2009年6月30日火曜日

需要率は80%

こんにちは

前便で、ぼくは来る仕事は拒まない、来るなら来いだ、なーんて書きました。
ま、ぼくは仕事が好きですからね。
でも、昔から言うじゃないですか、好きこそものの上手なれって。
好きだから上手くいく。
嫌いだと嫌々やりますから、時間もかかれば間違いも多くなる。
苦労して失敗しちゃうなんて、損ですよ。
誰かから期待されるから、仕事が舞い込んでくる。
期待されて、それを喜んで引き受け、楽しんでやる。
楽しいから早くできるし、間違いもない。
上手くいけば、多くの人から感謝もされる。
こんなハッピーなことはありません。

でも、舞い込んでくる仕事を引き受けるためには、準備も必要です。
ぼくは電気設備技術者ですから、建物に設置する変圧器容量(キャパシティ)を適切に決めることをします。
このとき、必要容量ギリギリに設計してはいけない。
ある程度の余裕をもって設計します。
必要容量÷変圧器容量=需要率、といいますが、需要率を80%くらいに設計するのがベスト。
20%の余裕があれば、将来のちょっとした負荷の増設にも対応できますし、時々ある急なピーク電力も対応可能。
何より、需要率80%なら日々安定に運転できるんです。

内田樹/春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』角川oneテーマ21¥724-にこうありました。


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大きな器があって、その縁ギリギリまで水が入っているときには、一滴の水が落ちた途端あふれますよね。
確かに最後の一滴のせいで水はあふれてカタストロフが到来したわけですけれども、この器があふれたのは、別に最後の一滴が「原因」じゃないですよね。
それまでにたまりにたまった水があったからこそあふれたわけで、最後の一滴がこぼれる前に、おちょこ一杯分でもいいから、ちょっと掬い出しておけば、この一滴が落ちても水はあふれなかった。
ほとんどの場合、人間の遭遇する不幸というのは、どうでもいいようなファクターの累積が劇的な出力を結果するというかたちのものなんです。
極端な話、「最後の一滴」が加わる前に、いつでもおちょこ一杯分ずつ汲み出し作業をしている人の身には決して劇的な不幸は訪れない。
いつでも顕在化する一歩手前で処理されているから。でも、そういうふうに考える人はほんとうに少ない。(内田、143p)
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人にも「器」、容量、キャパシティがあります。
それは誰もが知っているはずです。
でも、自分の器を適切にメンテナンスしている人って少ないです。

逆ギレする人って、器があふれるギリギリで生きている人なんです。
だからちょっとしたことで、器があふれてキレる。
余裕のなさなんですよ。

余裕がなくなって、来る仕事を拒んでいるとどうなるか。
フリーの人なら仕事が来なくなるのは当然ですが、サラリーマンは容易にクビにはなりません。
嫌な仕事、それをやってもやらなくてもどうでもいい仕事ばっかり来るようになるんです。
それは地獄の賽の河原で石を積み上げては壊されるみたいな仕事です。
どんどんとアンハッピーになっていってしまうのです。

常に器に余裕を保持する。
そのために、器の中の不要なものをちょっとずつでもくみ出して捨てる。
たとえばストレスとかね。
もちろん、広く勉強することによって器自身を大きくしていく。
そうやって、常に自分という器の需要率を80%に維持していく。

期待される仕事って、やっぱり上手くいって欲しい仕事です。
アイツにやらせればきっと成功するだろう、と思うから頼まれる。
期待されて、余裕を持って楽しくやって、ぜったい上手くいくと思ってやれば、たいがい上手くいってしまう。
こうなれば、ストレスなんかありませんよ。
上手くいくと、自分の器がちょこっと大きくなる。
するとまたその余裕に新たな面白い仕事が舞い込んでくる。
そういう好循環に居続けることができるんです。

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