2008年10月13日月曜日

誰のためにそれをするのか

こんにちは

今年のノーベル賞は日本人が4人も受賞しました。
4人とも、対象となった研究は1970年代になされたもの。
ノーベル賞に値すると評価が固まるまで、30年くらいはかかるものなんですね。
それを考えると、ぼくが今やっている仕事の中からノーベル賞が生まれる可能性だってあるわけです。
30年後が楽しみですねー。

今のぼくのもくろみは、施設担当者として最大限研究に貢献し、論文の共著者にしてもらうこと。
その論文でノーベル賞をとったら、共著者としてスウェーデンでの授賞式に列席させてもらう。
いいでしょー!あはははは。
 
XFEL木村研究員が加速器学会で発表した論文が出来上がってきました。
ぼくも設備関連のところをちょこっと書きましたが、共著者にしてくれました。
しかも、ラストオーサー。
論文の最初に記載される著者は、ファーストオーサーと言って、その研究をメインに行った実働者。
最後に記載される著者は、ラストオーサーと言って、その研究を指導的立場で実行した人。
ぼくがラストオーサーにふさわしいとはまるで思いませんが、木村研究員に感謝です。

以前、戦略と戦術を区別する技術を書きました。
今やっている仕事が戦略なのか戦術なのか意識的に区別すると、いい仕事ができる。
その時のフォーマットは、

 ○○のために、△△する
 
です。
○○には戦略、つまり目的、目標となることが入ります。
このとき、○○に人や組織の名前を入れてみるのもいいです。
だって仕事の戦略、目的、目標は、究極的には誰か人のためにするものだからです。
 
○○に入る人や組織が、自分や自分に近い場合には、その仕事は間違っているか意義が低い可能性が高いと判断できます。
たとえば、自分のためにする仕事、自分の属する組織のためにする仕事です。
そういうときは、不正が入り込みやすい。
事故米転売なんて、自分や自分の会社のことしか考えなかったから起こった事件だと思います。
逆に○○に入る人や組織が、自分と離れれば離れるほど、その仕事は正しく意義あることだと言える。

『WEDGE』'08.7清水克衛「稼ぐのが勝ち組、そんなモノサシ壊してしまえ」にこうありました。

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人のためにおせっかいを焼いて、感謝して助け合ってきたのが日本人のアイデンティティーです。江戸時代は「稼ぎ3割、仕事7割」と言いました。
「稼ぎ」とは今のウチで言えば本を売ることで、「仕事」とは壊れた橋や埋まった溝を直したり、お年寄りの具合を見に行ったりと、誰かのために何かすることでした。
1日の7割は「仕事」をしていたんです。
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昔は自分の能力の7割は他人のため、公共のために使っていたんですね。
それを「仕事」と定義していた。
たしかに仕事は「仕える」「事」と書きます。
向かっているベクトルは、自分以外の人なんですね。
自分のためのものはそれとは別に「稼ぎ」として区別していたんです。
稼ぎは3割。
そのくらいの割合がベストな人間関係をを作っていけたんでしょうね。

ぼくは上のことをさらに、誰かのために一生懸命やっていると、そのうち3割くらいは自分に返ってくるものだ、とも解釈できるんじゃないかと思います。
自分の能力すべてを仕事に注ぎ込むと、その3割くらいが自分のところへ返ってきて、それが自分を生かしてくれる。
仕事とはそういうもんなんだと思うのです。
もし稼ぎばっかりに自分の能力を注いでしまうと、事故米転売会社のように生きながらえることができなくなってしまうのだと思います。
 
だから、時々自分のやっている仕事を「○○のために、△△する」というフォーマットにあてはめてみて、○○に何が入るのか確かめてみるといい。
○○に自分や、自分の所属する組織が入ってしまうようだったら、その仕事はもしかしたら間違っているのかもしれないと考える。
そうやって軌道修正できると、事故米転売みたいな変なことはしなくてすむようになる。

高橋鍵彌『12歳からの人づくり』致知出版\1300-にはこう書いてありました。

  自分で自分を不自由にすることが我欲なのです。(103p)
 
我欲、つまり自分や自分の組織ばかりしか考えないと、結局は自分で自分を不自由にし、不幸になってしまうものだと思います。
 
ぼくもノーベル賞授賞式列席は夢として、職場の日本の、いや世界の科学技術に貢献していきたいと思っています。
それがいつか自分に帰ってくる日が来ると信じています。

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