こんにちは
重松清さんの小説が好きです。
以前読んだ『日曜日の夕刊』新潮文庫\629-所収の「後藤を待ちながら」が強く印象に残っています。
それはこんな話です。
主人公が25年ぶりに中学のクラス会に出席する。
中学時代に後藤君といういじめられっ子がいて、みんなでいじめた。
後藤君も同窓会に出席するらしい。
主人公は中学時代に後藤君をいじめたことを後悔している。
それは今現在、主人公の小学3年生の息子も今いじめられているから。
後藤君はなかなかクラス会に現れない。
結局、かつての後藤君はクラス会の会場には現れなかった。
が、同窓会場に一緒に連れて行った主人公の息子には会ったらしい。
そして後藤君は、いじめに勝てる<必勝法>を主人公の息子に教えた。
「一時間泣きつづけたら勝つんだ」って。
サイバーキャッププロジェクトという、子どもを虐待から守るための教育プログラムを開発している団体があります。
http://www.jcap.org/
このプログラムでは、先ず「NOとはっきり言えるようにする」ためのレッスンが用意されています。
あるいは、「その場から逃げる」ためのレッスンが用意されている。
自分の気持ちをはっきり言うこと、特にイヤなことをイヤということも、我慢のならないとき、自分のみに危険が及んだときに逃げることも、訓練で身に付くものだと思います。
生きていくための「技術」として、子どもに教えるのは大人の義務だと思います。
いじめられる子は得てして、嫌なことにNoと言えなかったり、その場から逃げなかったりする。
我慢しちゃうんですね。
それが余計にいじめる子の衝動をヒートアップさせ、いじめをひどくさせることにもなっているんだと思います。
和田秀樹『他人に言い負かされないための心理学』PHP研究所\1200-から引用します。
###
<予期不安を払拭する>
ケンカが弱い人の特徴とは、どういうものだろうか。
ケンカができない人に良くあるパターンは、相手に心理的に圧倒されたり、相手に対して余計な不安を覚えて負けてしまう場合が考えられる。
たとえば、ヤクザ風な人に脅される場合を想像するとよく分かる。
暴力的なことを含めて何をされるか分からないから、いたずらに恐怖心を抱いてしまう。
その場でことを収めても、後で仕返しが怖いし、二倍、三倍にして報復されるかもしれないという不安を持ってしまう。
こうした「予期不安」を抱くと、既にこの段階で心理的には負けているし、これでは相手の思うつぼである。
大切なのは、ケンカした後の状況や負けることを勝手に想像して、最初の段階で心理的に追い込まれないことである。
この人とケンカをしたら、あるいはこの人に嫌われたら、と勝手に決めてしまわないで、冷静になって自己の主張を明確に持つことである。
サラリーマンであれば、上司であれ、いやな同僚であれ、取引先であれ、何かしら無理難題をいわれたときに、逆らった後の結果を論拠もなく自分の中で悪い方に悪い方に解釈しないことである。
ケンカやディベートで、結論が出ていないにも関わらず、自分の解釈でストーリーを描き、相手はこうするだろうと決めてかかって、「主張すべきこと」の半分も発言しなかったりする。
また、もっと悪いのは、相手の言いなりになってしまうことである。
こうした負けの習慣が身に付いてしまった人は、そのサイクルからなかなか抜けられない。
幼少の頃を思い出してもらいたい。
年上の子どもや近所の悪ガキに絡まれたり、いじめられたりした経験のある人は多いだろう。
そうしたとき、逆らったら仕返しされるだろうという恐怖心から、抵抗しなかったとする。
そうすると、相手にとって刃向かってこない人、抵抗の姿勢をとらない人ほどラクな相手もいない。
いじめっ子にとっては、やりたい放題、言いたい放題である。
ところが、少しでも抵抗の姿勢を示せば、相手も次から違う手を考えてくるだろうし、無理難題をいわなくなるかもしれない。
もし、攻撃してきても、そのときはこちらも相応の対応策で対向すればいい。
つまり、一番いけないのはいいなりになることであり、一度も抵抗しないで負け戦が習慣化してしまうことだ.(74-76p)
###
言い返せない、反撃できない理由は「予期不安」なんですね。
反撃した結果もっと悪いことが怒るんじゃないかという予感。
悪い方に悪い方に考えてしまう。
何か行動を起こした結果もっと悪いことになるなら、現状に甘んじていよう、がまんしよう、という気持ちになってしまう。
それでは相手の思うつぼとなってしまう。
不安に思うことの99%は実現しないものです。
もちろんあまりの楽観視は危険で、必要なリスクヘッジはしなければなりません。
でも過剰に不安に思いこんで、萎縮しない方がいいんです。
たいていの不安要素は「予期不安」にすぎないんですから。
いじめにあったら恐れずにとにかく反撃してみる。
重松さんの小説のように、泣きわめいてもいい。
あるいは、ひどくならないうちにその場から立ち去るのがいい。
あいまいな態度がいじめっ子を助長させるんです。
打開策は「行動」を起こすことからしか始まらないものだと思います。
我が子たちにも徐々にNoと言える技術、逃げる技術を教えていきたい。
そして他の子のNoと言う権利も認めることができる子どもに育ってほしいと願っています。
2010年2月7日日曜日
Noと言える子どもに育ってほしい
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿