2008年12月28日日曜日

元気なじいさんになりたい!

こんにちは

毎年末、ぼくは今年お世話になった方とこれからもずっとおつきあい願いたい方に、ぼくの青春の味、教え子の家から取り寄せた日高昆布を贈っています。
寺田じいさんから礼状が届きました。
寺田さんは法務省の営繕の仕事を定年後、何年か理研のぼくのいるセクションに来ていただいた方。
とっても元気なじいさんで、ぼくのリスペクトする、こういうジジイになりたいと思える方です。今も現役で仕事をしている。
死ぬまでつきあっていきたいスバラシイじいさんです。

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さて、小生の方も相変わらずで、仕事がなければ出勤不要なのですが、今年は4月から殆ど毎日満員電車にゆられております。
相変わらず積算が仕事で、エクセルと格闘しております。
あと2年で80歳になるので、そろそろバイバイして好きな海外旅行に専念したいと考えておりますが、会社から、あなたは必要不可欠な人材だとおだてられ、「おだてりゃブタも木に登る」で、当分無理かと半分あきらめております。
考え方では、「ボケ防止」の最大の手段かもしれません。
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渡辺弥栄司『125歳まで、私は生きる!』ソニーマガジンズ¥1500-という本を友だちから紹介されて読みました。
渡辺さんは今87歳だそうですが、健康で生き生きと生きている。
まだまだやりたいことがたくさんあって、125歳まで生きるぞーなんて言っています。

なぜ生き生きとしていられるのか。その秘密はやっぱり「ちゃんと自分でお金を稼いでいる」ことなんですね。
渡辺さんは60歳過ぎたとき、これからも生き生きと社会の役に立って生きるにはどうしたらいいかと考えた。
社会に役に立つボランティアをこれからの人生の仕事にしていこうと考えたわけです。
ボランティア活動するのでも、やっぱりある程度のお金が要ります。
手弁当と言っても交通費だってバカになりません。
お金の心配をしていたのでは、やりたいことを思い切ってできなくなってしまう。
だから、ちゃんと収入を得る道も確保しておかなくちゃと考えたんですね。

そこらへんが偉いじいさんですよ。
たいていのじいさんは、年金だけでは自由になる金がほとんどないから、家でテレビばっかり見ているなんてことになってしまう。
金がないのであちこち出かけられないわけです。
ボランティアなんてとてもとてもやれやしない。
なので、家でダラダラするしかないことになってしまう。
125歳まで生きるどころか、「早くおっちんでくれたらいいのに」なんて婆さんに陰で言われちゃったりして。

話を戻して、そこで渡辺さんは一発奮起して司法試験に合格し65歳で弁護士になった。
弁護士事務所を開設しただけじゃありません。
実務経験もなく年取った弁護士に、そんなに仕事が舞い込んでくるわけがない。
そこで司法修習時の同級生からコイツはと思った弁護士を引っ張ってきた。
事務所のオーナーは自分、裁判などの対応は引っ張ってきた弁護士。
そうやって、収入をしっかりとかつコンスタントに確保できる状況を自分で作り上げちゃった。

渡辺さんはこう言います。

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使命感を持った日々は充実し、楽しく、幸福である。
人の役に立っていると思えば、誇りが生まれ、その誇りが活力を盛んにする。(217p)
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渡辺さんも寺田のジジイも、日々充実して元気でいるのは、やっぱり「自分で稼いでいる」という自信と気概なんじゃないでしょうか。
稼げるということ自体、社会から必要とされているからです。
人間は、特に男性は、社会と関わっていないとダメになっていくものだと思います。
サラリーマンなら定年前は待っていても会社が仕事を与えてくれる。
でも定年過ぎちゃったら、待っているだけの人に社会の側から何か要請されることは絶対にないんだと思うのです。

そのためには待っていてもダメで、自分からそうなる状況を作る必要がある。
それには、自分の「専門」がある必要がある。
渡辺さんは弁護士資格、寺田のじいさんは積算の技術ですね。
専門があり、誰かがそれを必要としているなら、仕事と稼ぎを得ることができ、元気に好きなこともできるわけです。
楽しく元気な爺になるためには、定年後は毎日が日曜日、なんて言っていられないと思います。

ぼくも60歳過ぎた人生のことも射程に入れる年齢になってきました。元気なじいさんになれるように、自分の専門性を磨いていきたいと思っています。

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