2010年8月24日火曜日

会話量一定の法則

こんにちは

昨日は労働組合の団体交渉でした。
団体交渉と言っても昨日のは「引き継ぎ断交」。
新しい労組執行委員が決まったので、経営者側への顔見せなんです。
ぼくは旧委員長ですので、もうお役ご免です。
ぼくは既にメインじゃなくなっているのです。
次期のことは次期執行委員にゆだねることにしています。
引き継ぐべきコトは引き継いだのだから、もうぼくの出番は終わってるんです。
だから出しゃばらない、しゃべりすぎないようにしようと思いました。
人間、節度が大切ですからな。

が、元来おしゃべりなぼくです。
しゃべるなと言われても、しゃべってしまう。
下手をすると本来メインとなるべき人を差し置いてしゃべりまくってしまうかもしれません。
それはいけませんよね。

その時思い出したのが「会話量一定の法則」です。
人間の1日にできる会話量というのは、ほぼ一定で、約1万語なんだそうです。
1万語しゃべると、もうそれ以上しゃべる気がなくなってしまう。
これだ!と思いました。

幸い団体交渉は夕刻からでした。
それまでにしゃべりまくって1万語消費してしまえばいい。
昨日は朝から工程会議などがびっしり詰まっていましたから、これ幸い。
もうフルスロットルでぺらぺらしゃべりまくりましたよー。
おかげで団体交渉の時には、もうしゃべるのはうんざり、という状態になりました。
交渉中何度かしゃべりたい欲求もありましたが、なんとか自分を抑えることができました。
次期委員長をメインとした団体交渉を実現できたんです。
よかった、よかった。

吉越浩一郎『残業ゼロの人生力』日本能率協会¥1400-にこう書いてありました。

###
もともと人間が話す言葉の量というのは決まっていて、仮にそれを一日一万語とすれば、夫は会社で九千九百語を話してしまいます。
ところが、昼間話し相手のいない妻は一万語がそっくりそのまま夜まで残っていて、それを帰宅した夫に向けてぶつけてくるので、夫は、家庭ではひたすら聞き役に回らざるを得ません。
ただ、問題は話すのと聞くのはシンクロしていて、聞くのも一万語が限界だという点。
すなわち妻が夫に向かって一万語しゃべっても、100語を越えると夫の耳は自動的に閉じてしまうのです。
だから、家庭では夫は無口で妻はよくしゃべり、しかも情報共有がまるでできないということになるという話を、何かで目にしたことがあります。(178p)
###

おお、なるほど。
逆もまた真なりですねー。
会話量が1万語に達していない人は、身体の中に言葉が充満している。
充満した言葉を開放したい、つまりしゃべりたい、誰かに話を聴いてほしい、という欲求が渦巻いているんです。
まさに「俺の話を聴け!」なんです。
話を聴いてくれる人がいないってことは、だからとても危険な状況なんです。

コミュニケーションの基本は言葉による会話です。
そう考えると、会話もある意味「資源」なんですね。
だから、大切に有効に使わなくちゃいけない。
どうでもいい雑談で無駄に消費してしまうのはダメなんです。
女房や家族とのコミュニケーションのためにも、残しておかなくちゃね。
だって、女房や家族とのコミュニケーションも、亭主にとって大切なことだからね。
まー、一万語のうち半分の5000語くらいは家族のために残しておくのがいいかもしれませんね。

0 件のコメント: