2009年11月30日月曜日

出口を決める


こんにちは

先日、地方に住む親戚から電話がありました。
中3の娘が修学旅行で東京に行くのだが、そちらの気候はどうか、寒いなら上着をもう1枚持たせたいから、という内容。
子どもは中学3年生にもなっているんだから自分で判断させればいいのに、と思いました。
自分で東京の天気予報を調べて、予想気温から判断して、上着を持っていくかどうか決める。
あるいは、荷物が多くなるのが嫌だから、ちょっとくらい寒くても我慢しよう、と判断する。
風邪をひかないか心配だという親心も分かりますが、親が何でもかんでも先回りで配慮しちゃうと、子どもの判断力が育ちません。
子どもが自分で判断して、その結果失敗したとしても、それもいい教育だと思うのですが。

逆に親が判断したことが失敗したとしたら、子どもはどう思うか。
お母さんのせいで失敗したんだ、という怨みが湧き起こります。
上着を持っていったのに寒くなかったら、余計な物を持たせやがってって。
持って行かなくて寒かったら、気がきかねえなって。
そういうことが続くと、何でも親のせいにするようになってしまう。
それはいい教育だとは思えません。
そういうことを続けると、何でも人のせいにするような人間になってしまいます。

齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』NHK出版生活人新書\660-から引用します。

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親子における教育関係が、ともすると親の支配欲や名誉欲、そしてそこから生まれてくる行きすぎた教育欲などに影響されやすいということは、先に述べました。
肉親であるがゆえに感情が先走り、子どもに理不尽な思いをさせてしまうのもよくあることです。
そしてそのような前例は非常に多く存在します。
では、そのような轍を踏まないためには、どうしたらいいのでしょう。
いちばん効果的な予防法は、あらかじめ卒業の時期を決めてしまうことです。
例えば自分が勉強の面倒を見るのは小学生のうちだけ、とか、10歳になるまでは塾にやらず家で教える、とかいうように、きっちりといつまでと区切りをつけて、それ以降は潔くほかの先生に預けてしまうのです。
出口を決めることで、そこから「教育の時間」を逆算することができ、冷静な計画が立てられます。
そうすれば感情に振り回されることなく、お互いに落ち着いて教育関係を築き上げることができます。(83-84p)
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親が先回りして子どもの世話をしてしまうのは、もしかしたら支配欲なのかもしれませんね。
子どもは子どものままでいて欲しい、いつまでも自分のもとにいて欲しいという気持ち。
幼児だった頃のように、いつまでも親に甘えて欲しい気持ち。
肉親なので離れがたいのもわかりますが、これは子どもの自立を阻害します。
子どもはいつかは親から自立していかなくちゃならないのです。
子どもが学校を卒業するように、親からも卒業しなくちゃいけない。
それには、親も子どもから卒業しなくちゃいけない。
そのために、あらかじめ「卒業時期」を決めてしまうのもいい方法だなと思いました。

我が子たちは全寮制の中学に入れたいと思っています。
なぜなら、親も子どもから離れる時期が必要だと考えているからです。
はっちゃんもとっちゃんもめちゃかわいいので、家にいたんじゃ離れがたくなるのは必至です。
いつまでもべたべたかわいがっちゃう恐れ大。
適切な卒業の時期を逃してしまいそうなんです。
なので、物理的に距離を置く方法をとるわけです。
強制的に卒業時期を決めてしまうのです。

10才、小学4年生までは厳しくしつけをしつつ、たっぷり愛情を注ぐ。
もちろん読み書き計算の勉強もみっちり教える。
小学5年生になったら、よい先生に着いて勉強を習う。
そして中学生になったら親元を離れる。
そこで第1期親子関係を卒業する。
今はそんな計画にしています。

あ、そのためにも「先立つもの」が必要ですね。
ぼくも自分を磨き続け、社会から必要な求められる人材であり続け、しっかりと稼いでいかなくちゃねー。

正しい面倒くさがり方


こんにちは

さて、その後の家出君です。
おかげさまでヘルパー講習の座学と実技講習は完了。
残すは現場実習4日間のみとなりました。
予定通り12月中旬には免許をもらって、郷里である北海道に帰れそうです。
とは言え、それほど順調でもなかったみたい。

先週末我が家に家メシを食いに来る予定でしたが、連絡もなくドタキャン。
まさか、また逃亡?
信用のない人間は悪い方悪い方へ思われちゃいますよ。
我が家に来る時刻を3時間ほど過ぎた時に電話がありました。
「金曜日の晩に胸が苦しくなって、一晩入院して点滴してもらっていた。
退院したけどまだふらふらするので、今日は先生の家に行けない。
明日も宿で静養する」
ああ、一安心。逃亡ではありませんでした。

聞けば、所持金が底をついてきた。
宿代はヘルパー講習が終了するまで払い込み済みだから、寝るところには困らない。
でも飯代が乏しくなっていたようなんです。
なんと残金2万円。
とてもあと半月、まともに食っていくことはできませんよ。

なので飯代をケチってしまっていたようなんですね。
それじゃあ体力もなくなって、病気にもなろうってもんです。
やっぱり一番の節約は健康なんですよ。
健康を損なうような節約は、結局損なんです。
彼も一晩入院して1万円以上かかってしまったわけですから。

結局の所、彼のご両親から援助してもらうことに。
それで一息つきました。
まったくダメな人に限って、人に頼るってことを知らないんですよね。
適当な時期に自分から助けを求めない。
それで倒れちゃって、誰かが手をさしのべるのを待つ。

で、今週末は我が家に家メシを食いに来ました。
がりがりにやせて、体重44kg。ぼくの半分だよ、これ。
まるでアウシュビッツから出てきた人みたい。
我が家の家メシをガツガツ食ってました。

ヘルパー講習のめども立って、ご両親からのお金も入ったので、北海道までの航空券を予約してしまうことにしました。
せっかく援助してもらったお金を使っちゃって、帰れなくなったら困るからね。
って、やっぱり信用ないんだねー、家出君!
あはははは。

我が家のパソコンからインターネット予約。
スカイマークで羽田-千歳\9500-のチケットを予約。
そうしたら家出君、びっくりしてるんです。
「え?そんなに安いの?いつも35000円もしてるのに」だって。
JALやANAの通常料金ですね、この値段。
いろいろ安いチケットを調べたりせず、当日ふらっと空港に行って、搭乗券を買う。
そういうやり方をしているからです。

人は誰もが面倒くさがりなんです。
が、人によって面倒くさがり方が違う。
避けがたい困難に直面したとき、人は二つのタイプに別れる。

1.調べたり人に聞くのは面倒だから、今の自分の知識と経験を基にして考える

2.自分で新たに考えるのが面倒だから、人がすでに考えていて効果のあるものを探し、
  それを真似して利用する

1はオリジナリティは発揮でき、時に大当たりしたりしますが、失敗する確率の方が大きい。
当たってもまぐれ当たり、99.9%は失敗に終わります。
行き当たりばったりで、どうしても「自己流」の範囲にとどまってしまうから。
だから、損することも多い。
いや、損ばかりしちゃうんです。

2は確かに「個性」は発揮できませんが、ヒットの確率は高い。
大当たりはしないかもしれませんが、失敗のリスクは避けられます。
コンスタントにいい結果を得られるのです。
頭のいい人たちはこっちの考え方をする。
得ですよー。
最悪の場合でも、損はしないですむ。

面倒くさいと思うのは誰もが同じだけど、どういう面倒くさがり方をするかで得になるか損になるか、二つに分かれます。
頭のいい人はリスクを避けた面倒くさがり方をする。
その方が「生き残って」いけるからです。
生き残って行ければ、次のチャンスもやってきます。

しかし、他人の考えたよい方法を利用するだけでは、発展がないようにも思えます。
でも数をこなしていくうちに、自分に合ったやり方=オリジナルへと進化させていくことができます。
自分なりの統一したやり方が身に付いていく。
これぞ自己流から脱した「個性」ですね。
そしてそれがまた他の人の役にも立っていく。

我が教え子も、少しでもそういうやり方を身につけていって欲しいと思っています。
無理かなー??

感動する心


こんにちは

『崖の上のポニョ』のDVDを買いました。
今年の夏、児童館での映画会で途中まで見ました。
でも映画の途中ではっちゃんとっちゃんとも飽きちゃって、最後まで見なかった。
ぼくも結末が気になっていたので、アマゾンで購入。

日曜日にさっそく子どもたちとビデオ鑑賞。
やっぱりとっちゃんは途中で飽きちゃって、最後まで見ることができませんでした。
ところがはっちゃんは画面に見入っています。
最後まで見続けました。かなり集中して。

そしてエンディング。
ポニョが人間の女の子になる場面。
なんとはっちゃんの瞳が潤んで、涙をぽろり。
感動してるんです!

いや~、成長しましたね~!!
嬉しい、嬉しい!

2009年11月26日木曜日

Noと言う義務

こんにちは

最近、セクシャルハラスメントとかアカデミックハラスメントとかパワーハラスメントというのが話題によくなります。
労働組合の課題として、セクハラ、パワハラの防止にも取り組んでいます。
セクハラ、パワハラがあるような職場にはしたくないですからね。

でも逆に、おじさんが何言っても「あ、それセクハラだよ!」なんて言われちゃったりして、たじたじ。
誰が見ても明らかにセクハラだというものもありますが、人によってセクハラになったりならなかったり、ダークなエリアってありますよね。
たとえば女性が髪を切って来たとき、「失恋したの?」は限りなく黒に近いセクハラかもしれませんが、「いい髪型だね、似合ってるよ」と言うのはどうか。
そう言われて嬉しい場合もあれば、嫌な場合もある。
この言葉だけじゃセクハラに当たるのかどうか明確ではありません。
誰に言われたことなのか、お互いの普段からの関係性もあります。
好感を持っている相手からなら嬉しいし、嫌悪感を持っているおじさんからだったら嫌でしょう。

セクハラに当たるのかそうじゃないのか、どうやって見分けたらいいのでしょうか。
あまりに「言論統制」が厳しいと、返って職場をぎくしゃくさせてしまうように思います。
何か客観的で明確な基準はないのでしょうか。

職場におけるセクハラの禁止の法的根拠は、1997に改正された「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(通称;男女雇用機会均等法)第21条にあります。

 (職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の配慮)
 第二十一条  事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用
 する女性労働者の対応により当該女性労働者がその労働条件につき不利益を受
 け、又は当該性的な言動により当該女性労働者の就業環境が害されることのな
 いよう雇用管理上必要な配慮をしなければならない。

キーワードは二つ。
「労働条件に付き不利益を受ける」
「就業環境が害される」
一言でいってみれば、働きにくくなる、そして、生産性が落ちるってことです。
労働者が働きにくくなり、生産性が落ちるような言動が、セクハラでありパワハラなのです。
均等法はさすがよくできた法令だと思います。
生産性をインデックスにしておけば、誰から見てもその言動がセクハラ、パワハラかどうか明確に切り分けられるのです。

でも、鈍感なおじさんってやっぱりいるんですよ。
相手が嫌がっていて、働きにくくなっていて、生産性が明らかに落ちているのに気づかない。
あるいは気づいているのかもしれませんが、自らの欲望を抑えられないのか。
そういうおじさんに対抗するにはどうすればよいのでしょうか。

この法律に基づいて、厚生労働省にセクハラ相談窓口が設置され、相談を受けると共に企業に対して行政指導ができるようになりました。
松永真理『シゴトのココロ』小学館\1365-に、この相談窓口のカウンセラーの話が載っていました。

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ただ、何がセクハラであるのかを理解しないで相談にくる人がまだまだ多いらしい。
被害にあったとされるのは女性がほとんどで、「誘ってきた」男性の上司を訴えたい、と相談にやってくる。
「では、あなたは上司に自分の意志を伝えましたか?」
と聞くと、伝えてないケースが結構多いということだ。
「ノーと言う権利」があると同時に、「ノーと言う義務」もある。
それなのに、上司を一方的に加害者にしようとするのは、セクハラの問題を取り違えていることになる。

 「加害者を見つけだして罰するための法律ではありません。
  セクハラという切り口を使って、職場の機能不全に気づいてもらうための
  ものです」

カウンセラーの話は、明解だった。
男女雇用機会均等法は真の男女平等を目指して作られたもので、男性が女性をイクォールパートナーとみなさないことを罰すると同時に、女性側にも甘えは許されないということを言っているのである。
ではいったい、どうしたらいいのか。

 「自分の気持ちをきちんと伝えるアサーション能力を磨いていくことです。
  アサーションとは主張という意味で、相手を攻撃せずに主張する自己表現のことです。
  女性が長く働きたいと思うなら、自分はこういう人間ですということを
  表現していかなくてはなりません。
  日本では、主張というとすぐに攻撃的な印象をもたれますが、
  きちんと主張していくことは社会人としての基本的マナーでもあるのです」(81-82p)
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なるほど、なるほど。
セクハラといえども基本は<相手の嫌がることをしない>であり、<嫌なことをされたら嫌とはっきり言う>ことなんだと、再認識しました。
相手を攻撃するのではなく、やんわりと自分の気持ちを伝えていく。
その能力をアサーションと言うのですね。
当然それは相手の生産性も奪ってはならない。
働きやすい職場環境を維持することを抜きにした自己主張はいけない。
だからといって嫌なことを我慢するのはダメ。
我慢すると反って職場環境を悪化させ、自分や周りの生産性を落とすからです。

これは女性だけじゃなく、男性も同じですよね。
「相手を攻撃せずに主張する自己表現」が社会人として身につけるべき能力なんだと思いました。

2009年11月24日火曜日

築城3年、落城1日

こんにちは

事業仕訳で心配していた次世代スパコンプロジェクトですが、応援してくださる方も多く、明るい希望が見えてきました。
文科省へのパブコメも何千通と届いているらしく、そのほとんどがスパコンプロジェクトはやるべきだ、というものだったそうです。
嬉しいですねー。ありがとうございます!

次世代スパコンで使われる予定のCPUも完成しています。
CPU単体での性能は世界一、計算速度あたりの消費電力も世界一という優れもの。
現在日本2位のスパコン、JAXAで稼働開始したFX-1は、このCPUの一世代前のSPARC64 VIIを使用していますから、実績、安定性という意味でも有望です。

事業仕訳で蓮舫議員が「1位じゃなくちゃだめなんですか。2位でもいいじゃないですか」とおっしゃっていましたが、2位でもいいんです。
1位を取ることが大事じゃなくて、「使えるスパコン」が必要なんです。
2位でも3位でもいいんですが、日本に世界トップレベルの高性能スパコンがあることが大切だと思います。
でも30位じゃダメなんですよ。

もちろん遅いマシンでも計算はできますよ。
パソコンレベルのマシンだって、時間さえかければどんな計算もできるんです。
でもその時間が現実的に有意な時間なのかどうかが問題なんです。
パソコンでもできるけど100年もかかるとしたら、意味のないものになってしまいます。
次世代スパコンに使われるCPU SPARC 64 VIIIfxの単体での計算速度は128ギガフロップス。
ぼくらが使っているパソコンの計算速度はせいぜい3ギガフロップス程度ですから、50倍近い差があります。
まして次世代が目指す10ペタフロップスと比べると、300万倍にもなります。
次世代スパコンで1日で完了する計算をパソコンでやろうとすると、300万日=8200年もかかるわけです。
8200年先に結果の出る計算に、まるで意味はないと思います。

現在のtop500リストによると、1位のアメリカジャガーは1.7ペタフロップス、日本最速の地球シミュレータⅡは120テラフロップスで31位。
1位と30位の速度差は15倍近くあります。
つまり、同じ計算をするために、30位のマシンでは1位の15倍もの時間がかかる、ということです。
たとえば1位のマシンなら1日でできる計算が、30位のマシンでは15日間かかるわけです。
日本最速のマシンを15日間もひとりで占有して使えることなんかできません。
割り当てられたマシンタイムをやりくりして計算結果を出すには、さらに多くの日数が必要になってしまうのです。
この時間差が、科学や技術の開発力の差になってくるわけです。
だからトップレベルのマシンが日本にないとやばいんです。

トップレベルのマシンを造るには、最初から2位、3位を目指すことなんかできません。
各国が今現在の技術レベルで達成可能なマシンを、しのぎを削って開発しているのです。
各国の技術差はごく僅かです。
1位を目指さない限り、トップレベルのマシンは造れないのです。
もちろん総額1200億円という膨大な税金を投入しての開発ですから、無駄なく着実に実行する必要があるのは当然です。

最近のぼくの座右の銘は「築城3年、落城1日」です。
城を築くためには3年間コツコツとやり続ける必要がある。
でも油断したらたった1日で落城してしまう。
築城も落城も一番大切なのは「信用」「信頼」でしょう。
信用、信頼を得るためにはコツコツとした努力を3年続ける必要がある。
でも信用を失うのはあっという間なんです。
心してぼくの役割を着実に果たしていきたいと思っています。

2009年11月23日月曜日

親のめんどうをみなさい


こんにちは

11/21は、はっちゃんの満5歳の誕生日でした。
5歳になったらはっちゃんに伝えたいことがありました。
小児科医の田下さんの本に書いてあったことです。
すなわち、大人になったら親のめんどうをみて欲しい、私たちも君に期待している、ってこと。
子どもは誰かに期待されている、頼られていると思わないと、正しく育たないんだそうです。
期待されている、頼られているから、しっかりしようと思うものです。
大人でもそうですよね。
期待されない、頼られないって、寂しい人生だもん。
もちろん過度な期待はいけませんが、適度な期待は責任感を育てます。

誕生日の夜、寝る前にはっちゃんに言いました。正座してね。

 はっちゃんが5歳になったから、伝えたいことがあります。
 はっちゃんが大人になるとき、お父さんもお母さんもじいさん、ばあさんになっています。
 はっちゃんは立派な大人になって、お父さん、お母さんのめんどうをみてください。

はっちゃんは元気に「はい!」って答えてくれました。
ちょっと目が潤みましたよー。
さて、はっちゃんの心の奥底に染み通ったかな。

2009年11月19日木曜日

ともかく木に登れ!

こんにちは

ぼくは変人道を邁進するためにも人付き合いを悪くしています。
嫌いなものは嫌い、と割り切って、必要最小限の付き合い以外は切り捨てる。
人間関係というのは鏡のようなもので、こっちが嫌いなら向こうもこっちのことが嫌いなわけです、たいていは。
それならイーブンなわけですから、必要最小限以外の付き合いを止めることは相手にとってもメリットとなります。
相手だって嫌な奴と付き合う時間は少なくしたいでしょうからね。
そう考えると楽になります。

よのなか、2割くらいの人に嫌われても、同じく2割くらいの人には認めてもらえているものです。
学校の一クラス40人で考えれば、その2割8人くらいとはそりが合わないのは当たり前。
その代わり8人くらいとは非常に仲良くなれる。
そんなもんなんだと思います。
そして、何人かでも自分を認めてくれる人がいれば、何人かに嫌われたって平気のはず。
嫌われまいとして嫌われている人の方ばっかり見ているから辛くなるわけで、自分を認めてくれる人の方に注意を向ければ、意外と自分のシンパは多いんだってビックリするくらいなんです。

嫌われまいとしてそっちに自分の労力をかけるのはムダです。
誰からも嫌われないようにばかりしていると、精神が摩耗します。
精神が摩耗すると、本当は自分を好いていてくれる人に対する配慮がなくなってしまい、シンパが減っていってしまいます。
それは全くの損ですよね。
だから自分を認めてくれる人の方を向いて、そっちを大事にする。
その方が断然オトクなんです。

かくいうぼくにも、変人のぼくを認めてくださる方がいらっしゃいます。
こそばゆくなるくらい誉めてくださるんです。
あまりにこそばゆいので「そんなに言われると木に登っちゃいますよー。オレ、ブタになっちゃうよ」と言いました。

するとその方は次のように言ったんです。

 いいじゃない、登っちゃえば
  おだてだろうと何だろうと、とりあえず登ってみればいいんだ
   すると木の下では見ることのできなかった風景が見えてくる
    それだけでも登る価値はあるんだよ

あー、さすがです。
目からウロコが落ちました。
信頼できる人の言うことは素直に聞いてみるものです。
いい言葉だったんで、紹介しました。
さて、今日も木に登りに行ってきますかー!