2009年6月22日月曜日

ハッピーマニアに育てたい

こんにちは

ぼくは自称「ハッピーマニア」です。
ぼくやぼくの家族、周りの人たちがハッピーであればいいと思い、ハッピーになれるよう行動しているつもり。
アンハッピーは感染しますからね、一人だけハッピーなんてあり得ない。
自分や家族、周りの人たちのアンハッピーをひとつひとつ取り除いていく。
それがハッピーへの王道だと思っているんです。
だから努力も必要。

内田樹/池上六朗『身体の言い分』毎日新聞社¥1500-にこうありました。

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「私ってなんてハッピーなんだ」っていう経験のない人というのはね、ぼくね、申し訳ないけれど人生展望ないと思うんですよね(笑)。(略)
さらに残酷なことをいうようですけれど、子どもの時にすごく恵まれた家庭環境にいて、親にすごく愛されたと思っている場合と、愛されなかったと本人が思っている場合の差というのは、その後どんなにご本人が経験を積み重ねてみても、埋められないと思うんですよね。
たっぷりと愛された人というのは、アチーブメントというのがあまり必要じゃないんです。
何か社会的に立派なことを成し遂げて、それによって承認されるというルールのゲームじゃないですから。
自分自身はもうすでに承認されているわけだから、あとは「暇だから何かやろうかな」というぐらいのことであって。
それからもう一つ、子どもの時にすごく親に愛された人というのは、孤立することが怖くないんですよね。
百人中九十九人があっちに行っても、「あ、そうなの。でも、ぼくはこっち」って、平気でこっちに行けちゃう。
だけど、承認された経験の貧しい人は、他者の承認がないと立ちゆかないから、絶えず周りの人の顔色をうかがってしまう。
こっちがいいのかな、あっちがいいのかな、どっちをやったらほめられるのかなって、いつでも何かを達成しなくてはならないという強迫観念にとらわれている。自分で高い目標を設定して、これだけのことを達成したら、このアチーブメントに対してきっとみんなあほめてくれるに違いないという期待をエンジンにして仕事をしちゃうから、ずーっと苦しいわけですよ。
だって、目標は百点満点であって、それからの減算方式で今の自分の位置を決めてるんだから。
99点でも「まだあと1点足りない」というふうにしか評価できない。それだけ見事な仕事をしていながら、成し遂げていない部分にしか目に入らない。
だから、いくらやってもストレスが消えない。(133-134p)
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なるほど、なるほど。
子どもは無条件の愛、無条件の承認をもって育てなくちゃいけないんですね。
もちろん何かができたら褒めるのも大切ですが、だからってできないときに叱ったり無視したらいけない。
できても褒める、できなくても愛する。
そうやってハッピーに育てていく。

すると、世界は基本的に自分の味方だ、という観念がしっかりと植え付けられる。
もちろん世の中には悪人、アンハッピーな人もいることはいる。
でもそういう人って案外少ないんです。
人を疑うことを原則に生きるのか、信じることを原則に生きるのか。
我が子たちには後者であってほしいですもんね。

その方がハッピーだし、意外と効率的なんだと思います。
疑うことに使うエネルギーは莫大です。
そしてあまり生産性がない。
とてももったいないことです。
信頼を基本に生きていれば、自分のエネルギーのほとんどをいい方向へ使うことができる。

自らの信じる正しいことなら、孤立も恐れず、恐れないというより気にしないでやり遂げることができる。
誰からの評価も気にせず、一歩一歩前に進んでいれば、モノゴトは必ず成し遂げられるものです。
もちろん、世の中「人間関係」も大事ですから、まったく他人を気にしないということもできないし、それは反ってやりたいことをやりにくくすることもある。
でも、愛されて育った子は、他人の評価に過剰に対応する必要がない。
あるいは、誤った評価を適当にやり過ごすことができる。
そして、自分にとって有益なアドバイスだけをチョイスできる「知性」を身につけられる。

はっちゃん、とっちゃんは男の子です。
ぼくが帰宅すると、激しくじゃれついてきます。
「そちも男よのう!」と言って、ぼくもそれに応じます。
汗だくになって遊びます。
これが父親が示す、男の子への無条件の愛の形なんだと思っているわけです。

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