2008年12月31日水曜日

しつけは自由へのパスポート

こんにちは

毎年末に、今年お世話になった方、これからもおつきあいいただきたい方に、ぼくの青春の味、教え子の家から送ってもらった日高昆布1等品をお福分けしています。
打ち合わせついでに丸の内のスパコン本部の方たちにもちょびっとずつ持って行きました。
ここの秘書の方はとても元気のいいねーちゃん。
「わー、ありがとう!坂田さんや倉持さんにも持って行ってあげるよ!」
坂田さん、倉持さんは元理研のスパコン担当理事。
今は文科省に戻って、坂田さんは文部科学審議官、倉持さんは局付きの審議官をなさっています。
文科省の偉い方にまで届けるなんてぼくはまったく想定外のことで、面食らっちゃいましたが、ちょびっとずつでかっちょ悪いなーと思いつつも素直にお願いしました。
するともう翌日には、坂田さんと倉持さんからお礼のメールが届きました。
さすがです!

何かプレゼントしたり、その人のために何かをしたとき、さっと礼状をくれたり、お礼の電話やメールをくれる人がいますよね。
「ありがとう」とひとこと言ってくれる。
とても嬉しいし、気持ちがいい。
そうされると、また何かその人のためにしたいなーって思います。

仕事の上でも、ありがとう、と言ってくれる人がいます。
仕事なんだからやるのは当たり前なんですが、それでも「ありがとう」とか「助かった」とか、素早くメールをくれたりします。
そうすると、その人のためならもっと頑張ろう、という気が湧いてきます。
逆に、本来業務以外のことをやったときでさえ、ひと言もなかったら「なんかなー」って思っちゃいます。

で、マメにひと言くれる人って伸び伸びと仕事をしているように思います。
自分のやりたい仕事を伸び伸び、かつバリバリやっている。
とても充実しています。そして出世している^^;)。
それは、「ありがとう」のひと言が生み出しているんじゃないか。
「ありがとう」と言うから、他の人もその人の仕事に協力してくれる。

仕事だって一人でできることはたかが知れていますから、協力者は絶対に必要です。
無理やり業務命令で従わせる手もありますが、強制されたら嫌々やることになって、スピードと品質が落ちるのは当然です。
それよりは、自然な形で協力してもらう方がいい。

何かをしてもらったら「ありがとう」とすぐ言うのって、実は「しつけ」なんですよね。
礼儀作法と言ってもいい。
きっとそう言う人は子どもの頃からきちんとしつけられていた。
だから自然に素早く「ありがとう」のひとことが言えるんだと思います。
それが大人になって仕事をしても役に立っている。
伸び伸びバリバリ仕事をこなすための、潤滑剤になっている。
つまりそれは、自由を手に入れていると言っていいと思います。
しつけが身に付いていれば、より自由になれるんだって思うのです。

野口芳宏『子どもの作法』PHP\1300-から引用します。

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「礼儀作法」を身に着けている人は立派です。
誰からも愛され、親しまれ、尊敬されます。
品位もあり、おくゆかしく、人間としての円熟味も加わります。
そして、何よりも本人が楽しく、明るく、幸せな日々をおくることができます。
「作法」は人を幸せに導くお守りです。(2p)
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子どもをしつけるというと、子どもの自由を奪うような気がして、腰が引けてしまう親も多いようです。
確かにそれで子どもは伸び伸びするかもしれません。
でも子どもが成長して社会に出て行ったときにどうなのでしょうか。
社会でも伸び伸び自由にやれるのか。
そうじゃないとぼくは思うのです。
しつけ、礼儀作法が身に付いていないと、社会の中での自由度は返って狭くなってしまう。
人生の長いスパンで考えたとき、より自由になれるのはどうすることなのか。
そう考えると、子どものときのしつけって大事だよなって思えます。

はっちゃんとっちゃんにも、「ありがとう」のしつけはしつこくやっています。
何かしてもらったら必ずありがとうと言う。
お店でおやつを買うとき、お金を払うときにも忘れず言う。
不躾な子どもより、やっぱりちゃんと躾けられた子どもの方がかわいいですからね。
かわいいとオマケしてくれたりします。
来年も、きちんとすることは得なことなんだ、ということを体に染み込ませていきたいですね。
そのためにみ、親自身も礼儀正しくしなくちゃね!

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