こんにちは
ぼくも社会人生活25年を経過して、いろいろ見えてきたことがあります。
労組執行委員長をやったりして、パワハラの相談を受けたりもします。
ハラスメントと仕事上の強い指導は、一見似ていて、表面的にはどちらか分かりにくい。
それを峻別する基準は、「組織の生産性を上げているかどうか」であることがわかりました。
上司が部下を叱責したとき、その後その部下が自分の仕事のやり方を見直したり、同僚たちが叱られた部下を助けたり協力したりして、組織の生産性が上がったならそれは正しい「指導」だったことが分かります。
この場合、叱責された部下も、最初はへこむかもしれませんが、徐々に明るさを取り戻します。
同じように叱責しても、その部下が自分の仕事のどこをどう変えたらよいか分からず、ただただおろおろするだけみたいな叱り方。
そんなだと、部下はへこむだけで立ち直ることができません。
同僚たちも見て見ぬふりをする。自分に飛び火しませんようにって。
叱られた部下だけでなく、組織全体が萎縮してしまい、生産性を落とす。
これが「ハラスメント」なんだと思います。
ハラスメントなんてそんな高級な言葉を使わなくても、ただの「意地悪」と言ってもいい。
セクシャルハラスメントも同じですね。自由恋愛と区別する基準は、組織の生産性。
たとえ職場内だって祝福すべき恋愛だったら、同僚だってちょっとはあきれつつも、生産性を落とすことはありません。
職場内にハッピーな雰囲気が満ちあふれれば、みんな気分よく仕事ができます。
ところがセクシャルハラスメントは、当事者だけじゃなく、同じ場にいる人たちの生産性を落とします。
職場内に嫌な雰囲気が漂い、居心地が悪くなり、本来仕事に向けるべき注意をそっちに取られてしまい、集中できなくなる。
本来上司の役目は、自分の管理監督する部署の生産性を上げ、会社や社会に貢献することです。
たとえその上司個人は有能で個人としてのアウトプットは大きいとしても、個人でできる仕事には限りがあります。
たとえ部署の人員個々人の能力がそれほどではないとしても、部下全体でのアウトプットは、有能なたった一人の個人のアウトプットを大きく上回るものなのです。
ハラスメントを起こす人は、そこが分かっていないようです。
内田樹『街場の教育論』ミシマ社¥1600-から引用します。
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集団で作業し、それぞれがその専門的知識や技術を提供し合い、その協働の成果はみんなで分かち合う。
リスクも損害もみんなで分かち合う。
それが労働のシステムです。
そういうシステムに適応できる人間を労働の場は選択しようとしています。
ですから、真にビジネスライクなビジネスマンは、「個人的能力はそれほど高くないが、周りの人のパフォーマンスを上げることができる」タイプの人を、個人的能力は高いが、協調性に欠けるタイプの人よりも優先的に採用します。
これは受験勉強ではありえないことですね。(211p)
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確かに、ハラスメントを起こすような人は「受験勝者」だった人が多いようです。
受験は、個人が相対的に他人と戦うゲームです。
誰かと共同、協調して戦うゲームではない。
そこで勝者になった人は、戦いとは個人が相対的に他人と戦って勝つもの、だという固定観念に囚われてしまうのかもしれませんね。
相対的に優位であれば勝者になれるので、そこでは「他人を蹴落とすこと」も戦術となってしまいます。
ハラスメントされる人の中には、有能な人も多く含まれています。
こういう有能な部下を潰すため、ハラスメントが行われるってこともあります。
その場合、受験勉強と同じく対等な立場で戦うのではなく、上司部下という権力関係の中で有利なポジションで戦うのです。
これなら勝って当たり前ですよ。
たしかにそれで上司は相対的にその勝負には勝て、有能な部下を潰すことに成功するかもしれません。
勝っていい気分になれるかもしれません。
でもそれによって、自分の部署の生産性を落とす。
それは回り回って自分自身の評価を落とすわけです。
いい気分は長続きしないのです。
ハラスメントを起こす人は、相対的に自分を優位に保ちたいわけです。
あまり能力の高くない上司の場合、自分の立場的優位性をもって戦ったとしても負けそうな優秀な部下はやっつけず、ダメな部下を潰そうとする人もいます。
確かにダメな部下なんでしょうが、わざわざ難しい仕事を与えたりして、できないことを強調するようなことをする。
ほら見たことか、ってね。
たとえダメ部下だって、その人の能力に見合った仕事なら確実、着実にやれるわけです。
上手く仕事を分配すれば、ダメ部下も組織としての生産性を上げることに貢献できるのです。
それは上司自身の評価を上げることにもつながることなのにね。
そこまで考えて、ハラスメントをしているのでしょうか。
長い目で見たら、ハラスメントは全く損なことです。やる価値はありません。
とても頭のよい人がやるようなことではありませんね。
ぼくも社会人生活25年を経過して、いろいろ見えてきたことがあります。
労組執行委員長をやったりして、パワハラの相談を受けたりもします。
ハラスメントと仕事上の強い指導は、一見似ていて、表面的にはどちらか分かりにくい。
それを峻別する基準は、「組織の生産性を上げているかどうか」であることがわかりました。
上司が部下を叱責したとき、その後その部下が自分の仕事のやり方を見直したり、同僚たちが叱られた部下を助けたり協力したりして、組織の生産性が上がったならそれは正しい「指導」だったことが分かります。
この場合、叱責された部下も、最初はへこむかもしれませんが、徐々に明るさを取り戻します。
同じように叱責しても、その部下が自分の仕事のどこをどう変えたらよいか分からず、ただただおろおろするだけみたいな叱り方。
そんなだと、部下はへこむだけで立ち直ることができません。
同僚たちも見て見ぬふりをする。自分に飛び火しませんようにって。
叱られた部下だけでなく、組織全体が萎縮してしまい、生産性を落とす。
これが「ハラスメント」なんだと思います。
ハラスメントなんてそんな高級な言葉を使わなくても、ただの「意地悪」と言ってもいい。
セクシャルハラスメントも同じですね。自由恋愛と区別する基準は、組織の生産性。
たとえ職場内だって祝福すべき恋愛だったら、同僚だってちょっとはあきれつつも、生産性を落とすことはありません。
職場内にハッピーな雰囲気が満ちあふれれば、みんな気分よく仕事ができます。
ところがセクシャルハラスメントは、当事者だけじゃなく、同じ場にいる人たちの生産性を落とします。
職場内に嫌な雰囲気が漂い、居心地が悪くなり、本来仕事に向けるべき注意をそっちに取られてしまい、集中できなくなる。
本来上司の役目は、自分の管理監督する部署の生産性を上げ、会社や社会に貢献することです。
たとえその上司個人は有能で個人としてのアウトプットは大きいとしても、個人でできる仕事には限りがあります。
たとえ部署の人員個々人の能力がそれほどではないとしても、部下全体でのアウトプットは、有能なたった一人の個人のアウトプットを大きく上回るものなのです。
ハラスメントを起こす人は、そこが分かっていないようです。
内田樹『街場の教育論』ミシマ社¥1600-から引用します。
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集団で作業し、それぞれがその専門的知識や技術を提供し合い、その協働の成果はみんなで分かち合う。
リスクも損害もみんなで分かち合う。
それが労働のシステムです。
そういうシステムに適応できる人間を労働の場は選択しようとしています。
ですから、真にビジネスライクなビジネスマンは、「個人的能力はそれほど高くないが、周りの人のパフォーマンスを上げることができる」タイプの人を、個人的能力は高いが、協調性に欠けるタイプの人よりも優先的に採用します。
これは受験勉強ではありえないことですね。(211p)
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確かに、ハラスメントを起こすような人は「受験勝者」だった人が多いようです。
受験は、個人が相対的に他人と戦うゲームです。
誰かと共同、協調して戦うゲームではない。
そこで勝者になった人は、戦いとは個人が相対的に他人と戦って勝つもの、だという固定観念に囚われてしまうのかもしれませんね。
相対的に優位であれば勝者になれるので、そこでは「他人を蹴落とすこと」も戦術となってしまいます。
ハラスメントされる人の中には、有能な人も多く含まれています。
こういう有能な部下を潰すため、ハラスメントが行われるってこともあります。
その場合、受験勉強と同じく対等な立場で戦うのではなく、上司部下という権力関係の中で有利なポジションで戦うのです。
これなら勝って当たり前ですよ。
たしかにそれで上司は相対的にその勝負には勝て、有能な部下を潰すことに成功するかもしれません。
勝っていい気分になれるかもしれません。
でもそれによって、自分の部署の生産性を落とす。
それは回り回って自分自身の評価を落とすわけです。
いい気分は長続きしないのです。
ハラスメントを起こす人は、相対的に自分を優位に保ちたいわけです。
あまり能力の高くない上司の場合、自分の立場的優位性をもって戦ったとしても負けそうな優秀な部下はやっつけず、ダメな部下を潰そうとする人もいます。
確かにダメな部下なんでしょうが、わざわざ難しい仕事を与えたりして、できないことを強調するようなことをする。
ほら見たことか、ってね。
たとえダメ部下だって、その人の能力に見合った仕事なら確実、着実にやれるわけです。
上手く仕事を分配すれば、ダメ部下も組織としての生産性を上げることに貢献できるのです。
それは上司自身の評価を上げることにもつながることなのにね。
そこまで考えて、ハラスメントをしているのでしょうか。
長い目で見たら、ハラスメントは全く損なことです。やる価値はありません。
とても頭のよい人がやるようなことではありませんね。
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