2009年9月20日日曜日

9割の普通


こんにちは

最近、変人の話ばっかりしているから、「普通はどうなのよ?」という話もしておきたいと思います。
野依さんはこう言いました。

 大学にしろ企業にしろ、奇人・変人をもう少し収容しないといけない。
 特に学術には、ユニークな考えとこだわりを持った異端者を、
 研究者の10%ぐらい確保する覚悟が重要だ。
  (野依良治『オンリーワンに生きる』中央公論新社\1600-、113p)

変人、異端者は10%ぐらいは必要だ、と言っているのです。
「変人道の鉄人」野依さんでさえ、90%は普通の人でいい、普通の人も90%はいなくちゃダメだと言っているのです。
世の中、変人ばっかりでは困るわけです。
変人って「憑きもの」みたいなもので、内側から湧き出してくる自分ではどうしようもないコントロール不能なもんだったりしますから、ちょっと困ったものでもありますし。
世の中に変人ばかりになってしまったら、ホント大変なことになりますよ。

生まれながらに変人もいれば、生まれながらに普通の人もいるわけです。
変人になりたいと努力する人もいるし、普通でいいと努力する人もいる。
世の中それでいいし、変人だけでも普通人だけでも世の中成り立たないんです。
それぞれが価値があるわけで、お互いに支え合っているのです。

このことは人間集団だけの話じゃなくて、個人の中にも通用することだと思います。
つまり、100%完全無欠の変人はよくないんですね。
そういう人は困ったちゃんになってしまう。
個人の中には、10%くらいの変人要素と90%くらいの普通人要素があるといいんですよ。

ぼくは自他共に認める変人ですが、技術者でもあります。
技術というのは決して目新しい新奇なものではないのです。
人類がこれまで経験してきた成功と失敗が生み出してきたのが「技術」なんだと思うのです。
つまり、人類の英知の集積です。
上手くいく方法、安全な方法、役に立つ方法を普遍化し、それを「常識化」してきたものが技術。
だから過去の技術をしっかりと学び、それを身に着けることなしには先には進めないのです。
なぜなら技術は安定、安心して使えるものでなくてはならないからです。
たとえ新たなことにチャレンジするときでさえ、過去の技術を無視したのでは失敗してしまいます。
安定した技術に付け加える形で、新たなことにチャレンジするのが王道なのです。
だからただの変人では技術者は務まらないのです。

野依さん自身、非常に常識人です。
常識=普通人です。
常識があるから非常識が分かるんですね。
確固たる常識があるから、どこに価値があるか方向を見定めることができるわけです。
しっかりとした学問の蓄積があったから、不斉合成の価値に気づくことができた。
見誤ることなく、自分の道を進むことができたんだと思います。
「90%の普通」も自分の中に抱えていたから、大きな仕事を成し遂げることができたと、ぼくは思うのです。

掛谷英紀『学者のウソ』ソフトバンク新書\700-から引用します。

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個性を伸張しなければならないという目的自体は、誰もが賛同するだろう。
しかし、教育学者の語る個性論は、個性にある種の序列をつけるものだったのではないだろうか。
つまり、発想力のようなものだけを価値のある個性と考え、基本的な学力あるいは地道な仕事をこなす能力を個性と認めていないのである。
しかし、仕事の現場では、発想力以外にもさまざまな個性の持ち主を必要とするのである。
そして、その種の個性は、数学や理科の学力にせよ、デッサン力にせよ、マーケティング力にせよ、よほどの天才でない限り、放置すれば身につくものではなく、それなりの体系的教育を必要とするものである。
ところが、ゆとり教育論者は、放っておけば、子どもたちはみんな自分の興味のある分野を自主的に勉強すると考え、そういう教育メニューを用意しなかった。
現状を見る限り、放任主義に基づくゆとり教育は、個性を育てるという目的を達するに有効な手段ではなかったと判断すべきだろう。(33-34p)
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学校教育の中で「個性重視」が叫ばれて久しくなります。
確かに個性は大事ですが、その個性を「変人養成」のように誤って考えていた節は確かにありそうです。
だから自由放任、伸び伸び教育に邁進してきた。
その結果はどうでしょうか。
普通の人間にはとても理解できないような犯罪が、子どもや青少年が起こすようになってしまいました。
犯罪を起こすようなことはしなくても、今の子どもたちは何か変だと思う人も多いと思います。
誤った個性重視教育の結果、100%変人が増えてきてしまったんじゃないでしょうか。
それは、「普通」をないがしろにして教育してきた結果のように思います。

普通にも価値があり、認められるべき立派な個性であること。
個性的な変人には価値があるけど、普通の部分もきちんと身に着ける必要があること。
学校も世の中もそれを忘れてきてしまったように、ぼくには思えます。


写真はXFEL実験棟工事現場。
これまで加速器棟、光源棟と造ってきた経験を生かして、常識的で普通で、かつユニークな施設に仕上げていきたいですねー。

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