2014年3月9日日曜日

今が未来を創る!

他人に迷惑をかけなければいい。
子どもだけじゃなく親や先生にもそう言う人が多いが、ぼくは違う。
今月号の『楽しい授業』にこんな記事があった。
筆者は小学校の先生である。
 
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(略)宿題忘れとか忘れ物は、叱る対象にならない。
宿題を忘れてきた人(いや、ウチのクラスには自分の意志でやらないという人が多いのだが)を私はほとんど叱ったことがない。
宿題をやらないで困ることは、まあ自宅の勉強が少なくなって、定着が悪くなるくらいで、学校の授業で困る場面はあまりない。
提出物が期限までに提出できなければ、評価が悪くなることは伝えてあり、それでも出さないのは本人の意志であり、他の誰も困らない。(略)
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この先生の出す宿題は、やってもやらなくてもいいものらしい。
やらなくても評価が悪くなるだけで、他の生徒は困らないから。
本当にそうか。
 
さらに引用しよう。
 
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授業で使う物を忘れた場合も、私はあまり叱らない。
教室には授業で使うはさみ、定規、絵の具セット、習字セットなどの予備は何セットか用意してある。
忘れた人は、授業が始まる前にそこから持って行っていいことになっている。
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クラスに予備品があるから、それを使えば忘れ物をしても授業に支障はない。
この先生はそう考えているらしい。
どうやらこの先生には「今」の視点しかないようだ。
「未来」のことを勘定に入れていないみたいなのだ。
 
そもそも論だが、ぼくは教育とは子どもたちの「未来」のためにするものだと思っている。
子どもたちは自分たちの未来を生きていくため、より良く生きていくために、今の教育がある。
教育とはそういうものでなければならないと、ぼくは思うのだ。
 
教師は、教え子たちの未来にも(ある程度の)責任があるのである。
今の教育が子どもたちの未来にどのような影響を及ぼすのか、想像力を働かせなくてはならない。
もちろんそれは親もそうだし、子ども自身もそうなのである。
未来への想像力を働かせるから,今の自分を律することができるのだ。
 
未来の視点を持たない教師の教育は冷たい。
宿題などやってこなくても、誰にも迷惑をかけない。授業できちんと教えているから。
宿題をやってこなければ評価を落とすことは子どもたちに伝えている。
それでも自分の意志でやらないなら仕方がない。
本人の自宅学習の習慣が身につかず、定着が悪くなるだけだ。
誰にも迷惑がかかっていないじゃないか。
おいおい、それでいいのか。
 
忘れ物をしたって、予備を用意してあるからダイジョウブ。授業に支障はない。
ただし休み時間のうちに借り受けろよ。
授業が始まってからだと、授業を中断するから他の子に迷惑になる。
ああ、兎にも角にもこの先生の視点には「今」と「他人」しかない。
 
宿題をしない、忘れ物をする、これが「未来」のその子にどういう影響を及ぼすのか考えてみよう。
 
宿題は、与えられた課題を期限までにやり遂げる、という訓練も含んでいるのだ。
その子が上級学校に進学した場合、あるいは社会人となってから、課題を期限までにやれなくても困らない?
特に社会人となってからは、期限を守らないことは非常に不利益となる。
仕事というのは、たいてい複数の人が関わって行われる。
それは前工程と後工程でなっている。
前工程が期限までに終わらないと、後工程を始めることができない。
期限を守るということは、仕事のイロハのイなのである。
 
期限を守る習慣と意識のない人はどうなるだろうか。
他の同僚に迷惑をかけ、自らの評価を落とす。
他人にも自分にも迷惑な存在となってしまうのである。
それはとても「生きにくい」ことである。
教え子の未来を生きにくくしてよいのだろうか。
 
だってまだ小学生ですよ。いいじゃないですか。中学、高校とだんだん覚えていけば。
と言うかもしれない。
たしかにそうだ。まだまだ教育期間はたっぷりある。
だが、だからといって小学校ではやらなくてもいいわけではない。
その年代年代で、少しずつでも訓練していくほうが、その後の生徒たちにとってよいはずだ。
 
この先生は、子どもをあまり叱りたくない、と言う。
誰だって叱りたくはない。叱ることは疲れることだ。
だが子どもを叱られない人間に育てるために叱るのだ。
それが教師のそして親の仕事なのである。
親や教師は,子どもの未来を創るために,叱らねばならないのだ。
 
ぼくは教育は「卒業」を意識して行うべきものだと思っている。
卒業とは、もうその学校で教えるべきことはない、学ぶことはない状態にすること。
だから、進学なり就職なり次のステップに移っていくことができる。
 
小学校の卒業とは、もう小学校で習うことはほぼマスターした、中学に進学しても大丈夫な状態に子どもたちを育て上げることだ。
宿題はきちんとやる、家でも一定時間勉強する、忘れ物をしない。
これらは小学校で身に付けるべきものだし、小学生の時代に身に付けるのが適当である事項だと思う。
中学、高校になってから身につけようとしても、非常に困難を伴うもの。
もしかすると、一生その子は身に付けることができず、その子の人生の幅を狭くしてしまう恐れのあるものだと、ぼくは思う。
 
これは家庭教育でも同じ。
子どもがきちんと家から巣立って自立していくことを目指す。
家からも卒業していくことを願わねば,家庭教育も成り立たないと思うのだ。
 
教師,親にはそういう「子どもたちの未来への畏れ」がなければならないと思うのである。

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