2010年10月14日木曜日

本当の優しさ

こんにちは

やたら謙る人っていますよね。
何を言うのでも「若輩者ですが」「経験が浅いもので」「不勉強でして」とマクラに付ける。
一緒に仕事をしていて、つきあい始めて日が浅いときならいいのですが、もう何度も打ち合わせで顔を見ているのに、その度にそんなことを言うから、ちょっと鬱陶しい。
もうお前の実力は分かっているんだ、若輩者で経験も浅い割に不勉強なのも知っている、だからいちいち言うな!と、心の中で毒づきます。

そもそも謙譲語というのは、若者は使っちゃいかんのですよ。
若者は未熟なのは当たり前ですから、わざわざ言わなくてもいい。
実力のない者がわざわざ謙ってみせることはありません。
本当に実力がある者が、ちょっと謙るのがかっこいいんです。
謙ることによって反って自分をアピールするんですね。
そういう戦略にも長けた人だけが、謙ってもいいんだと思います。

上原春男『成長するものだけが生き残る』サンマーク出版\1700-から引用します。

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土光(敏夫)氏と話すとき、私はいつも、「私のような若い者が言うのはおこがましいのですが」という前置きを口癖のように言っていました。
するとあるとき、土光氏は私にこうおっしゃいました。
「先生はいつも『私のような若い者が』と言われるが、先生はいくつですか」
私が35か6歳くらいのときでしたから、その旨答えると、土光氏は再度、「35歳は若いのですか」とたずねられるのです。
私は冗談半分に、「若いと思います、土光さんに比べれば・・・」と答えました。
すると土光氏は、にわかに鋭い目をして、

 「先生、それは間違っている。人間は30歳過ぎたら一人前です。
  30歳過ぎて若いなんて言ったらいかん。
  そう言うということは、わずかながらでも、責任逃れをしたいと
  いう気持ちの表れです」

となかば怒りながら、私をいさめられたのです。
そして、「いつもあなたは若いから、若いからと言うが、ここで一度、立場の違いや年齢差を忘れ、自分の言いたいことを遠慮なく、言いたいだけ言ってみなさい」と促されました。(67-68p)
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脳科学者の久保田競さんによると「21歳から35歳は、専門家脳を鍛える時期」なのだそうです。
20歳までに広く教養を学び、自分の適性を見つけ、自分の進む方向を定める。
21歳から35歳までは肉体的にもタフな時期なので、徹夜仕事など無理も利く。
失敗してもある程度許される年代でもあるので、果敢なチャレンジもできます。
そうやって専門性を高めていけば、35歳には自他共に認める「専門家」になれるんだそうです。

土光さんの「30歳過ぎたら一人前」というのは、30歳にもなったら一人前になっていなくちゃいけない、という意味なんでしょうね。
一人前になったのなら、謙る必要はないんです。
もちろんTPOに合わせて謙るときも必要でしょうが、専門家同士対等に議論できなくちゃいけない。
そうでない奴はオレの前に来るな!と、土光さんは言っているのかもしれません。

土光さんって柔和なお顔をしていた記憶がありますが、とても厳しい方だったのが分かりますね。
ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんも写真で見るととても優しいおじいちゃんといった雰囲気の方です。
でも竹内薫さんがどこかに書いていたことですが、東大時代の小柴さんはものすごく厳しい教師でもあり、理学部の廊下で泣いている学生(男)を何度もみかけたそうです。
そのおかげで、小柴さんのお弟子さんたちは、残念ながら亡くなってしまったが戸塚洋二さんを筆頭に、物理学者として活躍しています。
厳しいからこそ長い目で見ると、それが学生の役に立っており、結果として「優しい」ということになっていると思うのです。
だから本物の「優しさ」とは、安直なことではないんだと思います。
学生や部下たちを、30才過ぎたら専門家、と言われるくらいに育てなくちゃ。
自立した人間に育て上げることが、本当の優しさなんです。

大学に限らず、厳しい教師って少なくなったと思いませんか?
先生自身に確固たる自信がないと、生徒を厳しく導けないものだと思います。
学校に限らずいい仕事をするためには、時には厳しく対処する必要があります。
他人に厳しくするためには、自分自身にも厳しさが求められます。
まあ、ありとあらゆる部分厳しくもできないでしょうし、そんなことしたら疲れちゃうでしょうから、ある部分だけでもいい。
ポイントを外さず厳しくできるような人にぼくもなりたいなって、常々思っているのです。
それがホントの「優しさ」を産み出すからです。

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