2009年9月22日火曜日

頼り頼られ


こんにちは

家出少年(中年?)君のお母さんから電話がかかってきました。
子どもが何歳になっても、親は親、子どもが心配なんですね。
特に老齢にさしかかると、子どもがまだ自立していないと心配で心配で仕方なくなる。

それは分かります。
お母さんはこう言いました。

 私らのことは私らで何とかするから、
  子どもは子どもで何とかできるようになってもらいたい

ああ、これだよ、これ。
家出君が家出しちゃう理由。
子どもの自由を認めているみたいだけど、子どもを突き放しているようにも感じます。
親と子、それぞれが独立に自立することを言葉にする。
きっとそうやって育ててきたんでしょう。
でもそれは、子どもにとってとても寂しいことなんだと思うのです。

人は誰でも誰かから頼られたり、自分が誰かの役に立ったとき、幸せを感じます。
逆に、いつも誰かを頼る、助けてもらうばかりの人は、あまり幸せではないんです。
頼ること、助けてもらうことは、ある意味自尊心を傷つけます。
実力がなくいつも誰かに助けてもらっている人ほど不躾、失礼だったりします。
ありがとうの一言さえ言わない人もいます。
やってもらったくせに偉そうな態度をしたりね。
それはその人自身の中では、助けてもらったことは自尊心が傷つけられたことでチャラにしてるんでしょう。

誰かに頼られる人、誰かの役に立つ人こそ、自立した人間と言えると思います。
そういう人は、困ったとき、自分の力が及ばないとき、素直に他の人を頼ることもできる。
ありがとうと素直に言える。
それは、その恩をいつか自分が返せるだけの自信があるからです。
その人が困っているとき、その人の持たない力を自分が持っていると信じられるからです。
そして、誰かの役に立ちたい、という思いが、自分の実力を上げるモチベーションにもなるんです。
誰かのためにちょっと無理をする。
それが実力を上げ、自立した人間に自分を育てていくのだと思います。

きっと家出君は寂しい思いをしてきたんじゃないか。
もっと親が子どもに頼ることも必要なんじゃないか。
年取ってきたからそろそろお前に世話になりたい、と言うことも必要なんじゃないか。
お前は長男だからやっぱり頼りにしてるんだ、と言ってやることが必要なんじゃないか。
そうお母さんに言いました。

小児科医の田下さんはこう言います。

###
老後の話を必ず5歳の時にしてください。
子供が5歳の時で、6歳では駄目です。
6歳になると学校に行き、悪い友だちができるからです。
心がまだ汚染されていない5歳の時、「お父さん、お母さんは今元気でこうやっているけれども、歳を取って動けなくなって寝たきりになったらどうする?」と聞いてもらいたいのです。
そうすると100パーセントとは言い切れませんが、ほとんどの子供がドンと胸を叩いて、「任せなさい。僕が食べさせてあげる」と言うでしょう。(略)
両親の世話は、子供の生きがいの出発点です。
ですから、子供に「おまえたちの世話にはならない」と言ってしまったら、もうおしまいです。
取り返しがつきません。
早くから子供に「世話を頼む」と言うことです。
(田下昌明/野口芳宏『家族を考える』モラロジー研究所¥900-、43-45p)
###

おー、5才ですかー。

人は誰かの世話になるだけでは生きている気がしないものです。
誰かの世話をすることが生き甲斐になる。
親は子どもの世話をするから生き甲斐を持ててるんですね。

でも子どもは親から世話ばかりされている。
そういう子どもに「老後も世話にならない。好きに生きなさい」と言ってしまうのは、反って子どもの生き甲斐を奪う残酷なことなんですね。
もちろん結果として老後は夫婦だけの力で暮らすことになるとしても、子どもの時に子どもに生き甲斐を与えるのも親の役目でしょう。

我が子はっちゃんは今年5才になります。
11月のお誕生日が来たら、ぜひ実践してみたいですね。
楽しみ、楽しみ。


写真は高校の卒業写真。
50歳も間近になると青春時代が懐かしくなるんでしょうか。
今年卒業30年だから、高校の同期会をやろう、と呼びかけてくれたクラスメイト(女子、48歳^^:)がいました。
同期生たちのブログを立ち上げたり、奮闘してくれています。
同窓会活動に協力することを条件に、同窓会から同期会へ補助金2万円が出ます。
ぼくはそれを買って出ましたー。
次の同窓会総会で受け付け係を拝命いたしましたー。


0 件のコメント: