こんにちは
ぼくは養老さんが好きです。岸田秀さんも好き。
最近は内田樹さんも好きですね。
このお三方はご自分の専門にかかわらず、どんなジャンルのことでも分析ができる。
それも切れ味鋭い。
なんでそんなことができるのか、不思議だったし真似したかった。
養老孟司/牧野圭一『マンガをもっと読みなさい』晃洋書房\1500-を読んだら、その秘密が書いてあったんです。
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ところで、日本の大学の学科分類の最大の欠点は、対象で学科を切ることです。
法律を扱う学問と経済を扱う学問とは違うというんですよ。でも、違わないでしょう。
料理を習うときに、和食、中華、フランス料理というように分けて、皆さん納得している。
僕はそういうふうには分けない。
包丁の使い方、材料の選び方というように、方法で分けます。
包丁の使い方をちゃんと心得れば、中華だろうが和食だろうが使えるでしょう。
それをやらないから日本の学校は役に立たないんです。
ですから、法律について一応知ったような顔をしているけれど、応用はまったくきかないんです。
解剖というと、皆さんは人間をばらしているんだ、人間についてなにか知るんだと思っているでしょうが、僕はまったくそう思っていないんです。
解剖の方法論はなんにでも使える。
よく比喩的に使うじゃないですか、社会を解剖するとか。
僕はあちことに余計な口を出すようですが、根本は解剖で覚えた方法論を使っているだけです。
まさにメスの使い方です。(162-164p)
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なるほど。
ひとつでも方法論を徹底的に身に着ければ、それは他のことにも応用可能となる。
一つの方法論をあらゆることに適用してみることによって、さらに切れ味がよくなってくるんですね。
養老さんは解剖学を極め、岸田さんはフロイトを、内田さんはレヴィナスを極めた。
だからなんにでも鋭い切れ味で批評できるんですね。
それもわかりやすい言葉で。
昔から「一芸に秀でる」って言いますよね。
どんな分野でも一つのことに秀でるまでやれば、人格も磨かれるってことでしょう。
人格というのは狭い世界だけじゃなく、広い世界で通用する、尊敬されるものです。
専門性も極めれば、その専門分野ではない人からもすごさが分かるんです。
それは、専門以外のことも理解し説明する能力が備わっているからです。
だから尊敬もされ、人格も優れていると誰からも評価されるわけです。
専門バカという言葉もありますが、まだまだ極め方が中途半端なんでしょう。
専門用語、カタカナ用語を得意そうに使って、ちっとも要領の得ない話を得々とする人もいますが、そういう人は未だ専門バカにとどまっている人と言えると思います。
仲間内なら通じるのかもしれませんが、端から見るとバカに見えたりもします。
それは、たいして専門性もないことが、素人目には分かってしまうからです。
むしろ、素人の方がわかっちゃうんですよね、専門バカかどうか。
ぼくは若い頃(40歳前)までは、自分の専門に没頭すべきだと思っています。
スペシャリスト目指して、意図的に経験を積み、それを支えるだけの知識を学ぶ。
ぼくもそうしてきたつもりです。
そうすると、周りがよく見えるようになるんですね。
専門外のことも理解できるだけの「備え」が、自分の中に存在するようになる。
そうすると、たとえ諸事情で専門外のことをせざるを得ない状況になっても、あたふたしないですむ。
難なくこなせるからです。
ちょっと頑張れば、できちゃうのです。
その意味で、ゼネラリストになっているのです。
よく配置転換で自分の意に沿わない仕事をさせられて、無能化してしまうおじさんとかいます。
そういう人は、専門性が身に付いてなかったってことだと思うのです。
専門性があれば、どんなことだってまずまずこなしていけるはず。
そうでないなら、スペシャリストでもなかったということです。
養老さんも岸田さんも内田さんも、世に出たのは50歳過ぎ。
ぼくの50代も楽しみですぞー。
あはははは。
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