2010年1月23日土曜日

結果平等


こんにちは

技術系資格試験を教えている若い技術者君たちにこんな話をすることもあります。

 <天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず>って言葉、聞いたことがあ
 るかな。
 誰が言った言葉か知ってる?

福沢諭吉と知っている青年は多い。さすが。
ついでに1万円札を財布から出して見せびらかしたりします。
1万円札にも印刷されている人だって説明します。

 じゃ、これどういう意味?

ある技術者君が「人間は平等だという意味」と答えました。

 半分正解で、半分間違い。
 本当に人間って平等なの?
 たとえば、君らの年収は200万円とか300万円だよね。
 ぼくは1000万円だよ(ちょっとサバよんでる??)。
 まるで平等じゃないよね。

 福沢諭吉は、ホントはこう言ったんだよ。
 <天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、と言えり>って。
 言えり、ってのがミソだね。
 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、と言われている、ってことだ。
 でも現実はそうじゃない、って福沢先生は言っているんだよ。

 この言葉は何という本に書いてあるか知ってるかな。
 『学問のすすめ』だね。
 どう?わかってきた?
 人間は生まれたときは平等なんだけど、だんだん平等じゃなくなる。

 上に行ける人間と下のままの人間と、どこで差が付くのか。
 それは、学問をしたかどうかで決まる、って福沢諭吉は言っているわけ。
 だから、学問のすすめなんだね。
 じゃ、勉強を始めようか。

さてさて、<天は人の上に・・・>も誤解されている言葉ですが、「結果平等」も誤解されています。
どんなことをしてきた人も結果として平等に扱われる、と勘違いしている人が多い。
努力してきた人も、怠けていた人も、同じように報酬を受け取り、同等の生活レベルを送れる。
そんなことはあり得ませんよね。
池田清彦『がんばらない生き方』中経出版¥1100-にこうありました。 

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仕事って、結局は「結果がすべて」なのだということを忘れてはいけません。
「人はみな平等である」という言葉の真の意味はすべての人間の能力や生まれが平等ということではなく、「行動によって生まれた結果」が平等に扱われるということです。(40p)
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つまり、努力して会社や社会のために貢献してきた人には、それをきちんととはいかないかもしれないけど、それなりに評価して処遇する。
怠けてきて何も貢献せず、周りの人に迷惑かけっぱなしという人には、それほど厳しいことはしないかもしれないけど、やっぱりそれなりにしか評価しない。
その人がアウトプットした「結果」は平等に評価されるんですね。
世の中とはそういう厳しいものであるし、そうだから発展していけるんだと思います。
特に仕事は結果こそすべてなんです。

結果を出せなかったということだって結果です。
いくら一生懸命やっても、たとえ長時間残業して身を粉にして働いても、結果を出せなければ結果として怠けていたのと同じなんです。
アウトプットがなければ、仕事は貫徹しないのです。
アウトプットがあれば、次はその質の評価になります。
優・良・可の評価もなされます。

間違ってもらっては困りますが、仕事をする上での「努力」とは結果を伴わなければいけないものなのです。
意味がないものなのです。
だから努力とは、一生懸命さや長時間労働と必ずしもリンクしません。
ダンドリをよくしたり、工夫したり、お互い協力したり、へらへら楽しみながらだって、結果を出すことが重要。
つまり、努力とはダンドリよくしたり、工夫したり、お互い協力したり、楽しみながら効率的にやったりすることも含んでいるのです。
短時間しか働かなくたって、よいアウトプットが出るならそれは十分努力していると認めていい。

まずは結果を出すこと。
結果を出せばそれを平等に厳しく評価してもらえるのです。
よのなかは「結果平等」なんですから!


写真はXFEL電子ビーム輸送トンネル工事のトンネル内部の様子です。
XFEL加速器棟で創られた高品質電子ビームが、ここを通ってシンクロトロン棟へと駆け下りていきます。

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