2009年2月3日火曜日

教わり上手になろう!

こんにちは

大学で、何十年も同じ講義ノートでただそれを読みあげるだけの授業をしている先生がいる。
それが学生たちから批判されたことがありました。
学生たちばかりじゃなく、ジャーナリストやマスコミまで批判していました。
まあ、確かに面白くない講義であるとは思います。
でも、ちょっと視点を変えてみるのもいいですよ。

そもそも何十年も同じ講義ノートで授業することは、悪いことなのでしょうか。
その講義内容がスタンダードな古典的、教養的な確立されたものだったら、そして先生が丹誠込めて作り上げた講義ノートだったら、何十年経とうが変わらなくて当然です。
むしろ、ころころ変える方が間違っています。

講義ノートをゆっくり読み上げる授業法も、間違いとは言い切れません。
大学レベルの授業では、昔は十分な教科書がなかったのです。
あるいは、苦学生が多く教科書を買えなかった。
それで学生は、先生がゆっくり読み上げる内容を、必死にノートに書き写したのです。

ただボーッとした態度で聴くだけではだらだらした退屈な講義でも、それをノートに書き写すとなるととても忙しい。
退屈なんかしていられません。
そうして書き写したノートが、その学生の教科書、財産になったわけです。

ぼくも実際にやってみたことがありますが、書き写すことは意外に勉強になるんです。
書き写すためには、聴いたことをいったん自分の脳を通過させることになる。
すると内容も理解しやすいし、記憶にも残る。

ぼくは仕事上、世界のトップレベルの研究者や、キャリア官僚の人と話をすることがあります。当然ながら、一流大卒です。
彼らのほとんどは、必ずノートをとります。
議論したことを、議論しながら、ものすごい勢いでノートに書いていく。
そのノートを見ると、ぼくがしゃべったことを要約もしないで、そのままの形で書き写していたりするんです。だから、下手なことは言えませんよ(^^;)。
ノートをとる訓練がしっかりとされているんだと思います。

そう考えると、何十年も同じ講義ノートでただそれを読み上げるだけの授業は、いい授業でもあるんですね。
悪い授業だと決めつけた学生やマスコミの方が、勉強のやり方を知らない、思い違いをしているとも言えそうです。

吉田武『中学生が演じた素粒子論の世界』東海大学出版会\1600-にこうありました。

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最近では「あの先生は教え方が下手だ」なんてことを平気で言う人が多くなりましたが、先生の技量の問題以前に、その人自身の「教わり方が下手」な場合も多いものです。
ちゃんと教わる気もない人に、上手く教えるなどという魔法のような方法は、この世の中にはありません。(169p)
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仕事をしていても思います。
教わり方が下手な若者が増えているように思うのです。
もはや中年世代にまで、教わり方を知らない人がいる。
彼らは「他罰的」なんです。

仕事上のことで注意したり叱ったりしたとき、「上司は機嫌が悪いんだろう」なーんて理解の仕方をする。
あるいは、「そんな言い方はないだろう」なんて言ったりね。
「ぼくを嫌いなんでしょ」だったり。
すべて自分の気持ちを主軸においているんです。

確かに機嫌が悪いときもあるし、下手な言い方をすることもあるし、そういうオレ様君が嫌いなことも確かです。
が、それでは自分にとって有効なサジェスチョンでさえ活かすことができません。
損なことです。
どんなに機嫌の悪い上司であっても、やっぱり部下に直してもらいたいことがあるから、わざわざ口に出して注意するわけです。
そこを理解しないとね。

もちろん、変なことも言われることもあるでしょう。
でもその中にも自分にとって役に立つことがあれば、そこだけでも受け入れる。
一部でもいいから受け入れて、行動に移してみる。
その様子を見れば、好ましく思ってもらえるはずです。
それが教わり上手ってことだと思います。

先生も教え方を工夫することが大切です。
上司も平常心を失わず、言い方にも注意することが大切です。
でもそれにも増して、教わり方も上手くなっていることが大切。
教わり上手はオトクなんですから。

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