2013年2月27日水曜日

叱れない教師、上司は三流である


昨今の体罰問題のおかげで褒める教育ばかり絶賛されている。
もちろん褒めることは大切だけど、褒めるだけじゃ育たないよ、子どもも部下も。
失敗したらちゃんと叱らなくちゃ。
失敗に対してきちんと叱責できる親、教師、上司じゃなくちゃね。

褒められない教師、上司は二流だけど、叱れない教師、上司は三流だ。
だってね、ぼくの経験だと叱れない人は実力が無い人だよ、必ず。
どこが悪いのかまるでわかってない。
そういう人が褒めても、絶対にピント外れになる。
ピントの外れた褒め方をされても、子どもだって嬉しくないぞ。

褒めることも叱ることも、基準を持ち、記憶力を持っていないとできない。
何に比べてよいのか、何に比べて悪いのか。
基準が無ければ、褒められた方も叱られた方も納得できない。
自分がどういう状態なのかは、基準というベンチマークがあってこそ認識できるんだよ。

そして記憶力。
記憶力無い人多いよ、教師にも上司にも、信じられないくらい。
自分がどんな指示をしたのか覚えていない。
自分が指示したことを子どもや部下がその通りにやり、上手くやり遂げられた。
でも覚えていないから褒められない。
自分が指示したことを子どもや部下が守らず、適当にやっている。
でも覚えていないから叱れない。
そういうことが2度3度続けば、その教師、上司の指示なんかに従わなくなるのは当然だ。

要するに「差異」に敏感であるか。
変化を見つけ、その変化がよいものなのかどうか基準に照らし合わせ、即座に褒めたり叱ったりする。
それができないと一流じゃ無いのだ。
そうやって褒めること、叱ること、この両者を最適にバランスさせ、子ども、部下を育てる。

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