2009年12月15日火曜日

お父さん、かっこいい!


こんにちは

ぼくの誕生日にはつき君が「お父さん、かっこいい」ってメッセージカードに書いてくれました。
てっぺんハゲになりかけ、エム字ハゲも小文字から大文字に変わりつつあるぼくですが、子どもからみたらかっこいいんでしょうか。
なんだか照れ臭いですね。

最近、伊坂幸太郎の小説にはまっています。
小説の中のフレーズがことごとく「腑に落ちる」ちゃいます。
たとえば『チルドレン』の中で、主人公にこんな意味のことを言わせています。

 大人がカッコよければ、子どもはグレない

うーん、かっこいい!
子どもがまともに育たない原因の大きなものに、あこがれる大人、真似したい大人がいないっていうことがあると思います。
つまり、ダサイ大人ばっかりしか見ていない。
それじゃ大人になっても面白くないわけですから、いつまでも子どものまま、ワガママ放題し放題になるのも当然です。

特に父親が子どもにとってかっこいい存在じゃなくなっちゃっている。
父親自身もしょぼくれちゃって自信なさげに家の中にいる。
100年に1度の不況で給料もダウンし、ますます自信がなくなっている。
追い打ちをかけるように、母親が「お父さんのようになっちゃダメよ」なんて言ったりする。

反面教師、ということもありますが、子どもにそれは難しいんです。
反面教師というのは、自己がある程度確立している子どもじゃないと成り立たない。
やはり最初は、ぼくもお父さんのようになりたいな、お母さんのようになりたい、というロールモデルとなる必要があるんです。
自分がなりたい人物があって、そのために努力する。
そうやって自己が形成されてきているから、悪い例を見たときに反面教師にできるわけです。

林義道『父性で育てよ!』PHP\1300-にこうありました。

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親の権威というのは、ただ子どもから尊敬されているというだけでは不十分なんです。
そこには「好き」という感情が加わらないといけません。
好かれていて、しかも尊敬されているという、この両方が混じっていないと駄目なんです。
尊敬されているだけじゃ、怖いとか、親しみがないということになってしまいます。
その反対に、ただ好かれているというだけだと、好きだが軽蔑しているということになってしまいます。
(40p)
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子どもに好かれようとしている親は多いと思います。
でもその思いは、子どものためというより親自身のためのような気がしてなりません。
つまり、子どもに嫌われたくないというネガティブな思いだからです。
親自身、自分を守るために子どもに好かれようとしているわけです。
これでは、子どもの奴隷になってしまいます。
林さんはさらにこう言います。

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お父さんの場合でも、子どもの言うことを何でも聞いてやる、子どものほしがるものを何でも買ってやる、何をやっても自由に放っておく、というふうだと、たしかに子どもにとっては便利ですから、子どもは「お父さん好き」と言いますが、子どもはお父さんを決して尊敬していません。
いざというときには、お父さんの言うことを聞きません。
お小遣いをもらうために表面は言うことを聞きますが、陰では破っています。面従腹背になります。(41p)
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好かれたいだけの親は、子どもにとって便利な奴隷でしかありません。
そういう親はちっともかっこよくありません。
好きという感情に尊敬という理性が加わったとき、子どもは親を「かっこいい」と思ってくれ、親のようになりたいと思うのだと思っています。

まあいつかは子どもは親を乗り越えていくわけで、オヤジもたいした人物じゃなかったんだ、と気付く時期もくるでしょう。
でもあまりに早くそうなっては、親の役目を果たしたとは言えないと思います。

少なくとも10才、できれば15才くらいまでは、子どもにとってカッコイイあこがれる親でありたいと思っています。
さて、どこまで自分を引っ張れるかなー。

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