2011年2月8日火曜日

幸福とは何か


こんにちは

『安岡正篤 一日一言』致知出版社刊にこうありました。

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「さいわい」にも幸と福と二字ある。
学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。
たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、これは幸。
これは当てにならない。

そうではなくて原因を自己の中に有する、即(すなわ)ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。

福という字がそれをよく表しておる。
示偏(しめすへん)というのは神さまのことだ。
示というのは上から光がさしている、神の光、叡智(えいち)の光を表す。

旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば俵(たわら)を積み上げるという文字。
神の前に蓄積されたるものが「福」である。
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なるほど~、と思いました。
幸子という名の女は幸薄い、なんて昔から言われる。
それは待っているだけの「幸」はアテにならないってことなのかー。
待っていてもダメ。
自ら福を創り出す。
苦心、努力を積み重ねて福を創る。
すると幸もやってくる。
幸福は自分で勝ち得るものだったんですね。
漢字って面白い!

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