2010年4月20日火曜日

人生60点主義


こんにちは

3月に受験したメンタルヘルス検定の発表がありました。
2種「ラインケアコース」、3種「セルフケアコース」とも合格。
やったねー。
出張の新幹線の中やホテルでのお風呂の中などスキマ時間で勉強してきましたが、努力の甲斐あり。
試験会場は昭和女子大だったから、試験中深呼吸何度もしちゃったしー。
うん、受験してよかった。
エヘっ。

合格通知には各科目の得点表も付いていました。
これが笑えた。
ほとんどの科目が9割以上の出来でしたが、セルフケアコースの「セルフケアの重要性」という科目だけ4割しか得点できていませんでした。
ってことは、ぼくはセルフケアの重要性なんか気にしてないのかも??
わははははは。
逆に「ストレスの対処、軽減の方法」という科目はほぼ満点!

ぼくは毎年2,3の資格試験に挑戦しています。
毎年2,3受験して、ひとつくらい合格するというパターンですね。
既に保有資格は60は超えています。

資格試験に取り組んでよかったなと思うことは、100点はねらわなくていい、60点で合格なんだ、ということを実感したことです。
たいていの資格試験は60点~70点くらいで合格します。
最難関の国家試験である司法試験でさえ、60点くらいなんじゃないでしょうか。
それは100点なんか必要ない、60点取れる人ならライセンスを与えても十分安心して仕事を任せられる、と国も国民も考えているということです。
60点取れる人なら基本的なことは理解しているし、足りない部分は仕事をしていく中で自ら学んでいけるはずだ、と考えられているということです。

大学入試でもそうですね。
東京大学でも合格ラインは55点くらいです。
このことは意外と知られていないようです。
東大生は子どもの頃から100点満点とってきた人ばかり、という誤解が世間にはあるようです。
だから「東大生は宇宙人」のように見えちゃったりね。
そんなことまるでありません。
むしろ東大生は、100点を狙ってなんかいなかったりするんです。

100点を取るって、ものすごい労力がいるんですよね。
80点くらいまでは基礎的で汎用的な知識や理解力で到達できますが、それ以上得点しようと思うと重箱の隅みたいなことまで勉強しなくちゃいけない。早稲田の歴史の入試みたいだね。
つまり、100点を取る勉強はムダが多いのです。
逆に言えば、重要なポイントが分かる人は80点くらいまでを確実に取って残りは捨てることができる。
だから短時間、少ない労力で合格点を達成できる。
ところが100点をねらう人は、まんべんなく勉強してしまうので、どこが重要なポイントか分からなくなってしまう。だから時間も労力もかかります。
そう考えると、80点の人より100点を取る人の方がバカだとも言えます。

ぼくたちは子どもの頃から<100点幻想>に毒されすぎているように思います。
小学校などではよく、子ども全員に100点を取らせるという教育が行われています。
全員が100点を取るまで努力させるわけです。
親も子どもが100点を取ったらお小遣いを与えたり、ご褒美を与えたり。
逆に100点じゃなかったらちっとも褒めなかったりして。
こういう教育は害の方が大きいように思えます。
こういう教育を受け続けると、100点じゃなくちゃダメなんだ、100点こそがいいものなんだ、それ以外は価値がない、価値が低いものなんだ、という固定観念を植え付けられる。
で、100点を取れないと自分が惨めになる。
100点を取れないで惨めになるなら0点でも同じだ、と極端な考え方をしてしまう子だっているでしょう。
それで60点を取る努力も放棄してしまって、0点人生を送ってしまうわけです。

何にせよ要は合格すればいいんです。
勉強だって仕事だって完璧は無理です。
まして人生長丁場。
すごく努力してたまには100点取ることもできますが、それを続けていくのは無理なんです。
それに本当にいい仕事、自分の好きな学問って100点で満足できるものではありません。
そういうときは100点満点なんて枠なんか超えちゃうものでしょう。

人生、平均60点くらいでちょうどいいのではないでしょうか。
60点取れるくらいまでは頑張ってみる。
時には80点までねらってみる。
すんごく面白いことだったら、100点なんて言わずに120点、150点、200点も取っちゃう。
時には失敗したり、ちょっとサボって40点かもしれない。
でも0点は絶対イヤだぞ。
たまにホームランもかっ飛ばしつつ、コンスタントに合格点は取り続けていく。
人生ってその程度で十分なんじゃないかな。


写真はXFEL実験棟大会議室。椅子も入りましたよ。
AV設備にも力を入れましたから、早く音出ししてみたい!
わくわく!!

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