2010年11月16日火曜日

100点より価値ある合格点を目指せ!

こんにちは

こういう思考実験をしてみましょう。

ある先生が子どもに漢字を覚えさせるために漢字テストをやってみました。
あらかじめ20文字の漢字を指定し、授業や家庭学習で十分練習させた。
テストをやってみたら、最低点の子は60点、12文字の正解でした。

どの子にも100点を取らせたいと思った先生は、今やったテストの結果から「問題数を10問にすれば全員が100点になるだろう」と予想しました。
だって20問のテストで最低点の子どもでも12問正解できたからです。

ところが実際に10問のテストを実施してみたら、全員が100点ということにはなりませんでした。
やっぱり最低点は60点、6問の正解でしかなかったのです。

なので、さらに問題数を減らし、1問だけのテストにしてみました。
1問だけならどんな子でもしっかり覚えて来て100点取れるに違いないと。
1問だけのテストを何回か実施してみました。
すると全員が100点の日もあるけど、やはり間違える子どももいる。
つまり0点ですね。
テストを何回か繰り返してみて、最低点を取る子の平均を計算してみると、やっぱり60点くらいになる。

これはただの思考実験ではありません。
「現実」なんです。

筑摩書房のPR誌『ちくま』03.09号の重松清さんと新井紀子(国立情報学研究所)さんとの対談「「わからない」からこそ、「わかる」が深くなる」から引用します。

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重松 新指導要領の発想では、考える過程を丁寧に見ていくことで点数を加算していくのではなく、教える内容を簡単にすることで0点をなくそうとしていますね。

新井 変な話なんですが、数学のレベルを下げても、やっぱりできない子の人数はあまり変わらないんです。
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問題を易しくすれば、問題数を減らせば、どんな子どもでも100点を取れると思うかもしれません。
でも現実は違うんですね。
易しくしても、課題を減らしても、できない子どもの人数はそう変わらないんです。

これを工業的には「歩留まり」といいます。
何かを生産するときに、必ず一定割合の不良品が出てしまう。
その良品率を歩留まりといいます。
不良品は少ないほどよいのですが、努力して工夫して不良品を減らしていっても、ある割合からはなかなか減らない。
それ以上歩留まりを減らすためには、相当の労力とコストと時間がかかってしまうようになります。
コストと時間が見合わないなら、工業的には意味がないのです。
ですから工業では、歩留まりを減らす努力と工夫は常にしているのですが、ある程度の歩留まりは許容せざるを得ない。
でもそれが「合理的」なんです。
コストパフォーマンスが最大になるように、歩留まりが出ることを織り込んで生産計画を立てるのです。

もちろん子どもは工業製品ではありません。
工業製品における不良品のように子どもを考えるのは間違いだと、ぼくも思います。
が、教育にも「歩留まり」という概念は必要だとぼくは思っています。
人間というのは、易しければ、課題が少なければ、誰もが100点を取れるようにはできていないのです。
歩留まりを見込んだ教育が必要なんだと思うのです。

さて同じ60点でも、20問の漢字テストでの60点と10問の漢字テストでの60点では価値が違います。
20問のテストの時は12文字覚えられたのに対し、10問のテストの時は6文字しか覚えられていないからです。
当然ながら12文字覚えた方が価値があります。
同様に、20問のテストで60点を取るのと、10問のテストで100点を取るのではどちらが価値があるでしょうか。
一方は60点でも12文字覚えられた、もう一方は100点でも10文字しか覚えられない。
ならば覚える漢字数が多い方が価値がある、とも言えるのではないでしょうか。
その意味で、100点よりも60点の方が価値がある、と言ってもいい。

つまりテストをプランニングするときも、歩留まりを考慮して子どもにとってより価値を生み出すためにはどう難易度と課題数を設定するのがよいか、その最適解を求めた方がいい。
安易に全員に100点をとらせようとして、返って子どもに価値を与えない教育になっていないかどうか、吟味が必要だと思います。

このことは大人にとっても、職業人にとっても同じだと思います。
「人生は良く生きるものではない、多く生きるものだ」とぼくは思っています。

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