まりを減らすためには、相当の労力とコストと時間がかかってしまうようになります。
コストと時間が見合わないなら、工業的には意味がないのです。
ですから工業では、歩留まりを減らす努力と工夫は常にしているのですが、ある程度の歩留まりは許容せざるを得ない。
でもそれが「合理的」なんです。
コストパフォーマンスが最大になるように、歩留まりが出ることを織り込んで生産計画を立てるのです。

もちろん子どもは工業製品ではありません。
工業製品における不良品のように子どもを考えるのは間違いだと、ぼくも思います。
が、教育にも「歩留まり」という概念は必要だとぼくは思っています。
人間というのは、易しければ、課題が少なければ、誰もが100点を取れるようにはできていないのです。
歩留まりを見込んだ教育が必要なんだと思うのです。

さて同じ60点でも、20問の漢字テストでの60点と10問の漢字テストでの60点では価値が違います。
20問のテストの時は12文字覚えられたのに対し、10問のテストの時は6文字しか覚えられていないからです。
当然ながら12文字覚えた方が価値があります。
同様に、20問のテストで60点を取るのと、10問のテストで100点を取るのではどちらが価値があるでしょうか。
一方は60点でも12文字覚えられた、もう一方は100点でも10文字しか覚えられない。
ならば覚える漢字数が多い方が価値がある、とも言えるのではないでしょうか。
その意味で、100点よりも60点の方が価値がある、と言ってもいい。

つまりテストをプランニングするときも、歩留まりを考慮して子どもにとってより価値を生み出すためにはどう難易度と課題数を設定するのがよいか、その最適解を求めた方がいい。
安易に全員に100点をとらせようとして、返って子どもに価値を与えない教育になっていないかどうか、吟味が必要だと思います。

このことは大人にとっても、職業人にとっても同じだと思います。
「人生は良く生きるものではない、多く生きるものだ」とぼくは思っています。

2010年11月15日月曜日

マニュアルを読め、マニュアルを作れ!

こんにちは

我が社の新人君に「帝王教育」を施しています。
入社したばかりなのにあちこち連れ回して、忙しくさせています。
伸びしろの大きい30代までは、忙しいくらいの方が育つんです。
それに何たってぼくはまもなく転勤?ですからー。

先日も配電盤の工場立ち会い検査に連れて行きました。
案の定、彼は手ぶらで工場へやってきました。
しめしめ。
検査が始まるときに、ぼくは彼に質問しました。

 検査と言うからには、何かを基準にして合否を決めるわけだよね。
 その基準は何だろう。

彼は「しっかり作ってあるかどうか見る」とか、抽象的な答えを言いました。
しめしめ。

 あのねー。ぼくらはこの配電盤を設計図に従って作ってもらっているの。
 受注者は設計図に基づいて見積をし、製作したわけ。
 設計図と照合してその通りに作ってあるかどうか検査する。
 だから、設計図は必ず持ってこなくちゃダメだよ。
 あるいは読んでくる。頭に入れてくる。

 さらに設計図には、こう書いてある。
 特記されている以外は『国土交通省共通仕様書』による、って。
 だから『共通仕様書』も持ってこなくちゃ。
 今回の検査に関連する部分を、事前に読んでくると予習になっていいよ。

工場の人に『共通仕様書』を出してもらって、読むべき箇所「機材の試験」のページを示しました。
そして、検査には明確な基準があること、それに従って合否判定することが大切であることを、彼に伝えました。
その上で、より使いやすく、安全にするにはどうしたらいいかを、現物を見ながら検討する。
それが工場立ち会い検査の意義であると言いました。

『共通仕様書』は公共工事に関するマニュアルです。
工事のマニュアルは過去の失敗や事故の反省のもとに作られているものです。
マニュアル通りに作れば、失敗する確率を小さくすることができます。
少なくとも安全に関しては失敗しないはずなんです。
だから、先ずはマニュアル通りに作ること。
そのためには、マニュアルをしっかり読むことです。

仕事のほとんどはOJT(オンジョブトレーニング)で修得していくものです。
でもただ流れてくる仕事に対応しているだけでは、実力は身に付きません。
その仕事の「意味」を理解しながら、経験して行かなくてはいけないと思っています。
仕事の意味を理解するための有力なツールが、マニュアルです。
ぼくの仕事、建設技術者にはしっかりしたマニュアルが揃っているんです。
これを活用しなくちゃ。

『共通仕様書』も分厚い本です。
これを全部読むのは大変だし、その必要もない。
今やっている仕事に関連した部分だけ拾い読みすればいい。
工場立ち会い検査だったら「機材の試験」の部分ですね。
そうやって、その場その場で必要な部分を読む。
同じ箇所を3回も読んで仕事に対応すれば、マニュアルは自分のものになります。
マニュアルが身に付けば、判断に迷うことが無くなり、仕事のスピードが上がります。
当然、完成してからの不具合も減り、事故確率も低くなる。

世間では「マニュアル主義」とか言われて、マニュアルを馬鹿にする風潮があります。
でも少なくとも技術者にとっては間違いです。
マニュアルをとことん使い倒すのが正しいのです。
マニュアルを馬鹿にする人ほど、その時々の感情や思いつきで仕事をすすめてしまい、失敗を招いているんです。

吉越浩一郎『会社を踏み台にする生き方』マガジンハウス¥1429-から引用します。

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ビジネスマンは、目の前の遅れを取り戻すために汗をかくのではなく、長く利用できるシステム作りのためにこそ汗をかくべきだ。
その日、その日の、目の前にある”作業”に費やす時間と労力を、そのまま”作業のシステム作り”にあてれば、仕事のやり方が効率化される。
そして、会社全体がいい方向に進むだけではなく、自分自身も長期的には必ず楽になる。(54p)
###

システム作りとはマニュアル作りと読み替えてもいいでしょう。
過去の遺産であるマニュアルを身に着けた後、自分でもマニュアルを作っていく。
今あるマニュアルだけではどうしても自分自身の仕事に完全にはフィットしないものです。
だから自分自身が活用できるようにしていく。
仕事を毎回試行錯誤でやらなくていいようにマニュアル化していくんです。
常にそういう意識をもって仕事に当たる。
それは仕事をシステマティックにしていく方法だから。
そうしていけば、失敗も減り、仕事も楽にできるようになります。
そしてその中から他の人も真似できる「技術」が生まれてくるんだと思うのです。

さてその後の新人君、いつも『共通仕様書』を携行するようになりました。
素晴らしい。
時々、今はここを読むといいんだよ、とアドバイスしたりしています。
早く独り立ちしてねー。

2010年11月13日土曜日

いい顔をした人物になる方法


こんにちは

誰にだって挫折経験はありますよね。
自分の非力さを思い知らされて、がっくり来ることが。
コンプレックスもある。
同期の同格のライバルに差を付けられて悔しい思いをすることが。
そこから立ち直るとき、人は二種類に分かれるようです。

どうやって敗者復活戦を闘っていくか。
一つは、自分の至らないところ、不足する力を補おうと、努力を始める人。
あるいは、自分の長所をさらに伸ばし、アドバンテージを確保していこうという人。
要するに、自分を変えていくことで人生の再挑戦していこうとする人ですね。

もう一つは、自分のことはさておき、それより他人のアラを探し出す人。
確かに、他人の弱点を掴めばその分自分にアドバンテージが生まれます。
他人を引きずり下ろすことで、自分を勝者にしようという考えです。

前者が「絶対基準」による戦略、後者が「相対基準」による戦略と言えそうです。
果たしてどっちが楽に闘っていけ、最終的にハッピーになれるのか。
ぼくは前者を選びたいですね。
だって他人のアラを探すのって、疲れるもん。
いつも他人を気にして、自分より上にいるヤツ、上に行こうとするヤツの行動を見張っていなくちゃいけない。
何人も何人も見張り続けて、誰かがミスをしないか、落ち度はないか探し続ける。
これは並大抵な努力ではできませんよ。

それで何回かは誰かを引きずり下ろして成功するかも知れません。
それだけ自分の努力と労力を傾けたとしても、自分の実力はちっとも上がっていないのです。
追いついてくるヤツ、突き上げてくるヤツは後から後からやってくるんです。
その数はどんどん増えていくわけですよ。
だって、自分はずっと同じ場所にいて、それを迎え撃たなくちゃならないんだから。
そうなると、いつも不安の中で生きなくちゃならない。
自分に実力がないから、いつまでたっても自信を持てない。
それって非常に疲れることだと思うんですよ。

それならもっと自分を安全確実な場所へ移動させちゃう方が楽でしょ。
他のヤツらはおいそれとはやってこれない場所、追いつけない場所まで行ってしまえばいい。
安全地帯にまで行ってしまえれば、心安らかになれるはずです。
もちろん、安全地帯に行くにはそれなりに努力は必要ですよ。
でも少なくともしばらくはのんびりハッピーに生きることができます。
自分の実力が上がったという自信が生まれ、心に余裕が生まれます。

だから自分を鍛える方を選ぶ。
同じ努力をするなら、こっちがいいとぼくは思っています。
それにねー、他人のアラばっかり探していると、人相悪くなりますからね。
健康にも悪そうです。

吉越浩一郎『会社を踏み台にする生き方』マガジンハウス¥1429-から引用します。

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40歳代以降の顔は、それまでどれだけ努力してきたか、戦ってきたかが、表れるものだ。
実際に、男女にかかわらず魅力的な顔をした40歳以降で、いやな性格の人を私は知らない。
逆に、意地悪そうな顔をしていて心が豊かな人も知らない。
しかも、短期間でいい顔にはならないものだ。
いい40代を迎えるには30代を充実させなくてはいけないし、30代を充実させるには20代を怠けてはいけない。
だからこそ自己研鑚を心がけなくてはいけない。
なぜ、そんなに仕事を頑張らなくてはいけないのか。
それは今の社会では、少なくとも男性は、ビジネスマンであれ、スポーツ選手であれ、音楽家であれ、自分の仕事でしか、自分自身を磨くことはできないからだ。(220p)
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若いときは誰もが美男美女ですよね。
スタイルもいいし。
若さって素晴らしいです。
でもそれも20代までの話。
若さは必ず失われていくんです。
若いとき美男美女だった人が、中年になってしょぼくれた表情になると悲惨ですよー。

自分の弱さを自覚して自らを鍛えていけた人は、自信が生まれいい顔になれるんだと思います。
リンカーンが「40歳を過ぎたら顔に責任を持たねばならない」と言ったのは、40歳過ぎたら自分の生き方、生きる姿勢を確立していなくてはいけない、という意味だったんでしょうね。
他人を蹴落とすような生き方ではなく、自分を鍛えてきた人間は美醜はともかくとして、いい顔になっているはずなんです。
顔を見ればどんな生き方をしてきたか、それが一目瞭然になってしまうわけです。
それが「顔に責任を持て」ということなんだと思います。
リンカーン自身はどちらかというとブオトコだったらしいですが、きっといい顔をしたおじさんだったんでしょうね。

いい顔した人間になるには、先ずは目の前の仕事を一生懸命やることです。
決して誰かを蹴落としたり、足を引っぱることはしてはいけない。
仕事を通して自分を磨き続ける。
努力をし、学び続け、腕を上げ、技を身につけ、人脈を築く。
そしていつも笑顔でいる。
それが合理的でプラグマティックな生き方なんだと、ぼくは思います。

もう7,8年くらい前でしょうか、藤原和博さんに泰明小学校で開催されたイベントの時に声を掛けたことがありました。
それ以前から藤原さんの講演を聴いたり、ホームページの掲示板に書き込んだり、何度かメールのやりとりはしていたんですが、直接お会いするのは初めてでした。
その晩藤原さんからメールをもらいました。
「よっちゃんも晶ちゃんも、思った通りいい顔してました!」
とっても嬉しかったです。
嬉しさと共に、背筋もシャンとしました。


今週は神戸に建設中の「iPS細胞研究棟」の配電盤の工場検査に行きました。
生物系研究棟でのポイントは、停電させずに増設ができること。
何たって生き物を扱っていますから、停電すると死んじゃいますから。
停電させなくても安全に増設ケーブルを接続できるよう、配電盤をデザインしてもらいました。
かつ、ボルトのゆるみを締め付けたり、保守もしやすくできたと思います。
エヘン!

2010年11月11日木曜日

ヒトは一生にどれだけ食べるのか

こんにちは

出張に行くと、つい食べ過ぎちゃうんですよ。
我が家ではいつもは粗食なので、外食するとタガが外れちゃうんでしょうか。
あはははは。
腹がパンパンになっちゃって動けなくなって、ビジネスホテルのベッドの上で考えました。

「人は一生にどれだけのものを食べるのだろうか?」

ちょっと計算してみましょう。
ぼくはエンジニアなので計算が大好きなんです。

三大栄養素は、タンパク質、糖質(炭水化物)、脂質(脂肪)です。
これらは1gあたり以下の熱量(カロリー)を持っています。

 ・タンパク質;4kcal/g
 ・糖質(炭水化物);4kcal/g
 ・脂質(脂肪);9kcal/g

肉を食べることを考えてみます。
肉は、だいたい以下の成分でできています。

 ・水分;50%
 ・タンパク質;25%
 ・糖質(炭水化物);12.5%
 ・脂質;6.25%
 ・無機質などその他の成分;6.25%

よって肉1gを食べて得られる熱量(カロリー)は以下のように計算されます。
 
 ・タンパク質;4kcal/g×0.25g=1kcal
 ・糖質(炭水化物);4kcal/g×0.125g=0.5kcal
 ・脂質(脂肪);9kcal/g×0.0625g=0.56kcal
 ______________________
  合計 2.06kcal/肉1g

ところで人間は一日に約2000kcalの食べ物を食べます。
肉に換算すると、

 2000kcal÷2.06kcal/肉1g=肉970g

ということになります。
肉だけで一日の必要カロリーを得るためには、毎日970g食べなくてはなりません。

70年間生きるとして、赤ちゃんの時から年寄りになるまで毎日平均2000kcalの食事をすると仮定します。
すると肉だけを食べて一生を過ごすと、

 970g×365日×70年間=24トン

もの肉を食べることになります。

人間は肉だけを食べているわけにはいけません。
穀類や野菜も食べなくてはなりません。むしろ肉よりも穀類や野菜をたくさん食べるでしょう。
穀類や野菜の1gあたりの栄養価は肉よりも低いので、肉の2倍~3倍は食べなくてはならないでしょう。
よって、人間が一生に食べる量は、

 24トン×(2倍~3倍)=48トン~72トン

と見積もることができます。

人の体重を60kgとすると、体重の800倍~1200倍もの食べ物を一生のうちに食べる計算になります。
ずいぶんと食べるものですね。


上野川修一『免疫と腸内細菌』平凡社新書\700-によると、人は一生に70tの食べ物を必要とするのだそうです。
米6t、小麦2.6t、野菜7.5t、乳3.4t、魚3tなど。

2010年11月10日水曜日

頭のよい人は冷たいのか


こんにちは

以前のごみメールで、ぼくの思う「頭がよい」ということはどういう状態かを書きました。
頭のよい人と悪い人の違いは何か。
まず気づくのは、頭のよい人は感情に振り回されない、ということがあります。
ある意味「クール」なんです。
でも「冷たい」わけじゃない。
燃えるときは燃えますしね。

頭のよい人にだって当然ながら感情はあります。
怒ることだってあるのは当然です。もちろん笑いますし、泣きもします。
でも自分の感情と異なる合理的な説明があり、自分もそれに納得できる場合、自分の感情を抑えることができる。
感情より合理を上位に置ける人が、頭のよい人だと思っています。

その合理というのは、自分や一部の人だけが得するのではなく、たとえ自分がちょびっと損をしても多くの人にとって有利になる、というものです。
つまり、「全体合理性」ですね。
逆にいくら合理的な説明をされても、自分の感情から離れられなず自説にこだわり続ける人が頭の悪い人。
なので合理を理解できず感情に振り回されるだけの人に、いくら説明しても絶対に納得はしてもらえないのです。
往々にして感情とは自己中心的であって、自分にとって不利な状況の時に興奮を引き起こし、激しくなりちなものです。
しかし自己中心的な感情に振り回されていると、全体合理性が失われ、長中期的に見ると自分自身にとっても不利となってしまうのです。

すなわち頭がよい人とは、

 豊かな感情は保ちHotになりつつもそれに振り回されず、
  合理も忘れずCoolな頭を保ち、
   最終的には全体合理性に従って判断し行動できる人

です。
ですから、知識があるとか、いい学校を卒業しているとかは関係ありません。
もちろん、合理的判断をするためには知識や経験は不可欠ですから、常に勉強し続けている人である必要はあります。
もちろん経験もタダ時間を費やしたような経験ではなく、意図的に積んだ経験じゃないと意味がありません。
経験を裏打ちする知識を身に着け、経験を知識化する過程を経ることです。
また、しっかりとした学歴がある方が合理的な判断をするためにベースとなる知識も豊富であり、多様な思考法を身につける訓練もされているので、有利であることも確か。
つまり知識や経験や学歴だけではだめで、それをどう活かしていくのか、活かす技術も持っている必要がある。
当然、何かをやるには情熱も必要で、好奇心旺盛で感情豊かである必要もあります。

ところがよのなかの多くの人が「頭のいい人は冷たい」などと言いますし、そう思いこんでいます。
ぼくの勤務する会社は日本のトップクラスの頭脳を集めた頭のいい人ばかりの集団ですが、みんなアツイですよー。
もちろんちょびっとは学生時代お勉強ができただけみたいな、何の情熱も持っていないような人もいますけどね。
ぼくの観察では、頭のいい人は冷たい、なんてことはまるでないと思います。

ではなぜ、「頭のいい人は冷たい」なんて言われているのでしょうか。
養老孟司/内田樹『逆立ち日本論』新潮選書\1200-で、内田さんはこう言っています。

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「内田さんは、フランス語の会話はどのくらいできますか」とよく聞かれるのですけど、そういうときは「頭のいいフランス人とだったらけっこうしゃべれるけど、頭の悪いフランス人とはほとんどしゃべれません」と答えることにしています。
頭の悪い人って、まず言っていることがロジカルじゃないし、単語も外国人が知るはずもないような流行語やら固有名詞を平気で入れてくるし、しゃべるスピードもふだんのままでしょう。
でも、頭のいい人は、断片的に単語を並べても、「つまり、こういうことが言いたいわけですね」と意のあるところを汲んでくれるし、こっちが言葉に詰まっているときに、「こういう言葉が言いたいわけ?」と適切な単語を入れてくれる。
頭のいい人はこちらのレベルに合わせて会話のスピードも使用語彙も調整してくれますから、話がぴしぴしと噛み合う。(内田、187p)
###

外国語だけじゃないですよね。
同じ日本語を使いながら、まったくコミュニケーションがとれないってことも多々あります。
会話が成立しないんです。
時々、この人ホントに日本語で話してるのかな、と思ってしまうこともあります。

頭の悪い人の話は論理=ロジックがないのでなかなか話がかみ合いません。
そのうえ自己中心的であり、合理性がない。
自分に都合のいいことばかりまくしたてるので、辟易としてしまうのです。

それに対抗するにはどうするか。
相手が子どもだったら「そういうのはよくないよ。こうしたらどう?」とたしなめることでしょう。
子どもでなくても柔軟な思考の持ち主だったら、アドバイスしてあげれば自分の誤りに気づく。
子どもや柔軟な人は教育可能だからです。

ところが大人、それも頭の悪い人は柔軟性が全くない。
人の言うことに聞く耳を持たないんです。
いくら論理的に冷静に説明しても、理解しようとしない。
冷静に説明すればするほど、反って激憤してしまうのです。

こういうモンスターは放っておくしかない。
口に出しては言わないでしょうが「はいはい、どうぞご自由に」なんです。
そっとそばを離れ、被害が自分に及ばないようにするのが一番得策です。
こういう人に振り回されて、自分の時間を取られるのは損です。
その時間をもっと有効に使うべきです。
人生は有限なんですから。

で、放っておかれたモンスターはどうなるのか。
「あいつは冷たい」と言うんですよ。
自分の言うとおりにしてくれない人を「冷たいなー」って言うわけです。
モンスターの最大の特徴は「他罰的」ですからね。
悪いのはあいつだ、なんです。
あいつが悪い、こいつが悪い、会社が悪い、女房が悪い・・・e.t.c.
自分にも少しは非があるなんて、ちっとも考えない。
周りの人みんな「冷たい人」だらけになってしまうのです。

きっと誰の心の中にも、もちろんぼくの中にもモンスターは潜んでいるんでしょう。
自分の中のモンスターを呼び起こさないようにしなくちゃいけない。
そのための一つのセンサーとして、誰かを冷たいと思うかどうかをチェックするのもいいですね。
もしかしたら自分が理不尽なことを言ったりやったりしているからかもしれない。
そういう留保を常にフィードバックする。
これも、自分の「馬鹿チェック」にするようにしています。


アメリカのNIHに新築中の研究棟を見学させてもらったときの写真です。
同じエンジニア同士、ぼくのカタコト英語でも話が通じましたよ。
それは相手が頭がよい人だったからですね。

2010年11月9日火曜日

シフトチェンジ!


こんにちは

この「ごみメール」、そのままブログにも転載しています。
最近、今年の7月からですが、グーグルではブログアクセスの統計を取ってくれるようになりました。
それによると、ほぼ毎日50人くらいの人が読みに来てくれている。
月にすると延べ1500人です。
ありがたいことですねー。

どの投稿に対するアクセスが多いかも統計に取ってくれています。
一番人気は「50を過ぎたら好きなことしかしない」です。
7月から通算150アクセス以上となっています。
みんながよく読んでくれる投稿を、自分でも再読したりしています。
これがまた楽しい。
あ、オレこんなこと書いたんだ、なーんて思ったり。
けっこう新鮮なんです。

確かに50才目指してシフトチェンジしてきました。
もちろん本業の建設技術者としての仕事を一生懸命やってきました。
その経験を去年、今年と、電気設備学会や加速器学会で発表しました。
子ども向けの出張授業やサイエンスカフェにも取り組みました。
今年はXFELの建屋建設で得た知見を仲間と共にまとめて、電気設備学会賞、空調衛生工学会賞にも応募してみました。
何と、両方とも1次審査通過しちゃいました。
今月末から来月にかけて最終審査が行われます。
楽しみですね~。
どんどんと、目の前の景色が変わっていくようです。

ロケット博士の糸川英夫さんの本に書いてあったことですが、

 10年から15年で自分の専門を変えよ

なんだそうです。
10年から15年、一つの専門に専念して一生懸命取り組む。
するとその分野でやるべきことは一通りやり尽くしてしまうんです。
これ以上同じことをやっていても、発展がなくなってしまう。
ダラダラとやり続けるしかなくなってしまうんです。
つまり、脱皮の時期が来ちゃうんですね。
その時、躊躇なくすっぱりと今の専門を捨て去ることができるかどうか。
そこで次のステージに進めるかどうかが決まるんだそう。

さてさて、あとひと月でぼくもいよいよ50代に突入です。
楽しく、ワガママに、でも多くの人から「ありがとう」を集められる人生を築いて行きたい。
うまく脱皮できるかどうか、ご期待下さい!


先週末、和光研に建設中の脳センター新棟への高圧ケーブルを布設しました。
スタッフたちもいい仕事をしてもらいました。
ありがとう!

「ありがとう」は資源だ!


こんにちは

我が家ではたくさん「ありがとう」を言うように躾けています。
もちろん親も頻繁に「ありがとう」と言うように気遣っています。

なぜなら、世の中を見渡してみても、活躍をしている人ほど「ありがとう」を言っているんです。
なぜ言うか。
それは協力してくれる人がたくさんいるからなんです。
協力してくれた人に「ありがとう」を言う。
多くの人の協力を集めていい仕事をすれば、誰かから「ありがとう」と言われます。
要するに、ありがとうとよく言う人ほど、ありがとうとよく言われる。
逆に、ありがとうとよく言われる人ほど、ありがとうとよく言うことができる。

活躍していない人ほど、ありがとうって言いませんね。
誰かから何かしてもらっても、何も言わない。
これじゃあ、誰も協力してくれなくなっちゃいますよ。
ますます一人で仕事を抱え込むことになります。
一人でやる仕事はたいしたことはできない。
ありがとうと言わない、言えない人は、自ら活躍のチャンスを失っているようなものなんです。

つまり「ありがとう保存の法則」なんです。
ありがとうも一つの資源なんだとぼくは思っています。
活躍できる人は、このありがとうの資源をたくさん持っているんです。
たくさん持っているから、いい仕事をした人に素直に「ありがとう」と言える。
そして自分自身もいい仕事をして誰かから「ありがとう」と言ってもらえるので、ありがとうが減らず、増えていくわけです。
自分の中にたくさんのありがとうがあるので、誰かのいい仕事を見つけたらすぐに「ありがとう」と言えるんです。
「ありがとう」と言えない人は、ありがとう資源が枯渇しちゃっているんですね。

糸川英夫『逆転の発想』プレジデント社から引用します。

###
京都の郊外に大雲寺というお寺があるそうである。(略)
この寺は奇跡の寺といわれて、気違いを直す寺として、日本の社会のなかで400年以上も存続してきた。その記録映画を見ると、気違いを集めているのだから、今の精神病院と同じように窓には格子戸がついている部屋がある。
この寺が、どういうやり方で気違いを直したかというと、お風呂に入る時、お坊さんが患者と一緒に入って、「背中を流してくれ」と言う。
「自分の背中というのは、なかなかうまく流せない。前から一度、だれかに流しても
らいたいと思っていたんだが、いい人がいなかった。あなたに流してもらってサッパ
リとした。どうもありがとう」と話す。
こうすると、お坊さんに言われたありがとうで、気違いが一挙に立ち直ったという。
つまり、精神病を直すには、精神病患者がだれかのために役立って、役に立ったことを相手から感謝されるというシステムが必要である。(126p)
###

内田樹さんが言っていたことですが、人生は誰かから尊敬を集める行為である、のです。
感謝を集める、と言ってもいいですね。
だから、ありがとうが必要なんです。
ありがとうと誰からも言われない人の人生は、寂しく、そして狂っていきます。
だから我が家では、我が子たちのありがとう資源を増やしてあげたい。
そうすれば、我が子たちも誰かに「ありがとう」とたくさん言うことができる。
「ありがとう」をたくさん言えば、誰かからも「ありがとう」と言ってもらえる。
そういう好循環が生まれ、ハッピーな人生を築いていけるのだと思うのです。

ありがとうと言うには、二つの要件がありますね。
 
 ・よい行いに気づくこと
 ・よい行いをさせること

前者は「感性」ですね。
よいと思ったことをパッと見つけて、すかさずありがとうと言う。
それも大事。
でも子どもだからまだ何がよいことか分からないことも多い。
だから、よい行いをさせるんです。
お手伝いでもいいし、言葉遣いでもいい。
そして褒める。ありがとうと言う。
そうやって我が子たちの「ありがとう」を増やしていきたいと思っています。

2010年11月4日木曜日

勉強は自由へのパスポート


こんにちは

ぼくのやっている仕事は、新しい研究棟の計画から建設まで。
期限と予算の限られた「プロジェクト」です。
だから一緒に仕事をする仲間も、プロジェクトごとに変わります。
1年からせいぜい4年間くらいの付き合いですね。
一緒に苦労を共にしていい仕事を残したいと願って、これまでやってきました。

で、そのプロジェクトが終わっても、たとえ細い糸でもかまわないからつながりは継続したいとも思ってきました。
なので、この「ごみメール」を以前の仕事仲間、その中でもずっとつながっていきたいと思えた仲間にも送り続けているんです。
他の仕事に移ってしまえば、目の前の仕事に一生懸命ならざるを得ないので、めったに返事は来ません。
それでもたまーに近況を伝えてくれたりします。
それが嬉しいし、ぼくの元気の素にもなっているんです。

もう何年も前に一緒に仕事をした仲間からこんなメールが届きました。

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お忙しい所失礼します。
厚かましいですが、最近の学習状況について連絡したいと思いましてメールいたしました。

やっとですが、念願の建築設備士に合格いたしました。
1年目×,2年目×,3年目-2次講習受けられず×
4年目○。
それと、1種衛生管理者にも合格いたしました。

電験2種も1次試験をパスし、2次試験2回目です。
今回ダメだと、来年学科から再スタートです。
何度落ちてもがんばります。

3級簿記も試験を受けているのですが、まだ合格できません。合格したら2級に行こうと思っております。
まだまだ、技術者としては知らない事が多いので資格試験を通して勉強していきたいと思っております。
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おお、がんばってますねー。
日々の仕事をこなしつつ、家庭も大切にし、その上に勉強も続けていく。
そして着実に進歩し、何年かかかってでも合格まで到達する。
スバラシイと思います。

ぼくら建設技術者は、国家資格がいろいろあって有利です。
国で統制すべき技術レベルが決まっているということですから、資格があればかなり堂々と仕事に取り組むことができます。
逆に言えば、資格のない分野の仕事はどうしても属人的になってしまい、どの程度の技術レベルを持っているのかどうかがわかりにくい。
その仕事をする方にしても、自信がなかなか持てないわけです。
資格試験の勉強を通じて基礎基本を学べるのはオトク。
仕事の経験だけを通じたオンジョブトレーニングも大切ですが、場当たり的な知識になりやすく、応用が利かないんです。
基礎基本を持った上で経験を積むと、より実力が上がる。
あるいは、経験したことを基礎基本に立ち返って知識化するから、より実力が上がるのです。
ぼくはそう信じて、勉強を続けてきました。

斎藤孝『知的勉強法』講談社現代新書¥720-から引用します。

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知性を身につければ、物事がスッキリわかる。
スッキリわかれば身軽になる。
身軽な人は、他人も明るくさせる。
知的だからこそ上機嫌!これを目ざそう!(5p)
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知識が身に付き、技術レベルがアップすれば、当然見通しがよくなります。
ある課題に対して、どのくらいの時間とコストで完成するか、見積もできるようになります。
暗中模索で取り組むより、断然気が楽です。
見通しが利けば、心と時間に余裕が生まれる。
上機嫌にもなれるし、周りの人たちを安心させることができ、職場を明るくすることもできるんです。

同書からさらに引用します。

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理解力は人に対してやさしくなれる素地理解力は知的な勉強法で培われます。
理解力があれば、他人に対して余裕がもてますから、渦中に巻き込まれないですみます。
周りが自分たちの仕事で手一杯になってしまっている時でも、「なぜそうなったのか」を理解することで、自分だけは違う場所にいられるわけです。
背の高い人が、ラッシュアワーの電車の中で一人だけ上部のいい空気を吸っているように、理解力のある人は別の空気が吸えるものです。(54p)
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知識が高まり、腕が上がると、高みに登ったような気分になります。
それはやはり見晴らしの良さ、見通しの良さなんですよね。
そうなれば気持ちに余裕が生まれ、人に対してもやさしくなれるんです。
理不尽に怒りをぶちまけるような人がたまにいますよね。
こういう人は明らかに不勉強。
そして自分では何もやろうとしないし、責任転嫁をする。
自分は理解できないので、それを怒りという形で表現するしかないのです。
自分の責任になるのが嫌だから、最初から怒ってしまうんです。
怒ることによって自分以外の誰かにその仕事を転嫁したいだけなんです。
心に余裕がないので、誰に対してもやさしくなれず、皆から嫌われていくんです。

さらに引用。

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勉強すると元気になって、人にも優しくなれるとは、思いがけないほどうれしい成果だと、私は思います。(55p)
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ぼくは、勉強は自由へのパスポートだと思っています。
勉強して腕も上がり実績もつけば、やりたいことがやれるようになります。
信用が着くからね。
そうすればさらに自信がつき、元気になれます。
誰かの足を引っぱったり、邪魔をする必要なんかありません。
当然、人にも優しくなれるんです。
優しくて心暖かい実力者には、誰もが着いていきます。
権力的に命令なんかしなくても、協力してくれるようになります。
そしてますますやりたいことを実現できるようになるんだと、信じています。


神戸スパコン棟で打ち合わせしているときに、窓からキレイな夕日が。
明石海峡大橋も見えて、とてもステキな気分になりましたよー。

2010年11月1日月曜日

子どもはセックスするな!

こんにちは

先週山形に出張に行きました。
赤湯温泉駅で新幹線を待つ間、駅構内のコンビニでお土産を物色。
その時、物憂げな表情をした方がオーラを放ちながらコンビニに入ってきた。
なんと、夜回り先生、水谷修さんでした。
面識もないのに思わず声をかけ、挨拶しちゃいました。
ぼくってミーハーだなー。

ずっと前、水谷さんの講演を聴いたことがあります。
その時にお話してくれた面白い話題をみなさんにもお裾分けしますね。

では「第1問」です。

 15歳未満の少年・少女と成人が肉体関係をもった場合、
 これは犯罪になるでしょうか

これは当然分かりますよね。
この場合、大人は三つの罪状で裁かれます。
児童福祉法違反と青少年健全育成条例違反(淫行条例違反)と、三つ目に暴行罪がつきます。
即、刑務所行きです。

次に「第2問」。

 18歳未満の少年・少女と20歳以上の成人が愛し合って性的な関係を持った場合、
 罪に問われるでしょうか

二人は愛し合っているんです。
援助交際、売春でのセックスではありません。
さてどうでしょう。
これもやっぱり大人の側は罪に問われます。
青少年健全育成条例違反と児童福祉法違反です。

さて最後の問題「第3問」。

 18歳未満の少年・少女が愛し合い同士が合意のうえで性的な関係をもつこと、
 これはどうでしょうか

さてさてどうでしょう。
高校生同士がエッチするなんて、今やあたりまえのこと。
まして二人は愛し合っているんです。
何の問題もないじゃないですか。

ところがこれも犯罪なんです。
これを「不純異性交遊」と呼ぶんです。
ピュアな純粋な心で愛し合っている二人であっても、18才未満の子ども同士がセックスすると「不純」異性交遊になってしまうのです。
刑法犯ではないですが立派な犯罪で、日本では18歳未満の子どもがエッチをすることは禁止しているんです。
ですから、それを繰り返すと虞犯といって、しかるべき施設に更生保護されます。

水谷先生は「このことを子どもたちも完全に見失っている。みなさん方が見失っているのだから、あたりまえですね。困ったものです。(水谷修『夜回り先生の卒業証書』日本評論社\1300-、166-167p)」と嘆いています。
法律上、高校生はエッチをしていけないことを子どもはもちろん、大人も知らない。
知らないから、子どもは感情のままにセックスしてしまうし、大人はそれを指導もできないんです。

ここからはぼくの推論です。
ではなぜ子どもはセックスしてはいけないのでしょうか。
そこには「立法事実」「立法根拠」があるはずです。

世の中には法律で禁止されているものがたくさんあります。
たとえば麻薬。
麻薬は脳に強烈な快楽を与えます。
それが身体依存、精神依存を生み出し、麻薬から離れられなくなり、最後は廃人のようになってしまいます。
だから、大人でも子どもでも法律で禁止しているのです。

酒、タバコは20才を区切りにして、20才未満だけ禁止しています。
酒、タバコも脳に快楽を与える物質です。
とはいえ麻薬ほどは強くはない。
なので大人ならコントロール可能な物質だ、という判断なんでしょう。
強くはないといえ、子どもにはコントロールしきれないから、20才未満は禁止にしているのです。

パチンコなどのギャンブルもそう。
勝ち負け、それも金銭による賭け事は、脳に快楽を与えます。
ギャンブル依存症なんて病気もあるほどで、大人でもギャンブルを止められなくなる人もいる。
子どもは禁止しておく方がよい、という判断なのだと思います。

こうして見てみると、子ども、青少年に禁止しているものは、どれも脳に強い刺激を与えるものばかりです。
子どもの脳は柔らかく、だからこそ強い刺激に囚われやすい。
囚われるだけじゃなく、それによって破壊される恐れもあるのです。

セックスも脳に強い快楽を与えます。
それが子どもの脳を捕らえ、破壊していく恐れが強いのです。
だから禁じなければいけないのでしょう。
脳科学が発達していない時代でも、子どものうちにセックス漬けになってしまった悲惨な事例が数多く見られたのではないでしょうか。
だから酒やギャンブルと同様に、法律で禁じることにしたのだと思うのです。