2009年1月2日金曜日

礼儀とはルーチンワークである

こんにちは

我が子はっちゃんも4歳になったので、これからは徐々に厳しく躾けていこうと思っています。
3歳まではたっぷりアマアマに育ててきましたしね。
一度にあれこれやるとパンクしますから、ごくごく基本的なことをひとつずつ徹底していく。
まずは教育哲学者の森信三氏の提唱する「躾の三原則」から始めていこうと思っています。

1.挨拶をきちんとせよ
2.返事はハイとはっきりきびきび
3.靴をそろえ、椅子をきちんと仕舞う

ごくごく平凡な躾です。
でも大人でも(大人だから?)できるようでできないですよねー。

最近の若い人を見ていて気になるのは、まあぼくも若い頃はそうだったかもしれないんだけど、お礼も挨拶も返事もやればできるはずなのに、必要なときなのにしないときがあるんだよね。
どういうときにしないのか、その傾向をじっくりと観察してみました。
わかりました。
機嫌の悪いときはしない。
そういうはっきりした傾向があります。

若者たちは、自分が機嫌悪いとき、気分が優れないとき、疲れているとき、悲しいときなどなど、お礼も挨拶も返事もしなくてもいいと思っているらしい。
オレ様優先なんだよね。
おもしろい、おもしろい。

あ、おもしろがってちゃいけませんね。
それって損なことだと思います。
若いうちならそれもまあ可愛いとも言えるんですが、ある程度の年齢になってもそれじゃあ下品なんです。

内田樹/名越康文『14歳の子を持つ親たちへ』新潮新書\680-から引用します。

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「しつけ」って言い換えればルーティンということでしょう、要するに。
ある布にこうやって折り目つけることが必要なら毎日同じことをやってると、必ずここにいつの間にか折り目が出来るんです。
折り目正しいと言うけども、折らなきゃダメなんです。
何度も何度もこうやって。(内田、196p)

ルーティンというのは植木鉢の土の部分なんです。
土の部分っていうのは、同じことを繰り返していくと練れてきて。
そうすると初めてそこから木が生えてくるんです。
これがないと何も生えやしないんです。
ところがみんな土壌を作らないで花だけ咲かせようとする。
そんなの無理ですよ。(内田、199p)
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躾や礼儀って、自分がどんな状況でもコンスタントにやれるものなんです。
やれなきゃいけないものなんです。
なぜならそれは、「相手への配慮」が基本だからです。
自分が機嫌が悪いときは相手に配慮しない、というわけにはいかないものだからです。

風邪をひいて具合が悪いときでも、知っている人にあったら挨拶する。
プライベートで悲しいことがあっても、上司に呼ばれたらきちんと返事をする。
逆境の中にあっても、靴はそろえ、椅子は仕舞う。
それが「折り目正しい」ことであり、礼儀なんです。
そうできるようにすることが「躾」なんだと思うんです。
そしてそうできるから、周りの人も認めてくれ、やがては自分へとよいことが帰ってくる。
あいつ、大変な状況なのによくやっていて、けなげなヤツだなー、って思ってもらえる。
躾は、身が美しいと書くとおり、周りの人に<品>を感じさせるものなんです。

躾はどれも、平凡なことかもしれません。
でもそれを、いついかなる時でもできるように身につけるのは大変なこと。
平凡こそ素晴らしく、なかなか得難いものなんだと思います。
平凡なんだけどなかなか身に付かなく、いったん身に付くと人生のアドバンテージになるんだと思っています。

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